205/開戦
「―――――!」
咆哮と共に疾走する背中を追いかける。
疾い。トップスピードに乗ったニールの速度は、連合軍の中でもトップクラスだろう。
(しかし……やっぱり、ああいう風に大見得を切らせると様になるな、ニールは)
ビリビリと体を震わせるニールの咆哮に身を委ねながら、カルナは微かに目を細めた。
魔法使いという身分で言うには珍妙な比喩ではあるが、剣には、そしてそれを使いこなす剣士は魔法のようだと思うのだ。
それは現実に影響を与える類のモノではなく、心に、精神に影響を与えるモノ。
即ち勇気ある者であり、勇気を与える者――勇者という名の魔法である。
強敵に恐れず立ち向かう姿。
それに勝利という名の信頼と仲間との絆を築いた結果、ただの無鉄砲な愚者を勇気ある若者に変える。ニールの本質は全く持って変わっていないが、彼を見る者はそう思うのだ。
(ま――ニールの場合、勇気というより蛮勇とか考えなしって方が正しいと思うけど)
だが、本人が実際そうであるか否かは関係ないのだ。
要は、他者の瞳にどう映るかということ。ゲイリーが言ったように、勇者とは自称ではなく他称によって生まれる存在なのだから。
ニールの叫びを追従するように、騎士や兵士、冒険者たちの叫びが湧き上がった。
ニール・グラジオラスが勝利を運ぶ勇者であると信じている者は、多く見積もっても半分行くか行かないかくらいだろうが――それでも心から信じているとでも言うように雄叫びを上げている。
なにせこちらは囮なのだ。
ニールという存在を現地人最強の戦闘集団である騎士団が信じているように見せることで、自分たちこそ本命であると転移者たちにアピールすることが出来るのだから。
――そして、その信じられる者の中に、カルナは居ない。
分かっている、ニールの方が神輿として祭り上げやすいだけ。自分と彼の間にそこまで大きな差はない。
後方から魔法を唱えて戦うカルナより、前衛で転生者と真っ向から斬り合うニールの方が転移者たちにとって印象に残りやすい。
二人の職業が逆であったのなら、カルナが先陣を切っていたかもしれない。
「……ま、無い物ねだりをしても仕方ない。仕方ない、けどさ」
魔力を練る。
自分たちの頭上、空高くに巨大な腕を編み上げていく。
色々と理屈は付けたし、納得もしているが――それはそれとして腹が立つことがあるのだ。
「転移者ども。剣も魔法も規格外が無ければ使えない素人如きが、僕を、このカルナ・カンパニュラを『ニール以下』だと侮ったな――?」
正直なところ、カルナは無辜の誰かが虐げられていてもそこまで義憤に駆られるタイプではない。
もちろん、不快には思うし目の前にそんな奴が居れば討伐してやろうとは思うし、目の前で死なれては目覚めが悪い。
だが、言ってしまえばその程度なのだ。見知った誰かならともかく、他人なら見捨ててもあまり心は痛まない。しょせん見知らぬ誰かではないか、と。
だから、レゾン・デイトルという街の構造それ自体――実のところカルナはどうでもいいとさえ思っている。
――ならば、カルナが戦い続けている理由はなんだ?
転移者という強者と真っ向から戦っている理由、それはなんだ?
