189/雑音語りの思惑
「……狐野郎が来たぞ」
門番の声が響き、連翹は意識を過去から現実に引き戻した。
うんざりとした口調。そして気絶した友人を袋に詰めて持ち込んだ女から開放されるのだと安堵の息を漏らす彼が見つめる方向に視線を向ける。
「雑音語り……」
弱者を名乗る転移者。
他者を嗤い貶めることを快感とする下劣な男。
学ランの上からボロのような黒い外套を羽織った少年――雑音語りは悠然とした歩みで連翹に近づき、にこりと微笑んだ。
「やあ、数日ぶりだね。その様子を見る限り、どうやら心変わりしてくれたみたいだ。嬉しいよ」
どの口で――と猛る内心をぐっと堪える。
内心の敵意を胸の奥底に沈めて、必要な言葉を、言うべき言葉を舌に載せる。
「そ、そうよ――悪い? だって考えれば考えるほど、皆があたしなんかを好いてくれてる理由なんてなくて、ならそれは全部演技で、皆々あたしのことを遣い潰せる駒としか考えていないっていう方が、ずっとずっと、しっくり、来て……」
体を震わせ、雑音が望んでいるであろう言葉を吐き出してやる。
弱い女、脆い女、扱いやすい格下――そう、心から信じ込ませるために。
なにも難しいことではない、不可能なことでもない。
だって、自分は元来そういう弱い人間だ――ニールたちの言葉が無ければ、きっとこんな風に悪感情の沼に沈んでいただろうというのが分かるから。
「大丈夫さ――君が有用である限り、ぼくは君を見捨てない。ようこそ片桐連翹さん、転移者の国、英雄の国、レゾン・デイトルへ!」
そんな連翹を気遣うように、そして歓迎するように微笑む雑音。
その態度は、もしも連翹が本当に精神的に参っていたのなら、救いの糸が垂らされたように思えたのだろう。ああ、助かった、と。最初から彼の言葉を聞いておくんだった、と。
だが、温度の無い冷たい瞳と、嘲るように僅かに吊り上がった口元。それらが彼の言葉が全て上辺だけのモノであると証明している。
こんなモノ――種が割れた下手くそな手品と変わらない。
(――ああ、カルナの言った通り)
こいつは、根本的には弱小転移者と大差はない。
要は、弱い者いじめが得意なだけの存在なのだ。
だって、彼が操れていたのは心が弱いか疲弊していた者ばかりで――事実、精神的な脆さのない王冠に対しては実利で自分の価値を示し、共闘していたようだから。
結局のところ雑音語りという男は弱者しか説き伏せることが出来ないのだ。実力か精神、そのどちらかが自分よりも格下でなければ、彼の囀る雑音など多少耳障りな程度だ。心を揺さぶられることなど、決して無い。
「あ、ありがとう、歓迎してくれて。けど、その前に――この子も、レゾン・デイトルに入国させたいんだけど……い、いいかしら?」
「この子?」
雑音が怪訝そうに眉を寄せ、二人の会話を聞いていた門番が「うへぇ」と気色悪いそうに呻いた。門番の気持ちはちょっと分かるので、少しばかり申し訳ない気持ちになる。
地面に置いた袋をゆっくりと開く。すると、桃色のサイドテール、苦しげに眠る可愛らしい顔、そして服の上からでも分かる女性らしい柔らかな体つきが露わになった。
苦しそうな顔なのは演技というより袋の中が息苦しかったのだろう。それを申し訳なく思いながらも、しかし同時に好都合だとも思った。少なくとも快適そうな顔をしているよりは疑われにくいはずだ。
「……ああ、どんな大荷物かと思ったけど、そこには人が入ってるんだね」
驚いた、と言うように口元を手で覆うが――注意深く観察すれば気づける。
嘲笑うように釣り上がった口角が更に上がっていて、それを隠しただけ。馬鹿な女だ、と見下し嗤うのが我慢できなくなったのだ。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、予想を上回る低能ぶりだな、とでも言いたいのだろうか?
