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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
女王都へ
19/288

16/乱闘

 朝の日課である素振りを終えたニールが部屋に戻ると、ノーラが地面に張り付くように座っていた。

 いや、座っていたというのは正しくない。正座の状態から両の手と額を床に擦り付けたそれは、誰が見ても完璧な土下座だった。

 東の島国である日向ひむかいに伝わるそれは、謝罪の最上位。ごめんなさい、許してください、全て私が悪かったのです――という意図があるのだとか。

 しかしニールが実際にそれをこの目で見たのは片手で数えられる程度のモノであり、かつ知り合いがそれをやっているのを見たことは絶無である。

 その土下座の正面に、カルナがいた。


「大丈夫大丈夫、よくあることだから! 顔を上げて!」


 と必死に彼女をなだめている。

 なんだろう、これは。


「……お前ら何してんだ?」


 起床後、少し部屋を開けたらこの始末である。全くもって意味が分からない。

 これが逆なら酔った勢いでカルナが何かをしたという想像ができるし、そうなら「やーい、この一匹狼ー! 一匹狼って実は群れのぼっちらしいよなー!」と煽ってやるのだが。


「あー、ニールか。うん、えっと――どう説明したもんかな」

「このまま床のシミになりたいぃ……」


 土下座の姿勢でぷるぷると震えているノーラ。

 これはこれで色々そそる光景な気がすんなぁこっちから見える尻の丸みとか――などと思いながらニールは目の前の二人をじっと見つめる。


(この様子じゃ酔った勢いでなんかやらかしたのはノーラか。つまり――)


 ギラン、とニールの瞳が輝くと同時に右手が唸り、カルナの胸ぐらを掴んだ。


「……小動物だと思ったらとんでもない肉食ってワケだな! おいお前この草食動物野郎! 羨ましいぞ畜生! 表出ろぉ!」

「待って! ねえ待って落ち着こう! 君がどういう想像したのかは理解できるけど、そんな色っぽい出来事は皆無だったよ! ただひたすらに面倒くさかったよアレ!」

「あああぁぁぁ……」

「うあああ、ごめんノーラさん別に君を責めてるワケじゃなくてね、初めてなら失敗は誰にだってあるさ! 僕なんていい気分になって深酒して、盛大に胃の中身テーブルにまき散らしたから!」

「ああ、あん時か――だから気持ちいい辺りで止めとけよって言ったんだよ! 何が悲しくてクエスト帰りに男のゲロの始末を手伝わにゃならねぇんだよ!」

「その件についてはホントごめん! 謝るし心から申し訳ないと思うけど、今はちょっとノーラさんのフォローに集中させてぇ――!」


     ◇

  

 その後。

 ようやっと落ち着いた三人は食堂に降り、朝食を摂っていた。

 ニールはパンと目玉焼き、そしてスープとコーヒーを。カルナはニールのそれから目玉焼きを抜きサラダを追加している。ノーラは昨晩の食事が消化し切れていないのか、パンとコーヒーだけである。

 

「いいのかよノーラ、そんなんで。大して体を動かすワケじゃねぇけど、馬車でじっとしてるのも体力使うぞ」


 隣の席にテーブルに座ろうとする男たちを通すため椅子を引きながら言う。その振動でパンの上に載った卵の黄身が揺れるを愛おしそうに眺めながらだ。

 視線が黄身から一切離れていないので真剣味が欠片も見えないが、一応ニールは真剣である。ただ、食事中は卵とノーラが等価値だというだけだ。


「それはそうなんですけど――なんか胃の辺りがもやもやして、食欲が湧かなくて……」


 むしろコーヒーだけでいいくらいな気分です……と呟きながらもそもそと口にパンを入れている。カルナはそらそうだろうよ、と言いたげな苦い笑みを誤魔化すようにコーヒーを啜る。

 それでもパンだけは腹に突っ込もうとしているのは、食事の重要性を理解しているからだろう。焚き火が空気と木材無しで燃え続けないように、人間も食物と水分が無ければ動かないのだ。


