204/先を駆ける者
連翹が帰還してから一日が経過した。未だ薄暗く、けれど微かに白ずんでいく空を見上げながらニールは苛立たしげに顔を歪める。
船の確保、侵入ルートの決定、装備の点検――それらはようやく全て終わり、後はレゾン・デイトルへ向かうのみ。
現在地と目的地の距離、そして皆で移動する速度を考えると、到着するのは今日の昼頃だろうか。そう考えると、ニールはどうも気持ちが急いてしまう。
たった一日、されど一日だ。
内部に残っているノーラのことを考えると、何をちんたらしているのか、と思ってしまう。
(……馬鹿が、落ち着けよ)
集団で行動するということは身軽さを失うということ。どれだけ急いでも、人数が多くなればなるほど動きは鈍くなるのだ。
一人なら荷物を背負って駆け出せば済むことが、数十、数百、数千と増えていけば行くほどやるべきことが増えてくる。
それは集団に属することのリスクであり――けれど、同時に大きなリターンを得るための準備であった。
少人数で突っ込めば確かに準備はほとんど必要ない、けれどそれで得られる戦力は人数相応のモノでしかない。そして、その程度の戦力で勝利できるほど転移者は甘くはないだろう。
早る気持ちを押さえつけるべく、ニールは大きく深呼吸をした。
自分一人が焦ったところでどうにもならない――というか、先走って一人で突っ込んでも袋叩きにされて死ぬ。ニ、三人くらい転移者を斬り殺せるだろうが、それだけだ。
必要であれば敵陣に単騎特攻するのもやぶさかではないが、無意味なそれはただの自殺だろう。
早る気持ちと、それと同じくらいに決戦を前に心が高揚するのを感じる。冷静に、とは思っているが中々思考は冷えてくれない。
「どうしたのよニール、緊張してるの? らしくなさ過ぎて笑えてくるんだけど。プークスクス! 片腹の痛みはメイン盾でも防げないんだけど!」
そんな中、いつも通り過ぎる程にいつも通りな声が響いてきた。
振り向くと、連翹が片手を挙げて笑いかけてくる。そろそろ他の奇襲部隊と合流するのか武装を終えているようだ。
パッと見る限り、連翹はいつも通りだ。その背後を通り過ぎる連合軍の仲間が、苦笑と安堵が混ざったような笑みを浮かべて作業に戻っていくのが見える。
だが、ニールは今ここにいるメンツの中では一番付き合いが長いのだ。目の前の女が緊張しているか否かくらい察せられる。
(こいつだってノーラ残してきたワケだからな)
緊張や不安を抱かぬワケがないのだ。
だが、それでも上っ面を取り繕ってみせている。
それは周りに不安を抱かせぬためであり、そして自分自身が平気な自分を演じてそれを本当にするためだ。
「緊張はしてねえよ、楽しみで楽しみで仕方ねえだけだ。ま、お前の場合、緊張も興奮も無縁みてぇだがな」
だから、気づかなかったフリをしてこちらもいつも通りに接する。
取り繕え無い程に緊張しているようなら優しい言葉の一つくらいかけてやっても良かったが――この様子なら必要あるまい。覚悟に水を差すだけだ。
「なにそれ遠足前の小学生かって顔になるわ。あたしは……まあ一度潜入してるから。ナイトでありサポシな黄金鉄塊の騎士的に考えてこの程度で緊張する可能性は最初からゼロパーセントだったわ!」
「ナイトは分かるがサポシってなんだよ」
「サポートジョブがシーフってことよ、常識よ常識。連中なんて不意騙で真正面からバラバラに引き裂いてやるわ」
「知らねえよサポートジョブってどういう概念だ、つーかそもそも真っ向からするのは不意打ちでも騙しうちでもねえし」
「なによ、細かいこと気にしてると禿げるわよ。というか現在進行形で禿はじめてない?」
そう言ってころころと笑う連翹を見て、ニールは「禿てねえよ」と言って大きく息を吐いた。
どこまで緊張を隠す演技で、どこまで素なのやら。
(いや、違うか)
人間の感情など、どちらか片方に振り切っていることの方が稀だ。
もし人間の多くが一つの感情のみで言動を決定しているのだとしたら、ニールと連翹は今のような関係になっていない。きっと出会い頭に斬りかかるか、言い慣れていない口説き文句を捧げているか、その二択だったろう。人間の感情は矛盾を孕みながら混ざり合うモノなのだ。
