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216/崩落狂声/4


「今更、そんなこと、言われても」

 

 悲しげな声音で、微かに頬を赤らめながら視線を逸らす。

 その姿は眩しい何かから視線を外したようであり、胸から溢れ出る羞恥に耐えられなくなったようにも見えた。


「だって、こんなにも汚れちゃったんだもの」


 俯きながら、そっと下腹部を撫でた。

 何か大きなモノが突き刺さって、抉って、未だにそこに残留しているとでも言うように。

 幸い、種が芽吹くことはなかったけれど、それでも突き入れられた感触と恐怖は残留しているのだと。


「体はとっくの昔に汚れきって、怖くて怖くて、薬に頼らなくちゃ笑うことだって出来ない――一体、どんな顔して普通に戻れっていうの?」

 

 少女は言う。

 自分はとっくの昔に壊れたガラクタで、本来ならとっくの昔に廃棄されて然るべき存在だと。

 だが、幸か不幸か救いの手が伸ばされた。神様に出会って、特別な力を貰って、別世界で自由に生きろ、と。

 

「ああ――羨ましいわ、連翹お姉さん。きらきらきらきら煌めいていて、力を失っても、きっと自分の力と友達の力で真っ直ぐ生きていけるんでしょう?」


 そう言って崩落テラーは目を細めながら連翹を見つめる。

 それは眩しい光を直視するように、自分にはない輝きを羨むように。

 そして何より――その輝きに照らされた己の矮小さに恥じ入るように。


「わたしは違う、違うの。わたしは――わたしなんて、結局、神様から貰った力がなければ生きていけないの。これに縋らなくちゃ生きていけないの。わたしには歌って踊ることくらいしか人並みに出来なかったのに、人前でまともに歌うことも出来なくなって……そんなわたしに価値なんてないわ。皆、皆言ってたわ、フォロワーもどんどん減って、掌返して悪口言ってくる人が居て、被害者ぶるなって、女を武器にしてたんだから当然だろうって、色んな人が言うの。わたしは駄目だって、わたしなんて駄目だって、わたしはもう駄目なんだって。嗚呼――だけど、だけど、規格外チートがあれば元に戻れたの。歌えたの、踊れたのよ、楽しかったわ。でも、でも、それが無くなったら、わたしはただの壊れたガラクタでしかない。もう、そんな風に言われるのは嫌、嫌なの……!」


 どろり、と淀んだ眼から瞳を逸らさず、しかし連翹は二の句が告げられなかった。

 気持ちが分かる、なんてとてもではないが言えないし、きっと言ってはいけないのだろうと思う。

 だって、片桐連翹という人間はそれなりに幸せに生きてきたのだから。

 無論、辛いこともあったし嫌なこともあった。だが、あまり他人と関わらず一人でインドア趣味に没頭していたから、耐えきれない程に辛いことや嫌なことというモノを体験して来なかったのだ。

 溢れんばかりの幸福もなかったが、絶望することもない。どこかのマンガの悪役みたいな生き方をして、しかし徐々にぐずぐずと腐り始めていた――それが転移前の連翹の人生だった。勝手に自分と自分の人生に見切りをつけて、頑張っても無駄だとふてくされていたのだ。

 

 ――その生き方は、輝かしい生き方をしたはゆえに激しく地面に叩きつけられた崩落狂声(テラー・ハウリング)とは真逆のモノ。

 

 どちらも元の世界では生きていけないと思ったのは同じだったが、闇の中で心を腐らせていた自分と、天上から勢い良く闇に落とされバラバラに砕かれた彼女とでは性質が違う。

 こんな自分が、この程度の自分が、一体彼女に何を言ってやれるのだ。

 規格外チートを得て調子に乗ったか? 元々自分は何も出来ない愚図だろう――そんな弱気が胸から溢れ出してくる。

 そして、それを押さえ込む手段は連翹にはない。


「うん、そうね、そうよね――縋りたいわよね。それなら、少しだけ分かる。全てを分かってあげることは出来ないけど」


 だから、弱気をそのままに、けれど一歩を踏み出す勇気を抱きながら口を開いた。


「あたしね、元々は陰気なオタク女だったから。男の人は背が高くて威圧感があって怖いって思ってたし、女の子は笑顔の裏で何考えているのか分かんなくって怖がってた。だから、ずっと一人で居たわ。遠くで陰口を言われてりしただろうけど、耳に入らなければ問題ないもの。時々耳に入って、ガッツリへこんで、ゲームやったりマンガやラノベ読んだりして発散してた。綺羅びやかなんてとんでもないわ、暗くて陰気な暗色があたしよ」


