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219/雑音語り/2-3


 ――なんて、憐れ。


 雑音ノイズが垂れ流す雑音を聞いて、連翹は怒りよりも憐憫の情を抱いた。

 彼自身が語ったように、雑音語り(ノイズ・メイカー)には才があったのだろう。彼の言葉を話半分に聞いたとしても、今までの実績を鑑みるに頭の回転はさほど悪くはないのだろうなとは思う。

 だって、いくら連翹が雑音ノイズと同じことをしようとしても、誰かを騙し操ろうとしても、きっと上手くは行かない。きっと早々にボロが出る。

 恵まれた能力があったのだろう。才能もあって、コミュニケーション能力も高かったのだろう。

 きっと彼の体にはいくつもの才能が種として内包され、開花の時を待っていたはずなのだ。

 

 ――けれど、彼はそれらに水をやることなく、種のまま放置した。


 結果、生みだされたのが今の雑音語り(ノイズ・メイカー)という人間だ。

 才能を開花させることなく、ただただ時間を浪費して天才という称号を失い――けれど平凡な人間であることに耐えられなかった。

 膨れ上がった自尊心は自分が他者よりも下であるという事実を認められず、けれどそれを覆すための努力が出来なかった。

 ゆえに、彼は自分を高めるのではなく、他者を引きずり下ろすことに執着したのだ。

 どんな人間とて、必死にやっていればどうしても心が弱る時がある。あの快活なニールですら、死神グリムと初めて出会った時には己の力不足に悩み、精神的に弱っていたのだ。

 そして、弱ったところに過負荷をかければ心というのは簡単にへし折れる、折れずとも曲がってしまう。

 

 ――そうすれば、へし折った側は『何かを成した』と錯覚できる。


 それは美しい彫刻を蹴り砕いて、バラバラになった破片を前で胸を張るように。

 輝かしい何かを台無しにすることによって、台無しになったそれを前にして悲しむ人々を見て、自分は凄い奴だと、自分はこれほどまでに世界に影響を与えたのだと誇っているのだ。

 なんて馬鹿馬鹿しい。

 皆が大切だと、輝かしいモノだと感じているのは壊された何かであって、壊した人間などでは断じて無い。

 彼はそんなことにすら気づかず、的はずれな優越感を抱き続けるのだろう。全ての人間を下に見ている以上、これから彼が改心する可能性など皆無だ。

 ゆえに、本来なら彼は大した功績を出せずに埋もれていくはずだった。

 ネットの掲示板やSNSで悪意を振りまき続けるか、ケチな詐欺師となるのが精々だっただろう。

 だが、そんな彼に異世界転移の機会が――他者の努力を簡単に踏みにじることが出来る規格外チートを手に入れる機会が訪れた。

 

 ――その結果雑音語り(ノイズ・メイカー)は誕生する。


 多くの人が鼻で笑う彼の悪意は実力という裏付けを得て説得力を有したのだ。

 カルナが小物と断じた意味が分かった。

 雑音ノイズという人間は、世界が自分の思った通りに動くべきだと願い続けているだけの存在だ。

 

「さあて――ちょっと遊びすぎたようだし、そろそろ全員殺してしまおうかなぁ?」


 だが、今の連翹たちではその小物にすら勝てない。

 連翹がどれだけ必死に体に力を込めても、痙攣したように体が震えるだけ。転移者の力が高速でオン、オフされているためまともに立つことすらままならない。


(なんとか……なんとか、しないと……!)


 腹部を苛む痛みに顔を歪めながら、連翹は必死にこの状況を打破する方法を考えていた。

 ノーラでは雑音ノイズに勝つことが出来ない。女神の御手(コード・グロリアス)は決まれば雑音ノイズを一撃で無効化できるのだろうが、発動までのタイムラグが長すぎる。

 崩落テラーでも不可能だ。ダンスのステップめいた回避は確かに有効だったのだろうが、彼女には攻撃力が不足している。腕を切断された痛みに耐えてまた雑音ノイズに挑んだとしても、決定打が存在しない。

 ゆえに、連翹がなんとかしなければならないのだ。

 なんとかしなければならない、のだけれど――体が動いてくれない。


(せめて……せめて、普通に動くことさえ出来れば!)


