217/雑音語り/2-1
――今、自分がすべきことは何か?
嗜虐的な笑みを浮かべる雑音語りを前に、右手を強く強く握りしめながらノーラは必死に考えていた。
(雑音に勝つのは不可能――うん、賢人円卓の人たちを倒すのは可能性だけならあったけど、今回は絶対に無理)
ノーラには理不尽を捕食する者が、転移者の規格外を吸収する女神の御手という手段がある。
だから勝ち目がある――などと考えるべきではないだろう。
むしろ逆だ、勝ち目などあるはずもない。
ノーラが雑音に勝利する手段は女神の御手しか存在しない以上、相手はそれにさえ警戒していれば敗北はないのだから。
それでもノーラの右腕をへし折ったり、理不尽を捕食する者を破壊したりしていないのは、対処が難しくないからだろう。ノーラは戦いの素人であり、理不尽を捕食する者の蔦とて超高速で動くようなモノではない。適当に対処され、見通しが甘いと嗤われるのがオチだ。
であるなら、どうすべきか。
勝利が不可能である以上、今この瞬間ノーラ・ホワイトスターが成すべきことは何か?
「こっ――こんなことをして、ただで済むと思っているんですか……!?」
声を震わせながら、しかしそれでもと言うように大きく叫ぶ。
それは怯えた少女がそれでも気丈に振る舞うように、希望はまだあるのだと言うように。
「崩落ちゃんが倒れたのなら、騎士の皆さんがすぐにここまで来ます。こんな場所に居たら危険なんじゃありませんか!?」
だから退け、と。
ここで痛み分けにしよう、と。
その言葉に対し、雑音が返したのは嘲弄の笑みであった。
(――ああ、やっぱり)
この男ならそのような対応をしてくるだろう、とは思っていたのだ。
行軍中に出会い、レゾン・デイトルで会話した経験。それによっておおよその返答を予測することが出来た。
「頭の足りてない女だなぁ――いいや、それとも耳が不自由なのか? 聞くがいいさ、精霊の楽団による演奏を! 崩落によって招かれ楽器の真似事をしている連中は、未だにこの外壁上に集中している! 魔法が使えるようになるのはもっと先である以上、三人をなぶり殺す時間は十分さ!」
それに、と。
小馬鹿にするような笑みと声音でノーラを見下し、雑音は嗤う。
「危なくなったらレゾン・デイトル側に行けば良い。連中がどれだけ頑張って外壁を破ろうと、ぼくは街中を悠々と歩いて脱出させてもらうさ。ほうら、頑張れ頑張れ騎士どもよ、無駄な努力をいつまでもするといいさ!」
「そん、な――そんな、こと」
そう言って勝ち誇ったように笑う雑音を前に、ノーラは愕然とした面持ちを浮かべ一歩、二歩と後に下がる。そのように、見せかける。
元々、言葉だけでどうにか出来る相手だとは思っていない。
そもそもこの男は自分が負けるなどとは欠片も思っていないのだ。ゆえにどうあっても交渉など無意味。自身が勝者でノーラたちが敗者であると確信している以上、対等な交渉など出来るはずもない。
けれど、だからこそ――勝ち目のない女が、必死に抗う姿を見せたのならば。
勝ち目などないはずなのに必死に抗っているノーラを、彼は無視出来ない。
そして何より、雑音から見て一番腹立たしいのはノーラのはずだ。
なぜなら、ノーラは崩落や連翹とは違い現地人であるから。弱くて、脆い、雑音がたやすく殺せる雑魚だからだ。
そんな女が雑音を騙し、裏切った。見下すべき雑魚が、己を利用したのだ。
さぞ怒り狂ったろう、荒れ狂ったろう。
けれど、恐らく彼は反省などしていない。
自分の見通しの甘さを悔やむことなく、ただただ己の顔に泥を塗った女に対する憎悪を滾らせたはずだ。
(だって――この人、海から侵入して来てることに気づいていない!)