 このままじゃいけないんだろうな、と心の奥で思いながらも勇気がなくて、どこかから借りてきたような言葉や理屈で自分を正当化していた。

 

「きっと規格外チートが無かったら今でもびくびくおどおどしてて、キラキラと輝いている人たちを妬んでたと思う」


 なんであの人たちは綺麗なんだろう、と。

 どうして、自分にはない輝きを持っているのだろう、と。

 それらはきっと彼らが積み重ねた結果生まれた輝きなのだろうけど、かつての連翹には自分も輝けるヴィジョンが全く見えなかった。

 積み重ねるための最初の一歩を踏み出すこともなかったろう。

 そうすることが、一番楽だったから。

 自分には才能がないから何も出来ないのだと、特別な力がなにも無いから何も出来ないのだと。

 そう思って、出来ない理由を探して仕方がないと諦めることが、一番心を慰めてくれた。自分は悪くない、そう思い込むことが出来たから。

 

「そんなあたしでも、この力に縋ってようやくこんな場所まで来たのよ。友達だって、出来たわ。ほら、あたしも貴女もさして変わらないじゃない。あたしが綺羅びやかに見えるっていうのなら、貴女にだってその輝きはあるのよ」

 

 陰気で言い訳ばかりの女がニールたちと出会って仲良くなれた、

 心に傷を負った女の子が連翹たちと出会って仲良くなった、


 そこに大きな差異は、きっと存在しない。


 転んで立ち上がることが出来なかったけれど、規格外チートという補助輪で再び走り出したら新たな景色が見えてきた。

 ただ、それだけ。


「ねえ、崩落テラー。あたしが怖い?」


 そして今、補助輪が外れようとしていて、彼女は怖がっている。

 怖い怖い怖い、もう一度転ぶのが怖いのだと。

 その気持ちは、正直よく理解できた。短い人生の中で転んでばかりだったからこそ、転ばぬように守ってくれている規格外チートを失うのは恐ろしい。


「ノーラが怖い? 仲が良かったって言ってた血塗れの死神(グリムゾン・リーパー)は怖かった? 規格外チートが無くちゃ怖くて怖くて、顔も合わせられない?」


 この力が永遠であったのなら、こんなにも悩み苦しむこともなかっただろう。

 けれど、現実はそうではなかった。

 ゆえに向き合わねばならない――かつての痛みと弱さと、未来に自身を苛むであろう全てと。

 

「いいえ、いいえ、一緒にお茶会をすると、とても楽しくて――怖いだなんて、そんなこと、一度も」

「なら、それでいいじゃない。誰かが怖いのは仕方ないし、簡単に払拭できる感情でもないだろうけど、だからって怖いモノのために大切なモノごと自分を捨てるのなんて馬鹿らしいじゃない。少しずつ怖くない人を増やしていきましょ」


 暴論だろうか、極論だろうか、こんな言葉で良いのだろうか?

 心の中で膨れ上がる疑問符。自分の言葉がちゃんと伝わるのか、伝わったとして逆効果になりはしないだろうか、と。

 それが、不安で不安で仕方がない。

 だが、それでも不安な表情は出さず、優しげに、そして自信満々の笑みを浮かべる。

 語りかけている方が不安そうにしていたら、きっとあちらも不安を抱いてしまう。結果、どんどんネガティブな思考に陥って、連翹の言葉は全て無意味になるだろう。

 だから、必死に言葉を紡ぐのだ。堕ちて行こうとする彼女を引き止めるために。


 ――だって、崩落狂声(テラー・ハウリング)は全てを諦めたようなことを言っているが、彼女と会話してそれが嘘だということくらい分かるから。


 そもそも――本当に全てを諦めているのなら規格外チートに縋ることもなかったはずなのだ。

 それでも力に手を伸ばしたのは、異世界に行くと頷いたのは、まだ光を諦めきれていなかったから。陽のあたる場所に行く勇気が、それを支える規格外()が欲しかったからだ。

 ゆえに語りかける。

 片桐連翹という女に輝きがある、などと自分では信じきれないけれど。

 けれど、目の前の少女は輝いていると、綺羅びやかであると言ってくれた。なら、その輝きで彼女の闇をほんの少しだけ照らしてみせよう。


「でも、わたしは――皆に、必要とされてなくて」

「それにね、貴女には言いたいことがあるの」


 体を震わせる崩落テラーに歩み寄る。

 なんというか、カチンと来るのだ。

 その理由がなんであるか、自分が何をしようとしているのかすら理解しないまま崩落テラーの顔を覗き込み―― 

 

