169/立ち向かうものたち
「……お前、体の使い方が上手くなったか?」
未だ太陽の昇らぬ早朝、ニールは連翹の剣を回避しつつ呟いた。
その言葉の返答の代わりとでも言うように、連翹は踏み込み剣を薙ぐ。だが、ニールは余裕を崩すことなくバックステップでそれを避ける。
連翹はむう、と不機嫌そうに眉を寄せた。
「全部避けておいて何そのセリフ。煽り? 煽ってるの?」
「煽ってねえよ馬鹿女。つーか、不意打ちでもねぇのにスキル無しのお前に攻撃当てられたら俺が自信無くすっての」
連翹は素人だ。剣術を学びだしてから一月すら経過していない。
そんな彼女が、反撃なしのルールとはいえニールに一撃でも当てる程に成長出来るはずもない。向いている向いていないという話ですらなく、ただただ単純に積み重ねが足りないのだ。
対し、ニールは子供の頃から剣を握り、振るって来た。
才能や鍛錬の質が圧倒的に勝っていれば可能性はあるが、連翹はそのどちらも満たしてはいない。才能は平凡だし、鍛錬の質もおおよそニールと同程度。
無論、なんでもありの状況ならニールにも敗北の目は出てくるが、剣術だけの勝負であれば負ける理由が一欠片も存在しない。
そう説明すると、連翹の機嫌は目に見えて悪くなっていった。
「ふんだ、やっぱ煽ってるじゃない。なによなによ、あたしだって頑張ってるんだから、そんな『未来永劫お前は俺に勝てねえ』みたいな俺TUEEE系主人公チックなこと言わなくたっていいじゃない」
「さすがに落ち着け、つーか馬鹿にしちゃいねえよ」
どんどんふてくされていく連翹の姿にため息を一つ。
「体捌きがかなりマシになって来たって話だ。お前、最初は本気でゴリ押ししかしてなかったからな」
当初は重心が崩れていても、構えが乱れていても、身体能力だけで無理矢理体を安定させていたのだ。
だが、今はそれなりに見栄えがするようになった。無論、技術としてはまだまだなのは確かだが、それでも完全な素人から見習い程度にはなったろうというのがニールの見立てである。
「……んー、一応頑張ってるからってのもあると思うし、あって欲しいけど――やっぱり一番の理由は、一時的に力がなくなった結果なのかしら」
「あ? お前何言って――ああ、なるほど」
昨日、ノーラに規格外を貸し与え、村人たちを癒やした時。
全身に漲る転移者の力が抜けたために、無意識に込めている無駄な力を省く感覚を知ったのだろう。疲弊しないようにと、意識的に、そして無意識的に。
その結果と普段の鍛錬が結びつき、動きが洗練されたのだろう。
無論、まだまだ動きは未熟だ。転移者としての力が無ければ、まだまだ見習いと同程度だろう。
(だが、誰だって最初は初心者で、見習いだ)
技術を知らない素人とは違う。
技術を学び、下地を整えている最中の人間が見習いなのだ。
両者の実力は近いが、しかし精神性が根本的に異なる。前を目指すという目標がある以上、傍から見て微々たるモノであっても成長するのだ。
熱心にやっているんだな、と思わず笑みが溢れる。
やはり、自分の好きなことを誰かに好きになって貰えるのは嬉しいものだ。それが親しい者であれば尚更である。
「うっし、そんじゃあ今度はお前が避けてみせろ。大丈夫だ、さすがに本気でやらねえからよ」
「言ったわね、言ったわね! メイン盾の下段ガードに隙はないってことを教えてあげるわ!」
「ガードしてどうすんだよ、避けろっつってんだろ馬鹿女」
「そういうノリってことよノリ! ニールだって硬いモンスター相手に『柄頭で叩き壊してやるぜ』みたいなこと、きっと言わないでしょ?」
「あ? ……あー、まあ、それはそうかもしんねえなぁ」
「ほらみなさい、見事なカウンターで返した! 調子に乗ってるからそうやって痛い目に遭うって寸法よ! プークスクス!」
