195/領主クレイス
室内に自嘲的な笑い声が響く。
自身が、現状が、おかしくておかして堪らないとでも言うように、クレイスは笑みを浮かべるのだ。
「ははは、はははっ、ははははははは! はは、は――そんな連中に領地を支配されている私は、それ以下の間抜けだな。見るに堪えない道化っぷりだ、笑うがいいノーラ・ホワイトスター。これほど惨めな男はそうそう存在しないぞ」
「……そんな間抜けな人から情報を得ようとするわたしは、その人よりずっと間抜けなんでしょうね。……あまり卑下することを言わない方がいいですよ。自分だけでなく、他人の評価も下げてしまいますから」
少しばかりキツイ口調で言い返す。
だって――少しばかり腹が立ったからだ。
さっきまでゲイリーのことを心から楽しそうに喋っていた彼が、騎士団長になる剣士と友人である彼が、自分は無能でどうしようもないと自嘲しているから。
自分に価値などない、などとのたまっているから。
だって、そんなの失礼じゃないか。
ノーラに対してではない。クレイスを友人だと認めている人に対して、彼の価値を認めている人々に対して。
「評価、評価、評価か……私の評価などとうの昔に地に落ちている。なにせ、転移者の軍勢に襲われた時、抵抗もせずに白旗を上げた臆病者だからな。私を慕う者など、残ってはいまい」
なのに、彼の笑みから自嘲の色は消え失せない。
見ろ、これが愚か者の姿だと言わんばかりに笑う、笑う、自身を嗤う。
「そうとも! 敗北が確定している勝負に挑むのは明日を閉ざす行為であり、創造神ディミルゴの御心に背く行為だ! 事実、戦い方が分かっていない時は練達の戦士である騎士ですら敗退しているのだからな。我が私兵やナルシスを拠点としていた冒険者程度、立ち向かっても奴らの言うところの『踏み台』にしかならん。なんだそれは、ふざけるな、そんなことを許せるはずないだろう!」
自身よりも強い相手に勝算無しで戦いを挑むのは、勇気ではなく自殺だろう、と。
ならば、勝算が出るまで耐え忍ぶ他あるまい、と。
実際、今でこそ転移者と戦えるニールやカルナも、当初はまともにダメージを与えることすら出来なかった。
相手の力量を見極め、装備を整え、技を磨き――それでようやっと打倒出来るようになったのだ。その三つの中のどれか一つでも欠けていたらニールもカルナも未だに転移者に有効打を与えられていなかっただろう。
ゆえに、彼の言葉に誤りなどないはずだ。
誇りを汚す行為だとか、それでも戦って散るべきであったなどと言う人はいるかもしれない。だが、そんなの外野の戯言だ。
誰だって生きていたし、他者の命を無駄に消費したくはない。そんなこと、当然のことだろう。
「ゆえに捧げたよ、この領地を、町を、人々を。奴らも殺戮が目的では無い以上、領民を無駄死にさせることも無くなり、町一つが占領されたと知れば騎士たちも大々的に動く。……もっとも、それを皆に周知する時間が足りなかったがな」
死なせなくて良い者たちを多く死なせた、と。
そう言って自嘲的な笑みを浮かべた。
「だが、それでも。己の価値が暴落し、信ずる者が消え失せ、賢人円卓や雑音の小僧に嗤われてもやるべきことがある。いずれレゾン・デイトルに訪れる転移者を、かつての友が率いる軍勢を助けるという役目だけが、この体を動かし続けている」
ただそれだけのために自分は生きているのだとクレイスは語る。
「だから――この戦いが終わり、領地が復興し、後継者を決めて。そうやって全て全て終わったその時は、首をくくって死ぬのも一つの手ではある――」
「ごめんなさい」
正直、我慢の限界であったのだ。
拳が唸る。クレイスの頬を強かに打ち据え、椅子から叩き落とす。
女性であり、戦士ではないノーラの拳は軽いモノであったが、理不尽を捕食する者の頑強さは、霊樹製の篭手の頑強さは武器としても有用であった。頬か舌を噛んだのだろうか、血を吐きながらクレイスは呻く。