連翹もまたレゾン・デイトルに隠れていたとでも思っているのだろう、雑音はレゾン・デイトル側に全く警戒心を抱いていない。
もし自分の見通しの甘さを認め、悔み、次は繰り返さぬようにと考えていたらこのようなことにはなっていないだろう。
どこまでも自分が考えた策略しか頭にない。自分を高く見積もり、相手を見下しているからこそ、相手が自分を上回ることをまるで考えていないのだ。
ゆえに――ノーラがやるべきことは一つ。
(最大限、時間を稼ぐ! アレックスさんたちが合流するまで! 魔法が使えるようになって囮側の誰かが助けてくれるまで! レンちゃんが立ち上がるまで!)
ノーラ一人では雑音を倒すことも、崩落と連翹を抱えて逃げることも出来ない。恐らく一人で逃げることも不可能だろう。
ゆえに己が矢面に立ち、痛めつけられる。
雑音はなぶると言った。彼の言葉を信用など出来ないが、性格から次の行動を予測することは出来る。
なぶるという言葉は十中八九真実だ。殺そうと思えば一瞬で殺せるはずのノーラに対し、痛みを与え、苦しめ、苦痛を与えに与えてから殺すつもりだろう。ノーラに対し怒りを抱いているからこそ、入念に、丹念に。
「う、ぁ……」
そう思うと、自然と脚が震えた。
ああ、だって――必要なことだとしても、自分がやらなくちゃいけないんだと理解していても、誰かに痛めつけられるのは怖いのだから。
そんな、演技ではない本心からの恐怖を見て、雑音はにたりと笑みを浮かべる。
「……ははっ、どうした、脚が震えているぞ女」
「そんな、こと――わたしは、まだ……!」
必死に気丈に振る舞う演技を――いいや、心から必死に気丈に振る舞いながら雑音に向き合う。
賢人円卓の貴族たちに立ち向かった時と同じだ。痛いのは嫌だし、痛いのは怖い。
けれど、だからこそ雑音の嗜虐心をくすぐることが出来る。ノーラ・ホワイトスターにはもう何もないと、雑音に立ち向かうことなど不可能だと思わせることが出来るのだ。
「こ、このっ……!」
拳を握りしめ、雑音に向けて駆ける。
無駄な抵抗だとは理解しているが、なんの抵抗をしないワケにはいくまい。
拳を突き出し、理不尽を捕食する者から蔦を射出する。拳は真っ直ぐ雑音へ向かい、蔦は不規則な軌道で首筋へと迫る。
「ざぁんねん、外れ」
轟、と。
地面を力強く蹴り飛ばし、衝撃波と共に跳躍。それだけでノーラの攻撃は躱された。拳は虚しく空を切り、蔦は衝撃波に翻弄され宙に巻き上げられる。
「おっと、もうリタイアかい? もう殺して欲しいかい? 君は援軍が来るのを、誰かが助けてくれるのを待ってるんじゃないのかい? ほら、助けて欲しい人の名前でも叫んでみなよ。何々さーん、助けて、死んでしまいますうー、ってね」
「……ッ!」
悠々と着地した雑音は反撃などせず、ただこちらを見下すように嗤っている。
当然だ、彼に焦って反撃する理由など皆無。ノーラがどれだけ必死になって攻撃したところでダメージは通らないし、女神の御手を当てようとしても見てから回避することは容易い。
分かっていたことだ。
転移者を倒す手段があっても、自分一人では余程の奇跡でも起こらねばその手段を成功させることは難しいと。
じわり、と汗が滲む。
転移者の身体能力は化物だ、ただただ力強く疾い、それだけのことでノーラ程度の現地人では打倒どころか対処すら不可能になるのだ。
理解していたつもりではあったが、実際に一対一で相対して強く強く実感する。
「ま……だっ!」
だが、それでも諦めることはしない。
いたぶりがいのある相手だと思わせるため、全力で無駄な抵抗を行うのだ。
力一杯地を蹴り飛ばし、体全体をぶつけるように雑音へと挑む。