連翹もまた、緊張の中で普段通りであろうとし、結果素の言葉が出ているのだと思う。緊張をほぐし、自分がすべきことを成すために。
ニールは一人頷くと、連翹に歩み寄り――にっ、と野性味に溢れた笑みを浮かべた。
「ま、その調子なら問題ねえようだな――そっちは任せたぞ、連翹」
その言葉に、少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべた連翹は、しかしすぐに表情を引き締め勝ち気に微笑んだ。
「当然よ、むしろそっちが頑張りなさいよ。ちゃんと戦ってくれないとこっちだって奇襲出来ないんだから」
「言われるまでもねえよ、派手に暴れてやっから安心しろ」
イカロスの柄を掌で叩きながら頷く。
確かにニール・グラジオラスという剣士はまだまだ未熟だ。
けれど、己を支える人々や未熟な剣技を支えてくれる意思持つ霊樹の剣という存在が、ニールをここまで運んできた。
それは、連翹が語ったイカロスの伝承のように。空へ空へ、高く高くとここまで羽ばたいて来た。
だが、伝承のように墜落するつもりなど欠片もない。あんな連中で溶け落ちるような絆ではないと心から信じているのだから。
「そっか――頼りにしてるわよ、ニール」
そう言って、連翹は背を向けた。
そして、一言。
「……ありがと」
小さく呟いて、そのまま駆け出した。
なんのことだ、と遠ざかっていく背中を見つめ――ようやく気づく。
(……ま、そりゃそうか)
簡単な話である。
ニールが連翹の緊張を察したように、連翹もまたニールが察したのに黙っていてくれたことを察しているのだ。
やらかしたな、と想いと同時に喜びと気恥ずかしさが胸から溢れてくる。
あの時――二年前、路傍の石か何かを見るような目で見られ、名前すら覚えられていなかった自分。それが、今や互いに互いを理解し合えている。
だから、嬉しい。あの時に綺麗と思った少女と、こうして一緒にいることが。
だから、気恥ずかしい。こんな少女向け恋愛物語めいた感情、全く持って似合うナリをしていないというのに。
「別れは済ませたようだね」
いつからこちらの様子を伺っていたのだろうか、カルナが茶化すように言った。
特別恥ずかしいことを話していたワケではないのだが、それでも少し恥ずかしい。
「別れなんかじゃねえよ、どうせすぐにまた会う」
「ああ、確かに。それもそうだ」
――若干照れ隠しの入った物言いだったが、カルナも異論はないのか大きく頷いた。その仕草がなんとも余裕に満ち満ちていて腹が立つ。
ニールが連翹に対する気持ちに気づいた辺りからその傾向は顕著だ。先輩風を吹かしやがって、そんな経験に差があるワケでもないだろうと思う。
「さあ、行こう。僕らも出立だ」
そんなニールの苛立ちに気づいているのか居ないか――恐らく後者だろうとは思うが――カルナは己の背後を指で指し示した。ニールたちは今回先頭付近に行かねばならないので、普段よりも早めに準備しなくてはならない。
分かったよ、そう頷いてニールは頭上を見上げた。
冬の空は未だ暗く、けれどじきに明るくなることだろう。
時間が来れば日が昇り朝が来るという当然の理屈ではあるが、しかしニールはらしくもなく詩的な感傷を抱いていた。
「連中が暗闇なら、俺らがそれを照らす太陽。なら、夜明けってのは縁起が良いって思わねえか?」
「僕らが太陽でいいのかい? 君の愛剣にとって縁起の悪い喩えだと思うけれど」
「馬鹿言うな、俺もこいつも、その程度で溶けちまうほど軟弱じゃねえよ」
無論、いずれ才能の限界に直面するだろうとは思う。
必死に高みを目指しても、これ以上羽ばたくことを許さぬと背中の翼を溶かされる日がくるはずだ。
だがしかし、それは今ではない。
そう信じて、ニールは動き出した。
◇
道中、ほとんど会話は存在しなかった。
私語を咎められているワケではない。警戒を疎かにするほど会話に夢中になるのは論外だが、そうでなければ仲間同士の交流は認められている。
それでも、今回会話らしい会話がないのは、やはり皆どこか緊張しているからだろう。見るからに普段と違うという者は居ないが、しかし普段より口数が少なかったり、歩きながら武器の柄を弄ったりとしている者が多い。
「見えてきた」