(――好きに嗤えばいいわ)
相手を嗤えば嗤うほど、見下せば見下すほど瞳は曇っていく。
どんな生き物だって格下過ぎる存在に危機感を抱けない。肉食獣が草食獣を外敵と認識することなく、餌であると、食料であると考えるのと同じだ。
そして目の前の男は連翹のような存在を餌に生きてきた。だからこそ、嵌りに嵌まるのだ。獲物の中でも手軽に狩れそうだな、と。
「そ、そうなの、あたしの――友達。絶対裏切らないって、あたしは、そう信じてる子なの。いいでしょう? お願いよ、あたしは一人じゃ駄目なの。一人じゃ何も出来ないから、仲間が、友達が、い、いないと、いけないの」
震えた声音で、けれど瞳を閉じるノーラの顔を慈しむように見つめながら自信の刃を振るう、振るう、振るう。
貴方の言う通りだ、皆自分を裏切るつもりなんだ、けど――それでもこの子だけは、きっと大丈夫。
雑音の言葉に惑わされて裏切った癖に、裏切った友情を捨てられない弱い女。可哀想な可哀想な――頭が可愛そうな女を演じきってやる。
「……はははっ、もちろん構わないとも! 君が信用する友達だっていうのなら、ぼくにとっても信用できる友達だ! 入国を歓迎しよう!」
抑えきれぬ嗤いを朗らかな笑い声に偽装して雑音は笑う。
「ただ」
彼は一言呟いてノーラを見つめた。
「一応――眠っている彼女を起こしてくれないかな」
街中で騒がれても困るしさ、と。
そう言って雑音語りの瞳が鋭く細められる。
違和感を見抜いてみせると、虚実があれば糾弾してやると。
連翹とノーラを疑っている――ワケではないのだろうと思う。彼がこちらを見下し、侮っているのは真実だ。
けれど、国に入れる以上は最低限観察しなくてはならない――そう思っているのだと連翹は推測する。
だって、本当に警戒していたのなら、連翹とノーラを分断しているはずだ。連携が取れないようにして、行動を狭めるはずなのだ。
弱いからこそ、自分を害する可能性がある相手を最大限警戒する。
それをしないということは、そうするまでもない弱者であると考えているからだ。
「ええ、分かったわ。……ノーラ、起きて。ねえ、ノーラ」
耳元で囁くように名を呼びながら、体を優しく揺する。
それを二、三回繰り返すと、ノーラは小さく声を漏らしながら眩しそうに瞳を開いた。さっきまでずっと袋の中だったのだから、目が慣れていないのだ。
だが、それが今ここで目覚めたばかりなのだという演技に説得力を持たせる。
無論、虚偽を見抜くことに長けた者であれば、簡単に見抜かれる演技かもしれない。
でも、自分たちを観察する転移者二人はそのような人間ではないはずだ。ならば、騙しきれる。
「ここは……? ……レン、ちゃん……?」
「ああ、ノーラ……!」
どこかぼんやりとした声音で、寝起きを装った彼女の声を遮るように連翹はノーラを抱きとめた。
きゃ、という驚きの声を腕で包み込みながら、舌を回す、刃を振り回す。
「ああ、ごめん、ごめんねノーラ。体のどこかに痛い所はない? あったらごめんね、無くてもごめんね、急に袋に詰めてごめんね。でも必要なことなの、必要なことだったの、あのままじゃどうにもならなくて、雑音様に助けて貰わないと駄目で……でも一人なんて耐えられなくて。ねえ、ノーラ、あたしたち友達よね。友達って言ってくれたものね。だからずっと一緒に居ましょう、ずっとずっと、友達でしょうあたしたち。絶対離れないでよ、離れちゃ駄目よ離さない離さない離さない――」
ぎゅう、と彼女の柔らかな体を抱きしめながら、壊れた蛇口のように言葉を吐き出し続ける。
だって、雑音たちが演技を見抜くプロではないのと同じように、連翹たちもまた演技のプロではないのだから。
些細な違和感はきっとあるはず。無い、などと信じ込めるはずもない。
だからこそ、大事なのは勢いだ。
怒涛の勢いで些細な違和感などを押し流し、片桐連翹は現在こういう状況なのだというイメージを植え付ける。
「れ、レン、ちゃん……?」
そんな彼女の行為に、ノーラは僅かに身震いをする。表情も、僅かに青ざめていて友の豹変にドン引きする少女のようだ。
ああ、なんて上手い演技―――
(……というかノーラ、ほんのちょっと素で引いてない? 演技だからね? ねえ、演技だからね!?)
