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220/雑音語り/2-4


 漆黒のローブと銀の長髪をはためかせながら、カルナは右手を突き出していた。

 左手の鉄咆てつほうには譜面台めいた魔導書用の台が設置されており、魔力を練り上げ精霊を操る様は、どこかオーケストラの指揮者めいていた。


「――――単純な話だ」


 声が届いていないと理解しながらも、静かな声で呟く。


「精霊は崩落狂声(テラー・ハウリング)の歌声に導かれ、歌に合わせて演奏することで楽しんでいた。だからこそ、僕がどれだけ詠唱しようとも魔法で彼女を攻撃することなんて不可能だったんだ」


 その無意味にも見える行動は、けれど必要なことでもあった。 

 説明というのは順序立てて行わねばならず、それを感情が高ぶっている時に行うのは難しい。

 ゆえに、カルナは心を落ち着けながら言葉を紡ぐのだ。

 冷静に、平静に――それらが不可能だったとしても、可能な限りそれに近づける。近づけてみせる。


「けれど、それゆえに精霊たちにとって崩落テラーという少女は大切で――『彼女を痛めつける君に対する魔法』は、大した詠唱すらなく発動出来る。崩落テラーの周囲から響く演奏と理屈は同じさ。精霊たちはね、娯楽や命令云々関係なしに雑音語り(ノイズ・メイカー)をぶん殴りたいと思っているんだ」


 だが精霊たちはその手段を知らない。どれだけ相手をぶん殴ろうと思っても、そもそも拳の握り方すら知らないのだ。

 精霊とはあくまで自然界の法則を担う存在。ゆえに、現実世界に物理的な干渉を行う手段を彼らは知らない。


 ――だから、詠唱を以って教えてやった。


 それこそオーケストラの指揮者のように、演奏者(精霊)を導き一つの楽曲(魔法)を生み出したのだ。

 こうすればあの男を叩きのめすことが出来るぞ、と。

 お前たちの歌姫を傷つけた奴を罰することが出来るんだぞ、と。

 ゆえに、さあ――こっちに来い、と!

 

(要するに――僕が焼き殺したい奴と精霊が殴り殺したい奴が一致したワケだ)


 そうなれば、精霊が外壁上部に留まっている理由はない。

 一斉にカルナの元に殺到して――自分たちのために歌ってくれた歌姫を救うべく、魔法という現象となったのだ。

 そう、今この瞬間――雑音語り(ノイズ・メイカー)という男を倒すための魔法であれば、詠唱に詩的な表現を用いる必要すらない。

 魔力を練った状態で『あれを狙い、あれを燃やす』と――それさえ精霊に通じれば魔法が成立する。

 無論、精霊に対してこのようなアプローチをするのは初めてだったため時間が掛かってしまったが――必要な時間は連翹が稼いでくれた。

 ならば問題ない。

 相手に隙があり、それに対処する時間を稼いでもらった――ならば、カルナ・カンパニュラが対応出来ぬはずがないのだ。


(まあ、もっとも――)


 あれでもレゾン・デイトルの幹部だ。

 自分たちを翻弄してきた相手なのだ。

 これだけで終わるはずがないだろう。


「―――――!」


 炎の腕に握りつぶされる視線の先の雑音ノイズは何事かを喚きながら、炎の腕を両断した。

 焼け焦げて崩れていく外套の下、黒い詰め襟の服の内側に仕込んでいた何かが銀色に発光する。恐らく、あれはインフィニット・カイザーの巨大鎧と同じ理屈の装備なのだろう。転移者の身体能力を更に向上させ、無理矢理に魔法を突破したのだ。

 全身を焼かれ涙と鼻水を垂れ流しながら、しかし雑音ノイズの行動は迅速であった。

 炎の残滓を纏いながら跳躍し、連翹を跳び越えノーラたちに迫る。

 その様子を見て、ふむ、と小さく頷いた。

 

(レンさんはよくやってくれてはいるけど――やっぱりまだ咄嗟の判断が甘いね)

 

 恐らくだが、雑音ノイズがカルナの魔法で拘束された瞬間に安堵してしまったのだろう。

 助かった、と。

 これでこちらの勝利だ、と。

 近くに居たら叱責の言葉の一つでも吐いているところだ。

 確かに雑音ノイズは小物だが――『死にたくない』と思い必死に足掻けば、鼠が猫を食い殺す程度のことは成せる。


「――! ――! ……、……!」

 

