186/騎士と神官
――アレックスは一人、無言で剣を振るっていた。
太陽は完全に沈み切った深海めいた夜の闇の中で、焚き火と篝火に照らされながら。
鍛錬――ではない、気分転換のためだ。
激しい戦いに、その後に行われた雑音の暴虐、その後の処理――怒りや精神的な疲弊を整えるべく。
慣れ親しんだ動きを、汗をかかない程度の軽い動作で行う。それでも振るわれる剣は鋭く、凡百の剣士であれば圧倒出来る程度には冴え渡っていた。
全力ではないが、手を抜いているワケではない。一閃、一閃を必殺と意識し振るい続ける。
(――あと少しで、連中の本拠地か)
刀身が夜風を断ち切るのが三桁を越えた辺りで、漠然とした思考が浮かび上がった。
レゾン・デイトル。
最初は力を過信した傭兵団が街を占領した、その程度だと思っていた――けれど派遣した騎士たちが全滅し、その認識を改めることとなる。
自分たちは知らなかったのだ。彼らを、転移者という存在を。
無論、存在は知っていた。そういう者が居る、程度には。だがその実力を、脅威を実感したのはあの時が初めてであった。
だからこそ、騎士たちは冒険者などの守るべき者を雇い入れることを決めたのだ。冒険者という大陸を渡る者たちが、その経験が必須だと理解したから。
「もっとも――その時は、転移者本人が現れるなど、思っても居なかったが」
鋭い踏み込みと共に突きを放ちながら、アレックスは呟いた。
転移者という存在を嫌っている者は、この連合軍の中でも多い。
怒り、恨み、妬み、義心――心に抱いた想いは人によって様々だが、それでも転移者を倒すべき敵と結論づけた者がここに訪れたのだ。
そんな中に、転移者の少女が一人。
騎士団長が認めた――その事実が無ければ、連翹はもっと露骨な悪意に晒されていたことだろう。
だが、そうはならなかった。
騎士団の、そしてその頂点に立つゲイリーの信頼。そして片桐連翹という少女自身の行動が、彼女を仲間であると認めさせたのだ。
ゆえに、ここに居る多くの者は理解している。
倒すべきは転移者ではないのだと。
倒すべきは悪党であると。
転移者とて人間だ。どれだけ力を持っていようと、悩み続けて生きる生き物なのだ。
ゆえに、特別扱いなどしない。
転移者など、しょせんは力を持っただけの人間だ。それ以上でも、以下でもない。
暴虐の限りを尽くさんとするのなら倒す、それだけだ。
この大地で生きていくことを望むというのなら全力で守る、それが騎士の在り方だ。
そこまで考えた後、アレックスは剣を収めた。
こちらに近づいてくる気配を感じ取ったためだ。
「何かあったか、マリアン」
現れたのは大柄な女性であった。筋骨隆々とし、下手な戦士よりも戦士らしい体つきをした神官である。名をマリアン・シンビジュームという。
彼女は腰に手を当て、そばかすの浮かんだ顔に呆れを浮かべてアレックスを見つめている。
「それはこっちのセリフさ。もう遅いのに一人で何やってるんだい」
「あの外道を切り損ねたせいで、苛立っていてな」
気晴らしだ、と笑いかける。
敵に対する苛立ちやまだあまり慣れない人員管理の仕事で積み重なった精神的な疲労。それが、刃で切り裂かれたように減退している。
その様子を見て、マリアンは呆れを色濃くし、けれどゆっくりと笑みを浮かべた。
「だが、それで体を冷やしたら元も子もないだろう。これでも飲んで温まらないかい?」
そう言って彼女が見せびらかしたのはワインの瓶だ。手元には二つ、木彫りのコップがあった。
はあ、と思わず息を吐く。
「……明日も早いのだがな」
「なあに、飲み過ぎなけりゃいいのさ。それにほら、体を温めるにはこっちの方がいいだろう?」
「まあな――頂こう」
頷き、焚き火の前に腰を下ろす。それを確認し、マリアンもまたどすんと音を立てて座った。
そんな立ち居振る舞いだから女と見られないんだ――そう言いそうになったが、「別に見られたいワケでもないからねぇ」という返答が来るのが分かっていたので、曖昧な笑みを浮かべて黙る。
その様子を怪訝な顔で見つめていたマリアンだが、まあいいか、とでも思ったのか木彫りのコップに赤い液体をなみなみと注いでいく。