「皆って誰よ――少なくともあたしは、貴女が死んだら悲しいわ」


 ――言って、ああ、と自分で納得した。

 結局のところ、連翹はこれを言いたかったのだ。

 彼女の痛みや苦しみを全て理解することなど到底出来ないけれど、それでも死んで欲しくないと思っている人が居るのだと告げたかった。

 だって、心が沈めば沈むほど、暗く暗く、黒く黒く染まって行くほどネガティブな想いしか抱けなくなるから。全てが泥に塗れて見えなくなっていくから。

 闇が支配する心の深海に、光は存在するのだと伝えたかったのだ。

 

「そりゃ全員が全員、崩落テラーを心配してくれるワケじゃないわ。けど、絶対にゼロじゃない。だってここに居るあたしが、それを証明しているんだもの。少なくとも一人、ううん二人は居る。こんな近くに二人も居るなら、探せばもっと沢山居るはずでしょ?」


 自分で言いながら極論というか精神論の類だよなぁ、などと思いながら自信満々ににこりと笑う。


(けどまあ、実体験ではあるから、ね)


 一人で闇の中に沈んでいく誰かを都合よく助けてくれる人が沢山存在するほど世界は甘くはない。

 けれど――助けてと伸ばされた手を無視する人ばかりの辛い世界でもないのだ。


「それは、けど、わたし――連翹お姉さんと、まだ、出会って、そんなに――」

「一緒に過ごした時間は大切だけど、それが全てじゃないでしょ。転移前のクラスメイトとか、一年近く一緒に居たのに顔と名前が一致しなかったからね、あたし」


 クラスメイト云々に関しては連翹自身の問題ではあるのだが――それでも、ただ長く一緒に居るだけの人と、短くても間近で触れ合った人の方に親しみを感じるのは真実だと思う。

 連翹は短い時間でも崩落狂声(テラー・ハウリング)に共感と好感を抱き、だからこそ救いたいと思ったのだ。


「それに、あたしってけっこう強いのよ。貴女を騙して背中から刺す汚い忍者みたいな真似するなら、黄金鉄塊の騎士みたいに真正面から不意騙でバラバラに引き裂けるもの。わざわざ騙す確率なんて最初っからゼロパーセントだって寸法よ!」


 冗談めかしながらも安堵させるように言うと、崩落テラーは不思議そうな顔で首を傾げた。


「連翹お姉さん、真正面なのに不意騙っていうのは変じゃないー?」

「……あっれー、通じない? 確かにだいぶ前の流行だけど、忍者云々で分からない?」

「忍者殺すべし? でも、そんなセリフ、ツイッターにも書籍版にもなかったような……?」

「ああ、そっちのミームに染まってるのね……! 露骨に黄金鉄塊の騎士の居場所を奪う、汚いわ忍者、さすが汚い……!」


 考えてみれば、現在はそっちの方がだいぶメジャーだ。 

 実際黄金鉄塊の騎士語録が量産されていた時代のゲームは、忍者の方が圧倒的に盾役として人気だったという話も聞くし、忍者に敗北するのはある意味原作再現なのではなかろうか……!?


「お姉さん? 連翹お姉さん!? ちょっと尋常ではない落ち込み方なんだけどー!? え、ええっと――わ、わたし黄金の鉄塊? の騎士さんの話とか知らないから、教えて欲しいなー、なんて思うのだけれど」

