197/暴虐の街
「は――ぁ」
ばふり、と。
連翹は自室のベッドに倒れ込んだ。いつの間にか取り替えてくれていたらしいシーツの柔らかさが心地よい。
そんな、普段ならノーラに怒られてしまいそうな行為。だが、彼女もまた表情を暗く思い悩んだモノにしてベッドに腰掛けた。
――お茶会は表面上、問題なく終わった。
崩落は「また今度もう一回やりましょうね」と微笑み、連翹とノーラは頷いた。
傍から見れば仲の良い女友達に見えただろう。普通に仲良くお茶をして、普通に仲良くお喋りをした、そんな風に思っただろう。
(いや、あたし個人としては本当に友達だと思ってるんだけどね)
そしてきっと、ノーラもそうだろうと思っている。
だが、崩落がどう思っているのかまでは分からなかった。
表面上は確かに親しい友人として認めてくれているように見える。だが、心の奥底がどうなっているのかまでは分からない。
無論、それはどんな人間でも同じであるが――彼女の体内に張り巡らされたハピメアの菌糸の如く、ふわふわと微笑む姿で覆い隠した負の感情を見てしまったから。
「……わたし、どうすれば良いのか、分かりません」
「……あたしも」
正直、甘く見ていたのかもしれない。
自分の地雷が解除され、エルフの剣士ノエルを諭して、相手が善良であれば説得なんて余裕だと無意識に考えていたのではないか。
彼女のトラウマにかけるべき言葉が思い浮かばない。
想像は出来る、けどそれだけ。彼女の痛みを真に理解しているなんて、口が裂けても言えなかった。
だって、連翹は元々インドア派の根暗少女だ。地球では沈んだ表情ばかりだったためか異性の欲望の矛先を向けられることはなく、この異世界では規格外の力でそれを軽く退けることが出来た。
「……村の皆が全員知り合い、っていう狭い場所で生きてきましたから。そういう目で見られたことは、あまりなくて」
背も胸も大きくなったなぁ、なんて冗談めかしたセクハラはありましたけど――とノーラは呟いた。
だからこそ、女一人で馬車に乗り込むなんて真似が出来たのだろう。言ってしまえば昔の崩落と同じで、異性に対する危機感というモノが希薄だったのだ。
ゆえに理解しているのだろう。
ノーラと崩落の違いは運以外の何物でもないと。
ノーラが出会ったのが崩落を襲ったような男たちであれば、彼女は女王都に辿り着くことなく『処理』のために使われ、使われ、使われ――利用価値が無くなれば街道の端にでも打ち捨てられていたことだろう。
逆に崩落が出会ったのがニールとカルナのような人たちであれば、彼女の不用心さを窘めつつ仲良くなれたはずだ。きっと異世界に転移することなく、日々を謳歌していたことだろう。
ゆえに、説得の言葉が全く思い浮かばないのだろう。たまたま無事だっただけの女が、彼女に対して何を言えば良いというか。
そんな男性ばかりじゃないよ? そんなこと、彼女だって理解しているはずだ。
あなたは運が悪かっただけだよ? 喧嘩を売っているとしか思えない。
大丈夫、これから楽しいことがたくさん有るよ? 運が良かっただけの女がなにを言っているのか。
そして連翹もまた、語るべき言葉を持っていない。
だって、平和な日本で暮らし、ガラの悪い人間とは無縁で、転移後は絶大な力を振るっていたから。彼女のトラウマ、それに対して現実感を持てないのだ。
そういった行為は男性向けの創作物だったり、レディコミ辺りで発生する現象で、連翹にとって魔法と同じく別世界のモノであった。
だからこそ、崩落の言葉と内心を知ることは出来ても、理解には程遠い。
「……最悪、クレイスって人が言った案を採用した方が良いのかもしれないわね」
「レンちゃん、それは――」
「分かってるわ。でも――出会ったばかりの人間一人と、連合軍の皆の安全。それを比べると、ね」
