213/崩落狂声/1
レゾン・デイトルの転移者は強い――ニールは正面から放たれる『ファスト・エッジ』を受け止め、規格外な腕力に逆らわず後方に跳びながら思った。
恐らく現地人の鍛冶師に作らせたのだろう、鋭くも頑強な名剣に動きを阻害しない軽く頑丈な甲冑を身に纏った彼らは、決して見掛け倒しの転移者どもではない。
上級宿舎で暮らしていたらしい転移者たちの動きは俊敏で、中々スキルの隙を晒してはくれなかった。一瞬一瞬で必要なスキルを選択し、不利と悟ればスキルを用いず大仰に剣を振るい強引に間合いを切っている。
一人一人の戦闘技術は王冠に謳う鎮魂歌が率いていた転移者よりも、ずっと優れているはずだ。
そう、一人一人であれば。
「人心獣化流――餓狼喰らい!」
空中で姿勢を制御し、着地――そのまま前傾姿勢になりながら踏み込む。
眼前の転移者はスキルの硬直から復帰し、すぐさま防御しようとする。だが、遅い。敵に突っ込んで剣を振るう、それに関してだけは他の剣士には負けていない、否、負けられない自身の長所であるがゆえに。
首筋に牙を突き立てる飢えた狼の如く、転移者の首に霊樹の剣の刀身を叩き込む。斬撃の勢いと疾走の速度、そしてイカロスの鋭さを以て規格外で守られた首を骨ごと切り落とす。
頭部へと循環するはずであった血液が勢い良く噴き上がるのを見もせず、ニールはその体を勢い良く蹴り飛ばした。
「うわっ、くそ、顔に血が……!」
「くそが、死んでなお俺の脚を引っ張りやがるのか! 幹部殺しを視認出来ねえだろうが!」
騒ぎ立てる転移者たちの声を聞きながらニールは身を低くして背後へと下がる。
複数人の転移者からスキルを放たれれば、ニールはどうやっても凌ぎきれない。一つ、二つであれば走り回って回避することは可能だが、包囲されたら圧殺される。
だからこそ、可能な限り転移者の視線を切ったのだ。先程のように近距離の敵に対しては死体を利用して視界を塞ぎ、身を低くすることによって可能な限り遠方から狙われないように務める。それに加え、この大規模戦闘では敵味方が視線を遮る壁代わりになってくれている。それで全ての視線を遮れるワケではないが、少なくとも集中攻撃で叩き潰される可能性は少なくなった。
「おっと、我らが勇者ばかりを警戒し、ボクらを疎かにしていいのかい?」
血液の噴水を突き破り、ゲイリーが転移者に肉薄する。
白銀の甲冑に多量の血液を付着させながら前進し、剣を薙ぎ払う。斬、と宙を舞う血液の飛沫ごと、複数人の転移者の胴が両断された。
数瞬だけ吹き出した血液を壁にしていたゲイリーだが、すぐさま力強く踏み込み雷光と化した。リディアの剣雷華だ。一気にトップスピードに到達した彼は鎧についた血液を置き去りにしながら疾走し、魔法スキルを発動しようとしていた転移者の口に剣先を強引に突き立てた。強引にスキルの発声と生命を停止させると、体を捻りながら剣を薙ぎ払う。斬撃はゲイリーの背後を取ろうとしていた転移者たちを切り裂いていく。
「我が求むは鋭利なる無数の氷槍。疾く駆け、敵を穿て!」
鮮血が地面に落下するよりも早く、空から無数の氷槍が降り注いだ。
高速で飛来する巨大な氷の槍は、直撃すれば転移者であろうとも地面に縫い付けることだろう。
「おっと――当たってやるかよ!」
だが、多くの槍は地面に突き刺さるのみで、転移者を貫くには至らない。地面を氷結させては行くものの、それに足を取られる者も多くはなかった。
原因は炎のように広範囲に燃え広がるモノではなく、また雷撃のように疾いモノでもないためだ。
ゆえに、レゾン・デイトルの転移者たちは避け切った。規格外な身体能力はもちろん、戦闘経験が咄嗟の回避を可能としているのだ。
だが、問題ない――そもそも当てるつもりの攻撃ではないのだから。