「ご――ぐ、ああ、そうだ、私はこのような扱いを受けるべき人間で――」
「ごめんなさいと言っておきます。だってわたしではこの程度の威力しか出せないから。あまり他人をぶったりするのは得意じゃないですよ、わたし」
「――待て、さすがに謝る方向があさっての方角過ぎやしないか?」
自虐に満ち満ちた態度から一転、完全に素に戻った声音であった。
何言ってんだこいつ、という想いがひしひしと伝わってくる。
「いいえ、これでいいんです」
だが、それでも強く強く言い放つ。この行動に間違いなんてないと。
だって――
「ゲイリーさんが聞いたら、わたしと同じようにあなたをぶっていたと思いますよ。ええ、それはもう力いっぱい」
――友達がそんな顔で『自分には価値がない』と自嘲していたら、腹が立つし、頭に来るし――何より悲しいじゃないか。
だからぶん殴った。後悔なんて、あるはずもない。
だってニールやカルナが目の前の男のような顔で、目の前の男のような言葉を呟いたりしたら――涙が出るほど悲しいし、とてもとても腹が立つから。
「わたしは貴方を知りません。今日出会ったばかりなんですからね。けど、それでもゲイリーさんはあなたの贈り物を大事にしていたのは知っていますし、あなたが賢人円卓に所属していることを嘆くメイドの女性も知っています。その人たちはわたしなんかよりもずっとずっとあなたの良いところを知っていて――だからこそあなたの言葉を聞いたら心から悲しんで、心から怒ると思った。だから、僭越ながらわたしが殴らせて頂きました……なにか文句はありますか!?」
文句なんで言わせるものか、と腰に手を当ててクレイスを見下ろす。
正直な話、殴り返されたら負けるのはノーラだ。だって性別が違う、体格が違う、魔法だって使えない。殴り勝てる可能性なんて欠片も存在しない。
けど、気力だけでは負けるものかと睨む、睨む、睨む。クレイスの瞳を、真っ直ぐに。
視線が交錯したのは数分か、数十分か、はたまた数秒程度の短い時間だったのか。
ノーラには分からない、緊張していたせいか時間の感覚なんて曖昧だ。
けれど――クレイスが自嘲以外の笑みを浮かべたのだけは確かであった。
「――思いの外、強い娘だな、お前は」
「わたしが強いんじゃありません、ええ、決して。ただただ――わたしなんかよりずっと強い皆と並び立ちたいから、頑張って背伸びしてるだけです」
そうだ、ノーラは弱い。体も、心もさして他人よりも優れているワケではないのだ。
だけど、大切な友人が、自分などよりもずっと綺麗に輝く星があった。
命を粗末に扱い過ぎなことは不満だけれど、剣に対して真摯な彼。子供っぽくはあるが剣が絡まなければ以外に常識的なニール・グラジオラス。
他の転移者のように調子に乗ってニールを傷つた心の弱い彼女。その非道は消えないけれど、過去と向き合った勇気ある友達、片桐連翹。
格好良くて魔法も凄くて――でも、普段はどこか抜けてる彼。見た目よりずっとワガママで、自分本位で、けれど友人を心から想える愛しい人、カルナ・カンパニュラ。
それと比べて、ノーラ・ホワイトスターは場違いに過ぎると思うのだ。
だからこそ、その輝きに近づきたいと願う。
卑屈になるのではなく、輝きから遠ざかるのでもなく、皆と並び立ちたい。
ノーラ・ホワイトスターはみんなの友人なんだって、胸を張って言いたいのだ。
だから、弱ってなんかいられない、決して、決して。
「……お前が言った通り、この拳は軽すぎるな」
ノーラに殴られた頬を撫で、クレイスは笑う。皮肉げに、この程度では全く痛くないぞお子供が強がるように。
「ノーラ・ホワイトスター、お前の言葉が正しいのかどうかは分からん。だからこそ、私をよく知る人間に判断して貰おうと思う」
