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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
王冠は謳い、巨兵は狂い、雑音は響き渡る
180/288

177/西部の戦い/終結――そして耳障りに響く音


 王冠クラウンの死が周知された瞬間、転移者の軍勢は瓦解し始めた。

 この場に居る転移者の多くは王冠クラウンに心酔する者か雇われた者である。その彼が死した瞬間、戦意は崩れ去ったのだ。


 呆然と立ち尽くす者が居た、

 崩れ落ちて涙を零す者が居た、

 咆哮を上げ、王冠クラウンの仇だと暴れる者が居た。

 

 それに加え、未だに戦意を失わない者も居たが、陣形は既に滅茶苦茶だ。 

 そのような相手、騎士の敵ではない。投降する者は受け入れ、スキルを放ってくる者を倒し――西部での戦いは、終わりを迎えようとしていた。

 その様子を見て、連翹は安堵の息を吐く。

 

「……あたしたちが加勢する必要も無さそうね。といっても、もうニールもカルナも動けない以上、大したことは出来ないんだけど」

 

 インフィニットの下からカルナが這い出てくる。

 ノーラの肩を借りてなんとか動いているという様子であり、顔も真っ青だ。けれど、不敵な笑みを浮かべニールを見つめていた。


「お疲れ。随分と時間が掛かったね」

「ああ。……手強かった。下手すりゃ、あの状態でも負けていたかもしれねえ」


 ニールは頷き、視線を下に向ける。

 そこにあるのは、血溜まりに沈む王冠クラウンの姿。

 命が失せた肉の塊は本来気持ちが悪いはずなのだが、その姿は血に濡れた白い百合のようで、絵画めいた美しさすら感じてしまう。

 

(さすがイケメン、死んだ後も気取ってるのね)


 内心で呟く。

 言葉にはしない。死んだら仏とまでは言わないが、死者を悪しき様に言うのもどうかと思うから。

 

「それで、あたしたちはどうするの? 加勢の必要はないって言っても、ニートしてるワケにもいかないしね。寄生とか言われちゃうわ、はちみつくださいってね!」

「なんでそこではちみつが出て来るのかは分からないんですけど……とりあえず負傷者の治療と、投降した人たちの拘束でしょうか。わたしが前者をやって、後者をレンちゃんにやって貰うので、ニールさんとカルナさんたちはゆっくりと体を休めてください」

「そうね。とりあえずあたしはインフィニットの中身を引きずり出して縛っちゃわないと……それでいいわよね、ニール?」

「ああ。こっちに攻撃して来た以上、最低限の拘束は必要だろ」

「オッケー、それじゃあとっとと――」 


 ――仕事に取り掛かるわ、と。

 そう言おうとした矢先に、パチパチという乾いた音が、拍手の音が響き渡る。

 それは最高のショーを見せてくれた者たちに向けて観客がするような音で、この場には不釣り合いなモノであった。

 

「――さすが騎士。さすが連合軍。君たちの勝利だ! 嬉しいだろう、ご褒美に拍手をしてあげよう」


 声は拍手と同じ場所から響いてきた。

 そこは廃村に増設された物見台。転移者の軍勢と王冠クラウンに従う現地人が滞在している場所、その中で一番高い建物だ。

 そこに立つのは学ランの上に隠者めいたボロボロのローブを羽織った少年だである。


 ――雑音語り(ノイズ・メイカー)


 レゾン・デイトルの幹部である少年は、心底楽しそうな笑みを浮かべながら拍手と共に雑音ことばを吐き散らす。 


狂乱インサニティ――いいや、インフィニットを寝返らせ、王冠クラウンを打倒した。おめでとう! これでもう幹部は二人だ! 勝利は目の前だと喜ぶといい!」

 

 そう言って、雑音ノイズはけたけたと笑い声を上げた。

 笑う、嗤う、嘲笑う。どうせ死ぬのによくもまあそんな無駄な努力が出来るものだ、そう言うように。

 

