181/雑音/響かせる/雑音/言葉と/雑音/胸に/雑音/抱く/雑音/誓い
気がつくと、連翹は簡易寝台に横たわっていた。
酩酊しているような鈍い思考のまま、上半身を起こす。
すると感じる、じっとりとした汗の感触。体温で半端に温まったそれが、衣服と肌の間で不快な自己主張を行っていた。
その不快感が緩んだ思考を現実に引き戻し、どうしてここに自分が居るのかを思い出させる――ノイズ混じりの映像が鮮明になっていくように。
(……ああ、あたし)
思い出す、思い出す、思い出す――あの瞬間たちを。
雑音語りに立ち向かって、彼の甘言を跳ね除けたあの瞬間。
友人たちに無様な姿は見せられないし、己の罪にはちゃんと向き合おうと決めたはずだった。
けれどもニールたちを前にして、その全てが氷菓子のように溶けて消えたあの瞬間。
あれだけ自信に満ちた言葉は、しかし大言壮語でしかなくて――事実、今も腕が震えている。
(……麻薬中毒者が禁断症状になってるみたいね)
自虐的に嗤う。
比喩表現のつもりだったが、何一つ間違っていないと思えたから。
結局、片桐連翹という少女が皆と一緒に入られたのは規格外があったからだ。力もそうだが、心も。
力があったからこそ、言動に自信を持てた。自分は転移者で、強いから――そう信じられたから。
けど、それが無くなったら。
そう考えると、どうしたって不安と恐怖が浮かび上がり、どれだけ振り払っても消えてくれない。
それがまた、嫌なのだ。それは乗り越えられたと、そう思ったはずなのに。
無法の現地人によって傷つけられた村人たちをノーラと共に癒やして、感謝されて、自分は規格外だけの人間ではないと考えたはずなのに。
だっていうのに、ニールと対面して、謝ろうとして、全部全部怖くなって――その恐怖が連鎖するように広がっていく。
水面に石を投げ入れたように、波紋が一つ、二つ、三つ、ゆらりゆらりと心を揺さぶるのだ。
(なんであたしは、こんなに脆いんだろう。こんなに弱いんだろう)
一度決意したことすら、こんなにも惨めに揺らいで、ブレて。
自分で自分が恥ずかしい、情けないし許せない。何を傷ついた顔をしてるんだ、何を被害者のような顔で蹲っているんだ。
被害者はニールで、連翹は加害者だ。今も、かつても、これからも。
苦しんで良いのはニールであって、自分ではない。
なのに何を履き違えてるんだ馬鹿女め、悲劇のヒロインごっこはそんなに心地いいのか――自分で自分を罵りながら簡易寝台から起き上がり、傍らに立て掛けてあった剣を手に取る。
こんな風に横たわっていてはいけない。そんなの、許されない。
だから、とにかく何かをしないと。何か、何か、何か。
荷物運びをしたり、近場で襲ってくる可能性の高いモンスターを始末したり、捕虜にした転移者を監視したり。
すぐに思いついたのはこのくらいだが、何かやらないと、やらないと、やらないと。
誰かの役に立たないと――罪人の弱者の役立たずに居場所なんてない。
だから、駆け出すように外に出ようとして――
「おっと――もう起きてもいいのかい?」
――負傷者用天幕から出てすぐ、見知った顔が出迎えた。
長い銀髪と漆黒のローブが印象的な彼、カルナは「やあ」と言うように軽く手を挙げている。
(……ああ、少し、困ったな)
正直、合わせる顔がなくて。
心配して貰えるような人間じゃないのに、わざわざ様子を見に来てくれて。
ありがたくて、嬉しくて――だからこそ、辛い。
自分は、そんな風にして貰える人間じゃないから。
キリキリと痛む胸を両手で抑え、いつものように笑う。
「う、うん……別に、大丈夫。だからあたしなんて心配しなくていいのよ」
憂いに満ちた顔を必死で笑顔にして、笑う、笑う、微笑む。
だっていうのに、笑みを向けられたカルナに安堵した様子はなく、何かに苛立ったように眉を寄せている。