ゆえに、先頭で足を止めたゲイリーの声は普段よりも明瞭に響いた。
視線の先には海岸線が見える。海の碧と空の蒼による美しいコントラストの中、巨大な異物があった。
それは物々しい外壁だ。街に繋がる複数の街道を強引に断ち切るように設置された壁は、唯一正面の入り口にだけ門が設置されている。他者の侵入を防ぐために、また中の現地人を逃さぬように、出入り口は少ない方が良いのだろう。
そこは転移者の国レゾン・デイトル――かつて港街ナルシスと呼ばれていた街だ。
ニールたちがレゾン・デイトルを視認してからしばし遅れて、街から鐘を打ち鳴らす音が鳴り響いた。
それは危機を知らせる合図。敵が来たぞ、敵が来たぞと叫んでいる。
当然だ。こんな大人数、隠しきれるモノでもないし――何より隠すつもりもない。
自分たちは囮だ、目立たねば話にならないだろう。
「あそこは――」
戦兜で顔を覆ったゲイリーが小さく、しかしよく通る声で呟いた。
「――開放的な街だったよ。漁業が盛んで、東部の港町ほどではないけれど多くの海洋冒険者が新大陸を探すためにあの街を拠点にしていた。魚を仕入れに来る魔法使い連れの行商人が沢山訪れていたし、広場ではブバルディアほどではないが様々な露店で賑わっていたよ。随分と様変わりしてしまったようだけど、ね」
兜で隠れ表情は伺えないものの、漏れ出す声音は寂しげな響きで耳に届いた。
ニールはナルシスを訪れたことはない。西部の中でも西端に位置する以上、北部の女王都や東部のナルキを拠点にしていたニールが訪れる理由がなかったから。
けれど、だからこそ変わってしまったのだということが理解できた。
なぜなら、視線の先にある街とゲイリーの言葉を結び付けるのが不可能であったから。ニールの目には転移者たちの根城にしか見えず、かつての面影など欠片も察することが出来ない。
「――行こう。ニール君たちは、ボクと共に前に」
言葉少なに告げると、ゲイリーはゆっくりと、見せつけるように前進する。
そうだ、敵が来たぞ、と。
お前たちを滅ぼす者が現れたぞ、と。
「……僕らも行こう」
「ああ」
カルナの言葉に頷き、ゲイリーの隣まで駆ける。
すると、外壁の上でニールを指差す転移者の姿が見えた。なにかを叫んでいるようだが、まだこちらまで声は届かない。
だが、彼らの言葉はおおよそ理解出来る。読唇術が使えるワケではないが、前にゲイリーに指摘されたことを鑑みればすぐに理解出来た。
即ち――ニール・グラジオラスが居たぞ、と。
あれが連合軍で幹部を屠ってきた剣士だ、と。
あれが連合軍最強の存在なのだろう、と。
あいつが一番厄介だ、と。
その様を見て、カルナがおどけたように笑う。
「随分と人気者のようだね、ニール。手でも振ってやったらどうだい?」
「アホ抜かせ……けど、見る目がねえな、あの野郎ども」
名前は知られていないかもしれないが、しかし彼らがニールの姿を認め警戒していることは事実であるようだった。
連合軍に所属する剣士であり、多くの幹部を屠った実力者。
臆病者からすれば自分たちを滅ぼす殺戮者であり、功名心が強い者からすれば輝く宝石よりもなお価値の高い首級だ。
なんとも高く見積もられたモノだ、と内心で呆れてしまう。
ニール・グラジオラスという剣士が弱いなどとは言わないが、しかし頂点に近いなどとは口が裂けても言えない。騎士団の面々と一人一人勝負した場合、どれだけ運が巡ってきても一、二回勝利を掴めるかどうかといった程度。ニールなどより強い剣士など、この大陸にはごまんと存在する。
だが、そんな自分であっても期待されているというのなら、全力でこの剣を振るうのみだ。囮としてせいぜい派手に見せつけてやろう。
だが、それでも――
「不安かい? ニール君」
胸の中で渦巻く形容し難い感情はなんなのかと思った矢先、ゲイリーが問いかけた。
顔こそ兜で隠れているものの声音は優しげで、子を気遣う親のような響きでニールの心に届く。
(しっかし、不安? 不安、不安か……)
少しだけ悩み、否、と思う。不安はない。むしろ楽しみですらある。
宿敵を前に名乗りを上げて先陣を切る――剣士としてこれ以上ないほどの誉だろう。むしろ、体が疼いて困るくらいだ。
ゆえに、不安など存在しない。
存在するのは――ああ。