「ええ、それがいいと思います」
どれだけ言葉を費やそうと、過去に戻って交流を深められるワケではない。ノーラが彼を知らないのは純然たる事実なのだ。
だからこそ、最終的な判断は親しい人がするべきだろう。
「さて、レゾン・デイトルを強襲する手段は、実際のところ非常に簡単だ。ノーラ・ホワイトスター。レゾン・デイトルが――否、ナルシスが元はどのような町だったか知らぬのか?」
「え? ……漁業が盛んだったんですよね?」
東端のナルキは島国である日向と交流があり、結果『この大陸以外の大地を見つける』という夢を抱いた海洋冒険者の出発地点として有名になっているが――西端のナルキは違う。
今まで島が見つかったという実績も無ければ見知らぬ大地が見えたという噂もないこの町は、漁師の町として有名であった。
「そうだ、ナルシスは漁業の町だ。ゆえに海と隣り合い――けれど後付の街壁は海を全て覆ってはいない」
人の足で中に入れない程度には壁は造られている。
だが、決して海を全て壁で遮っているワケではないのだ。
なぜなら、この街は元々漁師が多い街だから。
この町の現地人を適度に働かせるには――漁業をさせるには海に隣接していることが必要不可欠で、だからこそ最低限の穴を一つ作っているのだという。
「ゆえに、まず奴らが作った街門で派手に暴れ、転移者どもの視線が釘付けにし――街壁の穴から船で港に乗り付ければいい」
ナルシス以外にも船を持つ場所は――漁村はある。
そこから船を借り受け、或いは購入すればいいとクレイスは言う。
言うの、だが――
「……その、わたしはそういう戦術などの知識は無いんですけど――さすがに雑じゃないですか?」
囮で敵を引き寄せて、その隙に外壁のない場所から攻め込む。
なるほど、分かりやすい。戦術や戦略の知識に無縁のノーラですら理解出来る程度に単純だ。
だからこそ疑問に思うのだ。この程度でどうにかなるのか? と。
いくらなんでも雑な考えだろう、と。
「ああ、雑な作戦だとも。王冠が生きていれば、このような案など絶対に出してはいない」
実際、穴だらけだろう? とクレイスは笑う。
笑うが、そこに自嘲の色は無い。
むしろ、嗜虐的な――獲物を貪り喰らう獣のような剣呑な眼で、にたりと笑っていた。
「だが既に奴は亡く、王は君臨こそすれど転移者を率いるような真似はしていない。指揮官が存在しない――いいや、末端の連中が皆、『自分こそが優秀な指揮官である』と信じ込んでいるのだ」
自分がやればもっと上手く行くのに、
自分の方が上手いのに、
自分の方が、自分の方が、自分の方が――などと。
軍を率いた経験も無ければ、戦闘経験もあまり積んでいないというのに、自尊心ばかりが肥大した自称名人様は雑な策に簡単に引っかかってしまう。
無論、引っかからない者も居るはずだ。
これはきっと罠だ、自分だけは理解している、囮に食いつく馬鹿どものようなにはならない――そんな風に他者を馬鹿にする者も居るだろう。
だが、そんな奴は誤差だ。放って置いて良い。
なぜなら――そんな奴はレゾン・デイトルの中でも孤立しているのだから。
他者を無能と罵り、自分の方が素晴らしいと叫ぶような輩が好かれるはずもない。
ゆえに彼らは少人数で行動する。少数精鋭と言えば聞こえが良いが、しかし実際のところ求心力が欠如しているだけだ。
「そして転移者と戦い慣れた騎士であれば、少数の転移者など恐れるに足らんよ。油断すれば食い殺されるだろうがな」
熊がどれほど強い動物であっても、熊たちが人間という種族を駆逐出来るわけではないのだとクレイスは語る。
「その辺り、王冠の奴は転移者の弱点を正しく理解していた。技術がなく、現地の知識もなく、経験不足から不慮の事態に脆いのだと。転移者は強力だが、決して万能な存在ではないのだとな」
