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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
王冠は謳い、巨兵は狂い、雑音は響き渡る
183/288

180/届かぬ言葉を届かせるために

 

 ――ひとまず、落ち着いてくれた。

 

 負傷者用の簡易寝台に横たわった連翹が小さく寝息を立てるのを見て、ノーラはホッと小さく息を吐いた。

 何があったのかは知らないけれど、少なくとも今は起きているよりも眠っている方がいいだろう。

 だって真っ青な顔で、今にも倒れてしまいそうな様子だったから。

 まるで重い病魔に蝕まれた――そんな姿だったから。


 無論、転移者は状態異常を受け付けない。


 致死毒を飲み干そうとも体に異常は現れないし、副作用の強い薬品を多量に飲み込んでも体が受け入れるのは効能のみ。

 体を害するモノ全てを排除する――それが転移者が言う規格外チートの恩恵の一つ、状態異常耐性なのだ。


(だから、原因は薬の効果じゃなくて、きっと精神的なモノ)


 突如嘔吐し、涙を流しながら体を震わせた連翹――その姿を思い返し、ノーラは表情を暗くした。

 だって、ノーラが知る連翹は明るく、少し考えなしで、よく分からないことを堂々と言い放つ少女だ。

 ニールとの会話できゃんきゃんと子犬のように騒ぐのは見てて楽しいし、カルナとの会話で難しい単語を使った技名について語っているのを見て楽しそうにしているなと思った。

 自分との会話でもそう。ノーラ・ホワイトスターという女が自意識過剰で無ければ、楽しんで、ころころと笑ってくれていたと思う。

 

 だからこそ――さっきの様子に、少し狼狽えてしまった。


 肩を貸すニールに対して、少し離れた位置から連翹を観察するカルナの視線に対して、診察するノーラに対しても――どこか怯えるように、詫びるように、体を震わせていた。

 その様子は、虐待されていた子が教会に引き取られた最初の数ヶ月のよう。

 他人を信用出来ず、緊張し、警戒し、恐怖し、体を硬直させている――そんな様子と瓜二つ。

 違うのは順序が逆なこと。

 最初は見る者全てに怯えていた子供も、教会での共同生活の中、徐々に明るさを取り戻して行った。全てが無かったことになったワケではないが、自分から笑うようになったのだ。

 それに対し、連翹は全くの逆だ。

 出会った時から明るかったのに、まるで元々そうであったように全てに対し怯えを抱いている。

 

(――いいや、わたしが知らないだけで、逆じゃないのかも)


 ノーラは連翹と初めて出会った時を基準に考えているが、連翹の人生はその瞬間に始まったワケでは断じてないのだ。

 自分が出会う前はもっともっと気弱で、脆くて――今までは一種の虚勢のようなモノだったのではないだろうか、と。


(それが、あの雑音ノイズって言う人によって剥がされて……元に戻ったのかな)


 だとしたら――自分はどうすればいいのだろうか。

 ノーラが知っている連翹はこの旅の中でのモノで、それ以前の彼女については無知だ。

 励ますにしろ、慰めるにしろ、何もなかったフリをして一緒に遊ぶにしても――何が彼女を安らげる行動なのか分からない以上、致命的な失態をしてしまいそうだ。

 それこそ、心を病んだ人に対して『頑張れ』と言うような致命的な悪手を、その事実を知らない人は知らず知らずにやってしまうように。

 じゃあ、何をしなくてもいいのか?

 否、否、否だ。

 直感ではあるが、何もせず放っておけばずぶずぶと沈んでいく、そんな予感がしてならない。

 

「……レンちゃんが話してくれるのが、一番なんですけどね」


 なにか悪い夢でも見ているのだろうか、苦しそうな寝息を口から溢す連翹。

 その頬を優しく撫でる。それでほんの少し苦しそうな表情が薄まったように見えたのは、自分の願望がそう見せてるのだろうか?


