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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
レゾン・デイトル
203/288

200/脱出

 

 少女たちに別れを告げ、階段を登る。

 背中に向けられた視線は諦め半分期待半分――いいや、諦めと疑惑が八割くらいで、期待など二割残っていればいい方だろう。

 連翹が転移者だから疑っている、信用できない、そういう理由もあるようだが――彼女たちが転移者に勝利するというビジョンが思い浮かべられないことが一番の理由だと思う。

 実際、ナルシスに居た兵士や冒険者などは必死に抵抗したはずだ。

 オルシジームの襲撃で連れ去られたエルフだって戦うエルフの戦士を見ていたはずだし、ドワーフたちもオルシジームの襲撃で拐われたのかアースリュームから誘拐されたのかは分からないが……彼女たちを守らんとする者の姿を見たはずなのである。


 ――だがそれはきっと、情け容赦無く叩き潰されたのだ。


 騎士より弱く、また転移者との戦い方を知らない以上、現地人の戦士が転移者に勝てる道理はない。それこそ蟻でも踏み潰すような気楽さで彼女らを守らんとした誰かは死んだはずだ。

 守ろうとした彼女たちの、目の前で。

 無残に、無慈悲に。

 

「……ほんと、魔族か何かかって話よね」


 苛立たしげに呟いてしまう。

 ならば、ここは魔王城か。多くの幹部を撃退し、ようやく辿り着いた敵の本拠地――こうして考えてみると、古き良き勇者物語のようだ。現実でやられたらたまったものではないが。

 だが、隣を歩くノーラが「いいえ」と連翹の言葉を否定する。

 

「これは人間がやったことです。別の種族なんかではなく、理解できない怪物でもなく、人間が道を踏み外したその果て……」


 欲しい物を手に入れたいという欲求は自然なモノだ。

 見目麗しい異性に振り向いて欲しいと思う感情も、自分のモノにしたいという感情も、また。

 己の力を示して、凄いと、格好いいと称賛されたいという想いだって決して間違いではない。


 それらは全て、誰しもが多かれ少なかれ胸の内に抱いているモノ。それ自体は、決して悪ではないのだ。

 悪と言うべきモノは、その欲で誰かを傷つける者のことだと思う。


 欲しい物を手に入れるため、力で奪う。

 見目麗しい異性が欲しいから力づくで手篭めにする。

 己の力を示したいから、己の強さを自他に示したいからどうでもいいことで力を振るう。


 その結果が、ここレゾン・デイトルなのだ。 

 

「……確かに、そうね。これはそういうのが積もり積もった結果。決して、人外の何かのせいじゃない」


 自分がそう成りかけたから、よく分かる。大きな力という誘惑は、人から倫理観を容易く奪ってしまう。

 恐らく、転移直後にニールと出会わなければ、戦わなければ、連翹もまたこちら側で身勝手な哄笑をしていたことだろう。

 ニールの気持ちを考えれば、それが幸運だった、幸福だったなどとは口が裂けても言えないけれど。それでも、あの出会いがあったから致命的に道を踏み外すことがなかったのだ。

 そう思うと、今まで出会ってきた転移者も――キッカケがあれば普通にこの世界に馴染んでいたのかもしれない。

 レオンハルトはもちろん、血塗れの死神(グリムゾン・リーパー)も歳の近い同郷の友人になれていたかもしれなかったし、王冠に謳う鎮魂歌(クラウン・レクイエム)も――あの性格は治りそうにないけれど、もう少し丸くなればカルナと仲良くやれていたかもしれない。道中に出会った名も知らぬ転移者たちも、もしかしたらそういう未来があったかもしれないのだ。

 そこまで考えて、連翹は頭を振った。

 結局のところ、あそこまで道を踏み外す選択をしたのは誰でもない彼ら自身なのだ。

 自由に生きた以上、その責任を負った――これはきっと、それだけの話。

 そこまで考えて、連翹は足を止める。そろそろ出口だ。

 そっと頭だけをだして屋敷の窓を確認する。

 

(……暗くて見え辛いけど、たぶん誰も見てない)


