15/へべれけになるまで飲むのはやめといた方がいいと思うの
食事後にノーラを部屋まで送り、自分たちも横になった。二、三時間ほど経った。
床からは一階の酒場から響く笑い声が漏れだし、隣のベッドからニールのいびきが響く。
相も変わらずどこでも寝られる奴だなぁ、と小さく笑うとカルナはベッドから起き上がった。
夜型の人間だからというのもあるが、慣れないベッドに身を委ねると違和感が先立って中々寝付けない。こういう時ニールのように単純だったらな、と半分だけ羨ましく思い、もう半分だけこっそり馬鹿にする。あちらもぼっちだのなんだの馬鹿にするのだから、これでおあいこだろう。
(けどまあ――明日は馬車に揺られるだけで、夜更かしして困る予定もないし、今回は単純野郎と馬鹿にするの十割で)
眠くても馬車の中で寝ればいいし、長距離の乗り合い馬車なんて寝たほうが楽だ。あんな狭い馬車で延々と意識を保っているのは苦痛なのだから。
(まあ、長距離を延々と歩くよりはずっとマシ――だね、うん)
かつての無知ゆえの失態を思い返しながら、ゆっくりとドアを開け廊下に出る。
下の階である酒場から喧騒が届いている以上この程度の音なんて誤差だとカルナ自身も思うが、他人に気を遣うために必要なのは理屈だけではないだろう。
階段を降りて食堂に向かう。眠れない時はあまり腹に堪らないモノを口に入れつつ酒を飲むのに限る。一人でゆっくりと飲んでいると次第に眠くなってくるからだ。
飲み食いした後にすぐ寝ると太るのだが、動き回る冒険者には関係ない。多少肉がついても、冒険を繰り返すとすぐに削げ落ちるのだ。
食堂は晩に二人と食事を取った時に比べれば空いているものの、それでもまだ冒険者たちが酒を飲み交わしていたりする。
それじゃあ僕もその中の一人になろうかな、とカルナが思ったその時。視線の先に見知った姿を見つけた。
荒々しい冒険者たちが多い店内で、異彩を放つ小柄な少女。ノーラだ。彼女は一人、ビールを片手にフライドポテトを摘んでいる。それもとても――そう、とても幸せそうに表情を緩ませながら。ああ、やっぱりビールと揚げ物って合いますよねぇ……という彼女のつぶやきが聞こえてきそうだ。
「……こんばんは、ノーラさん。僕が言えたことじゃないけどさ、あんま夜更かしすると明日が辛いよ」
「はむ……っ! はふははん……!?」
「うん、焦らなくていいから、とりあえず口のポテトとお酒を処理してから喋ろう」
そういえばニールがフライドポテトを頼んでいたけれど、それは分けてもらってなかったよな――と数時間前の食事風景を思い返す。
内心、ニールのフライドポテトに手を伸ばしたくてうずうずしていたのだろうか、と思うと少しおかしい。思わず、くすり、と小さく笑みをこぼしてしまう。
「んくっ――し、仕方ないじゃないですか。ベッドに入ると本当に一人で出てきちゃったんだな、とか考えて眠れなくなって……!」
「眠れないと小腹が空いて、そしたらニールの食べてたモノが気になった?」
こくん、と頷く彼女に微笑みかけながら、辺りをこっそりと見渡す。
(……やっぱ目立ってるなぁ)
酒場慣れ、どころか旅にすら慣れてなさそうな子が、一人で酒を飲んでいる姿はどうしても目立つ。
他の冒険者や馬車の御者たちがちらちらと彼女に視線を向け、声をかけようかどうしようかと思案しているのが分かる。
「ま、確かに眠れない時に小腹空くと、余計に眠れなくなるからね。僕もこっちに来たのはそんな理由さ」
思考しながら彼女の対面に腰掛け、ウェイトレスに酒を注文する。
(頭のゆるいチンピラにでも絡まれたらマズイしね)