「……それじゃあ、レンちゃん。またね」


 天幕から出て、大きく息を吐く。

 連翹の現状もそうだが、戦闘後すぐに負傷者の治癒に奔走することになったため、疲労がべたりと体に纏わり付いていた。


「死傷者が出なかったのは、本当に不幸中の幸い、でしたね」

 

 非戦闘員が多数居る廃村が焼かれ、連翹もあの状況、目覚め始めたエルフたちも未だ本調子とは言えない――ゆえに、不幸の中にある数少ない幸いだ。

 頭の痛いことや心配なことはあるけれど、それでも喜ぶべきところは喜ばねばなるまい。そうでなければ、救われた人も安心して喜べないだろう。


 ――死者が出なかったのは、騎士たちの迅速な救助、そしてノーラの尽力あってこそのモノであった。


 拘束した転移者に触れ、女神の御手(コード・グロリアス)を発動。

 増幅された治癒の奇跡で酷い火傷の人たちを治癒し、連合軍の皆が戦闘で負った傷を癒やしたのだ。

 さすがに連続使用したら理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアの負担となるため、使ったのは重傷者に対してのみだったが、そのおかげで他の神官たちの体力を温存させることが出来たし――何より、転移者の捕縛にも間接的にだが役に立てた。

 転移者の力を吸収して力を増幅させる神官が居る――そんな噂が転移者の中で尾ひれが付きながら広まっているのだという。

 ノーラの安全のために誰がそれを成せるかは公表していないが、それによって『誰が吸収能力を持っているのか分からない』という自体を引き起こしているようだ。

 だからこそ、内心で反抗の意思を抱く転移者も動くに動けない。誰が規格外チートを吸収できるのか分からず、また吸収されて力を失うのが一時的なモノか永続的なモノかすら分かっていないからだ。

 もっとも、吸収自体は神官であれば誰でも行えるので、全ての神官を警戒している転移者たちはある意味正しい選択をしていると言えなくもない。

 

「おっ、ホワイトスターか。まだ仕事してたのか?」


 天幕の近くで一人ぼんやりと考え込んでいると、聞き知った声が上から降って来る。

 見上げれば茶髪の大男がノーラを見下ろしているのが見えた――ブライアンだ。

 背後に青葉薫あおばかおるという名の少年を引き連れた彼は、よう、とその大きな手を上げた。


「ブライアンさん……お疲れ様です。仕事ではないんですけどね、ちょっと友達が体調悪くて……そちらは?」

「今から休憩だ。はは、この程度で疲れる程ヤワじゃねえってのによ。だってのに、アレックスの奴が「いい加減、お前は休憩しろ。他の兵士たちが休めないだろう」とか言ったからな」


 体動かしてる方が楽なんだけどな、と大笑する彼の背後で、ブライアンの下で仕事を学んでいるという青葉少年が心配そうな顔でブライアンの背中を見つめている。


(……そっか、雑音語り(ノイズ・メイカー)は、ブライアンさんの友人の仇みたいなモノだから)


 雑音ノイズの言葉で暴走した、レオンハルトと名乗った転移者。

 大蔓穂おおつるみのるという名前だったらしい、ブライアンの友人。

 だが、既にもう彼は居ない。皆で戦って倒したから、皆で戦って殺したから。

 ブライアンはノーラたちを恨んでいないと言っていた。どの程度まで本心なのかは分からないけれど、凶悪な犯罪者を倒したことに間違いなどないのだと。

 ならば、恨みが――怒りが向かう先はどこなのか?


 それは、きっとあの黒い少年。

 雑音語り(ノイズ・メイカー)を名乗る、それこそ雑音のように言葉を垂れ流す転移者に対してなのだろう。

 

 けれど、その恨みを晴らす機会を、仇を討つ機会を今回を含めて二度ふいにしてしまっている。

 最初の出会いは行軍中――精神的に弱っていたカルナを引き入れようとしているのを見つけ、追い払った。

 そして今回――戦いでは前に出ること無く、敗北が決定したら廃村を焼いて逃走。救出活動に追われ、追跡することが出来なかった。

 

(体を動かしている方が楽――それはきっと、本音なんだろうな)