フェイントだとか牽制だとか、そういう技術はノーラには無いし、やっても無駄だ。有効打が女神の御手のみである以上、どれだけ惑わしても結局のところ露出した素肌を触らなければならない。
(だから、雑音は自分の手と頭、そこを触られないように立ち回れば良い。それだけでわたしの攻撃なんて全部無意味になる)
ノーラが近接戦闘に秀でていたら、もっと他にやりようがあっただろう。
だがその場合、雑音はきっとノーラに近づかなかったはずだ。遠距離からなぶるようにこちらを攻撃し、こちらを嘲笑ったことだろう。
どちらにせよ、ノーラに勝利はない。圧倒的に地力が不足している以上、技術や策で戦力差を埋めることが出来ないのだ。
そう考えると、連合軍の皆はどれだけの修練を積んできたのだろうかと思う。
体を鍛え、技術を学び、相手のことを知り、スペック差をひっくり返す。言葉にするのは簡単だが、しかし実行が容易ではないことは目の前の男を見ればよく分かる。
だからこそ、こんな場所で彼らが負けてしまうのは嫌だと思うのだ。
強く強く思いながらノーラは駆け抜け、全体重を載せた体当たりを雑音に叩き込む。
「おっと」
「ッ……!」
どんっ、と雑音の体にノーラの肩が突き刺さる。
だが、それだけだ。勢いで揺らぐどころか痛そうな顔の一つもしない。
逆に、ノーラの肩に激しい痛みが走る。鉄の壁に体を叩きつけたようなモノだ、どれだけ勢い良くその物体を叩きつけようとも、鉄より脆いそれでは傷つけることは叶わない。
「でも……!」
痛みに顔を歪めながら、必死に右手を伸ばす。
理不尽を捕食する者に包まれた掌は、雑音の左手を掴もうとし――
「さすがに見え見えだよ、浅はかにも程がある」
「あ、っくぅ……!」
――だが容易く回避され、腕を捕まれる。ぎりっ、と骨が軋み口元から苦悶の声が漏れた。
だが、それでも、と理不尽を捕食する者の蔦を放つ。靭やかな蔦は腕を伝いながら、ノーラを拘束する手まで伸びて――
「それもだ。それしかまともな手段がないんだ、警戒するのは当然だろう?」
――その半ばで刃が閃いた。
断裂した蔦が足元に落ちるのを確認すると、雑音は小馬鹿にするように、見せつけるように右手の短剣を見せびらかす。
「それでもっ……!」
嘲笑う雑音――その右手に向けて左手を伸ばす。
理不尽を捕食する者が無くとも肌と肌を重ねれば女神の御手は使えるのだ。相手が右手に集中している今なら、この攻撃は通る――そう確信した瞬間、手の甲を短剣の柄頭で殴打された。ごきり、と骨がへし折れる音と共に鮮烈な痛みが脳内でスパークする。
「だから、言っただろう? それしかまともな手段がないんだから、警戒しないワケないってさ」
「痛――あ、ヅ、く、ぅうぅ……!」
「ああ、ごめんごめん、もうちょっとゆっくり痛めつけるつもりだったんだけど、折れちゃった? いやいや、さすが現地人の体は脆いねえ」
弱い脆い、ああなんて――惨めな雑魚だ、と。
苦悶の声を必死に抑え込むノーラの姿を見て、雑音は嗜虐的な笑みを浮かべた。
だが、それでもノーラの右手と左手から注意を逸している様子はない。見下すなら全力で油断してくれたらいいのに、と内心で泣き言を漏らすが、現実には一切反映されてはくれない。
それは当然と言えば当然。先程、雑音自身が言ったように、ノーラが雑音を打倒する手段はこれしか無いのだ。その唯一を見逃して敗北するような間抜けではない、ということだろう。
「だと、しても……ッ!」
ならば、警戒されていない部位で攻撃するのみ。
左手から発せられる骨折の痛みに耐えながら跳躍する。右腕を掴まれた状態では大した距離を跳ねることは出来ないけれど問題ない、目標はすぐ近くなのだから。
(額と、雑音の顔のどこかが触れれば、素肌と素肌が接触すれば……!)
