176/西部の戦い/王冠に謳う鎮魂歌/2-2
「……美容整形ってのが、そっちの世界にはあるらしいな。体を弄って、理想の自分を作り出すっていう技術が」
王冠の体が凍りつく。
ギチギチ、ギチギチ、と凍りついた関節を無理矢理稼働させるような歪な動きで、しかし瞳に燃え盛る殺意を載せ――王冠は睨む。
ニールを。
己の秘密を知った者を。
「な――ぜっ、現地っ、人、の、貴様っ、が――その、言葉っ、を……!?」
途切れ途切れの言葉、水に溺れた者が必死に息継ぎをしながら助けを求めるような、そんな声音であった。
だが、ニールにはその言葉の半分も伝わらない。強風によって苦しみ喘ぐような声が半分以上かき消されてしまっている。
けれど。けれどそれでもニールには何が言いたいのか伝わった。
そして、これが彼の傷であり――だからこそ救いを求めて異世界に転移した理由であると。
「……仲間の転移者と談笑している中でな。現地人同士で話してても、絶対こんなこと思いつかなかったろうぜ」
体を切り裂き、時に不要なモノを吸い出し、時に有用なモノを挿入する。もしかしたら他にも色々とやることがあるのかもしれないが、説明してくれた連翹もまた大した知識がないため、この程度のことぐらいしか分からない。
分からないが、概要さえ分かれば王冠の苦しみが、道理が通らぬと思った行動の意味が理解できる。
「どれだけ弄ろうとそれは外面だけで、体の設計図は手付かずだ。だから治癒の奇跡は使えねえ、使えるワケがねえ――使ったら元に戻っちまうんだからよ」
技術の欠陥――などでは断じて無い。
それは魔法も治癒の奇跡も存在しない世界だからこそ、磨かれ、育まれてきたモノなのだから。
全く違う土台に積み重ねてきた以上、別の土台に持ってきた時に崩れてしまうモノがあるのは不思議ではないだろう。ニールの剣術とて、転移者が居た平和な世界では無意味な技術に成り果てる可能性がある。
世界が違えば適応出来ない技術がある、無意味になる力がある、これはそれだけのこと。
もっとも、それだけの話と割り切れるようなモノではないことは、大して頭の良くないニールにも分かった。
「ああ、何故だ――」
乾き、ひび割れたようなざらついた声音。
怒り、嘆き、苦しみ、悩み、それら全てが流れ出した後に残された乾ききった大地のような響きであった。
「――何故だ、何故だ、何故だ、何故だ! 何故こうも我に付き纏うのだ、かつての我よ! 醜き我よ! 消し去りたい、されど消しされぬ過去よ! そうまでして我を苛むか!」
王冠の外套が翻る。
手から、切断された指から血液を垂れ流しながら、けれども彼はニールに殺意を叩きつけながら間合いを整えていく。
それは敵対者を倒すため、
それは秘密を知った者を殺すため。
「我に足りないモノはこれだけだ。ああ、醜い、醜い、醜い――この顔さえ無ければ、塵芥どもに嗤われることもなかったろうに」
じわり、と乾いた声音に染み込むモノがあった。
それは嘆きであり悲しみ。自分にはどうしようもない何かに抗い続け、しかしどうしようもなくなった者の哀情だ。
「どれだけ積み上げても、どれだけ成り上がっても、我を嗤う声は絶えてはくれない。いつも、どこかで、誰かが我を指差し嗤っている。醜男め、醜男め、醜男め! と」
絶えず嵐の中を駆け回るニールを視線で追いながら、王冠は己の心を吐露していく。
それは、きっと己のみでは留めて置けぬから。
怒りと嘆きの奔流が感情を揺さぶり、言葉として体外へと吐き出しているのだろう。
「顔を全て作り変えても、その声は消えない。知っている、家族が、身内が、学友が、教師が、取引先が、部下が、我が醜かったと記憶している! どれだけ金を積んで顔を作り変えても、どれだけ口を封じても、どれだけ記録を抹消しようとも、消えぬ、消えぬ、消えぬ、消えぬ! 知っている、誰もが――内心で紛い物めと嗤っている。うるさいぞ黙れ何様のつもりだ、顔以外で我に何一つ勝てぬ凡愚どもが!」
既に氷嵐を乗りこなし始めている彼は、吹きすさぶ風を利用し加速――ニールへと距離を詰めていく。