こちらに対し明確な悪意や殺意を向けてくる見ず知らずの相手を倒すのに良心は痛まないが、崩落のように敵意も殺意も希薄な知り合いを倒すのは心が痛む。
人間の命の重さをお前が決めるのか、と誰かに言われてしまいそうだが、それでも心の中にある天秤は善人の方がずっとずっと重いぞと告げている。
そう、彼女の命を軽んじているワケでは断じて無い。
だが、連合軍の皆。ニールやカルナ、騎士や兵士、冒険者にエルフとドワーフ。レゾン・デイトルまでずっと一緒に居た皆より崩落を優先するなど、出来るはずもない。
(頭では、そう思ってるんだけどね)
けど、こちらに敵意を向けていない相手を斬ることが出来るか? と問われたら否と答えるしか無い。
モンスターのように人語を解さない相手だったり、無法の転移者のように悪意を以て自分や誰かを傷つける相手ならば剣を振るうことにためらいはないが――無抵抗な相手や、命乞いをする相手などを叩き斬るなど出来そうにない。
思い返す。連合軍として行動中に初めての襲撃をかけてきた転移者の集団を。
その一人を連翹が相手取り、戦闘を優位に進めたのに――涙を流しながら命乞いをされた瞬間、己の内にある戦意が霧散してしまった。ゲイリーに救って貰わねば、あの時点で連翹の命は潰えていただろう。
「……駄目ね。崩落に関しては他の人に任せたほうが良さそう」
情報収集を終え、レゾン・デイトルから脱出する前に背中から斬りつける――それが皆にとって最善だろうと思うが、しかし同時に片桐連翹という小娘には絶対に不可能な手段なのだ。
それを実行したとしても、斬りかかる直前でためらってしまうか、崩落の悲鳴で頭が真っ白になるかの二択だろう。
ここにカルナが居たら、彼女の抹殺を引き受けてくれたことだろう。連翹に対し友情を感じつつも、致命的な地雷を踏めば容赦なく排除する選択が出来る彼ならば「気乗りはしないけどね」の一言だけで実行してくれたはずだ。
でも、彼はここに居ない。居るのは少女に対して感情移入してしまった女二人だけ。
「ニールじゃないけど、出来ないことをぐだぐだ考えてても時間の無駄だわ。わたしたちはわたしたちが出来ることをしましょう」
「そう、ですね。……今日は外ですか?」
「うん、屋敷の地下は調べてみたいけど、下手に見つかって雑音と敵対――まで行かなくても、警戒されるのはまずいから。そっちは後回しで」
自分たちの優位性は、相手に全く警戒されていないということだ。
それを捨て去るにはまだ情報が少なすぎる。二人で集めた情報は屋敷の中ばかりで、街に関しては入国時に通った時に見たくらいなのだから。
最低限、どのような施設があるのかを、現地人が多く居る場所、転移者が多く居る場所などくらいは知っておかねばならない。
「それじゃあ――なんかまだ慣れないけど、えいっ」
机に歩み寄ってベルを鳴らす。
りごんりごん、という軽い音色が鳴ってから数秒、ドアがノックされる。入室を促すと、少し気の強そうな顔立ちのメイドが現れた。
「お呼びでしょうか、片桐様」
「うん、あのね、雑音様に会いたいのだけれど、案内してくれない? わたしたち、まだ彼の部屋を知らないの」
「ええ――」
彼女の視線が僅かに逸れる。
その先に居るのはノーラだ。気の強そうな彼女は、ノーラに気遣わしげな視線を向ける。
恐らく、ノーラが昨日出会ったというメイドなのだろう。友人のように親しいワケではないようだが、しかし初対面のようには見えなかった。
「分かりました。こちらへどうぞ」
にこり、と事務的な笑顔を浮かべるメイド。
内心で浮かべている表情は絶対に笑顔じゃないんだろうなぁ――そう思うとメンタルがごりっ、と削れる。
もっとも、仕方のない話ではある。彼女が知り得る情報では連翹はノーラというか弱い少女を攫った外道なのだから。
「うん、ありがと――ほら、ノーラも行きましょう」