なんだろう、何か、間違ってしまったのだろうか。
何か失態を犯してしまったのだろうか、何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか。
「……だったら丁度いい。少し平原を散歩がしたくてね、護衛を頼みたいんだ。前みたいに一人の時を狙われたらたまったものじゃないからね」
「え、あ――うん、分かった、任せて」
困惑は数秒、返答は一瞬。
頼られた以上、断るなんて選択肢はない。自分なんかに、あるはずもない。
だっていうのに、カルナはなぜか不機嫌そうに頷いた連翹を見つめている。
「よし、それじゃあ付いて来てくれ」
不機嫌そうな声音で歩き出すカルナの背を追いかける。
連合軍が野営している場所からゆっくりと離れていく。
どこまで行くのだろう? 空は既に茜色に染まっていて、もうしばらくすれば夜の闇に沈んでいく。
こんな状況で、わざわざ出歩くなんて――そう考えて小さく頭を振った。それは自分が考えることじゃない、今はカルナの頼みに応えるだけだ。
「……考えてみれば」
ぽつり、と。
カルナが呟いた。
「こうやって君と二人で歩くのは珍しいね」
「そう……ね。大体の場合、ノーラか……ニールと一緒だったし」
宿などで二人になるタイミングはあったけれど、二人で外に出るなんてことはあまり無かった。
カルナと一緒の時はニールかノーラが居て、カルナと一緒に出歩くというよりは皆と外に出るというイメージの方が強い。
「まあ、それもそうだ。実際、出会ってしばらくの間は、そこまで君のことを好きでも信用しても居なかったから」
「……出会った時、ノーラが親しげに話しかけてくれるまで、完全に無視してたもんね」
言葉にされると少しショックだったけれど、しかし当然だろうとも思う。
女王都へ向かう道中で泊まった宿場町。そこで、半泣きになっていた連翹を完全に居ないモノと扱いコーヒーを啜っていた姿を思い出す。
ノーラが親しく話しかけてくれて、一緒に行動することを決めて――それから邪険にしない程度に話しかけてくれた。
「あの時の僕は『転移者は全部敵だ』とか考えてたし、レンさんはレンさんで宿で思い切り喧嘩とか始めていたからね。正直に言うと、好印象を抱く要素が皆無だったよ、あの時」
「うん……そうね」
あの時は転移直後に比べればマシだったけど、まだまだ調子に乗っていて、自分ならなんでも出来ると信じ込んでいた。
馬鹿な女。あんなの、切れ味の鋭いナイフを振り回して見せびらかしているのと大差はないのに。
過去と今の自分に自己嫌悪していると、カルナが顔をこちらに向け――
「けど――今はそうでもないさ」
――そう言って、柔らかく微笑んだ。
「ノーラさんが攫われた時に徹夜で辺りを探し回ってくれたし、レオンハルトを騙してノーラさんが逃げる隙を作ってくれた。僕らの気分が沈んでいた時に、『ノーラさんのためだ』って言って外に連れ出してくれたし、僕の相棒のことを理解もしてくれている。……少なくとも、今の君は嫌いじゃないよ」
「そうなの……うん、ありがと」
返答に困りつつ、とりあえず頭を下げる。
正直に言うと、少し気まずい。
確かにその時はちゃんと相手のことを想って行動を起こしたのだと思う。
けれど、それが本当に片桐連翹という人間がやったことなのか、規格外で調子に乗って勢いづいただけの行動なのか、今となってはもう分からないのだ。
「……そこは『ノーラが居るのになに口説いてるワケ? 馬鹿なの? ハーレム願望持ってるの?』とか言って欲しいところなんだけどね」
怒っている、というよりも、やりにくいなぁ、とでも言うようにカルナはため息を一つ。
他愛もない会話と、対話が続かなくて訪れる静寂。それを交互に繰り返しながら、カルナと連翹は連合軍の野営地から徐々に、徐々に離れていく。