そんな風に肩を掴みたくなるけれど、そんなことをするワケにはいかないのでグッと堪える。
それに、悪いことばかりではない。
その反応が雑音の警戒心を緩めさせたのか、彼は満足そうに頷いていたから――警戒する程の相手ではない、と。
「ノーラ・ホワイトスターさんだったね。ようこそレゾン・デイトルへ」
「雑音語り……!? な、なんで……?」
ノーラは慌てて辺りを見渡し、表情を徐々に不安な色を滲ませていく。
それは演技であり、同時に本心なのだろう。
袋に詰められ、先程までずっと瞳を閉じていた以上辺りの様子は分からなかっただろうし、敵地に居る以上不安は胸の中に存在するのだから。
「あ――あなた、レンちゃんに何かしたんですか!?」
そして、吐き出すのは怒りの言葉。
自分と友の現状を見て、何かされたのだと気づいたという体で雑音に食って掛かる。
だって、今の連翹の様子はまともじゃない。何かされたのだ、レオンハルトやインフィニット・カイザーのように、と。
その事実に、今、ここで気づいたというようにノーラは叫ぶのだ。
友を心配する少女のように、気づくのが遅すぎた間抜けのように。
「いいや? 何もしていないさ、何も、何も、何もね。ぼくは雑音を吐いただけで、それをどう受け取るかは人それぞれなんだから。彼女は自分の意思でここに来た、自分の意思で連合軍を裏切ったんだ」
その叫びを心地よさそうに聞きながら、雑音は嗤う。格下の恨み節ほど気持ちいいモノはないとでも言うように。ノーラの言葉を信じ込んで、最上段から見下ろして嘲笑い続ける。
当然だ、確かに今ここで気づいたというのは演技だが――彼に対する怒りは、連翹にしたことに対する憤りは本物なのだから。軸を僅かにズラしているだけで、放つ言葉と感情の多くは本心なのだ。
ゆえに、雑音は気づけない。友を気遣い自身に敵意を向ける相手を見下しているから、尚更だ。
「大丈夫、君たちに危害を加えることはないよ、君も、君の友達も。君たちがこちらに危害を加えない限りはね」
それは脅しなのだろう。
ノーラが連翹を未だに気遣っている様子を見せているから、その友情を鎖にして動きを制限しようとしているのだ。
お前が何かこちらの不利益になるようなことをすれば、この弱ったお友達に危害を加えるよ――と。
なるほど、効果的だ。確かにそれならノーラの動きを制御出来ることだろう。
もっとも――連翹が本当に追い詰められてレゾン・デイトルに逃げ込んでいた場合の話だが。
「……ッ」
だから、ノーラが悔しげに拳を握る姿を本当に悔しがっているのだと認識して、雑音はこちらに背を向けるのだ。
「さて、それじゃあついて来て。案内しよう――王の下へ、ね」
君たちは既に仲間であり、貴重は情報源なのだから、と。
◇
「一応、最後に確認しておくよ」
出立の少し前。ノーラを詰めるための袋の用意をしている最中に、カルナは連翹とノーラに声をかけた。
「二人は可能な限り、雑音を気持ちよくさせるんだ。そうすれば、奴の警戒度は一気に下がるはずだから」
自分は上で、相手は下だと、そう思わせれば一気にやりやすくなるのだと。
だからこそ、ギリギリまで彼の前では惨めな女を演ずるべきだと。
そう言いながら、カルナは顔を顰めていた。
