185/とあるエルフの悔恨
「ごっはん、ごっはん、ごっはん」
軽やかな足取りで、歌うように即物的な単語を呟きながら野営地を巡る。
もっとも、さすがに心まで言動通り、とまでは行かなかった。
僅かに残った不安と恐怖、そしてそれ以上に胸を満たす暖かな気持ち。それらに従ってしまったら、ニールたちに対して「ごめんね」と「ありがとう」の言葉しか吐けなくなってしまいそうだから。
(あたしはそれでも構わないと思うけど、皆はそう思ってないみたいだしね)
それじゃあ会話も続かないし、皆に気を使わせてしまう。
だからこそ、なるべくいつも通りに振る舞うのだ。
別に無理をしているワケではない。ただ、咄嗟に頭に浮かぶ言葉が先程の二つで、その下に言葉や感情がある感じ。
それだけ申し訳なく思ってるし、それと同じくらいに嬉しかったのだ。
連翹のために色々としてくれたカルナとノーラに、贖罪の言葉を真っ直ぐに受け止めて答えてくれたニール。
その三人を思い出すと、自然と言葉が生まれるのだ。
色々迷惑かけたね、ごめんね、と。
自分を認めてくれて、信じてくれてありがとう、と。
気恥ずかしい言葉たちだけれど、しかし連翹の中にある大きな想いだ。だからこそ、口を開けばマーライオンか何かのように吐き出してしまいそう。
「やっほー、アトラー! ごはん余ってないー!?」
いや、マーライオンって喩えはちょっとアレじゃない? などと考えていると見知った姿を見つけた。
ドワーフたちの集団。カルナと親しい、工房サイカスの面々だ。彼らもまた自分たちで設営した天幕の近くで焚き火を起こし、食事を行っているようだ。
連翹の声に気付いて振り向いたのは、アトラ・サイカスという少女だ。最近髪の毛を切ったようで、少し大人っぽい雰囲気になった彼女は「あ、レン」と小さな声と共にこちらに微笑みかけてくる。
「倒れたって、聞いたけど……もう、いいの?」
「うん、この通り完! 全! 復! 活! ってヤツよ。……でも、倒れたせいで今日は食欲ないだろう、って食事用意されてなかったの」
「そっか……でも、ごめん、見ての通り」
頷いたアトラは、焚き火に焚べられた鍋とその周辺を指差した。
その鍋は干し肉と野菜を一緒に煮込んだ、シンプルな料理だった。塩っ気の強い干し肉を茹でることによって、水や野菜を塩味にしている。いくつか腸詰めなどもあるが、それは道中で購入したのだろう。
料理というにはシンプル過ぎるそれだが、野営中は複雑な調理などは出来ない。よっぽど野外で料理するのに慣れていない限り、他の者たちも似たり寄ったりだろう。
だが、寒空の下で食す温かい食事はそれだけでごちそうだ。連翹も冷たい極上の料理より、こういう荒々しくも体に染み渡るモノが食べたいと思う。
「あっ、お前それ俺の肉だぞ! 返せ、ってかもっと工房長を敬えテメェら!」
「敬うのと肉を食いたいって気持ちは別問題。ああ、いい具合に煮込まれて塩味も程よくなってるなぁ……」
「オイラ野菜貰うねー。肉ばっか食べてると野菜食いたくなるよねー」
そんな、簡単ながら美味しそうな料理を、鍋を囲む男ドワーフたちが凄い勢いで食していた。
それはもう凄まじい速度で。前衛のニールだって皆より沢山食べているけど、それを遥かに上回る勢いで肉や腸詰めを噛みちぎり、野菜や塩味のスープを飲み込んでいく。というか一人称オイラの子以外、スープごと野菜も飲んでるんだけど、なんなのコイツら。少しは噛めよと思う。
「あー……うん、ドワーフだものね。……っていうか、アトラ大丈夫? あの連中と同じ鍋囲んでたら食べる分が無くなっちゃわない?」
「大丈夫、だって――」
「アトラ、もう器が空じゃねえか! おらテメェら肉とか野菜寄越せ!」
「工房長にはやれねえけど、アトラちゃんなら仕方ねえ」
「あいよー、野菜もいい具合に煮えてるからちゃんと食べなよー」
先程までの争いはなんだったのか――そんな思いを抱く程の連携で、アトラの器に肉やら腸詰めやら野菜やらがたっぷりと注がれていく。
その様子に若干引いていると、アトラが「まあ、こういうこと」と少し気恥ずかしそうな顔で言った。
「あー、うん。確かに心配する必要はないみたいね。じゃ、あたしはこれで」
「大丈夫? お腹すいてるなら、分ける、よ?」
「いいのいいの、お兄さんたちの気遣いを無駄にしちゃダメよ。あたしは他のとこを探してみればいいワケなんだし」
頷くアトラの後ろで再開する鍋バトルを視界から外して、その場を立ち去る。
(さて、それじゃあどこに行こうかな)
ミリアム――は、まだ負傷者用の天幕の中だろうか。転移者ではない彼女がすぐさま回復して食事をしている姿は、ちょっと想像しにくい。
なら、キャロルとかに声をかけてみようか? でも、騎士集団の中に飛び込むのは少し緊張するので二の足を踏んでしまう。
あれだ、職員室に顔を出す学生の気分と言うべきか。アレックスやキャロルを見る限り、話してみれば親しみやすいのかもしれないのだが、遠目に見る限り真面目集団過ぎて気軽に絡めない。
そんなことを考えながら辺りを見渡すと、見知った顔を見つけた。
白髪のエルフだ。外見年齢は大体三十歳半ばくらいに見えるのだが、髪色と雰囲気から老人めいた雰囲気を抱いてしまう男だ。