 背後で待つノーラに視線を向け、そのまま一気に駆け出す。

 花畑を駆け抜け、庭の扉をそっと開けようとするが――かちゃん、という音が鳴るだけで全く開く様子がない。


「……しまったわ。そういえば鍵閉められたのよね」


 あの時は見つからなかった安堵と、どうせここには戻らないという思考があったから重要視していなかったが――ううん、と小さく唸る。

 転移者の身体能力なら鍵をこじ開けることも出来なくはないだろう。だが、さすがにそれだけ大きな音を立ててしまったらさすがに誰か気づく。

 

「なら、こちら側から行きましょう」

 

 どうするべきかと扉の前で悩んでいると、ノーラが壁伝いに移動を開始した。

 

(ええっと、確かこっち側は西で――一階の西って使用人が居る辺りなんだっけ?)


 ノーラの背を追いながら脳内で屋敷の地図を描く。

 なるほど、壁伝いに動けば二階の窓からは見えづらいだろうし、元々クレイスに仕えていたというメイドの居る部屋まで近づくことは出来るだろう。

 だが、結局のところ屋敷の中に入れなくては意味がないのではないだろうか? そう思いながらも迷いない足取りを信じて追いかける。

 そして西の端まで辿り着くと、回り込むようにぐるりと正門側に移動し、そこで足を止めた。

 

「……一階の、西の端。ここがさっき言ったメイドの女性が居る部屋です」

「うん、それは聞いたけど――これからどうするの?」


 見渡す限り入り口らしきモノは見当たらない。

 いや、一応玄関はあるのだが――こちらも鍵くらいかかっているだろうし、もしも蹴破るならまだ庭側の方が目立たない気がする。

 

「いえ、わたしたちが入るのではなくて――招いて貰うんです」


 そう言って、ノーラは窓――恐らくメイド部屋の――を軽く叩いた。理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアの硬質な霊樹がガラスとぶつかり、かんかんと音を慣らす。

 周囲に響き渡る程に大きな音というワケではないが、しかし寝室でずっと鳴っていたら気になる程度の音だ。

 そんな安眠妨害をしばらく続けていると、室内からごそごそとベッドで蠢く気配を感じた。ううん、という眠さ半分苛立ち半分といった風の呻き声をしばし発すると、声の主はゆっくりと窓に――連翹たちが居る場所に近づいてくる。


「いったいなに……?」


 カーテンが開き、眠たげな顔に苛立ちを滲ませた表情が晒される。

 ややくすんだ金髪を腰まで伸ばした女性であった。細身ながら女性らしいプロポーションをしているものの、あくびをしながら頭を掻く仕草が少年めいた活発さを見る者に抱かせる。


「ごめんなさい、こんな時間に」


 ノーラの声に、眠た気に緩んだ眼が徐々に焦点が合い――一気に覚醒する。


「……ちょ、どうしてこんな時間に外に居るの! 一緒に来た転移者と外に出たって聞いたけど、まさかそのまま置き去りしたの、あの女――ぁ?」


 ノーラを心配し、そしてその原因が連翹にあると見て怒る彼女の視線が、連翹と交わった。

 夜の闇に隠れてこの瞬間まで気づけなかったのだろう、女性の顔が『しくじった』とでも言うように歪む。転移者の前でこの物言い、確かに失態だ。相手がレゾン・デイトルの転移者なら、怒りに任せて彼女を殺していたかもしれない。


「あー……大丈夫、その程度でとやかく言わないわよ」


 だが、連翹は断じてそのような人間ではない。

 それに、レゾン・デイトルの惨状を見て回ったから分かる。彼女の心配や転移者に対する怒りは正当なモノだ。


「ええっと……これは、一体どういう状況なのかしら?」 

「それを話す前に――窓を開けてくれませんか? ずっと外に居て雑音ノイズに感づかれたら困るので」

「……まあ、いいわ。来なさい」


 彼女はほんの少し悩んだようだったが、静かに窓を開けて中へ入るよう促した。

 信用した――というワケではあるまい。

 ノーラを寒空の下で放置しておくワケにはいかないという思考と、仮に連翹が何か企んでいた場合、自分ではどうにもならないという諦めからの行動だろうと思う。


「よいしょ、っと」


 窓から中に入ると、複数人の寝息が聞こえてきた。

 見渡すと、広い部屋に二段ベッドが四つ。屋敷に比べてベッドは真新しいのは、恐らくナルシスがレゾン・デイトルに変わった後にメイドを新しく雇ったからなのだろう。クローゼットの配置を見る限り元々一人部屋だったのを、強引に複数人詰め込んでいるようだ。