……悩むまでもない。胸に灯った炎は、昔から一種類のみ。
「ただ魅せつける! 僕の力を、僕の魔法を!」
即ち、カルナ・カンパニュラは凄いのだと、天才なのだと、行動で示したいだけなのだ。
なんとも子供じみた思考だ、これではニールを子供と笑えない。
だが、だからこそこの想いは単純で、誤魔化しが利かず――ゆえに、自分に土をつけた相手から目を逸らすワケにはいかない。
そうとも。
カルナという男は、ただそれだけのために故郷から飛び出し冒険者になったのだから。
「『我が望むは灼熱の焔――」
視線が集う。
カルナの詠唱に転移者たちが警戒の視線を送っていく。
当然だ、カルナとて幹部と戦い勝利してきた冒険者の一人なのだ。警戒されていないはずがない。
普段ならば鉄咆を用いた攻撃と音によって敵を怯ませているのだが――まだ距離が遠い。カルナでは射撃で敵を狙い撃つことは不可能であるし、鉄咆が響かせる轟音も外壁でこちらを見下ろす転移者たちには届かないのだ。
また、左腕の篭手――回路もまだ使えない。
詠唱を用いずに魔法を使えるという強みはあるが、魔力の消費が膨大に過ぎる。まだ戦端が開いたばかりであり、敵の主力すら現れていないのだ。最低でも幹部クラスが出現するまでは温存すべきだろう。
(もちろんその結果、僕は詠唱の妨害を防ぐことは出来なくなる)
既に転移者たちはこちらに右手を向け始めている。魔法スキルによる攻撃で詠唱中の魔法使いを焼き払うつもりだ。
それは統率された軍隊の動きではないものの、カルナの存在に気づいた者は即座に詠唱の妨害の為にスキル――恐らく遠距離攻撃かつ出の早い『ファイアー・ボール』――によって狙いを定めている。
「――その腕で眼前の敵を抱きしめ――」
なるほど、と詠唱を続けながら内心で頷く。
転移者たちの行動が、判断が、カルナが想像していたよりもずっと早い。
王冠が率いていた転移者に比べ連携は拙い、というか皆無に等しいが――一人一人の練度はこちらの方が上のようだ。恐らく、レゾン・デイトルを襲う現地人の集団との戦いに慣れているのだろう。動きに迷いがない。
カルナ一人であれば、仮に鉄咆と回路を使用しても詠唱を阻まれていたかもしれない。
だが――生憎とカルナは一人で戦っているワケではないのだ。
ならば、問題など存在しない。
「おらぁ――吹っ飛べぇ!」
――――轟音。
味方の耳の鼓膜すら破るのではないかという衝撃と共に、巨大な鉄球が宙を駆け抜ける。
デレクたちだ。工房サイカスの面々が、オルシジームで製造した巨竜咆を放ったのだ。
だが、まだ外壁に届く距離ではない。
事実、放物線は転移者にも外壁にも突き刺さることなく地面に落下するルートを描いている。
「さあ、思いっきりやっちまえ!」
だが、それでも視線を集めることが出来る。
攻撃が届くか届かぬか、ほんの僅か考えてしまう。
無論、転移者たちはすぐに無意味な攻撃であると、こちらに届かないと理解することだろう。
だが、それでいい。
完璧な援護だ、とカルナは口元を笑みの形に歪めた。
(僕から、僕の詠唱から、意識を外したな)
爆音、衝撃、そして地面に落下した鉄球。
それらに意識が引っ張られ、カルナから――魔法使いの詠唱から意識を外した。
その隙はどれだけ多く見積もっても秒に届くか届かないか程度。平均的な魔法使いであれば、この程度の隙ではまともに詠唱を完成させることが出来ないだろう。
――だが、このカルナ・カンパニュラはそのような凡庸な魔法使いなどでは断じてない。
そこらの魔法使いなど比べ物にならぬほど詠唱は早い――!
「――永久の眠りへと誘いざなえ!』……さあ、名乗りは譲ってやったんだ――――一番槍はこの僕が頂くよ!」
詠唱の完成と共に魔力で編んだ巨大な腕に精霊たちが集っていく。
轟、と頭上で燃える灼熱の腕、膨大な熱量を有するそれが外壁に向けて直進する。
これが壁に直撃すれば、一撃で破壊することは出来ずとも多大なダメージを与えられるだろう。
「ち――『ファイアー・ボール』!」
「撃ち落としてやる――『ライトニング・ファランクス』!」
しかし、掌を広げて直進する炎の腕を前に、転移者たちは冷静であった。
恐れることも逃げ惑うこともなく、カルナに向けて放とうとしていたスキルを魔法の迎撃に使用する。
燃え盛る火球が巨大な腕に穴を穿ち、飛来する無数の雷槍が掌を切り裂き指を落としていく。
「ま、これで外壁を破壊出来るとは思っていないよ」
ボロボロと崩れていく炎の腕を見つめながら、カルナは笑みを崩さない。
確かに直撃し壁にダメージを与えるのが最良の未来だったが、相手とて考えなしではないのだ。こちらの攻撃を迎え撃つことくらいはするだろう。
ゆえに、壁を直接攻撃する選択肢を脳内から除外し――
「さあ――ゴミ掃除だ」
――狙いを壁の上部に定める。
崩れかかった炎の腕、その掌が外壁の上部に押し当てられ――勢い良く横に滑っていく。
窓枠に積もった埃を払うかのように、外壁上部に陣取った転移者たちを焼き払う――!
