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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
レゾン・デイトル
197/288

194/屋敷探索


 窓から差し込む光は橙色に染まり、そろそろ一日が終わるのだとノーラに囁く。

 街中であれば仕事を終えた人々の喧騒が聞こえてきそうなモノだが、屋敷の中は酷く静かだ。

 音が全くないワケではない。屋敷の外から遠く響く誰かの笑い声はあるし、あくせくと働く現地人メイドの気配も感じられる。


 けど、言ってしまえばそれだけだ。


 遠くから響く笑い声は己を誇示するような傲慢な笑い声であり、重なって響いてくるのは媚びへつらう者の甘言と自分の方が素晴らしいと対抗する誰かの声。どれも一日を終えて楽しむ人の声には程遠かった。

 対し、屋敷の中は遠くの声が明瞭に聞こえる程度には静かで、廊下を歩いていても誰かの声が聞こえることは滅多にない。

 遠くから響く喧騒のせいで余計に屋敷の静けさが強調されている――そのようなことを考えて歩いていたノーラは、広い空間に出た。

 そこは屋敷の玄関ホールである。

 階段の上から見下ろすそこは、訪れた客人を迎えるため豪奢に飾られていた。窓からは入り口側、そして裏口側に存在している庭が見える。冬でも色とりどりの色彩を見せるストックの花は、こんな状況下で無ければ見て回りたいところだ。

 窓から覗く花も、飾られた調度品も、客人を歓待する最初の場所。ゆえに、雑音ノイズに案内されて通った扉も、当然の如く存在している。周囲に人影はなく、出ようと思えばすぐさま扉を開けて屋敷の外に出られるだろう。

 だが――

 

(分かっていたことですけど、外に出るのは不可能ですね)


 ――はあ、とため息を一つ。

 自分に対して監視が多いワケではない。

 むしろ逆。屋敷から脱出しようと思ったのなら、今この瞬間にだって出られてしまいそうだ。

 けど、それだけ。

 仮にそれを実行したとしても、ノーラが無事にこの国から脱出出来る可能性はゼロに等しい。

 なぜなら、自分には土地勘が無いから。雑音語り(ノイズ・メイカー)に先導されて歩いたのも大通りばかりで、現地人が一人で歩くには目立ちすぎる。

 逆に裏通りに入っても――様々な建物が無計画に乱立しているこの国で迷わずに移動する自信も無ければ、道中出会ってしまうだろう転移者をやり過ごす自信もない。

 ゆえに外に出た瞬間、転移者の闘争に巻き込まれるか、好色な転移者に違法奴隷にするため拘束されるかの二択。仮に運良くそのどちらにも無縁で移動出来たとしても、街門の門番に捕まって終わりだ。

 だから、外で情報収集をするという選択肢に脳内でバツ印を付ける。

 

(けど、この監視の無さ。きっと屋敷に留まっていても、脱出を試みて死んでも――雑音ノイズはどちらでも構わないのでしょうね)


 前者なら連翹を操るための鎖になるし、後者であれば連翹が語った崩落テラーのように薬に依存させるキッカケになるだろう。

『どちらを選んでも構わないよ、どちらを選んだとしてもぼくは困らないから』――そう嗤う雑音ノイズの姿が脳裏に浮かぶ。

 だが、それに苛立つことはない。見下して、嗤って、相手が自分よりも格下だと思っているからこそこうやって潜入出来ているのだから。

 だからこそ、屋敷の中をさまよい歩く、ふらふらと、おどおどと、不安気な表情で。けれど、脳内にはしっかりと地図を描いて。


「あら? 貴女は……」


 階段を降りて一階を探索しようとした瞬間、メイド服を纏った女性と遭遇した。

 若干くすんだ金髪を腰まで伸ばした、二十代半ばくらいの女性であった。細身でありながら女性らしいボディーラインを兼ね備えた彼女であったが、勝ち気な表情が女性らしさよりも少年のような活発さを対面する者に抱かせる。

 見慣れない私服の現地人の姿に困惑しているのか、怪訝な表情でこちらを見る彼女に対して、ノーラは「えっと……」と小さな不安そうな声音を漏らした。


「わたし、今日ここに連れられて……それで」


 それだけで全てを察したのか、メイドは安堵させるように微笑んだ。大丈夫大丈夫、何も心配しないで、と。


「ああ、雑音ノイズ様の言ってた娘ね! 初めまして!」


 そう言って彼女は朗らかな笑みを浮かべると、周囲をぐるりと見渡した後、ノーラに顔を寄せた。

 