「それで、一体どうして外に居るの? ……というか、一体どうなってるの?」


 ノーラと連翹を交互に見つめながら、他のメイドたちを起こさぬよう小声で問いかけた。

 その言葉に頷いたノーラは、ちらりと連翹に視線を向ける。

 

「ええ、それについてはわたしから説明します。……いいですよね、レンちゃん」

「うん、お願い」

 

 正直な話、連翹は屋敷のメイドから信頼されていないだろう。崩落テラーに同情的だったメイドからはそれなりに好意を抱かれているかもしれないが、屋敷全体という括りでは転移者というだけで信頼はマイナスだ。

 そんな女が語るより、現地人のノーラが語った方が良い。


 ノーラは頷き、今までのことを語り始めた。


 連翹と共にレゾン・デイトルに来た本当の理由を、そのために情報を集めていたこと。

 今夜脱出するつもりだったこと、最後に地下を探索したこと――地下の惨状を見たこと。

 数名、命が危ないこと。ノーラが治癒の奇跡を使えるので、脱出せず連合軍の襲撃まで留まるつもりだということ。

 彼女は連翹とノーラの言葉を静かに聞き――クレイスに関する時は僅かに目を見開き――最後まで聞いて、またしばらく黙り込んだ。

 

「にわかに信じがたい――んだけど、旦那様は確かにそんなこと言いそうね」


 少なくとも、今みたいに唯々諾々と賢人円卓の仕事をしているより、ずっと彼らしいと。

 

「それで? こんなことを話して、あたしにどうして欲しいの?」

「ここでしばらく匿って貰いたくて――地下の人たち、あのまま放置していたら死んでしまいますから」


 言って、ノーラは小さく祈りの言葉を呟いた。

 明かりの無い室内に、微かに暖かな光が灯る。奇跡による発光だ。

 それを見て納得したように頷いた彼女だったが、しかしすぐに訝しげな表情を浮かべる。

 

「……それは分かったけど、なんであたしのとこに来たのよ? 話の流れなら、旦那様の部屋に匿って貰った方がいいんじゃない?」

「地下の人たちを治癒する以上、何度か外に出なくてはなりませんし――それなら、こちらの方が都合が良いと思ったんです」


 元領主の部屋から同じ人間が何度も出入りすれば、さすがに怪しむ者も出てくるだろう。クレイスは多少なりとも警戒されているだろうし、ノーラは隠密の心得など皆無だ。とてもではないが隠れ続けられるとは思えない。

 だが、予備のメイド服などを貸して貰い、他のメイドと一緒に屋敷で行動していればあまり目立たずに済む。木を隠すなら森の中であるように、女が隠れるなら女の集団の方が良い。

 無論、連翹の脱走が明るみに出れば雑音ノイズも警戒するだろうが――まさか現地人の女一人を残しているとは思うまい。


(まあ、けど――仮に気づいたとしてもスルーしそうなのよね、あいつ)


 まず第一に、ノーラ一人では雑音ノイズをどうにかすることは出来ないということ。

 一発逆転の女神の御手(コード・グロリアス)はあるものの、篭手か蔦で素肌に触れて祈りを捧げて――単体で運用するには発動までの時間が長すぎるのだから。

 その次に、奴隷を治癒することは彼にとっても悪いことではないということ。

 ノーラの治癒で生き残った少女たちは、侵入してきた連合軍によって保護されるだろう。当然、救うためには神官や彼女たちを運ぶ人員が必要不可欠だ。敵地の中である以上、護衛する騎士も必要かもしれない。

 結果、転移者と戦う人員が削られる。人員が少なければ、戦場から脱出する隙も大きくなる。

 最初からレゾン・デイトルを勝利に導くつもりがない雑音語り(ノイズ・メイカー)にとって、奴隷を癒やすノーラの存在は非常に都合が良いのだ。


「……とりあえずサイズの合うメイド服と、あと髪色を誤魔化すために染料。後は髪型を変えれば、まあすぐにはバレないかしら」


 連翹たちに聞かせるというより、必要なモノを確認するために呟く彼女に、ノーラは瞳を輝かせ詰め寄った。


「あの、それって――!」

「ええ、そのお願いを聞いてあげる。毎夕、連中が楽しんだ後に掃除をしたり食事を運んだりしてるし、あそこの状況は分かってるの。だから見せしめの娘たちを助けてくれるのは大歓迎よ。

