188/演ずるは怯え狂う少女の姿
レゾン・デイトルの門で、青年が一人大きなあくびをしていた。
門番という役目を任ぜられた彼は、今日も今日とて門に訪れる者を監視している。
正直、退屈な仕事だ。
レゾン・デイトルに訪れるのはこの国の転移者か見知った現地人の商人や奴隷商くらいで、彼がすべきことなど少額の交通量を捏造して行き来する者から小銭をせしめるくらいだ。
(ま……楽に金を稼げる以上、多少の暇も必要経費だよな)
彼は転移前からやる気のない人間であった。日頃から堕落した生活をして、昼から酒を飲みパソコンの前でだらだらと過ごしているような男なのだ。
そんな彼も、異世界に行けば――バイト帰りに読んでいた『作家になろう』というWEBサイトで連載されている主人公のような境遇になれば、八面六臂の大活躍が出来る!
……少なくとも、当時の彼自身はそう考えていた。
けれどどれだけ力があろうと、自分は自分なのだ。
現地人を圧倒する絶大な力があっても、彼は自宅で酒を飲みながら娯楽を楽しみたかったし、肉体的にも精神的にも疲労する労働はしたくなかった。モンスター退治など以ての外だ。
ゆえに、この門番という仕事は天職であると思った。
入国、出国する人間の荷物を検め、懐が寂しい時に異常をでっち上げ、見逃す代わりに小銭をせしめるだけの仕事。時々、現地人がレゾン・デイトルを打倒するためにトロイの木馬よろしく戦士を混入させることもあるが――それとて、気づきさえすれば転移者の力があれば容易に排除が可能だ。
ゆえに、これは簡単な仕事。
訪れる者に大きな顔をしていればいい――それだけで小銭が手に入るし、歯向かう者が居れば剣を振るってストレス解消する権利を得られる。
レゾン・デイトルの転移者の多くはこの仕事を馬鹿にしているが、とんでもない。こんな好き勝手にしながらも楽が出来る仕事がどこにあるというのか。
「……うん?」
そんな青年であるからこそ、街門に近づいてくる人影が普段と違う雰囲気を纏っていると気づけた。
それは少女だ。
この世界では珍しいセーラー服――その一部を金属鎧で補強した奇妙な衣服を纏っている。そして背に泥棒かサンタクロースか何かのように大きな袋を背負った彼女は、長い黒髪を靡かせてゆっくりとこちらに近づいている。
「止まれ!」
普段ならばこのように声を荒げたりはしない。なにせ、自分は転移者だ。商人、盗賊、戦士――現地人であるならばどのような存在でも鏖殺することを許された者であるがゆえに。
けれど、近づいてくる人影は長い黒髪を靡かせたセーラー服姿の少女だ。
注意深く瞳の色、肌の色を確認する。
なにせここはレゾン・デイトル。英雄の国、転移者の国なのだ。ゆえに、転移者のフリをして利益を得ようとする現地人も居るのだ。
自分は転移者だと名乗る金髪碧眼の男や、髪だけ黒く染めた蒼い瞳の少女、容姿こそ似ているが現代日本の知識もなく背丈も低い日向人など、その種類は様々だ。
そのような者を捕縛し、違法奴隷として転移者たちに売りさばいている彼だから分かる。
この少女は日本人だ、と。
転移者である、と!
