19/愚か者
ニールたちが通された場所、そこは円形の闘技場だった。
かつてニールが連翹と戦ったモノに比べれば規模は小さいが、それでも広く、複数人の戦闘を行ったとしても狭さは感じないだろう。
もっとも、
「なんだ、こりゃ……?」
地面に建造された建造物を取り除けばの話だが。
闘技場の中にはレンガで造られた正方形のオブジェが存在していた。サイズは大きめで、平屋の家屋くらいはあるだろう。
試しに壁面を叩いてみると音は軽く、中が空洞だと分かる。強く叩けば簡単に破壊できるはずだ。
複数の壁を見て、最初は迷路かと思ったが、すぐに違うと考えなおす。
道も広くレンガの壁も一定間隔で建設されており、とてもではないが誰かを迷わせるためのモノとは思えない。
そんななんの意味があるのか分からないオブジェの上部には、三角形の板が張り付いている。
建造物をじっと観察していたカルナが、ふと何かに気づいたように上の部分を注視し始めた。
「……あの斜めの板、足場だよアレ。ほら、靴の形に少しへこんでる」
「足場ぁ? マジかよ、だってのになんであんな三角……っていや、そういうことかよ」
これは街だ。
街を模しているのだ。
レンガのオブジェは家屋であり、その上部の板は屋根なのだろう。
「ここは市街での戦いを想定した訓練場だ」
ニールたちを先導していた騎士は、その仮初めの街の中に足を踏み入れ、こちらに視線を向けた。
「転移者の集団は街を占拠している。だというのに、街中では力を発揮できないという人材を招いても無駄だろう?」
大通り――というべきであろう場所を横切り闘技場の端まで歩くと、彼は己の剣を抜き放った。
剣を両手で握り、剣先を天に向ける構えた騎士は、じいとニールを見つめる。
「なんだ、まずは俺を試したいってか?」
「ああ。パーティーを組んでる者は一人が脱落すると他が辞退する――ということもあるからな。ならば、最初に脱落する可能性が高い者を相手にした方が効率的だろう」
「……言ってくれるじゃねえか」
理屈は分かるが、自分が脱落することを前提とした言葉に苛立つ。
己の剣を抜き放ち、正眼に構える。陽光を照り返し輝く刃を、真っ直ぐに騎士へと突きつける。
その動作を見て、騎士は「ふむ」と小さく頷いた。少なくとも、剣術を知らぬ小僧ではない、ということだけは伝わったらしい。
だが、それだけだ。
危機感を抱いたワケでもなければ強敵を前にたぎっているワケでもない。せいぜい、思ったよりはマシだった、程度の感嘆でしかないだろう。
「合図は無い。君が動いたその時が始まりだ」
(さあて――)
大通りに立ち、迎え撃つ体勢の騎士を睨みつけながらニールは思考する。
持久戦は不利だ。
相手と自分の体力にどれだけ差があるかは知らないが、しかし構えが明確に違う。
どれだけ鍛えていようと、鉄の棒を前に向けて構え続けるのは疲れる。先端に重さが集中するため、剣本来の重さよりも重く感じてしまう。
対する騎士の構えは、腕を引き剣を真っ直ぐに立てたモノだ。
仮に筋力と体力がニールと同程度だったとして、先にバテてしまうのはニールとなってしまう。
ゆえに、
「――うっし、突っ込むか!」
剣を肩で担ぐように持ち替え、地を蹴り疾走する!
時間が相手の味方であるのなら、とっとと突っ込むべきだ。後のことは剣を振りながら考えればいい。それに、これ以上立ち止まりながら思考しても、己の頭ではそれ以上の案は出ないだろう。
ゆえに突貫であり、ゆえに扱うのは餓狼喰らいだ。
上体が地面と水平になるほど前傾させ、転倒するように前に突き進む。
矢の速度で駆け抜けるニールに対し、騎士は動かない。
間合いに入った瞬間に迎え撃つつもりなのだろう。
(望むところだ!)
ならば、相手よりも先に剣を振る――そう思った、矢先のことだ。
剣の間合いに入る直前。騎士が、跳ねた。
「なッ――!」
前動作の少ない動きで跳躍した騎士は、ひらりと壁の上に造られた足場に着地する。
「ち――いぃ!」
背中を見せるのは、不味い!
直前まで騎士が存在していた空間を通過しながら、振り下ろしかけた剣を引き戻し急制動。
地面に靴跡を刻みながら速度を殺し、上体を背後に向ける。瞳に映るのは既に足場から飛び降り、こちらに剣を振り下ろす騎士の姿――!
(ああ、くっそ――見誤った!)
