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214/崩落狂声/2


 その光景を見て、姿なき楽団の演奏を聴いて何かを察したらしい。

 白い肌から更に血の気が失せた死人めいた顔色で、カルナは膝をつき頭を抱え始める。


「――――そりゃそうだ、魔法が使えないのも道理だ! 無茶苦茶だ。ふざけるなよあの女、反則にも程がある……!」


 真っ青な顔でぶつぶつと呟いていたカルナであったが、すぐさま顔を上げて「ニール!」と叫んだ。

 その声は鬼気迫っていて、普段の自信はほんの一欠片程度にしか感じ取れない。ぞわり、と背筋に冷たいモノが走った。何か、致命的なモノが迫りつつあるのだと、理屈ではなく感覚で伝わってくる。

 振り向いたニールに対し、カルナは崩落テラーを指差し、叫ぶ。


「突っ込んであの女の首を切り落としてくれ! 今なら勝機がある!」

「分かった!」


 即断であり、速攻であった。ニールは地を蹴り飛ばし、転移者の軍勢に単騎で突っ込んだ。

 彼女が連翹が救いたいと言っていた少女であることは間違いないし、出来れば助けようと約束もした相手でもある。

 そして――死兵と化した転移者たちが迫ってくるこの状況下で単騎駆を命じるなど、正気の沙汰ではない。


 ――だがそんなこと、カルナとて百も承知のはず。


 ニール程度の頭で気づけたことを、カルナが気づいていないはずがない。

 だというのに、彼は悩むことなく言った、『首を切り落としてくれ』と、『今なら勝機がある』と!

 つまり――今を逃せば勝機がないということ。

 このまま敗北してしまうということだ! 


「オ――ラアアアアアァァアアアア! どきやがれ糞野郎どもがぁ――!」


 餓狼喰がろうぐらいで先頭の敵を斬り捨てながら、体当りするように前に出る。 

 死に体の転移者が後続に叩き込まれバランスを崩すのを確認し、跳躍。袈裟懸けに切り裂かれた転移者の腹を足場に一歩、バランスを崩した転移者の顔面を足場に更に一歩。跳兎斬ちょうとざんの応用で迫ってくる転移者の脳天を足場に、前へ、前へ、前へ!

 幸い、今の転移者たちはなぜか傷を恐れないものの反応が若干鈍い。ニールを狙おうとする転移者は居るが、それが行動を起こす前に一気に敵陣に突っ込んで行く。

 

「――あら?」


 そして、ようやく見えてきた。

 心地よい歌を歌いながら楽しそうに踊る彼女の姿が、崩落狂声(テラー・ハウリング)の姿が。


 ――転移者の脳天を割り砕くほどに力を込め、跳躍する。


 さすがに距離は足りないが、獅子咆刃ししほうじんの要領で闘気を足から放てば多少は距離を稼げる。剣は、届く。

 

「恨みはねえ、むしろ同情するくらいだ――」


 正直なところ、あまり気乗りはしない。

 だって、目の前の娘は楽しげに歌い、踊っているだけでこちらに攻撃を仕掛けているワケではないのだ。

 その歌のせいで魔法が封じられているのは理解しているが、胸からにじみ出る罪悪感は感情的なモノで理屈で押し止められるワケではない。


「――だが、お前はここで死ね!」


 けれど、その罪悪感よりも、皆の命の方がニールにとっては重い。

 ならば剣を振るうのみ。

 空中で闘気を噴出して強引に跳躍、体力が一気に削られるのを感じつつも一直線に崩落テラーへと突き進む。


「すぅ――」


 迫りくるニールの姿を確認したからなのか、崩落テラーは歌を中断し、大きく息を吸い込んだ。

 何をするのかは知らないが、遅い。発動が早いスキルであろうと、ここまで近づけばニールの剣の方が疾い――!