どこまで行くのだろう、と思ったが、聞いてもいいのかなという思いが強くて――カルナの話に相槌などを打ちながら、ここまで付いて来てしまった。
「さて、と」
そう言って足を止めた場所は、何もない、だだっ広い平原であった。
冷たい夜風が生命力の強い野草たちを揺らすのと、空が良く見えること以外、なにもない場所だ。
「僕も、そしてレンさんも誰かの気配を感じ取るのは苦手だからね――内緒話をするのなら、こういう場所の方が良い。近づいてくればすぐ分かる」
「……散歩じゃなかったの?」
「うん、それ嘘なんだ」
悪びれもせずにそう言うと、カルナはその場にゆっくりと腰を下ろした。
それを見てどうしようかとしばし悩んだけれど、見下ろすのも良くないだろうと隣に座る。
ざあ、と風が凪いだ。
空はゆっくりと明かりを失っていく。太陽の届かぬ水底へと沈んでいくように、暗く、黒く。
「……雑音に何か言われたかい?」
黙り込んでいたカルナが、急に問いかけてきた。
その言葉の意味に、どくり、と心臓が跳ねる。
「ううん、なんでもない。倒そうとしたけど、駄目で、追い払うのが精一杯で――それだけ」
誤魔化し、笑う。
なんでもないの、と。
倒そうとしたのに失敗して、それで落ち込んでるだけなの、と。
「僕が思うに、君が告げられたのは三つだと思うんだ」
だというのに、カルナはこっちの話など聞いていないと言うように言葉を連ねていく。
「一つ、レゾン・デイトルに来ないかという勧誘――これは僕の場合もあったからね、転移者であるレンさんが誘われないはずもない」
「ああ、うん。それはまあ、確かにあったけど……ちゃんと断ったから大丈夫よ」
だから心配しないで、と。
別に敵に回って貴方を傷つけることなんてないわ、と。
そんな風な微笑みは、しかし酷く苛立った眼差しで返されてしまう。
「……二つ、転移者の力の時間制限について」
跳ねる心臓が、更に激しく脈動する。ギアを上げるように、加速するように。
心音が耳障りなくらいに響いて、息も僅かに乱れてしまう。
「前々から予想はしていたけれど、インフィニットの言動で確信した。そもそも、レゾン・デイトルの転移者はなぜ誰かの下に就いているのか。部下なんて立場に甘んじているのか」
そんな連翹の様子を視界に収めながらも、カルナは気遣うことなく語り続ける。
それは自説を発表する研究者のように、
あるいは――犯人を追い詰める探偵のように。
「強力な力で好き勝手に生きたいんだろう? なら、西部の盗賊を束ねていた転移者のように、お山の大将を気取れば良い。実際、転移者と真っ向勝負出来る人間なんてまれなんだ。レゾン・デイトルなんかからとっとと離れて、好き勝手に暴れまわればいい」
だが、レゾン・デイトルに所属している転移者の多くはそうしない。
それは、何故か?
「安心が欲しいからだ。いざという時に――力が消え失せた時に自分を庇ってくれる誰かが居るという安心感。ドロップアウトした時のセーフティー・ネットの存在。それが、転移者という存在を束ねていると僕は考えている」
もちろん、タイムリミットは分からないけれどね、とカルナは淡々と語っていく。
じりじりと追い詰められていく感覚があった。目の前でトリックを暴かれる推理小説の犯人は、きっとこんな心境なのだろうなと場違いな思考が浮かんでは消える。
「だけど、それだけでは君をここまで揺さぶるのは無理だ。出会った当初なら、心を支える柱が転移者であるという自負のみだった時なら、それだけで心は簡単にへし折れただろうと思うけどね。けど、今は違う。ノーラさんが居る、ニールも居る、そして――僕だって居る。君程度なら問題なく支えられる人間が居るんだ。多少揺らぎはするだろうけど、それだけで君の心を折るのは難しい」
ならば、なぜ?