 ……けどまあ、思ったより強かよね貴女。地下があんな状況だって知ってたから、気弱そうな女の子は近づくなって忠告したんだけど」


 きっと初対面の時には随分と心細そうな演技をしていたのだろう。してやられたわ、という視線を前にノーラは「なんのことだかサッパリです」とでも言うように微笑む。前々から思っていたが、けっこういい性格してると思う。


「……はあ、まあいいわ。それよりそっちの転移者、少しいいかしら?」

「片桐連翹よ。うん、まあ何かしら言われるとは思ってたし、問題ないわ」

 

 そう、と。

 彼女はそれだけ言って連翹を――というより黒髪を睨みつけた。

 転移者に共通する髪色、黒。それこそが転移者の証明だと言うように彼女は忌々しげに眼を鋭くさせる。


「正直、アンタはあまり信用できないわ」

「……随分とはっきり言うのね。やっぱり転移者だから?」

「ええ、ここで転移者見てれば嫌でもそうなるわ。同僚に王を好いてる子や崩落テラーを可愛がってる子は居るけど、どっらも国の在り方を許容している時点で街で暴れてる連中と大差ないじゃない。あたしから見れば、王も幹部も外の馬鹿どもも貴女も、全員信用できない相手よ。

 だから、あたしが信用するのはこっちの娘。こんな場所から逃げられるのに、残って誰かを助けたいなんてことを言ってる娘だけ。そんな娘が信頼してるようだから、ついでに貴女の言葉を信じたげる」


 ……まあ、それはそうだろうな、とは思う。

 地下の少女たちと同じように、目の前の彼女は真っ当な転移者など見たこと無いのだ。地球侵略に来たエイリアンの中に数匹有効的な存在が居たとして、それをすぐに信用できるかと言われたら否だろう。

 分かる、分かるのだが――初対面の他人に上から色々言われると、それはそれで腹が立つ。


「だからね――」


 そんな連翹の内心を見透かしたのか、彼女はほんの僅かに微笑んだ。


「――あたしの言葉に不満があるなら、行動で示して。ノーラちゃんは信頼できる同僚と一緒にサポートするけど、だからってずっと騙し通せるモノじゃないわ。数日も持てば良いほうよ。バレても神官は希少だし殺されることはないだろうけど、慰み者になることは覚悟なさい」


 ゆえに、そうなる前にこの子を助けに来い、と挑発的な物言いで告げる。

 お前にそれが出来るのか? という疑惑も含んでいるのだろうそれを真っ向から受け止め、大きく頷く。


「もちろん、そんなの言われるまでもないわ。あたしの大事な友達を、あんな連中の好きにさせるワケにはいかないもの」


 それだけ言って、連翹は窓枠に足をかけた。

 ノーラを匿ってくれると確約してくれた以上、自分がここに居続けるのはマイナスだ。

 見つからずに脱出するにせよ、道中で見つかってしまうにしろ、この気の強そうな女性から離れたほうが良い。


「そう。なら最後に、一つ」


 窓に手をかけた彼女が、小さく呟く。


「――全部終わった後、『あたしは人を見る目が無かった』って謝らせて」

「ええ。黄金鉄塊の騎士は格が違ったって言わせてやるから覚悟してなさい」

「……やっぱり転移者って何言ってるのか分からないわ」

「ええ、その辺りはわたしも同感なんですよねぇ……」

「あ、あれ? ノーラあたしの味方じゃないのっ?」


 ぴしゃん、と――連翹の不満など聞かぬと言うように窓とカーテンが閉められた。解せぬ。

 いいじゃないか、黄金で鉄、格好良いじゃないか。金色ってのはなんかスーパーな証だし、鉄は字面だけでなんか硬そうで凄い。二つ合わさればまさしく最強だろう。

 そんな小学生並みの感想(小並感)を抱きながら、連翹はゆっくりと屋敷の正門へ向かう。

 今すぐ駆け出したかったが、全力で駆け抜けたらさすがに目立つ。だから、見咎められるまでは、ゆっくり、ゆっくり、堂々と歩く。

 幸い、視線も人の気配も感じない。

 ほう、と吐息を吐きながら、屋敷の外に出て――

 