未だ『クリムゾン・フレア』は使っていない。いいや、恐らくまだ使えないのだ。広範囲を焼き払う爆発が、爆風が、どのように影響するのか計算仕切れないから。
けれど、計算し終えたのなら。
爆風がこの嵐にどのような影響を与え、王冠自身の体にどのように吹き付けるかを予測できたのなら、彼は容赦なくそれを行ってくるだろう。
そうすれば、ニールの敗北だ。氷壁を跳び回っている現状、氷嵐ごと焼き払う攻撃を放たれたら逃げ道がない。焼死か墜落死の二択を選べるのみだ。
「異世界チートを、作家になろうというWEBサイトを知ったのは部下との雑談の最中のことだった。出版業界を賑わせてるモノが、WEBサイトがあると。内容を知り、低俗な創作物と嗤い、けれど、ああ――心から憧れたとも。誰も我を知らぬ世界へ行けるのだから」
ああ、そうか――ニールは納得する。
彼は力を、規格外に憧れこの世界に来たワケではない。強大な力と理解し、積極的に使ってはいるものの、それは真の願いの付属品に過ぎない。
異世界に転移する――それ自体が、彼の望みであり、救いだったのだ。
「誰も元の我を知らなければ、我に欠損など何一つない――この世界で堂々と生きていける。だというのに――なにが奇跡だ! あのようなモノ、我にとって呪いに他ならん……!」
神の奇跡。
この世界で生きるために、創造神が全ての種族に与えた力であり、どの種族にも共通するモノ――治癒の奇跡。
だからこそ、彼はどこに行っても逃げられない。
エルフの国に行こうが、ドワーフの国へ行こうが、海洋冒険者の如く新大陸を目指し別種族と出会ったとしても、治癒の奇跡は神官が居る限り存在するのだから。
「駆逐する必要がある――神の奇跡などという呪い全てを! だが、既存の文明に奇跡を捨てよと言ったとして、受け入れられるはずもない。
故に、滅ぼさねばならん。今の文明を塗り替えねばならん!
玉座に座り、神官を尽く処刑し、医療技術に投資し発展させる! 奇跡の存在が必要性を薄めていただけで、研究者自体は存在するのだ!
現地人の研究成果もあり、『内政チートを行う』と医療本を執筆した転移者も存在しているのだ! 不可能ではない! 不可能ではない! 全て可能なことだ! それで、我のための世界は完成する――!」
ゆえに、と彼は叫ぶ。
既存の文明、その権力者――全て全て全て邪魔でしかないのだと。
全ての王冠に向けて鎮魂歌が捧げられるその日まで、安住の地などどこにも存在しないのだと。
「さあ、燃えつきろ、燃えつきろ、燃えつきろ! 我は竜! 権威の象徴であり、破壊の化身! 全ての王冠に対し鎮魂歌を謳う者! 貴様も、貴様に無駄な知識を与えたあの女も、仲間も、連合軍とやらも! 全て全て焼き尽くす!」
「うるせえよ糞野郎が! さっきから聞いてりゃ自己完結ばっかしやがって! 内心で皆が嗤ってるだと?」
怒鳴りながら氷壁を蹴り飛ばした。
剣を振りかぶりながら高速落下するニールは、王冠目掛けて刃と言葉を振り下ろす。
「そりゃそういう奴も居るだろうよ! だが、お前が磨いたモノを評価してた奴だって居たはずだ! 俺はお前の過去なんざ欠片も知らねえがよ、被害妄想激しいんじゃねえのかお前!」
王冠吹きすさぶ風を巧みに乗りこなし、弧を描くように急上昇。
剣は空を切り、位置の優位すら奪われる。
だが、知ったことかと声を荒げた。なんでここまで拗らせたんだよ、と。
「心を開けば、お前を認めてくれる奴もきっと居た! 共に歩いてくれる奴だって居ただろうよ! 人間顔じゃねえなんて綺麗事は抜かすつもりはねえが、だからってそれが全てでもねえだろうが!」
有能な者は、己に利益を与えてくれる者は好かれやすいものだ。
それ自体は一目惚れめいた一時の感情かもしれないが、けれど他人を気にするキッカケなどその程度のモノでいいだろう。
そこから、相手の内面を知り、その感情を本物にすればいい。
そう、ニール自身のように――
(……いや、なんで今、俺みてぇになんて思ったんだ?)