ノエル・アカヅメ――オルシジームギルドで出会ったような若いエルフではない、古めかしいエルフである。これで装備が剣と鎧ではなく弓とかだったら、かつて連翹が妄想していたエルフに一番近いかもしれない。
細枝を組み立てて作った焚き火台の上に鍋を置いて調理をしている彼の姿を見て、小さく安堵の息を漏らした。
(あ、もう平気なんだ。同じエルフでも鍛え方が違うのかしら」
ミリアムたちはまだ動けていないというのに、彼はもう既にいつも通りのように見える。
もっとも、あまり表情が変わらず、そして顔色も元々白っぽいから、眺めただけでは本当にいつも通りなのかは連翹にはよく分からなかった。実はまだまだ本調子ではないと言われても納得出来るような気もする。
「……ニール・グラジオラスの連れ合いか、どうした?」
遠目に眺めていると、怪訝そうな声音で問いかけられた。
連れ合い? と思ったけれど、まあここのところずっと同じパーティーを組んでいるし、『長い間一緒にいる人』みたいな意味だろうと勝手に納得しておく。
「ニールのおまけみたいに言われるのは心外なんですけど。あたしには片桐連翹って名前があるんですけど!」
「それは悪かった、片桐連翹。それで、一体どうした。こんな時間にふらふらと」
「あ、そうだ。ごはん探してたのよごはん。キャロルたちと一緒にエルフの皆を担いで帰った後、あたしも倒れちゃってねー」
先程アトラにしたような説明をしながら焚き火にかけられた鍋を覗く。
そこにあったのは大麦とひよこ豆のスープだ。ほんのりと赤い色合いのスープの中に野菜がいくつか入っているが、肉の類は干し肉ぐらいしか見受けられない。それを見て、昔ながらのエルフの料理か何かなのだろうかと思う。
へー、と感嘆の声を上げながら覗き込んでいると、ふと違和感に気づく。
(あれ……量が多い?)
男性だから沢山食べる、では済まされない量が鍋の中でふつふつと煮込まれていた。
量はおおよそ三、四人分といったところだろうか。片方がドワーフと同じくらい沢山食べると考えても、大体二人分ぐらいの量だ。
「随分と沢山あるわね、誰か来るの?」
「ああ。彼女は小柄な癖によく食べるからな。その癖、肉の量が少ないと文句ばかり言うのだ。片桐連翹、貴様も気をつけろ。食い意地だけで料理も出来ないと嫁の貰い手が居ないからな」
その声は普段よりも僅かに弾んでいて、言葉のわりに彼女と会うのを楽しみにしているのが伝わってきた。
思わず、へえ、と小さく呟く。ノエルは基本的に一人でいるか、アレックスのような実力者と剣を交えている姿しか知らなかったけれど、そんな親しい相手が居たのか、と。
(……あ、でもこれ、やばい。あたしお邪魔虫なパターンじゃない?)
寡黙なエルフの戦士が楽しげに『彼女』とやらについて語っているのだ。
男と女が一緒に居たら恋愛沙汰――というのは発想が飛躍しているが、しかしお邪魔虫になってからでは遅いとも思うのだ。
「そ、そう……じゃあ、あたしはこれで。二人で仲良くしてね」
「気を使わずとも良い、ここで食べていけ。彼女は――フィリアは騒がしいことや珍しいことが好きだからな。転移者の国の話でもしてれるのなら、一食分くらい用立てよう」
「……フィリア? 誰それ、ノエルと仲のいい人?」
「む? 何を言っている、あんな目立つ女を知らぬはずがないだろう」
何を寝ぼけている、とでも言いたげな言葉に連翹は思わず頭を抱える。え、誰それ全然思い出せないんだけど……!? と。
「ご、ごめんちょっと待ってね……ええっと、あれー……?」
慌てて連合軍の皆の顔を思い出す――が、さすがに全員を覚えているワケではないので、すぐに断念する。
けれど、ノエルがここまで『当たり前』のことのように言うので、ゲイリーやアレックスみたいに連合軍に所属していたら誰しもが知っている者なのだろうと思う。
だが、どれだけ考えてもその『フィリア』という名の誰かさんの顔が思い浮かばないのだ。名前からして女性だとは思うのだが。
けど、目立つ女といっても、騎士団のキャロルや従軍神官のアマゾネスことマリアンくらいしか思い浮かばない。アトラやミリアムは可愛かったり綺麗だったりするけれど、知らないはずがないというレベルで目立ってはいないだろう。連翹が顔と名前が一致しない連合軍の誰かも、認知度で言えばアトラたちと大差はないはずだ。
「ドワーフの女戦士だ。いつも真っ先に敵陣に飛び込んでいるだろう」
「あ、あれぇ……ごめん、そもそも連合軍のドワーフに女戦士って居たっけ?」
凄い失礼な物言いだと思うのだが、思いつかないモノは仕方ないと頭を下げて問いかける。
確かに全員の名前を知っているワケではないが、前線で戦果を上げている人が居たら、名前は思い出せそうなものなのだが。
「何を馬鹿な。いつも魔族の首を叩き切って雄叫びを上げているではないか、あれに気づかないという方がおかしい」
「……魔族? とっくの昔に絶滅したって聞いたけど――あ、もしかしてエルフたちは転移者のことそう言ってるの?」
なにせエルフたちは魔王大戦と呼ばれる生存闘争の生き証人だ。
彼らにとって魔族と転移者は重なる部分があるのかもしれない――そんな想像を巡らせた、その瞬間。
「――ぁ」
突然、夢から覚めたように。