「……よし、距離を取るぞ!」
ゲイリーの号令と共に前衛が一気に退いた。
そうはさせぬと魔法スキルで狙い撃とうとする転移者たちだが、すぐに気づく。
「……ッ、視線が通らねえ!」
地面に突き立った無数の氷槍に隠れながら距離を取っているため、魔法スキルで狙い撃てないのだ。
スキルは視認し発声するという発動プロセスが存在する以上、視線を遮れば不発する。数発は発動したようだが、氷槍に遮られ氷を砕くに終わってしまう。
「糞――騎士共、甲冑着てる癖にちょこまかと……!」
転移者の軍勢から歯噛みするような声が響く。
事実、連合軍は言葉の通り、魔法の援護を受け移動しながら相手を削る――決して囲まれず、拘束されぬように戦っている。
現地人ではどうあっても転移者の身体能力には敵わない。正面からぶつかり合い力任せに押し込まれたら、不利なのは現地人側だ。
ゆえに、そのような戦い方を放棄している。
幸いなことに、間合いから外れ戦いを仕切り直す技術は騎士たちの方が上回っていた。転移者のスキルを受け流し、またはその絶大な腕力に逆らわず背後へと跳んで間合いをリセットする。
(しかし――思ったより弱いな)
飛来する『ライトニング・ファランクス』を別の転移者が放った『ファイアー・ボール』に誘導し相殺しながら、ニールはそのような感想を抱いた。
一人一人が強いのは事実だ。ニールだけで複数人を相手取ったら、そのまま敗北するだろうと思う。
だが、この戦いは――王冠が率いていた連中と戦った時よりもずっと楽だ。
なぜなら、彼らは統率されていたから。一人一人の転移者ではなく、軍勢という生き物と化して連合軍に襲いかかって来たからだ。
けれど、目の前に居る彼らはどこまでも個人。一つの目的で纏まってはいるものの、誰かに指揮されているワケではないのだ。レゾン・デイトルの敵を倒すという個々の目的は一致しているものの、協調して戦おうという意思が見受けられない。
だからこそ楽なのだ。確かに個人の技は優れているし、通常の動作とスキルの動作を上手く使っているために攻撃を回避し辛い者も多数存在している。
だが、それよりも――戦列歩兵と呼ばれていた陣形から放たれる無数の魔法スキル。そちらの方がずっと恐ろしかった。
「だから――これからが本番なんだろ?」
言って、街壁の上に視線を向ける。
そこに、正面からこちらを見下ろす少女の姿があった。
亜麻色の髪の娘である。
髪を腰の辺りまである大きなツインテールにし、きらびやかな衣装を身に纏っていた。
黒地に白いフリルをふんだんに用いたドレスだ。袖には鍵盤を模したメタリックな意匠が施されている。
全体的に肌の露出の少ないデザインなのだが、上着と袖が完全に分離していて細い肩とか白い脇などが大胆に見えていた。
スカートもドレス相応の丈の長さなのだが、それも背後と左右のみ。前方は大胆に切り開かれ、白いミニスカートと黒いブーツが、そしてタイツに包まれたふとももが大胆に見えている。
独特な衣装で、普通に着たら服に着られるか歌劇の舞台衣装のような違和感を抱くであろうに、彼女は苦もなくそれを着こなしていた。
(あれが崩落狂声か)
奇抜な衣装だと思った。
それと同じくらい、彼女に似合っているとも。
他の転移者たちと比べ垢抜けた印象を受ける彼女は、こちらに向けてにこりと微笑んだ。
◇
「――――ああ、こんなに沢山人が居るのね」
やっぱり争いごとは好きになれないな――崩落は眼下の様子を見て心からそう思った。
痛いのは嫌いだし、怖いのは嫌い。そのどちらもが存在する戦いなんて、好きになれるはずもない。
けれど、薬を分けてくれた雑音のため、そして活躍して規格外を永遠にする技術を知るために、自分は戦場に出なくてはならない。