なぜ、君はそうなったのか、と。
そう言ってカルナは連翹を真っ直ぐに見つめている。
隠そうとしていたモノ全てを暴かんとするその眼に恐怖を抱く。嫌だ嫌だ放っておいて、そんなことを言って距離を取りたい、目を逸らしたい、逃げ出したい。
だっていうのに、体は全く動かない。
なぜなら――怖いから。
なぜなら――後ろめたいから。
雑音の言葉で抱いた感情、それを知られるのが怖い。
だって、それらは『自分はこれからどうなるのか』、『自分が友人たちにどう思われてしまうのか』、『嫌われるのではないか』、『失望されるのではないか』……全部全部、自分のことばかりで。
(こんなの、自分勝手で、臆病で、卑屈で)
ああ――みっともなくて仕方がない。
本当なら面と向かって言わなくてはならないことを、秘密にして、黙り込んで、その上で暴かれようとしている。それが、怖い。
「だから三つ目――恐らく、これが一番レンさんを揺さぶったんだろうと思う」
そして何よりも後ろめたい理由は――暴かれることに恐怖を抱きつつも、どこか安心している自分がいること。
――ああ、これで自分から伝えなくて済む、と。
全部暴かれて、ニールやノーラにバラされてしまうのなら、それはそれで『気楽』だなと。
なんて、浅ましい。
自分で自分が嫌になる。
「ニールとの出会いを突きつけられたね、君は」
その言葉に返答することもせず、黙り込む。
疑問はあった。
なんでカルナがそれを知っているのだろう、とか。
どうしてこうも完璧に言い当てられたのか、とか。
自分をどうしたいのか? とか。
貴方はこれから何をするの? とか。
けれど、どれも言葉になることはない。ただただ、胸の中でぐるぐると渦巻くだけ。
「君がやったことについてはニールから昔聞いた。……あの話を聞いた時は、その相手とこんな風に話をすることになるとは思わなかったけどね。ニールの刃が切り裂くか、僕の魔法が貫くか、はたまた力及ばず敗北するか――そのどれかだろうと思っていたよ」
言葉のナイフの腹で、軽く素肌を叩かれているような感覚。
突き刺す程ではないが、しかしどこか攻めるような冷たさと鈍い衝撃が連翹を揺さぶる。
「……それで、君はどうするつもりだい?」
切っ先がこちらに向く。
返答次第ではそのまま肉を貫き、臓腑を抉るぞ、そう言うように。
カルナの冷たい眼は、それこそナイフのように鋭く、冷たい。
もう、黙っているワケにはいかない。
自分で言葉を紡がねばならない。
大きく息を吸って、吐いて、暴れ馬のように言うことを聞いてくれない喉を必死に御しながら、口を開く。
「……ニールに話して、ちゃんと謝りたい。そうしなくちゃ、いけない。許されるにしても、許されないにしても。……分かってるわよ、こんな風に、被害者ぶってる暇なんてないこと、くらい。自分でやったことの責任ぐらい、自分で取ったほうが良いってことくらい」
それは正しい理屈なのだろう。
そのくらいは理解している。真っ先に思い浮かんだ答えであり、選ぶべき選択肢なのだと。
こんなの『悪いことをしたと思ったらちゃんと相手に謝りましょう』という話だ。子供でも知っている、当たり前の理屈ではないか。
けど、そんな当たり前を恐れずにこなせる人間であったのなら、転移前だってリアルは充実していただろう。勇気を持って、色々なことにチャレンジ出来ていただろう。
だが、当たり前のことを当たり前に出来なかったからこそ、落ちこぼれたのだ。
カルナは、しばし無言で連翹の様子を見つめ――
「少し安心した――見捨てなくて済みそうだ」
――そう言って、柔らかく微笑んだ。
普段、皆と一緒に過ごしている時のように。
友人を前にして、自然な笑みを浮かべたように。
困惑しながらカルナを見返すと、彼は満足気に頷きながら語り始めた。
「正直に言うとね、ここで誤魔化したり他の誰かに責任転換するようなら、僕の手で連合軍から叩き出してやるつもりだった」