今この瞬間、一番調子に乗ってるのは間違いなくお前だよ馬鹿女。
喉元までせり上がってきたその言葉をため息にして吐き捨てる。この調子で会話を続けていたら、鍛錬そっちのけで喋ることになりそうだ。
「そうかよ。んじゃあ、調子に乗ったことを反省して全力で行かせて貰うぞ。頑張って避けろ」
「プークスク……え、ちょ、待って待ってストップごめんなさい! あたしも調子に乗ってたからお互い様ってことで矛を収めるべき! 死にたくないならそうすべき!」
わたわたと手を振って後ずさりする連翹へ、じりじりと歩み寄る。
なんだろう、凄く楽しい。
子供のころに女の子を虐めている奴を見て、一体なにが楽しいのかと思ったものだが――なるほど、良く分からないが妙に楽しくて仕方がない。子供が夢中になるのも道理だろう。
「今更謝ったって遅えぞ、さあ――死ぬ気で逃げ回れぇ!」
ぐっ、と脚に力を入れて、いざ突貫――
「馬鹿者」
すかんっ、と。
後頭部を思い切り引っ叩かれた。想定外の衝撃に体勢を崩し倒れかける――が、すぐさま地面に手を突き、そのまま一回転し着地。
「ていっ」
した瞬間、連翹の足払いを喰らった。ずしゃあ! とすっ転ぶ。
「痛っ……おいお前」
見上げるとスカートの裾を抑えた連翹の得意気な顔。
「着地狩りは基本! ……まあそれに、なんか身の危険を感じたから正当防衛させてもらったわ」
「足払い避けられなかったのは俺の油断だが、せめてスカート抑えるのやめろよ。すっ転ばされた以上、そのくらいの約得あってもいいじゃねえか!」
「すっ転ばされたのは自業自得なので約得がある可能性は最初からゼロパーセントだった、慈悲はない」
ぐうの音も出ない正論だったが、それはそれ、これはこれだ。
地面に仰向けで寝転がった状態でスカートの女が近寄ってきたら期待してしまうのが男という生き物である。そして期待とは裏切られると悔しさを感じてしまうモノだ。
「……真面目に鍛錬をしているかと思えば、何をやっているのだニール・グラジオラス」
深い、深いため息の後に放たれた言葉であった。
視線をそちらに向けると、白髪のエルフの剣士ノエル・アカヅメが鋭い眼を半眼にしてニールを見下ろしているのが見える。
「真面目に鍛錬はしてたぜ。さっきの言動が不真面目極まってたのは認めるが、やるからには全力で連翹のためになるようにするつもりだったしよ」
立ち上がったニールは、連翹の懐疑的な視線を背中で受け止めながら衣服に付いた土を払う。
「それでノエル、何か用か?」
わざわざ早朝に会いに来たのだ、何か目的があるはずだ。
その目的が鍛錬に混ざることであれば大歓迎だったが、ノエルは短く「招集だ」と言ってニールの想像を否定する。
「ええ、こんな朝早く? カルナとかまだ寝てるわよ、きっと」
怪訝そうに言う連翹の言葉も尤もである。
情報共有のために集まるということは、今までにも何度かあった。だが、このように朝早くに行うのは珍しい。
騎士や兵士などはそういうこともあるようだが、冒険者やドワーフ、エルフたちは出立前に最低限の説明をされる程度であった。
それはこの連合軍という組織を運営しているのが騎士であり、その下部組織に位置する兵士たちであるから他の者に細々とした話をする必要がないというのもある。
だがそれと同じくらいに、冒険者がその手の団体行動を嫌うという理由があった。
無論、騎士たちと行動する以上、最低限の規律は必要だとは皆、理解している。だが、理解していても不平、不満を述べてしまうのが人間だ。だからこそ、騎士たちも冒険者に細かなことを求めてはいない。
それゆえに、冒険者などという良く言えば自由、悪く言えばちゃらんぽらんな連中を抱えていても空中分解することなく纏まっているのだろう。
だというのに、突如として全員を招集した。