 崩落テラーを癒やすノーラを掴み、盾にするようにカルナの方に向いて何事か喚き立てる。

 どうして魔法が使えるのか分かっていないものの、それを現実として受け入れ対処しようとしているのだ。

 ゆえに、今有用なのは人質だと判断したのだろう。魔法は高威力かつ広範囲を攻撃することに適しているが、しかし小さな的だけを狙い撃つような真似は不得手だ。

 ならば、こちらに背を向けて逃げるより、人質を盾にしながらゆっくりと距離を取った方が生き残る可能性が高い。騎士と共に行動する魔法使いが人質ごとこちらを焼き払わないだろう、という思惑もあるのだろう。

 なるほど、少なくとも凡百の転移者よりは頭は回るようだ。

 確かに、これでは魔法で攻撃するのは難しい。不可能とまでは言わないが、リスクが大きすぎる。ゆえに、この対処は決して悪手ではない。

  

「はっ――低能め」


 ――だが、致命的に底が浅い。


 雑音語り(ノイズ・メイカー)は、実のところ一瞬一瞬の判断はそこまで致命的な失敗を犯していない。実際、人質を盾にするというのは対魔法使いにおいて有効な手段だ。

 少なくとも西部で暴れ回る無法の転移者などよりは、ずっとずっと頭が回る人間だとカルナは評価している。

 きっと、地頭はそこまで悪くはないのだろう。必死になった時の判断力は連翹よりも的確だ。


 だが――彼は他者は愚かだと決めつけている。


 ゆえに、自分の策が破られることなど考えていないし――考えていないからこそ、裏をかかれた時には場当たり的な行動をするしかない。

 無論、その場当たり的な対処も大きな間違いではない。実際、カルナは次の魔法を放てなくなったのだから。

 今頃、雑音ノイズはこちらを嘲笑していることだろう。少しばかり驚いたがしょせん劣等どものやることだ、自分を倒すには至らない、と。 


「――なぜ、魔法だけだと思った、これで終わりだなどと都合の良い解釈をした。だからお前は策士を気取った愚者なんだよ」


 誰もが自分よりも格下だと見下しているがゆえに、視野が狭い。

 だからこそ自分の成功を疑わないし、疑えない、だからこそ――自分を追い詰める相手が現れた時、対処を誤るのだ。

 カルナは小さく笑みを浮かべ、視線を外壁上部から下の転移者たちに戻す。

 勝利の絵図は既に描き、最後の仕上げは最も信頼する相手に託した。

 ならば、もはや雑音語り(ノイズ・メイカー)などに注意を払う理由はない。今やるべきことは、精霊たちを誤魔化して他の転移者に対して魔法を放つことだ。

 

「さあ――道は切り拓いた。ノーラさんを任せたよ、相棒」


 雑音ノイズなどどうでも良いけれど、そちらを疎かにしたらただじゃおかないぞ、と。

 凄まじい速度で小さくなっていく背中を見つめながら、カルナは小さく呟いた。


     ◇


「ははははははっ! ぼくの勝ちだ、やはりぼくは凄いんだ! 無力な現地人如きが、ぼくに勝てるものかよぉ――!」


 嗤う、嗤う、嗤う、雑音語り(ノイズ・メイカー)は嗤い続けていた。

 無論、痛みはまだ存在している。掌から肘の辺りまで両断された右腕の激痛や、全身を苛む火傷の苦痛は、確かに雑音ノイズを苛んでいる。

 だが――それ以上に愉快で、痛快でたまらないのだ。

 必死に抵抗したらしい現地人どもの行為――それはほんの少し自分を追い込んだが、しかし結局のところ全て全て無為となったのだから。


 ああ、確かに女転移者が突然無二の規格外(ユニーク・チート)に目覚めたのは驚いた、

 その女を殺そうとした瞬間、魔法が使えないはずだというのに魔法で攻撃された事実も驚愕した、


 だが、だが、だが――雑音語り(ノイズ・メイカー)は全てを凌ぎきった! 劣等共の小賢しい真似を、全て蹂躙してやったのだ。

 ひひっ、と笑みで口元が歪む。

 後は神官の女を掴んで逃げれば良い。崩落テラーたちが生きている事実に腸が煮えくり返るものの、その怒りはこの桃色の髪の女を惨殺し死体を晒すことによってチャラにしてやろう。


(ああ――どんな顔するだろうなぁ? 君たちの友人が惨たらしい状態で貼り付けにされているのを見たら! 泣くか? 怒るか? それとも呆然としたまま感情が死んでしまうのかな? どれでも構わないさ、どれだったとしてもぼくは困らない!)