「あ……門番、さん? ねえ、門番さん、ここは転移者の国で――レゾン・デイトルで、いいのよ、ね?」
彼に呼び止められた彼女は、震えた声音で問いかけた。
こちらに媚びるような眼をしながらも、しかし警戒して体を震わせている。悪魔に媚びる処女のような仕草に、彼はおもわずごくりと唾を飲んだ。
年若い女だ。年齢はおおよそ十代半ば――中学生の後半か、高校生の中頃くらいに見える。
若くて、中々見目の良い女だ。胸こそ慎ましいが、それはそれで味気がある。
「雑音に――いいえ、雑音語り様に伝えて。あたしが伝えられることは、全部教えるから――だから、どうかあたしを助けて……貴方の言った通りだった、このままじゃ、あたしは殺される――利用されて、利用されるだけされて、それだけで、ああ、嫌なの、死にたくないの、なんであたしがこんな目に遭わないといけないのよ……!? なんでもするわ、なんでもするから、お願い、お願い、お願い……! あたしを――片桐連翹をレゾン・デイトルの一員にして! 今更、虫の良い話だって、あたし自身が分かってるけど……それでも、もう耐えられないの!」
訴えかけるようにまくし立てる彼女の言葉を聞きながら、彼は内心で舌打ちをした。
(なんだよ――狐野郎のお手つきか)
雑音語り自身は弱く、彼と知り合いの転移者で囲めば十分に殴り殺せる程度の相手だ。
だがあれは幹部のお気に入りで、もし雑音に手を出そうモノなら実力者が全員敵対してくる。
返り血狂いの死神や、寡黙な狂乱、いけ好かない美男子の王冠が死んだという噂は聞いた。だが、それでもまだ崩落狂声と無二の剣王が居る。
脆弱な崩落だけならまだしも、無二と敵対するのは不味い。この世界に転移してからもう一年半、まだ余裕はあるが余裕のある間に規格外を永遠にする手段を得なければならないのだから。
「分かった分かった、落ち着け。今、伝令用の奴隷を走らせっからよ」
ゆえに、彼は職務を忠実に全うするのだ。
伝令の奴隷に要件を伝えた後、門番はちらりと彼女を――いいや、彼女が背負う大きな袋に視線を向けた。
「……ところで、それは一体なんなんだ?」
「うん……ここにはね、友達が入ってるの」
友達? と問い返しながら、頭の中でぬいぐるみか何かを連想する。
だが、すぐに自分の思考を否定した。
彼はレゾン・デイトルの門番だ。ゆえに、転移者相手に商売をしようとする現地人とも顔を合わせている。
その中に、この大陸では違法奴隷と呼ばれるモノを売りさばきに来た者も居た。
それと似ているのだ。彼女が背負う袋と、拘束した女子供を袋詰にして運んでいる現地人の商品が。
「うん、あたしの友達、ノーラっていうの。可愛い子なの。あたしなんかに良くしてくれて、きっ、きっと、あたしの力がなくなっても、良くしてくれるはずで――ああ、ノーラ、ノーラ、ノーラ! 貴女は裏切らないって信じてるわ、信じてるの、信じさせて、ねえ、大切なあたしの友達」
そう言って彼女は気遣うように、愛でるように、愛撫するように――優しく、優しく袋の上から中身を撫でた。
彼女の掌で押さえつけられたため、中身の輪郭がおぼろげながら見えてくる。少女らしい丸みのある人形が苦しげに呼吸している動きも、また。
恐らく、気絶させた状態で袋に詰めたのだろう。息はあるようだが、意識は無いらしい。もし意識があれば、もっと暴れているはずだ。
陶然とした面持ちで袋の上から友達とやらを撫でる彼女の姿に、ぶわぁ、と鳥肌が立つ。
(あっ……ぶねえ! 手ぇ出さなくて正解だったなコレ!)
袋の中に同性の友人を拘束し延々と撫で続ける姿から、病みに病んだメンヘラの臭いがプンプンする。
なんだあの地雷は、多少容姿が整っていても中身が腐っているなら価値は底辺にまで落ちるではないか。
誰が好き好んで病んだ女を手篭めにするというのか、ヤンデレは二次元だから愛でられるのだ。しかも彼女は転移者だ、現地人のようにヤリ捨てることも不可能。こんなの手篭めにしたら最終的に自分の家を燃やされる未来が見える……!