だからこそ女好きだというのに男の現地人も雇っていたし、部下を従える時も単純な策を好んで使っていた。現地人の知識で欠損を埋め、見破られても問題のない戦い方で敵対する現地人を圧倒してきたのだ」
王冠は自身に才と実力を鼻にかける男であった。
自分には出来ないことを出来ると信じ込むような男ではなかった。
どれだけ力を持っていても、戦術や戦略で弱点を突かれれば崩れると知っていたのだ。
だからこそ自分たちに不可能なことは現地人を雇い、対価を払い厚遇していた。自身の穴を埋めるために、単純な労働などに時間を割かれないため、現地人を多く登用していたのだ。
ゆえに付け入りづらかったのだという。こちらの策を読む現地人で周りを囲っていたから。
「だが、奴が死んでからレゾン・デイトルの転移者を従える者が雑音だけになった。他人を煽り、嗤い、現地人を――いいや、自分以外の転移者を心の中では見下している奴にな」
無論、雑音語りとて策略を練り、転移者たちを従えることが出来る。
王冠のようなカリスマゆえではなく、王の威を借りているだけだが
だが、彼は根本的に他人を見下し、自分を素晴らしいと信じ込んでいる。
「自分の策は上手く行って当然だ、とな。……もっとも、あれは『成功しても失敗しても己の勝ち』などと嘯いているだけではあるがな。どう転ぼうが勝ち誇り、自分は素晴らしいと酔いしれていることだろう」
思惑通りに進めば自分の勝利。敗北した連中を見下し、嗤う。
思惑通りに進まなくても、しかし自分の勝利。確かに思惑から外れたがダメージは残っているだろう? なら無傷の自分こそが勝者だ。
結局のところ、雑音は相手の欠点をあげつらい、自分の方が素晴らしい人間だと嘯いているだけなのだとクレイスは言う。
「さて――『己の無知を理解している有能な男』から、そのような『己が有能であると思い込んでいるだけの小賢しい子供』にリーダーが変わったのだ。付け入る隙の差など、比べるまでもない。レゾン・デイトルの思惑など王冠が斃された時点で破綻している」
奴は傲慢であり、邪悪であり、女を食い物にする邪悪ではあったが――それでも強敵であったのだとクレイスは言う。
戦闘能力もそうだが、彼の場合それ以外の部分が他の転移者から逸脱していたのだ。
彼にはカリスマがあった、規格外以外の能力があった、美貌があった。
仮に無二の剣王が持つ無二の規格外が彼にあれば、既に西部は転移者の領域だったかもしれない。
だが、もう彼は居ない。ニール・グラジオラスというただの剣士に斬り殺されて、死亡した。
ここまで戦い抜いた現地人たちに、ただ規格外のスキルを振り回すだけの存在など敵ではない。
決まりきった動作しか出来ないというスキルの弱点を突ける技量を獲れば、転移者など同じ動きしかしない雑魚でしかない。
「ゆえに、レゾン・デイトルに存在する多くの転移者など恐れるに足らん。……王と崩落という強者以外は、犠牲を出さずに制圧できるだろう」
「強者――無二さんはともかく、崩落って人もですか?」
幹部である以上強者である――そのようなこと、ノーラだって百も承知だ。
けれど、連翹から聞いた話では憐れな被害者でしかなくて、とてもではないが強者だと思えないのだ。
「ああ、確かにあの娘は弱い。そこらの無法の転移者の方が暴力に慣れている分強いくらいだ」
だが、それが無知であるとクレイスは言わない。
むしろ正常な判断だと頷く。
「だが、転移者と現地人――その多対多の戦いに出れば、彼女は本領を発揮するのだ。ああ、あの実力は確かに恐怖を抱くとも」
理屈は欠片も理解出来ない。
なぜなら、私は魔法使いでもエルフでもないから分からんがね、と。
クレイスはノーラを真っ直ぐに見つめ――