 どう転んでも自分にとって好ましい未来にたどり着く。

 だって――今も昔も、他人は全て低能なモブだ。自分という物語を引き立てるためのNPCなのだ。

 日本に居た頃だって上手く立ち回れていた。ほんの少し本気になれば勉強も運動も平均以上の存在になれたのだ。

 この世界に来てからも同様。簡単な護身術を学び雑魚転移者と差を付けながら、数多の雑魚や必死になって技を開発している馬鹿を口先で操り、無二の規格外(ユニーク・チート)以外になんの価値もない王を口説き落とした。

 全て全て、狙い通り、思い通り! 

 だからこそ、これだけ傷を負っても現地人どもの反撃に対処出来ている。結局のところ、雑音語り(ノイズ・メイカー)が戦略的には勝利するのだ。戦術的な勝利など、いくらでも恵んでやる。せいぜいぬか喜びをしていると良い。

 

「さあ、来い女! ……ああ、そうだ。道中ぼくに治癒の奇跡をかけてくれるというのなら、温情を与えてやってもいいんだよ?」


 左腕で拘束する女を見下ろし、嗤う。

 無論、そのようなモノを与える気は欠片もないが――死にたくないと必死に媚びる劣等を眺めるのも悪くない。

 

「――いいえ、けっこうです」


 だというのに。

 少女の瞳は気丈なままで、体は脆弱だというのに心の弱みは全く見せない。


 ――それに苛立つ、むかつく、腹が立つ。

 

 これだけ致命的な状況に追い詰められているというのに、この女は全く絶望していない。

 まだ何か出来ると考えているのだろうか? その無力な力で! 無能如きが!

 だとしたらお笑いだ、と雑音ノイズは口元を嘲弄の形に歪める。他人なんぞ全て頭の足りていない塵屑だと思っていたが、この女はその中でも群を抜いて足りていない。お花畑にも程がある。

 

「自分でなんとか出来ると思っているのかな? それとも、さっきの魔法みたいに誰かが助けてくれると? 残念、どちらも不可能だ。どうやら君には想像力というモノが欠落しているらしい」

「ええ、確かにわたしはもうあなたに何もできません。この瞬間、女神の御手(コード・グロリアス)を使おうとしても、警戒しているあなたに当てられる気がしませんから」

「なんだ、思ったより現実を理解しているじゃあないか。なら、その顔は最後の抵抗ということか? わたしはあなたの思い通りになりません、心までは自由に出来ないんだから、とか言っちゃうのかい? 即落ち二コマだって最近はもうちょっとセリフが凝ってるんじゃないかなぁ?」


 嗤う、嗤う、愉悦で痛みを塗りつぶすように、雑音ノイズは嗤いながらじりじりと下がっていく。

 あの魔法使いがどれだけ魔法をコントロール出来るのかは分からないが、外壁を降りてレゾン・デイトル側に入ればこちらの勝ちだ。雑音ノイズと人質が外壁に遮られてしまえば、あちらは狙い撃つことも出来なくなる。

 そう、勝利の方程式は自分の手の中にあるのだ。どれだけ女が気丈に振る舞おうと、その事実は覆らない。


「わたしはまだまだ未熟で、一人では大きなことが出来ない新米の神官ですけれど」


 だというのに、少女の眼に迷いはなく。

 雑音ノイズに対する敵意と、何者かに対する信頼感を瞳に浮かべながら静かに、けれど力強く宣言する。


「わたしの仲間は、あなたたちに立ち向かおうと昔から頑張ってきた人たちなら、この程度なんでもない――想像力が欠落しているのは、あなたですよ」

「ああ、はいはい、分かった分かった。馬鹿は踏み台にするには有用だが、まともに会話にならないのが難点だな。愚かしいったらありゃしない」

 

 要は、自分の男ならこの程度のピンチ簡単に救ってくれると言っているのだ。スイーツ脳にも程が有る。

 どれだけ頑張ろうと無能は無能で、どれだけ怠けようが有能は有能なのだ。この世は結果が全てなのだから、努力を誇っている時点で三流以下の塵屑だろう。


(そうとも。ぼくはその手の塵屑を利用してここまで上り詰めた)