心臓が鷲掴みにされたような恐怖と共に、脚が震えだす。怖い怖い怖い、こんな場所に居たくない、そんな内心がじわりじわりと体から滲み出してしまう。
――だから、大きく深呼吸をした。
それに合わせて、体内で繁殖したハピメアが脳を犯さんと胞子を排出する。
瞬間、頭がふわり、と花畑で微睡んでいるような穏やかな気持ちになった。震える脚も止まって、胸を苛んでいた圧迫感は溶け落ちるように消えていく。
眼下で繰り広げられる戦いを見ても、もうちっとも怖くない。舞い散る血液を見て血の気が引いたことも、消え行く命を見て吐気を覚えたのも、全て全て過去のモノ。
大丈夫、歌える。
全力で歌って、歌って、歌って――その結果、下で戦っている人たちがどうなるのかを考えかけて、けれど甘い香りと共に滲んで消えていった。
悲しみや恐怖は全て全て溶け落ちて、残ったのは楽しさと喜びだけ。昔、ネットで動画配信をしていた時のような感情が崩落の中に満ちていく。
「嬉しいわ、わたしの歌を聴いてもらえることが」
歌うのは好き――好きだった。
だからこそ、こんな場面だというのに、沢山の人に聴いて貰えるのだと思うと自然と笑みが浮かんでしまう。
この喜びが、この幸せがいずれ終わってしまうモノであったとしても、この刹那を心より楽しみたいと思うのだ。
「さあ、聴いて――深海に沈み行く少女の歌を」
どうせ終わるのなら、苦しまずに終わらせたい。
自分も、そして皆もそうであって欲しい。苦しいのは嫌だし、痛いのは嫌なのだから。
だから歌う、だから奏でる。
重度の中毒で心を喜悦に染めながら、崩落は一人、悲しみの海に沈んでいく少女の歌を歌うのだ。
◇
連翹からの情報通りだ、とニールは崩落を睨めつけた。
歌と大声を用いた戦闘スタイルで、魔法封じのために歌を使用するらしい、と。
前情報があって良かったと思う。突然女が攻撃するでもなく歌なんぞを歌い始めたら、どう対処すべきか悩むことになっただろうから。
少女の声は瞬く間に戦場中に響き渡り、魔法使いの詠唱を遮って――
(――いや、違う?)
――大きな声ではあるが、全ての音を遮るような大音声ではない。
むしろ綺麗な声だ、聴いていて心地良いくらいに。
その声で奏でる歌は聴いたことのないモノあり、現地人であるニールからすれば奇妙にすら感じる旋律だ。
だが、決して不快などではない。
街中でこの歌声を聞いたのなら、もっと近くで聞いてみようかと思う綺麗な歌声であった。メロディーも激しいモノではなく、どこか物悲しい印象を聞く者に抱かせる。
――けれど、だからこそ解せない。
確かに声は大きくて、旋律は戦場に高らかに響き渡っている。戦場の音にかき消されることなく、その歌声は皆の耳に届いていることだろう。
だが、本当にそれだけだ。
詠唱を掻き消す程の大きさではない。こんなモノで詠唱を阻害出来るのか、と疑問を抱く。
「――熱唱しているところ悪いけど、先んじて潰させて貰うよ」
背後からカルナの冷徹な声が響くのと同時に、あらかじめ空中で生成していたらしい四本の氷槍が崩落目掛けて射出された。
単純な理屈だ。何らかの方法で魔法使いの詠唱を遮るというのなら、前もって魔法を完成させておいて、それを維持しておけば良い。彼女がどのような手段でカルナの魔法を妨害しようとも、既に完成した現象を覆すことは出来ないのだから。
そしてカルナの目論見通り、完成した魔法は一直線に崩落へと向かう。狙いは四肢だ。少女の両手足を貫き、外壁に縫い付けるつもりである。
これは可能な限り生きて捕らえることを目的にした魔法であった。崩落という少女を自由にさせるワケにはいかず、けれど殺すのは連翹とノーラの想いから避けたいという想いがあるから。
――ゆえに、標本の如く槍で地面に固定する。