 

「La――――!!」

「がっ……!?」


 巨大な拳で殴りつけられたかのような衝撃、甘い香りのするそれによってニールは弾き飛ばされた。

 すぐさま空中で姿勢を制御し、崩落テラーを睨む。彼女は既にニールから視線を外して再び歌い始めている。

 ちっ、と舌打ちを一つ。あの攻撃は想像以上に出が早い。

 

(だが、衝撃は強ぇが威力ねえな。現に直撃食らったってのに、俺程度の剣士が五体満足で生きられてる)

 

 あれが一番最初に聞いた崩落狂声(テラー・ハウリング)咆哮ハウリングなのだろう。スキルを使わない彼女が使う、唯一の攻撃方法だ。

 だが、その直撃を食らってもニールはまだ動ける。衝撃で頭部を揺さぶられたのか、少し頭がぼんやりとするが――問題ない。この程度であの程度の敵に負けるはずがないではないか。


(――だって、目の前の女はただの雑魚じゃねえか) 

 

 そうとも、ニール・グラジオラスの剣であれば簡単に倒せる無力な相手なのだ。

 ゆえに、すぐに最接近して斬り殺す。簡単だ。造作もない。

 この勢いで雑音ノイズ無二オンリーもたたっ斬ってやろうではないか。眼下の転移者の群れを掃除してやるのも悪くない。

 なぜなら、相手はしょせん転移者。規格外チートに頼らねば生きられない弱者だ。

 ならば問題ない。幹部を殺し、眼下の雑魚転移者ども全てを斬り殺して、ニール・グラジオラスこそ最強の剣士であると叫ぼう。

 そうなれば、ニールはリックに並ぶ最強の剣士として歴史に語り継がれる。ああ、間違いない。


「そうだ――この程度、俺になら出来て当然だ」


 そう思うと、心地よくて、気持ちが良くて、このまま眠ってしまいそうなくらいだ。

 段々と白ずんでいく視界の中で、連翹の姿が見えた。少しだけ成長した彼女は小さな家屋で家事をしていて、ニールが帰ってくるのを見ると嬉しそうに微笑むのだ、『お帰りなさい、貴方』と。

 その反応が心地よくて、ああ、と頷いて自宅に入ろうとした瞬間、ふと右手に違和感を抱いた。

 握り慣れた剣の感触だというのに、酷く重い。まるで鉛のように、何かを否定するように。

 

(……いや、そもそも俺、なんで家に帰るのに、剣なんて握ってんだ……? いや、違う。家ってなんだ?)


 確か、最強の剣士の称号を得てから買ったモノのはず――そこまで考えて、舞い上がっていた思考が急に冷めていった。


 ――馬鹿が! ニール・グラジオラス如きが最強のはずがないだろう。


 もっと努力している剣士が居る、もっと才能のある剣士が居る、もっと剣を理解している剣士が居る。

 そんな連中を差し置いて、何が最強の剣士だ。こんなもの、子供の妄想と大差はない。

 では、なぜ――自分はそんな子供の妄想を現実だと誤認しかけていたのだ?

 

「ッ、ァァァアアア!」


 ぶちり、と。

 思考が答えを導き出すより早く、ニールは己の頬肉を食いちぎった。そうせねば死ぬ、と本能が全身で警告を発していたから。

 痛みと共に口の中に溢れ出る自身の血液、それで強引に喉を洗う。

 口内に満たされる血の味と鼻孔を犯す鉄臭い悪臭に嘔吐感が襲ってくるが、それに逆らわず胃の中身を撒き散らす。そうせなばならないと思ったから、取り込んだ何かを吐き出さねばならないと思ったから。

 ここに留まっていてはまずい。心地よいこの場所に留まっていたらまずい。この甘い空気を吸い続けるのはまずい――!