「一箇所にじっとしてるだけってのも、アレで体力使うからねぇ……狭いから本を読むスペースもないし」


 しゃくしゃく、と宿の裏にある菜園で取れたという触れ込みのサラダを食み、カルナが言う。

 サラダ自体、全く好みではないのだが他人が食べていると美味そうに見えるから不思議だよなぁ、と思いながらパンに勢い良くかぶり付く。

 瞬間! 歯で切り裂かれた黄身が、どろりとした黄色を流す。卵の旨みを凝縮された黄身、それをなるべく更にこぼさぬようパンと絡め、ガツガツと食すのがパンと目玉焼きが一緒に存在する時のマナーではないかとニールは思う。

 滴り落ちようとする黄身を一滴すら逃さぬとばかりに舌を伸ばしながら、パンを傾けゆっくりと黄身を絡める。そしてもう一度かぶり付くと――生まれる卵と小麦のハーモニー! 軽く塩で味付けされた目玉焼きとカリカリの食感を持ったパンの相性はまさに絶品だ。 

 改めて思う。単品でも卵が美味いのはもはや大陸の常識だろうが、その真価はやはり他と掛けあわせた時にあるのだと。

 様々な食材なかまと手を組み、あらゆる偉業りょうりを成すその姿は、まさしく食材の勇者といっても過言ではあるまい――!


「つまり魔王は俺か――ククク、よくやった勇者たちよ。だが俺を満足させようとこの世に人間が存在する限り、第二第三の空腹が生まれることだろう……」

「あの、カルナさん。さっきからニールさんのあた――じゃなくて……えっと、何かがちょっとおかしい気がするんですけど」

「別に言い切ってもいいと思うよ、僕が許す。それと、あれはよくあることだからツッコミ入れてたら喉が保たないよ」


 アレがよくあることなんですか……とニールに視線を向けるが、当の本人はそんなこと知った事かとパンと卵を口に突っ込み幸せそうに微笑んでいる。

 好物を前にしてそれ意外に視線など向けられない。今は卵だ、卵を食せればそれでいいのだ。


 ――だから。


 突如として蹴り倒された隣のテーブルに対応するのが遅れた。

 カルナはノーラを抱きかかえるようにして後ろに跳躍し回避。ニールは直撃こそしなかったものの、口に咥えた食べかけのパンが引っかかり、引きちぎられ、地面に落下した。びちゃ、と。床に張り付く目玉焼きだいこうぶつとパン。


「テメェ、もう一度言ってみろォ!」


 なめてるのか、つけあがりやがって、ぶっ殺すぞ――そんな怒鳴り声が混ざり合い、地響きの如く食堂に響く。

 

「……ッ!」


 その声に、ノーラは表情に僅かな怯えの色を出した。

 あんなモノはしょせんチンピラの怒声、獣の唸り声程度だとニールは思うが、そういったモノに慣れていない者が恐怖を抱くのは仕方がない。

 カルナもノーラの感情を察したのか、すぐさま彼女の前に出る。魔導書こそ手元にはないが、とっさに使える魔法はいくつかある。ゆえに問題はないと結論付け、騒ぎの中心に視線を向けた。


「顔と頭が悪いのは知っていたけど、耳も悪いの? だとしたら救いようがないわね」


 四人の男たちに敵意を向けられているのは、どうやら女性らしかった。

 らしかった、というのは顔から体まですっぽりと覆うフードを身にまとっているためだ。小鳥がさえずっているような澄んだ声を聞かねば、とっさに性別を判別できなかっただろう。

 その彼女は複数人の敵意に晒されているというのに、朝食中に世間話をしているような自然体である。表情こそ見えないものの、声音や振る舞いから恐怖を抱いているとは思えない。


「あたしは貴方たちみたいな劣等とは釣り合わないって言ってるの。値踏みする目で上から目線――気持ち悪いのよ、見た目が不快なのは仕方ないとしても、立ち居振る舞いまで不快なのは見るに耐えないのよ」

 

(……オーケー、大体飲み込めてきた)


 一人の女冒険者を発見し、自分たちのパーティーに誘うなり茶に誘うなりして、手酷く断られたという流れだろう。

 もっとも、この現状を作ったのは彼女の責任だろうなとは思う。男たちに下心があったか無かったかは知らないが、どちらにしろあんな言葉を投げつけられたらキレる。無論ニールだってそうだろう。

 ゆえに、ハッキリ言って女を助ける気は皆無で、むしろ『いいぞお前らやっちまえ!』とすら考えているのだが――


「テメェなにしてくれてんだコラァ!」


 ――地面に張り付いた好物の仇を取るべく、男の一人に対し飛び蹴りをかました。

 ぐぼお!? という悲鳴をあげた男は、しかしそのまま倒れることなく踏みとどまり、ニールに殺意を多分に含んだ視線を投げつける。

 