「不安ってワケじゃねえが……ただ、他のメンツ差し置いて重要視されるほどの剣士じゃねえからよ。なんつーか、恥ずかしい」
大きな戦いで先陣を切る。
確かにそれは誉れだ。剣を握ったばかりの頃など、よくそんな空想をしていた気がする。
だが、ニールは自分がそれに相応しい人間ではないということも承知しているのだ。だって力が足りない、技術が足りない、経験が足りない、ニール・グラジオラスという剣士はまだまだ未熟過ぎる。
だというのに、ニールはそれをやろうとしている。
正直、皆の前でごっこ遊びをしているような感覚で、恥ずかしい。
「恥ずかしがる必要はないよ。君はそれだけの功績を上げている。そしてそれは、実力と同じくらい重要なものなんだ」
足を止めることなく、視線をレゾン・デイトルから外すことなく、ゲイリーは語る。
「確かに君は騎士に比べれば弱いさ、それを否定するつもりはない。だけど、重要なのは行動を起こし、結果を出したことさ」
確かに、ニール・グラジオラスは剣士として最上位の存在ではないのだと。
騎士には劣るし、才能と経験を兼ね備えた冒険者の剣士にだってきっと劣っているだろう。
「だが、君は行動した。まだスキルがどういうモノで、転移者をどうすれば倒せるのかも分かっていない時に、自身を鍛え、勝利する手段を模索し、そしてそれを実行した」
どれだけ力があろうとも、
どれだけの知識を有していようとも、
行動を起こさなければ評価はされないのだ。
それは当たり前の理屈。
そう、ニールがやったことは何も特別なことではない。
転移者と戦い、勝利する――戦う者なら誰しもが考える空想を、想いを、曲げることなく続けてきただけだ。
「無論、君以外にも転移者と戦うために鍛えている者は居るだろう。スキルを解析し勝利するために頭を働かせている者だって居るはずだ。その中には、きっとニール君よりも才能も実力も経験もある者がいるだろう。もっとも、その者たちはまだ動き出していないか、どこかで失敗して人知れず転移者に倒されているのだろうけどね」
無謀にならぬように力と知識を蓄え、その上で勇気を持って前に踏み出すことが重要なんだ――ゲイリーは剣を抜きながら言う。
そうだ、ニールは鍛錬し、カルナと共に相手を分析し、その上で必ず勝てるか分からない敵に挑む決意をした。
それはきっと特別なことではない。
誰にだって出来たとまでは言わないが、己を真剣に磨いてきた者であれば可能だったはずなのだ。
(今思えば、あいつらだって対抗できたはずだ)
拠点としていた港街を、そこに居る冒険者の友人を思い出す。
転移者と戦うなどという冒険は出来ない――そう言って別れた二人だって、転移者と戦える下地はあったのだ。
ヌイーオなら、その化け物じみた筋力で転移者の防御を貫くことも難しくはなかっただろう。
ヤルなら、その鋭い五感で転移者たちを翻弄することだって出来たはずだ。
彼らだけではない。
勇気がなくて踏み出せなかった者、まだ自身の力や知識に自信を持てず今回の戦いを見送った者たちだって、転移者に対抗出来る者たちはきっと居た。
そんな彼らとニールの差は、実力という面ではほとんどない。むしろ、踏みとどまった者の方が優れている可能性すらある。
「けれど、君は前へと踏み出し結果を出した。無論、口さがない者はしたり顔で言うだろう。君よりもっと強い者はいる、君より素晴らしい手段を考えていた者がいる、君はたまたまチャンスをモノにしただけだとね」
事実、ある程度はその通りなのだろうと思う。
ニール・グラジオラスという剣士をそっくりそのまま別の誰かに置き換えても、きっと幹部と戦うことは出来た、勝利することが出来たのだ。
「だが、それは後出しの理屈さ。先駆者とは未知の領域を歩む者。古き時代の冒険者が未開拓の土地やダンジョンを走破するように、誰も成し得なかったことをやり遂げた者のことなんだ。結果だけを見て自分にも出来た、などと言うのは愚者の戯言さ」
言うなれば、それは外洋に挑む海洋冒険者の如く。
新大陸を見つけるまでの間に、どれだけの食料が、水が必要なのか。船の強度は? 海には何か恐ろしい化物が存在するのではないか? いいやそもそも、新大陸とやらは本当に存在するのか?