 どうせ規格外チートがなくなるのなら、丸々全部無くなればよかったのだ。そうすれば雑音ノイズと戦える。

 無論、そうなれば連翹の身体能力は現地人以下になってしまうが――それでも、何もしないで殺されてしまうよりは、ずっと良い。

 だから、必死に頭を回転させるのだ。この世界に来てから得た知識、情報、経験、それらをひっくり返して必要なモノを探し続ける。

 

 ――けど、そんな時に思い浮かぶのは無意味なモノか、どうでもいいことばかり。


 頭に浮かぶのはアースリュームでニールと二人で出歩いた時のこと。

 装飾通りを歩いたり、サッカーを教えてる転移者と出会って、規格外チートはいずれ消えるかもしれないと言われ、怖くなって逃げて、そこでニールに話を聞いて貰って――


(あ――れ?)


 ――半ば逃避のように思い返していた状況の中に、一つだけ、気になるモノがあった。

 サッカー場で出会った転移者の男。がっしりとした体つきで、インドア系の人間が多い転移者の中では非常に珍しい容姿をしていたことを覚えている。

 そんな彼が、『規格外チートが消えるかもしれない』という話をする前に――



『知らないかな? 転移者の力って、望めば一時的にカット出来るんだよ。だからオレは普段はカットしたままなんだ。どうしても必要な時は遠慮なく使うけどね』



 ――そんなことを、言っていた、ような。

 聞いた当初は、なんでそんなことをするのか理解出来なくて、そしてその後の話の方がインパクトが大きくて印象が薄かった。

 けれど、彼は確かにそう言っていたのだ。

 あの人が現在も規格外チートを有しているか否かは分からない。だが、少なくとも力が存在する間に封印していたのは確かだろう。

 

『ずっと頼りきってたら、無くなった時に困るだろ?』

『当然与えられた力なんだ。なら、同じように突然無くなる可能性だってあるだろう。むしろ、なんでずっと有るなんて思っているんだ?』


 連鎖するように思い浮かぶ言葉に連翹は顔を顰めた。

 ああ――本当に、耳が痛い。

 彼は規格外チートの期限が三年だとは知らなかっただろうに、この力の本質を見抜いていた。

 そう考えると、片桐連翹という女の間抜けさに辟易する。

 

(だけど――)


 己の間抜けさを理解した――身の程を知った、ならば後は前に進むだけだ。

 ニールの師匠が言っていたように、身の程を知ったのなら、後は乗り越えるだけだ――!

 

(スキルは必要ない)


 スキルの発動にどれだけの力が必要なのかは分からない。

 だが、己の体を人形のように動かし、熟練の技を放つような力の消費が少ないとは思えなかった。ゆえに、この力は要らない。


(守りも、今はいらない)


 状態異常無効化も、刃を弾く頑強さも、今は不要だ。

 防御が無意味とは思わないが、しかし現状そこに回せるリソースはないだろう。ゆえに、この力も要らない。


(力は――力だけは、貰ってく……!)


 身体能力だけはそのまま、体に残す!

 そう強く強く、祈るように念じると自身の体に変化が現れた。

 体の震えが止まり、けれど腹部に突き立った短剣によって穿たれた傷が、激しく自己主張を開始する。規格外チートの防御が失われたため、連翹を痛みから守るモノが失われたのだ。


「……ッ、ぅ」


 ぎりっ、と歯を食いしばって耐えながら、ちらりと雑音ノイズに視線を向けた。


「ははははっ――無様無様無様、お前らはそうやって惨めに這いつくばってぼくの踏み台になればいいのさ――!」


 こちらの変化に気付いた様子はない。

 攻撃するならば今だ、そう思う――だが、分かる、分かってしまう。これでは足りない、と。

 全身に伝わるじんわりとした暖かさ、規格外チートが行き渡る感覚。それが体の末端まで届いていない――つま先や指先だけが冷たい、冷え性めいた感覚に歯噛みする。

 恐らくだが、この状態で攻撃したとしても、たぶん規格外チートが途中で尽きてしまう。これだけ消費を削っても、まだ不足しているのだ。


「……ノーラ」

 

 だから、小さく友の名を呼び、右手を伸ばした。じっ、と彼女の篭手を――理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアを見つめながら。