「……一階の西の端に使用人部屋があるからいらっしゃい、こんなところで一人なんて不安でしょう?」


 囁くように告げられた言葉に対し、一人ってワケじゃない――と言いかけたが、寸前で止める。

 きっと目の前のメイドは転移者を人間として数えていない。魔族に攫われた乙女に対し『魔族も居るから二人だね、大丈夫!』……などという印象を抱かないのと一緒だ。

 事実、彼女の表情にはノーラを安堵させるための笑みの他に、強い怒りが見て取れた。転移者どもめ、人間をなんだと思っている――そんなことを考えているのだろう。

 

「そういうワケ! 仕事の都合であたしは居ないかもしれないけど、他の子だって絶対歓待するはずよ。都合が着いたら好きな時にいらっしゃい!」


 そう言って彼女は背を向けた。

 仕事があるのか、あまり現地人同士でお喋りしている姿を晒したくないのか、そそくさとこの場所を離れようとする。

  

「あ、その、ごめんなさい。質問があるんですけど、いいですか?」


 その背中を呼び止めた。


「うん? どうしたの?」


 表情を若干訝しげなモノにしつつも、こちらを萎縮させないように微笑む彼女に対し、ノーラは頭を下げながら問いかける。

 

「その、わたしはここに来たばかりで――現地人が入ったら怒られたり、危険だったりする場所が分からないんです。ですから、少し教えて欲しくて」


 その言葉に得心がいったのか、メイドは頷き――僅かに顔を顰めた。


「……地下への階段。そこだけは、絶対行かないほうが良いわ」

「地下? そこは危険、なんですか?」

「いいえ。ノーラちゃんに手を出さないようにって雑音ノイズ様が周知してるからね、あの豚どもも妙なことはしないわ。もちろん、胸や尻くらいは触られるかもしれないけど――それだって嫌でしょう? 近づかない方がいいわ、絶対に」


 ――その言葉で、なんとなく理解出来た。

 この屋敷に入って初めて出会った現地人――賢人円卓を名乗る貴族。贅肉で肥大した体を無数の装飾品で彩り、現地人の少女に鎖をつけて散歩と称し外に出た男。

 そんな彼らが、地下で『何か』をしているのだ。

 普通の仕事を地面の下でやる理由もないだろうから、きっと後ろ暗いことをしているのだろうなと想像は出来る。目の前のメイドがあえて言葉を濁しているので、想像することしか出来ない。

 

「分かりました、ありがとうございます」

「いいのいいの、困ったときはいつでも頼ってちょうだい。……それにしても、全く――旦那様も、なんでわざわざ賢人円卓なんて連中と一緒にいるのかしら」


 最初は明るく大きな声音で、後半は胸の内の苛立ちや憤りを留めておけず僅かにこぼしてしまったように小さな声音で。

 彼女も現状に思うところがあるのだろう。悩むことがあるのだろう。無いはずがない。

 だからこそ、ノーラは己の拳をぎゅうと握りしめるのだ。決意を新たにするために、勇気を振り絞るために。

 

(けど――地下、ですか)


 ちらり、と先ほど自分が降った階段の裏を覗き込むが、それらしい入り口は存在しない。

 ゆえに、この町が占領された後に造られたモノなのだろうと推測する。

 もちろん隠された部屋、食料保存庫などは存在するかもしれないが――そんなモノなら、あのメイドがノーラに地下の存在を告げる理由がない。

 だからきっと、この屋敷を歩いていたら見つかる位置に入り口があるのだ。

 そう推測したノーラは、一階を探索する。

 幸い、賢人円卓の貴族と出会うことはなかった――というより彼らは今、この屋敷内部に居ないらしい。仕事場の前で聞き耳を立てても、音どころか中に人がいる気配すら存在しないのだ。

 怪訝に思うが、今が好機と屋敷内を歩き回る。部屋の中に侵入したりはしない。今は、まだ。

 

(一階は東は賢人円卓の仕事場と自室、西側は大きなお風呂と遊技場――端っこに使用人などが住まう場所。二階は空き部屋ばかりですけど、転移者の居住スペースといったところでしょうか)

 