転移者は四肢を貫かれた程度では死なないが崩落は普通の少女だという。ならば、痛みに耐えることなど不可能。外壁に縫い付けられている間は歌っている余裕などなくなるだろう。
ゆえに、これは物理的、そして精神的な拘束なのだ。
残酷な手段かもしれないが、しかしこれはゲイリーたちの了承は貰っている。
なぜなら――これが成功すれば、幹部を生かしたまま完封出来るのだから。
この攻撃が成功すれば、味方の被害を最小限に抑えつつ被害者であるらしい崩落狂声を殺さないで済むのだとカルナが騎士たちを口説き落としたのだ。
「――♪」
間近まで氷槍が迫っているというのに、崩落は怯えた様子もなく歌い続けている。差し込んだ一筋の光に手が届きそうだったのに波に拐われてしまった、と悲しげな旋律を紡いでいく。
ハピメアの効能で恐怖を感じていないのだろうか、それとも何か策があるのか。
だが、仮に何らかの手段があったとしても、もう遅い。氷槍は崩落の腕に突き刺さ――――
「……な――に?」
愕然としたカルナの声が響く。
――――さらり、と湖に落ちた土塊が溶けるように、カルナの氷槍は瞬く間に分解されていった。
そう、分解だ。熱で溶かされたワケでも、物理的に砕かれたワケでもなく、突如としてバラバラになって消えていく。
魔法に詳しくないニールには、いいや、きっと魔法使いにだって今の現象の意味が理解できて居ないはずだ。
なぜなら、崩落狂声は何も特別なことをしていない。ただただ、高らかに歌を歌い続けているだけだ。
「灼熱よ、赤々と燃える真紅よ。今、刃と化せ――」
カルナは思考よりも先に詠唱を開始した。
何らかの手段によって氷槍は打ち破られた――氷に対する防御か? であるならば炎を試すだけだ。炎の刃で四肢を斬り飛ばせば、傷口を焼くために失血で死ぬ可能性が低くなるだろう。
他の魔法使いたちもカルナと同じように炎の、雷の、風の刃の、石つぶての、そして視界を焼く閃光の魔法を崩落に放つべく詠唱を開始した。
誰もがまだ現状を理解出来ていない。
だが、あのまま崩落に歌わせるのはまずい。その直感を頼りに彼らは詠唱し、魔力を練っていく。
(――他の魔法使いがどうかは見ても分からねえが、カルナに関しては大丈夫そうだな)
魔法使いたちの詠唱を横目に入れながら、ニールは確信していた。
魔法には詳しくないが、それでも一年間ずっと一緒に居た相棒のことだから理解出来る。
魔力の流れ、響き渡る声、それらはいつも通りの出来であり、失敗の余地など欠片もないと。
カルナは右手を突き出し、高らかに声を張り上げる。
「――抜剣せよ、赫炎の刃! 外敵を屠り、我らに勝利を齎し給え!」
――だというのに、魔法は不発した。声は虚しく響き渡るのみ。
否、これは不発ですらない。魔法が失敗したという気配すらないのだ。まるで魔法使いごっこをしている子供のように、魔法として成立する気配が全く存在しない。
その事実が信じられないのか、カルナは瞳を大きく見開いて愕然としている。
「……? な、なんだ? 魔力も問題ない、声だって精霊に届いているはずなのに……!?」
その驚愕はカルナだけのモノではない。
それは魔法が使える全ての連合軍の驚愕だ。
皆、魔法が尽く発動出来ずにいた。詠唱を妨害されたワケでも、魔力が尽きているワケでもないのに、魔法が全く成立しない。
――そしてそれは、前衛を援護する手段が消滅したということ。
広範囲の敵に攻撃する手段が、転移者の視線を切る手段を喪失したということだ。
「今だ、突っ込めぇ!」
「もう逃さねえぞ、叩き潰してやるよぉ!」
そして――戦い慣れているレゾン・デイトルの転移者たちは、その隙を見逃さなかった。
魔法を警戒していた彼らが、転移者の身体能力に任せて真正面から突っ込んでくる――!