「そういうことかよ……!」
「ちい!」
「え、あ――ぁああああああ!?」
「この程度なら、この装備で……!」
それに対する反応は様々であった。
カルナの思惑を素早く理解し外壁から飛び降りる者たち、判断が遅れ焼死していく者たち、そして炎に耐性のある装備を身に纏っているのか防御の構えを取って耐えきる者たち。
「はっ……威力を殺された魔法程度でこのオレが――」
纏わり付いた炎を受け止めきった転移者が、得意気な笑みを浮かべ――すとん、とこめかみに矢が突き立った。
驚きの声も断末魔の叫びすらも吐けず、どこか間の向けた困惑の声を吐き出して絶命する。
「エルフらしく弓は得意な方でね、さすがに動き回る転移者の急所を狙い撃つ程の名手ではないけれど――止まった的くらいなら問題ないさ」
弓を構えたボブカットのブロンド髪のエルフ――ミリアムは得意気な顔で言うと、そのまま流れるような動作で足を止めた転移者たちを狙い撃っていく。
さすがに百発百中とまでは行かないが、しかし一人、また一人と急所を貫き転移者たちを屠っていく。
「糞――だが、こっちなら……!」
数名の転移者が自身に飛来した矢を弾き、外壁からこちらに向けて飛び降りる。
遠距離が駄目ならば接近戦――そう考えたのだろう。確かに、あのまま動きが制限される外壁の上に居たらカルナの魔法かエルフたちの矢、もう少し全体が接近すればドワーフたちの鉄咆によって狙われ続けることになる。
ならば、自由に走り回れる地面に降り立ち魔法使いや弓使いを潰す。
恐らく、そのような目論見を抱きながら彼らは地面に着地し――
「――――鰐尾円斬」
――肉食獣の速度で疾駆する影が、着地した転移者たちの胴を竜巻めいた回転斬撃で両断した。
「はっ! 下の方がマシかと思ったかよ、糞野郎どもが!」
遠心力で鮮血を辺りに撒き散らしながら、ニールは犬歯を見せつけるような獣じみた笑みを浮かべた。
この牙の乾きを癒す獲物はどこなのだ、と。
一人でも多く食い殺してやろう、と。
そんな攻撃的な表情を浮かべ、ニールは吠えた。威圧するように、そして挑発するように。
そう、俺はここに居る、ニール・グラジオラスという剣士はここに居るぞとレゾン・デイトルの内側まで響く大音声で叫ぶのだ。
「幹部殺しの剣士……!? だが、お前を殺せば――」
大勢の幹部を斬り殺してきた英雄、それを殺せば連合軍の戦意は萎える、と。転移者たちはニールを取り囲むように動き始める。
その選択それ自体は間違っていない。ニールの雄叫びが味方の心を奮い立たせているのは事実であり、殺してしまえば連合軍全体の勢い鈍る。なるほど、道理だ。
だが、しかし。
彼らが見誤っていることが一つあった。
「おっと、ボクらも居ることを忘れてもらっては困るな」
ニールに意識を集中させた転移者が、背後からの斬撃によって両断される。
白銀の豪奢な鎧に同じ意匠の兜を身に着けた巨漢の騎士――ゲイリーはその体の大きさに似合わぬ速度と見合った腕力、そして騎士団長に相応しい技量を以て規格外によって強化された肉体を容易く切り裂いていく。
それに続けとばかりに他の騎士たちが前進し、降り立った転移者たちと交戦に移る。
――そう、転移者が見誤っていることはニールの実力だ。
ニール・グラジオラスという剣士は確かに功績を上げている。この連合軍の中で一番強敵と相対し、勝利を掴み取ってきた。
だが、それは決して連合軍の中でニールという剣士が最強だというワケではない。
(……ああ、なるほど。確かにニールが恥ずかしいって言っていた気持ちも分かる)
剣に関してはほとんど素人だが、長い時間ニールと一緒に戦ってきたのだ、魔法使いであるカルナでも理解出来る。
ニールの剣は、騎士たちに遠く及ばない。
確かに一部の動き、一部の技でなら上回ることが出来るだろう。だが、それだけだ。総合力では騎士団長どころか普通の騎士にすら劣っている。
だが、転移者たちはそれに気づけない。
規格外に頼り切った結果、彼ら自身の技や相手の技量を見抜く観察眼が育っていないのだ。
「じょ、冗談じゃ――なんで木っ端のモブがこんなに強いんだよ!?」
「おかしいじゃねえか……だって、最初に攻め込んだ騎士連中は、簡単に殺せたってのに」
だから、騎士たちと戦う彼らはなぜ自分たちが押されているのか理解出来ない。
転移者が弱くなったワケではない、規格外によって強化された体は巨大な剣を枯れ枝の如く振り回せるし、スキルだって放つことが出来る。何も変わっていない。
――変わったのは現地人側だ。
別段、特別なパワーアップがあったワケではない。
大陸の危機に神様から力を賜ったワケでも、特別な血筋に封じられた力が覚醒したワケでもない。
ただただ単純に――学んだだけ。
転移者のスキルはどのような動きで迫ってくるのか? 転移者の防御を貫くにはどれだけの力が必要か? どのように戦えば、効率よく転移者を屠れるのか?