 転移者が上で、現地人が下――そう決めているのかもしれない。

 そう考えながら玄関ホールまで戻ってきたが、地下への入り口などは見当たらない。

 もしかしたら屋敷の外にあるのだろうか? ならとりあえず、今日はもう探索を切り上げるべきだろか。

 そう思い悩んいると、ふと一つの可能性が思い浮かんだ。


「そういえば……」


 そこにはまだ行ったことが無いな、と。

 仮に転移者が地下施設を作るなら、屋敷の中よりもそこだろうな、と。

 そう考えてノーラは玄関ホールに設置された扉――裏口側の庭へと足を運んだ。


「わぁ……」


 日が沈みだし、徐々に薄暗くなっていく外の世界であっても、豊かな色彩でノーラを出迎えてくれた。

 色とりどりのストックの花に彩られた世界に、強張った体と表情が緩んでいくのが分かる。やはり、綺麗なモノは良い。見ているだけで心が安らいでいく。

 出来れば昼頃に見たかったな――そう考えたところで、ノーラは頭を振った。

 違う、そうじゃない。

 確かに綺麗だけれど、今は必要な情報じゃない。

 ふう、と吐息を吐き、息を吸う。すると感じる、甘くありながらも刺激的な香り。好き嫌いが分かれそうな強いその香りは、町に漂う潮の匂いにも負けず自己主張していて――


「……あれ?」


 ――それに隠れるように存在している微かな異臭が鼻孔を突いた。

 花の香りとも違う、海の匂いとも違う、もっと別の何か。匂いよりも臭いというべきそれは花の香りに隠れながらも確かに存在していて、思わず顔を顰めてしまう。

 最初からこの庭にあった臭いでは断じて無い。後から来た誰かがここに何かを作ったのだと思う。

 証拠は無いもののどこか確信めいた思いを抱きながら、ノーラは花畑を歩き回る。すんすん、と犬のように臭いを嗅ぎ分けながら。

 

「あった。きっと、これですね」


 庭の奥。そこに、異臭の元はあった。

 それは地下へと続く階段だ。地面を強引に掘り進めたようだが、しかしそれを確かな技術を持った誰かが補強した跡がある。

 やっぱり、と思う。

 だって、転移者は大工のように家を建てる技術も知識もない。力任せに掘り進めることは出来ても、安全に掘り進める技術はないのだ。

 だからこそ、上の地面が崩れても問題ない位置で地面を掘って地下空洞を作ったのだ。……レオンハルトも、そのような力技で自身のアジトを作っていた。

 

(さっきのメイドさんがわたしに伝えたのは、こうやって見つけてしまう可能性があったからなんでしょうね」

 

 心身共に疲れた自分が、ふらりと訪れた花畑で心を癒やし――偶然見つけてしまう。

 その時、前提知識が無ければ何も考えずに階段を降りてしまうかもしれない。だからこそ、予め警告しておいたのだ。地下への階段には近寄るなと。  

 

 ――階段を覗き込むと、嫌な臭いがノーラの鼻孔を犯した。


 それは様々な体液が混じり合った臭いだ。血と涙と排泄物と、男女のまぐわいによって発生するモノ。それらがぐちょぐちょに混じって溜まっている――そんな、嫌な臭い。

 

(――ああ、つまり、これは)


 気づく。

 なぜ賢人円卓の仕事場に人の気配が無かったのか。

 耳を澄ますと、なぜか『ぐちょりぐちょり』という湿った音が、『パンパン』肉と肉をぶつけ合うパンパンという音が響いてくるのか、……幻聴かもしれないけれど男の荒い息遣いが聞こえてくる。

 想像する、連想する。最初に賢人円卓の一人が連れていた違法奴隷――屋敷内部に居なかった彼女たちがどこにいるのか。

 全て、全て気付いて――中の様子を想像して――胃液が逆流する感覚にさいなまれる。


「うっ――く、ぅ……」


 先程のメイドが言葉を濁した理由が良く分かった。

 誘拐されて怯えている少女にこのようば場所を説明したら、なんの心構えもなしに内部の様子を見てしまったら、きっと心が折れる。

 覚悟を以って挑んでいるはずのノーラですら、中で何が行われているのかを想像するだけで吐き気がこみ上げてくるのだ。ああ、彼女は心から自分を案じてくれていたのだなと理解する。

 