騎士の構えは迎え撃つ戦いに適したモノ。だから、そういう戦い方をしてくるに違いない――そう思い込んでしまった。
「クッソ、がぁああ!」
振り返る動きと共に剣を薙ぎ、騎士の剣に合わせる。だが、落下しながら振り下ろされた剣に対してニールの攻撃は弱すぎた。ガギン、という金属音が鳴り響くと共に衝撃が全身を貫く。踏ん張りきれず体が後ろに弾き飛ばされる。
辛うじて着地するも、すぐさま閃光めいた突きが放たれる。慌てて体を逸らすものの、体のバランスは一気に崩れた。体が斜めに傾き、後頭部が重力に引かれ地面に吸い寄せられる感覚に、ぞわりとする。
(やばい、ここで倒れたら――まずい!)
転倒後、騎士の攻撃を転がりながら避けることは数回ならば可能だろう。だが、それだけだ。立ち上がる暇も与えられず、白銀の剣で己の体はズタズタに引き裂かれる。それで詰みだ。ニール・グラジオラスは一太刀も有効打を与えることもできずに敗北する。
それは、嫌だ。
なら、どうする。
ふんばって姿勢を維持するのは駄目だ。両足に力を込めてバランスを取っている間に、騎士の剣が振り下ろされる。
ちい、と舌打ちをしたニールの視界に壁が映る。
跳躍して上部に造られた足場まで……駄目だ、この体勢でジャンプしても壁に衝突するだけ――いや、違う。
(行けるか――?)
「終わりだ」
出来るかどうか思考する間も無く、騎士の刃が振り下ろされた。
このままでは、どうせ敗北だ。
なら、可能性のある方に全力を出すしかない!
両足に気を纏わせ、地面を蹴り飛ばす。
斜めに射出されるように跳躍したニールだが、しかしやはり上の足場には僅かに届かない。壁にぶつかるだけだ。
だが、それでいい!
そもそも、足場に立つつもりなんてないのだから!
「オオ――ラァ!」
咆哮と共に頭部を壁に叩き込み、ぶち破る。そしてぶち破った勢いのままオブジェの内部に逃げ込む!
だが、無理な体勢から跳躍したため、綺麗な着地など出来るはずもない。背中から勢い良く地面に叩きつけられ、そのまま転がるように転倒する。
しかし追撃はまだ来ない。
相手はニールにトドメを刺すために剣を振り下ろしていた。恐らく、相手を戦闘不能にさせるために行った全力の一撃だ。そして、そういった攻撃は空振ると大きな隙が産まれる。
ニールがぶち抜いた壁を通るにしろ、自分で穴を穿つにしろ、立ち上がって構える時間は稼げる。
「――無茶苦茶なことをするな、君は」
苦笑するような言葉と共に複数の斬撃が壁を走り、人一人が通過できる程度の穴を切り開く。
その穴からこちらを覗く騎士の顔は、呆れているような言葉とは裏腹に楽しそうに口元を緩めていた。
「ハッ! 無茶苦茶、無茶無謀は冒険者の生き様だろうが!」
騎士がゴロツキを追い払った時に見せた剣技で、ニールは彼が強いと確信していた。
しかし、実際戦ってみると予想を遙かに越える実力だ。とてもではないが勝てる自信がない。
けれど、だからこそ楽しいのだ。
そうだ、だからこそ愉しいのだ。
自分がどれだけ剣の可能性を引き出せているのか、相手がどれだけ剣に対して真摯にいるのか。
それを体で、そして心で実感できる戦いは、剣士にとって至福の瞬間だ。
この戦いが試験である、という事実は既に思考の隅に追いやっている。そんなモノは余分だ、そんなモノは瑣末だ。
今はただ、剣と己を研ぎ澄ますだけだ。それ以外に何が必要だというのか。
「だが、無茶だけでは自分には勝てない――これで終わりだ」
「るっせえ! 次はこっちの番だ、覚悟してろよ!」
相手が踏み込みながら剣を振るい、ニールはダン、と地を蹴り真上に跳ぶ。
そして、勢いのまま剣を振るい、天井を切断。人一人が通れる程度の穴を作る。
天井を斬り砕き外に出たニールは、崩れかけた足場を蹴り飛ばして別の足場へと移動する。
相手の行動範囲を狭めるためにオブジェの中で戦うことも考えたが、ニールは走り回りながら戦うのが得意な剣士だ。狭く、壁も脆いあのオブジェの内部では、相手以上に自分の行動を狭めてしまう。
それに何より――
(互いに全力を出し切った方が、楽しいじゃねえか!)
その結果、負けるのは構わない。
全てを出し切って負けるなら本望、とは言わない。
どんな形であれ、全力で打ち込んでいるモノで敗北するのは身を裂かれるように痛く、辛いのだ。出来れば避けたいと思い、傷が浅くなるように適当な辺りで自分を誤魔化したいという欲求が湧き出てくる。
(黙ってろ、弱い俺!)