友人と自分の彼女――大切な二人に、下劣な人間に対し媚びろと言っているのだ。必要なことではある、これが一番効果的だとも思っている、だが、それでも腹立たしいのだろう。
「気にしないで、自分が出来ることをやるだけだから。それに、媚びる必要が無くなったらバラバラに引き裂いて終わらせてやるから不満は最初からゼロパーセントだったって顔になるもの」
「ええ、それに――今回は相手を騙すことに良心の呵責はありませんから。むしろ、自分の手で戦えないわたしにとってはこの役目はありがたいくらいです」
「……うん、そっか」
そう言って頷き、微笑むカルナだが――やはり表情は暗い。
理屈も分かる、相手の言葉も理解した、だけれど自分の感情は苛立ちを抑えきれないのだろう。
「ところでカルナ。二人で可能な限り相手を気持ちよくさせるって言葉――凄い卑猥よね、言ってて恥ずかしくないの?」
――だから、じっくり悩んだり自己嫌悪出来ないように、場の雰囲気を粉砕する。
やはりちゃぶ台返しは最強、シリアスなど上に載った料理のように撒き散らされる運命なのだ……!
「……その発想は無かったなぁ! というかそういう発言をしちゃう君の方が恥ずかしい奴だと僕は思うなぁ!」
「だよなだよな! やーい、馬鹿女改めスケベ女ぁー! 皆ー! 連翹はスケベ女だぞー!」
「ああもう、レンちゃんは馬鹿なこと言わないで、カルナさんはそれに過剰反応しないの。それとニールさんも黙って、なんですかそれ子供じゃないんですから……ああもう!」
いつものようなやり取り、いつも通りの日常。
他愛もない会話をしていると、出立前の張り詰めた空気が緩むのを感じる。
だけど、決して緩みすぎてはいない。軽口を叩いた連翹とて、それは同じだ。程よい緊張が体を満たしている。
「ニール、カルナ」
騒ぎ倒しながら準備を終え、表情を引き締めて二人を見つめる。
「こっちの心配もいいけど、そっちも気をつけて。特にニール、無闇に突っ込んで死んだりしないでよ」
「うん、ありがとう」
「はっ、お前に言われるまでもねえよ」
「それでも言いたいの――また、必ず会いましょう」
戦いである以上、誰かが命を失うのは当然だ。今までだって、連合軍の皆は転移者たちを何人も殺している。次は自分たちの番――そうなっても何一つ不思議ではないのだ。
だって、剣を振るって相手を傷つけて――その上、自分たちは絶対死なないなんて理屈は通るはずもない。そんなことは百も承知だ。
だけど、それでも現実と祈りは別のモノ。
今はただ、強く強く祈る。
どうか、どうか自分の親しい誰かが無事でありますように、と。
「……ああ、もちろんだ。死ぬ気で生き残ってやるから心配すんな」
そう言ってニールは己の胸を力強く叩いた。
普段なら『死ぬ気で生き残るってすごく矛盾してるわよ』などと茶化してやるところだが、今はただ大きく頷いた。
◇
連翹は一度、レゾン・デイトルの内情について軽く聞いていた。
オルシジーム襲撃後、連合軍に下った青葉薫という少年が語ってくれたから。
『なんというか、複数人の子供が狭い机で積み木遊びしてるみたい、って感じでした』
聞いた時はその比喩表現がピンと来なかったのだが――なるほど、実際に街並みを見てみればそれも理解出来る。