――咄嗟に浮かんだ不可思議な思考。だが、それを即座に放り捨て、氷壁を蹴り飛ばしながら王冠を追いかける。
見上げる美丈夫は、しかしニールの言葉など何一つ響かぬとばかりに鼻で嗤う。
「愚か者めが――なぜ我が貴様らなんぞと共に歩かねばならんのだ!」
憎悪と侮蔑の眼で、王冠はニールを睨みつける。
「我の欠損は顔の美しさのみ。それさえ補えば無謬となる――だというのに、なぜ欠損だらけの貴様らなんぞと共に歩まねばならんのだ! 図に乗るなよ劣等共、貴様ら如きが我の隣を歩む権利などあるはずもなかろう――!」
――ああ、と思う。
彼はきっと、昔から今のような人間だったのだろうと。
才能があり、それを磨くことを怠ることなく、ただただ前に邁進して来たのだろう。
だが、それ以上に彼はプライドが高く、尊大だった。他人など、芥か何かのように思ってしまう程に。
本来なら子供の間に正される思考。だが、幸か不幸か彼は才気に満ち溢れていた。そのような思考をいつまでも信じられる程、傲慢な振る舞いがある程度は許容される程度には。
結果、多くの敵を作り、けれどその敵も王冠を打ち倒せず――結果、挑戦して打ち倒すことを諦め、目に見えて分かる欠損を、隙を徹底的に叩いた。
即ち――顔を。
自業自得な側面はあるのだろう。もう少し謙虚な振る舞いをしていれば、そこまで他者から攻撃されることも、きっと無かったはずなのだから。
「……そうかよ」
剣を強く握り締め、呟く。
彼の語った話が本当なのか被害妄想なのかは分からない。
だが、全く同情できないというワケではなかった。
高みを目指して、だというのに見知らぬ誰かに馬鹿にされ続けるということ――誰にも認めて貰えないというのは、きっと辛いのだろう。
それに関しては、理解出来なくもない。
転移者を倒すと公言し、必死に自分を鍛え上げても、周りからは否定的な意見しか出てこない。それが自分を想ってのことだというのは理解していたが、それでも辛かった。
だから、ニールは王冠を、目の前の男を嗤わない。
必死に己を磨いてきた存在を下に見ることはニール自身が許さない、許せない。
だが、それでも――
「――ならお前を叩き切って、その綺麗な面を苦痛に歪めてやる!」
――同情し共感するのと、胸の中で燃える殺意はまた別だ。
彼は多くの物を踏みつけてきた。レゾン・デイトルの幹部として、暴虐を行ってきた。
転移者を指揮しエルフの国を焼いた。
己を慕う少女を――血塗れの死神を利用し、捨てた。
それらは全て悪逆であり、過去になにがあったとしても許されるべきではない。
そう、どのような過程があり、今の彼になったのかも――今は、どうでもいい。
必要な真実は、今の彼がどうしようも無い悪党であるということ。ゆえに斬り殺す、それだけだ。
「お前が磨いたお前自身を、俺が磨いた剣が、相棒が作り出した戦いの場で叩き潰す!」
怒りもある、憎しみもまた胸の中で疼いている。ニールがこの男を好くことなど、決してない。
ニールは単純にこの男が嫌いだ。
傲慢で、他人を見下し、だからこそ他人も己を見下していると信じ込んで沈んでいった愚か者。そのような男に、好意など抱けるはずもない。
――だが、それでも。
自分が出来る全てを使い、自分を高みへと導いてきたその生き様は――それだけは、否定しない。
ゆえに己の道を歩む者として、高みを目指す者として、対等な敵としてこの男を打ち倒すのだ。