 

「う、げぼ、っ、がっ……ぐ、ぇ……ッ!」


 口から血と吐瀉物を吐き出しながら、余力など全く考えず闘気を噴出して仲間の元へと跳ぶ、跳ぶ、跳ぶ。

 急いで距離を取らねばならないのもそうだが、この危機を皆に伝えねばならない。

 

「ニール!? ……こっちだ、受け止める!」


 聞き慣れた友人の声に従い、その方向に落下する。着地など考えない、そんな余力など残っていない。

 上空から叩きつけられるように落ちてきたニールをカルナが受け止め、ごろごろと転がって衝撃を逃していく。

 ここまで来れば、もう影響はないだろう。

 そう確信したニールは、咳き込みながら肺の空気を入れ替えていく。

 

「ッ、ぁ……は……あ! 人間で、イカロスが有って、助かった……! エルフなら、今ので、終わってた……!」


 もしもエルフであれば近づいた時点で問答無用で死んでいただろう。

 イカロスを持っていなければ、霊樹の剣という意思を持つ剣が無ければ、崩落テラー咆哮ハウリングを喰らってそのまま絶命していたはずだ。

 その事実を理解すると、全身の毛が総毛立った。

 死にかけたこともそうだが、それだけではない。

 なぜ転移者たちが突如として死を恐れず突撃してきたのか、その理由を理解したから。


「ニール、何があった!? あの程度の攻撃なら大したダメージはないだろう!?」


 騎士たちに前衛を任せ、下がりながらカルナが問いかける。

 ああ、確かに彼の言う通り、肉体的ダメージはほとんど存在しない。現在の自分の感覚が信用できないので軽く触って確かめてみるが、直撃を受けたというのに骨折した様子はない。

 彼女の咆哮ハウリングは、転移者が今まで繰り出してきた攻撃の中では最下級の威力と言ってもいいだろう。

 だが、あれの本質は攻撃ではない。大音声を用いた衝撃波により接近してきた現地人を吹き飛ばすことに特化した技なのだろうと思う。

 そして、もう一点。


「――ハピメアの胞子だ! 咆哮ハウリングもそうだが、歌ってるあの女を中心に撒き散らされてやがる……!」

「はぁ!? ……ああ、くそ、くそ、そうか! 転移者たちの変貌の原因はそれか!」


 崩落狂声(テラー・ハウリング)の体内では無数のハピメアが繁殖している。

 本来ならとっくの昔に脳まで犯されて苗床になっている末期の状態だ。それを転移者の状態異常無効能力によって末期症状のまま健康に生きるという矛盾を成立させているのだ。

 そんな彼女の体内にはハピメアのキノコが無数に存在し、幸せな夢を見せる胞子を生成し続けている。彼女の脳にまで侵食し苗床に改造するために菌糸を伸ばし、胞子を多量に分泌しているのだ。


 ――――そんな彼女が、戦場に響き渡る声で歌えば? 

 

 高らかに声を張り上げながら、口からハピメアの胞子をばら撒くことになる。歌声と一緒に、戦場に!

 そのばら撒かれたハピメアが、転移者の軍勢に感染しているのだ。

 無論、転移者には規格外チートがある。毒や薬の副作用などには無縁だ。

 だが――効能は残る。

 気分が高揚し感情が上向きになる効果、そして医療に用いられる鎮痛の効果が。

 麻酔用に薄められていないそれが、レゾン・デイトルの転移者たちを恐れも痛みも無い狂戦士に変質させているのだ。


 なぜなら、彼らは自分こそが至高だと思っているから。その手前勝手な思い込みが、ハピメアによって余計に強化されているのだろう。

 それに加えて、過剰な鎮痛効果が彼らから都合の良い夢想から覚める一番簡単な手段――痛みを奪っている。


 その結果が死を恐れず突撃してくる転移者たちだ。

 自分は最強で、絶対に負けない、そんな夢想を絶命するまで抱き続ける。


 そして――そのようなことが出来る彼女が、個人に向けて咆哮ハウリングを叩きつけたら?

 

 大きく息を吸って、吐息を吐き出すという攻撃手段。それによって体内に充満しているハピメアの胞子が、衝撃波と共に多量に対象に叩きつけられる。問答無用で感染してしまう!