作り笑顔に対し必死に作り笑顔で返す。
これが雑音のような相手なら、どれだけ騙そうが、どれだけ嫌われようが構わない。けど、やはり普通の人に内心で嫌われてると思うと心がすり減ってしまう。
「はい、行きましょうレンちゃん」
ぎゅう、と腕を掴まれる。篭手越しの右手は軽く、柔らかな左手は強く。
大丈夫、大丈夫、わたしは分かってますから――そんな言外の想いが伝わってきて、すり減った心が暖かな光によって癒やされていく。
「……ん?」
その様子を見て、メイドは僅かに不思議そうな顔をしたが、すぐに事務的な表情に戻り案内を再会する。
とはいっても、それほど長い時間は掛からなかった。雑音の部屋は連翹たちに充てがわれた部屋からほど近い場所に存在していたから。
「それでは、御用があればまたお呼びください」
「うん、ありがとう」
頭を垂れ、去っていくメイドに礼を言った後、扉をノックする。
「……誰だい?」
「あたしです、雑音様。片桐連翹です」
「ああ、君か。どうぞ、散らかった部屋で申し訳ないけどね」
そこは、元々は豪華な部屋だったのだろう。
金で装飾された家具や、職人が丁寧に編んだであろうカーペット。一つ一つは一級品なのだろうそれらは、しかし非常にちぐはぐな印象を連翹たちに与えていた。
それは、気に入ったから自分の部屋に持ち込んだだけで、全体の調和が考慮されていないから。成金がよく分からず高い家具を集めたらこうなるのではないだろうか。
そして、カーペットの上やベッド、テーブルの上に積まれた娯楽本や食器やカップ。それらが本来家具が持っているはずの魅力を殺し尽くしている。
そんな部屋の中に、彼は――雑音語りは居た。
「それで、何か用かな? 見ての通り、暇はあるからね。相談くらいは乗ってあげてもいいよ」
先程まで読んでいたらしい本をテーブルの上に乱雑に積みながら、余裕のある笑みを浮かべる。
その佇まいは大物のようだが、しかし連翹は既に知っている。あれは大物ゆえの余裕などでは断じてなく、こちらに一切注意を払っていないがゆえに気が緩んでいるだけだ。
(しっかし――ファンタジー世界の、成金かつオタクの部屋みたいね、ここ)
もっとも、乱雑に置いた本などは連翹だって人のことを言えた義理ではないのだが。
冒険者としてあちこちへと移動していたから散らかす余地がなかっただけで、一箇所に留まっていたらこの部屋に近い部屋になっていることだろう。
もっとも――連翹はこんな風に無意味に高級な家具を使おうとは思わないが。
(ううん、違う)
きっと本質的には同じなのだろう。連翹も、雑音も。
元の世界で生きていくのが嫌になったから異世界転移の誘いを受けて、特別な力で調子に乗った馬鹿な人間。
違っているのは、大切な人と出会いその身勝手な暴走を反省したこと。
違っているのは、人や物、世界を嗤って今も暴走し続けていること。
「ええ、その、少しノーラと街を散策したくなって――だから、雑音様の許可を取りに来たの」
「ふむ、屋敷の外へ出たい、か」
新参者がこんな要求をして申し訳ないのですが――そんな弱々しい声音で頼み込む。
「ええ、そう。そうなの。崩落とのお茶会は楽しかったけれど、だからってずっと部屋の中にいたら退屈で。だから、街を歩き回りたいの。もちろん、雑音様がダメだって言うなら止めますけど」
「うん、まあ、それは構わないけれど――王にはその話はもうしたのかい?」
「まさか」
にこり、と微笑んで。
雑音の眼をまっすぐ、見る、見る、見る。
「レゾン・デイトルを真に掌握しているのは無二ではなく雑音様でしょう?」
――雑音の口元が、喜悦で歪んだ。
「ふふ、はははは! いや、お飾りとはいえ形だけでも話は通したほうが良いとぼくは思うけどね! けど、ああ、うん。もちろん構わないさ、好きに見て回ると良い。もちろん、君のお気に入り――おっと失礼、お友達は自分の手で守って貰うことになるけどね」