ノエルは瞳を見開き――そして寂しげな表情を浮かべて俯いた。
「……ああ、そうだ、違う、違う、あれは夢だ。……すまん、まだ意識が混濁しているようだ」
顔を掌で覆って、自分に言い聞かせるように呟く。
その様子を見て、ようやく連翹は思い出した。ハピメアという薬を嗅がされた時、ノエルが口走った言葉を。
『迷惑をかける――フィリア』
自分は大丈夫だ、まだ戦える、魔族を叩き出そう――と。
それはきっと、光り輝いていた記憶であり、しかしもう二度とは取り戻せない過去だったのだろう。幸せな夢を見せるという粉を吸って、何よりも先にその女性の名を呟いたのがその証明だ。
二人の間に沈黙の帳が降りる。
響くのは焚き火が爆ぜる音と、エルフ一人が食べるには多すぎる量の料理がふつふつと煮える音だけ。
「……食べる人が居ないなら、あたしにそれちょうだい。余らせるのも勿体無いでしょ? 一緒に食べましょ」
返事を聞かずに対面に腰掛ける。
幸い、食器は二つ分存在したから他所から取ってくる必要もない。
その様子を見つめるノエルは、拒否することなく小さく口元を笑みの形に緩めた。
「……このような陰気な老人とか。変わった娘だ」
「まだ老人って歳でもないでしょ――あれ、もしかして、実は若作りなだけ? 実際八十歳――エルフ換算で八百歳とか!?」
「さすがにそこまで歳を重ねていたら、剣を振れたとしても行軍に同行する体力は無かったろうな」
見た目通りで考えろとノエルは言うが、それだと三十代半ばくらいに見える。
若者と呼ぶには歳を重ねすぎているが、しかし老人と言うにはまだ若い。鍛え上げられた肉体も剣を構えた時のすらりとした立ち姿も若々しく、見ようによってはギリギリ二十代に見えなくもないだろう。
だが、白髪と枯れた雰囲気が外見年齢をニ、三十くらい上乗せしてしまうのだ。
(だから、なんなのかしらね。このまま枯れて消えちゃいそうな感じがする)
まだ元気なはずの花が、水が貰えなくてどんどん萎れていっているイメージというべきか。
少し前までの連翹をノーラが心配していた気が、少しだけ分かった気がする。弱った知り合いをそのままにしておくなんて、相手のためにも、そして自分自身のためにも出来るはずもない。
「老人老人って行ってるけど、朗らかに笑えば老人どころかギリギリ若者名乗っても許されるんじゃない? あ、いただきまーす」
鍋から器によそって、スプーンで一口。
すると感じるトマトの酸味と旨味、そしてスープと馴染んだ干し肉の塩味だ。若干薄味だがこれはこれで良い。欲を言えば鍋にチーズぶち込んでかき混ぜたいってくらいか。
噛みしめると程よく煮込まれた麦に豆などの野菜たちも程よい良い食感で、連翹が想像していた以上に美味しい。失礼な考えではあるのだが、独り身の男の料理ってもっと適当なモノだと思っていた。
「……ぷはっ。ところでトマトとかどうやって持ってきたの? 前も村で分けて貰ったの?」
お腹が空いていたこともあり、自分が取り分けた分を一気に空にして、そのままおかわりをする。
だって、トマトって潰れやすく常温保存に適さないので、こういった連合軍のように移動しながら大人数の食料を確保するには不向きだ。
魔法の存在もあって想像よりは食材の保存に融通が利くこの異世界ではあるが、しかしそれでも地球のようにはいかないし、何より手間がかかる。
だから、連合軍が保有する食材の多くは保存がしやすいものとなっている。肉なら干し肉がメインであるし、野菜も芋が中心だ。冷蔵用の魔法を使える魔法使いもいるが、戦いに来ているのに魔法を浪費するワケにはいかないだろう。
そんな連翹の問いかけに、ノエルは荷物から瓶を一つ取り出し、連翹の前に置いた。
「乾燥させてオリーブの油と共に瓶に詰めただけだ。そう珍しいモノでもないだろう」
「オリーブオイル……! なんだろう、それだけでお洒落な気がする!」
名前の響きもそうだが、地球時代朝に見てたテレビで変な名前のイケメンがよく使っていたのでよく覚えている。
それに、名前もなんか無駄にお洒落だ。
サラダ油とかごま油とか、そっちよりもなんか凄い特別感がある。
「……若い人間の言うことはよく分からんな。こんなモノ、昔からあったぞ」
「温故知新って名ゼリフを知らないわけ? 古いモノを理解してこそ新しい未来があるのよ。知らないけどきっとそう」
言いながら「あれ? ちょっと違うかな?」と思った連翹だが、まあいいやと食事を再開する。
「……全く、食い意地ばかり張っていては嫁の貰い手がないぞ」
呆れ返った物言いだが、しかしそこに嫌悪感はない。
「容姿も性格も異なるというのに、そういうところは彼女に――」
言いかけて、口を噤む。
普段はもっと寡黙――というか、内心を吐露しないイメージがあったのだが、今夜の彼は唇から無意識にこぼしてしまっている。
薬がまだ抜けきっていないワケではないだろう、そうであれば天幕の外に出ることを許されなかったろう。
薬が見せた夢。それが、彼の心を揺さぶったのだ。
「愚痴とか思い出話とか、そのくらいはいくらでも聞くわよ。ご馳走になってる身だし、何よりなんか吐き出した方が楽になるでしょ、きっと」
一人で抱えたいこともあるだろうが、吐き出したいこともあるだろうと思うのだ。きっと、誰にだって。