 そして、接近して戦う現地人の戦士は、転移者のような状態異常無効能力を有していない。

 結果、自分にとって都合の良い幸せな夢を見ながら眠りに落ちるのだ――敵陣の真っ只中で。その結果どうなるかなど、考えるまでもない。

 

「エルフを接近させんな! 人間やドワーフならまだしも、あいつらが吸えば抵抗すら出来ねえぞ!」

「ありがとう! ……聞いたな、エルフの皆は下がってくれ! 騎士たちもあまり切り込み過ぎるな、感染するぞ!」


 ニールが齎した情報をすぐさま皆に伝達していくゲイリーたち騎士団を見て、ニールは微かに安堵の息を吐く。

 少なくともこれで敵陣のど真ん中で昏倒して袋叩きにされる可能性は低くなった。

 

(だが……状況は全然良くなってねえ)


 いいや、むしろ悪化していると言っても良い。

 これでは敵陣に深く切り込めない。接近しすぎれば感染し昏倒する以上、こちらに突っ込んで来る転移者を倒すのがせいぜいだ。

 まずいな、と歯噛みする。魔法を封じられた上に接近戦まで制限されてしまっている。

 そしてその結果戦いが長引いて困るのは自分たちだ。規格外チートの有無によって身体能力が根本的に違う以上、持久戦で押し込まれるのは目に見えている。


「カルナ、接近戦は無理だ! 魔法を使う手段を探した方がまだマシだろ、なんか考えはねえか!?」


 だからこそ、打開する手段を考えているであろう相棒に問いかけた。

 弓も鉄咆てつほうはあるにはあるが数が少ない。それでもデレクたちサイカスの面々やエルフたちが崩落テラーに向けて射撃を行っているが、距離が遠すぎる。

 もっと近づけばなんとかなるかもしれないが――デレクたちは鍛冶師で、弓使いのエルフは後衛だ。ハピメアによって暴走する転移者の前に出すのは危険過ぎる。


 けれど、たった一発でも魔法が使えれば。


 それを崩落テラーに叩き込めれば、歌を中断させられれば、状況は一気に改善する。彼女さえ居なければレゾン・デイトルの転移者は個々の力は有っても烏合の衆だ。対処はそう難しいことではない。

 そして、ニールが気づいている程度のことは、カルナとて気づいているはずだ。

 であるならば、とっくの昔に何かしらの対策を考えているはずであり――


「……無理だ。彼女が歌っている限り、魔法使い(僕ら)は何も出来ない……!」


 ――だからこそ、その言葉が考え抜いた末の弱音であると気づいた。

 

