18/片桐連翹
その都市を初めて見た時、一番印象に残るのはあの分厚い城壁であろう。
無骨ながら屈強で高い壁。それは魔物や悪意ある人間を阻む盾だ。無論、城門がある以上は全てを防ぐことはできないが、この都市を攻め落とそうと企む集団は容易に中に侵入することは叶わない。
城壁の上には、網目めいた模様の溝が存在している。都市内の魔法使いが魔力を流し、詠唱によって土の精霊の力を借りれば、空中で金属たちが絡みあい都市を覆う『フタ』になるのだそうだ。
陸と空の外敵を遮断する、文字通りの意味で『鉄壁』に守られた都市であり、かつて魔王が存在していた頃に人類の最後の砦であった場所だ。
「もっとも、その機能が使われたのは魔王大戦――勇者リディアが生きていた頃くらいだったらしいけどね。それ以降はこの大陸では大きな争いはなかったから」
もちろん、貴族同士の利権争いによる小競り合いや、力をつけた盗賊団の討伐、などという話はいくらか存在する。完全な平和というワケでは断じて無い。だが、人間という種族が滅亡するか否かを考えずに生きて行ける現状は、おおむね平和と言えるだろう。
カルナの言葉を熱心に聞くノーラを視界に入れながら、ニールは馬車の外に視線を向けた。
アルストロメリア女王国の首都――女王都リディア。
都市というよりも複数の砦を城壁で囲い、その隙間に民家なりが立ち並んでいるといった方が正しいだろう。大通りは騎士団や馬車が通りやすいように広く作られているが、少し逸れると道は狭く迷路のように枝分かれしている。
そんな都市であるためか、中央にある城も魔王大戦以前の城を描いた絵画と比べると華やかさに欠けてしまう。現在は飾り付けや木々や花々を植えることにより、見るものを威圧するということはないのだが、やはり地味な印象は拭えない。
「ほんと、頑丈だけが取り柄って感じ。華がないわ。魔王もいなくなったんだし、もっと綺麗に立て直せばいいのに」
カルナの語りを暇つぶしに聞いていたらしい連翹は、「せっかくのファンタジーのお城なのに」と不平をこぼしている。
「アホかよ。平和になったつっても、魔物はいるし未開エリアの『ストック大森林』や海の向こうなんかがあんだぞ。そっから新しい魔王なり別の国の騎士なりが攻めてくるかもしれねえんだからよ」
「アホとは何よアホとは。というか、そういう連中を無双するのがあたしとかあたしとかあたしの役目でしょうに。まったく、なんで魔王や勇者が居たころに呼ばれなかったのかしら。魔王なんて、華麗に勇者を踏み台にしつつ勝利してやるのに」
「レンちゃん、勇者さんを踏み台にする意味はあるんですか?」
「えっ? 勇者イコール主人公の踏み台ってのはもはや常識でしょ?」
「少なくとも僕らの常識ではないね――っと、着いたみたいだ」
馬車が停止し、凝った体を軽くほぐしながら下車する。
その途中で御者が連翹を呼び止め、馬車の代金を返金していた。馬車を襲うモンスターを客である貴女が撃退してくれたから――と言い、連翹は気をよくしたように笑い、その金を受け取る。
(……連翹の奴、気づかねえのかねぇ)
感謝の言葉が、恐怖に引き攣っていることを。
当然だ。戦闘技術を学んでいるようには見えないか弱い少女が、あれだけの破壊を行ったのだ。頼もしさよりも、その矛先が自分に向く可能性に怯えるのは当然だろう。
それは、本物の剣をオモチャとして振り回す子供を見た時の危うさ。ただの子供なら親や他の大人が叱って取り上げることはたやすいが、彼らにはそれらを歯牙にもかけずに遊び続けることが可能な力がある。
故に恐怖するのだ。
何かの拍子に怒らせたら、その無秩序な剣がこちらに向きかねない――と。
「ありがとっ。アンタいい人ね、また機会があればこの力で守ってあげるわ!」
だというのに、彼女の声は成し遂げたと言うように誇らしげだ。
誰かを救ったという事実に喜ぶ姿は正義感の強い少女のそれであるが、近づくモノ全てを引き裂く転移者の力がそれを汚している。
その在り方は酷く歪で悲しい――と不意にニールは感じた。
なぜだかは分からない。
けれど、強く、強く、感じてしまうのだ。
◇
一度冒険者ギルドに寄った後、ニールたちは騎士修練場に向かった。
一応ナルキで依頼の詳細は確認したものの、この手の情報は遠くになればなるほど情報の精度が悪くなることが多い。要は食材と同じだ。輸送している間に味が劣化するのも、冒険者にとってはメシの種であることも。