「う、うん、教えたげる。だから……その次は崩落テラーに教えて欲しいの」


 わたし? と小さな驚きの声を上げる彼女を真っ直ぐ見据え、頷く。


「そう。崩落テラーの良いところ、悪いところ、歌以外で好きなモノ、嫌いなモノ――これから、ゆっくりとね」


 互いに重なる部分も合うだろう、決して重ならない部分もあるのだろう。

 好感を抱き合っていても、先程の忍者イメージの対立のように違う部分は存在するのだ。

 けれど、それでいい。だって、全てが完全に同じだったら、きっとつまらない。重なり合わない部分があるからこそ、世界は広がっていくのだろうと思うから。

 それはパズルのピースのように。触れ合って、繋がって、けれど絶対に繋がれないピースがあるのを理解して、受け入れて大きな絵を完成させていく。

 その結果浮かび上がった絵を、きっと友情や絆などと呼ぶのだろう。


「わた、し――」


 崩落テラーは掠れた声で呟きながら右手を伸ばす。

 腕が震え、ためらうように動きを止めながら、しかしゆっくりと、確実に前へ前へ。

 亀の歩みの如く緩やかな動作。けれど、連翹はそれを急かすことはしない。一歩を踏み出すことの恐ろしさを、崩落テラーの迷いを、全てではなくとも理解しているから。

 静かに待ち続ける連翹の掌に、崩落テラーの掌が――



「――――冷めることしないで欲しいなぁ」



 ――触れる、その直前。

 崩落テラーの胸から腕が生えた。

 血に塗れた右腕だ。学ランの上から黒い外套を羽織った男の腕だ。

 その掌には、脈動する心臓が一つ。どくり、どくり、と未だ体外に摘出されたことを理解していないとばかりに血液を送り出すポンプの役割を果たそうとしている。

 

「あ――ぇ?」


 ごぼっ、と血液が溢れ出す。

 貫いた腕が栓になってはいたが、そんなモノでは留められぬと言うように、どくどくと、多量に。

 

「悲劇ぶったメンヘラ女が更生する茶番なんて求めちゃいないんだよ、忌々しいメスどもが」


 ぐしゃり、と心臓が握りつぶされる。

 その肉片が外壁上に落ちるよりも早く、背後から現れた影は腕を引き抜いた。

 瞬間、噴出する血液。ぐらり、と崩落テラーが地面に倒れ込んだ。べたり、とバケツをひっくり返したかのように血液が撒き散らされる。


「――ノーラお願い……ッ!」


 叫びながら袖を捲って素肌を露出させる。

 ほんの数瞬遅れて、ノーラが理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアから蔦を射出した。腕に巻き付いた。


「創造神ディミルゴに請い願う。失われ行く命を守る力を、癒しの奇跡を!」


 全身から力を抜かれる感覚と共に光が溢れ出す。

 降り注いだ陽光めいた暖かな光は、貫かれた崩落テラーの胸を、肉を、握りつぶされた心臓を、巻き戻すかのように高速で治癒していく。


「う、げほっ、ごほっ……!」


 穿たれた胸から吹き出した血液が気管に入ったのか、血混じりの咳をする崩落テラー。苦しげに見えるし、多量に出血したために顔も青ざめているが、少なくとも命の嬉々は脱したように見える。

 その事実に安堵するよりも早く、連翹は押さえつけられるように地面に崩れ落ちた。

 崩落テラーを襲った男のせい――ではない。

 単純な話。規格外チートを吸われた結果、武装した状態で重力に抗うことが出来ていないのだ。


「うっ……くっ!」


 腰に吊るした剣が、身につけた部分鎧が重い。

 剣はともかく鎧は軽装なはずなのに、耐え難い重さとなって連翹を苛んだ。

 当然だろう、連翹は女であり体を鍛えていたワケでもない。敵の攻撃を受け止める鋼の鎧は、敵を斬り裂く剣は、ただの少女には重すぎる。


「はは――そうするだろうと思ったよ。この女にそれを使ったらハピメアの末期症状で死ぬし、警戒しているぼくに当てるのは難しいし、外せば手遅れになる。なら、自分を燃料にするしかないだろうさ」


 こつん、こつん、と。

 あえて大きく、そしてゆっくりと足音を響かせながらその男はこちらを見下ろした。

 

 ――奇妙な衣服だった。


 漆黒の布地に五つのボタンを直線に並べた詰襟つめえりの上着。手首付近にもボタンがついているのは、装飾目的なのだろうか。その上に羽織るように、ボロのような黒いローブを纏っている。

 ズボンも上着やローブと同じく漆黒だ。そして、僅かに覗く肌は不健康なまでに白い。

 そして――特徴の薄い純朴そうな顔立ちをしているというのに、浮かべているのは醜悪な笑み。にたり、とこちらを嘲笑している。 


雑音語り(ノイズ・メイカー)……!」


 連翹の声に雑音ノイズはなんの言葉も返さない。

 ただ、かつん、こつん、とわざとらしく足音を響かせながらこちらに近づき――

 