「――――彼女が歌えば、『魔法を封じられる』んだ。転移者に効果があり、だからこそ詠唱を妨害される魔法――あれを完全に無効化してしまうんだ」
――苦々しげに呟いた。
「それは、どういう――」
「正直に言うと、分からん。知っているのは、彼女の戦闘スタイルが『歌って踊り、接近して来た戦士には大声を叩きつけて足止めする』というモノだったくらいだ。そしてこれも、この街が占領されて間もない頃の話で、現在も同じなのかどうかは証明出来ん」
ただ、と。
「転移者と戦っていた冒険者たちが、その中の魔法使いが詠唱を行い――それが完遂したというのに魔法が発動しなかったのだけは確かだ。ああ、覚えているとも。狼狽え、何度も詠唱するが魔法は形にならず、前衛が崩れて叩き潰される魔法使いの姿を。転移者は何不自由なく魔法スキルを使っていたというのにな」
だが、どうやって魔法を封じているのかは判断がつかないと語る。
理由は単純明快。クレイスが人間であり、神官であるからだ。
エルフのように精霊の動きを読めるワケでもなく、魔法使いのように魔力を練る技術を有していないから。見えないモノを、知らないモノを語ることは不可能なのだ。
「だが、彼女を――崩落狂声を放置すれば、先程私が語った前提が全て崩れかねない」
そのくらいの理屈はノーラにも分かった。
一対一の戦いで言うのなら、戦闘の最中に自分だけ武器を取り上げられるようなものではないか。
それでも騎士なら大抵の相手には勝てるのだろうが――今回相手取るのは転移者だ。この程度のハンデ、と楽観視など出来るはずもない。
「恐ろしさが理解出来たようで何よりだ。そう、どれだけ騎士が強かろうと、多対多の戦いで猛威を振るうのは剣ではなく魔法だ。複数の敵を焼き払う力なのだ。ゆえに、それを封じられれば圧倒的に不利になるのは自明だろう」
だからこそ、と。
クレイスはノーラの眼を真っ直ぐ見据えた。
「ノーラ・ホワイトスター。お前に頼みがある――連合軍が到着する前に、崩落を殺して欲しい。仲間の転移者と協力すれば不可能ではないだろう」
その言葉に対し、即座に返答することは出来なかった。
相手が悪党ならば、人を人と思わぬ相手であれば、頷くことは出来ただろう。
だが、伝え聞いた限りでは利用されているだけの少女を、こちらの都合で殺すのは躊躇われた。
けれど、クレイスの言葉を否定することもまた出来ない。そうすれば皆が戦いやすくなるのは自明だから。
ゆえに、肯定することも否定することも出来なくて、言葉を紡ぐことが出来ない。
「すぐに決断しろとは言わんさ。別の手段を模索するのもいいだろう」
だが、残された時間はそう多くはないぞ――クレイスは告げるのであった。
◇
「……これが、レンちゃんが寝たあとにわたしが見聞きしたこと、その全てです」
「そっか――うん、ありがとう」
早朝。連翹たちはまだ多くの転移者が眠りについている時間に話し合っていた。
内容は、昨夜ノーラが出会ったクレイスという男と、彼が告げた言葉について。
(その前に、一人で探索始めちゃったことを色々言いたいけど――)
だが、実際この屋敷の敷地内であればノーラの安全は保証されているのだ。
雑音にとっては取るに足らない雑魚であるし、下手にちょっかいをかけて味方に引き込んだ――と思っている――連翹に敵意を抱かれても困るから。
もっとも、凡百の転移者にはその理屈は通じないが、この屋敷に存在する転移者は王と幹部のみ。
(それに、あたしと一緒じゃそのクレイスって人も声をかけなかっただろうしね)
彼が持っている連翹たちの情報は、元々連合軍に所属していたことと、裏切ってレゾン・デイトルについたということだけ。
ゲイリー団長と親しいそうなので、簡単に裏切るような転移者を味方に引き入れるはずがない、と考えていたかもしれないが――しょせん、推測だ。一か八かで連翹に話を切り出すのはリスクが大きすぎる。