「つっても、今回は大した違いはなかったけどな」
依頼主が依頼主なだけに、そこら辺しっかりしてるんだな、とニールが頷く。
唯一の違いは、この依頼を受けて試験に合格すれば宿代は騎士団が持ってくれるということだった。
「まあ、この部分は意図的に書かなかったんじゃないかな――盗賊やゴロツキどもが宿目的で来るだろうし」
「あれ、でも冒険者としてギルドに登録しないと、冒険者用のクエストなどは受けられないんじゃないんですか?」
気だるそうに言うカルナに、ノーラが首を傾げ疑問を口にする。
「最初から盗賊やゴロツキだった奴は、そりゃ無理だよ。けど、冒険者からそれに成り下がった連中ってのもいるから」
実家の仕事や勤め先を探すことを嫌い、自由な冒険者に憧れる若者は多い。そして目指すものが多くなれば、夢破れドロップアウトする者もまた多くなる。
現実を見据えて田舎に帰るのならばいい。
しかし、なまじ一般市民よりは強いために街のゴロツキと化したり、街道で商人を襲う盗賊と化す者が出てくるのだ。
そして、そういった連中も犯罪者として顔を覚えられるまでは冒険者であり、冒険者と悪事を兼業する者も少なくない。
冒険者として簡単なクエストを受けつつ、路地に潜み一般市民から金を強奪する――どちらがメインかはその人間によるが、大抵の場合は後者だ。そもそも、クエストを処理しその報酬で生活できるのならドロップアウトなどしていまい。
「ふーん……つまり、ああいう奴らね」
連翹が興味なさ気に呟き、前方を指し示す。
騎士修練場の敷地に入るための門。その手前で、一人の男が倒れていた。小汚い姿のその男は、立ち居振る舞いが暴力に慣れていることが分かる。しかし装備は貧相であり、当人の実力がないこともここで倒れている時点で明白だ。
絵に描いたようなゴロツキである。それも弱者を虐げることで『己が強い』と勘違いしている類の、だ。その男は、顔を獰猛な獣の如く歪め叫んだ。
「痛ってぇなコラ! 何しやがる!」
「――簡単なことだ」
応えたのは白銀の鎧を纏った青年である。
艶やかな金髪と碧眼が印象的な美青年だ。背丈は高く、分厚い鎧を纏っているというのに布の衣服でも纏っているかのように自然体だ。
腰には剣が一振り。鎧と同じく白銀色のそれの鍔には、剣を掲げた少女――勇者リディア・アルストロメリアの絵が刻まれている。
その剣はアルストロメリア女王国を守る騎士の証だ。
騎士は男を見下ろし、その眼を正面から見据えている。
「君は弱く、そして素行が良いとはとてもではないが思えない。ゆえに君はこのクエストを受けることはできないと判断し、君はそれが気に食わず暴れようとした――他に何が必要だ?」
「弱い? 弱い、弱いだとテメェ舐めてやがんのか! 俺がお行儀の良い騎士様の剣に負けるとでも本当に思ってンのかぁ!」
「無論だ。それに、君が他の冒険者のように我々にない技を修めているとは、とてもではないが信用できないな。本当に実力があるのなら、その力を別の仕事で使い名を上げるといい。その結果、私の目が曇っていると判断すれば、頭はいくらでも下げるし、土下座が必要であればいくらでもしよう」
語るべきことを語り終えたのか、騎士は男に背を向けて歩き出した。
その背中を見つめる男の口元が、獲物を見つけた肉食獣めいた喜悦で歪む。
(……ッ)
ニールがまずい、と思った時には既に男は立ち上がり、短剣を騎士の首筋に向けて振るい始めていた。
初速は遅く、技術はつたない。しかし、貧相なゴロツキが扱うには鋭すぎる攻撃だ。恐らく、自分を弱く見せて弱く見せて――相手が油断した時に想定外の速度で攻撃する、というのが男の戦闘スタイルなのだろう。
正面から放たれたら余裕で受けることも避けることも可能な攻撃だ。しかし背後から、しかも意識を外した瞬間では――
「言っただろう」
世間話をしながら振り返るような何気ない仕草だった。
だというのに騎士の剣は男の短剣を根本から断ち切り、その攻撃を無効化していた。からん、と石畳を刀身が叩く。
「君は弱いと」
やったことは簡単だ。
振り向きながら剣を抜き、そのまま居合いの如く剣を振るったのだ。
派手さはない。しかし針のように鋭く正確なその一撃は、彼の剣の腕を何より明白にニールに伝えた。