「そこに居たか――劣勢になった瞬間、消えたと思ったが」


 前線で白銀の騎士が、アレックスが静かに、けれどよく通る声と共に雑音ノイズを睨みつけた。

 一体何人の転移者を切り裂き、屠ったのか、鎧と剣には返り血がべたりと張り付いている。

 けれど、未だ余力があるのか体をふらつかせることもなく、雑音ノイズを真っ直ぐ見据えていた。

 

「ただ逃げても逃げ切れるワケないしね。だって君たち、僕を逃がす気なんてさらさら無いだろう?」

「無論だ。だが、投降するか死ぬか程度なら選ばせてやろう――いいですね、団長」


 ほんの僅かに背後へと視線を向ける。

 その先に居るのは禿頭の巨漢、ゲイリーだ。彼は言葉を返すこと無く、ただ一度だけ大きく頷いた。


 こちらはボクがなんとかしよう、と。

 だから、好きなようにやれ、と。


 短い意思疎通を見下ろしながら、雑音ノイズは「おお、怖い怖い」とおどけたように笑った。


「けど、いいのかな? こんな問答する前にぼくの心臓をえぐり出さないでさぁ! ぼくは君の友達の友達をそそのかして、大暴れさせた張本人だよ? まさか知らないなんてことはないよね? もし本当に知らないんなら友達甲斐の無い奴だなぁ!」

「黙れ、下衆――」


 空気が張り詰める。

 触れた者を全て叩き斬るような殺気が充満し――しかしすぐさま収束していく。

 激情を律し、怒りを抱くアレックス・イキシアではなくアルストロメリア女王国の騎士として剣を構えた。

 

「――私たちアルストロメリアの騎士は法と秩序を守護する者。この刃は、私利私欲で誰かを斬り殺すためのモノではない」

「縛りプレイお疲れ様、力があるんだからもっと楽に生きたら良いのに」

「問答はもはや無用――抵抗するならしてみせろ、その時は喜んで斬り殺してやろう」

「殺意ダダ漏れじゃないか! 法だの秩序だのと言ってるくせに、僕を殺したくて殺したくて仕方ないんじゃないか! いやあ、滑稽だねえ。現地人の中でも君は凄い強いはずなのに、凄く窮屈そうだ!」


 アレックスは、その言葉に答えなかった。

 ギリッ、と歯を強く強く噛み締め――疾走。鎧など着ていないのではないかと思う程の速度で地を駆けるアレックスは、未だ戦意の萎えてない転移者を一閃で斬り捨て、前進、前進、前進。

 遠目でそれを眺め、連翹は思わず寒気がした。無造作に斬り捨てたように見えて、しかし攻防共に無駄がない。

 斬撃が冴え渡っているのはもちろん。だがそれ以上に恐ろしいのは見切りの技術だ。転移者の間合い、スキルの発動速度、それらの情報を一瞬で処理し、スキルの発動を的確に潰している。

 仮に十数人の転移者がアレックスを取り囲もうとも、その程度では彼は止まらない。

 止めることなど、出来はしない。

 誰かに指揮され軍勢という一つの存在になったのならばまだしも、烏合の衆如きに騎士は止められないのだ。

 

(ヤバイ――女王都から出立する前なら、ワンチャンくらいはあったかもしれないけど)


 もう、一対一で戦って勝ち筋が全く見えない。

 多少なりとも剣の鍛錬をしたから理解できる、彼の剣術は化物だ。才能のある者が、努力を欠かさず、効率よく鍛え上げてきたからたどり着いた領域なのだ。

 スキルに慣れていなければ不意を打てる可能性もゼロではなかったろうが――何度も転移者と戦った今、その可能性すら無くなった。

 アレックスは理解している。転移者がどの程度の身体能力を持っているのか、肌はどれほど硬いのか、スキルはどのような動きでこちらを襲ってくるのか。

 それらを全て理解し、現地人最強格の剣士の能力で対処しているのだ。今の彼を止められるのは、連翹が知る限り上空からの爆撃ができる王冠クラウンぐらいだろう。

 