そのように、異世界から来た人間と戦うという意識ではなく、転移者という人の姿をしたモンスターを討伐するための知識を蓄えた結果がこの状況だ。
「そうか――そこの君」
「なっ、なっ――」
ゆえに、それを理解出来ぬ彼らから見て――あのゲイリーは相当に恐ろしく見えるのだろう。
白銀の前進甲冑を返り血で赤く汚し、けれども彼自身には傷らしい傷が見受けられないその姿が。
なまじ綺羅びやかな白銀であるから返り血の汚れが目立つのだ。その姿は剣を以って相手を切り裂いたのだと、言葉よりも雄弁に敵に語りかけている。
「ボクの部下を殺したのは、君か」
低い声音で、告げる。
見つけたぞ、見つけたぞ、貴様こそが我が怨敵なりと。
無論、演技だろう。怒りや憎しみがないワケではないだろうが、しかしそれに振り回される人物ではない。
だが、その演技は確かに相手に恐怖を植え付け――視線を集める。
「さて……連中の意識は全てあちらに向いたね」
ゆえに、後衛が戦いやすくなるのだ。
魔導書のページを捲りながらカルナは微笑む。
回路を温存している現状、敵の敵意がこちらに集中するのはまずい。さすがに遠距離からスキルを雨あられと打ち込まれたらカルナでは回避も防御も不可能だ。
無論、騎士たちが守ってはくれるだろうが全てを防ぎきれるとは思えないし、そもそも彼らは前衛で剣を振るった方が敵に損害を与えられる。
「『我が望むは、鳴り響く雷光――」
詠唱し、魔力を編みながら、カルナは視線を上に向ける。
外壁の上には、既に新手の転位者が現れていた。遠距離からスキルを放つ者たち、投げナイフなどを転位者の腕力で投擲する者たち、そして壁上から飛び降りニールの首を狙う者たちが続々と出現している。
(最後の連中はニールや騎士たちに任せていいだろう)
剣の間合いで戦われると、こちらも援護がしにくい。大規模な魔法を放てば味方を巻き込みかねないからだ。弓のように魔法で狙い撃つことも出来なくはないが、それは魔法の本領ではない。
カルナが、魔法使いが今すべきことは、多数の敵の無力化、そして遠距離攻撃を行う者を沈黙させること。
「――雷鳴よりも疾く駆け抜け、我が敵を穿て』!」
音を置き去りにした閃光が壁上に叩きつけられた。
轟音が鳴り響き、外壁の一部が砕かれ地面へと落下していく。
直撃した転移者を焼き尽くし、周囲に居た者たちすらも電熱で焼き焦がしていく。
無論、転移者の体は規格外によって守られている。熱でダメージを与えることは出来ても、雷で体を麻痺させることは叶わない。
(けど、雷は派手だ。音も、光も)
炎のように広範囲を一気に殲滅するには向いていないが、直撃した場所のダメージは大きいし、何より目立つ。
カルナの雷の範囲外であった転移者たちの視線がこちらに吸い寄せられる。
「――やっぱり、君たちは対等な相手との戦いに慣れてないね」
集う敵意と殺意の視線に欠片もひるむことなく、カルナは笑みを浮かべた。
ああ、なんて間抜け――と。
「ま、それだけ優れた力があるんだ。戦術、戦略、技術、知識、それらを鍛えなくても簡単に勝利が出来たことだろう」
今この瞬間だって、スペックという意味では現地人は誰も転移者を上回れていない。
現地人のどんな力自慢でも、俊足自慢であっても、転移者の素のスペックで敗北してしまう。ほんの少し体の動かし方を学べば差は更に広がっていく。
ああ、赤子の手を捻るように容易かったはずだ。現地人に勝利するということは、己の勝利に酔いしれるのは。
カルナは、ふっ、と小さな笑い声を漏らした。
「――君たち、僕ばかり見ていて良いのかい?」
――何かを蹴り飛ばす音が鳴った。
カルナが雷を落とした外壁の下。壁上部分が砕かれ、瓦礫が落下している場所から響いている。
だが、転移者たちはそれに気づくことはない。
いいや、音の異変に気付いているかもしれないが、瑣末なことだと思考の外へと追いやったのかもしれなかった。