 そうとも、最強が強いのではない。

 最強を操る最弱こそが最も優れているのだ。


 無二の規格外(ユニーク・チート)を独占する愚者に『世界全てを敵に回しても勝利できる国を作ろう』と持ちかけ、籠絡した。

 路上で歌なんぞを歌っている頭の軽そうな女に制限時間の知識を与え、ハピメアを渡し、自在に扱える兵器に作り変えた。

 西部で暴れ回る殺人鬼と相対し、無二の規格外(ユニーク・チート)の情報を開示し仲間に引き入れた。

 突然現れた無駄に偉そうで傲慢な女好きを差別せずに仲間にしてやった。

 力を失うのが怖いと震える昭和ロボット馬鹿を唆し、雑魚散らし用の兵器として運用した。

 陰キャ面している癖に女王都で毎日楽しそうな転移者に制限時間を晒し、『力がなくなった君を友達だと言ってくれるのか?』と恐怖を煽り、『無二の規格外(ユニーク・チート)は物語の主人公のような人間に齎されるのではないか』、というデタラメな推論を伝え暴走させた。


 他にも、他にも、他にも、この口から溢れ出る雑音を用いて人々を操ってきた。

 ゆえに、自分は雑音語り(ノイズ・メイカー)。相手の心の中に侵入し、心の在り方を捻じ曲げる言葉の担い手。

 くだらない最強の座など好きなだけくれてやる。だが、一番智謀に長けているのは自分だ。誰も、誰も、誰も、そう誰も自分の裏をかくことなど出来やしない。

 口元に笑みを浮かべ、未だ戦い続けている転移者と連合軍を見下ろした。

 

(あれ――?)

 

 その時、雑音ノイズは奇妙なモノを見た。

 

(――なんで、あんな風に……一直線な空白があるんだ?)


 転移者たちの黒々とした群れ――その一部に、まるで切り裂かれたように一直線の空白が出来ていた。

 本来、ありえないことだ。なぜなら、彼らはハピメアに酔いしれ、己の理想に酔いしれ、ただただ連合軍を攻撃しているだけの無能転移者どもなのだから。

 彼らに陣形はなく、協力して戦うという頭はない。ただただ、己こそが最強であると我先にと攻撃を行う愚者どもだ。

 ゆえに、土石流か何かのように隙間があれば殺到し、隙間がなくても障害物を砕きながら前へ前へ、己が輝ける場所へと駆け抜けていくはずなのだ。隙間など、欠片も残すはずがない。


 ――つまりは、それは誰かが意図的に作り出した道なのだ。

 

 急に感じ始めた寒気に体を震わせる。何を感じ取ったのか自分でも理解出来ぬまま、雑音ノイズは眼下の直線を注視した。 

 それは、炎で強引に切り拓かれた直線であった。

 未だ地面に炎が残留し、焼け焦げた死体の一部が散乱するグロテスクなレッドカーペット。

 

(待てよ――)


 思い出す。先程自分が喰らった魔法について。

 炎の腕を生み出し、それで敵を握りつぶすという魔法。ああ見た、見たとも――『双腕』で王冠クラウンの軍勢を焼き払う姿を!

 

(――もう一つの腕はどうした? ぼくを焼いた腕は片方だけだったぞ……?)


 ならば、あの直線はもう一つの腕で作り出したモノなのだろう。

 だが、なんのために? なんでわざわざ、そのようなことを?


 それは、致命的な隙であった。

 致命的な時間のロスであった。


 普段ならば簡単に気付いたであろう事実。しかし、雑音ノイズの思考は成功体験によって緩んでいたのだ。

 そう――女たちをなぶり、連翹に反撃されるも生き残り、カルナの魔法にも対処して、ノーラを拘束し人質にした。手痛いダメージは食らったが、しかしそれでも一つ一つ対処し、ノーラという人質を、善良なるモノに対する無敵の盾を手に入れたのだ。


 ――後はもう逃げるだけ、それで勝てる。


 勝利の道筋が見えて、己が上手くやった未来を夢想し――そこで思考が止まってしまった。

 自身こそが最良であると、自身以外の人間は須らく劣っているという傲慢な思考が、誰しもが考える『失敗した場合の次善の策』を練ることを放棄させているのだ。


 注意深く様子を伺っていれば気づけたことだろう、

 もっと相手を警戒していれば気づけたことだろう、

 強敵であると認めていたなら気づけたことだろう、

 