「ふう――『ファイアー・ボール』」


 わざとらしいため息と共にスキルを発動する。

 だが、そんなモノが命中するはずもない。王冠クラウンがやったように戦列歩兵で放つのならばまだしも、遠距離から一発放つ程度ではアレックスに――いいや、他の騎士にだって当てることは出来ない。

 そう、こちらに向けて放つのなら。

 雑音ノイズは、迫るアレックスを無視し、物見台の下に向けてスキルを解き放ったのだ。


「なに……?」


 アレックスが怪訝な表情を浮かべる。

 こちらに攻撃するでもなく、後方に居る非戦闘員を狙って足止めするでもなく、自分の陣地に魔法を放った。

 その意味が理解出来ない――そう、思ったのだろう。連翹もまた同じ思いを抱く。

 だって、あの廃村は即席の陣地だ。敵の攻撃を持ち堪えるには脆いが、しかし数秒くらい侵入を遅らせることが出来るはず。

 それを壊すような真似をして、一体何を――


「さあ、燃えろ」


 ――答えは、すぐに示された。

 轟! と。物見台を中心に、炎が吹き出した。油や薪などを予め設置しておいたのだろうか、炎は勢い良く、そして効率的に廃村を炎で囲っていく。

 

(炎の壁!? けど、そんなんじゃあアレックスは止まらない!)


 多少は足止めを喰らうだろうが、それでも炎を突っ切って雑音ノイズに接近するはずだ。

 事実、アレックスは速度を緩めることなく、炎へと向かって加速している。

 相手が現地人だと侮って、力量を見誤ったのだろう。

 きっと連合軍の人間の多くが同じか近しい結論に至った――その矢先。

 

「ああああああああ!」

「熱い、熱いぃぃいい! 火が、なんでいきなり火がぁ!?」

王冠クラウンさま、どこに居るんですか、助けてください、王冠クラウンさまぁ!」


 悲鳴が響き渡った。

 廃村の中から男の声が、若い女の声が、響く、響く、響く。

 それは炎に巻かれる誰かの声だ。炎に焼かれる者の声であり、灼熱に怯える声であり、もはや存在しない主に助けを求める者の声であった。

 

「な――んだ、これは」


 呆然とした声でアレックスが呟く。

 敵の根城は、既に阿鼻叫喚の地と化していた。自分たちが攻撃する前に、廃村は赤々と燃え、黒い煙を吐き出している。

 絶えず悲鳴が響き続ける廃村を眼下に収めながら、雑音ノイズは「ところで」と楽しそうに微笑んだ。


王冠クラウンは色々人を雇ったり、自分の隣に常に女を侍らせていたりしたんだ。現地人を下に見ながらも必要な労働力だと考えていたし、容姿の良し悪しは転移者も現地人も変わらないと考えていたみたいだね」


 だからね、と。

 彼は己の足元を指差し、にたりと嗤った。


「けっこうここにも居るんだ、現地人。コックだとか美容師とか医療技術の研究者とか、後は純粋に彼に惚れ込んで付いてきた女の子とかね」


 もっとも、このままじゃ全員燃え尽きるけど、と雑音ノイズは楽しげに言った。

 ああ――そうだ。

 確かに、騎士ならこの程度の炎、突っ切ることはたやすい。

 だが、非戦闘員の現地人はどうか? 肌を焼く炎、黒々と吐き出される煙――それらを防ぎ、耐えて、燃える廃村から脱出することは可能なのか?