前者はともかく、後者であればカルナは転移者を嗤うつもりはない。当然の思考だろうと思う。
なにせ――
「人心獣化流――跳兎斬」
――崩落する瓦礫と壁を足場にして、壁上まで駆け上がってくる馬鹿かいるなど、普通は考えないだろうから。
瞬間、跳び上がるような斬撃がカルナに狙いをつけていた転移者の首を斬り飛ばした。宙を舞う頭部と血液と共に、ニールは剣を構えながら落下する。
着地地点には――転移者が一人。
「からの――破城熊ァ!」
脳天に柄頭を叩き込み、内部に浸透した衝撃によって頭部が破裂するように砕け散る。
びしゃり、と全身に返り血を浴びたニールは、着地しながら剣を薙いで思考の止まっている転移者の胴を切り開いた。
「こ、これが――幹部殺しの……」
斬り殺される仲間を見つめながら、壁上の転移者たちはじりじりと後ろに下がる。
それはニールに対する恐怖からの行動であり、しかしどこか対岸の火事であるという安堵からの行動であった。
だって、本当に恐れているのならば。
本当に危機感を抱いているのなら、即座に壁上から飛び降る。ニールがどれだけ身軽でバランス感覚が良かったとしても、瓦礫を蹴って壁を駆け上がれることが出来たとしても、空気を蹴って追撃することは出来ないのだから。
(馬鹿め)
ゆえに――その距離は、地続きの空間は、まだニールの間合いだ。
本当に、心の底から恐れているのなら、転移者の身体能力に任せて壁上から飛び降りるべきであった。
そうすれば、ニールは追撃することは出来ない。
確かにニールは身軽な剣士であるが――空気を蹴ることが出来ない以上、足場のない場所へ跳ぶ敵を追うのはリスクが高すぎる。逃げる転移者がニールをどうにか出来なくても、他のレゾン・デイトルの転位者は深追いする彼を魔法スキルで迎え撃つことが出来るのだから。
ゆえに。
多少距離が離れていようと、地続きであり、追撃も回避も自由な空間であれば――
「逃がすか間抜けが――餓狼喰らいぃっ!」
――ニールは剣を振るい、敵を屠ることが出来る。
前傾姿勢で疾走したニールは、即座にトップスピードに乗り転移者たちへと間合いを詰めていく。
「あ、え――」
転移者の全速力に比べれば遅い、けれど現地人だと考えれば速すぎる疾走を前に目の前の転移者は一瞬だけ思考を停止し――それが致命的な隙となった。
肉を断ち骨を両断する硬質な、けれどどこか水っぽい音が鳴り響いた。
鮮血を纏いし飢えた狼は生き残った転移者たちに、犬歯を晒す剣呑な笑みを見せた後に跳躍。壁を滑り降りるようにして勢いを殺しながら、転移者たちから逃走する。
当然だ。
転移者たちが冷静になり、数の力に訴えれば敗北するのは間違いなくニールなのだから。
動ける場所が限られる壁上ではニールの機動力を活かしきれない。調子に乗って深追いをすれば転移者たちのスキルで蹂躙されてしまう。
「……ッ、糞が、現地人が舐めやがって――『ライトニング・ファランクス』! 焼き貫かれやがれぇ――!」
スキルの発声によって生み出された無数の雷槍が撃ち放たれる。
壁スレスレを飛翔し、外壁の表面を熱で黒く焦がしながら疾駆するそれを前に、ニールは剣呑な笑みを崩すことなく叫ぶ。
「うるせえ糞野郎が! そっちこそこっちを舐めてんじゃねえ――よ!」
雷槍をギリギリまで引き寄せ――壁を蹴り飛ばす。
ニールを刺し貫こうとしていた雷槍たちは、高速ゆえに曲がりきれず地面に突き刺さり閃光を撒き散らしながら破裂していく。
その光で転移者たちの視界が僅かに奪われている隙に、ニールはまた駆け出す。あれだけ分かりやすい場所で転移者を複数斬り殺したのだ、彼らの警戒の大部分はニールに向く。
「よし――このまま門を破壊して内部に攻め入ろう」
ゆえに、現地人最強戦力である騎士団がある程度自由に動けるようになるのだ。ゲイリーを含む一部の騎士たちが門へと駆け抜けていくが、ニールと比べれば注目されていない。
転移者たちがニールを警戒するのと反比例するように、騎士たちの警戒は疎かになっているのだ。