それは笑いであり嗤いだ。
自分を持ち上げる他者が居るという喜びからの笑い。高みに上り詰める喜び。
形だけの存在とはいえ王に対し礼を失する愚者に対する嗤い。愚者を見下す悦び。
その二つを手に入れた雑音は心底楽しげに、こちらを疑うことなく連翹の要求に頷いた。
「ああ――本当に、良い拾い物をしたな」
――なんて素晴らしい玩具だ、と。
――それを話術で手に入れた自分はなんて素晴らしいのか、と。
――強者の進撃も弱者の惨めさも、全ては己の掌で踊る猿のようなモノだ、と。
「ええ、ありがとうございます――雑音様」
きっと、そんなことを考えているのだろうな、と思う。
成功体験という美酒に酔いしれ、緩んだ頭は自身の成功を疑えないのだ。
いや、もしかしたらこれが素なのかもしれない。
だって、連翹は演技も他者を騙すのも素人なのだから。その程度で騙されるレベルの人間なのだ。
そして、現地人には連翹の素人仕事とは違い、それらに特化したモノが居る。それは規格外無しで転移者と戦える戦闘に特化した者たち――騎士のように。
恐らくだが、もっと前に、もっとスマートに雑音を騙した現地人は居たはずだ。詐欺師なり、暗殺者なりが。
それでも彼が今でも成功を疑わないのは、規格外の力が暗殺を封殺しているからだと連翹は思う。
飲食物に毒を入れようと転移者には効果は無いし、無防備な姿にナイフを突き立てようと転移者の肌は貫けない。
無論、騎士より格下の戦士であっても、急所に対し全力で攻撃すれば殺せる可能性はある。だが、そのような人間はレゾン・デイトルでは一番最初に転移者に立ち向かって殺されている。
ゆえに、雑音語りは、冒険者や兵士をスキルで叩き潰し、暗殺者の毒や奇襲を転移者の体で封殺し――己に歯向かった者の骸を見つめて嗤うのだ。
ぼくの勝ちだ――と。
全ての運命は己の手中にあるのだと。
(でも、それは貴方の力じゃない)
もちろん、借り物の力は本物じゃない、などとは言わない。努力で得た力であろうと、突然得た力であろうと、力は力だ。
だが彼は、規格外に隠れながら雑音を吐き出すだけ。
血塗れの死神のようにスキルそのもののバグを利用し初見殺しの連続スキル利用が出来ると気づけたワケではない。
インフィニット・カイザーのように転移者の力を利用した強化鎧を考えだしたワケではない。
王冠に謳う鎮魂歌のように魔法の爆風を利用し空を駆ける技術を構築したワケでもない。
ただただ雑音を垂れ流し、それが通用しないのなら規格外に頼るだけの弱者だ。
(もちろん、それだけじゃないのは分かってる)
雑音がインフィニットを攻撃する際に、学ランの下に仕込んだパワードスーツに加え爆風を利用して空を飛ぶ外套を纏っていたのは連翹も確認している。
恐らく、他の幹部が使う技をコピーして自分のモノにしているのだと思う。
だが――問題ない。連翹はそう確信していた。
今は喜悦に顔を歪めると良いだろう。
雑音語りという男が築いた硝子の成功体験が、静かにひび割れ始めていることに気づかず笑い続ければいい。
◇
荒れ果てた大通りを歩きながら、連翹はそこらにちらばる瓦礫を蹴り飛ばしつつノーラの方に視線を向けた。
「……しかし、街中だって言うのにホント歩きにくいわね。大丈夫、ノーラ?」
「ええ、なんとか――っと、なってます」
大きな瓦礫に足を取られかけて、ノーラが僅かにバランスを崩す。だが、転ぶほどではないようだ。
良かった、と安堵の息を吐きながらじゃりじゃりという音を立てて先へと進む。
「……元々は舗装されていたみたいですね。壊れたまま放置して、不便じゃないんでしょうか?」
「転移者なら大丈夫、ってことじゃない? ほら、こんな風に」