「痛ッ――んだテメェ! 関係ねェ奴はすっこんでろ!」

「うるせえテメェ! 俺の朝食台無しにしやがって、朝食は一日の元気の源っていう名台詞を知らねぇのかよぶっ殺すぞ!」


 ――沈黙。

 眼前の男が、殴り返してやると感情に任せ振り上げた拳を止め、目を見開く程度には重い沈黙であった。


「……あ? ちょい待ちやがれ。お前この女を助けに来たんじゃないのか?」

「ああ!? なんで俺がそんな馬鹿女助けなくちゃいけねぇんだよ常識で考えろ! 勝手に殴ってボコボコにしてろよ俺は止めないからよぉ! 俺は俺でテメェらボコボコにするだけだ!」


 男は四人。今殴った一人を含め三人は体つきがガッシリとした大男であり、残る一人はローブを纏った痩身である。前衛三人に、魔法使いが一人。攻撃に特化した四人組だ。

 なら問題はない。神官が居ないのだから殴れば殴っただけダメージが通るのだ。 


「つーワケでだ……死ねオラァ!」


 いや、四体一とか無理だろ。などという思考は今、ニールの頭の片隅にしかない。

 これは酒場の喧嘩だ。

 当たりどころが悪ければ死ぬかもしれないが、別に殺すことを目的にした戦いでない以上は殴り倒されても問題はない、という打算もあるにはある。

 しかし何より――朝の楽しみを、ゆっくりと咀嚼し飲み込むはずだったパンと卵を地面に叩き落とす原因を作った連中を許しておけなかったのだ。

 涙がこぼれる。ああ、クソ、ゆうしゃよ、死んでしまうとは情けない――ッ!


「ナニ説明してやったぜみてぇな顔してやがんだ!? 全くもって意味がわかんねぇよ!」


 ニールの拳をガードしながら男が叫ぶ。

 正論だ。

 全くもって正論だが、酒場の乱闘とは――今は朝で酒を出していないとしても、だ――正しいか間違っているかよりも、勢いの有る無しが重要なのである。


「ヒャッホー! やれやれ小僧! ぶん殴れー!」

「状況は知らんが女囲んでた連中に食って掛かってるんだろ? 応援してやらあ」

「お前の気持ちよく分かるぞ少年! さあ卵の仇を取るんだ!」


 すなわち、見てて盛り上がれるか否か。

 ゆえにニールの乱入を冒険者ばかどもは歓迎し、机を移動しスペースを作り椅子をニールたちに向け、乱闘を見物しながら食事を再開した。店主は「またか」とばかりに溜息を吐きつつ、他の客にどっちが勝つかと賭けを持ちかける。


 そう、ここは宿場町。


 あらゆる人とモノが一時的に集まり、放出される場所だ。

 そんな場所であるからこそ、諍いの数は他の街の比ではない。多種多様の主義主張を持つ者が一緒くたに集まるのだ、喧嘩など日常茶飯事だ。

 そして、それを見て喜ぶ連中の数もまた多い。


「……え、なにこれ、どういう流れ?」


 フードの女の引きつった声が響くが、そんなことはどうでもいいとばかりにニールは眼前の男の顔面に向けて右拳を打ち込む。

 けれど、引き締まった両腕をクロスさせて受け止めた。ドン、という鈍い音が鳴ったが大したダメージにはなってはいまい。

 だが、それで問題はない。

 頭部を守るために腕を上げたせいで、胴体はがら空きだ――!


「そぉら――よっ!」


 殴り終えた体勢から更に前傾。倒れこむようにして左の拳を鳩尾へと放つ。

 

「が――ぐ」


 体重と踏み込みの勢いを載せた拳は、鳩尾を強打! 

 くぐもった悲鳴と共に体をくの字に曲げた男に、踏み込んだ勢いのまま体当たりをかます。痛みで力の抜けた男は、そのまま背後へと倒れこんだ。

 

(とりあえず一人無力化!)