崩落狂声(テラー・ハウリング)は歌で『全ての精霊を支配下に置いて』いるんだ。どれだけ魔力があっても、あれじゃあ魔法なんて使えない……!」


 その言葉を聞いて、ニールは昔カルナから伝え聞いた魔法の話を思い出した。


 ――精霊は生物の詠唱を娯楽として楽しみ、その対価として生物が編んだ魔力に力を込めるのだと。


 その結果生み出されるのが魔法という現象だ。

 だが、詠唱以外にも魔法を使う方法が存在しないワケではない。

 磨きぬかれた技量――それを娯楽と認識し、楽しむ場合も、無いわけではないのだ。

 それは歌唱であったり、演舞であったり、剣術であったり、場合によっては書類作業などでも。洗練された動作を娯楽と認識し、精霊が力を貸す場合も存在する。


 ――無論、普通ならそんなことは不可能だ。


 技術さえ磨けば誰でも到達できる境地なら、研究者以外に魔法使いなんて職業を選ぶ者は居ない。

 それは才ある者がその才能を延々と磨き続けた果てに存在する極地だ。生半可な技量では精霊は見向きもしない。


 ――即ち、彼女の歌はその極地にあるということ。

 ――極地の中でも更に極まった最高の歌声で、声が届く範囲の精霊を魅了しているということ。


 彼女が転移前から磨いていたであろう歌が、才能もあり努力もしていたであろうそれが、精霊たちにとって魔法使いの詠唱よりも魅力的なのだ。

 本来、こんな状況起こり得るはずがない。当然だ、なぜ歌手が戦場に出て歌など歌わねばならないのか。

 だが彼女は転移者であり、戦場に立てるだけのスペックを有している。

 その結果が、魔法使いという存在を歌のみで封殺する転移者の幹部の姿だ。


「……だ、だからってお前の魔法が完全に負ける道理はねえだろ! 詠唱を長くして、もっと精霊にアピールすりゃあ、小規模な魔法くらい……!」 


 視線の先で歌う少女が才もあり努力もしていたというのなら、それはカルナとて同じことだ。

 一緒に戦ってきたから分かる。カルナ・カンパニュラという魔法使いがどれだけ才に満ち溢れ、そしてそれに胡座をかかずに努力し続けていたのかを。

 だからこそ、そんなカルナが諦めていることが信じられなかったし、認めたくなかった。どうにかする手段があるはずだろう、と意味のない言葉を吐いてしまう。

 

「彼女の周囲から楽器の音色がするだろう? あれは一種の魔法だ。けど、彼女はきっと精霊を従えていない――あの演奏は、精霊たちが自主的にやっていることなんだよ」


 そう、意味のない言葉。そんなこと、ニール自身が一番よく理解している。

 カルナが大した考えもなしに諦めの言葉を発するはずないと、よく分かっていたから。


「僕の魔法と彼女の歌唱……前提が違うんだ。僕らは娯楽を聞かせる代わりに魔法という仕事をしてくれって依頼している。だけど彼女のあれは違う。娯楽で呼び寄せて、一緒にその娯楽で遊ぼうって誘っているんだ」


 詠唱を聞く代わりに仕事を手伝え――魔法とは、大雑把に言えばそのようなものだ。

 だが、彼女のそれは歌を聞いて集まって来た者たちに対し『そんなところで見ていないであなた達も一緒にどう?』と誘っている。

 その結果が彼女の周囲から響く楽器の音色である。彼女は魔法のように精霊を従えているのではない、精霊たちと遊んでいるだけなのだ。

 そんな精霊たちに、普段通り詠唱を対価に仕事をしてくれ、と言っても無視されるのは当然だろう。

 仮にカルナの詠唱と崩落テラーの歌が精霊にとって等価であったとしても、カルナの魔法は精霊たちにとって単純労働に等しいモノだ。

 そして何より、心地よい遊びを提供してくれる人間を攻撃しようとしているカルナに、精霊は力を貸してくれない。


「だから、どれだけ遠距離から魔法を使おうと無駄なんだ。歌の範囲に入った瞬間、娯楽として圧倒的なあちらに流れるか、崩落テラーを攻撃することを拒否されてしまう」


 ゆえに無理なのだと。

 崩落テラーが歌っている限り、カルナは彼女に勝てない。

 いいや、そもそも戦えない。こんなもの、四肢をもがれているようなものだ。まともに抵抗すら出来やしない。

 