 

 ――考えるまでもない、そんなこと、不可能だ。

 

 一人、二人くらいなら、運良く逃げられるかもしれない。

 だが、それだけだ。

 多くの現地人は炎に対抗する術なく、焼死するか一酸化炭素中毒に陥って死ぬ。

 ……今、ここに存在する現地人最強格の戦士たちが急いで救出せねば、その未来は確定するだろう。

 雑音ノイズは小さく手を振った後、こちらに背を向けた。

 

「さあ、ぼくは逃げる。今、ここで。追ってきても構わないよ? 焼け死ぬ現地人の皆様を見殺しにすれば、ぼくなんて簡単に捕らえられるとも!」

「この――外道が!」


 そんなこと、出来るはずもない。

 それを理解しながら、雑音ノイズは耳障りな雑音を吐き出し続ける。


「外道に卑怯、そんなの勝者の褒め言葉さ! それにさぁ――ぼくは弱いんだよ? 現地人最強の戦闘集団と正面から戦うはずないじゃないか。もっとも、王冠クラウンが勝っていればこんな仕掛けを使う必要なんてなかったんだけどね。おや? もしかして、これは間接的に君たちの責任かもしれないなぁ」


 ああ、可哀想に可哀想に、と。

 煽るだけ煽って、雑音ノイズは外套を翻して跳躍した。裾がボロボロのそれが蝙蝠の翼の如く広がり、燃え盛る廃村を悠々と横切って行く。逃げ出していく。


「――ッ! これより救助活動を行う! 魔力の残っている魔法使いは今すぐ水を!」


 血を吐くような唸り声を上げ後、アレックスは叫んだ。

 言われるまでもないと言うように動き始めたゲイリーやキャロルが詠唱を開始、それに続いて冒険者、そしてエルフたちが詠唱を行う。

 従軍神官たちは治療の場を整え、魔法の使えぬ騎士たちは炎の中に飛び込み救助者を探し始める。


「ッ……糞、もどかしいな……!」


 ノーラに支えられながら魔導書を開こうとしたカルナが、しかしすぐ顔を顰め魔導書を取り落とす。


「カルナさん、無理しないでください……!」

「無理のし時だろう、今は……! 少しでも早く鎮火出来れば、あいつを追える人間が増える……!」

 

 カルナは蒼い顔のまま再度詠唱を行おうとし――限界以上の力を引き出そうとした結果、そのまま意識を失った。力を失うカルナの体をノーラが抱きとめる。

 ニールは駆け出そうとし――ちい、と舌打ちをして立ち止まった。今の体力と傷で飛び込んでも要救助者が増えるだけだと理解し、けれど何も出来ない自分が腹立たしいのか拳を強く握り閉める。

 

(あたしは、こういう時――どうすれば……!)


 転移者のスキルに水や氷を出すモノは存在しないため、やるべきことは要救助者の救出となるだろう。

 だが、騎士たちと混じって上手く出来る自信がまるでなかった。一人で炎の中を突っ切るのなら出来なくはないけれど、普通の現地人を抱えてどう動くべきか、連翹には判断が出来ない。


「ノエル! 貴方は魔法の使えないエルフを率いて奴を追ってくれ! 片桐! 君は彼の指揮下に入って欲しい! 頼めるか!?」

「承った! ミリアム・ニコチアナ、来い。鉄剣使いたちもだ!」


 迷う連翹に気付いたのか、アレックスが指示を飛ばす。

 その言葉に一瞬呆けたものの、その意味をすぐに理解する。


(ノエルも他のエルフも、強いけど体が頑丈なワケじゃない。燃え盛る村の中で活動するのは難しい――なら、雑音ノイズを追いかけた方がいい)

 

 担架などの準備はエルフよりも人間やドワーフの方が向いているし、何よりエルフの戦士であるノエルは人間で言うところの騎士レベルの実力者だ。

 それに加え転移者の攻撃を受け止められる連翹が入れば、余裕を持ってあの雑音語り(ノイズ・メイカー)を倒せる。


「うん、分かった! ニールとカルナが動けないから、そっちのサポートをお願いね!」

「分かった……頼んだぞ!」


 アレックスの言葉に頷きながら、既に動き始めているノエルたちの背中を追いかける。多少出遅れたが転移者の身体能力なら、十分追いつける! 