連翹ならそういう時に、隣に誰かが居る。ノーラは優しく、カルナは少し厳しく、ニールは『もし自分だったら』と考えて言葉をくれた。
けど、ノエルにはそういう人は居ない。
無論、相談したいと一言告げれば、受け入れてくれる人は居るだろうと思う。連翹が知る限りでも、ニールやアレックスが居るし、他にも真摯に話を聞く人が居るはずだ。
けれど、彼自身がそういう言葉をあまり口にしないから。
悩みなどない――そんな弱さなどない。そんな風にすら見えるから、こうやって話を聞く機会が無いのだ。
だからこそ、ある意味良い機会なのかもしれない。
弱ってるからこそ隠れていた弱みが見えて、だからこそそれと向き合えるのではないか――そんな風に思うのだ。連翹がそうだったように。
自分がカルナやノーラのように上手く出来るとは思えないけれど、しかし話を聞けば、想いを吐き出させれば次に繋がるのではにか、と。そう思うのだ。
「そうか――では、老人の昔語りに付き合ってもらうとしよう」
そう言って、彼は遠くを――いいや、過ぎ去りし過去を見つめるような眼で語り始めた。
「彼女は……フィリアはかつて――ほんの二百年前に一緒に戦ったドワーフの女戦士だ」
「ほ、ほんの……!? ああ、まあ、そっか、エルフだもんね」
人間で言えば大体二十年前。三十代くらいのおじさんが学生時代のことを話しているようなモノだろうか。
「魔法や信仰などより剣を好んだ変わり者だった私は、エルフよりもドワーフたちと仲が良くてな。魔族どもを追い払った後は、よくドワーフたちと酒盛りをして真っ先に潰されていた。当時は負けるものかと勝負を挑み続けたのだが、今考えれば当然の帰結だ。エルフとドワーフは根本的に許容量が違い過ぎる。よく年上のエルフに馬鹿にされたものだが、今になってみれば納得だ。私は相当の変わり者で、それ以上に馬鹿者だったよ」
ノエルが語るのは魔王大戦時代のエルフとドワーフの同盟、そしてその戦いの話であった。
力こそドワーフに及ばなかったモノの、相手の力を利用する剣術で敵を切り裂き、下手なエルフの魔法使いよりも多くの魔族を屠ったのだと言う。
その隣に居たのが、燃えるような赤髪の女ドワーフであった。
ノエルとは違い、力任せに戦斧を振り回しながら、しかし的確に相手を壊す戦い方をする女だ。
技と力。
方向性こそ違えど極まった二つの武を以って敵陣に切り込み、多くの魔族を切り裂き、叩き潰し、屠り続けた――そう言ってノエルは小さく笑みを浮かべる。
彼の語る戦いは壮絶で、語られていない部分で戦友が死んだりしているのだろうと思う。苦しいこと、悲しいこともあったのだろうとも思う。
けれど、それでもあの日々は輝いていたのだとノエルは笑う。輝かしい宝石を、懐かしき思い出を見つめるように。
(思ったより奔放――っていうか、勢い任せというか)
あまり仲良くなかった時代のドワーフと交流を深められる柔軟さはあったが、それはそれとしてこの人思ったより馬鹿なんじゃないかと思う。
エルフに土エルフって言われたって話も、ドワーフと仲良くしているということ以上に、立ち居振る舞いが影響しているのではないか。
特にフィリアという女ドワーフと仲良くなるキッカケに関しては如何なモノかと思った。戦いなんて止めて戦士の慰安でもしてろばーか! みたいな言葉は、女としてドン引きだ。よくそこから仲良くなれたな、と思う。
しかし、そんなノエルが、今はこんな風に落ち着いて――
(……あれ、でも。エルフにとって、せいぜい二十年そこらなのよね)
――ふと、疑問を抱く。
二十年。産まれた赤子が成人する程度には長い期間である。
けれど、語られる若いノエルが今の枯れたノエルになるには、少々短すぎると思うのだ。
人間、どれだけ変化しようと根本は変わらないモノだと連翹は思っている。様々な経験を経て変化していくモノではあるが、しかし過去と今は地続きで切り離せるモノではない。
だから、正反対に思える二つが。
ドワーフという新しい文化を真っ先に取り入れた彼と、新たにドワーフたちと関わることなく一人静かに過ごしている彼――その二つがイコールで結べないのだ。
「戦いの日々は長かったような気もするし、刹那の如く短かった気もする。だが、終わりが唐突だったのは確かだ。人間の勇者が魔王を討った結果、魔族同士で魔王の後継を決める内乱が発生し――内側と外側の敵に対処できず、魔族は滅んだ」
元々、実力主義で纏まりのなかった魔族をカリスマで纏め上げていたのが魔王だったのだ。
それが討たれた瞬間、多くの魔族が『自分こそが頂点に相応しい』と名乗りを上げたらしい。
内乱に同士討ち、下克上――それらを繰り返して一気にガタガタになった軍勢が、人間に、エルフとドワーフの同盟に勝てるはずもなかったのだ。
「そうして、勝利の実感が薄いままに戦いは終わった。けれど、それでも勝利は勝利だ。オルシジームでは勝利を祝う宴が開かれ、仲間と共に笑い、不平不満を口にした。ああ、魔王とやらは自分が倒したかったのに、先を越されてしまったなどと言ってな。
……その後、多くのドワーフがアースリュームへと帰還していった。当たり前のことだ、当然のことだ。けれど、私はそれがどうしても嫌で、認められなくて――彼女の手を掴んで引き止めた」