それは、それはある意味では当然の理屈。
獣じみた咆哮を上げながら派手な技で敵を斬り殺していくニールという剣士、その驚異は素人でも分かりやすい。大きな声を聞いて怯むのは生物として当然の理屈であるし、駆け回り跳び回るニールの剣は遠目でも目立つ。
対し、騎士たちの戦い方は地味だ。
実力はニールよりも上で、転移者も的確に倒している。だが、必要以上に声を荒げることもなく、剣術は綺麗ではあるがニールのような派手さはない。
ゆえに、素人が遠目で見るだけでは、騎士の強さがあまり伝わっていないのだろう。
(……そして、一度騎士を撃退したという事実もその誤解を加速させている)
まだ転移者という存在を、そしてスキルの対処を理解出来ていなかった時期に、騎士たちは一度敗北している。
その事実が、成功体験が、彼らの目を曇らせているのだ。
「ちぃ――おい、もっと門を守れ! さすがにここ抜かれたらまずいぞ!」
無論、現状を正しく認識している転移者も存在する。
戦いの趨勢を理解し、相手の実力を正しく理解し、だからこそマズイということも当然理解出来ていた。
「うるせえ、そんな雑魚どもの相手してる暇あるか!」
「ははは――幹部殺しだ、幹部殺しだ! あいつを殺せば――」
「ごちゃごちゃうるせえぞ雑魚ども! レゾン・デイトルなんぞどうでもいい……王に気に入られて、規格外を永遠にするのは、この俺だぁ――!」
だが、彼らは統率された兵士ではなく、好き勝手に戦う存在だ。
戦いの趨勢を全く理解できていない者、
ニールという手柄首を前に興奮しそれどころではない者、
全てを理解しつつ、けれど手助けするつもりのない者、
彼らの叫びで常識的な援護要請はかき消されてしまう。
(……どれだけ強くても烏合の衆、か)
だからこそ御しやすいと思い、そして心から思う――あそこで王冠を倒せたのは幸運だったと。
彼とてレゾン・デイトルの転移者全てを率いることは出来ないだろうが、統率された軍勢が存在するだけで今よりずっと責め辛かったはずだ。
(それでも油断は出来ないけど、ね)
魔導書のページを捲りながら思考する。
現状、戦っている転移者は連合軍の姿を確認してすぐに出陣できた者――レゾン・デイトルの下級宿舎に泊まっている者たちだ。ランク付けをするなら下位の連中である。
だからこそ、次第に敵は強くなっていくはず。先程のように簡単に蹴散らすことは出来ないだろう。
だが、それでも。
「油断さえしなければ――このままなら、十分押し切れる」
確かにこれからもっと強い転移者が集まってくるだろう。
だが、転移者は規格外という優れた力があるからこそ、戦闘で使える選択肢は実の所少ないのだ。剣術スキルを使うためには武器は剣でなければならないし、魔法スキルも詠唱要らずという長所はあるが数は種類は多くない。
簡単な格闘術や投擲の練習をしている者は居るようだが、それを一線級まで鍛え上げているワケではない。あくまで他の転移者との差別化、転移者同士の諍いの時に有利に立ち回れる程度の技術しか修めていないように見える。
(当然だ。モンスターや現地人を倒すだけだったら、スキルを使っていれば良かったんだから――今までは)
だが、連合軍の多くの皆が転移者と戦い、スキルを観察し、見切った今――スキルは転移者を必ず殺せる技ではなくなった。
多少上手くスキルを使ったところで、大本の動きを理解している以上、見切ることは可能だ。簡単とまでは言わないが、決して不可能ではないだろう。
無論、まだ幹部も王も戦っていない。
他の転移者たちも、幹部のように独特な形でスキルを使ってくるかもしれない。
だが、王も崩落も王冠のように味方を率いるタイプではないらしい。ならば、
有象無象の転移者を倒し、無二を数の暴力で潰し、可能なら崩落という少女を救う。
それらはきっと、難しいことではない――カルナはそう信じながら詠唱を開始した。