やったことはないが、原理としては発動可能なはずだ。
「くっ……無駄な足掻きを!」
今度ばかりは予想外だったのか、思いっきり顔を逸してノーラの頭突きを強引に回避する。
だが、焦らせることは出来た。雑音の予想を外すことが出来た。
攻めるなら、冷静ではない今だ。
「ならっ、これでっ……」
空を切った頭を引き戻しながら体を撚る。
狙いは右手。短剣を握るその拳に、己の腹部を押し付けるのだ。
ノーラの衣服は今、腹部が切り開かれている。そのために腹が、素肌が露出しているのだ。
ならば――ここでも女神の御手は発動する!
己の腹部が雑音の拳と接触する。素肌と素肌が重なり合い、女神の御手の発動条件は整った。
「創造神ディミルゴに請い願う――!」
祈りの言葉を紡ぐ。
理不尽を捕食する者を介さない女神の御手は暴走気味に治癒の奇跡を辺りに散らしてしまうが――問題ない。それによって連翹の傷を癒やせば、規格外が奪われた雑音などどうとでもなる。
これで――
「――――これで行ける、まさかそう思ったのかい?」
せせら笑う雑音が、ノーラの耳を貫いた。
――ごりっ、と。
ゼロ距離から打ち込まれた拳の衝撃が、腹部を、内臓を貫く。
「ぁ――ぅ、え」
噴き上がってくる。
痛みが、そして胃液が。ごぽり、と血液の混じった吐瀉物が口からこぼれ落ちて行く。
「おっと! 汚い汚い……しかし君はさぁ、なんで転移者が強いのか、現地人のほとんどが対抗出来なかったのかを理解していないんだよ」
大げさな動きで吐瀉物を回避すると、雑音は小馬鹿にするように笑いながらノーラを引き寄せた。
「確かに転移者は強いけどさ、あくまで強いだけなんだ。一撃で国を更地にするような超攻撃力なんて無くて、魔法の集中砲火を喰らって無傷でいられる程の超防御力もない。毒物無効はチートと言えばチートだけど、それだけだ。下で騎士共に狩られてる無能転移者どもを見れば分かるように、物語の主人公めいた超パワーは有していないんだよ。忌々しいことにね」
強いは強いが、強者が対策をしっかりと練れば勝利可能。
だからこそ連合軍はここまで来れたのだ。そうでなければ、転移者に歯向かう現地人などとっくの昔に全滅している。
「では、転移者の強みは何か? それは、身体能力とスキルさ。
この二つによって、現地人にとって最もポピュラーな遠距離攻撃――魔法、その詠唱を完成させるまえに潰せるからだ。
近距離に居たら『ファスト・エッジ』で斬り殺せるし、距離を取っても『ファイアー・ボール』で焼き殺せる。軍勢対軍勢みたいな場合、一人一人の詠唱を潰している暇なんてないけれど、冒険者のパーティー程度の人数なら魔法を封殺出来る。
詠唱って長ったらしいからねえ……おおっと、良く考えてみると神官が奇跡を使うための祈りの言葉だってそこそこ長いぞぉ? 確かに魔法の詠唱よりは短いけど、神官が一人だけなら祈りの言葉を聞いてからでも妨害は間に合いそうな気がするなあ。つまりぃ、つまりこれはー? なんなんだろうなぁ?」
無知な相手に教え諭すように、そして相手の無知を嘲笑うように。
表情に満面の笑みを浮かべながら、雑音はノーラの眼をじいと見つめる。
「そもそもさぁ、素肌に触られた瞬間に敗北が決定するのなら、どれだけ君が雑魚だろうと近寄らせないよ。当然だろう? 言ったじゃないか。リスクを背負うなんて馬鹿馬鹿しいって」
――つまり、それは。
ノーラがどれだけ足掻こうと、隙を突こうと、そもそも――