少し、二人で食事でもしないか、と。
別れの前に、もう少しだけ話さないか、と。
そんなことを言って、商業塔の中にある気取ったレストランを予約し、可能な限り自分を着飾って、フィリアをエスコートした。
優雅に食事をしながら、平和になったオルシジームの夜景を眺め、告白する。
完璧な流れだ。
完璧なサプライズだ。
そう思っていた――とノエルは苦笑を浮かべた。
「そしたら、『ああ、やっぱり』とな。傍から見て私はガチガチに緊張していたらしくてな、私の考えなど筒抜けだったようだ。『中々切り出さないモノだから、もう逆にこちらから言ってやろうと思った』と笑われたさ。全く、慣れんことを慣れん場所でするものではないな」
恥をかいたよ、と恥ずかしそうに――けれど楽しそうに笑う。
「だが、私の選択は当時のエルフたちにとっては異端も異端でな。数少ない友人からも思い留まるように説得されたとも。だが、それでも私は彼女と結ばれることを望んだ。エルフの寿命は長くとも、彼女はその瞬間にしか居なかったのだからな」
戦いは終わり、ドワーフとの交流も始まった。
だが、全てのエルフがすぐにドワーフと仲良く出来たワケではなかったのだ。歳を重ねたエルフは、特に否定的だった。あのような土臭い連中をこの国に呼び込むなど! ……と。
そんな中、一足飛びでドワーフと婚約したノエルが異端扱いされるのも致し方ないことだった。
ドワーフと交流を望む者にとっても、交流直後にドワーフと婚約したノエルは奇異に映ったらしい。
それでも排斥されなかったのは、ノエルは魔王大戦において魔族を屠り続けた英雄であったからだ。だから陰口を叩かれることはあっても、直接危害を加える者は居なかった。
「それでも様々な軋轢はあったが――彼女はそんなこと気にも留めてない風に笑って、私もまたつられてよく笑っていたよ。ああ、楽しかった。刹那の時間であったとしても、この思い出はどのような黄金にも勝る輝きを放っている」
そう、刹那だ――と。
ノエルは寂しそうな顔で呟いた。
「十年と数ヶ月。それはドワーフにとっては寿命の三分の一近い時間だが、エルフにとって瞬きする程度の時だ。分かっていた、分かっていたとも。覚悟はしていたつもりであったし、互いに納得の上だった」
ドワーフは三十歳と少しで寿命を迎えるのに対し、エルフの寿命は人間と比較して約十倍ほどある。
そのような話を聞くとエルフの方が幸せそうだなと思うのだが、ノエルが浮かべる表情は幸福とは程遠い。
「だから、突然夜中に彼女が私を起こした時、思いっきり飲んで食べて騒ごうと言い出した時、ああ、と思った。彼女もまた、その時が来たのだろうと」
その事実に悲しみはあったけれど、ノエルは頷いて笑みを浮かべた。
ドワーフがそうやって死ぬ前に大騒ぎするのは聞いていたし、何より愛した女の最期なのだ。それを汚すことなど出来るはずもない。
「ゆえに、その時のためにと用意しておいた酒を用意して二人で騒いだ。他の知り合いは呼ばなかった。多くはアースリュームに居たというのもあるが、彼女がそれを拒んだから」
オルシジームでは流通し始めたばかりの肉を盛大に買い込んで、見よう見まねで焼いてみせた。
今考えてみれば雑な焼き方だったと思うが、彼女は笑顔でそれを平らげながら様々なことを話した。
曰く、出会いの印象は本当に最悪だったぞ、とか。
曰く、あの時は引き分け扱いにされたが、あのまま続けていればあたしが勝っていた、とか。
曰く、互いに同じ戦場を駆け抜けるのは楽しかったな、とか。
曰く、ノエルは最高のライバルであると同時に、最高の想い人だったよ、とか。
曰く、戦いを終えてアースリュームに帰るかどうか悩んでいた時に腕を掴んでくれて、驚きと喜びが一緒に訪れた、とか。
曰く、けれど慣れないことばかりでガチガチになってる姿はとても滑稽だったよ、とか。
曰く、曰く、曰く、曰く曰く曰く曰く曰く――――
そんな風に、互いに飲み食いしながら語り合った――そんな時のことだった。
『ああ――嫌だ、嫌だなぁ』
不意に、ぽろりと。
彼女の瞳から涙がこぼれ落ちた。
『ああ――怖い。アンタを残して逝くことが、アンタをひとりぼっちにさせることが。死ぬよりも何よりも、怖いなぁ』
雫はいつしか雨となり、彼女の頬を濡らして。
最期に彼女は『ごめんね』とだけ囁き、泣き疲れて眠りについて――その後、二度と目覚めなかった。
多くのドワーフがそうやって死んだように、けれど悲しげな表情を浮かべながら。
「……ドワーフたちはな、死する直前に大いに飲み、食い、騒ぐのだ。家族や友と一緒に、この世の未練を断ち切ってから創造神の元に赴くのだという。ゆえに、死顔の多くは笑顔なのだ。この世に対する未練を残さず旅立つのが、ドワーフという種族の生き様だ」
それはロウソクが見せる最期の輝きのように。
轟々と燃えることで、己は生を全うしたのだと世界に告げるのだ。
「だが、私などと関わってしまったが故に、彼女はそれを成せなかった」
なんて無能だ、と。
ノエルは顔を手で覆う。
「結局のところ――私は……俺は、彼女を不幸にさせるばかりで、幸せになどさせられなかった」
彼女はノエルに対し、幸せだと告げてくれた。
しかし、それは本当に本心か?
