202/決戦準備/2
パチパチ、と焚き火が燃える。その傍らに座る男の姿が一つあった。
情報共有を終え、本格的な準備が始まった以上、冒険者の剣士であるニールは本格的に仕事が無くなった。
野営地周辺の警戒はもう交代してしまったし、細々とした作戦などは末端の剣士が関われるはずもなく、船の確保についても騎士と兵士やっているためニールが混ざる場所がない。
――ゆえにニールは一人、呼吸を整えていた。
それは荒れ狂う心を宥めるために。興奮と緊張が入り乱れ際限なく高揚していく精神を、平常に戻していく。
興奮も緊張も、適度なら問題ない。興奮は敵に斬り込む燃料になるし、緊張は油断を戒めてくれる。
だが、どちらも過剰になれば害悪だ。過度な興奮は視野を狭め、過度な緊張は動きを鈍らせていく。
(考えてみりゃあ――こんなデカイ戦いなんて経験がねえからな)
モンスターの群れと戦ったことはある、悪徳商人の屋敷に他の冒険者と共に乗り込んだこともあった。年齢に比して経験の数も質も多い方だと自認している。だが、さすがに街壁に守られた街を攻める――そんな大規模な戦いの経験は無かった。
無論、戦いの規模だけならば西部の平原で王冠たちと戦った時も、今まで経験したことのない大規模なモノであった。
それでもらしくない緊張などをしてしまうのは、最後の戦いだからであり――それに加え、連想してしまうからである。
――脳裏に浮かぶのは子供の頃に見た演劇。
勇者と共に剣を振るった英雄リック――彼らが魔王城に向かう姿と、今ここに居る自分たちを重ねてしまう。
ゆえに、興奮する。かつて憧れた英雄に近い戦いの場がもうすぐそこまで迫っているのだと。
ゆえに、緊張する。そんな戦いの中で、自分はどれだけ戦えるのだろうかと。
期待と不安。その二つが胸の中で激しく自己主張して、心を平静にしてくれない。
「なーに真面目くさった顔してんの? 超似合わないんだけど、今更真面目キャラになるのはちいっとばかし遅いんじゃないのー?」
だから、背後から聞こえてきた声に思わず溜息が漏れる。
振り向くと、緩んだ笑みを浮かべた連翹が「やっほー」と言いながらひらひらと手を振っていた。
「……俺だってそういう時くらいあるっての」
「えー、本当にござるかー?」
珍妙な口調でけらけら笑う連翹。
緊張感の欠片もない雰囲気。出会ったばかりの頃なら、この女はそういう奴だ、と納得していたかもしれない。
はあ、と。
小さく吐息をこぼしながら手招きする。
「ああ、本当にござるござる。……それより、お前も落ち着かねえんなら話くらい付き合ってやるぞ。今みてぇに上っ面取り繕ってるよりは内面もマシになんだろ」
笑みを浮かべていた口元が引きつった。
その状態のまましばし上手い切り返しを考えていたようだが、ニールが完全に察していることを理解したのか大きな溜息を吐いた。
「……おっかしいわね、けっこう上手く演じたつもりだったんだけど」
「変な口調なのは今に始まった話じゃねえが、今回はちっとわざとらし過ぎだな。長い付き合いだとはまだ言えねえが、それでも普段と違ぇことくらいは分かる」
「そっか……レゾン・デイトルじゃあけっこう上手くやれてたから自信があったんだけど、まだまだ素人ってことね」
よっと、と。
軽い掛け声で飛び跳ねて、ニールの隣に着地する。
「……さっきニールがあたしの顔見てホッとしてた理由が分かったわ。大丈夫だろうって思っても心配な気分は消えてくれないのね」
やることがあったら気にならないんだけどね、と気恥ずかしそうに笑う。
「心配してた俺が言っても説得力はねえが――なに、心配するこたぁねえよ。適度に信用できる誰かに頼って、自分で出来ることをやってるはずだ」
それがノーラの強みであるとニールは思っている。
自分で出来ることをやって、出来ないことは誰かに頼る。それは当たり前のことだが、それを当たり前に出来る人間が一体どれほど居るというのか。
意地を張って頼ることが出来なかったり、逆に頼りすぎて成長しなかったり、実力があってもなくても判断を誤ることは多々存在する。