そう、全員だ。まさかニールと連翹だけということはあるまい。転移者である連翹であれば何かしら特別扱いされる可能性はあるが、ニールはただの冒険者だ。転移者に対し勝ち星があるとはいえ、冒険者の中で際立った強さを持っているワケではないのだ。
「私も未だ触りの部分しか耳にしていないが――」
困惑するニールたちから視線を外し、ノエルは言う。
彼の眼が向かう先は街道。その、先である。
「――街道を進んだ先にある廃村。そこに、転移者たちが――レゾン・デイトルの者たちが待ち構えているらしい」
◇
「現在地から街道を半日ほど進んだ辺り――そこに存在する廃村で、レゾン・デイトルを名乗る転移者たちが陣を敷いているらしい」
皆が集まったのを確認し、ゲイリーが説明を始めた。
天幕の金具に地図を吊るすと、とんとん、と現在地を指で指し示してからゆっくりと転移者たちが居る地点までスライドさせる。
「近場に森も山も無し――奇襲には適さねえな」
ちっ、と舌打ちを鳴らしてファルコンがぼやく。
地図に示された廃村周辺に遮蔽物になりそうなモノは無く、せいぜいなだらかな丘があるくらいだ。
(だからこそ、そこを選んだんだろうな)
転移者は強い。確かに連合軍の皆やニールは転移者と戦い、倒せるようになった。だが、それは決して転移者が雑魚になったという意味ではない。
その身体能力は現地人を凌駕し、放つスキルはどういう動きなのかを理解していてもタイミング次第では直撃を喰らう程に鋭い。
そんな彼らが恐れることは何か?
それは、奇襲による致命傷とそれによる味方の士気の低下だ。十全に力を振るえなければ格下に敗北するのは道理だし、最初の一撃で多くの仲間が死ねばどうしても戦意が萎える。本来転移者は戦う訓練をしていたワケではないのだから、後者の影響は現地人よりも遥かに大きいはずだ。
ゆえに、奴らは見晴らしの良い場所で迎え撃とうとしている。己の力を限りなく十全に近い形で振るうために。
皆がその前提を共有したことを確認し、ゲイリーの傍らに立つアレックスが頷いた。
「これを見る限り、少なくとも最低限の戦術、戦略を練る相手だということが分かる。十中八九、今までよりも苦しい戦いになるだろう」
今までの戦いで転移者の指揮官という存在はほとんど存在しなかった。
居てもブバルディアのように現地人の盗賊を従えているだけの者くらいで、真っ当に指示を出していたのは王冠くらいだろう。
そして、その指示によってカルナが一度追い詰められている。烏合の衆であればもう少し持ち堪えられたのだろうが、王冠の登場によって敗北寸前にまで追い込まれた。
視線をカルナへ向ける。難しい表情で黙り込んでいる彼は、ニールの視線に気付いた様子はない。
しばし黙り込んでいた彼だったが、ゲイリーとアレックスの言葉が途切れた瞬間に質問を投げかけた。
「……それで、その情報は誰が伝えてくれたか聞いてもいいかな? まさか、彼ら自らそれを伝えに来たワケではないと思うけれど」
「情報元は行商人だね。素通しする代わりに、この情報を出会った者に伝えろと言われたようだ」
「ありがとう――となると、迂回して戦闘を避けるって手段は絶対に取れなくなったワケだ」
冒険者だけならまだしも、騎士が居るこの集団は絶対に素通りできない――カルナは眉を寄せながら呟いた。
その言葉に、連翹は「え?」と首を傾げた。
「居る場所は分かってるんでしょ、迂回しちゃ駄目なの? そうすればダメージ無しでレゾン・デイトルまで――」
「駄目だ」
殊更強い声でゲイリーが連翹の声を遮った。
「仮に迂回してレゾン・デイトルの本拠地に向かったとしたら――挟撃も怖いが、何より迂回したという事実を利用される。『騎士は転移者と戦うことなく尻尾を巻いて逃げ出しました』、とな」
騎士とは、つまりはこの大陸最強の戦士という称号なのだ。