「連翹!」


 連翹の背中に向けてニールが叫ぶ。


「気をつけろ! 確かに奴は確かに今まで出会った幹部の中じゃあ弱ぇが――たぶん、一番面倒な野郎だ!」

「分かってる、心配しないで!」


 それに言われなくとも――この現状を見れば理解出来る。

 彼は弱いのだろう。インフィニットと戦った姿を見てもそう思う。王冠クラウンを真似た飛翔に、インフィニットを真似た筋力強化装備――それらを含めても、多少厄介なくらい。落ち着いて対処すれば問題ない奇策の類だ。


 だが、それも真っ向勝負をすればの話である。


 インフィニットの戦いも、先程廃村に火を付けた行動も、『まともに戦わない』、『相手が嫌がることをする』という部分が共通していた。

 恐らく、連翹一人で行っても、ノエルのような実力者が行っても結果は同じ。何らかの手段を用いて、まともに戦わずに足止めしてくるだろう。

 

(だからこそ、逃げ出している今が一番の勝機!)


 奇策の準備をされる前に、追いついて叩く!

 そうしなければ、また似たような手を使われる。現地人の人質は有効だと味をしめて、色々な人が犠牲になってしまう。

 それは駄目だ。別に騎士たちのように正義の味方を気取るワケではないが――それでも後味が悪い。


「ノエル! あたしはどうすればいい!?」


 既にトップスピードで疾走しているノエルに追いつき、並走しながら叫ぶ。

 

「可能な限り奴の攻撃を相殺して欲しい。私はともかく、他のエルフたちはあれを捌けん」

「ああ!? んだとおっさん! オレらの剣さばき舐めるんじゃねえぞ!」

「へへ、この鉄剣にはなあ、毒が塗ってあるんだぜ……!」

「そう言いながら舐めるんじゃない、君は昔からそうだな。……すまないね、実際ぼくらは実戦経験が少ないから。経験豊かな二人に助力を願うとするよ」


 ノエルの言葉に若いエルフたちが噛みつき、それをミリアムが窘める。

 僅かに弛緩した空気。けれど、誰も油断はしていない。

 緊張で体が固まらない程度に緩ませ、非戦闘員たちを火にかけるなどという外道を行った者を倒す決意を抱きながら、連翹たちは進む。

 

(大丈夫、あたしたちは負けない)


 それは決意であり、同時に確信であった。

 死神グリム王冠クラウン狂乱インサニティならともかく――あんな雑音を垂れ流すだけの弱小転移者なんかに、負けるはずがない。

 そんなに連翹は、ノエルは、連合軍に所属している皆は弱くないのだ。


「見えた――脚を止めてくる、全力で追ってこい」


 呟いた瞬間、ノエルは疾風と化した。

 獲物を狙い疾走する肉食獣のような動きで目指すのは、まだ草原に浮かぶ黒い点にしか見えない雑音ノイズだ。

 速い――エルフは現地人の人間よりも身体能力が劣っているらしいのに、両者を超越しているはずの転移者の連翹が全く追いつけない。根本的に体の動かし方、己の力を伝達する技術が違い過ぎるのだ。