「――――呼び捨てにしてるんじゃあないよ、腐れ女風情が」


 ――腹部につま先を叩き込んだ。


「――――」


 悲鳴も、苦悶の声も、一切出せなかった。

 ただ、一撃で視界が真っ白に染まり意識が途絶えてしまう。

 しかし激しい痛みと共にすぐに意識が引き戻されるが、まともな思考なんて出来るはずもない。ただただ、痛いという単語が脳裏を埋め尽くし、口から鉄臭くて酸っぱいモノが溢れ出してくる。


「レンちゃん……!?」


 その叫び声を聞いて、痛みに歪んだ視界の中でようやく現状を理解する。

 振り向いて連翹の姿を見つめるノーラの姿、血溜まりの中に沈む崩落テラーに、何かボールでも蹴ったようなポーズで笑みを浮かべている雑音ノイズの姿があった。

 どうやら、思いっきり蹴り飛ばされて吹き飛ばされたらしい。先程まで崩落テラーの側に居たというのに、今は酷く遠い。

 ああ、確かに腕や脚も顔も痛い。露出していた素肌には、勢いよく硬い地面に擦り付けたような傷がいくつも存在していた。それでも外壁から落ちていなかったのは幸運なのだろう。


「三流役者どもめ。ぼくが描いた策略を台無しにしたあげく、つまらないアドリブなんてやり始めて――なにさ、さっきの使い古されたお涙頂戴の茶番はさ。あんな見ていて寒気がするような真似、よく素面で出来たものだよ。いいや? もしかして酔っ払っているのかな? 自分に、雰囲気に、もしかしたらハピメアに? 末期薬中女まで救っちゃうあたくし凄いって? 頭の弱い女が考えそうな茶番じゃないか、これだから女ってのはどいつもこいつも感情的な屑なのさ――もっとも、その結果がアレだから屑らしい末路ってことになるのかな」


 連翹を指さし、笑う、嗤う、嘲笑う。

 お前がやっていることは全て無駄だし意味がないし低俗なモノであると、見下している。


 ――普段なら、それに怒りの感情を抱いたことだろう。


 何を言っているんだこの男は、と。

 親しい誰かを救おうと思って行動することの何が茶番か、と。

 

(痛―――い、いたい、いたっ……いいいっ……!)


 だが、そんな思考をする余力など、連翹には残って居なかった。

 頭の中の八割を占めるのは痛みというアラートで、残り一割は助けてとか許してとかいう誰に言っているかも定かではない懇願、最後一割程度がノーラと雑音ノイズの声を処理している。


 当然だ――規格外チートが無い状態で誰かにぶん殴られた経験など、連翹にはなかったのだから。


 怒られてゲンコツを叩き込まれたことはあるし、これまでの戦いで敵の攻撃を受けたことはある。

 だが、前者は連翹に怪我をさせる意図はなく、後者は規格外チートの力で守られていた。

 だから、規格外チートの無い状態で、体を痛めつけるような攻撃を受けたのはこれが初めてで――だからこそ連翹の心身を苛む。


「さて、まだ精霊は演奏を続けている。感染した転移者は連合軍を足止めしてくれている――君たちを嬲る時間は十分にある」


 外套の裾から短剣を取り出すと、彼は心底愉しげに笑った。

 苦しみ悶える連翹を見て、これから自身が成す暴虐を想像して。

 

「……楽しいですか? そんなことをして」


 連翹を庇うように立ちながら、ノーラは雑音ノイズを睨めつける。

 なぜなら、彼女には理解できなかったから。

 

崩落テラーちゃんみたいに壊れそうな娘を痛めつけて、傷つけて。力を失ったレンちゃんを嬲って、そんなことをして笑って……! こんなことが、楽しいんですか! あなたは!」

「楽しいよ、当然じゃないか。これほど優越感を抱ける行為はないんだからね」


 一体なにを言っているんだ、と。

 当たり前の常識を疑問視する子供の愚かさを見下しあざ笑うように、口角を上げた。


「それに、だ。オンラインゲームでも確実に勝てて経験値が美味いモンスターを倒すのが正解で、考えなしに強敵に挑むのはただの阿呆だ。現実で命が掛かっているのなら尚更、強敵に挑むなんてリスク以外の何物でもないね。理想や名誉のために命をかけるなんて、考えなしの馬鹿がすることさ。真の賢者は勝てる相手とだけ戦って利益を得るものなんだよ間抜けが」