ノーラさんには任せてなんて言っていたけれどね、と。
約束を反故する可能性があったことを言いながら、しかし全く悪びれた風もなく言う。
「この期に及んで自分は悪くないって喚くような奴なら、ハッキリ言って邪魔だからね。ニールやノーラさんは止めるだろうけど、心へし折ってそこら辺に捨てる気だった」
それはきっと明るい雰囲気で言うセリフじゃあないと思う。
そんな思考が言葉にならなかったのは、連翹の頭が未だ驚きで回っていないからなのだろう。
「けど、ちょっと前を向いて向き合おうと思っているけど、勇気がたりない。それなら話は別だ」
「な、なにが……?」
連翹個人としては、どちらだとしても大した差はないと思う。結局のところ、どちらも告げるべき言葉を告げることができないのだから。
「足りないモノを補い合うのが仲間だろう。レンさんに勇気が足りなくて困っているのなら、それを助けるのに理由はいらないさ」
そう言って微笑む彼の言葉は、素直に嬉しい。
嬉しいけれど、心が軋むように痛む。
「あたしは、そんな風に言ってもらえるほどの――」
「なんだい? それは僕の見る目がないって話か? 随分と卑屈になったなと思ったけど、そっちから挑発してくるとはいい度胸だ。表に出ろ! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる……!」
「時既に表って顔になるんだけど、馬鹿なの?」
突然ヒートアップするカルナに呆気に取られ、思わずいつものように言ってしまう。こう、ぽろりと。いきなりなに言ってんだコイツ、みたいなノリで。
あっ、と思うがもう遅い。慌ててカルナの顔を見つめ――
「……うん、やっぱり君はそれでいい」
――安堵したような表情に、怪訝な想いを抱く。
「正直言うと、さっきまでの君には若干イライラとしていたんだよね。怯えて、媚びて、作り笑顔で、それが友人に向ける顔かって何度も言いかけた」
「……こんな風に喋れるようになったのは転移者になってからよ、それまではあんまり大きな声も出せなかったし」
ゆえに、偽物。
いいや、ここは借り物と言った方がしっくりと来る。
規格外という借り物の力に支えられているからこその自信であり言動だったのだから。
「皆の心にあるのは偽物のあたしで、ほんとうのあたしじゃあ――」
「偽物だって良いじゃないか、僕は君の言動を好ましいと思って――いや、さすがに好ましくはない。最近は慣れて来たけど、正直あの珍妙な訛り言葉とかはどうかと思うんだ。今までの言動とついさっきの媚びた言動を足してニで割れば丁度よくなるんじゃないかと思うんだけど、レンさん自身はその辺りどう思う?」
「――フォローしたいの貶したいのかどっちなの!? ねえカルナ! あたし時々貴方のことが分からなくなるんだけど!」
持ち上げられるのかと思ったら盛大に地面に叩きつけられて思わず怒鳴りつける。
その様子を見て、謝るどころか腹を抱えて大笑するカルナ。この男どうしてくれようかと本気で思う。
「くくっ……それにほら、最初は偽物だったかもしれないけど、今は半分くらいそれが素だろう? 咄嗟に出てくる言葉が、君が偽物って言ってる方ばっかりなんだから」
掴みかかろうとした腕が、止まる。
(確かに――言われてみれば……?)
言及されなければ、このままカルナの体を掴み前後上下左右と力任せにシェイクシェイクしまくって乗り物酔い(物理)攻撃をしてやろうと思っていた。
本当に自然に、考える間もなく体が動いていたのだ。
「たとえ最初が偽物だったとしても、本来はそんな風な人間じゃなかったとしても、積み重ねて血肉となれば偽物じゃなくて本物だよ。僕らにとっては、そしてきっと君にとっても」
片桐連翹が過ごした日々は紛い物などではなく、ちゃんと息づいているのだと。
カルナは笑いながら――そして僅かに連翹から距離を取った状態で言った。この男、いい話風にしながらもちゃっかり連翹の攻撃を回避している――!