 されど、雑音語り(ノイズ・メイカー)という存在はそういった感情を削ぎ落とし、弱者を虐げ他者を嘲笑う存在だ。

 ゆえに、彼がそのような思考を抱くことはありえず――ゆえに、これはきっと彼の限界だったのだろう。


「――――いざって時には助けるって、潜入前に約束してたからな」


 ――声が、した。

 最初は遠くから、けれど徐々に、徐々に徐々に近くから聞こえてくる。


 それは、切り開かれた直線を駆ける者の声。炎の残滓を突き破り、焼け焦げた死体を踏み砕きながら駆ける男の声だ。

 それは、砕かれた外壁を足場に駆け上がる者の声。己の闘気と先ほどの魔法で砕かれた外壁を足場にして上へ上へと突き進む男の声だ。

 それは、敵意と殺意をむき出しにしこちらに迫る何者かの声。貴様は殺す、とどんな言葉よりも雄弁な死の宣告だ。


 聞き覚えはあるが、対して重要視したことのない者の声であった。

 当然だ。鉄の棒切れを振り回すことが大好きなどという愚者を、一体どうして重要視出来るというのか。

 騎士のような現地人最強格の存在であればまだしも、彼は一冒険者――全てを屠る最強ではなく、唯一無二の何かを持つ最弱でもない、そこそこ強いモブ程度の存在だ。


 ゆえに、ありえない。

 ありえるはずがない。

 

 その程度の男が敵陣を突破しこちらに迫っているという事実が。

 その程度の男に対して、寒気を感じてしまっている自分自身が。


「タイミングは少しばかりズレたが――その約束、果たしに来たぜ」


 そう言って、男は外壁上に着地する。

 数メートルほど離れたその男の顔を、姿を、雑音ノイズは直視した。


 ――猛獣のような男だ。


 逆立った茶の短髪に、肉食獣めいた鋭い眼。

 要所を金属で補強した革鎧を身に纏い、両手で握るのは木製の――否、エルフの国に存在する霊樹によって生みだされた剣を握っている。

 露出した肌の一部が火傷で赤黒く変色しているが、しかし男は――ニール・グラジオラスは牙をむき出しにするかのように大笑していた。楽しそうに、けれど剣呑に。


 さあ――間合いに入ったぞ、と。

 これでお前を斬り殺せるぞ、と。


 それが――その笑みが、雑音語り(ノイズ・メイカー)の心を強く、強く強く揺さぶるのだ。


「来――来るな! この女がどうなっても良いのか!?」


 両脚が、体が、なぜだか震えてしまう。

 なんだろう、これは。これではまるで――まるで、なにか恐ろしいモノを見て畏怖する弱者のようではないか。

 

(違う、違う、違う! これは歓喜だ! 無駄な真似をする愚者を全力で嘲弄出来ることに対する喜びだ!)


 そう、いまさら剣などを持って来ても、もう遅い。雑音ノイズは人質を取っている。

 これを盾にすれば、相手は剣を振るうことなど出来ない。お優しい連合軍様は、人質ごと敵を斬り殺すという選択肢を選べない。

 そうだ、負けない、負けるはずがないのだ。あんな人生の縛りプレイをしているような連中に、全てを利用するこの雑音語り(ノイズ・メイカー)を倒せるはずがない――!


「動くなよ、ノーラ!」

 

 ニールは右肩に剣を担ぐように持ち――颶風の如く駆け抜けた。

 数メートルという距離などゼロに等しいと言わんばかりの速度で、剣士は雑音ノイズへと迫る。

 

(馬鹿め――!)


 仲間を避けて剣を振るうつもりなのだろうが――そのような真似を許すはずがないだろう。

 斬撃に合わせてノーラを盾にすれば良い。現地人の女程度で剣の勢いは止まらないだろうが――女の悲鳴で手を止めることだろう。

 仮にそのまま斬りつけたとしても、途中で女を放り捨てて強引に剣を逸らせば良い。

 無論、最善なのは女を前に動きを止めることだ。そうなれば転移者に比べ脆くて弱い現地人が目の前で棒立ちしてくれる――簡単に殺せる。

 なんだ、どう転んでも思い通りの未来ではないか。

 雑音ノイズは表情に喜悦を浮かべる。やはり――やはり自分は最弱にして最凶のトリックスターなのだと。

 

「はっ――仲間を斬り殺した絶望に沈めぇ――!」


 斬撃は読める――転移者の『ファスト・エッジ』のように振り上げた剣を袈裟懸けに振り下ろすモノだ。

 そうとも、重要視こそしてはいなかったが――幹部を何人も倒している相手を調べていないはずもない。

 あれはあの剣士が最も得意とする技、餓狼喰がろうぐらいだ。走って間合いに入って斬るだけの、必殺技と呼ぶには地味過ぎる下等な技術だ。

 ゆえに、受け止めることなど容易い。勝利することなど容易いのだ!