「さてと――それじゃあ、今回の勝利に」
「最後の最後でしてやられたがな――まあいい、今回の勝利に」
乾杯、と木彫りのコップ同士をぶつけ合う。かつん、という音が夜風に巻かれて消えて行った。
ワインを口の中を湿らせるように、ゆっくりと飲んでいく。あまり高いモノではなく香りは薄めだが、程よい苦味が心地よい。
対するマリアンは既にコップの中身を空にし、おかわりを自分で注いでいた。思わず、小さくため息を漏らす。
「飲み過ぎなければ――ではなかったのか?」
「この程度の量なら水と一緒だよ水と。なあに、心配すんじゃないよ。自分の体調くらい自分で管理するさ」
そう言ってからからと笑うマリアンに、「ならいい」とだけ言って頷く。
彼女が酒に強いのは事実であるし、敵の本拠地が近いこの場所で深酒するほど愚かではないだろう。
そう、敵の本拠地は――レゾン・デイトルは近い。
「……この旅も終着が近い。待ち遠しいようで、寂しくもある」
西の空を見つめ、思わず呟いた。
そう、終着だ。辿り着く場所が勝利か敗北かは今のアレックスには分からないが、どんな形であれ終わりが訪れるだろう。
「私が産まれた頃にはもう大きな戦などなかったからな、このような大規模な行軍など経験がなかった。不謹慎ではあるが、楽しいと思っている」
もっと若い頃なら、声に出してはしゃいで先輩騎士に怒られたことだろう。
無論、今はそのようなことはしない。しないが――胸の内にはまだ少年の心が残っている。
その少年が叫ぶのだ。凄いな、まるで魔王の軍勢に立ち向かう戦士たちのようだ! と。
そんな口に出したら笑われそうな想いがあった。
「不謹慎? 何言ってんだい。気の置けない仲間と共に一つの目的のために進む――それを心地よく思うのも、楽しく思うのも、当たり前のことだよ。細かいこと気にすんじゃないよ」
そう言って肩を強く叩くマリアンに、「そうか」と頷く。
確かに多くの仲間と共に歩み道のりは心地よい。全てが楽しいモノでは断じてないが、けれどそれ以上の幸福があるのだと思うのだ。
冒険者たちとの交流も楽しいし、異種族たちとの会話は新鮮だ。
それに加え、今は転移者が居る。倒すべき敵ではなく、味方として。
(あのクエストを出した時には考えもしなかったことだ)
場合によっては間者として訪れるのでは、と思っていた。
だが、このように頼れる味方となるとは思いもしなかった。
「ところでアレックス、あんたは今、転移者についてどう思ってるんだい?」
考えが読まれたのか、マリアンが不意にそんなことを問うてくる。
だが、その内容に思わず首を傾げてしまう。そんなモノ、答えるまでもないというのに。
「こちらの秩序を尊重するというのなら、守るべき民だ。それが騎士だろう」
騎士とは戦い、守る者。
守るべき相手が強いか弱いかは関係ない。転移者とてそれに変わりはない。
そんなことを語ろうとしたのだが、「そうじゃなくて」と遮られてしまう。
「聞いてんのはあんた自身の考えだよ。組織の一員としての考え方と個人の考え方は違って当然だろう?」
というか、前は転移者のこと嫌いだったろう? とマリアンが問いかけてくる。
確かにそれは事実だ。レゾン・デイトルが建国されるまで実物が暴れるのを見たのは数える程だったが、それでも伝え聞く蛮行に好意を抱く要素は無かった。
だが、今は伝聞ではなく己の目で見定めることが出来る。敵も、味方も。
「どうしてそんなことを聞く? 別に仕事に支障は出していないぞ」
「そりゃアレだ。色々心労溜め込んでそうな無双の剣技さんを労ってあげたいのさ。愚痴くらいは聞いてやろうってね」
「労う気があるならその名を出すのをやめろぉ――!」
「はははっ! いやぁ、悪いね。最近すまし顔ばっかしてるから、時々崩したくなるんだ」
「全くもって悪いと思ってない顔で何を言うか……全く」
はあ、とため息を一つ。
全く、彼女は昔から変わらない。立ち居振る舞いも、自分に対する言動も。何もかも。
さすがに部下などの前では自重してくれているが、昔からの知り合いだけになればこれだ。
それが、少し心地よい。