故郷とは違う場所で、異種族に陰口を叩かれながら生きて、涙を流して死んで――そのような生き様で、本当に満足だったのだろうか?
分からない、分からない、一人でどれだけ悩んでも答えは出ない。
「正直に言うとだな、私はこの戦いを死に場所にしたいのだ。大陸を侵略しようとする外敵とかつてのように戦いに、この生命を捧げたい。……あの時の戦いですべきだったことを、今、この時代でやりたいと思うのだ」
ノエル・アカヅメという男は、死んでいた方が幸せだった。
フィリアにとっても、そしてノエルにとっても。
「それに……生きるのには、もう疲れたよ。かつての友たちも皆死んだ。大往生だった者も居れば、魔族の残党と戦い命を落とした者も居る。だが、全てが遥か昔に過ぎ去った過去だ。ああ――……長い、長い、エルフの寿命は長過ぎる。もう彼らの子すら死んでいるというのに、私はまだ生き恥を晒している」
それは、ドワーフと親しんだエルフゆえの嘆きであった。
ドワーフの一生は短く、エルフの一生は長い。そのようなこと理解していたつもりだった、けれどつもりなだけだったのだ。
友が居なくなるのは悲しいし、寂しい。
胸の中には今も鮮明にかつての友の日々が在るというのに、ドワーフたちにとってももう何代も前の過去だ。既に記憶ではなく記録として、歴史として語るべきモノに成り果てている。
「ならば、この無駄な命を何かに捧げる方が有意義で――」
――その辺りで、連翹はどうしても我慢できなくなった。
ぺちん、と右手に持つスプーンでノエルの額を軽く叩き言葉を強引に止めさせる。
「……何をする」
「何をするじゃないわよ、何をするじゃ。というか、良かったわね。今の話聞いてたのがノーラだったら、右手が唸ってたわよ」
スプーンを手で弄びながら言い放つ。
ノーラは基本大人しいのだけれど、本気で怒ったら拳を振るうのを躊躇わない。基本的に大人しいし、物腰も柔らかいのに、いざとなったら言葉と一緒に拳が出るアグレッシブさがある。
だが、今回みたいな場合は連翹だって止めない。いいぞもっと力いっぱい殴れー! と囃し立てていたかもしれない。
「だって貴方の言い分ってすっごく独りよがりなんだもの。友達死んで悲しいってのは、まあ仕方ないけどね。けどフィリアさんについてはもう完全に無しよ無し」
ノエルの話を聞いて今と昔で人格が違いすぎる――そう思った。
けどとんでもない。どれだけ見た目と精神が枯れようと、根っこは、根ざした場所は同じだ。
「貴様に、何が分かる」
「じゃあ聞くけどね、そのフィリアってドワーフが言ったの? ノエルと出会って後悔してるとか、出会わない方が幸せだったって。もし話の流れではしょってただけなら、あたしの勘違いだって謝るけどね。でも、きっと違うでしょ」
連翹はフィリアというドワーフを知らない。今、ノエルから聞いた思い出話が連翹の中にある全てだ。
でも、それでも分かることくらいある。
嫌々ノエルと一緒に居たわけではないことと、幸せに感じていたことくらい分かるのだ。
「そのようなこと、聞かずとも分かる。私とエルフという種族には――」
「不幸にさせる要因が沢山あった? それは確かにそうなんじゃないかって思うわよ。まだ打ち解けてない異種族の街で暮らすより、住み慣れた故郷で過ごした方が楽だったろうと思う」
地球に置き換えれば、閉鎖的など田舎に突然嫁ぐことになったようなモノだろう。
なるほど、確かに色々と面倒で不幸なこともあったはずだ。さすがに「全て全て満たされていたはず」と言えるほど脳内に花は咲いていない。
「けど、そんなことフィリアってドワーフが一番理解してたはずでしょ? 寿命の差も、世間との軋轢も、何もかも――分かってないはずないじゃない。あたしは詳しくないけど、話を聞く限りドワーフは全力で一生を駆け抜ける種族なんでしょ、わざわざ不幸になるために生きる選択肢を選ぶはずないんじゃないの?」
短い命であるからこそ燃え上がるのがドワーフだろう。
そんな短い生命の中で、わざわざ不幸になる道を選ぶはずがないではないか。
考えたはずだ。その結果自分はどうなるかを、今後自分はどのように生きることになるのを。
考えた上で、決断を下したのだ。
「……それってつまり、マイナスよりもノエルと添い遂げることがフィリアさんにとって大きなプラスだったってことじゃない」
なんでこんな単純なことにも気づかないのかという思いと、気づけなくても仕方ないという思いが同時に胸に芽生えた。
相手がどんな人で、どのように過ごして来たのか、この程度他人にだって気付けるだろう。
けれど、彼女の最期を見て内心が酷く拗れてしまい――それを解きほぐす友人が既に皆亡くなっていたから、今日まで拗れたままだったのだ。