かつて港町ナルシスと呼ばれていたらしいが、港町の面影は響く波の音くらいだ。
新造された街壁を抜けると、出迎えるのはごちゃごちゃとした建物の群れ。そう言うと増改築を繰り返していた交易都市ブバルディアを連想するが――こことは似て非なるものだ。
つい最近建てられた綺麗な建物の隣に瓦礫の山が転がっていた。大通りの一部を遮るように建設されたレンガ造りのビルらしき建物があれば、古めかしい建物が戦いの余波か何かでボロボロになりつつも放置されていたりする。
綺麗な屋敷、見よう見まねで造った日向風の建造物、壊れかけの建造物と倒壊した瓦礫。創造と破壊が繰り返されるその街並みはアトラクションか何かを連想させる。そう、居住性を犠牲に、転移者が愉しむだけのテーマパークだ。
「ここ、が――」
だから。
正常な屋敷が逆に異常に見えた。
そこは転移者の王と幹部が住まう屋敷であり、レゾン・デイトルに付いた貴族『賢人円卓』の仕事場である。
レンガ造りの西洋風の屋敷だ。転移者が手を加えた風にも見えなければ、荒れ果てている様子もない。
古めかしい造りのまま、庭の草花も綺麗に整えられたままだ。転移者の関与など欠片も存在しない――屋敷の周辺を除けば、だが。
道中に転移者が暴れた跡をいくつも見たし、それによってレゾン・デイトルはそういう街なのだろうと理解もした。
だが、その中でも屋敷周辺は異常だ。
剣で切り裂かれたらしい破片がそこら中に散乱し、魔法スキルによって地面が抉られている。
元々あった建物は破壊によって均されて、ここが元々街中であったという事実を理解するのは難しい。元々平原だった場所で戦闘が起こり、大小様々なクレーターが出来たという説明の方がしっくり来るくらいだ。
そんな――破壊、破壊、破壊、破壊破壊破壊、無数に存在する破壊の痕跡たち。
大通りと屋敷の入り口を繋ぐ道だけは補修されているが、それ以外の破壊はそのままだ。屋敷を上から見れば、一口だけ齧ったドーナツのような形で破壊の痕が見えることだろう。
多くの転移者がここに来て、この屋敷を襲ったのだろう。実力を示すためか、自分こそが王に相応しいと考えたためか、どちらにしろ多種多様の転移者がこの屋敷に攻め入り――圧倒的な実力差で敗北しているのが分かる。
だって――これだけ破壊の痕があって、屋敷に破壊の痕がまるでない。
全て全て、水際で迎撃し、殲滅しているのだ。
「これ、全部――王様がやったの?」
「いいや、彼は派手な技を好まなくてね。この破壊の痕は他の幹部か、襲撃者の攻撃だよ」
雑音は語る。無二の剣王は魔法の絡まない剣術スキルを自在に操るのだと。
圧倒的な速度で敵陣に切り込み、スキルを用いて相手を叩き斬るのだと。
その戦いぶりを思い返しているのだろうか、雑音は羨むような顔で呟く。
「魔法のスキルは失っているようだけれど――それでも剣術スキルと身体能力はそのままだ。ああ、ぼくもあの力を得て、真に選ばれた者になりたいよ」
「選ばれた者……? 転移者がそれなんじゃないんですか?」
雑音の言い回しに疑問を抱いたのか、ノーラが小さな声音で、おずおずと問いかける。
そうやって弱々しく振る舞えばいい気になって喋ってくれるだろうという打算からの行動であった。