まだ過去を振り返る年齢ではないだろうと言われそうだが、それでも時折振り返りたくなるのが過去なのだ。彼女と共に居ると、それが身近に感じられる。
「私の考え、か……正直に言えば、善行を成そうとも力に振り回されているだけの者は好かん」
ワインで口元を湿らしてから、一言。
積み重ねた努力こそ至高――などと、言うつもりはないのだが。
努力の果てに手に入れた力でも悪逆を成せば悪人であるし、突如として与えられた力でも善行を成せば善人だ。それは分かっているし、アレックス自身も認めている。
事実、転移者の全てが悪人であるワケではない。悪人が目立つというだけで、正しく生きる者も存在しているのだ。
だが、その正しく生きる者たちも――力に酔っている者が多い。
正しさを自己顕示の手段の一つとして考えているような転移者は、レゾン・デイトル建国以前から大勢居たのだ。
「だが、それでも――こちらと向き合い、考えて力を振るう者であれば、信頼に足ると思っている。片桐も、当時はともかく、今は信頼できる仲間だ」
出会ったばかりの頃のニールたちを思い出す。
その時に居た片桐連翹という転移者は――正直に言うと、あまり好いてはいなかったのだ。
悪党ではないというのは理解できた。けれど、彼女はこちらを向いていないと――ただただ注目されたいが為に善行を成している、そう思えたから。
――なんだそれは、危なっかしいにも程がある!
気分屋がたまたま善行を成しているだけであって、気が変われば注目されるために悪行を成す――そんな危うさだ。
そのような者、信頼することなど出来るはずもない。いつ『強い騎士を倒せば注目される』などと思って剣を振るうか分からない相手に、心を許すことなど出来るはずもないのだ。
「そういう意味では、あの西部の勇者はまだ信頼出来ていない。ブライアンと一緒に居る少年もな」
どちらもこちらに敵対心を持っていないのは確かだが、人として信頼出来るかどうかはまだ見定めきっていない。
少年は僅かとはいえレゾン・デイトルに属していたし、インフィニットは一度こちらに対して攻撃を行っている。
少々疑り深いかとも思うが、内部から食い破られる危険性を考えれば必要不可欠であろう。
「もっとも――団長が認めたんだ、片桐と同じように信頼する時が来るのではないかと思っている」
無論、人任せにするつもりはない。
己の目で確かめ、その本質を見抜いてみせよう。
剣の鍛錬と同じである。小さなことを積み重ねていくことで人を観る目が養われていくのだ。
「さて、次は私が質問するが、構わんな?」
「うん? ああ、もちろんさ。なんでも言ってくれて構わないよ」
「――マリアン、約束は覚えているな?」
コップに注がれたワインを飲み干し、ほのかに体が温まった頃にアレックスは言った。
それに対し、マリアンの返答は無かった。ぐっ、と唸り声めいた音を喉から出すだけで。
「もうあまり時間は残されていないぞ、返答の文面程度は考えておけ。書類仕事と同じで、溜め込んでも後で苦労するだけだぞ」
「……あたしみたいなのが言うのも難だけど、もちっと言い方ってのがあると思うんだよねぇ」
「生憎、女相手に気取ったセリフを吐いた経験がないのでな。それに、下手に背伸びをしたら転ぶだけだと先人に教えを賜った」
慣れぬ口調で、慣れぬ言葉を放つことは非常に難しい。
ゆえに、普段通りが一番なのだ。ムード云々など必要な間柄でも無し、きっとこれでいいのだろうと思う。
年上ぶった昔なじみが言いよどむ顔を見て笑みを浮かべたアレックスは、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、私はもう寝るとする。捕らえた転移者と救った現地人の処遇、全てが終われば敵の本拠地だ。疲れを残すワケにもいかん」
「……そうだね。あたしはもうちょい温まってから戻るから、火の始末は任せて先に行きな」
「分かった、任せる」
戦いの時は、近い。
旅の終わりも、また。
どのような形になるかは未来を見通せぬ身である以上分からないが、それでも終わりはやってくる。
だが、それでも幸福な形であれと願い、己や皆はそれを成せるのだと信じるのだ。