「おっと、ようやく理解が及んだみたいだねぇ。そうそう、君がぼくを出し抜ける可能性なんて、最初っからなかったのさ。そもそも、最初の拳にしろ蔦にしろ、普通に喰らってから反撃すれば吸収される前に片がつくだろう? そんなことにも気づかずに――無駄な努力お疲れ様! ぶんぶん拳を振って、ぴょんぴょん跳ねて、頑張ればなんとかなるんじゃあないかと必死になって、見ていて滑稽だったよ。道化師の素質があるんじゃあないかな?」
右手を無意識に強く握りしめる。顔が怒りと羞恥で赤く染まるのが鏡を見ずとも雑音の嗜虐的な笑みを見て分かった。
――けれど。
確かに自分は不格好な姿を晒しているけれど。
だからこそ、雑音はこちらに集中している。見ていて楽しいオモチャだから、自分を裏切った現地人が悔しがる姿が間近にあるから。
ゆえに――ほんの一瞬、彼の意識はノーラに集中した。
「――『ファスト・エッジ』!」
そして、その隙を連翹は見逃さなかった。
既に規格外は回復していたのか、勢い良く立ち上がりながらスキルを発生する。
バランスの悪い状態で発動したスキルであったが、しかし連翹のそれは他の転移者たちのモノよりも動き出すのが早かった。
当然だろう。剣の握り、重心の置き方――今だ見習いの域にあるそれらは、しかし全くの素人たちより洗練されている。スキルが修正すべき部分が少ない以上、発声から発動までのタイムラグは減少する。
「なっ……ちぃ!」
雑音がノーラを突き飛ばし短剣を構えだすが、遅い。既に連翹は踏み出し、高速で雑音へと迫っている。
これで倒せずとも、一太刀を与えることは出来る。ノーラは咳き込みながらもそう確信していた。
連翹の速度は最高速に達し、剣を振り上げながら間合いに接近し――
――――瞬間、連翹は転倒した。
「……え?」
ノーラの唇から間の抜けた声が漏れる。
足を取られるモノなど何もない場所で激しく横転した連翹は、受け身も出来ずに地面に打ち据えられ、転がった。
それはスピードの乗った状態の馬車から突然振り落とされたよう。足をついてもその勢いに体がついて行かず、地面に踏ん張りきれずそのまま横転し叩きつけられたように見えた。
連翹がミスをした――ワケでは断じて無い。
だって、先程の動きはスキルによるモノだ。
転移者のスキルは誰が使おうと同じ動きをトレースし技を放つモノ。ゆえに、一度発動してしまえば外的要因が無い限りスキルの動きは最後まで実行されるはず。
ゆえに、何もない場所で転ぶことなど、ありえないはずなのだ。
「いっ……た、なに、……これ」
がくがく、がくがく、と連翹の体が痙攣している。
いいや、違う。それはまるで、目に見えない何かが連翹の背を気まぐれに押さえつけては離れるということを繰り返しているように見えた。
連翹は体を震わせているのではない。必死に立ち上がろうとしているのに、その重みに耐えられていないのだ。
そして、どうやらこれは雑音にとっても予想外の事態らしく、隙を晒す連翹をしばし呆然と見つめ――
「ああ、なるほど、なるほどなるほど――転移者の力っていうのは、要は電池みたいなモノなんだな!」
――にたり、と。
得心がいったとばかりに嫌らしい笑みを浮かべた。
「転移者の力は確かに三年で消滅する! だが、それは普通に使った場合の話というワケだ! 当然だね! 電池を入れれば何十時間点灯出来ますって懐中電灯だって、その電池を別の機械に入れて使えば容量も目減りする! それと同じように――神官の奇跡なんぞに力を流用した結果、制限時間が! 規格外が目減りしているワケだ!」
嬉しそうに、そして愉しげに笑う雑音の言葉を、ノーラは半分も理解出来なかった。こちらの世界に存在しない単語が多すぎて、彼がどのような比喩表現を行っているのか理解出来ないのだ。
だが、それでも。
それでも理解出来たことが一つ。