「らぁ――!」


 剣が振り下ろされる。

 斬撃が放たれる。

 疾走の勢いと、剣を振るう腕力。それらが組み合わさったその斬撃は、なるほど、直撃したら転移者といえどもダメージは免れないだろう。

 

 ――そう、直撃すればの話だ。


 振り下ろされた刃は、雑音ノイズどころか盾にしたノーラにすら届かず空を斬る。


(はは――日和ったな!)


 ノーラを放り捨てるべく力を込めながら、雑音ノイズは口元を溢れんばかりの喜悦で大きく歪めた。

 空を切った刃を構え直すよりも、転移者である雑音ノイズが殴り殺す方が早い。技云々の話ではない、純然たる身体能力の差だ。反撃も防御の隙など、与えるはずがない。叩き潰す。

 ゆえに、雑音ノイズは左拳を握りしめ、ニールを殴り殺――

 


餓狼喰がろうぐらい――風華ふうかが崩し、ってか」



 ――ドンッ、という鈍い音。

 響いたその音は、しかし雑音ノイズの拳がニールを殴打した音ではない。

 それは、硬い何かを刺し貫いた音。

 勢いの載った剣先が肉を抉る音だ。


「あ――え」

 

 雑音ノイズの口から間の抜けた音が漏れる。

 なんだろう、これは。こんな未来図、自分は描いていないぞ、と。

 左拳は間合いに届かず、空を切った状態で制止している。否、届かないはずがない。だって、自分は間合いを詰めて目の前の男を殴りに行ったのだから。殴り殺して、勝利の優越感に浸っていたはずなのだ。

 だというのに目の前の男は今も健在で、剣を握った両手を前に突き出した状態で静止している。

 

「リディアの剣の風華ふうかをちっとばかり真似たが……駄目だな、やっぱ騎士たちみてえに綺麗なフェイントは出来ねえ。真っ当な相手なら見切られて終わりだ」


 やはり自分はまだまだ騎士に及ばない、と。

 目の前に自分が居るというのに、この雑音語り(ノイズ・メイカー)が存在しているというのに、もはやなんの脅威もないとばかりに小さく自嘲的な笑みを浮かべている。

 

「だが――お前程度を騙すならこの出来栄えでも十分みてえだな」


 嫌な予感がしていた。

 言い様のない恐怖が全身を凍えさせる。

 だというのに、早鐘を打っていても不思議ではない心臓は、ぴたりと静止したまま。

 全身を苛む寒気に導かれるように、雑音ノイズは視線を下げた。

 己の胸元へと――剣が突き立つ、己の左胸へと。

 瞬間、剣の隙間から溢れ出す血液のように――痛みが脳内に流れ込んできた。


「あ、あ――ああああああああああ!?」

「ハッ――」


 絶叫する雑音ノイズを冷めた目で見つめるニールは、なんの躊躇いもなく剣を胸から引き抜いた。

 瞬間――ごぽり、と噴出する血液、血液、血液。

 血が、命が、穿たれた穴から、そして壊れた心臓ポンプから吐き出されていく。

 

「痛ぃ、痛いいいいい! ああ、あああ、あああああっ、死ぬ、こんな、血、死ぬ、死んじゃう……!」

「当たり前だ、殺すつもりで貫いたんだからな」


 視界が真っ赤に染まる。思考が痛みに支配される。

 胸元の痛みが、そこから流れ出していくモノの熱さに、雑音ノイズは悲鳴を上げた。

 怖い、怖い、怖い。

 痛いのも怖いし流れ出ていく血液も怖い。

 けれど何より――体の末端が冷たくなっていく感覚が一番怖かった。

 ひた、ひた、と死神が足音を立てて自分に迫っている――そんな光景を幻視したから。


「た、助け――そこの神官、ぼくを、助け、助けてくれ――こんなに血が、死、死んで、死んじゃう……」

「――――どの、口で」


 引きつった声音でノーラに哀願する雑音ノイズに対し、ノーラが返したのは吐き捨てるような言葉と冷たい眼差しだけ。

 どれだけ頼み込もうと自分の傷口を塞ごうとしてくれない彼女に対し、雑音ノイズは激昂しながら迫る。

 

「な、なんで――なんで助けてくれないんだよ、この人殺しがぁ!」


 傷ついた誰かを癒やすのが神官の仕事だろうに、なにをサボっているのかこの劣等は。職務放棄も甚だしい。

 無理矢理にでもこの傷を治癒させるべくノーラに向かって駆け出し――


「――もう黙ってろ、三下」

「ひっ――」


 ――その瞬間、背後から迫る斬撃を避けられたのは、必死だったからだろう。

 生まれてから全く真剣に生きてこなかった彼が、ただただ、純粋に生きたいと、死にたくないと望んだがゆえに。

 だからこそ殺気を感じ取れた、だからこそ無様に転倒しながらでもニールの剣を避けられた。

 