 風を貫いて駆け抜けるノエルが霊樹の剣を雑音ノイズに振るう。

 袈裟懸けに切り裂こうとしたその斬撃に反応し、雑音ノイズは振り向きざまに刃を振るった。外套の裾から銀の光が漏れる――腕力強化からの反撃だ。

 だが、根本的に刃の振るい方が違う。ノエルの斬撃を受け止めた雑音ノイズであったが、踏ん張りきれず弾き飛ばされる。


「おっと! 怖い怖い! さすが魔王大戦を生き抜いたエルフ! ぼくなんかじゃあ太刀打ち出来ない!」


 その攻防の間に追いついてきた連翹と、その背後から迫るエルフたち。

 それを見ているはずなのに、雑音ノイズの声音に悲壮感などまるでなかった。

 まだ、自分は勝てるのだと。

 まだ、お前たちは自分の掌の上で踊っているぞと。

 そんな言葉を今にも吐きそうな笑みを浮かべていた。


「……追いつかれたというのに、悲壮感がないのだな」 

「想定の範囲内ではあるからね。全員が消火や救出活動するはずもないし、追撃してくる奴も居ると思ってたよ」


 くくっ、と笑う雑音ノイズは辺りを見渡した。

 だが、一人で逃げ出した彼に仲間は居ない。既に追いついた連翹が、ミリアムが、若いエルフたちが彼を取り囲んでいる。


 誰かを人質に取ることなど出来ない。

 奇策を使おうとも、誰か一人が彼を殺せる。


 もはや、敗北が確定しているはずだというのに。 

 なぜだろう、追い詰めている感覚が全くない。


「さて、どうしよう。これは困った、万事休すというヤツじゃないかな? 今、ここで全力で戦っても、せいぜい数人を道連れに出来るかどうかだ。他の幹部たちなら十分殲滅出来るレベルなんだろうけど、いやはや、やっぱりぼくは弱いなぁ」


 外套を風で靡かせながら、困った困ったと質の悪い演者のように繰り返し呟いている。

 その仕草全てに苛立つ。こっちは真面目にやっているというのに、全て全て茶化されているようだ。

 

「片桐連翹、お前は速攻でスキルを放て。奴の反撃は私が全て凌ぐ。他の者達は奴を囲め、絶対に逃がすな」


 ノエルは雑音ノイズの言葉に反応しない。

 この男に反応する価値などない、と鋭く細めた瞳で告げながら剣を構えた。

 

「そうね――『ファスト・エッジ』」

「おっと!」


 全く奇をてらわずにスキルを発動。体が自動的に練達の剣士の動きを行い、雑音ノイズに斬りかかる。

 されど、響く金属音。連翹が振るった刃は、容易く雑音ノイズに受け止められる。

 当然だ。スキルの動きは何度やっても同じである以上、転移者ならばスキルの動きを理解している。どのように踏み込んでくるか、どんな軌道で刃が迫ってくるのか――それを理解していれば、防ぐことは容易い。

 

「そうだ。防ぐか、回避か――選択する他ない」


 その攻防の合間を縫うようにノエルが迫る。

 反撃するようならそれを防ぎ、他の誰かに攻撃させればいい。

 反撃しないのならば問題ない、このまま斬り捨てる。

 どちらにしろ、雑音ノイズの未来は敗北一色。

 


「――――ねえ、考えないと思ったのかな?」



 ふわり、と。

 なにか独特な臭いが鼻孔を擽った。

 それは雑音ノイズから臭ってくるモノ。風で靡く外套から、こちらに漂ってくる嫌な臭いだ。

 連想するのは甘ったるいコールタール。どろりとしたそれが鼻や口から侵入し、内部を犯す――そんな、嫌な感じがした。

 

(毒ガス!? ……じゃ、ないわよね)


 転移者に毒が効かないのもそうだが――何より、吸い込んだ瞬間、体が軽くなったのだ。

 転移者の軍勢と戦った時に僅かに負った傷の痛みや疲労などが、全く気にならなくなるくらい気分が高揚していく。

 なんだろう、これは。興奮剤の一種だろうか?


(なんだか分からないけど――あたしたちの勝ちは揺るがない! なんなら、あたしがこいつをぶっ殺してやってもいいわね!)


 にいと笑みを浮かべる連翹。

 だが、その未来は訪れはしなかった。

 雑音ノイズはノエルに反撃を行わず、ノエルもまた雑音ノイズに刃を振るわない。


「それ、は……!?」


 ひゅん、という鋭い音。何事かと思い視線を向け――絶句する。

 それは剣だ。木製の剣――霊樹の剣。それが、まるで手からすっぽ抜けたとでも言うような不格好な放物線を描きながら、地面に落ちていく。

 次いで、どさりという音。

 雑音ノイズを追い詰めていたはずのノエルが、膝をついた音だ。酷く苦しそうな息を吐いた彼は、殺意に満ち満ちた眼で雑音ノイズを睨みつける。


「貴ッ、さ、ま……!」

「ぼくは弱いんだ、追いつかれたら負けるなんてぼくが一番理解している。なのに――なんで、なにも考えずに逃げているだけだと思ったのかな?」 


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