ノーラは当たり前を繰り返し、一生懸命に前を向いて歩いているからこそ活躍出来ているのだ。神官としての腕前は専業の中では一番弱いというのに、である。
だからきっと彼女は今も誰かの手を借りながら、しかし己の力で出来る範囲のことを精一杯やっているに違いない。手を貸してくれる人間を見つけ、その上で自分なら出来ると判断してレゾン・デイトルに残ったのだ。心配も不安もあるが、しかし彼女なら大きな失態をしないだろうという信頼があった。
「だから、俺らに出来んのは信じて自分の体調を整えるくらいだ。実際、心配して眠れねえで本番に寝不足だったり、冬の寒さで風邪をひいたり、なんて目も当てられねえだろ」
「そっか――もうそれくらいしか、することないのよね」
連翹がどこか遠い目をして呟いた。
女王都からここに至るまで、新たな仲間を引き入れたり鍛錬したり相手の情報を探ったりとして来たが――それも連翹の潜入で最後。
後は手に入れた手札で勝負をしかけるだけ。
「今になって思うわ。もっと鍛錬を頑張れたんじゃないかって、潜入した時だってもっとしっかり情報を探れたかもって。今更過ぎるけどね」
「考えても無駄だ――と、言いてぇが。大一番の勝負の前にあれこれ考えちまうのは仕方ねえよ。俺だって、今は連翹と似たようなモノだしな」
「真面目な顔して黙ってるなんて凄い珍しいと思ってたけど――ニールもそんな風に悩むんだ。普段は『考えても無駄だー』なんて言ってるのに」
「そりゃそうだ。つーかよ、考えても無駄だ、なんて言ってる時点で十分過ぎるくらい考えちまってんだよ」
ニールは自分自身考えが浅いタイプだと理解しているが、浅い考えの中にも悩みや不安などは産まれるモノだ。
だからこそ、意識的に思考を打ち切っている。
長々と考えて最適解を導き出せるような頭ではないのだし、悩みなど可能な限り斬り捨てて剣士としてのポテンシャルの維持に務めているのだ。
頭を働かせるのは、そういうのが好きな人間や得意な人間に任せればいい。自分は必要最低限のことだけ考えて、後は剣について考えるべきだ。
その話を聞いて、連翹は少しばかり驚いた顔を見せる。
「ニール、思ったより脳筋じゃないの……?」
「おうお前、俺のことどう思ってやがった――でもま、間違いじゃねえよ。実際、頭空っぽにして敵に突っ込む方が性に合ってるしな」
だが、それだけで勝てるほど敵も剣の道も甘くはない。
がむしゃらに剣を振るうだけで全てをねじ伏せられる才があるならそれでも良いのだろうが、生憎ニールはそのような天才ではないのだ。
だからこそ、どうように剣を振るうべきか、どのように味方と連携すべきかなどを色々と考え――考えている間に悩みが不安が混じっていく。
「――だからこそ、転移者は都合のいい夢に浸れるんだろうね。なにせ、技名さえ叫んでいればどうとでもなる以上、悩む必要がない」
こちらに近づく足音と共に、聞き慣れた男の声が聞こえてきた。
そちらに視線を向けるまでもない。よう、と右手を挙げる。
「頭脳労働はもう良いのか、カルナ」
「まあね。といっても、僕だって用兵は素人だ。大したことはやれてないよ。後はゆっくり休んで、決戦で派手に囮役をやるくらいだね」
そう言ってカルナは焚き火の対面に腰掛けた。
「強いて言えば幹部とどう戦うかってことを話し合ったけど――伝聞で分かった情報が少な過ぎるしね」
「ごめんね、もしもあたしじゃなくて別の誰かだったら――」
「いいや、ごめん。断じて責めてるワケじゃないんだ。レンさんが言う通り、確かに他の人ならもっと詳しいことが分かったのかもしれないけど――あんな風に堂々と潜入出来たのはレンさんだけだった。もしも、だとか。別の誰か、だとか。そういうのは成立しないよ」
確かに連翹ではなくゲイリーなどが乗り込んで無二と語り合えば多大な情報が得られていたかもしれない。
だが、敵の総大将を素通ししてくれるはずもない。それがニールやカルナでも同じ。あれは連翹という雑音に心をへし折られかかった人間だから、そして一人だけでは転移者に対抗出来ないノーラという少女だったからこそ成立したことなのだ。