「だけ、ど」


 地下でそういった『行為』をしているのだとしたら。

 肉欲に溺れ、没頭しているのだとしたら。

 むしろ、これはチャンスではないか? 彼らが夢中になっている隙に、地下の探索と内部で飼われているであろう違法奴隷の治癒を行う。

 危険はあるだろうが、無理はせず、出来る限りすぐに引き返せば問題ない。ない、はず。

 ゆえに、ゆっくりと階段に足を――

 

 

「――――そこの娘、動くな」



 ――喉が痙攣し、情けない声が漏れる。

 声は前からではなく、背後から。花畑の方から響いていた。

 

「ええ、っと――その、すみません、こ、こんなところに階段があったから、つい、気になってしまって」

 

 入っちゃいけない場所でしたか、と。

 ゆっくりと振り向いたノーラは、内心の焦りをそのままに、呼び止められて慌てている風を装った。もっとも、どこまで上手くやれているのかは分からなかったけれど。

 視線の先に居たのは、どこか浮世離れした雰囲気を持った男であった。

 引き締まった細い体躯を覆う白い法衣は白い肌の一部のように調和している。唯一、毒々しい程に濃い紫の長髪だけが、彼の完全な調和を崩していた。

 年齢は、おおよそ三十代前後といったところだろう。

 一体、誰だろうか。

 転移者には見えないが、しかし現地人の使用人にも見えない。転移者がもたらす利益で肥え太る貴族にも、また。

 だが、急速に薄暗くなっていく世界の中で、それでも輝く胸の銀を見て、ノーラは「あっ」と小さく声を漏らした。

 

(神官だ)


 一瞬、転移者が十字聖印を持って身分を偽っているのかと思ったが――顔立ちからして転移者とは違う。

 だが、一体どういう人間なのか、それが分からない。表情の薄い鉄面皮が、ノーラに彼がどちら側に位置する現地人なのかを想像することを許さないのだ。


「……」


 彼は言葉に反応しない。

 ただただ風で法衣を靡かせながら、じい、とノーラを見つめるのみだ。

 

「ええっと、その」

「……その顔、中がどうなっているのかを理解しているのだろう? ならばそこに行くべきではない。手を出されるか否かではない、あのようなモノ、女子供が見るべきモノではない」


 そして、と。

 彼は睨みつけるようにノーラの背後――階段を見つめる。


「そろそろ戻ってくる。お前もわざわざ連中と鉢合わせたくはないだろう」


 ゆえに、来い。

 そう言って彼はこちらに背を向け屋敷へと歩き出した。

 困惑するノーラをそのままに、大股で先へ先へと。ついて来る気がないのならそれで構わない、そんな言葉が聞こえてきそうな歩みであった。


「わ、分かりました!」


 遠ざかっていく背中を見つめること数秒、ノーラは慌てて彼の背中を追う。

 女の歩幅など一切斟酌する気はないという足取りに苦労したものの、なんとか追いつく。

 それでもなんの反応もせずに歩き続ける法衣の男に対し、胸の中から不安が顔を出す。


(……ついて行って正解だったのか、間違いだったのか)


 相手がどんな人間か分からない以上、この選択は危険かもしれない。知らない人について行っちゃいけません、なんて子供でも知っている言葉だ。

 けれど、胸で煌めく銀の輝き――それを見てある程度は信ずると決めた。神官だから真っ当な人間とまでは言わないが、内面が賢人円卓を名乗る者たちと近しければ創造神も奇跡を与えないだろう。

 やや博打気味ではあるが……構うまい。ノーラに手を出すなという雑音ノイズの言葉がある以上、大声を出せばなんとかなる。なる、はず。警戒を怠らなければ、なんとかなるはずなのだ。

 内心でそう決意していると、目の前の男が立ち止まった。

 こちらの考えていることを読まれたのか? そう思ったが、違う。目的地に着いただけだ。

 ドアノブを回し、中に入る男。彼はちらりとノーラを見つめると、そのまま部屋の中に入っていった。

 

(――ええっと、入りたいのなら入れ、ってことかな)


 数瞬だけ悩むが――ここまで来たら皿まで喰らうしかない、と閉まろうとするドアに体を入れる。

 室内は――どこか玄関ホールを連想させた。

 華美ではないが金の掛かっているらしい家具で彩られた室内は、地味でありながらも貧乏くさい印象など欠片もない。

 だが、そんな部屋の中に一つ、調和の取れていないモノがあった。

 それは古い椅子と机だ。最初、ノーラが分からないだけでアンティークか何かかとも思ったが、違う。机についた傷や染みなどから、使い込む間にボロボロになったのだと明確に告げている。

 そんな古い椅子に、法衣の男は脚を組んで座っていた。じろり、とノーラの体を舐めるように見つめている。


(あ、どうしよう――早まったような気がする……!)