(――やっぱ、俺はまだまだ、だな)
昔に比べ随分と強くなっていると思うが、まだまだ己の剣では届かない相手が多すぎる。
それが悔しく思い、同時に喜ばしく思う。
己の未熟さを痛感し――そしてそんな未熟な己では扱いきれぬ程に、剣という武器は可能性に満ち満ちているのだと思えるのだから。
だからこそ、己の人生を捧げる価値がある。
「む――君たちもクエストの志願者かな」
悲鳴を上げて逃走する男を見送った騎士は、剣を収めながらニールたちに視線を向けた。
「ええ、そうよ! アンタやるじゃない! まあ、あたしほどじゃあないけどね!」
値踏みするような彼の視線を気づいているのかいないのか、連翹は薄い胸を張りながら頷く。
騎士はその姿をじっと見つめる。連翹の言葉に怒りを覚えたのかと思ったが、しかし表情は変わっていない。
「……ふむ、それは頼もしいな。その自信が過信でないということを、試験で証明して欲しい」
何かに納得したのか、騎士は小さく頷いた。
「着いて来るといい、ここで出会ったのも何かの縁だろう。案内しよう」
「ありがとうございます。すみません、お忙しいところを」
「問題ない。大陸の民を守り、導くのは騎士の義務だ」
ノーラの言葉に対し騎士は首を左右に振った後、こちらに背を向け歩き出した。
騎士に先導され入った騎士修練場は、大まかに二つの施設に分けられていた。訓練や試合などを行う場所と、宿舎や食堂といった生活に必要な場所だ。
受付を通り、廊下を歩く。窓の外にはむき出しの地面があった。野外の訓練場なのだろう。そこで走り込みや筋力トレーニングを行っている騎士たちの姿が見える。
「あの、ところで――試験って一体、なにをするんですか?」
「ふむ――君は神官だな? ならば簡単な治癒の奇跡を扱えるだけで問題はない。そこの男は魔法使いか。魔法使いは魔法の練度を調べるらしいが――これは試験場の魔法使いに直接聞いた方が良いだろう」
すまないが、自分は魔法はあまり得意ではないため上手く説明できないのだ――そう言って騎士はカルナに頭を下げた。
「いえ、構いませんよ。僕だって剣に関しては無知ですから」
「そう言って貰えると助かる。だが、難易度はそう高いモノではないらしいと聞いた。君が相応の実力を持っているのならば、すぐにでも合格できるだろう」
そしてそちらの剣士は――とニールに視線を向け、
「前衛の戦士という存在はなろうと思えば誰でもなれる存在だ。ゆえに他の者たちと比べ、厳しい試験となるだろう」
「ま、そりゃそうだろうな」
そこら辺は仕方ねえよ、と肩を竦める。
実際、冒険者でもっとも多い職業は戦士だ。理由はただ一つ、才能も努力もせずに名乗れる唯一の職業だからである。
魔法を使うには魔力の量を高めるために修行が必要であり、また魔力の形を整える能力や精霊との対話のセンスが必要だ。
神官が扱う治癒の奇跡は、教会での仕事や神に祈りを捧げることによって神に存在を認識してもらい、ようやく扱える下地が出来る。その後に簡単な奇跡を取得するのは容易いが、下準備の時点で最低でも五年は掛かってしまう。
そして魔物や野盗の気配を探り、先制攻撃を行ったり奇襲を察知したりするスカウトの技能。これは完全に才能が無ければモノにならない。ニールも奇襲などを防ぐために多少この技能は学んでいるが、冒険者仲間のヤルなどの専業には足元にも及ばない。
そんな中、戦闘の経験どころか修行もしたことのない素人でも、剣や鈍器さえ握れば名乗れるのが戦士だ。そして人気のない職業ならまだしも、戦士はモンスターと真っ向から戦いを挑み倒す――冒険者の花型だ。そこに人が集うのは、必然と言えるだろう。
それゆえに冒険者の戦士は玉石混交、どころか多量の石の中に宝石が一つあるかどうか、という有り様だ。
「ああ、あれね! バンドやりたいって人間の中にどれだけボーカルが多くて使い物にならないのが多いか、って話みたいなものね!」
ニールにはさっぱり理解できない喩えを自信満々に言い放つ連翹に、騎士の視線が突き刺さった。
「やはり君は転移者か」
「そうよ、悪いの? まさか転移者の力なんて借りたくないから帰れ、なんて頭の硬いモブみたいなこと言うんじゃないでしょうね」
「いや。ただ、君の試験は他の三人とは全く別のモノとなるだけだ」