そうして彼は気味の悪い女から目を逸し、額に浮かんだ汗を拭うのだった。心の奥底で、ほんの少しだけ雑音語りに対して同情しながら。
――だからこそ、男は気づかない、気づけない。
視線を外す男を見て、ほんの一瞬だけ表情を緩め、安堵の息を吐く連翹の姿を。
背負う袋の中に存在する人間が、最初から覚醒していたという事実を。
◇
――時の歯車は巻き戻る。
捕虜の転移者と救出した現地人を連れたインサニティ・カイザーを見送った後、レゾン・デイトル攻略について連合軍皆で会議を始めた時のことだ。
「さて、まず最初に――カルナくん、前に」
ゲイリーに促されたカルナは、皆をぐるりと見渡した後、口を開いた。
「まず最初に言っておくことがある。雑音語りは大した男じゃない。彼の根本は西部で暴れる転移者と変わりはしないんだ。違うのは、自分が転移者という枠組みで秀でてはいないって気づいているだけさ」
その言葉に、皆が黙り込んだ。連翹も、また。
ああ、確かにそうなのだろうと思う。あの男の言動を見て、実力を見て、大した男だと結論付ける者は多くない。
「……その秀でていないってことに気づいてるのが面倒なんじゃねえか、ってオレは思うんだが」
怪訝な口調で問うたファルコンの言葉は、しかしここに居る皆の総意でもあった。
弱いと思っているから真っ向からぶつからない、弱いと知っているから他人を利用して翻弄する。
だからこそ、幹部の中では弱いというのに、未だに討てていないのだ。
「……そもそもさ、あの廃村に火をつける時――わざわざ姿を晒したのかな。火をつけたのが自分だってアピールしても殺意や敵意を集めるだけで、なんの得にもならないだろう?」
「それは、片桐を誘い込むためではないのか?」
アレックスが連翹に視線を送りながら答える。
既に連翹が雑音語りの言葉で揺さぶられたことは皆に伝えてあった。
(……けど、特に悪く言われないのよね)
敵の言葉で揺さぶられ、最悪の場合裏切っていた可能性もあったのだ。
そのことで『やはり転移者など信用ならん』といった言葉が出るかとも思って覚悟していたが――今のところそのような言葉をかけられることはなかった。
これは、信用されていると思って良いのだろうか? そう考えるのは傲慢ではないだろうか?
分からない。他者からの想いは形あるモノではなく、想像することでしかその形を観ることが出来ないのだから。
でも、信用されていると、信頼されていると――そう想われてると、信じたいと思う。
「うん、確かに雑音はそう考えて実行したんだと思う。……けど、レンさんと二人きりになりたいだけなら他のタイミングで良かったし、火をつけて逃げるだけなら隠れて火をつければ追われることもなかった」
野営中に一人になるタイミングはあっただろうし、安全に逃げたいのなら姿を晒すのはリスク以外の何物でもない。
「なのに、雑音はわざわざ火をつけたのは自分だってアピールして、その後に逃げ出した。……騎士を馬鹿にするために――自分よりも騎士は下だって言うためだけに」
逃げるんじゃない、己の手腕で連合軍という敵を出し抜いてやったんだ――と。
お前は自分より弱い人間に負けるんだ、ざまあみろ――と。
ただ、それだけ。
あれはただただ、他人より自分の方が上だと思い込みたいだけの、小さな男なのだ。今回の件でそれを確信したのだと。
その言葉を聞いて真っ先に頷いたのは巨漢の兵士ブライアンであった。
「……確かに、あいつは自分が弱いと言いながらも、こっちの神経を逆なでするようなこと言って挑発してやがるな。戦いを避けたいなら目立たない方が良いってのに」
そうだ、雑音語りは常に何かしら囀ってこちらの注意を引いていた。
弱い、弱い、自分は弱い、だから戦わない――そう言いながらも大声で他者を嗤う。その在り方は本当に戦いたくないのなら矛盾に他ならない。事実、彼は多くの人間から敵意を殺意を向けられているのだから。強者と戦いたくないのなら、強者の神経を逆なでするのは悪手以外の何者でもないではないか。
けれど、ただ煽りたいだけの人間だったとすれば。
こんなにも弱い相手に何を手こずっているんだ、そうやって相手を見下して愉悦を感じる存在であれば、全くもって矛盾しないのだ。
他人を言葉で追い詰めて嗤うのも、強者から逃げつつ無様と見下すのも、彼が己の世級を満たしたいがため。