「――こんばんは。夜中にごそごそしていると思ったらやっぱり出ていくんだね、君は」



 ――悲鳴が出なかったのが奇跡だった。

 どぐん、と跳ねる心臓。激しく脈打つそれと裏腹に、背筋は凍えたように冷たい。

 振り返る。

 屋敷の正門――そのすぐ近くに、彼は居た。

 それは着流しを着た青年、無二の剣王(オンリー・ワン)だ。壁に背を預けながら、静かにお猪口を傾けている。


「――気づいてた、の?」


 警戒していた。

 どこかで誰かが見ていないか、どこかで物音がしていないか、まだ完璧に察することは出来ないけれど気配だって探ってた。

 だが、そんな児戯など関係ないとでも言うように、彼はただただ自然体で月見酒を楽しんでいる。


「まあね。統治だとか計算だとか、そういうのはからっきしなんだけど、こういうのだけは得意なんだ」


 数少ない取り柄なんだ、と。

 そう言って無二オンリーは笑う。

 その笑顔が、ただただ怖かった。優しげな笑顔なのに、殺意も敵意も感じないのに。

 それは、初対面の時に感じた恐怖に近いモノ。

 地球に居た頃、ガタイの良い男に見下ろされて怖いと思った、その感覚に近い気がする。

 相手はこちらを威圧する意図などまるでないのに、身体能力の差が、そして体の大きさが違いすぎて、つい怖がってしまった。

 それと、同じ。

 圧倒的な実力差を感じ取ってしまって、体は震える。震えて、しまう。

 

「はは――」


 無二オンリーは笑う。

 震える連翹を見て、楽しげに。

 そこに、怯える少女を追い詰めるような感情は無かった。あるのは、ただただ喜色。

 連翹が怯えているのが――怯えてくれるのが、とてもとても嬉しいのだと、そう言うように。

 剣の柄に手を添える。

 いつでも動けるように、いつでも戦えるように。


「――おれは何も見なかった」

 

 だが、彼は何もなかったとでも言うように、優しげな笑みをこちらに向けた。


「だから、行くと良い。そして、勇士たちと共にレゾン・デイトルに立ち向かうんだ。そして、おれを討ち滅ぼして欲しい」

「なに、を――?」


 一瞬、雑音語り(ノイズ・メイカー)と同じようにレゾン・デイトルの破滅を願っているのかと思った。

 自己の利益だけを求め、邪魔なモノは全て連合軍に処理させてしまおうという小賢しい考えであると。 

 だが、違うと思った。

 彼の眼は綺麗で、こちらを騙してやろうという思惑が欠片も見えない。

 自分は連合軍の騎士たちの手で斃され、滅ぶべきだ――そんなことを心の底から思っているのだ。

 

「君が、君たちが抱く怒りも、そのためにおれたちを倒そうという想いも、その全てが正当なモノだ。そこに間違いなど何もない」


 そういって、寂しげに、痛ましげに嗤った。

 連翹に対する嗤いではない、それは彼自身に向けられたモノだ。

 それは己の罪を認め、自身の意思で処刑台に上る死刑囚が浮かべる顔のようであった。

 それが演技でないとしたら――彼は苦しんでいるのだろう。


(……この人は、一体なんなんだろう)