「……ちいっ!」
正面から放たれる『スウィフト・スラッシュ』の三連撃を回避し、その直後に別の転移者から放たれた『ファスト・エッジ』をイカロスで強引に受け止める。
ぐらり、と体勢が大きく崩れた。
糞、と悪態が口から漏れる。分かっていたことだが、真っ向からの力比べでは分が悪い。
「破砕、土竜ァ……!」
杖を突くように剣を地面に突き刺し、自分の足元を闘気で破壊、土煙を発生させる。
これでスキルで狙い打たれる可能性は低くなる――そう考えた瞬間、土煙を突き破って転移者が体当たりを仕掛けてきた。
立ち上がりかけていたニールの胸部に、転移者の肩が叩き込まれる。鎧を貫く衝撃が胸を突き抜けた。
「がっ……!?」
技も何もない、勢いよく体をぶつけただけ――だが、それでもニールを吹き飛ばすには十分な威力を秘めていた。鎧を身に纏っていなければ肋骨を砕かれていたことだろう。
踏ん張りきれず地面を転がるニール。その姿を見て、体当たりをした転移者は見下ろしながら嘲笑った。
「はっ――なんだこいつ、何が幹部殺しだ、弱ぇぞ!」
「弱え、だと……?」
「事実だろうが、雑魚は雑魚らしく死んで俺の糧になりやがれぇ!」
ニールの頭部めがけて踵が振り下ろされる。
直撃すれば石畳に叩きつけた柘榴のような有様になるのは明白なその攻撃が届くよりも疾く、ニールは剣を斬り上げる!
勝利を確信した転移者は回避も防御も出来ず、股間から腹部までを切り開かれる。
「うるせえ! 俺が弱えなんて、俺が一番よく知ってるんだよ糞野郎がぁ……!」
致命傷だ。傍らに神官が居なければ助からぬ傷である。
だが、安堵している暇はない。早く退かねば囲まれてしまう。
そうしてニールは立ち上がり――
「ははっ、逃さねえよ雑魚」
――臓物と血を垂れ流す転移者に腕を掴まれた。
「な……ッ!? なんでそんな傷で動けんだテメェ……!?」
ぼとり、ぼとり、と切り裂かれた腸がこぼれ落ちている。おびただしい量の血液も、また。
痛みと命を失う恐怖で動けない、そう考えたからこそニールは男から意識を外した。
にたり、と男は笑う。まさかそれで俺を倒したつもりなのか? そう告げるように。
「傷? 傷? 傷がなんだってんだぁ! 俺は最強だ! この程度で死ぬかよ、そう死――」
プツリ、と。
マリオネットの糸が千切れたかのような唐突さで眼前の転移者は崩れ落ちた。
直前まで痛みも自身の傷にも気づいていない様子だったというのに、多量の失血で当たり前のように絶命したのだ。
(なんだってんだ……!?)