「確かに彼は普通の人間よりは頭が回るのかもしれない――けれど、ただそれだけだ。本質はそこらに掃いて捨てるほど存在する転移者と変わらない」
規格外か言葉か、それだけの違いだ、と。
そう言ったところで、ノーラが手を挙げた。
「カルナさんが言いたいことは分かりました。けど、その上でどうすれば良いんですか? まともに戦えない以上、どちらでも同じなんじゃないかって思うんですが」
本質は普通の転移者と変わらない、なるほど、確かにそうなのだろう。
けれど、普通の転移者が戦士としての心構えが全く無くても戦えるように、雑音もまた賢人でなくても厄介なことに変わりはないのではないか? と。
だがカルナは首を左右に振ってその言葉を否定する。
「いいや、違うね。スキルにだけ頼った転移者が、優れた戦士に動きを読まれて敗北するように――彼もまた、種さえ割れればどうとでもなる相手だ」
転移者は確かに強者だ。
圧倒的な身体能力とスキルの冴え、それらは現地人を凌駕している。単純な力比べや体力勝負では、現地人は絶対に転移者には勝てないだろう。
だが、転移者を人間と考えなければ、圧倒的な身体能力に対応することは可能だ。馬を捕まえるために馬より速く走る必要がないのと同じである。
そしてスキルは確かに鋭いものの、動作が決まりきっているがゆえに動きを読む動体視力と経験さえあれば対処は難しくはない。
考えれば当然のことであるが、しかし多くの転移者はそれを考えず、考えたとしても対抗策を練ることは少ない。
それは、こちらを舐めているから。
現地人如きが規格外持ちの自分に敵うはずもないと増長し――結果見切られ、殺される。
「それと同じで――あいつは他人を見下している。自分よりも能力が劣るなら格下であると、力だけ上回っているなら力だけの無能であるとね。だからこそ、そこを突けば脆い」
スキルを乱発するしか脳のない、弱小転移者と同じだ。
現地人を同じ人間だと考えず、劣等だと見下し、どうとでもなると高をくくっている。
失敗すると考えていないのだ。
「だから――レンさん、君が立ち直った時点でもう僕らがあいつに敗北する可能性は無くなったんだ」
「……ふぁ!? あたし?」
突然名指しされて素っ頓狂な声が出る。
話を聞いていなかったワケではない、この流れで自分の名前が出るとは思っていなかったのだ。
だって、連翹は雑音語りの言葉に惑わされた。カルナの言葉を引用するなら、弱小転移者のスキルで叩き切られたようなものではないか。
ゆえに、対抗策はきっと他の誰か――そう、思っていたのだが。
「そうさ。レンさん、君にはレゾン・デイトルに潜入して欲しいんだ」
「……ど、どういうことなの? あいつの言葉に逆らえなかったのよ、あたし」
ノーラ、カルナ、そしてニール。
三人が居なければ、今この瞬間も連翹は雑音の言葉に囚われていたままだったろう。
レゾン・デイトルにつくべきか悩んで、けれど連合軍の皆を裏切れなくて、深夜に一人逃げ出していたかもしれない。
そんな弱い自分が、何故?
そんな連翹の言葉に、カルナは「だからこそだよ」と頷いた。
「あいつの言葉に逆らえなかった女を演技して欲しい。そうすれば、相手を見下しているあの男はレンさんを疑えない。自分の策が嵌りに嵌ったと喜ぶだけでね――本当に、賢人を気取った愚者だ。いつも通りの成功体験だ――そう思って、そこで思考を停止する」
成功体験は輝かしいモノであり、だからこそ毒にもなり得るのだ。
だって、成功は気持ちが良くて、嬉しくて、どうしようもなく心を震わせるモノだから。
だからこそ思ってしまう、もっともっと味わいたいと。
ゆえに多くの人間は再度成功するために同じ手段を実行し――けれど時間、場所、対象が違えば失敗することもある。
当然だ。世界は流動し続けるモノで、全く同じ手段を連続して用いても成功し続けることなど不可能なのだから。常に新しい手段を考えなければ成功し続けることなど不可能なのだ。
けれど、一度成功した手段を捨て去ることは難しい。輝かしい成功体験は光り輝く宝石であり、その光がどれだけ濁ろうとも手放すことは容易ではないのだ。
――結果、成功体験は呪いと化す。
嫌だ、駄目だ、この手段は手放せない――だって、あんなに成功したのだ! 間違っているはずもない!