 雑音ノイズは気づかない。

 いいや、もしかしたら気づいているのかもしれないが、しかしなんのリアクションも起こさない。

 当然だ。現状において連翹もノーラもそう警戒すべき相手ではないのだから。

 だから、彼は全くこちらに注意を向けていない。仮に二人が一か八かの特攻をしたとしても、万全な規格外チートを振るえる雑音ノイズなら容易く蹂躙出来るのだから、


「……お願い」


 だが、ノーラは気付いてくれた。

 連翹が何をしようとしているのかを理解はしていないが、けれど自分が何を求められているのかは理解してくれた。

 理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアから蔦が射出される。

 飛来する先端を掴み取り、連翹は一度ノーラに微笑みかけた後、静かに瞑目した。


 ――――雑音ノイズは嘲笑しながら言っていた、転移者の力とは電池のようなモノであると。

 

 だからこそ、必要以上に電池から電力を吸い取ってしまった連翹は期限前に規格外チートを失いかけている。

 だが、こうも思う。

 転移者の力を吸い出す手段があるのなら、逆に吸い込む手段もあるのではないだろうか、と。

 それはノーラが使う女神の御手(コード・グロリアス)と同じように。創造神の力を有するノーラから、創造神の力が枯渇しかけている連翹へと力を流すのだ。

 突飛な発想ではない、と思う。女神の御手(コード・グロリアス)は素肌と素肌を接触させた状態で――通り道を作った状態で奇跡を用いて力を吸い上げる能力だ。ならば、逆だってきっと出来るはず。

 

(でも……ノーラは吸い取る時に創造神に祈りを捧げてる――もしかしたら、これは神官にしか出来ないことなのかもしれないけれど)


 もしかしたら、これは見当違いな空想なのかもしれない。

 自分たちはとっくの昔に積んでいて、だけどそれを認めたくなくて無駄な足掻きをしているだけなのかもしれない。

 けれど――それでも諦めたくはない、と強く強く祈りを捧げる。


「ええっと、希う――ああえっと、創造神に」


 祈りの言葉なんてうろ覚えだが、それでも間違っていることだけは分かる祈りの言葉を紡ぐ。

 それでも、心だけは真摯なつもりだ。

 だって――こんなところで死なせたくない。

 ノーラも、崩落テラーも、こんな場所で無為に嬲り殺されて良いはずはないだろう。

 

(だから――どうか、どうか、お願い)


 自分のことなんてどうでも良い――とまでは達観できないけれど、それでも二人を、友を守るための力が必要だから。


『――転移者の力は、個人で完結したモノ』


 ふと、どこからともなく声が聞こえてきた。

 奇妙な声だ。人の声のようにも聞こえるし、獣の遠吠えにも聞こえ、虫の羽音にも聞こえる。様々な言語が闇鍋のように混ぜられたかのような滅茶苦茶な音だというのに、なぜだか言葉として聞き取れてしまう。


『だが、生き物を殺すために作り出された剣で誰かを守れるように、全てを焼き尽くす灼熱の炎が暖炉で微睡む子供を温める優しい火と本質は変わらないように』


 逆に調理道具や大工道具で人を殺めることが出来るように、病を治療する薬も使い方次第で毒になってしまうように、と。


『それと同様に――孤独で独善的な力も、誰かと寄り添うことによって別の側面を見せる』


 ふわり、と。

 体が軽くなった。

 右手から流れ込んでくる暖かなモノが体に満ちていく。


「……ッ」


 ノーラの顔色が悪い。己の中に存在する力を急速に吸い出され、白い肌を青白くさせていく。

 だが――彼女は連翹に向けて微笑みかけた。

 あなたのやりたいことが分かった、と。

 さあ、遠慮なく持っていって欲しい、と。


『さあ、友と寄り添い立ち向かいと真に想うのであれば、目の前の男を許せぬと正しく怒るのであれば――剣を取るが良い』

 

 酷く偉そうな奴だと思った。

 だが、それとと同じくらいの慈しみの感情が伝わってくる。

 傲慢で、厳しく、けれど深い愛情を抱いた――まるで父親か何かのようで――

  

「言われなくても、やるに決まってるでしょうが――!」


 ――ありがたいと思う反面、非常に反抗したくなる――!