 逃したことに対する怒りと、全てを投げ打ってでも敵討ちに行くべきだったのではないかという悩み。

 立ち止まっていたら、そんなことを考えてしまうのだ。

 だから、アレックスに言われるまで動いていたのだと思う。体さえ動かしていれば、きっと目の前の仕事と疲労が思考を鈍らせてくれるから。

 そこまで考えて、ノーラは微笑む。

 今は励ますよりも、気づかなかったフリをして普通に会話をした方が良い。

 お疲れ様です、ゆっくり休んでくださいね――そんなことを言いかけて。


(――待って。今のレンちゃんの状況って)


 思い返す。

 女王都を観光した日、その帰り道でブライアンと出会った時のことを。

 深く深く酩酊している彼と、肩を貸すアレックスの姿。そして、その時に彼が語った彼の友人についてのこと。

 ブライアンは言っていた。彼の友人は転移者と――雑音ノイズと出会い、会話して、その後におかしくなったのだと。

 なにかあったのかと問うても答えず、気晴らしに食事を奢ったりしてみても、逆に追い込まれているような泣きそうな顔を向けたのだと。

 

(ほとんど――レンちゃんと同じ)


 恐らくだが――雑音ノイズはレオンハルトにやったように、連翹に対して何かをしたのだ。

 その事実に雑音ノイズに対する怒りを抱くが、それ以上にチャンスだと思った。

 前例があるのなら、それを知ることで対抗手段を思いつけるかもしれない。励ます方法も、笑わせる手段も、きっと。

 ゆえに、ノーラは大蔓穂という少年がどのようにレオンハルトになったのかを問いかけようとして――口を、閉ざす。

 

 ――これは、聞いてもいいことなのだろうか?


 仮にノーラがブライアンの立場だったら。

 連翹がレオンハルトのようになって、討伐されていたとしたら――絶対に良い気はしないだろう。好奇心から意味もなく問いかけられたのなら、相手を怒鳴りつけてしまうかもしれない。

 その上、ノーラは彼の友人を殺した者たちの一人だ。

 そんな人間が、『わたしたちが殺した貴方の友人について聞きたい』などと――質問しただけで殴り飛ばされても文句は言えない。

 カサブタが出来かけている傷口に無理矢理指を突っ込んで肉を抉るような無作法で無配慮な行為だと思う。


 ――けれど、それでも。

 ――それでも聞かないと。


 ノーラの交友関係の中で、転移者と友人だった現地人は目の前の彼しか居ない。

 暴走し、破滅した転移者が身近に居たのも、彼しか居ない。

 もしかしたら、これが連翹を理解する唯一の方法かもしれないのだ。

 なら、やるしかない。

 怒鳴りつけられるかもしれないし、殴り飛ばされるかもしれない、そして確実に傷口を抉ってしまうことだろう。

 だが、それでも、だ。

 

「……ブライアンさん。非常に……非常に、失礼なことを聞いてもいいでしょうか」

「あ? ああ、構わねえぜ。見た目通り図太いからな、多少変なこと言われたくらいじゃなんてこたねえよ」


 一瞬だけ怪訝そうな顔をしたブライアンだが、すぐに呵々と大笑してその大きな胸を拳で叩いてみせた。

 ノーラは大きく深呼吸をし、呼吸を落ち着け――彼の瞳を真っ直ぐに見つめ、告げる。


「――レオンハルトさんの、大蔓穂さんの話を、聞きたいんです」

「……」


 冗談めかしたように笑っていた顔が、瞳が、鋭く細められていく。

 それは、明確な怒りであり、明確な敵意であった。

 視線だけでもノーラの細い体など押し潰されてしまいそうな圧力を感じながら、しかし視線を逸らすことなくその眼を見つ続ける。

 正直に言うと恐怖はある。ニールたちと一緒にここまで旅してきたが、だからといってノーラは大男と戦えるような人間ではない。自分一人で、巨漢の戦士の敵意に晒されるのは体が震えてしまいそうな程に怖いのだ。

 だが、雑音ノイズによって開かれた傷口を、更に押し広げるようなことを告げたのだ。視線を逸らすことなど、逃げることなど、出来るはずもない。

 