「確かに君たち程度なら凡百の転移者程度でも選ばれていると思えるだろう。けど、あんなの紛い物だ。だってそうだろう? 多くの人間と全く同じ力で、しかも時間制限付き。こんな力、不完全にも程がある。全然最強なんかじゃない」
そして彼は嵌りに嵌まる。こちらの策に、思惑に。
カルナが言った通り――彼は自分よりも格下の相手を警戒しない。最低限の注意は払っているのだろうが、こちらだって全力で騙す気で演じているのだ。
油断して舐めプしているような奴に負けるはずがない、負けるワケがないのだ。
「きっと三年っていう時間は試用期間なんだ。それまでの間に力を永遠にする条件を達成しなければ、規格外は失われてしまう」
そして王はその条件の内、剣に関するモノを満たしたのだろう、と。
だからこそ無二の剣王は魔法が使えないのだろう。魔法の条件を満たし損なったから、他の転移者が規格外を失ったように魔法のスキルを喪失してしまった。
魔法の条件こそ不明なままだけれど、現地人を圧倒する身体能力と最強の剣技を放てるスキルは有用である。制限時間がないというのなら、尚更だ。
ゆえに、多くの転移者は王の支配を受け入れている。
いずれ、自分も王のように無制限の力を使うために。それを用いて自由に生きるために。
そこまで言って、雑音は苛立たしげに顔を歪めた。
「けど、彼はそれを絶対に喋らない。いつもはぐらかしてばかりだ」
レゾン・デイトルの支配構造は、共通の敵と王が持つ規格外の秘密によって成り立っている。
そのどちらかが崩れれば、こんな不安定な国は崩壊してしまう――だから、王は条件を喋らない、喋れない。他の者が自分と同じ存在になれば、玉座から引きずり降ろされるのが分かっているからだ。
「だから――片桐連翹さん、君の情報には期待しているよ。上手く連合軍を屋敷に誘導して、王を追い詰めて欲しい」
「え……? あの、レゾン・デイトルが勝つように、勝てるように、情報を渡すんじゃない……の?」
「馬鹿だなぁ、考えが浅い浅い。そもそも、勝ったところでこんな国に先なんてあるはずないじゃないか」
そう言って雑音はへらへらと笑い、嗤う。
――何を言っているのだろう、目の前の男は。
現地人が言うのなら理解が出来る。レゾン・デイトルに所属していない転移者が言ったのなら、それだって理解することは可能だ。
だけど、目の前の男はこの国の幹部。
それが、なんで未来が無いなどと言っているのか。
「やれやれ……あのさあ、たとえレゾン・デイトルが連合軍に勝利して、アルストロメリア、アースリューム、オルシジームを占領し、大陸を制覇しても――空中分解する未来しか無いだろう? どいつもこいつも自分が最強だって思い込みたい馬鹿ばかりなんだから」
これだから低能は困るんだよ、そう見下すような物言いで彼は語る。
「レゾン・デイトル? 英雄の国? 転移者の楽園? 実力主義で今まで不憫だった転移者が輝ける? はははっ、こんなお題目を信じてる愚か者共が信じられないね。
だってそうだろう? 大陸を平定して、全ての他種族を支配して、その後に『彼は格上の転移者です』『彼は沢山手柄を立てたので出世しますよ』『けど、お前は格下の転移者だ』『お前は功績が少ないから頂点に立てない』と言われて……はいそうですかって頷ける奴がどれだけ居ると思っているんだ?