それを今更、あれこれと言うつもりはない。ニールも、カルナも、そして他の皆もきっと。
「君が居なければ周辺から観察するくらいしか出来なかったからね。無駄に誇るのもどうかと思うけど、だからって責任を感じる必要はないよ」
むしろ、潜入の素人を敵地に入れておいて、情報が少ないとなじる方が愚かしい。
そもそも一番最適だと思う人物が残した結果なのだ。連合軍という組織ではこれ以上もこれ以下も成し得なかっただろう。
ゆえに、今考えるべきことは過去ではなく未来。連翹が持ち帰った、幹部の情報についてだ。
「確か、無二の剣王は剣術スキルしか使わねえんだったか?」
「レンさんからの情報を、そして他の転移者から聞いた話を信じるならそうなるね。……まさかとは思うけど『魔法が使えないなら与し易い』なんて思ってないだろうね」
「さすがに馬鹿にしすぎだ――他の転移者が当たり前に出来ることが出来ねえのに頂点に立ってやがるんだからな、油断なんぞ出来るはずもねえ」
剣しか使えないのなら遠距離攻撃に弱い――そんなこと、レゾン・デイトルの転移者だって知っているはずだ。
その結果が、屋敷周辺に存在しているというクレーター。全て躱され、いなされ、無力化され、遠距離から制圧しようとした者たちを軒並み斬り殺した。
彼だけ特別な規格外があるらしいが――それを踏まえても化物と言う他ない。ニールなら、ニール以上に強いアレックスなどでも、遠距離から延々と魔法スキルを放たれ続けたら生き残るのは難しい。
そこまで考えて、ニールは王冠に謳う鎮魂歌の姿を思い出した。
傲慢な外道であり、しかし己を輝かせることに真摯であった白き転移者。
強敵であった、難敵であった、もう一度戦って勝ちを拾えるかと問われたら自信がない相手であった。
――そんな男が、自分よりも上と認めた相手。
その事実が、どんな言葉よりも明瞭に無二の剣王の力量を証明している。
「崩落狂声も、やれることは分かったけど、それがどういう理屈で行われているのかが分からない。それに、なんでインフィニットはそれを伝えなかったのか――」
「たぶんなんだけど、転移者には意味がないんだと思うの。あたしたちの魔法スキルと現地人の魔法って、似ているようで全く別モノじゃない」
規格外を用いて魔法と良く似た現象を発生させているだけであって、魔法そのものではない。
体内にある規格外を利用する――つまりは神様の力を利用する以上、魔法使いの魔法よりも神官の奇跡の方が仕組みとしては近いはずだ。
実際、インフィニット・カイザーが崩落狂声と出会った場所はレゾン・デイトル内だったらしい。それに加え、彼は魔法を封じる手段そのものを伝えられてなかったのだと思う。
「――とまあ、魔法を無効化する手段は現地人の魔法使いにのみ作用するモノだと思うのよ。……いやまあ、どう作用するのか、って聞かれたら困るけど」
「デケェ歌声で詠唱をかき消しちまう、とかじゃねえか? 魔法ってのは精霊に詠唱を届けねえと発動しないんだろ?」
「ああ、だから鳴音ってこと?」
「いや、さすがにそんな単純なワケが――いやでも、王冠の飛翔だって原理は単純だし……いいや、でも駄目だ。どれだけ声が大きかったとしても、それじゃあ詠唱の邪魔を出来るのは近距離から中距離が限界だよ。近距離で味方を援護出来ないっていうのは痛いけど、遠距離から魔法を叩き込むことは出来る。それを魔法を使えなくする、なんて言わないと思うんだ」
簡単なシミュレートをしたらしいカルナが首を左右に振った。
騒音による詠唱阻害は確かにある程度有効ではある。が、しょせんある程度だ。先程カルナが言った通り遠距離から詠唱を行ったり、息づきのタイミングで小刻みに詠唱を行うなどといったことも難しいが出来ないワケではない。
後は、魔法使いが練る魔力に何らかの手段で干渉するという手段も考えられるが――それこそ歌などではどうにもならないために除外する。