「何を察した顔で言っている! 我を分かったつもりにでもなったか、愚かしい夢想家め! 我を理解するのは我一人! 我を救うのもまた我一人! 他に何も要らん。無謬の我さえ居れば良いのだ――『ライトニング・ファランクス』!」
ニールを捉えた王冠がスキルを解き放つ。無数の雷槍が氷の嵐の中を疾走し、ニールを貫かんとひた走る。
ち、と舌打ちを一つ。上方から撃ち放たれる雷槍は、先程のように無効化することが出来ない。足場になるような巨大な氷壁を、ニールの腕力では投擲など出来ないからだ。やれるのはせいぜい、下に叩き落とすことぐらいだ。
マズイな、と思考しながら跳躍。ニールを追いすがる雷槍たちを回避しながら、跳躍、跳躍、跳躍、氷壁から氷壁へと高速移動し逃げ続ける。
跳躍の度に足場にしていた氷壁が貫かれ、雷が爆ぜて背中を焼く。痛みはあるが問題ない、体の動きに支障が無ければ動き続けることが出来る、勝負を続けられる、勝てる。
ゆえに、加速加速加速! 跳躍跳躍跳躍! ジグザクに、三次元に、立体的に嵐の中を駆け回る。
急激な方向転換で自動追尾する槍を氷壁に激突させ、立体的な高速移動で王冠の狙いを逸し、追撃のスキルの発動を防ぐ。
そのために、一欠片の余力すら残せない。相手は強敵だ、難敵だ、本来なら一対一で勝てるはずもない相手なのだ。
(俺が出来る全てを、奴に叩き込む!)
駆け上がる、駆け昇る。
王冠の元へ。傲慢であり、されど磨き抜かれた刃のような男へ。
呼吸は既に荒く、口から漏れ出した吐息は白いもやとなって後方に流れていく。流れる汗は止めどなく、全身にべたりと粘着質な液体をぶちまけられたような錯覚を抱く。
だが――問題ない。まだ脚は動く、腕は動く、頭も働いている。この程度の疲労、なんてことはない。
「思い上がるな土人め――叩き落とす!」
だが、ニールは攻撃のために接近する必要がある。
それはつまり、相手に近づくということ。転移者が後の先を仕掛ける絶好の機会のはずだ。
そして、既に王冠はこの氷嵐を御しつつある――確実に、迎え撃ってくる。
「王冠――!」
同じ高さに至る、視線が交わる。
互いの顔が喜悦に歪む。これで勝ちだ、と。
ニールは着地した氷壁を踏み込み、王冠はスキルの発声を行うために口を開く。
今、この瞬間、相手を倒すための技を放つ――
「――そう考えた瞬間が、一番の隙だ!」
――ニールは跳躍する。
王冠に向かって真っ直ぐ跳ぶのではなく、弧を描くような緩やかな軌跡で。
一瞬視界から消えたニールに怪訝そうな顔をした王冠であったが、すぐさま視線を上に向けようとする。
――恐らく、愚か者めとでも思ったのだろう。表情にニールに対する侮蔑が浮かぶ。
――一直線に来られたら、目にも留まらぬ速さで接近されたら、貴様にも勝機はあったろうに、と。
――落下しながら王冠へ向かうニールの速度はトップスピードには程遠い。この程度、スキルの的でしかない。
――貴様はミスを犯した、我の勝ちだ。
けれど、その未来が訪れることはない。
ほんの僅かの間だった。王冠が顔を上げる程度の刹那の間――最後の一本となった雷槍が、先程までニールが居た氷壁を貫き、爆ぜたのだ。
爆ぜる雷光に瞳が焼かれ、砕かれた氷の礫が爆風で王冠へと吹き付ける。
「ぐ――ッ!?」
「さっき俺がやらかした大間抜けだ! けっこう痛ぇだろ!」
真っ直ぐに王冠へと向かえばニールの体で光が遮られる――だからこそ、ニールは跳んだ。相手の瞳を焼くために。
無論、それは刹那の隙でしかない。王冠はすぐさま体勢を立て直し、反撃を行おうとするだろう。
けれど、させない。刹那の隙が決定打になるのが戦いの真理であるがゆえに――!