 

「ははは、は――? おやおや、体の震えは止まったのかい? ……ああ、神官に力を完全に吸い取らせて動けるようにしたわけだ。だとしたら、悪手も悪手だね。現地人にも劣るインドア無能人間が、このぼくを倒すことも出来なければ、一人で逃げることだって出来やしない」


 雑音を聞き流しながら剣を構える。

 呼吸を整え、姿勢を整え、四肢の筋肉に過剰な力を入れないように。


 無理なことではない、何度もやったことだ。

 不可能なことではない、何度も繰り返したことだ。


 無論、完璧には程遠いけれど――それでも、剣を振るうことは出来る。

 自然と腹部の痛みは感じなくなっていた。それは体の中で分泌される脳内麻薬やアドレナリンの効果か、それとも先程聞こえた声がほんの少し手を貸してくれたのか。

 連翹には判断できない。保健体育レベルの授業も真面目に受けてはいなかったし、こちらの神がどのようなことをしてくれるのかなんて真剣に考えたことがなかったから。

 だが、それでも。

 それでも――動けることは、今できる全力を出せることだけは確かだ。


「行っ、くわよ――!」


 地を蹴り、駆け抜ける。

 風を切り裂くように、加速、加速、加速!

『ファスト・エッジ』の動作を真似て雑音ノイズへと肉薄していく。


「――な」


 その時に初めて、雑音ノイズの表情に驚愕が浮かんだ。

 なぜなら、この速度は、その身体能力は転移者のモノだから。とうの昔にぬけがらになったと思った相手が、それを成したから。

 

「ち、ぃいい!」


 だが、雑音ノイズは外套の中から短剣を取り出し、こちらに向けて投擲した。

 苦し紛れの行動だ。この程度では転移者の防御は抜けない――本来、なら。

 だが、今の連翹に転移者の防御は無い。力強く踏み込むと脚が反動で痛むくらいだ。

 ゆえに、短剣が直撃すれば連翹の肉を抉ってしまう。


「けど――!」


 疾走しながらも剣を振るい、迫る短剣を撃ち落とす。

 これがもっと高速だったり、フェイントを織り交ぜた後の投擲であれば連翹程度では対処出来なかったが――自分に向けて真っ直ぐ飛んでくるだけの、さして速くもない短剣など、撃ち落とすことは難しくない。

 なぜなら、もっと難しいモノを体験しているから。

 鍛錬の時、ニールが木の枝を持って殴りかかってきた来ることがあるが――あちらの方がずっと速いし、避けにくい。


「ちい……!?」

「逃さないわよ!」


 己の剣が撃ち落とされたことに舌打ちをしながら後退する雑音ノイズを、連翹は追い詰める。

 地を蹴り、加速。間合いを詰めながら『クリムゾン・エッジ』の要領で剣を薙ぎ払う。

 鳴り響く金属音。雑音ノイズは外套から取り出した短剣を両手に構え、連翹の剣を強引に受け止めた。

 砕け散りながらも使い手を守ってそれを放り捨てながら彼は表情に焦りと苛立ちを強く強く滲ませる。


「糞、糞――まさかお前――いいや、今は……『ファイアー・ボール』!」

「まず――!?」


 この至近距離で魔法スキルを使うなんて――そう思いながら連翹は足元の崩落テラーの袖を掴み、引き寄せながら全力で距離を取った。

 僅かに間を置いて、轟! と爆ぜ散る灼熱。その影響下から必死に脱しようとするものの、初動が遅すぎた、間に合わない――!

 転移者ならば直撃でさえなければ耐えられるだろう。だが、今の連翹の防御は現地人と同程度だ。あんな熱を浴びたら大火傷を通り越して焼け死ぬ。


「大丈夫よ、連翹お姉さん」


 腕の中の崩落テラーが小さく、そして震えた声で呟き――連翹を正面から抱きしめた。

 瞬間、炎が連翹たちに追いついた。崩落テラーの背中を舐めるように流れる灼熱と熱せられた大気に、大部分を彼女が受け止めてくれているというのに苦悶の声が漏れてしまう。


「……ッ、崩落テラー、貴方――!」 

「何をやったのかは分からないけど、自分のために、わたしのために頑張ってくれてるのは分かるから。なら、わたしだって少しくらい頑張らないと」


 そう言って微笑む彼女を労るように抱き寄せながら、視線を前に向ける。

 そこに居るのは雑音ノイズだ。黒い外套で爆風を受け止め、飛翔しながら距離を取る男の姿だ。

 

「ノーラ! 崩落テラーをお願い!」

 

 炎が消え失せたのを確認し、崩落テラーをそっと地面に横たえながら疾走する。

 ――逃してはならない、絶対に逃がさない。

 その想いは感情的なモノでもあるが、ここで逃したら連翹に勝機はないと確信しているからだ。

 あちらとて時間を置けば連翹の様子のおかしさに気づく。苦し紛れの投擲をわざわざ撃ち落としたことや、炎から必死に逃げて崩落テラーに庇って貰ったこと、判断材料はいくらでもある。

 雑音ノイズに悟られたら連翹の敗北だ。今の連翹は転移者なら牽制にもならない攻撃で大ダメージを受け、最悪の場合死ぬのだから。

 

(だから――速攻で一撃を与えないと、まずい!)