 崩落テラーの話を聞いて、バトルジャンキーを連想した。戦えればそれでいい、戦に狂った鬼の姿を。

 だが、彼には真っ当な倫理観があるように見えるのだ。悪逆を行うことに罪悪感を抱き、嫌悪する程度には。

 無論、それは矛盾だ。

 罪悪感や嫌悪感を抱くなら、最初からやらねば良い。

 そして、彼もまたそれを理解している。だからこそ、自身を嗤っているのだ。


「……ねえ、貴方はこのままここに居ていいの?」


 良ければ、一緒に脱出しない? と。そんな無意味なことを言ってしまう。

 どんな理由があるのか、連翹には分からない。分からないが、彼は自分の意思でここに留まり、転移者の王として君臨しているのだ。

 だが、それでもこんな問いかけをしてしまった理由は――彼が抱いている罪悪感に嘘がないと思ったから。


「おれは、行けない。おれにだって目的はあるし――そうでなくても、今更善人面して君たちと共に……なんていうのは許されないだろう」


 それに、と。

 無二オンリーは瞑目し静かに語る。


「おれはここを占領する際に多くの人を殺したし、今も多くの犠牲を許容してここに居る。誰のためでもなく、ただ自分のためだけに。外道の行いだ、悪鬼の所業だ。この行いは、決して許されるべきではない。そんなのおれ自身が一番良く知っている。

 それが今更、正義の戦士ですって顔で剣を振るっても誰も納得しないだろう。連合軍も、転移者も、虐げられた現地人も――何よりおれが納得できない。立ち位置としては、勇者に倒される魔王なんだからさ」


 自身は邪悪だと。

 滅ぼされるべき悪鬼だと。

 だから、彼はここから動かないのだ。

 もうすぐ襲撃してくる連合軍を迎え撃つために。

 そして、彼らにレゾン・デイトルごと自身を滅ぼして貰う為に。


「だからさあ、構わず行くといい。仲間と共におれの首を断ちに、心臓を穿ちに来るんだ」

 

 けれど、だからこそ分からない。

 彼は、なんでここに居るのか。なぜ王として君臨しているのか。なぜ――バトルジャンキーのように戦いに執着するのか。

 連翹には、その辺りが全く分からない。


「もっとも――君自身は来なくても構わないけれどね。怯え、竦む者を殺戮する趣味はないからさ」

「……なんですって?」


 理解は出来ない、けれど。

 そのどこか気遣ったような言い方にはカチンと来た。

 要は、ビビっている相手を殺す気はないから尻尾を巻いて逃げろと言っているのだ。日和る程度の人間なら、戦う価値すら無いと。


 ――正直に言えば、今この瞬間だって無二の剣王(オンリー・ワン)は怖い。逃げられるなら、逃げたいとも思う。


 それは、こうやって相対するだけで何か絶望的な隔たりを感じるから。

 自分一人ではどう足掻いても勝ち筋がない――ぼんやりとしたイメージではあるが、しかしそれこそが真実だと全身が警告している。

 怖い、怖い、その恐怖を連翹は上手く言語化出来ないけれど、それでも怖いと思うのだ。

 

「舐めないでよ。確かにあたしは未熟だけど――それでも、皆の仲間なんだから」

 

 だが、それでも強く睨みつけてやる。

 そんな脅しには屈さないと、皆と一緒にここに戻ってくると。

 無二オンリーは連翹の言葉を聞いて――

 


「――――ああ、それでこそ」



 ――ギラリ、と。

 今までの笑顔とは違う、牙を晒すような獰猛な笑みを浮かべた。

 研ぎ澄まされた刃のようなそれは、本来なら恐怖を抱くべきモノなのだろう。

 だが、連翹は不思議とそれを見て安堵していた。

 底の読めない実力者から向けられる獰猛な感情、それは確かに怖いのだが――見知ったモノだからか、そこまで恐怖を抱けない。

 正体不明の化物が理解出来る行動を行った、そんな感覚だ。

 

「次に会う時を楽しみにしているよ、その時は――転移者の国で剣の王と呼ばれた男の実力を見せよう」


 それきり、彼はこちらから視線を外した。

 もう語るべきことは語った――そう言うように。

 見逃してくれるというのなら、ここに留まる理由はない。早く皆の元に戻るため、崩れた街並みを全速力で駆け抜けた。


(ああ、そっか。あの笑みは――)


 砕けた瓦礫を踏み砕きながら、ふと先程の笑みを思い浮かべる。

 あの攻撃的な笑み――あれは、ニールが浮かべる笑みに良く似ていた。

 あの脳剣馬鹿がアレックスと向かい合った時のように、ノエルと剣を交えた時のように、襲い来る転移者に立ち向かう時のように。

 ギラギラと歯列を輝かせ、己の()斬り殺(食い殺)してやると叫んでいる時と同じ剣呑な笑み。

 そんな笑みと、先程の笑みは、瓜二つだった。

 

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