だが、カルナが同じテーブルに座るだけで、そういったトラブルはだいぶ減らせる。女は女というだけで男に舐められやすく、そして美味しい獲物なのだ。ノーラのように見目が良いなら尚更だ。仮に自分が下半身思考で悪事を躊躇わない人種であれば、絶対彼女を狙うと思う。
もっとも、守るのなら理想は魔法使いのカルナではなく剣士のニールなのだが――彼は現在夢の世界だ。無い物を願っても仕方あるまい。
「……ごめんなさい」
そんな思考を読み取られたのか、ノーラが深く頭を下げた。表情は申し訳なさそうに、けれど口元はほんの少しだけ不満気に突出されている。
助けてもらうのはありがたい。むしろありがたすぎて申し訳ないくらいだと考えているのは、申し訳無さそうに垂れた眉が証明している。しかし、それでも手を引かれる子供のような扱いは僅かに不満なのだろう。
(何を馬鹿なこと――なんて言えないんだよなぁ)
理屈や相手の思惑を理解しても、己の胸に生ずる感情というのは制御が難しい。一人でも頑張ってみせる、と一念発起で村を出たというのに被保護者のような扱いを受ければそれも当然だろう。
理屈ではない、子供のわがままのような感情。傍から見た誰かがノーラの感情に気づけば、何を思い上がってるんだ頭の弱い小娘め、と罵るかもしれない。
彼女自身も似たようなことを考えているのだろう。酔いが回り微かに赤らんだ頬の色が、羞恥でゆっくりと濃くなっていく。
「いいよいいよ、僕とニールが好きでやっていることなんだから」
だからその青い反発心には気づかないフリをしておく。
自分で恥ずかしいと思っているであろうソレをわざわざ指摘する程カルナは悪趣味ではないし、なによりその手の感情は成長に不可欠なモノだからだ。
無知を恥ずかしく思えば学び、無力を悔しく思えば鍛錬に励む。人間とは、そういう生き物だとカルナは思う。
なにせ、自分がそうだったのだから。
「まあ、もしかしたら僕らの手助けも要らなかったかもしれないけどね。ちゃんと乗合馬車の使い方も知ってたみたいだから」
「……いえ、あの……どんな世間知らずでも乗合馬車くらいは知ってて当然ですから、さすがにそんな間抜けじゃないですよ、わたし」
「うぐうっ……」
過去の自分に突き立つ言葉の刃! 真理なだけあって深々とカルナの心を抉る! 物理的刃なら心臓くらいえぐり出されてしまいそうだ……!
ああこの娘、酒が入って口調が微妙に辛辣になっているのか――!?
突如ボディーブローを受けたように体をくの字に曲げたカルナを、きょとんとした瞳で見ていたノーラだが、
「……あっ!」
酒でゆるんだ脳みそがようやっと、自分が言った間抜けを目の前の人物がやらかしたらしい、という話を思い出した。
顔面をテーブルの上に載せながらプルプル震えるカルナに、わたわたとしながらノーラがフォローに回る。
「いえ、あの! 別にカルナさんを悪く言ったワケじゃなくてですね!」
「分かってる、ああ分かってるよ。どうせ当時の僕はプライドだけ高い世間知らずな引きこもりだったさ。ノーラさんは『なんでそんな奴がシャバに出てるんだ、当時のように暗い部屋で書物と魔導書に埋もれて過ごしてればいいのに』とか言いたいんだろう!? 知ってるよ! 知ってるからねそれくらい!」
「違ぁ――!? 違いますよう! なんでそんな一気に自虐してるんですか、というかわたしそこまで酷いこと言って――む? ……カルナさん?」
おっとしまった。
そう思いながら無意識にこぼれた笑みを隠す――ことはせず、むしろバレたのだからいいや、とカルナはからからと大笑する。
からかわれていた、と気づいていたノーラは「むう……」と不満気な声をもらしながら睨む。
「いやあ、ニールたちが僕をからかう気持ちがちょっと分かったよ。相手が全力でわたわたしてくれると、すごく楽しいんだね」