居ないさ、居ない、居ないとも。そもそも、地球で何も出来なかった奴が『それでも異世界なら』と考えてこの世界に来たんだ。自分が格下だと認められる人間なら、元の世界で格下なりに生きていただろうさ」
多くの転移者が自分なら成り上がれると思い込み、自分なら頂点に立てずともいずれ上位に食い込めると考えている。今は、まだ。
けれど共通の敵を倒し、大陸というパイを分け合う段階になれば――次に起こるのは転移者同士の内乱だ。
違う俺は格下なんかじゃない、あの戦いではたまたま活躍できなかっただけだ、それを証明してやる――と不遇主人公の成り上がり物語ごっこをする輩が多発するだろう。
結果、訪れるのは大陸全土を巻き込んだ衰退の未来だ。
戦争は技術を発展させるというが、それは人間同士での話である。転移者がスキルを放つだけの戦いで、技術の発展があるとも思えない。
現地人は巻き込まれて死に、現代日本での生活に慣れきった転移者は現地人の文化を維持出来ず、結果文明のレベルが著しく低下するのだ。中世暗黒時代よりも更に酷いことになるだろう。
「だから、連合軍様にはレゾン・デイトルを滅ぼして欲しいんだよ。こんな国、勝ったところで百害あって一利もない」
言いたいことは理解出来る。
実際、彼の言う言葉は間違いではないのだろう。
だが、理解できるからこそ――分からない。
「……ねえ、貴方は、雑音様は何がしたいの?」
へりくだった物言いで問いかける。
「あたしには、分からない。皆があたしを裏切るなんてこれっぽっちも考えなかったあたしには、貴方の考えが分からない。ねえ、どうして? そこまで考えてるのになんでレゾン・デイトルの幹部なんてやっているの? なんで――それを、あたしなんかに話すの?」
その質問に対し、雑音は「なんだ、そんなことか」と笑みを浮かべ――
「そんなの簡単さ――スローライフのためだよ」
――そんな、意味が分からないことを言った。
「スロー……ライ、フ?」
スローライフ、都会の喧騒から離れたゆっくりとした暮らし。
なるほど、言葉の意味は理解できる。
出来るが――何を言っているのかサッパリ理解が出来ない。言葉ではなく、話の流れが、全くもって。
連翹が知る雑音語りの言動からスローライフに繋がるモノなど欠片もなくて、頭の中には疑問符しか浮かばない。
「そもそも自由に生きたいなら最強の力なんて必要ない。食い扶持を稼げる能力と、気に入らない奴を排除出来る程度の力だけあればいい。なら、最強なんて目指さず、適度に規格外を維持して村で暮らす方が賢いだろう? だっていうのに……やだねぇ、自分より強いヤツが居るのを認められない阿呆どもは。薄っぺらいプライドなんかを抱えているから悪い頭が余計に腐っていくのさ。ぼくみたいに楽しみながら目的へと進むべきだろうに」
規格外を使って全力で戦う?
なんだそれは、全く意味がない。そもそも、楽をするための規格外だろうに、なぜわざわざ強敵と争うなんていう辛い真似をしなくてはならないのか。
必要なのは強者から逃げ回れるだけの力と、有象無象を叩き潰せる能力。強敵を嗤い、雑魚を見下して叩き潰せる力さえあれば良い。そうすれば、強敵と戦わずとも愉しく生きられるではないか。
レゾン・デイトルに居るのも、今までの戦いも、全てはそのための布石に過ぎない。
目的さえ達成できれば、後は規格外を使って現地人のモブレベルの生活をすれば良いのだ。
「こ……これだけのことをやって、何を言ってるんですか、あなたは……!」
瞬間、抑えきれぬ怒りの感情がノーラから溢れ出した。
善良に生きようとしていた者を唆し貶め、現地人が居る場所に火をつけた。連翹やノーラが知らないだけど、もっと多くのことをやっているはずだ。
だというのに、なんの責任も取らず、罰を受けず、のうのうと生き残るつもりなのか、と。
彼の悪辣な行動は全て、そのようなくだらない理由で行われていたのか、と。
ただ、楽に生きたい――そんな理由のためだけに。
「ふ――はは、ははははははは!」
その言葉を聞いて、雑音は心底おかしそうに笑った。
ノーラが抱いた真っ直ぐな怒りを、見下し、貶め、嗤う。
「そうとも! そもそも、規格外なんて力を持ってるのに倫理観に縛られている方が間抜けなじゃあないか! 異世界に転移してまでこの世界の秩序だの元の世界の法律だのを守ってる輩は、善良なんじゃなくてただの馬鹿なのさ!