しかしその甘美ながら腐臭のする欲求を切り捨てる。
敗北の恐怖すら受け入れられない軟弱者に、勝利など掴めるものか――!
「人心獣化流――」
練る、練る、練る。
気を、己の動きを、全てを剣に注ぐようにして練り上げる。獣めいた衝動を理性で制御し、剣を媒体に力を増幅する!
剣を右肩に担ぐように構えながら、足場を蹴り崩す。全力で踏み込んだ周辺にクモの巣状の亀裂を走らせながら、ニールは宙を駆る矢と化した。
狙うは、未だに騎士が内部に存在するオブジェだ。
騎士が未だに外に出てこないのは、恐らく外に出た瞬間の隙を厭ったからだろう。きっと今は、ニールの気配を探りつつ安全な位置から脱出し仕切りなおすつもりのはずだ。
つまりそれは、下手に隙を晒したらつけ込まれる可能性があると騎士が思ったからであり、ニール・グラジオラスという男を僅かとはいえ認めたということの証明だ。
「――破城熊ぁ!」
だから。
それに恥じぬよう、ニールは全力で振り上げた剣の柄尻をオブジェに叩きつけた。
城門に破城槌を叩きつけたような轟音が鳴り響く。
速度を乗せ、気を纏わせた柄による打撃の衝撃は、オブジェ全体を震わせ――砕いた。砕けたレンガが瓦礫と化し未だ中に居る騎士に襲いかかる!
人心獣化流・破城熊。剣の柄尻を破城槌に見立て叩きつけることにより、剣という武器を持ちながら斬撃による切断ではなく打撃による破壊をもたらす技だ。
無論、刀身を用いないために間合いは狭く、人間相手には使い所の難しい技だ。もっとも本来、動きは鈍いが頑丈な無機物のモンスターに対する技であるため、致し方があるまい。
「ッツ――!? 読み違えたか!」
焦りを含んだ声が響くと、瓦礫の中から白銀の剣閃が閃いた。
騎士が瓦礫を切り崩しながら跳び出し、辛うじて着地する。
出会ってからあまり変化の無かった騎士の顔だが、今は二つの感情によって大きく変化していた。
見開かれた瞳からは驚きが、冷汗と憎々しげに歪んだ唇からは焦りが見て取れる。瓦礫に埋まることだけは避けたものの、今の己が隙だらけであることを自覚しているのだ。
騎士は距離を取りつつ、なんとか体勢を立て直そうとするが――
「逃さねぇよ!」
――地面に着地したニールはすぐさま疾走する。
先程の攻撃で、ニールは剣を振り下ろしていない。走りながら微調整すれば、すぐに右肩に担ぎなおせる。
地面に這うような低姿勢で疾走し、騎士に肉薄していく。
相手はこっちの攻撃に対処できず、バランスを崩している。ならば、行うのは小細工無しの一撃。扱う技は、ニールが人心獣化流で最も得意とする突貫攻撃!
「人心獣化流――餓狼喰らい!」
担ぎあげた長剣を、勢いに任せ袈裟懸けに振るった。
疾走は最高速に至り、振るった太刀筋に乱れはない。風切り音と剣から伝わる感触、いずれも会心の手応えをニールに伝えている。そして、相手はまだ剣を構えきれていない。
――決まった。
そう確信しかけ、否と己を律する。
騎士の表情に諦めの色は存在しない。対処できるかできないかは別として、未だ勝負を捨ててはいないのだ。
「まだ、終わらん!」
吠えた騎士が行ったのは、回避でも防御でもなかった。
地を蹴り、ニールに向かって一歩進んだのである。剣先を潜るようにニールに肉薄する騎士の肩に鍔に近い刀身が食い込む。鎧の金属を切り裂き、肉を裂く。
「ぐ――」
騎士はその痛みに微かにうめき声を漏らした。
……だが、それだけだ。相手を行動不能にする威力は出ていない。
(――こいつ!)
威力を殺しやがったな、とニールは騎士を睨みつけた。
ニールが行った攻撃は、剣の威力を引き出すことに特化した攻撃だ。
もっとも、剣の威力を引き出す――といえば何やら崇高なモノに聞こえるが、要は『如何にして良く切れる部分を相手に勢い良く叩きつけるか』ということに他ならない。
そして、斬撃とは斬り下ろすにしろ、斬り上げるにしろ、薙ぐにしろ、円を描くような動きで行われる。その動きの中でもっとも威力が期待できるのは刀身の先端から半ばくらいまで。
鍔の周辺など、内側も内側。本来発揮できる威力の半分すら期待できない。
「これで――」
タン、と。騎士がバックステップを行った。
僅かに取られた距離、それは剣の間合いに他ならない。
既に相手は構えている。攻撃の準備は既は既に終え、必殺の一撃を放とうとしていた。
にい、と。
騎士が笑う。
勝利を確信した笑みを。
「――終わりだ」
轟! と風を突き破るような荒々しい踏み込みと共に剣を振り降ろされた。
速い、だが対処しきれない程ではない。
背後に跳ね、斬撃を回避。すぐさま反撃を――
(いや――まずい!)