「理由を聞かせろ。判断すんのはそれからだ」


 無言でノーラを睨むブライアンは、視線を逸らすこと無く低い声音で問いかけてくる。

 決意は本物。ならば、なぜこのようなことを聞くのだと。

 

雑音ノイズを追いかけたレンちゃんが、帰って来てから様子がおかしいんです。一緒に行ったエルフの皆さんは昏倒していたと聞きます。つまり――」

「……あれと会話した結果、そうなったと思ったわけだな。あいつと同じように」


 それで全てを察したのだろう。ノーラ以外の誰かに対する怒りを表情に滲ませた。

 重い吐息を吐いて瞑目したブライアンは、しばしそのまま黙り込む。

 そしてゆっくりと瞳を開くと、彼の背後で状況を飲み込めず狼狽えていた青葉少年に顔を向けた。


「……薫、お前は先に兵士と合流しとけ」

「あの、けど――」

「なんだ、若い女と話すのが羨ましいのか? ……ま、冗談はともかく、休まなくちゃなんねえのは分かってるよ。用事済ましたらすぐ合流すっから、オレの分のメシ確保しといてくれ」


 心配するように何事か言おうとする少年を安堵させるよう、ブライアンは笑いかける。

 青葉少年はそれを見て尚、迷うようにブライアンとノーラに交互に視線を送り――「分かりました」と頭を下げて去っていった。

 彼の足音が聞こえなくなる頃に、ブライアンは口を開く。


「さて、と……まず最初に言っておく。オレだって詳しいこたぁ分かってねえ。分かってりゃ、もっと上手くやってた。あんな結末には、なってなかった」

「それで構いません。……お願いします」


 今は取っ掛かりが欲しかった。

 普段なら連翹本人と雑談でもしながら探れると思うのだが、今の連翹は小さく薄い見えない壁を作っているようで難しい。

 そして何より、その壁は時間が経てば経つほど大きく、分厚くなっていく――そんな、胸をざわつかせる嫌な予感があった。

 ノーラの真剣な様子を確認し、ブライアンは小さく頷いた後、ゆっくりと語り始める。


「……元々、あいつは気が弱かった。けど、二年ぐらい冒険者やってたから、多少は自信も付いていたんだ。出会った頃は街のチンピラに囲まれて泣きが入ってた奴が、一年も経つ頃には多少のことじゃ動じなくなってた。だが、あいつと出会ってから、あいつは悪い意味で変わっちまった」


 まるで今まで積み上げたモノを真横から叩き潰されたように。

 最初に出会った頃のように、見るモノ全てに怯える気弱な少年に逆戻りしてしまった。

 

「もちろん、あいつが学んで来た知識も、技術も、交友関係もそのままだった。だってのに、性格だけ巻き戻されたみてぇになって、感じる怖さを誤魔化すようにクエストでモンスターと戦い続けていたよ」

 

 それは、何かに追い立てられるように。

 目に見えない、けれど確実に迫ってくる何かに怯え、目を逸らすように。


「全部終わってから、時々思うことがある。きっと、あいつは何らかの理由で信じられなくなっちまったんじゃねえかな、ってな」

「信じられなくなった、ですか?」

「ああ。オレを、誰かを、自分を――全部全部信じきれなかったんだろう。けどちょくちょくとオレに話しかけてくれたから、たぶん信じたくはあったんじゃねえかと思うんだがな」

 

 けど、信じられなかった。

 それは猜疑心から来るモノではなく、己の自信の無さから来るモノなのだろうと思う。

 自分はこんなにも脆く、醜く、弱い――そんな自分を、他の誰かが信じてくれるはずもないし、信じる価値もない、と。

 