くくっ、ははっ、それに、それにさ……現地人の君如きじゃあ分からないだろうけど、この世界の情報伝達は未発達なんだ。インターネットや監視カメラどころか写真すらない。それでも似顔絵くらい回るだろうし、都心に行けば騎士に捕まりそうだけど、西部の寒村なら話は別だ。情報はそこまで正確に伝わらない。
そして……王冠が緊急避難場所に使うために交流していた村がある。規格外を永遠にしたら、あそこで一村人として暮らすんだ。規格外さえあれば畑仕事なんて楽勝だ、後はモンスターを追い払ったりして村に貢献しつつ嫁でも貰って生きるよ。楽勝さ」
そういえば――と連翹は思い出す。
ニールたちが言っていたではないか。西部は開拓者たちが拓いた土地であり、国が――騎士が介入し辛いと。
「それに、レゾン・デイトルが滅ぼされたら残党が、西部で燻ってた連中が暴れだす。『次は自分が王になる、転移者を従えるんだ』ってね。無論、そんな連中は軒並み雑魚だ。だけど、そんな連中だって現地人は実力者で無ければ倒せない。必然的に騎士は暴れまわる転移者の対処に追われ、ひっそりと暮らすぼくを注目している暇は無くなる。
そんな中で畑仕事をしてれば、二、三年もすれば風貌も変わるだろう。それに加えて髪型と服装を変えてしまえば、もう似顔絵程度じゃあ特定できなくなる。そしたら、女王都に旅行するのも悪くはないかもしれないね」
そして、と。
そう言って雑音語りは連翹に視線を向け――にこり、と満面の笑みを浮かべた。
ぞくり、と寒気を感じる。
笑みそれ自体は友人に向けるような暖かなモノであり、顔立ちだって特別悪いワケでもない。普通に笑う姿が似合わないワケでは、断じてないのだ。
だというのに、その瞳はまるで物語の登場人物を眺めるように――他者を自分と同列の存在と見なしていない。よく出来た書割だ――そんな風に思われているように思えてならなかった。
「これは君にもメリットのある話だろう? 規格外を永遠にする条件を手に入れてしまえば、後は君の大事な大事な友人と一緒に騎士から逃れて暮せばいい。それまで――ぼくに協力してくれないかなぁ」
ああ、そうか。
連翹はようやく納得した。
なぜ彼が自分に、己の真の目的を告げたのかを。
雑音語りはレゾン・デイトルを追い詰め、王から情報を抜き出して逃げ出そうとしている。
だが、自分一人の実力では不安なのだ。逃げ出す時には連合軍の戦士と相対する可能性はあるし、王や他の転移者とも敵対するかもしれない。
雑音はその時に――連翹たちを逃走用のデコイとして使うつもりなのだ。
連合軍は連れ去られただけのノーラを見捨てることは出来ず、他の転移者には連翹をぶつけて時間稼ぎをするつもりなのだろう。
仲間だとか協力者だとか、そんな風にはきっと考えていない。この男は、そのような人間ではないのだから。
「そ、そう――そうね、そうね、そうね! そうすればきっとあたしは満たされる、この異世界に転移した意味を得られる。ああ、ありがとう――ありがとう、雑音様。あたしに幸せになる選択肢をくれて、あたしを助け出してくれて……!」
「レンちゃん……」
雑音の言葉に連翹は歓喜し、ノーラはそれを悲しく、そして苦しく思いながらも見捨てられない。
雑音の思惑にどっぷりと嵌まっているのに、それに気づきもしていない――そんな演技をして、彼を最大限気持ちよくする。
そんな二人の仕草が嬉しくて、おかしくて、惨めで――楽しくて愉しくて仕方がないと雑音は笑い、笑い、嗤う。
「当然さ、任せて置くと良い――なにせこの国は全てぼくが生み出した舞台装置。森羅万象、全て全てぼくの掌の上なんだから!」
――そうだ、このレゾン・デイトルが舞台装置だというのなら、連翹もノーラも演者なのだろう。
だがそれは雑音語りという舞台監督気取りのために演ずるのではない。
楽しげに嘯く彼を失墜させるため――少女二人は弱者を演じるのだ。