 これで楽勝、超余裕――となれば楽なのだが。

 

「ま、そうはいかねぇわな」


 残った三人が三角形の陣形でニールを囲い、油断なく拳を構え出したのだ。

 基本に忠実だな、と思う。厄介そうな相手は、複数で囲んで叩くのは当然だ。その方が確実に勝てるし、なにより被害が少なくて済む。

 男たちも一対一でニールに負けるとは思ってはいないだろうが、リスクは可能な限り少ない方がいいという判断からの行動だろう。

 

(さて、どうするか)


 仲間が倒れた瞬間、怒りに任せて殴りに来るような考え無しならば、即効で魔法使いをブチのめそうと思っていた。

 だが、こちらの隙を伺う三人の動きを見る限り、こっちの行動くらいは予測できる頭を持っているはずだ。

 ならどうする? 他の大柄な男を狙うか? 


(無理だな)


 さっきと比べこちらを警戒しているから、殴り倒すまでにどうしても時間がかかる。

 そして、そうやって殴りあってる間に背中から押さえ込まれたら終わりだ。単純な筋力では負けているから、抑えこまれたら抜け出すのは難しいからだ。

 かといって、包囲を突破できるとも思えない。あちらが恐れるのは各個撃破、ゆえにそれをされないように包囲の維持にはかなり気を使ってるだろう。

 

(……あれ? なんかもう詰んでね?)

 

 なら、仕方ねえ――と。

 小さく溜息を吐いた後、魔法使いへと突貫した。

 魔法使いがにい、と笑う。やはり罠だ。だが他の手が考え付かない以上、その罠を避けるなり踏み砕くなりして魔法使いを殴り飛ばさないとニールに勝ち筋はない。


 ゆえに直進、

 ゆえに突貫だ。

 

「地下深くに眠る大地の精霊よ、我は請い、そして願おう。それは草によって編まれた網、絡めとり、束縛するモノ――」

 

 早口で謳い上げられる詠唱。それを耳にしながらニールは駆ける、駆ける、駆ける。

 思考は即効で魔法使いを黙らせることと、その詠唱からこちらに来るであろう魔法の予測の二つに分割されている。

 とっとと殴り詠唱を中断させれば魔法による危機はないが、しかし最悪を想定して動くのは冒険者にとって必要なことだ。

 

 幸い、詠唱の内容はわかりやすい。

 草のネットでニールを絡めとり、あとはゆっくり殴るなり蹴るなりするのだろう。

 なら、後はそれをどうにかすればいいだけだ。

 

「――疾く駆け、眼前の敵を封じよ!」


 強く強く踏み込みながら、相手の詠唱の完了を確認した。

 魔法使いの掌に草の束のようなモノが生成され、それが広がりながらニールの方向へと飛来する。

 間に合わなかったか、と舌打ちを一つ。

 後ろに跳ぶのは下策だ。あれの射程距離がどの程度かは知らないが、見てから後ろに跳ねて避けられる程度ではないだろう。

 横に跳ぶのもマズイ。避けられる可能性は高いが、どうしても足が止まってしまう。そうしたら残りの巨漢二人に制圧されるだけだ。

 

 だから――加速加速加速! 前へ! 前へ! ただただ前へ!

 

 開ききる前に自分から接近し、どうにかして回避。それしかない。

 失敗すれば自分から相手の魔法に突っ込んで動けなくなった馬鹿の出来上がりだが、知った事かとばかりに前傾姿勢で駆け抜ける。

 しかしネットは既に開き始め、ニールの上体を包める程になっていた。このまま直進すれば、ネットで体を絡めとられるのは必定の未来だ。

 だが、


(――踏み砕いた!)


 罠を、そして思惑を!

 顔面から転倒するように体を地面に投げ出し、勢いのまま滑る。開き始めたネットの端が背中を擦る感触を知覚しながら、手足を使い這うように魔法使いへと肉薄する。

 背後でニールの背中を狙っていたらしい男のくぐもった声が聞こえる。視界には目を見開いた魔法使いの姿。

 

「おら――よぉ!」


 そのまま跳ね上がるように立ち上がり、魔法使いの顎を拳でかち上げた。衝撃で吹っ飛んだ彼は、そのまま床に叩きつけられる。

 これで二人を無力化。それでもまだ一対二だが、後は走り回りながらなんとか出来るはず。

 そう思い振り返り――


「――あたしを無視してるんじゃないわよ」


 ――ニールを襲おうとしていた男の一人。その首を、片手で締めあげているフード姿の女を目撃した。

 ぎりぎりと音を立てる首。気道を絞られ呼吸を封じられた男は、女の腕を掴み首から掌を引き剥がそうとする。

 