「しかし……」
けれど、ノエルはそれを受け入れきれない。
当然だ。長い時間で絡まった糸を、ポッと出の連翹がどうにか出来るとも思えない。
「それとも何? そのフィリアさんってあたしですら考えつくことすら思い浮かばなくて、死の間際になってから後悔するような馬鹿な人なの? だったら今までの前提ぜーんぶ崩れちゃうけど」
――なので、力任せに引きちぎるでござるの巻。
「まさか! 彼女は確かに直情的であったが、しかしドワーフらしく己の一生を大事に思っていた!」
さすがにこの言い方にはカチンと来たのか、ノエルがこちらを鋭く睨む。自分で挑発しておいて難だけれど、ちょっと怖い。
「つまり、それが答えじゃない。フィリアさんは幸せになるためにノエルと添い遂げた」
早鐘を打つ心臓を抑えながら、けれどしっかりと言い放つ。
カルナならこの辺りもっと上手く出来そうなのだが、連翹にはこれが限界だ。
「ドワーフは未練を無くしてから死ぬんでしょ? だからこそ、そうやって言ったんじゃない。ノエルを残して逝きたくないって。
けど、そんなこと言ったら絶対に引きずるだろうって分かってたから笑って別れようとして、けど出来なくて――だから、『ごめんね』なんだと思う」
こんなこと言ったら、目の前の男は絶対に後悔するのに。
幸せに出来なかったなどと、自分を責め続けるのが分かっていたのに。
だからこそ黙っているつもりで――けれど、黙っていることなど出来なくて。
だからこそ、『ごめんね』なのだ。こんな呪いを置いて一人で逝くことを、彼女は謝ったのだと思う。
無論、想像だ。
これが全て的中しているかどうか分からないし、もしかしたら八割くらい外している可能性がある。
けど、それでもただ一つだけ確かなことがあるのだ。
「確かに好きな人を置いて自分だけ先に逝くのは辛いし、貴方をひとりぼっちにさせることが悲しかったんだろうと思う。けど、その最期の時に声をかけたのが他の誰でもなくノエルなんでしょ?」
ゆえに、彼女はノエルを愛していたし、幸せだった――そう思うのだ。
だって、オルシジームにも彼女の友人は居たはずだろう。アースリュームに居た時よりは少なかったかもしれないが、それでも。
だというのに彼女はノエルと二人で居ることを選んだ。それが全ての答えだろう。
「――――」
それきり、ノエルは黙り込んだ。
言葉も涙もこぼさず、ただただ何かを、そして誰かを思い描くように。
「私は――馬鹿だな」
白い顔と頭髪を焚き火の赤で照らしながら、彼はひねり出すように重々しく呟いた。
「うん、話聞いてて思ったけど、『昔は馬鹿だった』みたいなのじゃなくて今も変わらず根っこは馬鹿よね」
友人のドワーフがどんどん死んで、精神年齢が一気に上がった弊害というべきか。
もっと色々誰かに相談すべきで、もっと色々誰かと話したりすべきだったのに、それが出来なかった。
水と栄養が足りなくて枯れかけている若木自身が、自身が老木だから枯れかけているのだと誤解しているようなものだ。
「というかね。おじさんが若者ぶるのは確かにどうかと思うけど、だからってむやみに年寄り自称して何もしなくなるのは違うと思うの。もっとハメ外してみたらどう?」
「……中々に難しいことを言う」
「そんな難しいことじゃないわよ。ハメなんて、楽しんでたら勝手に外れるモノよ。もちろん、それで外しすぎるのも問題だけど、常に外さずに居たら楽しむべくことも楽しめなくなると思うの」
かつての日々を悼む者が、今を楽しんではいけない――そんな道理はないのだから。
輝いた過去を美しく思い、二度と手に入らないことを嘆くのは間違いではない。けれど、今を楽しもうとしないのは間違いだろう。
感情というのは混ざり合うモノ。
悲しみを抱きながら喜びを抱くことは、きっと、矛盾なんてしないのだから。
「そうか……すまんな。このようなこと、一人では考えることもなかったろう」
「大したことを言ったわけじゃないわ。こんなの、ニールでもアレックスでも、あたしの知らないノエルと親しい誰かであっても、似たようなことを言ったはずよ」
けれど、彼にそんな言葉をかけてくれたかつての友人は既に亡く、新たに親しくなった者に対して弱音を吐露することがなかった。
知らなければ、気づかなければ言葉をかけてやることなど、出来るはずもない。
だが逆に、知ったのなら――彼が抱く想いを理解したのなら、何かしらの言葉をかける人は居たはずである。知り合いが、友が、仲間が思い悩んでいて黙ったままで居られる者の方が連合軍には少ないだろう。
今回は、その場に居たのがたまたま連翹であったというだけ。キッカケがあって、そこに自分が居ただけなのだ。