相手の斬撃が、刀身が地面と水平になった瞬間に停止していた。それを見て、己の心が鳴らした警鐘が正しかったと自覚する。
あの斬撃はあえて避けさせるためのモノだ。
本命は――今!
柄から左手を離した騎士は、上体を逸らすように右腕を突き出し、もう一度踏み込んだ。
剣先が閃光と化し、ニールへと肉薄する。狙いは胸だと理解できる。しかし、駄目だ、避けられない――!
剣先が金属で補強した皮鎧を叩く衝撃が胸に伝わりきるよりも早く、鎧を貫通した剣先がニールの胸を穿った。
最初に感じたのは金属特有の冷たさ。しかしすぐそれも失せ、灼熱にも似た痛みがニールを焼いた。
「あっぐ――ああああ!」
「ニール……ッ!」
「に、ニールさん!」
「一撃目を回避させ、回避直後の隙を狙い打つ。これがリディアの剣技の一つ、風花だ――……しまった、やり過ぎた! 早く神官を呼ばなければ……」
聞こえない。
友の声も、最近知り合った神官の女の声も、溢れ出る血液を見て酷く狼狽している女の鼓動も、目の前の敵の声も。
熱い、熱い、熱い。傷口が熱い。だというのに妙に肌寒いのは、血液が抜けているせいなのだろうか。
(なら――問題、ない。寒いところで熱いんだ。むしろ温まって丁度いい)
歯を食いしばりながら騎士を見据える。
ああ、あいつは勝ったと思っている。勝利を確信している。だから他人に治癒が云々だとか叫んでいるのだろう。
当たり前だ。心臓を貫かれたのだ。治癒の奇跡を扱えば復元できるが、少し放っておけば死ぬ程度には致命傷だ。試験だっていうのによくここまでやらかしやがったな騎士、と言ってやりたくなる。
だが、
(つまり――治癒さえすれば治る、その程度の傷だろうが)
だっていうのに、
そのくらいだというのに、
「て、ごほっ――んめぇ、何勝ち誇ってやがるまだ勝負はついちゃねぇぞォ!」
「――な」
血混じりの咳を漏らしながら剣を振り上げる。
ぐち、ぐち、めき、めき、と傷口が広がり血が吹き出す。あまりの激痛に思考が飛びかけるが、歯を食いしばり強引に踏みとどまる。
痛い、痛い、痛い。血が、命が、ごぽごぽと垂れ流されていく。
だが、それがどうした。
(血なんぞ、後で肉でも食えばまた増えるだろうが!)
ならば、問題ない。
相手は油断している、自分は剣を振れる力が残っている。
ならば、勝ちを取りに行かない理由など欠片もない。
ならば、この両手で剣を振るわない理由などない。
「あ、阿呆か君は! そこまで傷を広げたら、神官を呼ぶまで間に合わないだろうが――ッ!」
聞こえない、聞こえない、ニールには聞こえない。
今考えているのはただひとつ。どうすれば相手に有効打を叩き込めるか、それだけだ。
(くそ……腕から力が抜けてやがる、無傷の鎧にダメージを通すのは不可能だ)
視線はただただ騎士の左肩。先程剣を叩きつけ、鎧を裂いた部分に向けられている。
そこなら、刃は通る。
そこなら、鎧を切り開けるかもしれない。
そこに向けて振り下ろせば、勝てる可能性がある。
ならば、やらない理由がどこにある?
どこにもないだろう!
「オラァァアア!」
踏み込みながら剣を振るう。傷口がめきめきと音を立てながら広がり、血液が致命的な量を吐き出すが――知ったことかと腕に力を込める。
袈裟懸けに振り下ろした刃は、ズレも無く裂かれた鎧の隙間に叩きこまれ、騎士の肩を裂き、骨を削り、内部へと埋没して行く。
(よし、相手も重症、こっちも重症。これでイーブン。勝負はまだまだ――)
これからだ。
そう考えた瞬間、思考が一気に白く染まり出した。
どういうことだろう、そう思い下に視線を向ければおびただしい血が溜まっているのが見えた。
(……やっべ)
さすがにこの量を流すのはマズイような気がするぞ、と。
そこまで考えた辺りで、ニールの思考はぷつりと途絶えた。