「大体ね、酒場で暴漢を返り討ち、っていうイベントは全部全部あたしのためにあるのよ。なのになんで横殴りしてるわけ? 他人の獲物の横殴りはどのオンラインでも大抵マナー違反でしょ」

 

 だが、そんなことは瑣末だというように、彼女をフードで隠れた眼でニールを睨む。

 これは自分のステージだと。

 なにを横から来てはしゃいでいるんだと。

 その敵意に対し、ハンッ――とニールは鼻で笑った。

 いくつかの言葉は理解できなかったが、それでも理解できることがある。

 彼女の声音が綺麗で心地よいことと、そしてそんな心地よさを全てドブに叩きこむ程度には不快で傲慢な女であると。

 

「うるせえよ知るか馬鹿女。こっちはこっちの事情で殴ったんだ、お前の事情で殴りたかったら俺が殴る前に全員殴り殺してろ。自分のノロマを他人のせいにしてるんじゃねえよ」

「吠えるじゃない、足だけ速い雑魚の分際で。でも――ああ、うん。こういう現地で粋がってる馬鹿を叩きのめすのも、あたしたちがやるべきことよね」

 

 なら、これはこういうイベントなのね、と。

 泡を吹き始めた男を放り投げ、女は言う。

 

(――おかしいな)


 その女を睨みつけながら、ニールの冷静な部分が疑問の声をあげる。

 つま先からてっぺんまで観察しても、とてもじゃないが強そうには見えないぞ、と。

 重心のブレた素人丸出しの立ち方であり、拳の構え方だって街やら村やらに居る喧嘩自慢のチンピラの方が様になっている。体も鍛えているようには見えないし、どう考えてもこの女は弱いのだ。もしかしたら、殴り合いの実力ならノーラとどっこいどっこいかもしれない。

 だというのに、成した事実は強者のそれだ。

 全くもって意味が――


(いや、違う)


 ――俺はそんなデタラメを成す連中を知っている。

 どうしようもない弱者でありつつ、異世界からこの世界に転移する瞬間に神から力を授かる異能者。


「おい、お前」


 女から視線を逸らさずに、ニールは先程まで自分を狙っていた男に言う。


「仲間連れてとっとと逃げろ、こいつ転移者だぞ」

「へえ」


 ひきつった悲鳴を上げ仲間を回収する男を無視し、女は笑う。

 ああ、その程度は理解できる頭があるのね、と。

 それは賞賛であり、同時に侮蔑だ。ほんの少しだけ頭の回る土人がいるようだ――と、天上より見下ろし笑っている。

 クソが、と思う。

 

「けど落第点ね。喧嘩を売るのは勝てる相手にしないと、チンケなチンピラ役として人生終えちゃうんだから」

「なら、お前はあの連中を勝てる相手だと思って喧嘩を売ったワケだ」

「こっちから言わせてもらえば、喧嘩を売ったのはあいつらが先なんだけどね」

 

 ふん、と小さく吐き捨てながら仲間を連れて逃げる男の背を睨みながら言葉を連ねる。


「あいつら、値踏みするようにあたしの顔を覗こうとするのよ。それも冒険者としてじゃなく女としてね。ふざけるんじゃないわよ、値踏み出来るほどの顔でもないクセに」

「どうだか。お前の被害妄想じゃねえのか?」

「どっちだとしてもいいじゃない。あたしは不快に思った、だから蹴散らそうと思った。ついでにあたしの強さを知らしめられて一石二鳥――と思ったらなぜだかあたしより先に蹴散らしだしたアホが出た。それだけの話よ、これは」

 

 それで、どうするの? とニールを睨みながら女が問う。

 このまま殴りあうか、それともここで互いに矛を収めるか、と。

 彼女自身は続行を望んでいるのは一目で分かる。フードから覗く瞳は輝いているし、小さく「勝ったらどんなセリフ言おうかな、我は面影糸を巣と張る蜘蛛? いや、あたしより強い奴に会いに行くとかの方がシンプルでカッコいいかしら……?」などと呟いているのも耳に入ってくる。

 正直な話、完全に勝つ前提で妄想してる姿に怒りを覚えないでもないが、


(ま、戦う前に負けることを想像する馬鹿はいねえ、か)