「あ――ぁああああああ!?」


 落下する。落下する。落下する。

 外壁上部から街中へ。

 外壁沿いに建設された下級宿舎の屋根に体を打ち据え、街門前広場まで落下し、地面に叩きつけられる。

 普通なら死んでいる衝撃。いいや、心臓を貫かれている時点でとっくの昔に死んでいることだろう。

 だが、彼は転移者だ。

 心臓が破壊されようと、高所から石畳に叩きつけられようと、規格外チートによって齎された生命力は彼を生かし続ける。


「い、嫌だ、嫌だぁ……死にたくない、死なない、ぼくが、こんな無様に死ぬものかぁ……」


 雑音ノイズは這うように動きで起き上がりながら、砕けた瓦礫――それを強引に穿たれた胸の中に突っ込んだ。

 それは止血のため。雑を通り越して無意味なレベルの処置だが、しかしほんの僅かにでも流れ出す血を押しとどめられたらそれで良いと


(……や、屋敷の――屋敷の使用人にだって、地下の奴隷どもだって、神官は居る。なら、そいつらを脅して、命令して……そうすれば、大丈夫。大丈夫大丈夫大丈夫、ぼくがこんな場所で無様に死ぬはずがない……!)


 背後から追撃が来るかもしれない――そんな思考は、今の雑音ノイズには存在していなかった。

 ただただ、死にたくないと願いながら屋敷へ向かうべく大通りを駆ける。

 

 ――彼は知らない。


 現在、屋敷がどうなっているのかを。

 地下の違法奴隷は既にレゾン・デイトルから脱出し、使用人たちはクレイスの結界の奇跡で守られた屋敷に避難していることを。

 何も知らず、そこに希望があるのだと信じて走るのだ。


     ◇


(あいつ、まだ――!?)


 大通りを走り出した雑音ノイズを見下ろして、連翹は驚愕の表情を浮かべた。

 確かに転移者は頑丈で、生命力に満ちあふれている。ちょっとやそっとの攻撃では致命傷にはならず、仮に致命傷だったとしてもある程度なら生命活動を維持することが可能だ。

 可能だが、だからといって誰しもがやれることではない。

 単純な話で、致命傷になるようなダメージは痛いのだ。普通なら地面に横たわって「痛い痛い」と泣きながらそのまま死んでしまうだろう。

 だが、彼は心臓を貫かれるという大ダメージを喰らいながらも必死に体を動かしていた。

 こんな場所で自分が死んで良いはずがない、死ぬはずがない、その想いだけで。


「……悪ぃな、驚かせただろ」


 だが、ニールは雑音ノイズを一瞥すると、それだけで興味が失せたらしい。ノーラに視線を向け、バツが悪そうな顔で謝罪の言葉を口にする。


「いいえ、ニールさんが動くなって言ったんです。なら、ちゃんとやってくれるだろうなって思ってましたから」

「まだまだ道半ばの剣士からしちゃ信頼が重てぇ――が、それに応えられたみてぇだな」


 犬歯を見せつけるような笑みを浮かべたニールは、連翹に視線を向けてその笑みを更に濃くする。


「それで――お前もよくやったな、連翹。正直ヘッタクソなモノマネだったが、それで結果を出せたんなら成功だ」

「あ、ありがと。でも、自分でも分かってたけどやっぱりあたしのはまだまだ――いや、そうじゃなくて!」


 あまりにも余裕というか、普段通りのニールに引っ張られそうになったが、慌てて首を左右に振った。


「それより、あいつまだ生きてるじゃない! また妙な真似される前に、さっさと――」

「んなことよりも、ここらで傷の治癒を始めるぞ。王がどれだけ強えのは分からねえが、万全の状態にしておかねえとまずいだろ」

「いや、んなことより、って――」


 少なくとも雑音ノイズはまだ生きている。

 致命傷を喰らいながらも、それでも生きるために体を動かしているのだ。

 確かにあのまま失血死する可能性は高いが……あの雑音ノイズだ。何度もこちらの神経を逆なでしながら上手く立ち回っていた男なのだ。あの逃走にも思惑があり、何か逆転の一手があるのではないか?