死体を蹴り上げ、迫ってくる転移者たちに叩きつけるとニールは反転、そのままゲイリーたちの元へと駆ける。
それを阻もうと突撃してくる転移者たちの動きは、先程までの動きとはまるで違っていた。
身体能力に任せた動きなのは変わらないが――こちらの攻撃をまるで恐れずに突っ込んでくるのだ。騎士たちの剣に切り裂かれても、エルフたちの弓に貫かれても、ドワーフたちの鉄咆が直撃しても、痛みを堪える様子も恐怖を抱く様子もない。
「くそ、くそっ、なんだ、なんだよこいつら、死ぬのが怖くないのか……!?」
津波のように押し寄せる転移者たちを捌きながら一人の騎士が震えた声で呟く。
斬っても、斬っても斬っても斬っても、転移者たちはただただ獲物を求めてこちらに迫ってくる。
「死ぬ? 誰が? 俺が? 馬鹿が! 最強の俺が死ぬはずねえだろうが! 糞モブ現地人が、とっとと死にやがれぇ!」
言葉だけなら無法の転移者らしい物言いだ。傲慢で、不遜で、苛立たしく思うものの恐怖を感じるモノではない。
だが、その言葉を発した転移者の右手は切り落とされ、胴は半ばまで切り裂かれ切断面からハラワタを垂れ流している。
だというのに――まだ戦えるのだと、俺は強いのだからお前らに負けるはずがないのだと、そんなことを叫びながら突っ込んでくるのだ。
まるで不死者か何かのようで、けれどそれ以上に恐ろしい。
だって、目の前の転移者は生きている。血と臓物を垂れ流し、肌が凄まじい勢いで土気色になってはいるが、まだ生きているのだ。
「ちぃ――獅子咆刃ッ!」
後方に跳躍しながら刀身から闘気を放った。
逃げ腰の一撃であり、この一撃で転移者を倒せるワケではないが、痛みを与えることは出来るはずだ。
斬撃がこちらに迫る転移者の頭部に直撃し、爆ぜる。転移者の肌を切り裂くことは出来ずとも怯むはず――はず、だというのに。
「ははっ、ははははははっ、痛くねえ痛くねえ、弱え脆い雑魚ぇよ三下が! 『ファスト・エッジ』ぃ――!」
止まらない。転移者は止まらない。
眼球に直撃したのか片目から血涙を流しながら、痛みなど何もないと叫びながらスキルの発生と共に間合いを詰めてくる。
袈裟懸けに振るわれる冴え渡った斬撃をなんとか受け止めるものの、衝撃に耐えきれず体勢を大きく崩してしまう。
(ま、ず――!?)
そして、こちらの隙を相手が見逃してくれるはずもない。
手柄首、功績、最強の証明、そのような言葉と血液を垂れ流した転移者たちが、ニールに迫る。
「リディアの剣――舞華」
瞬間、ニールに迫った転移者たちの体が無数の連撃によって切り裂かれ、パズルのピースが飛び散るように爆ぜ砕けた。
それを成したのは巨漢の騎士、騎士団長ゲイリーである。
油断なく剣を構える彼の後ろで、ニールはふらつきながらも立ち上がった。
「わ、悪い……助かった」
「なに、間に合って良かった。……それより連中の様子――前から常々獣だ獣だと思っていたが、あれでは獣以下だな」
剣を縦横無尽に奔らせながら、ゲイリーは苛立たしげに、そして気味悪そうに呟く。
それは絶命するその瞬間まで己の勝利を疑わず、輝かしい未来を信じて死んでいく転移者たちに向けられたモノである。
そして何より気味が悪いのが――死するその瞬間ですら、どこか幸せそうな顔をしていることだ。
耐え難い苦痛を前にすると脳がそれを誤魔化すというが、これはそういった真っ当な機能ではないだろう。苦痛や恐怖を強制的に切り取られている、そのような不気味さがあった。
「カルナ! 回路の方はどうだ! そっちなら魔法が使えんじゃねえのか!?」
じわじわと這い寄る恐怖から抗うように叫ぶ。
魔法さえ使えればこの程度の状況、なんとでもなる。
なぜなら転移者たちはダメージを無視して大勢で突っ込んでくるだけなのだ。そんなモノ、本来なら魔法の良い的だ。
「もうやってるに決まってるだろう! 魔力は通した! 起動もした! 何一つ普段と変わらない――でも、全部不発する!」
苛立たしげに叫んだカルナが苦し紛れに鉄咆を放つ。風の魔法を用いた射出機能も停止しているのか、放たれるのは単発の鉄杭のみだ。