「これで、終わりだ――!」
剣に、イカロスに闘気を纏わせ、振り下ろす。
必勝のタイミングだ。刃は、王冠を切り裂く――!
「まだだ! 図に乗るな現地人――!」
だが、王冠はニールの刃が届くよりも早く、地面へと落下し始めた。外套を畳み、浮力を消失させたのだ。
刃は虚空を切り裂き、回復した視界でニールを見上げる。
攻守逆転。
王冠が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「我の――――」
勝ちだ、と。
そう勝ち誇る刹那の間に――轟、と。
獣の咆哮めいた音が鳴った。
「ぐっ――――がっ……!?」
王冠の体に衝撃波が叩きつけられる。
それは刃から放たれた飛ぶ斬撃。体内の生命エネルギーを力とする闘気、それを遠距離攻撃の手段として用いた技。
虚空を剣で切り裂いたはずのニールが、勝ち誇ったように言った。
「人心獣化流、獅子咆刃だ――お前ほどの実力者なら、回避すると思ってた」
衝撃波を腹部に叩き付けられ、上空から地面へと落下、落下落下落下。
高速で下へ下へと落ちていく王冠を視界に収めながら、ニールは氷壁を蹴り飛ばし跳躍する。彼と同じく、下へ、下へ。
(疾く! 疾く! 疾く! そうしねえ限り、俺に勝利はねえ!)
あれで仕留めきれてはいない。なにせ、あれは純然たるニールの力量で放った技だからだ。
カルナのサポートも、イカロスという名剣の力も加味していないニールの実力では、転移者に大したダメージを与えることが出来ない。
事実、飛ぶ斬撃である獅子咆刃で体を切り裂くことが出来ていないではないか。
だからこそ、これで終わらせる。
剣を担ぎ、氷壁を蹴り飛ばし加速する。
「人心獣化流、餓狼喰らい――いいや、違ぇな」
全力で、全開でニール・グラジオラスの力を剣に伝える。
だが、それでは足りない。
ニール・グラジオラスという剣士では、彼を――王冠を打倒するには足りない、足りない、足りない!
彼はニール以上に己を磨いてきた相手だ。ニールは剣のみを磨いてきたが、されど王冠は全てを磨き抜いてきた相手なのだ。
だからこそ、ニール個人では足りない。
己一人の努力では、目の前の強敵を打倒出来ないのだ。
だから、自分以外の力を刃に注ぐ。
カルナの氷嵐、イカロスの鋭さ、ここまで導いてくれた連翹とノーラ、そして連合軍の皆の力。全てあってニールはここに在り、今ここで剣を振るえている。
それは、翼なき背中に蝋翼をつけるように。本来至れぬ境地へ、皆が作り出した翼で飛んでいくのだ。
ゆえに、振るう技は餓狼ではなく――――太陽を目指し高みへと駆け抜ける、異界の神話の登場人物のように。
海原に叩きつけられる未来さえ恐れない。皆の力は、この程度では決して溶け落ちたりはしないと信じる。
急速に接近する王冠と地面を目視し――
「蝋翼飛斬……ッ!」
――追い越し、一閃。
肩から腰までするりと通った刃は、返り血すら置き去りにして地面へと飛翔する。
最高の手応え。
これで勝てないというのなら、ニール・グラジオラスという剣士は王冠に勝てないと確信する程に冴え渡った斬撃であった。
嵐の中で舞う氷壁を蹴り飛ばしながら勢いを殺し、地面に着地――しようとしたのだが、踏ん張りきれずすっ転び地面を転がる。
全身を殴打されるような痛みに顔を顰めながら疑問に思う。この程度でバランスを崩すような鍛え方はしていないと思ったのだが。
「なに――や、お、……」
何やってんだ、俺は。そう呟こうとしたのだが、声が掠れまともな音として発声できない。
それに次いで感じたのは、全身が痙攣するような痺れと痛み。立ち上がろうにも力が入らず、掌から剣がすっぽ抜けていないのが奇跡に等しい。