「だからこそ、信じられる自分に成りたかったのかもしれねえ」


 その結果がレオンハルトという名の自分キャラクター

 自分自身を信じられないから、信じられる自分を演じたのだ。

 強くて格好良い誰かに、自分なんかよりも凄い何者かに。

 それ自体は、きっと間違いではないのだろうと思う。人間、誰しもが相対する存在によって対応を変える――言ってしまえば、別の人格を演じているワケなのだから。

 だが、それと本来の自分を切り離し過ぎてはいけないのだろう。その結果信じられるのは演じた自分キャラクターであって、今の自分ではないのだから。

 だからこそ、それにのめり込み過ぎて暴走した。

 自分という要素を削って、削って、削って――理想の誰かを演じることで不安を掻き消そうとした結果、致命的な破綻に至った。

 

「だからこそ、きっと――信じられるようになりゃあ、元に戻ると思うんだ。オレは」

 

 信じられないからこそ追い詰められた。

 ならば、信じられるようになれば、元に戻らずとも安定はしたのだろう、と。

 もっとも、その方法が分からねえから困ってるんだけどな――そう言ってブライアンは寂しそうに笑った。

 

「正直、オレがやれることなんざ無いだろうが――それでも、上手く行くように創造神に祈ってるぜ」

「ありがとうございます――このお礼は、いつか必ず」

「なら女王都に戻った時にメシを奢ってくれ。さすがに彼氏持ちの若い女と二人きりはまずいから、そん時はグラジオラスやカンパニュラ――片桐も一緒にな。オレもアレックスやらキャロルやら連れてっからよ」


 ひらひらと手を振りながら去っていく彼の背中に向けて、礼の言葉と共に大きく頭を下げる。

 小さくなっていく背中を見つめながら、頭を必死に動かす。

 仕入れた情報を元に、何をすべきか、何をしてはいけないのかを、考える、考える、考える。


(――友人だから、仲間だから、大切だから。そんな風に言っても、きっと受け入れられない)


 信頼と親愛、友情――それは確かに必要なモノなのだろうけれど、今の連翹がそれを受け入れると思えない。

 割れたコップに水を注ぎ続けるようなモノだ。

 どれだけ注ごうともどんどん溢れ、コップ自身も注がれ続ける水を受け入れられない自分がどんどん信用できなくなっていくだろう。致命的な悪循環だ。

 だから、やるべきことは割れたコップを修復すること。

 自分自身をほんの少しだけでも信じられるようにする。受け入れられる土台を作ってから、感情を注ぐのだ。

 

(けど――どうやって?)


 自分を信じて! 頑張って! ……そんな言葉でどうにかなるとも思えなかった。

 感情論だけではなく、もっと別のやり方をしなくてはならないのだろう。もっと冷静な視点で、感情的にならずに。

 けれど、そんなのノーラには無理だ。理屈はなんとなく分かるけれど、実際に連翹の前に出れば心配に思ってしまうし、優しく励まそうと無意識に考えてしまう。

 

「……なら」


 自分ではなく、他の人ならば。

 連翹と親しくて、しかしここぞという時に俯瞰した視点で物事を見てくれる人ならば。

 ニールは駄目だ。戦い方も人付き合いも距離が近いし、十中八九ノーラと同程度かそれ以上に感情的になってしまうだろう。

 なら、キャロルやミリアム、マリアンなどは? ……交流が無いワケではないが、そこまで深く関わっているワケではない。いずれもっと仲良くなれるかもしれないけれど、今はまだ普通に仲が良い程度だろう。

 ゆえに――


「……よしっ」


 駆け出す。

 思い描いた相手へ、一直線に。

 彼ならば連翹と親しく、そして俯瞰するように彼女の状況を観察し、適切な言葉を紡いでくれるだろう。

 仮に彼自身が不可能であっても、より最適な相手を考えついてくれる――ノーラは、そう信じている。

 息を切らせながらもたどり着いた先は、いくつかの天幕が設営された平地であった。冒険者たちが各々、慣れ親しんだ仲間と共に寝床と料理の準備をする様子をぐるりと見渡して――見つけた。