「……そして、そろそろ連中も気づく」

「ははっ、なんだテメェら……そうかそうかぁ」


 カルナにその言葉の意味を問いただすよりも先に、一人の転移者が呟いた。


「お前ら、なんだか知らないが、魔法、使わないんだな」


 そう言って、その転移者は外壁まで退きながらにたりと嗤った。

 逃走ではない。ハピメアによって興奮している彼らが、そのような手段を取るはずがない。

 ゆえに、その行動は攻撃のためのモノ、こちらを効率よく倒すための行動だ。


「そりゃ、そうだよね――僕が転移者でも、そうしている……!」

「ッ――可能な限りボクが撃ち落とす! 一箇所に留まるな!」


 その言葉だけ何をされるか理解したのだろう、カルナが青い顔で呟き、ゲイリーは大音声で皆に命令を飛ばす。


 ――転移者は今、どうなっているのかを理解していない。


 ハピメアによって自己陶酔が激しくなった彼らに、背後で歌う存在など見えていないはずだ。聞こえてくる歌とて、自分の活躍を盛り上げるBGM程度の認識なのかもしれない。

 だからこそ痛みと死を恐れぬ突撃が出来たのだろうし、それはそれで驚異ではあった。

 だが、違う。

 この状況で気づかれたらまずいことがある。


「なら、こうすれば楽に殺せるな――『クリムゾン・フレア』!」


 瞬間――転移者はスキルを解き放った。

『ファイアー・ボール』を遥かに上回る熱量を有するそれが、轟という音と共にニールたちに迫る。


「――やらせん! 石華しゅくか!」

 

 それに対し、最前線で剣を振るうゲイリーは地面の土を捲り上げた。宙に放たれた土や石が『クリムゾン・フレア』を遮り、強引に起爆させる。

 轟音と共に放たれる衝撃波に、騎士たちが後ろに弾き飛ばされていく。熱波を受けたのは転移者も同様だが、しかしその数は連合軍に比べると圧倒的に少ない。

 なぜなら、彼らは気づいてしまったから。

 わざわざ接近しなくても、楽に勝てる手段があると。

 なぜだか知らないが、連中はあまり接近してこないし、魔法を――広範囲高威力の遠距離攻撃を使ってこないぞと。

 

 ――なら、安全圏から魔法スキルを放ち続ければいい。


 そうすればまともに反撃すら出来ず、連合軍は壊滅する。

 だが、それ以上に疑問があった。


「……なんであいつらは魔法スキルを使えんだ!? なんか抜け道があるのか!?」

「違う、魔法じゃない! 転移者のスキルは創造神の力を利用したモノで、神官の奇跡と根本は一緒なんだ! だから――精霊の有無は関係ないんだよ!」


 ――それは、即ち。 

 転移者たちだけは、魔法を使い続けられるということ。

 一方的に遠距離から攻撃をし続けられるということだ。

 

(カルナが『今なら勝機がある』って言ったのは、こういうことか……ッ!)


 魔法スキルを乱発してくる転移者たちに対し、魔法を封じながら戦わねばならない未来を予測したから。

 ゆえに、あのタイミングしかなかった。転移者たちが暴走しこちらに突っ込んでくるだけの時に、崩落テラーを倒さねばならなかったのだ。

 それを逃せば、転移者たちが気づいてしまえばこちらが圧倒的に不利になるから。

 だが、現状はカルナが想像した未来よりも最悪だ。ハピメアの胞子がばら撒かれている以上、崩落テラーが歌う周辺にはまともに近づけない――接近戦すら封じられている。


「――創造神ディミルゴに請い願う。獣の爪牙から命を守る盾を、防壁の奇跡を!」


 後方から従軍神官たちが防壁の奇跡を放つ。

 ニールたちやゲイリーを中心とした騎士たちの前に、光り輝く巨大な盾が生み出され、連合軍に迫っていた魔法スキルを受け止めていく。


(駄目だ、こんなもん長時間耐えられるワケがねえ!)


 一発受け止めるだけで防壁の奇跡は砕け散り、すぐさま別の神官が祈りを捧げて防壁の奇跡を発動させている。

 神官たちが未熟というワケでは断じて無い、そもそも転移者のスキルを真っ向から受け止めることそれ自体が悪手なのだ。

 だからこそ本来は受け流し、相殺し、威力を殺している。

 だが、今はそれが難しい。相手を倒せない以上は逃げ回るにも限度があるし、魔法スキルを武器で打ち払うような技量を持っている者はそう多くはない。

 ゆえに、悪手とはいえそれに頼らねばならないのだ。

  