そういう意味では、雑音の薬は結果的に良い影響を与えたのだろうと思う。
強制的に昔の楽しい夢を見せられなければ彼が弱ることもなく、弱音混じりの思い出話を語ることもきっとなかったはずだ。
「そうか……だが、どうしたものか」
夜空を見上げ、ノエルは呟いた。
このままではいけない――そのくらいは分かっている。
だが、これからどうしたら良いのかが分からないのだと言う。
若い頃は魔王大戦の真っ只中で、友と共に戦い続けた。
友が死に、妻が死に、その後は精神的に枯れ果て――けれど友人と共に磨き上げた技を鈍らせることが出来ずに鍛え続け、最終的にエルフの戦士の教導を任される戦士となった。
今更、何をすればいいのか分からないのだ。
そのように思い悩むノエルに、鍋が焦げ付かないようにかき混ぜながら連翹が言う。
「そうね……全部一区切りついたら、冒険者にでもなってみたら? 霊樹の剣が沢山あった場所の管理は神官のエルフでも雇ったりしてね」
どうせ若い人は鉄剣ばっかりで居ないんでしょ? と。
なら、ノエルがそこでずっと居る意味はないではないか。
若いエルフが鉄剣を使い、その上で研ぎ澄まされた剣術を身に着けたのなら、霊樹の剣は勝手に使用者を選ぶだろう。最低限、霊樹の剣の言葉を伝える者が、通訳する者さえ居ればいいのだ。
「一人でじっとしてるから考え込むのよ。さすがにいきなり皆と一緒に騒ぎ倒せなんて言わないけど、一人で旅でもしてみたら気分も変わるんじゃないかしら」
適当に言った言葉だったが、しかし名案だと思った。
旅とは基本一期一会。道中で仲良くなる者も居るだろうが、しかしずっと同じ場所で暮らすワケではないのだ。
クエストを来なしながら東西南北、あちらこちらを移動する。気に入った場所があればしばらくそこで過ごしても良いし、あくせくとあちこちに行くのも良いだろう。
出会いがあれば別れもあるはずだ。辛いことも、きっと。
けれど、旅路の中で見る多種多様な景色は、様々な出会いは、枯れかけた心にとって十分な水と肥料になると思うのだ。
「そうだな――この戦いが終わったら、少しばかり自由になってみるのも一興か」
そう言って、ノエルは口元に笑みを浮かべた。
満面の笑みではない。普段通りの、ほんの少しだけ存在する表情の変化だ。
けれど、それでいいのだと思う。
心とは一気に変化するモノではなくて、ゆっくりと変わっていくモノだと思うから。連翹も、今の自分になるまで二年以上かかってるのだ。エルフはもっと時間が掛かるだろう。
「そうそ――う、あ、あああっ!?」
そうそう、ゆっくりと考えてみて――そう言いかけた口が叫び声を吐き出した。
びくり、とノエルの体が震える。素で驚いたらしい彼は、連翹を心配するように見つめる。
「どうした、急に騒ぎ立てて」
「これ絶対フラグよ! 新たな希望を抱いて戦いが終わってから自由に生きるとか、これ絶対死ぬヤツよ! 翌週とかにドラマティックに! 次回ノエル死すでデュエルがスタンバイされちゃう!? やだ、あたし死亡フラグ乱立させすぎ……!?」
ニールの時もそうだったし、これはもしかして死亡フラグメイカーという異能を得てしまったのではなかろうか。
けど、そんな異能欲しくはなかった。ああ、自分は平凡な日常を過ごしたいだけなのに――ッ!
「……若者言葉なのか、それとも貴様の言葉が難解なのかは分からんが、意味が分からないぞ」
心からの呆れの言葉が聞こえてきて、連翹の心が若干折れかけるが――そんなこと知ったことではない。
焚き火を回り込んでノエルの肩を掴んで、ぐいぐいと体を揺する。揺する――のだが、なんだろうこの人、体幹がしっかりし過ぎてて逆にこっちが揺さぶられる。
無論、転移者の力を全力で使えばノエルの体くらい振り回せるのだろうが……今は、そのような場合ではないのだ。
「ねえ、死なないでよ? ほんとお願いよ? これで次の戦いとかで死んじゃったら無意味に責任感じちゃいそうだし、何より知ってる人が居なくなるのは寂しいもの。絶対死なないでよ! 約束よ!?」
連翹の言葉でバッチリ死亡フラグが立って、ノエルが死ぬ。
これはもう間接的に殺人と言っても過言ではないのではなかろうか?
そんな風に狼狽える連翹の姿をしばし見つめていたノエルだが――不意に吹き出すように笑い声を上げた。
「あああっ! 笑った! 笑ったぁ! 言っとくけど本気だからね! 死んだら怖いからね、祟るわよ!」
「くく、祟るのは死者の方だと思うがな。ははっ……分かった分かった、分かったとも。生きて帰ってみせるとも――そうだな、知り合った誰かが死ぬのは、心苦しい。それは、どの種族でも同じか」
そう言って笑う彼の顔は、普段よりもずっと自然で柔らかい笑みであった。