「……実は性格悪いですよね、カルナさん」
「何を当たり前なことを。冒険者なんてどいつもこいつも性格悪いよ。まともな人なら冒険者やらずに真っ当な職に就いてるはずさ」
ウェイトレスが持ってきたビールを受け取りながらカルナは言う。
戦士なら村やら街の自警団、腕に自信があるなら王都の兵士を目指すのも悪くはない。
魔法使いなら自宅で研究を行うべきだろう。神官だって外に出てる暇があれば教会で祈りを捧げ、事件事故が起こったら真っ先に現場に向かうべきである。
――そんな普通に『否』を突きつけ、日銭を稼ぎながら大陸をうろつくのが冒険者だ。
善か悪かは人それぞれだろうが、常識的な人間なら冒険者になんてなってないだろう。
からからと笑いながらそう言うと、ノーラはなるほどと頷き――かけてカルナを睨んだ。
「……関係あるようで無いですよね、今の話! 全体が悪いから自分が悪いのは仕方ないって、それ理屈が通ってないですよっ!」
「丸め込めなかったかー……いや、ごめんごめん。なんかね、今までからかわれる側だったからからかう側になるのが楽しくて仕方ないっていうか」
「自分がされて嫌なことは他人にもしちゃいけないって教えられなかったんですかー!」
「当たり前を当たり前に出来る人って、案外少数派だよね。ふっ、つまりはそういうことさ!」
「なにが、ふっ、ですか! なに無駄にカッコつけてるんですか! もう! もう! もー!」
テーブルをだん! だん! と叩きながら叫ぶノーラに指をさし、ひとしきり笑う。
ノーラの視線が「この手は机じゃなくて目の前の人をぶん殴るためにあるんじゃないでしょうか? 知らないけどきっとそう」とか言い出しそうなくらい鋭くなって来た辺りで、
「それじゃあ、これでチャラだね」
と優しく微笑んだ。
「……はい?」
「僕が助けた分は、今ここで死ぬほどからかわせてもらったのでチャラ。これからは対等さ。もちろん、ニールの分はそっちでなんとかして欲しいし、そんなに長く一緒に居るかどうかも分からないけどね」
だから、
「まあ下手に気負わず、テーブルを楽器みたいに叩いてた時みたいなノリで話してくれていいよ」
相手に貸しを与えるというのは、それはそれで厄介だ。相手が善良であればあるほどに。
粗野な冒険者なら、出世払いで返すなどと笑い、気分次第で返したり滞納したりするだろう。
けれど彼女のような人間にはそういうことができない。借りたら返すのは当然だし、そうしないと相手に悪い。何より自分を許せないのだ。
そういう精神は美徳だと思うものの、そのせいで遠慮し会話が弾まないのなら害悪だ。とっとと切除し対等な関係に持ち込んでしまいたい。
「……心遣い、ありがとうございます。けど、こんなので対等というのは――」
「ははっ、じゃあ胸でも揉ませてよ」
むねっ!? と。
己の乳房を抱きかかえるように守りながら後ずさるノーラを見て、まあこれで怒鳴られたり平手打ちの一つでも受ければあっちの気分的にもイーブンになるんじゃないかなぁ――
「い――いいですよ! わたっ、わたしも覚悟を決めました! どうぞ!」
「なにそれこわい!」
――と数瞬前までのカルナは思っていたのである。
「ちょ……待って! 待って待って! 落ち着こうよ! 君はちょっと冷静になった方がいい!」
対面のノーラは文字通り胸を張っている。掌では収まりきらないであろう二つの果実が、カルナの眼前にあるのである。たゆん、と。そしてぷるん、と自己を主張しているのだ。掌を押し付ければ指が沈みそうだ、とカルナの冷静じゃない部分が叫ぶ。
よしじゃあ遠慮なく、といって両手を突き出したい気分ではあるものの、なんとか思いとどまる。これでは逆に自分がデカイ借りを作るハメになるのではなかろうか……!?