言いながらそこそこ大きな瓦礫に踵を叩き込む。転移者の力に耐えきれず砕け散るそれを見て、ノーラは「ああ……」と納得した。
簡単な話で、この程度の石では転移者の足取りを妨げることは不可能なのだ。今回は靴を履いているが、素足でだってこの程度の瓦礫なら砕きながら歩けるだろう。
無論、多少は歩きにくいし、一々砕いたり蹴り飛ばしたりしながら歩くのは多少面倒だ。
だが、結局のところ多少面倒なだけ。
わざわざ修繕する手間を考えれば放置していても問題ないということだろう。それに、仮に修繕したとしても転移者同士の争いでまた破壊されるのが目に見えている。
「……でも、これでどうやって生活してるんでしょうか」
ノーラが辺りを見渡しながら訝しげに呟いた。
なるほど、確かに転移者は丈夫なのだろう。
規格外がどれだけ強かろうが転移者は人間なのだ。食事が必要なのは当然だし、ゆっくりと眠れる住居だって欲しいはず。
だというのに、大通りを歩く限りでは、衣食住を満たせるような場所があるようには思えないのだ。
「自由だけど一部で暴れるのだけは大罪、みたいなのがあるのかもね」
というより、無ければ困る。
連翹たちにとって、ではない。
ここに住まう無数の転移者たちにとって、だ。
仮に連翹が無法の転移者と同じ思考回路だったとしても、常に何者かの襲撃を警戒しなければならない場所に定住するワケがない。
確かに規格外で無防備な誰かを襲撃するのは楽しいだろう。けれど、それは自分が襲撃しているから楽しいのであって被害者が楽しいワケでは断じてないのだ。誰だって勝者でありたいし、寝る時はゆっくりと休みたい。
だから当然、幹部にとっての屋敷のようなセーフティーエリアがあって然るべきなのだ。
そして、その存在は連合軍にとって必要な情報でもある。
なぜなら、転移者は集まれば集まるほど強くなるからだ。
転移者は規格外の力で強大な力を得ているが、しかし戦う者としての経験は皆無に等しい。だからこそ連合軍の皆は素の身体能力で勝る転移者に勝利出来ているのだ。
だが――王冠が行った戦列歩兵のように単純に並べて単純に火力を放つという運用をすれば、一気に連合軍の皆が不利になる。経験と技術という連合軍の強みを物量と火力で押し切ってしまうスペックが転移者にはあるのだ。
だからこそ、雑兵の転移者が集う前に叩くことが重要である。
(でも、こればっかりは雑音には聞けないものね)
そんなことを聞けば「なぜ?」と思われるだろう。
連翹たちは屋敷という安全な寝床があるのに、どうしてわざわざ一般転移者の寝床など探さねばならないのかと。それも、連合軍から裏切ったばかりの女が。
これだけで疑われることはないと思うが、しかし連翹たちを疑うトリガーになりかねない。
ゆえに、自分たちの足で――そう思っていたのだが。
「街はごちゃごちゃしてるし、道は悪いし、案内看板も無いんですよね」
「それに加えて、道を聞いて教えてくれそうな親切な人間も期待できそうにないのよね」
オルシジームで捕虜となった青葉という転移者の少年はあまり奥に踏み込んだことがなかったらしいし、恐らく街門からそう離れてはいないと思うのだが。
「とりあえず、大通りを真っ直ぐ歩いて――!?」
みましょ、と。そう言いかけた瞬間、遠くで轟音が鳴った。
慌てて音がした方向に視線を向けると、レゾン・デイトルでは珍しい古風な赤煉瓦の建物から火の手が上がっていた。
響き渡る悲鳴に火事か何かかと思ったが――違う。轟音と一緒に『ファイアー・ボール』という声が聞こえてくる。
見れば、複数人の転移者が建物を取り囲み、壁を砕きながら中へと突入する姿があった。一瞬人命救助かと思いかけたが、違う。戻ってきた彼らの手には複数の家具や貴金属、そして現地人があったのだから。
「おーおー、やってるやってる」