 戦いとは己の目的を成就させる手段でしかなく、その手段で多大なリスクを背負うのは金が足りないから賭場に行くような愚かしさなのだ、と。

 そう言って雑音ノイズは地上で戦う者たちを、連合軍とレゾン・デイトルの転移者たち見下ろし、見下した。

 ハピメアに感染した転移者たちが魔法スキルをばら撒き、高威力のそれらを神官の防壁が受け止め――けれどすぐに砕かれる。その僅かな隙に弓矢や鉄咆てつほうによる射撃によって転移者たちにダメージを与えていく。

 互いに己の勝利を目指し力を振るう姿を見て、雑音ノイズは馬鹿にするように鼻で笑った。ああ、愚か愚か、己の掌で踊ってるだけの道化が、と。


「それにさぁ――相手を一方的に叩きのめすのって楽しいじゃないか。力にしろ、正論にしろ、屁理屈にしろ、嘘にしろ、武力にしろ、手段はなんでもいい。反撃出来ない状態にして、されたとしても全く痛くない状態にして、相手をぶん殴る……いいね、いいね、最高だ。相手が何か綺羅びやかなモノを持っていたら尚更だ。それが地面に叩きつけられ、砕け、汚泥に塗れるのを見ると心地よくて堪らない……! お前たちは無価値で、ぼくが優れていると心の底から実感できる!」

「――救いようのない人というのは、あなたみたいな人のことを言うんでしょうね」


 ぎりっ、と理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアに包まれた右手を握りしめる。強く、強く。

 この男は、駄目だ。他の幹部も人間として駄目な部分を抱えてはいたし、絶対に許せないと思える者も居た。だが、この男はそれらと根本的に違っている。

 だって――彼には信念も理想がなにもない。


 死神グリムのように勝利と血を求めて剣を振るったワケではなく、

 インフィニットのように正義を維持するために狂乱しながら戦ったワケでもなく、

 王冠クラウンのように世界を求めて軍勢を率いたワケでもなく、

 崩落テラーのように安堵できる世界を求めて歌ったワケでもない。

 

 相手を馬鹿にし、引きずり下ろし、汚泥に沈め、破滅させる。ただただ、それが楽しいから。

 スローライフ云々とは言っていたが、結局のところ彼にはやりたいこともやるべきことも何もないのだ。ただ、楽に生きつつ気まぐれに誰かを墜落させ破滅させる――雑音ノイズとは、そんな男だ。


「はあ? そもそも誰が救ってくれなんて言った? 上から目線で気持ち悪い女だな。ぼくは雑音ノイズ雑音語り(ノイズ・メイカー)。力だけの馬鹿や、頭でっかちの愚物を雑音を以って操り支配する、最弱のトリックスターなんだからさぁ!」


 けたけた、けたけた、男は嗤う。

 ノーラが見当違いの言葉を吐いている低能であると、蹴り飛ばされ痛みで蹲る連翹を雑魚であると、傍らで倒れている崩落テラーが愚かしい薬中であると。

 嗤う、嗤う、嘲笑する。

 お前ら全て雑音語り(ノイズ・メイカー)に届かない塵屑どもなのだ、と。

 

「さぁて、あっちはしばらく苦戦してくれるだろうし、ぼくは君たちをなぶり殺した後にゆっくりと王の元へと向かわせてもらうよ。奴もそろそろ尻に火がついた頃だろうしね、崩落テラーが死んだら彼も泣きわめきながら無二の規格外(ユニーク・チート)について語ってくれるだろう。なら、レゾン・デイトルなんかに興味もなければ存在する意味もない。連合軍どもに掃除して貰わないとね。いや、頼んでもいないのに無給でゴミ掃除を請け負ってくれるとは、なんて優秀なボランティアなんだだろう! ありがたくって笑えてくるよ!」


 にたり、と雑音ノイズは嗤う。

 策を台無しにした女たちを自身の手で叩き潰せることが、綺羅びやかな輝きの少女を磨り潰すのが、愉しくて愉しくて仕方がないと言うように。

 

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