人間の寿命が仮に八十年だったとしても、全ての人間がその限界にまでたどり着けないことと近い。不健康な生活を続ければ、体に負荷をかけ続ければ、寿命は目減りしていく。
それと、同じ。
本来なら三年前後持つはずだった転移者としての寿命を、ノーラが削ってしまった。
――雑音の言葉を否定しないのは、出来ないのは、思い当たる節があったからだ。
それは、連翹の規格外を利用し、村人を癒やした後のこと。
しばらく時間を置いて連翹の規格外は復活したはずなのに、何もない場所で転倒したのだ。突然、片足が重くなった、そう言って。
――それは、突然力が消え失せたかのよう。
転移者の規格外の使用期限は三年間。そして、連翹はもうこの世界に来てから二年も後半なのだという。
だとすれば、規格外の残量など残り僅かなはずで。
数ヶ月で消えるはずだった規格外――近々使い切るはずの残り少ない力を、ノーラが横合いから更に吸い上げてしまった。
その結果が今の連翹だ。
全身に力を行き渡らせる程の力は既に無いという事実と、体の『まだ数ヶ月転移者として活動出来る』という認識。矛盾するその二つが、連翹の体に致命的なエラーを発生させている。
「そ、そんな、そんな、こと――」
連翹の声が震えている。
それは、自分を支えてきれくれた力の唐突な喪失という恐怖からの震え。
そして、戦うべき相手の前で戦う手段を喪失したという絶望からの震え。
「他人に力を分け与えた結果が、古い電池を突っ込んだ懐中電灯みたいな有様だ! 無様にも程がある――ね!」
ヒュン、と。
軽い音と共に、ノーラの横を短剣が横切る。
乱雑に投げられたそれは、剣を杖に立ち上がろうとする連翹に――その腹部に着弾した。
瞬間、ずぶり、と。
柔らかい肉を抉るように刃が連翹の腹部を抉った。
「痛――ぁぁああ!?」
「ああ、けっこう軽く投げたのに刺さっちゃたね。転移者だったらこのくらい防げるはずなんだけど――どうやら君は転移者じゃ、規格外持ちではなくなってしまったようだ」
剣から手を滑らせ地面に倒れ伏す連翹を見て、雑音は心からの笑みを浮かべていた。
無様な雑魚が、自分を出し抜こうとした愚か者が、こうして苦しんでいる。それに優越感を抱くとでも言うように大笑するのだ。
ノーラには、分からない、分からない、分からない。
戦いが楽しいというのなら、理解出来る。共感はあまり出来ないが、自分が磨いた技術を披露する場であると考えれば理解は出来る。
だが、彼のそれは戦いなどでは断じて無い。ただただ安全圏から弱者を虐げるその姿はただただ醜悪で、共感はおろか理解すら出来はしない。
「ああ、ああ! けど待てよ――もしかしたら、逆もいけるんじゃあないのか!? そうだ、そうだ、規格外が電池だって言うのなら、充電も可能かもしれないな! 試す価値はある! そうすれば無二の規格外の剣術スキルに加えて魔法スキルも使える可能性も出てくるじゃあないか! いいねいいね! 君たちはどうしようもないゴミクズだと思っていたけれど、ゴミクズはゴミクズなりにぼくの役に立ってくれたというワケだ!」
だが、それでも。
目の前の男がそれを心から楽しんでいることだけは、強く強く伝わってくる。
理想も理念も抱かず、ただただ強大な力で誰かを虐げることが、楽しい、楽しい、愉しいのだと。
これならば、まだ王冠の在り方の方が共感できる。彼は邪悪で傲慢で、ノーラ個人として好く要素は絶無ではあったが――それでも、叶えたい理想のために行動していたのだから。
「まあいいさ、ちょっとばかり時間をかけすぎたみたいだからね、ここらで一匹一匹屠殺していくとしようか」
(ッ――!)