ゆえに、誘拐された少女という設定のノーラに接触した。本当に裏切ってノーラを誘拐したのか、それともスパイとして潜入しいているのかを明確にするために。
「ひとまず杜撰な囮作戦は問題ないと思うのよね」
「……本当に大丈夫なんですか? 正直、この街の地理さえ知っていたらわたしでも考えつきそうな手段ですよ、これ」
「大丈夫。多くのレゾン・デイトルの転移者は、気づいたとしても上手く対処することが出来ないはずだから」
確かに、こちらの意図に気づく転移者も居るだろう。何か違和感があるな、程度の気づきならもっと沢山居るはずだ。
それでも大丈夫だと思うのは、レゾン・デイトルの転移者は皆、規格外の制限時間を知っているから。
規格外を失った後の立場を少しでも良いモノにするため何らかの戦果を上げねばならない以上、違和感があるから周囲を警戒するという手段が取りづらい。
遠くでは華々しく戦い戦果を上げている者が居て、自分は来るかどうかも分からない敵の増援部隊を待ち続けている。
そんなの、耐えられない。だからこそ、多くの転移者は目立つ囮に集中する。
そちらで剣を振るった方が首級という分かりやすい手柄を上げられるし――何より、増援が来たとしても規格外の力でどうとでもなるのだと。
「西部に沢山居る無法の転移者みたいに制限時間を知らないタイプだったら『おれの頭脳で現地人の策を打ち破ってやるぜ!』みたいなことを考えて、芋虫スナイパーみたいにじーっと待ってるなんてことはありそうだけどね。でも、レゾン・デイトルの転移者なら問題なく行けると思う」
規格外を永遠にすること、規格外を失った際の保護の件で一つに纏まっているのだが――そのせいで焦りという魔物が彼らの心の中に巣食ってしまっているのだ。
無論、これは優れた統率者が居ればどうとでもなることだ。
だが、それが出来る者はもう居ない。強いて言えば雑音がそれを成せるかもしれないが――
「あいつ、そもそも勝つ気なんてないからね」
――転移者が勝っても、連合軍が勝っても、ぼくは困らない。
そんなことを言って大物ぶって笑う姿が容易に想像出来る。
そして、王と崩落が舞台を統率できるとは思えない。無論、無名の転移者の中に指揮に長けた者は居るかもしれないが――プライドの高い転移者が、自分と同格の存在の命令を聞くとは思えないのだ。
ゆえに、作戦そのものは問題ない。けれど――
(――崩落を殺せ、か)
ああ、ノーラが悩んだ理由が分かる。
だって、自身の感情さえ抜きにすればその手段は最適解だと思うから。
彼女を不意打ちで殺せば、後の実力者は王と雑音のみ。結果、雑音が警戒し全力で転移者を指揮したとしても――王冠が率いた転移者たちをを打ち破った連合軍なら問題なく戦える。
無論、これで楽勝などとは思えない。王の実力はまだ未知数だし、外壁のある街を攻める難しさというのも存在するだろう。
だが、ここで殺しておけば不確定要素を減らせる。仮にこれがゲームか何かだったら、一周目は崩落を殺し、二週目以降に助ける選択肢を選んでいたことだろう。
だけど、ここは異世界であれど現実だ。一度選んだ選択肢は、二度と選び直すことは出来ない。だからこそ、人は思い悩むのだ。
「……とりあえず、お茶会に遅れないように準備しましょ。情報云々っていう理由もあるけど、楽しみにしてたみたいだからね、あの子」
「分かりました。レンちゃん、髪の毛とかすので座ってください」
「ありがと、ノーラ」
だからこそ、二人は選択を先送りにした。
答えがわからないから、何が正解か惑っているからというワケではない。
正解など明白で、皆の利益になる選択は分かりきっていて、答えなど出そうと思えばいつでも出せる。
だけど、それを選びたくないから――まだ情報収集が必要だという理屈で先延ばしにするのだ。