視線の先で行われる略奪を呆然と見つめていると、不意に男の声が聞こえてきた。
それは、どうやら大通りを歩いていた転移者の一人らしい。建造物が燃やされ、砕かれている様を花火でも観賞するような気楽さで眺めている。
「ちょっといい? 突然悪いんだけど、聞いてもいいかしら」
んあ? と胡乱な眼でこちらを見る男の前で、今まさに崩れようとしている建物を指差す。
「あれってなんなの? まさか、連合軍のスパイでも居たとか?」
嫌な気分を押さえ込みながら、レゾン・デイトルの新米としてらしい言葉をひねり出す。
だが、それは酷く的外れな意見だったらしく、「はあ?」と小馬鹿にした目を連翹、そしてノーラという順に向けていく。
しばし黙り込んでいた男であったが、「ああ、新米か」と急に態度を軟化させて笑みを浮かべた。
「違ぇよ違ぇ。ありゃいけ好かないイケメン野郎が建てた現地人どもの宿舎だよ。そいつが死んでくれたって話だからな、奴隷が欲しい連中が喜々として襲ってるわけだ」
要は早い者勝ちのバーゲンセールだよ、と。
崩れていく建物を見つめながら転移者はケタケタと笑った。
「あいつはたくさん美人を連れてやがったからな、連中躍起になって奪いに来てんのさ。馬鹿だねえ、あそこは奴の情婦なんぞ居ねえし、ほとんどが男の労働者ばっかだってこと知らねえんだよ、あいつらはさ」
(――ああ、なるほど)
現地人を所有していた人間が死んだから、次は自分が所有してやろうと躍起になっているのだ。
「……でも、残された人はどうなるんでしょうか」
「そうね、あの少なくとも今殺されるワケじゃないみたいだけど」
ノーラがぽつり、と呟いた疑問。
実際、遠目で見る限り連れ去られていく現地人は男女ともに顔立ちが整った者ばかりで、中年の研究者らしき男などは誰からも相手にされていない。眼中に無いのだ。
だがその人たち一体、これからどうすればいいのか。
あの襲撃から逃げたとして、この国の中でどうやって生き延びていくのだろう。手に職があったとしても、ここレゾン・デイトルは現地人だけで生きるのは困難だ。
「あ? そんなの知ってどうなるんだよ。見た目の良くない奴隷なんぞ、価値ねえだろ」
言って、彼は欲深そうな――しかし冷たい眼で嗤った。
それは連れ去られていく現地人を、奴隷として所有されようとしている男女を、同列の人間として扱っていない――物語のモブでも見るような目だ。
興味も無ければ、価値もない。あるのはただ一つ、己だけ。
己こそが至上であり至高。その他は全て全て塵芥なのだとでも言うように彼は嗤う、嗤う、嗤う。
(――ッ!)
それが、酷く気持ち悪かった。
なぜなら、それはかつて自分が浮かべていたであろう笑み。その想像図と寒気がするほどにそっくりだったから。
他者に興味などない、あるのは自分が素晴らしいと示す欲求だけ。物語の主人公のようにチートを得たのだから、物語の主人公のように自分は強いと示すだけだと。
誰も必要ない、必要ない、必要ない、必要なのは至高の自分とそれを讃えてくれる誰かだけ。それ以外は余分だ、と。
僅かな吐き気を感じ俯いていると、転移者の男は自身の剣の柄を掌で叩きながら「お? どうした?」と心配そうな声で連翹に問いかける。
「だがその点、お前の奴隷は良いな。顔も良い、体も良い、それにピンク髪ってのも昔のギャルゲのヒロインみてぇで――『ファスト・エッジ』!」
己の言葉を途中で打ち切ってスキルを発声する。
抜剣し、構え――踏み込んで剣を振るう!
風を切り裂く刃は、連翹の袈裟懸けに断ち切るために走り抜ける。
「お前の奴隷を俺に寄越しやがれ、間抜けがぁ!」
「レンちゃん――!」
男の顔には喜悦があった。
それは勝利の喜びによるモノ。既にこちらはスキルを放った。だというのに、あちらはまだ発声すらしていない。
ゆえに、勝利は揺るがないのだ――!