 表情に出さないようにしつつも、頬を伝う冷汗だけはごまかせない。

 このままベッドに組み伏せられる流れだろうか、いや、まだ決めつけるには早い。早いけど、叫ぶ準備だけはしておかないと――!

 内心の混乱を必死に押しとどめながら、ノーラは男を見つめる。

 彼が一体どんな人間なのかは分からないが、貴重な情報源であることは確かだ。ゆえに、なんとか会話して情報を引き出さなくてはいけない。

 

「ええっと、初めまして、わたしは――」

「女一人で男の部屋に――迂闊ではあるが、最低限の警戒はしているようだな。及第点をくれてやる」


 ノーラの言葉を遮り、男が言葉を発した。

 

「無警戒について来るような頭の軽い娘であれば興味も使い道もなかったが、その点、お前はまだマシだ。使い道がある」


 ――なんだろうこの人、凄い上から目線。

 そんな思考が読まれたのだろうか「ああ、そうか」と頷いた。  


「自己紹介がまだだったな。賢人円卓の貴族が一人、クレイス・ナルシス・バーベナだ。初めましてだ、幹部候補の友人とやら」

「賢人円卓ッ……!」


 その単語を聞いた瞬間、ノーラの体が強張った。

 だってその肩書は信用に値しない。ノーラが最初に出会った賢人円卓を名乗る男も、賢人とは程遠い言動をしていたのだから。

 それと同じ集団に属する者――それを警戒するなという方がおかしい。


「こちらが名乗ったのだ。ならば名乗り返すのが礼儀ではないか?」


 警戒を強めるノーラを見つめながらも、クレイスは淡々と言葉を放つ。

 視線はノーラを舐めるように這い回り――しかしなぜか不快感は無かった。じろじろ見られて緊張はするけれど、それだけだ。

 

(……たぶん、視線にいやらしさとかがないから)


 カルナが魔導書や鉄咆てつほうを調整している時の瞳――とでも言うべきか。

 あるいは、ニールが己の剣を整備している時の表情だろうか。

 己の目的のため真剣に武器を見定める二人の姿が、クレイスの目と重なる。

 

「……ノーラ・ホワイトスターです。初めまして、クレイスさん」


 だから、一歩前に出た。

 やるべきことに対して真剣な二人と同じ目をしているのだ、きっと信用出来る。どんな理由があるのかは知らないけれど、見定めたいなら好きにすればいい。

 その結果、彼にとってノーラが期待外れであっても構うものか。悩んだところで突然覚醒するワケではないのだ。なら、今ある自分を見せればいい。

 圧すら感じる程の視線を真っ向から見つめ返すと、クレイスは「ふ――」と僅かに口元を緩めた。

 

「ただの手弱女ではないかと疑ったが――ふむ、なるほど奴が好みそうな娘だ。お前がもう少し歳が近ければ、奴との見合いの席を作っていたところだ」


 言って、彼は表情を緩めた。ノーラを襲った圧すら感じる視線もまた途切れる。

 え? と狼狽するノーラに対し、クレイスはにかりと――どこかで見たような快活な笑みを浮かべた。


「――ゲイリーは息災か、ノーラ・ホワイトスターよ。なにせ奴の顔は迫力がありすぎる。真顔で町を歩けば女子供は泣きわめき正義感の強い冒険者が奴を呼び止めたものだよ。『人前では笑っていろ、出来ないのならこの兜を被れ』と言ってやった私を褒めてもいいのだぞ」

「……その、失礼ですけど、本当にゲイリー団長さんと知り合いなんですか?」


 得意げに笑うクレイスだが、ノーラの知るゲイリー・Q・サザンと彼が語るそれは全く一致しない。

 確かに顔は厳ついけれど、普段から人好きのする笑みを浮かべる彼を恐れるなど、ノーラには考えられなかった。


(……あ、でも)