 そんな連翹の言葉を聞いて、ニールは静かに首を左右に振った。


「転移者はほとんど外に出て、幹部はもうあいつだけだ。そして街にはアレックスたちが居る――多少の奥の手があろうと、どこに逃げようと、もうあいつは積んでんだよ」


 屋敷は既にアレックスたちが押さえているだろうから、仮に屋敷に神官が居ても彼を治癒することはないだろう。

 無論、探せば神官の現地人も居るかもしれないが――そのような時間、雑音ノイズには残されていない。

 ゆえに、雑音語り(ノイズ・メイカー)に残された道は二つ。

 既に占拠された本拠地を見て絶望のまま失血死するか、道中で連合軍の誰かと出会って殺されるかだ。

 

「それに、だ。あいつは智謀に長けた策略家でも、異質な何かでもねえんだよ。カルナの言葉だけじゃ半信半疑だったが……相対して、剣を交えて理解した。あいつは、ただ単に他人の脚を引っ張ることしか考えてねえ。場当たりで、先なんて全く見てない――そんな奴が規格外チートなんぞを持ってるから、強大な力なんぞを持っちまったから、どいつもこいつも勘違いしたんだよ」


 強大な力を持っている癖に、何が目的か分からない、どういう行動原理で動いているのか理解できない。だからこそ異質で、怖かった。

 だが、彼の言動に目的などなにもなく、行動原理はただ輝いている人間の脚を引っ張るということだけ。

 なんとも底の浅い人間だ。

 自分を輝かせる努力をなに一つせず、他者を嗤うだけの卑小な存在。本来なら、誰からも相手にされない人間だろう。

 だが、彼は巨大で華美な箱の中にそれを隠していた。規格外チートによって、そしてレゾン・デイトルの幹部という地位によって。徒党を組んだ転移者たちの中で最上位に位置するという箔付けが、そして彼自身の回る舌が、箱の中にある小さな自分を酷く恐ろしい何かであると他者に誤認させたのだ。

 その結果、多くの人間は彼を異質な何かだと認識した。戦闘能力は大したことないが、恐ろしい何かを有しているのだと思わせ、敵と味方を操ったのだ。


 ――であるからこそ、彼は規格外チートを永遠にすることに固執したのだろう。


『トリックスター雑音語り(ノイズ・メイカー)』という存在は、転移者の力が無ければ成立しない。

 仮に彼がなんの力も持っていない年相応の少年であったのなら、近くの大人に怒られて終わりだ。屁理屈ばかり捏ねてないでやるべきことをしろ、と。

 なぜなら、彼の言葉はどれも軽いモノなのだから。

 少し賢しい子供が屁理屈や戯言を吐き出しているだけで、実力が伴わなければ全く心に響くモノではない。

 けれど転移者だから、強力な規格外チートが有ったから、彼の言葉に説得力が生まれた。薄っぺらな言葉の羅列が正体不明や異質な転移者というテクスチャに覆い隠され、ざわざわと心を揺さぶる嫌なモノに――雑音に変じたのだ。

 だからこそ、転移者の力が無ければ雑音ノイズなどただの他者を貶めるだけの子供でしかない。否、テクスチャに隠されていただけで、元々あれはそういう存在だったのだとニールは言っているのだ。

 全能感に酔った小賢しい子供――あれは、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

「無駄に自分は有能だって信じていて、失敗する可能性なんぞ欠片も考えてねえ。そんな奴がまともな切り札を用意してるワケねえよ。多少は抗うだろうが、放っておけば勝手に死ぬ。

 ……ま、それでも万が一はある以上、トドメを刺しといた方がいいのは事実だけどよ――そいつは俺らの中で一番殺したいと思ってる奴に任せようぜ」

「それって――ああ、そういうこと」


 連翹がレゾン・デイトルの町並みを――その大通りを見て、納得したように頷いた。

 見慣れた人影が、潜んでいた転移者を屠りながらこちらに向かって疾走する姿が見えたから。

 それは巨漢の女神官であり、身軽なスカウトであり、そして頑強な鎧を身に纏う大男であった。

 既に彼らは雑音ノイズを視認しているらしく、大男の兵士は――ブライアンが背後の二人の盾になるような立ち位置を維持しながら加速するのが見える。

 なるほど、と連翹は頷いた。もうこちらが手を下す理由はない。

 もはや雑音ノイズは死に体である以上、大した脅威でもないし――トドメは因縁のある者に譲った方が良い。

 

「――あれ、でもアレックスはどうしたのかしら?」


 屋敷でクレイスにでも会ってるのかしら? と。

 少しばかり不思議そうな表情を浮かべた連翹だったが、すぐに表情を引き締め、体の力を抜いた。

 今の自分に転移者の全力を出し続けることは出来ないのだから、少しでも規格外チートの力は節約すべきだろう。

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