「――残念だけど、そんなのに当たってやれないわ」
――素早く抜剣し、相手のスキルを受け止める。激しい金属音が辺りに鳴り響いた。
転移者のスキルは発声後、理想的な構えに体を動かした後に攻撃を放つモノだ。
発声後も体を調整するプロセスが存在する以上、まともに構えてすらいない状態でスキルを発声しても、発動までのタイムラグは大きくなるばかり。奇襲としては落第もいいところだ。ニールだったら防ぐだけではなく、カウンターで相手を斬り捨てているだろう。
だが、目の前の男にとってそれは必勝の一撃だったらしく――わざとらしいくらいに驚き、瞳を見開いていた。
「スキルを――スキルを使わずに受け止めやがっただとぉ……!?」
何を言っているのだろう、この男は。
相手の動きを見切ってカウンターをしたのならともかく、ただ受け止めた程度で何を驚いているのか。
だって、スキルの動作はみんな共通なのだから。どこに刃が来るのかなんて予測できて当然ではないか。ならば、その軌道に自分の剣を割り込ませるくらいは誰にだって出来る。
だが――驚いているのなら、それで良い。利用するだけだ。
「生憎、貴方程度のスキルなんかであたしをどうにか出来ないわ。知らない? 雑音様が屋敷に招いた転移者の話」
「げっ――お、お前、噂の幹部候補かよ……」
瞬間、男の顔面は蒼白になった。
高校生が小学生相手に無双していたら、突然ヤクザが割り込んで来た――そんな絶望感。
恐らく、レゾン・デイトルに住まう転移者は皆知っているのだろう。
王の強さを、そして幹部の恐ろしさを。
「わっ、悪い悪い、その、ほら、謝るって! ごめんなさい、すみませんでした!」
「いきなり相手を斬り殺そうとした癖に、それで許されると思った?」
なるべく冷たい声でそう言ったが、しかし連翹には既に追撃の意思は無かった。
戦意を失い、死にたくないからと頭を下げ続ける男――それに向けて刃を振るう気力がないのだ。
馬鹿め、という声が頭で響く。
さっさと殺せよこんなクズ、と冷静な連翹が言う。
そしてその言葉は正しいとも思うのだ。
目の前の男を見逃したところで感謝する未来などまるで見えない。連翹を忘れて元に戻るか、連翹を恨んで復讐するかの二択だろう。
だが、戦意を失くして怯えた相手にトドメを刺せるほど、連翹の心は戦士ではなかった。
……それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど。
「あ、あ、あー……それにだ、ほら! あんたらこの国にまだ慣れちゃいないんだろ? 色々と教えるから、そ、……それで手打ちにしてくんねえかな?」
「あら、そう? ならそれでいいわ。役に立たなければ殺すけど、それでいいわよね?」
だから、彼の提案は渡りに船であった。
舐められない程度に尊大な言い回しで男の言葉に頷く。
「あ、ああ! もちろんもちろん! きゃっほう、さっすが新たな幹部、器がデケえ!」
助かった――心よりの安堵の息を吐いた後、にたりと下卑た笑みを浮かべる男を睨みながら、連翹はゆっくりと剣を鞘に収めた。
……正直、信用などまるで出来ない。
出来ないが――今、自分たちがレゾン・デイトルに関して無知であるというのも事実。
今この男と別れて別の案内人を探したとしても、信用できる人間と出会える自信が全く無い。なにせ自分たちはお上りさん丸出しで、そういった人間にとってカモでしかない。先程と似たようなトラブルを起こすだけだろう。
なら、一度力を示した相手の方がまだやりやすい。
「ノーラ、警戒は緩めないでね」
「ええ、もちろんです」
男に聞こえぬよう、小声で囁く。
確かにこの男の方がマシだ。だがこんなもの、大便と小便を比べどちらかを選んで持っていけと言われているようなモノだ。
普通ならそんな選択肢を出した大馬鹿野郎を蹴り殺した後、両方拒否するのだが――現状、両方拒否したとしてもまともに情報を探れそうにない。
なら、まだ臭いがマシなこの男と共に行った方がマシだ。
そう結論づけ、連翹とノーラは男の案内で街へ歩を進めるのであった。