ギャンブルでたまたま大当たりした時のように、大きな成功はそうそう忘れられるモノではないのだ。
それに加え、ギャンブルのような運任せではなく、自分で考えて実行した結果なら尚更だ。積み重ねた思考と努力、そして自信という本来正しい力は、濁った負の力と化して実行者の背中を刺し貫く。
「そして、これは他の誰にも出来ない。あの男の思惑に半分嵌って、堕ちかけたレンさんだからこそ説得力が出るんだから」
ああ、いつものように己の策が嵌まった、と。
雑音語りが今まで積み重ねた成功の一つに紛れることが出来る。
「あいつは大して疑うことなく、蜘蛛の巣に羽虫が張り付いたと嗤うはずだ」
連合軍の他の誰でも説得力が足りない。転移者を倒すと奮い立った人間たちが同じことをしても、誰も信じないだろう。
ゆえに、片桐連翹という少女が適任なのだ。
彼の言葉を聞き、揺さぶられた人間だから。
転移者であり、この世界の住人ではない以上、現地人のように奮い立つ理由も薄いから。
雑音語りの言葉に惑わされて裏切った女――その配役に違和感が無くなるのだ。
「潜入した後は、現地人が居る場所、敵の戦力、防御の薄い場所などを捜索、そしてインフィニット・カイザーが言っていた崩落狂声との接触――それらを可能な限り行って欲しい」
「ちょ、ちょっと待って!」
「うん? ……ああ、もちろん全てを完璧に、なんて求めていないよ。そんなの無茶だ。レンさんは不審に思われないことを最優先にして、可能な範囲で――」
「いや、そうじゃない、そうじゃないの!」
カルナの言葉を遮って問いかけた。
冷たい不安がひたり、ひたり、と背中を這い回る。
「そんな役目――あたしがやっていいの? あたしを、信じていいの?」
敵陣の中に裏切り者のフリをして潜入捜査――ああ、求められていることは理解できる。実際、連合軍の中で一番疑われにくいのは自分だろうとも。
けれど、そんな大役を片桐連翹如きがやっていいのか? と。そう思ってしまうのだ。
連合軍の皆と行動するようになって、自分の弱さ、脆さ、醜さなどが良く分かった。転移者になって、性格も明るくなったけれど、気弱で揺らぎやすい心はそのままだってことも。
また唆されるかもしれない。
また迷うかもしれない。
何か誤りを犯すかもしれない。
誤情報を渡して皆を混乱させてしまうかもしれない。
そんな不安が、ふつふつと胸の中で浮かんでは弾けていく。
「やっぱりあたしは――わぶっ!?」
すぱんっ! と。背後から軽く頭を叩かれる。
慌てて振り向くと、ニールが呆れた顔で連翹を見つめていた。
「違ぇだろ、間違うなよ連翹」
「ま、間違うって何がよ。別に何も――」
「敵陣の中に演技して潜入――カルナは一番の適任っつったが、それでも危険なことには変わりねえ。失敗して捕まる可能性だってある。どころか、俺らの囮にされるだけ、って可能性もゼロじゃねえだろ。信じる信じねえって話なら、むしろ俺らが言われるべきだろうが」
だから、と。
ニールは連翹の瞳をじっと見つめながら問いかける。
「逆に聞くぞ連翹。俺たちと同じように、お前も俺たちを信用してくれるか?」
「――あ」
――それは。
皆はもう、自分のことを信用してくれているということで。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
望外の言葉に呆然とする連翹に、ノーラが笑いかけた。
「レンちゃんが皆と一緒に紡いだ時間は、ちゃんと形になってるんですから。だから、不安に思わなくてもいいんです」
その言葉を聞いて、自分を見つめる皆に視線を向けた。
工房サイカスのドワーフたちが当然だとばかりに胸を叩き、アトラが大きく頷いている。
オルシジームギルドのエルフたちは何を今更と笑い、ミリアムは優しく笑いかけてくれている。