 自分だって、四対一で勝つつもりで突っ込んだ阿呆だ。ここで怒れば自分の額にブーメランが勢い良く突き刺さる。

 ふう、と小さく息を吐き反転。手をひらひらと振りながらカルナたちの居るテーブルに向かう。

 

「別に続ける理由もねえだろ。俺はあいつらに朝食を台無しにされたから殴りこんだワケで、お前に喧嘩売りに来たわけじゃねえし」


 踏み込んできたらカウンターしてやる、と言いたげな右腕を引いた体勢の女は、「え」と間の抜けた声を漏らした。


「あ、え? ふ、ふん。彼我の実力の差って奴をちゃんと理解しているのね。そうね、確かにあたしと戦――」

「おいカルナ、サラダ少し分けろよ。なんか半端に食って半端に運動したから腹減った」

「そんなこと言うと思って、目玉焼きとパン、もう一個もらっておいたよ」

「え、ちょ、あんた何あたしを無視し――」

「うひょおマジかよサンキュー! カルナお前マジ心の友!」

「卵程度で心の友呼ばわりはどうかと思うから、その称号は返上するよ。あと、店主さんに感謝しなよ。ニールが活躍したからそこそこ儲けられたってことでサービスしてくれたんだから」

「おっさんマジありがとう愛してるぅ!」

「……」

「あの、ニールさん、あの女の人泣きそうなんですけど……」

 

 俯いてプルプルと震えるフードの女を見ながら、ノーラが言う。

 颯爽と蹴散らそうとした相手にフラれ、場は一気に乱闘などなかったというように日常に回帰している。それもまた、周りにスルーされているようで悲しいらしい。

 目立ちたがりな者が一番辛いのは罵詈雑言ではなく、無視や存在すら把握されないことなのだから当然である。


(まあ、分かっててやったんだけどな)

 

 なんとなくムシャクシャしたからやった。

 反省はしてないし、むしろ『女の泣き声って妙に興奮するよなぁ』などと考えている始末である。

 

「う、な、何を言うかと思えばその結論は浅はかさが愚かしいわねぇっ! このあたしが、ちょっとくらいスルーされたくらいで……ふぐっ……泣きそうになるなんて事実無根よ!」

「えっと……とりあえず落ち着きましょう。ほら、こっちに来てください」


 ノーラは立ち上がりフードの女の背中を押してニールたちのテーブルに近づけると、彼女を空いている椅子に座らせた。

 落ち着かぬ様子でちょこんと座る彼女に対し、ノーラは「ちょっと待っててくださいね」とだけ言いカウンターに向かう。

 自然、男二人とフードの女という若干居心地の悪い空間が産まれた。

 会話など皆無だが、しかしニールもカルナも口を開こうとはしない。

 ニールは無言で目玉焼きを載せたパンに喰らいつき、カルナは我関せずといった風体でコーヒーをすすっている。

 それも当然。元々、ニールとカルナは転移者に対し良い感情を持っていないのだ。

 別にいきなり殴りかかったり罵声を浴びせたりすることはないが、だからといって困っている時に手を貸す義理もない。


「お待たせしましたっ」


 ゆえに、沈黙を破ったのは彼らのどちらでもなくノーラであった。

 彼女が手に持っているのは一つのカップであり、中に注がれているのは暖かなミルクである。

 それをそっとフードの女の前に差し出すと、ノーラはカップに注がれたミルクのように汚れのない暖かな笑みを浮かべた。


「不安な時とか、寂しい時とか、そういう時には温かい飲み物をゆっくりと飲むのが一番ですから。最近はお酒もいいなー、と思ってるんですけど、さすがに朝からそれはちょっとと思いますし」


 傍から聞けば相手を子供扱いし小馬鹿にしているようにも思えるその言葉だが、そういった意図がないのはノーラの仕草が証明している。


「……えっと……その、ありがと」


 しばし沈黙した女は、顔を隠すようにフードを整えてからカップを受け取った。微かに覗く白い素肌がほんのりと赤くなっているのが見える。唇は笑みの形に緩んでいた。

 誰かに気遣ってもらうのが嬉しくもあり、同時に気恥ずかしくもあるのだろう。乱闘前に大物ぶっていた時とは全く違うその仕草は、しかし違和感を抱くモノではなくむしろ彼女らしいとニールは感じた。


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改めてとんでもないスピードで懐柔されてやんの
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