 今、雑音ノイズは驚き、焦っている。

 なぜ連翹がこれほどまでに動けるのか? 規格外チートはもうまともに使えないのではないのか?

 それらの疑問が渦巻いて答えにたどり着けていない。ゆえに、現状の連翹に対して最適解を打てていないのだ。

 ゆえに、早く、速く、疾く。

 雑音ノイズが冷静になり答えに辿り着くまでに己の剣で食い破る!  

 幸い、彼の飛翔は王冠クラウンのように自由自在、というワケではないらしい。爆風を利用し相手から距離を取る、その程度の動きしか出来ていないのだ。

 もし、自由に動けるのならとっくの昔に高所の有利を取られ、延々と魔法スキルで狙い打たれていたことだろう。

 

(飛ぶのが王冠クラウンより下手糞なのよ、あいつ。インフィニットの時も距離を取るための手段にしか使ってなかったワケだし)


 実際、今も距離を取りながら姿勢制御をするので手一杯なのか、空に居るというのにこちらを魔法スキルで狙い撃つような真似をしてこない。

 ゆえに、着地する前に剣で切り裂くしかない。

 地面に降りれば雑音ノイズは全力で連翹を排除しようとするだろう。そうなれば、不完全な規格外チートしか使えない連翹に勝ち目はない。

 ゆえに、疾走する。追いついてみせる、喰らいついてみせる。

 燃えたぎる決意と共に、連翹は加速する。


(ッ……だめ、間に合わない……!)


 だが、理解出来てしまう。自分の脚では、連翹が走る速度では間に合わないと。

 地面を踏みしめる力が、全体的な足さばきがまるでなっていないのだ。ぐらり、と上体のバランスが崩れているし、無駄が多すぎる。

 想像よりも遥かに劣悪な動きに、歯を噛み砕きかねないほど強く噛みしめた。


(ここで決めないとまずいのに……!)


 もっと速度が必要だ、もっと疾く走らなければダメだ。

 けれど、今この瞬間、突然体の動きが改善されるワケがない。それを成すには、片桐連翹という人間は積み重ねが足りていないのだ。

 だが、ここで諦めるワケにはいかない。必死に駆け抜けながら、想像する、速く走るための手段を、現状を覆す何かを。

 地球時代の保健体育の教科書になにかあったか? 体育の授業でなにか教わったか? 鍛錬の時、もっとこうすれば良いというアドバイスを聞いていないか?

 必死に頭を回転させるが、しかし地球時代の知識などとっくの昔に忘れかけていて、鍛錬のアドバイスなど簡単に出来るならとっくの昔にやっている。

 不可能。不可能。不可能。脳内に埋め尽くされる単語の羅列。

 それでも脚を止めない理由は、諦めたくなかったから、諦めない人たちの背中を見てきたから。

 それは連合軍の皆であり、ノーラであり、カルナであり――


「ニール――ああ、そうね」

 

 ――ニール・グラジオラスという男の背中を幻視する。

 肉食獣のように低い姿勢で疾走するその姿。前に、前に、前に、ただそれだけを考えて疾走し、全身全霊の刃を叩きつける鉄砲玉めいた戦いぶりを。

 その苛烈な姿が、鮮烈な戦いぶりが、連翹に対して叫ぶのだ。


 ――何やってんだ馬鹿女。見本ならここに居るだろうが。


 その幻聴に従って連翹は疾走しながら体を前に倒す。

 転んでしまう程、前に、前に、全身で敵の間合いに切り込むような動きで。

 自身の疾走の勢いを、全体重を、斬撃の鋭さを、全て全てこの一太刀に注ぎ込むように。

 やったことはない、けれど何度も見たことのある動きだ。何度も見た技だ。

 これを完璧にコピーするなど不可能だけれど、しかし――大幅に劣化しようとも、この状況を切り抜けることが出来るのなら、きっとそれで良いはずだ。


(悪いわね、ニール。貴方の十八番おはこ、ちょびっと借りるわ!)


 疾走し、前屈し――加速、加速、加速!