兵士を率いるブライアンは困惑する連翹を微笑ましそうに笑いながら安堵の息を吐く。
騎士団の面々も異論は無く、彼らを代表するようにゲイリーが一歩前に出た。
「連翹くん。君は君が出来ることを積み重ね、信用と信頼を築いてきた。それは力を持つ転移者としてではなく、片桐連翹という人間が積み重ねたモノだ。胸を張ると良い」
確かに転移者としての力は有用だった。もし連翹にその力が無ければ、連合軍の皆と共に戦うことなど不可能だったろう。
ただ、それはキッカケに過ぎない。
規格外はあくまでただの力であって、使い方次第で皆の反応は変わってくる。
同じ包丁でも美味しい料理を作ってくれる人と、振り回して恫喝する人、モノは同じなのに抱く感情は全くの別物になるように。
その力を誤らずに使ってきたから、皆は片桐連翹という少女を信じるのだと。
(――正直、そこまでちゃんと出来てた自信はないけど)
二年前にニールに対してやったことを思い返すと、とてもじゃないが自分に対して自信なんて抱けない。
自分はいつだって調子に乗った馬鹿で、上手くやれてたなんて到底思えないのだ。
思えない、けれど。
それでも、今、この瞬間――皆の信頼は伝わってくる。片桐連翹という一人の人間を友であると、仲間であると思ってくれている皆の想いが胸の中を満たす。
「うん――分かったわ」
だから、大きく頷いた。
自分で自分を信頼することは難しいけれど、信頼している人が自分を信頼しているから。
どの程度やれるかは分からない。
やるだけやってはみるけれど、場合によってはすぐにバレて捕まる可能性だってある。
でも、それでもやってみせる。
「あたしは皆を信じるし、皆の信用にも応えたいと思うもの」
期待を背負って奮い立つ。
そんなの、物語の中での話だったり、精神論が大好きな愚か者の考えだと思っていた。
けど、この胸に満ちる暖かな気持ちは、全身に漲る力は嘘じゃない。心から、そう思えるのだ。
そんな連翹を見て、ノーラは成長を見守る母のように微笑む。
その眼差しが恥ずかしくもあり、嬉しくもある。だからこそ、ぐっと親指を立てて彼女に笑いかける。
「大丈夫、あたしはちゃんと頑張るから!」
「ええ、その辺りはもう心配していません。だからこそ――わたしも一緒に行かせて下さい」
親指を立てたまま固まる。
なんだろう、なにがだからこそなんだろう、もしかしてやっぱり一人だと不安なの? なんかその気になった瞬間にハシゴを外された気分なの早急に説明して貰いたいなぁ、と。
「……なっ、何を言ってるのかなぁ、ノーラさんは」
彼女の言葉を聞いて驚いた人は多いものの、一番驚き、そして狼狽えているのはカルナであった。
それは場違いな一言に困惑しているのではなく、考えてはいたけれど言葉にしなかった考えを口にされたがゆえの困惑だ。
「カルナさんだって分かってるでしょう? レンちゃん一人だけじゃあ、どうしたって手が足りないって。そして、レンちゃんと一緒に行動出来るのはわたしくらいだって」
ノーラは言う。『だからこそ』なのだと。
連翹がどれだけ頑張ろうと、敵地で一人で行動していれば限界がある。
だからこそ、一緒に行動する人間が、手を貸す誰かが必要なのだと。
「この連合軍に居る皆さんは、多かれ少なかれ転移者に悪感情を抱いていると思います。だからこそ、戦闘能力が無かったとしても、レンちゃんと行動していたら不審に思われると思うんです」
先程のカルナの言葉を借りるなら『説得力が無い』のだ。
ニールやカルナ、騎士や兵士、他の冒険者に非戦闘員も。
「でも、わたしが最初に出会った転移者は、片桐連翹っていう友達ですから――転移者に悪い人は居るんだな、とは思うんですけど転移者全体を悪く思うことが出来なくって」