(ああ――本当に、ギリギリだったんだな)
己の全力すら超越し、本来なら無意識に残す余力すら使い切ったのだろう。
勝鬨の声すら上げられないとは、情けないことこの上ない。せめて『王冠はこのニール・グラジオラスが討ち取った!』と叫んでから倒れたかった。
「ニール!」
女の声がする。連翹の声だ。
駆け寄ってくる彼女を見て、僅かに表情を緩める。どうだ、見たか、俺の最後の斬撃は凄かったろ、と。
だが、連翹が取った行動はニールを賞賛するでもなく、介抱するでもなく、背を向けて剣を構えるというものだった。
それは、まるで身動き出来ない味方を庇うように。
まだ、戦うべき相手が居るとでも言うように。
ぞわりっ、と全身が凍えるような寒気が襲ってきた。
まさか、そんなはずはない、そう思いながら連翹の視線の先を見て――
「――マジ、かよ」
――王冠が、そこに居た。
傷口から止めどなく血を流し、ふらり、ふらりと僅かに体が揺れている。
けれども、二本の脚で直立し、ニールを見つめていた。それが当然だとでも言いたげな態度で、彼は口元を釣り上げる。
「……これでは、どちらが勝利したか分からんな」
ぽつり、と王冠が呟く。血溜まりは今も広がっているというのに、その傲慢な態度は陰ることがない。
死にかけているはずなのに、死にそうには見えない――そんな王冠に連翹は剣先を向ける。
「や、やるなら相手になるわよ! 死なばもろともって魂胆でしょうけど、そうはいかないんだからね!」
「愚かな女め。我は敗北し、奴は勝利した。それは既に確定している。今更、文句をつけるなど、醜いにも程がある――これ以上、醜い振る舞いを、見せるワケにはいかん」
それは、恐らく戦いの最中、顔に向けて刃を振るった時のことなのだろう。傲岸不遜な男が、唯一見せた弱み。それは恥じるべき醜い振る舞いであると。
「我は自由に生き、この結末に行き着いた――それを悔しくは思おう、無念とは思おう。けれど、認められないと駄々をこねる醜さを見せるワケにはいくまい。我は、無謬なのだから」
王冠から感じていた視線が消える。ニールを見つめていた圧が無くなる。
視力が失われ始めているのだろうか、彼の眼は、どこか遠くを見るような色をしていた。
(ああ、そうか――)
彼は理解しているのだ。腹から流れ出る血液の量から、もう自分は助からぬと。
無論、治癒の奇跡を使えば別であろう。傷口を塞ぎ、生きながらえることは出来るのだろう。
けれど、それをしてしまえば、彼がこの世界に転移した理由が無くなる。
だからこそ、彼は堂々としているのだ。
己の理想の姿を保ったまま、無様な死に様を見せぬように。
自身の最期を、美しいモノであったと他者の心に刻みつけるために。
なるほど、観察してみればあれだけ全力で叩き切ったというのに、傷口から臓物の一つすらこぼれ出ていない。
体内に詰め直したのか、無理矢理引きちぎって捨てたのかは分からないが、傷口から臓腑を吊るす姿を醜いと思って実行したのだろう。
美しくあるために、そして理想であるために。
「……自由に生きた結末がそれじゃ、笑い話にもならないと思うけどね。結局、自由を阻まれて死にそうになってるじゃない」
だが、連翹はそれを知らない。氷嵐の中で放たれた彼の言葉を、願いを、想いを。
ゆえにこそ、まだ警戒を解いていない。死の間際でこうも堂々としている理由が分からないから、まだ何か手があるのか想像し、王冠を睨む。
その言葉に、彼は侮蔑するように口元を歪める。