 転びそうになるのを必死に堪えながら、距離を詰めて行く。

 大丈夫、剣の鍛錬で下半身の動きは念入りにやった。そう簡単に転ばない、走れる、進める!


「な――そうか、お前……!?」


 驚愕の声を聞き流しながら、外套を畳み着地しようとする雑音ノイズに接近する。

 浮力を無くした外套から短剣を取り出そうとするのが見えるが――遅い。 

 ダンッ、と力強く地面を蹴り飛ばし、前のめりで剣の間合いに到達し――――



「ひ……や、やめ――――」

 

 連翹を遠ざけるように掌をこちらに向ける雑音ノイズだが、それで止まってやれるはずもない。

 


 ――――刃を振り抜いた。

 雑音ノイズの脇をすり抜けるように走る抜け、外壁上をすべりながら速度を落とし、停止する。

 荒い息を吐きながら残心を取る。

 誇れる完成度ではない。連翹自身の自己採点では、せいぜい餓狼喰らいと『ファスト・エッジ』を足して六で割ったくらいの出来栄えだ。完成度が低すぎて自分でも情けなくなってくる。

 だが、それでも。

 それでも――結果は出せた。

 

「い、痛――痛いいいいいい! ぼ、ぼくの、ぼくの腕がぁああああ!?」


 突き出された掌から肘の辺りまで、雑音ノイズの右腕はハサミか何かのように広がっていた。

 胴体まで切り裂かなかったのは、手加減をしたワケでも情けをかけたワケでもない。ただただ単純に、これ以上斬り込んだら転倒すると思ったからだ。一刀両断出来るのなら、迷わずそうしていたに決まっている。

 だが、少なくともこれで最低限の目的は達成出来た。

 雑音ノイズは切り裂かれ、だくだくと血を垂れ流す己の腕を見て、切断面から発生する激痛に絶叫している。冷静になど、なれるはずもない。

 

「くそ、くそ、なんで――なんでだ!?」


 血と涙を垂れ流しながら絶叫する雑音ノイズに向けて剣を構える。

 停戦要求も泣き落としも聞いてやるつもりはない。

 止めの一撃を以て、この邪悪を断ち切る――


「なんでお前如きが無二の規格外(ユニーク・チート)を使っているんだよぉ!?」

「――は?」


 ――その、的外れにも程が有る言葉に、思わず動きが止まった。

 慌ててすぐに雑音ノイズの動きに注目するが――特別、何かをしているようには見えない。痛い痛いと叫びながら、なんで、どうしてと叫んでいるだけだ。


「ああ、痛い、痛い――糞、糞、想定外だ、無茶苦茶だ、ふざけるな! なんでぼくじゃなくてこんな劣等女が無限に使える規格外チートに目覚めてるんだよぉ……!? 追い詰められた結果か? 力を失いかけたときに追い詰められたら覚醒するのか? なんだそれはふざけるな! そんな不確定要素の塊に今後の人生をかけられるもんか……!」


 ――この男は、一体なにを言っているのだろう?

 こちらを油断させるための手段かと思ったが、すぐに違うと思い直す。

 連翹を騙すなら、もっと別の手段があるはずだ。こんな、突然素っ頓狂なことを言われても困惑するだけで、話を真面目に聞こうなどとは思えない。

 そもそも、無二の規格外(ユニーク・チート)とは無二の剣王(オンリー・ワン)に宿った、永遠に扱える規格外チートのことだろう。それと今の連翹に、一体どんな関連性があるというのか。

 

(――いや、待って)


 ふと、馬鹿らしい答えが思い浮かんだ。

 

(――まさか、あたしの攻撃を、さっきの拙い斬撃を、『ファスト・エッジ』そのものだって誤解してるの?)


 最初に短剣を打ち払った動きと、最後の餓狼喰がろうぐらいモドキの動き――確かにあの動作は『ファスト・エッジ』の動作に近かった。当然だ、それを参考にして剣術を学んでいたのだから。

 だが、少しでも剣術を学べば理解出来るだろう。あんなの、見習いレベルの斬撃を規格外チートの身体能力でゴリ押しただけだ。ただの素人よりはマシなくらいで、寂れた村の自警団だって連翹程度の動きは出来る人間は沢山居るだろう。

 だというのに、この男はその事実をまるで理解していないというのか。

 だとしたら、愚かしいにも程が――

 

(……いや、でも……あたしだって、剣の鍛錬を始める前だったら、差に気づけたかしら?)