 連合軍の皆と初顔合わせした時、ファルコンがゲイリーに問いかけたことがあった。

 なぜ未だにナルシスなんて言っているのか、あっちはレゾン・デイトルと名乗っているのだからそっちで統一すればいいじゃないか、と。

 

『――――なぜ秩序を乱す悪党どもが使う名を、ボクらが、ボクらアルストロメリアの騎士が使用しなくてはならないのだ』


 氷の刃のように冷たく鋭い、しかし燃え盛る炎のような怒りが込められたその言葉。

 ああ、確かにあの時は恐怖を抱いた。自分に向けられた敵意ではないというのに、脚が震えるほどに。

 もしかしたら、あっちの方が素なのかと思って――首を横に振った。

 この前、ニールにも言ったばかりではないか。普段から柔和に微笑むゲイリーと悪党に対し敵を向けるゲイリーは両立するモノなのだ。どっちが本物で、どっちが偽物かなんて話ではない。

 

「ふむ、その反応……私の考えに間違いはなかったようだ。いやいや、あのモンスターの返り血を拭いもせず宿敵とやらを探していた馬鹿が騎士団長に! そう思ったが、奴も奴で努力したようだな」


 やはり人間は見た目だな、とクレイスは笑った。

 まあ確かに――とノーラも曖昧に微笑みながら頷いた。見た目が全てとまでは言わないけれど、ゲイリーが今もそんな血まみれ男だったらもっと距離を置いていたと思う。


「……さて、せっかく奴を知る人間が来たのだ。この汚らしい机に刻まれた傷の数ほどゲイリーの若気の至りを語ってやりたいところではあるが――」

「はい――それもちょっと気にはなりますけど、今はすべきことがありますから」


 だから、それらは全てが終わった後。

 このような敵地ではなく、なんの憂いもなく話せるような時間にすべきことだろう。

 ゆえに、今語らうべきはレゾン・デイトルについてだ。


「ノーラ・ホワイトスター。お前が連合軍と同じ道を歩んでいたのならば知っているだろう、思うがままに生きる転移者たちを」

「……ええ」


 知っているとも、覚えているとも。

 彼らの暴虐を、愚かしさを。

 どうして、と何度も思った。

 与えられた力に頼り切りの姿ではない、力に溺れることでもない。

 どうして彼らは、その力で他者を傷つけて笑えるのだろうか。どうして、平然と良心を捨てされるのか。

 無論、全ての転移者がそういう存在では断じて無い。けれど、力を振るって暴れる者はどうしたって目立ってしまう。

 即ち、自分は凄いぞ、自分は強いぞ、自分は偉いぞ、と叫びながら喜々として奪い、犯し、殺す転移者。自分は規格外チート持ちだから全てが許されているのだという戯言を心から信じて実行する理解できない存在だ。

 ノーラの表情が知らず歪み、それを見たクレイスが「知っているのなら話は早い」と頷いた。


「それとさして変わらん。ただ一点、一つに纏まる理由があるだけだ」

「……それって、無二の剣王(オンリー・ワン)さんの力のことですか?」


 ノーラが想像した転移者が一つに纏まるなど、本来ならばありえない。

 なぜなら、自分こそこの世界という物語の主人公で、他は端役なのだと半ば本気で信じ込んでいるから。

 無論、そんなモノは子供が空想する全能感でしかないのだが――規格外チートという強大な力はあらゆる困難を容易く退け、馬鹿げた空想を現実で実行出来る。出来てしまう。

 ゆえに、彼らは喜々と他者を叩き潰せるのだ。物語を眺める読者のように、現実感もなくただただ主人公という役割に依存して酔いしれているから。

 そんな人間が他者と共存出来るだろうか? 己が振るう力に依存している弱者ならばともかく、自分と同じように主人公ごっこをしているような人間と。

 そんなの不可能だ――本来であれば。


「ああ。規格外チートに依存する連中にとって、三年で力が消滅するなどという現実は決して受け入れられない悪夢なのだ。ゆえに、その悪夢から覚めるまでは肩を寄せ合うのだ――くくっ、なんだ、まるで雷に怯える子供のようで可愛らしいじゃないか!」


 ははははっ、と笑い声が響く。

 心底おかしそうなそれだが、その響きはどこか空虚であった。

 事実、クレイスの目はまるで笑っていない。

 瞳はただただ暗く、光を反射しない闇だけを湛えていた。


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