「無学な女め。自由とは好き勝手に生きることではない、己の成したことに責任を持つということだ。貴様とて転移の前に聞いたはずだろう、『お前は自由だ』と。あれは、自分の生き様に責任を持てと言っていたのだろう」
自由とは好き勝手に何かを行うことではない。
己が成したこと、その結果に向き合い、逃げずに対処することであると。
であるならば、結果は結果として受け入れねばならない。
「我は成したいことを成した。望む自由のために征服者となったのだ。それゆえに貴様らが現れ、失敗した。己が成したことを、生命を以って責任を取ることとなったのだ。当然の理屈だ、当然の帰結だ」
だから、これで良いと彼は言う。
己は自由に生き、理想に殉じたのだと。その結末が破滅であったとしても、この道を歩いたことに後悔はないのだと。
「……やっぱお前は糞野郎だな」
全身に力を込めて立ち上がる。
剣を杖にしながらも、王冠の眼を真っ直ぐと見据えた。もはや視力など亡く、こちらの言葉が届くのかどうかも分からないが、それでも。
「傲慢で、自分勝手な自己愛野郎が。結局、最期まで自分のことしか考えてねぇ」
「当然だろう、なぜ欠損だらけの凡人どものことを考えねばならん。この世に存在する遍く全ては我の装飾品だ。最期であるからといって、それを覆すことなどありえぬ」
そんなことをすれば、今までの人生が全て間違いであったと認めることになる。
ゆえに、彼は最期まで己の理想と添い遂げるのだ。
それが腹立たしくもあり――
「だが、それでも――自分自身を至高と信じて磨き続けたお前を、強敵だったお前くらいは認めてやる」
――同時に、研ぎ澄まされた刃にも似た輝きを感じる。
ああ、強かった。王冠に謳う鎮魂歌という男は強かったのだ。
氷嵐に閉じ込め、得意な戦法を封じた上で接近戦を仕掛け――それでも、薄氷の勝利だったのだから。
端的に言って、舐めていた。
オルシジームでカルナとこの戦法について語った時は、『今までの積み重ねで十分対処できる範囲だ』とすら言っていた。
だというのに、ここまで追い込まれた。相手の長所を潰し、こちらが得意な戦いに持ち込んだというのにである。
それは、単純に目の前の男が強かったから。
それは、目の前で死にゆく男が自身を磨くことを怠らなかったから。
だから、その在り方だけは認めよう。
傲慢な自己愛者であり、外道だった――けれど同時に理想のために自身を磨き抜いてきた男であったのだと。
「分かった風な口を叩くな、現地人風情が。我を理解するのは我一人だけだ」
「分かったつもりになるくらいは良いだろうがよ。お前の言う自由の結果ってやつだ。お前の行動を見て、俺はお前をすげぇ嫌な野郎だって思ったし、同時にすげぇ奴だとも思った――これは、それだけの話だ」
「……ふむ、そうか……ならば、仕方ない――か。赦す、好きにしろ」
それが、最期の会話だった。
王冠の体がぐらりと傾ぎ、仰向けに倒れる。びちゃり、という音が響き、足元の血溜まりに波紋を広げていく。
それは、グロテスクでありながらも花弁のようで――死骸に咲く花のような背徳的な美を演出していた。これも、王冠が計算したのだろうか? 己の死体を、可能な限り鮮やかに演出しようとした結果なのだろうか?
分からない。もう、彼の心臓は停止し、命は消え失せた。問いかけても、答えは無い。
「……死んじまえばお前の秘密が漏れ出すことはねえだろうよ。だから安心して逝けよ、傲慢な征服者にして無謬を目指し研鑽した男」
どこか安堵したような死に顔を見つめ、ニールは呟いた。
もう、治癒の奇跡が彼の体を癒やすことはない。元に戻ることはない。決して、決して。
それは、ある意味で彼にとっての幸福なのだろう。