 焚き火で簡単なスープを作っている銀髪の青年――カルナだ。

 彼も駆け寄ってきたノーラに気付いたのか、いつもより一食分ぐらい量が少ない鍋からこちらに視線を向けた。


「ああ、ノーラさんか。ちょうどいい、さっきのレンさんの症状について、おおよそ検討がついたんだ。君の意見を聞いておきたい」


 肩で息をしているのに心配する言葉もないことに怒るべきか、呆れるべきか。

 けれど、今はそれがありがたい。ノーラも早く話を進めて解決策を導き出したいのだから。


「はあ……はあ……ええ、構いませんよ。ですけど、その前に……ニールさんは、今この近くに居ますか?」

「いや、天幕を設営したら勇者と一緒に騎士団長のところに向かったよ。レンさんのことは気にしていたけど、現状自分じゃどうしようも無さそうだって思っていたみたいだ」


 そうですか、と呼吸を整えながら返答する。

 

(……良かった。遠ざけたり、席を外す理由を考えなくてもいいみたい)


 ニールと連翹の関係性については前にカルナから聞いている。今よりレゾン・デイトルの転移者たち側に傾いていた連翹が、ニールを叩きのめして酷いことを言ったのだと。

 それと今回の話が関わるかどうかは分からない。

 分からないけれど、連翹があれだけ精神的にダメージを受ける事柄だ。もしかしたら関連しているかもしれないし、話題に上がるかもしれない。

 その時、話を聞いたニールがどう動くのかが未知数。だから、出来るならニール抜きで話したいのだ。

 

「そっちも何かあるようだけど――とりあえず息を整えるついでに、僕の話を聞いて欲しいな」


 荒い息を吐くノーラを気遣っているのか、それとも自分の思考を整理するために喋りたいのか――恐らく、半々なのだろう。

 仲間に対して優しくはあるけれど、根本は自分優先の男性ですよね、と内心で小さくため息を吐く。


「エルフたちが吸い込んだ高濃度のハピメア――それが齎すのは幸福な夢の世界に誘うというモノ。だけど、転移者に毒なんて効かない。だからこそレンさんは昏倒しなかったワケだからね。けど、だからこそ効能だけダイレクトに吸収してしまったんだと思う――転移者を使った実験なんて前例が無いから、状況証拠からの憶測でしかないけど」


 けど、それが正しいのなら説明がつく――と。

 カルナは眉間に皺を寄せながら言う。


雑音ノイズがレンさんに何かを吹き込んで――けど、ハピメアの効能を受け取ったレンさんは、意識を保ちながら幸福な気分になっていたから、気分が高揚し自信に満ちていたから、自信満々にそれを拒否するなり否定するなりしたんだろう」


 今が幸福である以上、現在の環境が至福である以上、雑音ノイズの言葉に惑わされることはない。レゾン・デイトルへの勧誘であろうと、仲間割れを誘う戯言であろうとも。

 だが、薬が切れたその瞬間――薬の効能で抑え込まれていた雑音ノイズの言葉が一気に溢れ出す。

 雑音ノイズと対面した時には払いのけることが出来た不安、恐怖。それらが、薬が切れて精神が元に戻ろうとするする瞬間に――心が揺れ動く不安定な状況でなだれ込んでくるのだ。

 

「毒で蝕んでるワケじゃない、効能が切れただけだ。僕がニールに筋力強化の魔法をかけ、その効果が切れたようなモノ。あくまで元に戻っているだけで、状態異常じゃあ断じて無い」

 

 筋力強化の魔法で体を強化しているからこそ支えられていた大荷物だったというのに、支えている途中にその効果が切れたら? 当然、重さに耐えきれず潰されるだけだ。

 そして一番悪辣なのは――その結果、自分を信用できなくなることだ、とカルナは言う。


「きっとレンさんはこれに気づいていない。だからこそ、思ったはずだ――『あの時は跳ね除けることが出来たのに』って。大して時間も経過していないのに、前言を翻してしまったって」