「目指した自分があって、成りたい自分があって、だからこそ真似して、演じて――その結果、全てではなくても身につけられたのなら、それは『偽り』ではなくて『成長』だと思う」
それに、完全に別の人間になるのなんて不可能だろう、と。
人間とは、人生とは過去から現在、そして未来へと歩んでいく道だ。ゆえに、どうしたって過去と現在は地続きで、他者からどれだけ変わったと思われても根っこは変わらない。変われない。いいや、変わってはいけないのだろうと。
その積み重ねがあってこその人間であり、人格だ。
「だからさ――自分で自分が信じられないと思うことはあっても、僕らが信じる君くらいは信じてくれてもいいんじゃないかな。君にとっては偽物であっても、こうして向き合って話してる僕にとっては片桐連翹なんだから」
(偽物も――積み重ねれば、真実)
その時、想像したのは黄金鉄塊の騎士だった。
白銀の鎧を纏い、暴食の名を冠する剣を持った、見た目がエルフに近い種族のナイト。珍妙な言語を操る、主役にも脇役にもなれる二次創作キャラ。
けれど、彼は実在の人物ではない。それどころか、物語の登場人物ですら無かった。
頭のおかしい人の言葉から産まれ、その独特な響きを真似する者が現れ、いつしか偶像が作られ――彼を主役とした物語も産まれた。
ただの狂人の戯言が、それを真似た誰かの言葉が、面白がった人の反応が、それを元に人物像を想像した人の行動が――彼を物語の英雄に押し上げた。
狂言と妄言が、数多の偽りが重なり合って、その騎士は物語の世界に産声を上げた。
偽物から産まれた、偽物の騎士。
けれど、その生誕に心を揺さぶられるモノがあったから、彼が色々なキャラクターと絡んで盾を構える姿が格好良いと思ったから、連翹はその口調を真似たのだ。
偽物でも、紛い物でも、それでも光り輝いて見えたから憧れたのだ。
「あたしも――出来るかな」
正直、今でも成長出来ているかなんて自信が持てない。
全部が全部、規格外があったからこそのモノで、今までの自分は全部偽り――そんな想いを払拭できたワケではない。
ない、けれど――それでも。
偽物の騎士を信じ、愛した自分ように――偽物の自分を認め、力を貸してくれる人が居るのなら。
もう少しくらい、頑張らないといけない。そう、思うのだ。
「……ねえ、カルナ。お願いがあるんだけど、いい?」
「願い次第だね。無茶な要求や馬鹿馬鹿しい願いなら拒否させてもらうよ」
優しい口調だけれど、きっと本音なんだろうなと思う。
あまりに甘ったれたことを言ったら、笑顔なんてすぐに消えて叱られてしまいそう。
今はそれが少し怖くて、しかしそれ以上にありがたい。
今、必要以上に優しくされたら、それに依存してしまいそうだから。依存した自分に自己嫌悪しながら、ずぶずぶと暗い感情の深海へと沈んで行くのが容易に想像出来る。
「ニールと話したいの――けど、情けない話だけど、話すのがまだ怖いの」
カルナは答えない。
黙って、連翹の言葉を聞いている。
「……だから、付き添って。あたしが口ごもるようなら、あたしのことを怒って、この背中を押して――足りない勇気は、補ってくれるんでしょ?」
「いいさ、二言は無い。……けど、会話の内容をフォローする理由はないからね。それは君がすべきことで、他人任せにしちゃいけないことだ。それで構わないかい?」
頷く。出来る限り、大きく、強く。
ああ、怖い、怖い、怖い。未だ連翹の中には恐怖がべたりと張り付いている。こんなの、そう簡単に無くなるはずがないのだ。
けど、それでも――このまま何もしないワケにはいかない。
「最強の義務は最強のプレッシャーとなって襲いかかってくる――けど、お恩をアダで返す始末におけない奴になるワケにはいかないものね」
奮い立たせるように、言葉を真似て――連翹は歩みだした。
成すべきことを成すために。