「……おい、カルナ。なんか考えはねえか?」


 さっきから冷汗と寒気が酷い。じわじわと足元から這い寄ってくる何かを感じ、ニールは顔を歪めた。

 這い寄るモノの名は敗北だ。故郷で同門と試合していた時や、モンスター相手に判断ミスをした時に感じる、冷たく鋭いそれがひたひたと体を這い回るのを感じる。

 普段なら洒落臭いと、知ったことか、と踏み潰して剣を振るうそれだが、今はまともに接近することすら出来やしない。自然と、敗北の予感は、嫌な想像は肥大していく。

 

「……捨て駒を数十人見繕って崩落テラーに突っ込ませ、一人一人に対して咆哮ハウリングを使わせる。咆哮ハウリングを使っている間は歌を歌えない以上、長時間使わせ続ければ精霊が飽きてこっちに戻ってくるはずだからね。魔法さえ使えるようになれば崩落テラーを魔法で焼き殺せばいい……どうだい?」

「なるほど、良い作戦だ。……連合軍の皆がそんな手段取れるワケねえ、ってのを除けばな」

「だろうね……どうしよう、認めたくはないけど、詰んだかもしれない」


 カルナの青白い顔を横目に、ニールは剣を構える。

 まだ、何かが出来るはずだ。まだ、まだ、まだ!

 だが、心の奥底の冷静な部分は淡々と答えを導き出している。

 

 ――無理だ。お前にやれることなど何もない、と。


 その言葉を否定出来ず、ニールは歯を食いしばった。

 その程度のことしか、出来なかったから。


     ◇


「――レゾン・デイトルは滅んで貰わないと困るけど、簡単に滅ぼされてしまうのも問題なんだよね。転移者の価値が暴落する」


 レゾン・デイトルの建造物の一つ。誰が造らせたのかも分からない墓標めいたビルの上に、雑音ノイズは一人佇んでいた。

 戦いに混ざる気など欠片もない。そもそも、勝つか負けるかの勝負に挑むなど、愚かにも程があるではないか。

 真の強者は裏で糸を引く者。仮に実力行使をする時は、絶対に勝てる場合にのみ力を振るうべきだ。

 ゆえに、雑音ノイズはぶつかり合う両勢力を平等に見下していた。ああ、なんて頭の悪い連中だ、と。


「その点、崩落テラーはバランスが良い。程々に連合軍を追い詰め、程々の辺りで敗北してくれるはずなんだから」


 確かに彼女の歌は現地人に対して強力だが、決して無敵というワケではない。

 それどころか、彼女は一発でも攻撃を受けたらその時点で破綻する。ハピメアの鎮痛効果で痛みなどないはずだが、『異性に力任せに組み伏せられる』というトラウマを勝手に発症して自滅してしまうはずだから。

 膜が破れた程度で何を不幸ぶってるんだ、と雑音ノイズ崩落テラーを見下しているが、それと同じくらい役立つ女だとも思っている。

 なぜなら、正義に生きる者はあの女を殺すことをためらってしまうから。あからさまに利用されているだけの小娘を問答無用で斬り捨てる、という手段を取れないのだ。

 ゆえに、初動が遅れ――今のように追い詰められることになる。

 なんて愚かな連中なのだろう。人生の縛りプレイをして追い詰められるなど、頭が弱いにも程がある。

 だが、その頭の弱さゆえに自分は愉しめるのだ。


「可愛そうな少女を救うことが出来ず、その上仲間を大勢失って……ああ、騎士どもはどんな気持ちだろうなぁ」


 正しくて強くて権力を持ってる騎士。それが汚泥に塗れる姿が見たくて見たくてたまらない。

 力及ばず仲間が大勢が死んで、残った者たちを守るべく己の理想を踏みにじる――騎士団長とやらはどれだけ嘆き、悲しみ、絶望してくれるのだろうか。

 それを見下して、ざまあみろと嗤いたくて仕方がない。お前たちの努力なんてそんなもので、全て全て無意味だと嘲笑ってやりたいのだ。

 そして、その時は近い。

 苦渋の決断を下し、少女の悲鳴が響き渡るその瞬間は、もうすぐ訪れる。


「ああ、全て全てぼくの思い通り、望み通り! ぼくを騙した無礼な女も、今頃はあの豚どもにヤられてる頃だろうしね――ははは、非力で無力な女風情が、ぼくに歯向かうからそうなるのさ」