様々な不安を抱きながら準備に準備を重ね、彼らは旅立っていく。ニールもまた、同じなのだ。未知の外洋に挑み、新大陸を発見したのだ。
結果だけを見て自分にも出来たと吠えるのは、負け犬以下の惨めな所業だ。なにせ、彼らは戦ってすらいない――即ち、敗北という結果すら有していない傍観者なのだから。
そんな者たちの心情を慮ってやる必要など、先駆者には必要ない。
「だから――胸を張るといい、ニール・グラジオラス。君は確かに勇気と力を以て困難を成し遂げて来たのだから。これからすることだって、それと大差はないさ。君がやりたいように叫び、剣を振るうと良い」
それが、先駆者の権利さ、と。
その言葉で思い出したのは、魔王を屠った勇者リディア・アルストロメリアの名であった。
彼女の仲間たちは才気に満ち溢れていたとされているが、しかし彼女自身は凡庸な女性だったとされている。
剣が得意だったワケでも、魔法が得意だったワケでもない、強いて言えば多少体が丈夫だったくらいか。
そんな彼女が今も勇者と語り継がれている理由はただ一つ、勇気を以て踏み出した者であるから。前を見据え、歩み、仲間と共に困難に挑み勝利したからだ。
「さあ――若き勇者よ、高らかに吠えると良い! 誰にもその権利を咎めることなど出来ないのだから!」
そう、勇者とは実力で名乗るモノではなく、ましてや自称するモノでもない。
戦う姿を見た誰かが、その戦果を知った何者かが、その人物の名を称えるための言葉が勇者なのだ。
「……分かった、思いっきりブチ上げてくる」
前に出る。
ゲイリーよりも前に、自身こそがこの集団の実力者だとでも言うように。
「……ああ、少し羨ましいな。全く、年甲斐もないことだ」
ニールの背後で、微かな独り言が響いた。
平和な時代に存在する戦いの天才は歴史に残りづらい。どれだけ剣士として完成していても、どれだけ用兵に長けていても、それを振るう場が少なすぎるから。
きっと、ゲイリーはそういう人間なのだろうと思う。
彼がもっと若い頃にレゾン・デイトルが存在していたら、もっと言えば人間がまだ魔族と争い続けていたら、彼はきっと知らぬ者の居ない大英雄となっていたはずだ。
だが、しょせんそれはIFの話。彼は今、物語の英雄が如く戦うためにここに居るのではなく、率いる者としてここにいるのだから。
それに今、仮にゲイリーがニールのように先陣を切ったとしても意味がない。
現地人最強の戦闘集団である騎士団、そのトップである騎士が実力を示した、ただそれだけだ。当たり前の事実として受け入れられるだけだ、味方にも、敵にも。
「騎士団長様もああ言っていることだ――さあ、囮役としての責務を全うしようじゃないか」
ニールの少し後ろで、カルナが魔導書を開く。
いつでも行けるよ、と。
サポートはしてやるから好きなようにやれ、と。
カルナが言いそうな言葉が伝わってくる。
ニールは大きく頷き――剣を鞘走らせた。シャン、という硬質の音が周囲に響き渡る。
「人心獣化流剣士ニール・グラジオラス――そして、我が剣イカロス!」
剣を高く掲げ、宣言する。
己の名を、剣の銘を。
自分だけではここに来られなかった、けれど囮として名乗りを上げているのに他者の名を出すのは不適切。
ゆえに、ここまで自分を運んでくれた剣を――届かぬ空に手を届かせてくれた蝋翼の名を叫ぶ。
「それが、テメェらを斬り殺す男と剣の名だ! 心に刻んで逝きやがれ糞野郎どもが――ッ!」
吠える。
それは月夜に咆哮する狼の如く。高らかに、誇り高く。
大仰な宣言だ。
多くの実力者が所属する連合軍の中で、ニール・グラジオラス程度の剣士が叫ぶには恥ずかしすぎる言葉である。
ああ、そんなこと、ニール自身が一番よく理解している。
(だが――それがどうしたッ!)
この大舞台で奮い立てなくて何が剣士だ。
実力が足りない? ならば仲間の力を借りるだけだ。元々、ニール・グラジオラスという剣士は純粋な実力だけでは転移者には届かない小物ではないか。
ゆえに、これから行うのはいつも通りの戦いだ。
そう――蝋の翼という借り物で大空を駆けた異世界の伝承のように、遥か天上の勝利へとイカロスという翼で羽ばたくだけだ――!