無論、ここに至るまでに様々な転移者を見た。
どうしてこんなことが平気な顔で出来るのだろうと思ったことも、何度かある。
けれど、それでも――最初の出会いが、片桐連翹という友人との交友があるから。
だから、転移者という大きな括りで悪感情を抱くことが出来ない。出会って、話して、その後にようやく好悪の感情が定まるのだ。
「それに、わたしはただの見習い神官ですから。理不尽を捕食する者があるから少しだけだけ活躍の機会に恵まれただけで、純粋な神官としての実力も戦う力も、連合軍の中では最底辺です」
ゆえに、舐められる。
こんな女一人で何が出来るのか、と。
そしてそれは嘘でも何でもない、純然たる事実。
女神の御手は確かに転移者を一時的に無効化出来るものの、ノーラ一人でその力を戦略的に運用するのは不可能なのだ。
だからこそ連翹よりも優先順位は低くなるし、自由に動ける可能性も高い。
そう語るノーラに、カルナは眉を寄せながら頷く。
「……確かに、ただ雑音の策に嵌まるフリをするより、『裏切られる可能性に怯えつつ友情を捨てきれない女』という方が上手く騙せる可能性はあると思うけど」
適度に相手の予測を外しながら、しかし矛盾だらけの弱い女をアピール出来る。警戒もされ辛くなるだろう。
「けど……本心から言えば止めたいところだ。レンさんは転移者である以上、仮に演技がバレて攻撃されても、逃げに徹すれば生き延びられる可能性が高いけれど――君は違う」
連翹は転移者のスキルから体の動かし方を学び、凡百の転移者なら圧倒できる能力を得ている。襲撃を受けても、防御と逃走を重視すれば十分生き延びられるとカルナは考えていた。
だがノーラは先程言った通り、理不尽を捕食する者を個人で効果的に運用できない。襲撃されれば、生き残る可能性がゼロに等しい。
一回、二回程度なら運良く転移者の力を吸収して逃げ延びることが出来るかもしれない。だが、それで終わりだろう。幸運は続かないからこそ幸運なのだ。
「それでも、ですよ。危険の大小は違えど、レンちゃんだって命の危険があるのは一緒なんです。なら、友達一人に背負わせるなんて、出来るはずがないじゃないですか」
ねえ、と。
そう言ってノーラは連翹を見つめた。
「ノーラ……」
その言葉に思わず目頭が熱くなる。
危険だから自分一人で――とも思ったけれど、仮に自分がノーラの立場であったのなら、そんな言葉を受け入れられるはずもない。
(ああ、あたしは、きっと――)
だからこそ、感じるのだ。
規格外や最強などより、ずっとずっと前から、自分はこういう想いを望んでいたのだと。
なんて理解が遅い。己の馬鹿さ加減に自己嫌悪してしまいそう。
散々暴走して、空回って、こんな簡単なことが分かるまでに二年以上かかってしまった。
「うん、分かったわ。お願い、ノーラ――」
「その言葉は立派だけれど――徒に命を危険に晒すのは、民を守る騎士として賛同できないね」
言葉を遮り、ゲイリーが連翹とノーラに歩み寄ってきた。
禿頭の騎士は無茶をするなと言うように気遣わしげな視線を向けている。
「ですけど――!」
それでも、と詰め寄ろうとするノーラに、ゲイリーは何かを手渡した。
それは小さな筒だ。導火線らしき紐の存在もあって、連翹はダイナマイトを連想する。
「これは……?」
「発煙筒だよ。森林や山に住み着いたモンスターを狩る時、ボクらはこれで連絡を取り合っている。そもそも、敵地で助けを求める手段がゼロ、というのは問題だろう? 危機に陥ったらそれを使うと良い。ボクたち騎士が、そして君たちの友人が、レゾン・デイトルに突入し、救い出してみせよう」
そう言って、ゲイリーは微笑むのだった。
いざという時はなんとかする、だから頑張ると良い若者よ、と。