 崩落テラーが死ねば次は無二の剣王(オンリー・ワン)だ。喉元に切っ先を突きつけられれば、彼とて余裕ぶった態度をしていられない。

 泡を食って無二の規格外(ユニーク・チート)を晒して、レゾン・デイトルの転移者に助けてくれと懇願するに違いないだろう。誰も自分を助けてくれないことなど、気付きもしないまま。

 そうなれば、後は無二オンリーを放置して逃げればいい。

 その後のレゾン・デイトルなど知ったことではない。雑音ノイズは無限に使える規格外チートを有した状態で、悠々とスローライフを送ることが出来る。

 

「はは――もうすぐ、もうすぐだ、ぼくの理想はこれで完成する!」


 輝かしい未来を想像し、雑音ノイズは口元に歪んだ笑みを浮かべた。

 この世の全ては己の掌にあり、敵も味方も思うがままに動いているのだと、心の底から信じながら。


「――うん?」

 

 そんな最中、大通りを駆け抜ける音を聞いた。

 逃げ惑う現地人の足音ではない。地を蹴り瓦礫を踏み砕きながら加速するその足音は転移者のモノだ。

 戦いが始まってしばらく経っているというのに、いまさら気づいて参戦する馬鹿も居るのか、と雑音ノイズは口元を歪めながら足音の方に視線を向け――その表情を引きつらせた。  

 

 ――そこに居たのは、黒髪を靡かせたセーラー服の少女と、それに背負われる桃色のサイドテールを揺らす少女。


 見覚えが有った。忘れるはずもない。自分を騙した女どもだ。

 黒髪の女がなぜレゾン・デイトル側から現れたのかは皆目検討も付かないが、それは一旦置いておこう。問題は、あの桃色の女だ。ノーラと呼ばれていた娘だ。


「……女風情が、何度も何度も、ぼくの策略を台無しにして……! 賢人円卓の屑どもは何をやっているんだ!」


 無力で無能な現地人の女風情が、自分の計略をすり抜けてのうのうと生きている。

 なんだそれは、許せるはずがない、不敬にも程が有る! 現地人など、ゲームのNPCのように決まった動作をしていれば良いというのに。

 

「まあ……いい。ああ、まあいいさ。考えようによっては良い催し物だ」


 雑音ノイズは知っている。あの二人が崩落テラーと仲が良かったことを。

 そんな彼女たちが、崩落テラーを殺せるだろうか? 仲良く茶を飲んでいた娘を斬り捨てることが出来るだろうか?


(どちらだとしても良い見世物だ)


 貴女を殺せない、連合軍の皆も貴女も救ってみせる! などと少年漫画かJRPGの主人公めいたことを言って、結局全てを取りこぼすだろうか? 

 そうなれば、あの時ちゃんと殺しておけばと一生悔やむことになるだろう。なるほど、これは良い。

 それとも、転移者である自分が崩落テラーを倒さねばならぬと決意してしまうだろうか?

 そうなれば無抵抗の崩落テラーを、自分に好意を向ける少女を斬り殺した自責の念を一生抱えてくれるだろう。なるほど、これも悪くない。

 

「いいねいいね、どちらに転んでもぼくは何も困らないぞ」

 

 にたり、と嗜虐的な笑みを浮かべる。

 さあ、レゾン・デイトル最期の日に相応しい悲劇(喜劇)を演じるがいい。正義ごっこを続ける転移者の心が潰れる様と共に、英傑の国などという能無し共の妄想は崩壊するのだ。

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