まずい、と冷たい汗が噴出した。
だって、この現状は完全に積んでいる。
雑音語りは賢人円卓のようにノーラの体を弄ぼうとする様子もない。
ただ、憎たらしい女二人を殺して溜飲を下げ、そして崩落を殺して無二の剣王から無二の規格外を引き出すための材料にすることしか考えていないのだ。
そして、時間稼ぎも不可能。
崩落が歌っていない以上、連合軍の魔法もいずれ復活する。そうなれば、外壁上に立つ雑音はカルナたち魔法使いに狙われてしまう。
ゆえに、彼はそう長くは時間をかけたくないはずなのだ。
時間を稼ぐには抵抗するしかないが、ノーラも今の連翹も雑音と打ち合うことすら出来ないだろう。
「はは――状況を正確に理解してくれているようでありがたいな」
焦りが顔ににじみ出ていたのか、雑音はこちらに歩み寄りながら勝ち誇ったように笑う。
そうだ、どう足掻いても雑音語りには敵わない。どれだけノーラが力を尽くそうとも、単純なスペックで全て封殺されてしまう。
ゆえに、敗北は必定――そう、思っていた。
「待――って、雑音さん」
雑音の背後から声が響いた。
それは少女の声だ。血溜まりの上に立つ、血塗れの乙女だ。
綺羅びやかな衣服は赤黒く汚れ、胸元の布地が拳大の大きさに破られている。痛みを感じているようには見えないが、血を流し過ぎたのか顔色は死人めいた青白さだ。
だが、それでも元の美貌と決意に満ちた瞳が、彼女は生きているのだとノーラに訴えかけてくる。
「今更、なにをしようって言うんだい? 肉体的にも精神的にも脆くて弱い薬中女風情が」
「分からない、分からない――けど」
ハピメアの鎮痛効果が全身に行き渡っているおかげだろうか、彼女はふらつくことなく雑音を真っ直ぐと見つめる。
そこまで考えて、ノーラは小さく首を横に振った。
薬のおかげだ、などと断じて良いはずがない。事実、彼女は先程までハピメアに溺れ、諦観と共に死を受け入れようとしていたのだから。
ゆえに、これは彼女の想いによるモノ。
「それでも、手を差し伸べてくれた人を、怖いからって見捨てることなんて、出来ないの……!」
恐らく、崩落自身理解しているのだろう。
自分を救うよりも殺した方が、連翹やノーラにとって好都合なのだと。
言葉を交わし、手を差し伸べる――そんなの全て時間の無駄だ。
けれど、連翹は手を差し伸べた。
この行動がマイナスでしかないと理解しながら、斬り殺した方が連合軍にとってプラスになると知りながら、それでも。
それはきっと、感情的で愚かな行動なのだろう。
それはきっと、決して理性的な行為ではないのだろう。
けれど――最善手に見える行為が必ずしも成功に繋がらないように。
感情的で愚かな行為も失敗するとは限らない。
結果論ではあるものの、確かに崩落の心に火を灯したのだ。
「……鬱陶しい薬中女め」
その決意を真っ向から受け止め、雑音は苦々しく吐き捨てる。
「君なんて、叫び声で善人を引き寄せて諸共死ぬのが役目だろう」
ゆえに、お前にその名を付けたのだと。
崩落狂声、テラー・ハウリング。恐怖と狂気の声で善良なる人々に対し、彼女を殺すことを躊躇わせ――崩落ごと滅殺する。
それは、夏の虫が火に誘われて近づき、炎熱で焼け死んでいくように。
「女同士で傷舐めあって、それで何か別のモノに変われたつもりかい? なんて滑稽なことだ! 女は感情の生き物だとは言うけれど、もう少し自分を客観視した方がいいんじゃないかなぁ?」
そう言って。
雑音は短剣を構え――
「どうせ、君もそこの敗北者どもも、ここで終わるんだからさぁ! 『ファスト・エッジ』!」
――スキルの発声と共に踏み込んだ。