ゆえに、遠距離ならば歌われても魔法が使用可能であると思われる。
「さっきゲイリー団長たちと会議してきたけど、大体は同じ結論に至ったよ。大丈夫だと思う……けど、場合によっては予想外の手段で魔法を封じてくるかもしれない」
そも、転移者とは予想外をもたらす存在だ。
貧弱な見た目で規格外を振るい、元の世界で得た知識で文化を発展、または混乱させる。
結果の善し悪しの差はあれど、この大陸で生まれ育った現地人にとって想定の埒外な行動を行うのだ。ゆえに、自分たちが想像もしていなかった手段で魔法を封じてきても不思議ではない。
「だけど、レンさんの話を聞く限り戦闘に適した人間じゃないみたいだ。仮に僕の魔法を封じることが出来たとしても、ニールや他の騎士が彼女を切り倒せると思う。倒せない相手じゃないさ」
いざという時は真っ先に崩落という少女の首を落とせ、とニールに笑いかける。
あまりと言えばあまりな物言いに、連翹は睨むように瞳を細めた。
「カルナ、貴方――」
「ああ、もちろん可能なら救うつもりだよ。可能であれば……ね。実際、インフィニット・カイザーの時もそうしただろう?」
悪びれもせずに言い放たれた言葉。
それは、逆に言えば『不可能だと判断すれば容赦なく殺す』という意味である。
その言葉に連翹の表情が陰ったが、ニールにはそれを晴らす術はなかった。
事実、カルナの言葉は正しい。あまりに直裁的な物言いに過ぎるが、この土壇場で現実から目を逸らす方がずっと害悪だ。いざという時に動けなくなったら、皆が困る。
救いたいという理想も必要だが、いざという時に手を汚す現実的な覚悟も必要なのだ。
(俺だって嬉々として女を斬り殺す趣味はねえし、話を聞いてなるべく助けてやろうとは思ってる――が、しょせんなるべくだからな)
なにせ、今回は相手の本拠地に攻め入るのだ。
雑音は『それなりに戦って、それなりに負けて、情報だけ得てとんずらしよう』などと考えているらしいが、全ての転移者がそのように考えているはずもない。己の楽園を死守するために、全力で戦うはずだ。
そんな中で敵陣営に居る一人の女を必ず助けてやる、などと大言壮語することなど出来るはずもない。
「必ず、とは言わねえよ。けど、手が届くのなら救ってやる」
「……ん、ありがと」
小さく微笑む連翹の顔を見て、ニールは静かに首を左右に振った。
「それは救えた時にでも言え。状況次第じゃ、俺がその女の首を落とすことになるだろうからな」
可能なら救ってやりたいと思う。
それは連翹の願いであるからというのもあるが、伝え聞いた崩落の様子に斬り殺すことに躊躇いを抱くから。
だが、それでも味方が危険であれば、ニールの手では届かぬと判断すれば剣を振り下ろすつもりであった。
なぜなら、それが剣士だから。
剣とは相手を殺すための武器であり、剣士とはそれを振るう人間なのだ。どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ幻想で装飾してもその事実は変わらない。
剣を持って戦場に立つ以上、相手を斬り殺すことが期待されているのだ。だというのに、説得に失敗したけれど相手は可哀想な女だから斬れません――なんて理屈、通るはずもない。
事実、インフィニット・カイザーを相手にした時も、説得に失敗したら己の手で殺すつもりだった。それが剣士として戦いの場に存在する者の最低限の義務だろう。
「あまり良い言い方じゃねえが――考えても無駄だ。救えるのなら救うし、どうしようもなければ斬る。それしかねえよ」
結局、どれだけ言葉を尽くしてもそこに帰結するのだ。
助けられるなら助けるし、無理なら切り捨てる。
それ以上にもそれ以下にもならないのだ、決して。
連翹もまたそれを理解しているのか、膝を抱えて焚き火の火を覗き込んだ。
「……そうよね、うん。ごめん、困らせたわ」
「構わねえよ。黙って抱え込むよりは心構えも出来るだろ」
そう言ってニールは瞳を閉じた。
船を入手するまでの時間、少しでも体力を温存しなくてはならないから。