(というかここでそれやったら、狼的行動をするために優しくしたんだろう、とか言われたら全く反論できなくなる……!)
頑張れ理性!
押し殺せリビドー!
天使と悪魔が脳内で最終決戦をしているというのに、そんなこと知ったことかとばかりにノーラは机をドンと叩いた。
「なんですか!? 人がせっかく言うことを聞いたのに、なんで文句言ってるんですか!? まさか直接じゃないと嫌だとか言うんじゃないでしょうね!? 見た目によらずすけべえですねカルナさん! いいですよ部屋に来てください、わたしも覚悟を決めましたから――!」
「え、決めちゃうのッ!? いや待って……よーし僕も君も落ち着こう落ち着こう! ステイステイ待てお座りハウスッ! ノーラさん酔ってるね? 平気な顔してるから安心してたけど、超へべれけだよね君!」
「何を言ってるんですか、全然酔ってませんよ! ちょっと頭がふわふわして、未だかつて無いほど元気なだけですよ! ちょっと足元が不安ですけど、これって些細なことですよね! 大丈夫、壁に寄りかかって歩けば部屋まで行けますから!」
「うわあ駄目だこれ、一人で飲んでたら静かだけど、誰かと絡むと際限なくテンション上がるタイプだ……!」
例えるなら振り子。外からの衝撃が大きければ大きいほど、返してくる衝撃もデカくなるという寸法だ。落差が大きい分、下手に最初から騒いでる奴よりも鬱陶しい。
ああ、誰だよこんな状況にした奴、責任とってよ――とカルナは思ったが、大体自分のせいだったと気付き思わず頭を抱えてしまう。
「なんですかカルナさん、指名したのにわたしじゃご不満だと言うんですか言うんですね分かります! 分かりました! ええ分かりましたとも! ちょっとニールさん起こしてきますから、そこで首を洗って待っててください!」
「え……え!? 待って! ねえお願い待って! ツッコミどころは山とあるけど、とりあえずこの流れでニール呼ぶのはおかしいんじゃないかなぁ!」
「世の中にはそういう趣味の男性が居るらしいと先輩の神官が言ってました! 愛は性別を超えるんですって! カルナさん、大変でしょうが頑張ってください!」
……ああ、最初の桃色小動物はどこにいったのだろう。
(……というか、なんでこんなことになったんだっけ)
遠い目をしながら階段へ駆けて行くノーラの姿を眺め――彼女が盛大に転倒したので慌てて駆け寄った。
「ちょ! ホント大丈夫なのノーラさん、顔面から突っ込んだんだけど!?」
「……」
「うわあ返事がない! どうしよう、まずは神官を探さ――」
「……くー、くー」
吐息が聞こえてきた。
一定のリズムを刻むそれは、まるで眠っているようにも思える。
一瞬の硬直。その後に「よいしょ」とノーラを仰向けに転がす。
――幸せそうな寝顔がそこにあった。
遊び疲れた子供が家についた瞬間眠った、そんなトロケた顔である。
一瞬、ほんの一瞬だけ窓から放り投げてやろうかこのアマ――と思ったが、深い溜息とともにそれを廃棄した。
カルナも冒険者になって初めて酒のんだ時、ニールたちに凄い迷惑かけたのだ。今度は自分がその役目を負う、それだけだろう。
「……すみませーん。会計お願いしまーす」
まあ、ともかく。ともかく、だ。
色々と計算外で非常に疲れたものの、おかげで眠気はゆっくりと瞼を下へ下へと押し込めようとしてくれている。
「まあ、それに――さ」
申し訳無さそうに小さくなっている彼女と会話するよりも、さっきのように何の気兼ねもなく叫び合うのが性にあっている。ちょっぴりとイラッと来たが。
全く、随分と冒険者に毒されたな、と苦笑しながらカルナはノーラを抱きかかえた。
羽根のように軽い――とまでは言えないものの、冒険者として相応の体力を持っているカルナには軽すぎる重みを両の腕に載せ、彼女を部屋に送るために階段を登るのであった。