「あ……」


 先程の会話と、今の会話。それが、元々一つの部品だったかのようにカチリと嵌まる。

 ああ、つまり――雑音語り(ノイズ・メイカー)は、あえて連翹から誘いを断るように仕向けたのだ。薬を嗅がせ、一時的に思考をポジティブにさせることによって。

 きっと、「貴方の思い通りになんてならない」とか、そんな言葉を引き出して――仲間と合流し、薬の効果が消えてネガティブになるのを狙っていた。


 ――結果、連翹は自分を信じきれなくなった。ブライアンが語ったレオンハルトのように。


 そうなれば後は簡単だ。雑音ノイズが垂れ流した雑音ことばが弱った心を苛み、精神は疲弊してどんどん弱っていく。まるで精神に作用する遅効毒のように、じわり、じわり、と相手を蝕んでいくのだ。

 そして、一度そうなってしまえば雑音ノイズは関わらずとも勝手に暴走する。

 無論、どのように暴走するかは雑音ノイズには制御できない。けれど、きっと制御する気もないのだろうと思う。

 出会ったのはまだ二回程度だけれど――それでも、どんなことをしてくる人間なのかは嫌という程に理解した。

 きっと、今頃楽しそうに嗤っているのだろう。

 自分が振ったサイコロを見て、さあ、どんな目が出るかなぁと。

 

「……ノーラさん?」


 カルナの声にはっとする。

 気づけば、拳を強く、強く強く握りしめていた。そう、痛いくらいに強く、爪が手の平に食い込むほど、強く。

 だって、許せない、許せるはずもない。

 もちろん、今まで出会った無法の転移者だって許せない。

 けど、それ以上に怒りを覚えるのだ。

 だってあれは、ただ誰かの脚を引っ張って喜ぶだけの畜生。

 友情とか、愛情とか、絆とか、そういう尊いモノ――生きる中でゆっくりと育んで、芽が出て花が咲き実が成っているであろうそこに、除草剤を撒いて安全圏から枯れていくのを見物しているような、そんな悪辣さなのだから。

 

「ごめんなさい、少し……苛立ってしまって」


 呼吸を整える。

 息は既に整っていたけれど、己の心を落ち着けるため。

 雑音ノイズは許せないし、許すつもりはないけれど――それでも今は、やるべきことがあるから。

 心を落ち着け、ノーラは語る。

 先程ブライアンから伝え聞いたレオンハルトという転移者のこと、その墜落と連翹の類似性を。


「……なるほど、分かった」


 黙って聞いていたカルナは、静かに頷いた。

 細めた瞳に眉間の皺――苛立ちはあるのだろうが、けれど声も佇まいも静かなまま。

 燃える怒りと敵意を隔離して、思考しているのだろう。連翹の現状を、そしてどういった手段を取るべきなのかを。

 数十秒か、数分か、それとも数十分か。

 言葉は紡がず、唇は時折唸り声めいた吐息を吐くのみで、ノーラに語りかけることはない。深海に潜行するように己の内に深く、深く、沈んでいく。


「……だとすれば、やるべきことは一つか。時間もないし、致し方ない」


 頷いたカルナは調理中の鍋を火から外し、立ち上がる。


「ノーラさん、君はニールと合流して色々喋ってきて。レンさんのこと、ブライアンの話と絡めて。その間――僕はちょっとレンさん叩き起こして会話して来る」

「わ、わたしの方は構わないんですけど――そのレンちゃんの方は、優しくしてあげてくださいね。精神的に疲弊しているワケなんですから」

「そんな約束はしない。出来ないことを約束するのは愚か者だし、最初からする気もないことに頷くのは詐欺師の類だろうから」


 鋭い眼で言い放つカルナの姿に不安を抱く。

 その様子は優しく語りかけようとする風には見えなくて、むしろ片桐連翹という少女の在り方を厳しく糾弾するようで。


「大丈夫さ――これでも僕だってレンさんを心配してるんだ、任せてよ」


 けれど、カルナはそう言って優しげに微笑んだ。

 安堵させるように、そして自信に満ちた笑みを浮かべた。

 ああ、だからノーラは安堵するのだ。

 確かに、カルナは連翹に対し何か厳しいことを言うのかもしれない。

 けれど、それはきっと連翹をこちら側に引き戻すための手段であり――ノーラには出来ないことなのだろう、と。

 

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