 ニールたちと一緒になって、必要だと思ったから剣を学んだのだ。

 だが、そうで無ければ?

 前々から剣を学んだことのないインドアな人間が、戦闘は全て規格外チートに頼っているような人間が、剣術の差に――規格外チートかどうか本人の技術かどうかを判別出来るだろうか?

 無理だろう、と思う。だってかつての自分は強いか弱いか――即ち、チート級か雑魚か程度の認識しかなかった。細かい動きの差なんて、気にもかけていなかったと思う。初動と最後が大体合っていれば、大体同じ技だろうなどと考えていたかもしれない。

 そして、目の前の男も、連翹が想像したように理解出来ていない。

 王に近しい雑音ノイズですらこの様なのだ。ならば、レゾン・デイトルに住まう多くの転移者も同じなはず。


(だったら――だとしたら、無二の規格外(ユニーク・チート)って、レゾン・デイトルの王って……!?)


 その推測が事実であれば、連合軍の――それどころかレゾン・デイトルの転移者たちの前提が全てひっくり返る。

 だが、理由が分からない。

 だって――この事実がレゾン・デイトル中に広められたら、転移者全てが王の敵になる。外から攻めてくる連合軍と内側のレゾン・デイトルの転移者、二つの陣営から敵視され、殺されかかるのだ。どんな思惑があるのかは分からないが、全てを敵に回すというデメリットは大きすぎる。こんなの、自殺と大差はないではないか。 

 混乱する。無二オンリーが何を考えているのか、全く分からない。

 分からくても――今この瞬間、無二オンリーのことなど思考の外に追いやるべきだった。


「殺してやる、殺してやる、殺してやる! 『ファスト・エッジ』ィ! よくも劣等の女風情が、ぼくを傷つけやがったなぁ――! 」

「しま――!?」


 連翹は戦士ではない。剣の鍛錬をしても、戦いを経験しても、まだ心構えが出来ていない。

 だから失態した――あれだけ泣き叫び、意味不明なことを叫んでいるのだから、もう攻撃してくるはずないだろうとほんの僅かに油断した。

 短剣に左手を、真っ二つに引き裂かれた右腕を強引に引っ付けながら、雑音ノイズはスキルを発動させる。血と涙を垂れ流しながら、痛い痛いと嘆きながら、しかし動きだけは練達の剣士のそれで連翹に斬りかかる。

 

(あたしがあたしの馬鹿で傷つくのはともかく、二人を巻き込むワケにはいかない――!)


 慌てて防御の構えを取るが――間に合わない!

 確かに連翹は転移者の身体能力を得ているが、技量は見習い剣士程度。自分のペースで攻撃するだけならまだしも、咄嗟の回避や防御はまだ不安定だ。

 ゆえに、この一撃は回避も防御も不可能。

 その事実にぞわり、と冬の大気よりなお冷たいモノが背筋を凍えさせるが、それでも必死に体を動かす。

 即死でなければ、場合によっては助かるかもしれない。軽症ならノーラが癒やしてくれるかもしれない。もしかしたら、頑張れば回避出来るかもしれない。

 後半になればなるほど希望的観測になっていくが、絶望だけを、悪いことばかり考えていても体が縮こまるだけだ。

 だから、必死に抗ってみせる。

 だが、初動が大きく遅れた連翹では回避も防御も不可能で、雑音ノイズの刃が迫り――

 

 瞬間、灼熱が視界を遮った。


 連翹を切り裂かんと剣を振り下ろしかけた雑音ノイズの左下から、外壁を砕きながら炎の壁――否、焔で形成された巨人めいた大きさの腕が、雑音ノイズを握りしめたのだ。


「あ、があああああああああ!? あ、熱い、熱い、熱いぃいいいいいいい!?」


 巨大な掌に握りつぶされながら焼かれ、雑音ノイズが絶叫する。人の肉が焼ける、嫌な臭いが辺りに充満する。

 連翹は――その魔法に見覚えがあった。

 それは、友の一人が好んで使う魔法である。

 炎を巨大な双腕に見立て、多数の敵を掴み、焼却する灼熱の魔法。多数の焼死さえ、死体を砂山でも作るかのように一箇所に固め、敵の心をへし折りにかかる冷徹な計算がその御業。

 何度か見たことがある――間違えるはずがない。


「カルナぁ……!」


 外壁下に視線を向け、力の限り友の名前を叫んだ。


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