カルナの狙いは甘いものの、防御をかなぐり捨てて突撃してくる転移者たちの誰かに当てる程度ならそう難しいことではない。鉄杭は先頭を走る転移者の腹部にめり込み、金属と金属をぶつけ合ったような音を鳴らした。
本来であれば苦痛に呻く声が響いたはずだ。鉄咆が響かせる轟音に意識を引っ張られたはずなのだ。
「だせぇ弱ぇ貧弱なんだよ屑どもがぁ! そんなモンでこの俺の歩みを止められるかよぉ!」
「やっぱりか……! 利いてないワケじゃないはずなんだけどね……!」
忌々しげにカルナが吐き捨てる。
鎧を身に纏っていなかったため、腹部からはじわりと血が滲んでいる。致命傷には程遠いが、しかし決して無傷ではない。痛みだってあるはずなのだ。
しかし、転移者たちはそのようなモノまるで気にならないとばかりに嗜虐的な笑みを浮かべた。
溢れ出す感情は熱狂であり自身に対する狂信だ。
潰す潰す敵は潰す、自分の邪魔をする者は誰であろうと! そうであるべきだし、それを成す力を自分は持っている! ――そんな、幼子の空想めいた全能感を垂れ流しながらこちらに迫ってくるのだ。
「さすがにおかしいぞコイツら……! 確かにこういう側面はあったが、ここまで頭沸いた連中じゃあなかっただろ……!」
餓狼喰らいで敵を斬り捨てなから叫んだ。
袈裟懸けに振るった刃で両断したというのに、斬り捨てた転移者はギラギラとした眼差しでこちらを睨めつけながら這い寄ってくる。その転移者を後続の転移者がゴミを蹴散らすように蹴り飛ばし、踏み潰し、地面に塗り込んでいく。
ああ確かに――彼らは自分が最強であり至高だと、自分こそが物語の主役で他は端役だという思考回路を有していた。
だが、痛みに悲鳴を上げるし、仲間が殺されたら恐怖し素に戻る者も居たのだ。傲慢な連中であり、強大な力を有していたが、それでも人間だったのだ。
だというのに、目の前の彼らは自身の願望しか見えていない。痛みも恐怖も心地よい理想を妨げる邪魔者だとでも言うように、徹底的に無視しているのだ。
「……よし、来るぞ! 前衛は下がれぇー!」
胸の中で肥大し始めた恐怖を振り払うように剣を振るっていると、背後から警戒を呼びかける声がした。
なんだ、と思いつつもバックステップで距離を取ると、ニールの横をすれ違うように灼熱の竜が駆け抜けて行く。
「後退した魔法使いがようやく魔法無効化の効果範囲から脱した! これで援護が出来るぜ!」
魔法使いたちに指示を出していたらしい騎士の言葉で、ようやく理解できた。
理屈は分からないが、崩落の歌で魔法が阻害されているのだ。ならば、歌が届かない場所まで退いてから魔法を詠唱すれば良い。
炎の竜に次いで、雷槌が、風刃が、石つぶてが転移者たちに迫る。
「よし、これで挽回――!?」
ゲイリーの声が驚愕に塗り替えられる。
迫る転移者たちに向けられた魔法――その尽くが分解されるように消滅していくのだ。
最初の氷槍と全く同じ。相殺したワケではない、何らかの手段で防がれたワケでもない、空中分解するように魔法が消滅していく。
何をやりやがった、と崩落を睨みつける。
だが、彼女は最初と同じように深海に沈んでいく少女の歌を歌っているだけだ。何も変わりは――いや、違う。
(――楽器の音?)
彼女の歌に合わせて、楽器の音色が聞こえてくるのだ。
だが、それはおかしい。歌いだした時は確かに崩落の声だけだったはずだし、何より彼女は素手だ。楽器など持っていない。
だというのに、演奏は確かに聞こえるのだ。
パーカッションの音やギターに似た聞き慣れない音色、他にもニールが知りえない楽器が沢山、彼女の歌を彩っている。
けれど、音がする方向を見ても、そこに居るのは崩落一人だけ。確かに彼女の周囲から楽器の音はしているはずなのに、演奏者の姿を見つけることは叶わない。
まるで幽霊に演奏を任せているような情景を見て、連合軍の皆は怪訝な眼差しを向け――カルナは一人、呆然とした表情のままぽつりと呟いた。
「ぁ――そう、か……ああ、そうか!」