騎士をよく思う者、悪く思う者、そのどちらであってもその認識は変わらない。
それが戦いを避けるということは『現地人は転移者に勝てない』と宣言しているに等しい。少なくとも、レゾン・デイトルの転移者はそう喧伝することだろう。そして、それを否定することは恐らく不可能だ。
大人数の移動は目立つ。迂回ルート上に存在する村に滞在すれば、旅人とすれ違えば、連合軍がどのようなルートで移動しているのかをおおよそ推測することが出来る――転移者との戦いを避けて、迂回したことも。
そのような噂が蔓延すれば、レゾン・デイトルに恭順する者も多く出るだろう。
騎士すら逃げ出した相手に敵うはずがない、と。
ならば、先んじて転移者の軍門に下った方が扱いが良い、と。
そうして、今でも十分強力な転移者を支援する者が出てくる。無論、今現在支援者がゼロというワケではないだろうが、しかし相手の思惑通りに事が運べばその数が一気に膨れ上がるはずだ。
「ゆえに、我々は正面から立ち向かうこととなる。異論がある者はいるかな?」
返答はなかった。
当然だろう。ここに居る者たちは皆、大小あれど覚悟を抱いてこの場に居るのだ。異論など、あるはずももない。
「では、準備が終わり次第に出立する。道中で奇襲を仕掛けてくる可能性もあるから用心して進むとしよう。以上」
ゲイリーの言葉とともに皆が歩き出した。野営の後片付けや、装備の手入れを行うために。
ニールも彼らと同じように野営地に向かっていると、カルナが駆け寄ってきた。
「ニール、分かってるね?」
「ああ」
言われるまでもねえ、と頷く。
起伏のない地形に、行商人を襲わない程度には統率の取れた集団。
それは空を飛ぶ際に邪魔をする物がないということであり、我の強い転移者たちを従えられるカリスマを持つ存在が居るということ。
「――十中八九、出てきやがる。あの白い男、王冠に謳う鎮魂歌が」
なぜなら、レゾン・デイトルの幹部の中で、部下を統率出来る転移者が彼しか居そうにないから。
オルシジームでの戦いで、レゾン・デイトルからこちらに下った少年――青葉薫の話を聞く限り、狂乱の剛力殺撃も崩落狂声も力で一纏めにすることは出来ても、兵団としてまとめ上げることは難しそうだ。
強いてあげれば雑音語りだが、彼はこういった場で堂々と兵を率いるタイプではないだろう。
無論、指揮に長けた幹部ではない転移者が居る可能性もあるが――ニールはあの王冠という男が、ここ一番で裏方に徹する姿を想像出来なかった。
些事なら部下に任せるかもしれない。
だが、レゾン・デイトルに歯向かう者たちの中で、一番戦闘能力がある連合軍。それを討伐する役目を他人に渡すとは思えなかった。
(借りは、返して貰わねえとな)
連翹を痛めつけ、とどめを刺そうとしていた姿を思い出す。ぐらぐらとハラワタが煮える感覚と共に、拳を強く握りしめる。
戦いの場であるがゆえに、敵を殺すのは当然だ、ニールだって逆の立場ならばそうしているだろう。
だが、それでも友人をなぶり、殺そうとした男に殺意を抱く。己の剣で、叩き切ってやりたいと強く思うのだ。
「少し冷静になりな、ニール。そういった感情以前に、勝負に持ち込めるかって問題もあるよ」
「……そうだな、大規模な戦闘だと、俺らが接近するタイミングが無いかもしんねえ」
一呼吸置き、精神を落ち着けながら頷いた。
ニールの剣イカロスは転移者を切り裂き、カルナの鉄咆と魔法は転移者を貫き焼き払う。装備も整えた、経験も積んだ。今更、力を振り回すだけの転移者に負けることはない。
しかしそれは、負けないというだけであって、複数の転移者を軽々と倒して王冠へ肉薄出来るという意味ではないのだ。
油断してスキルの一撃を喰らえば致命傷を負うのは今も変わっていない以上、敵陣に無策で突っ込むことは不可能である。
「その時は……その時だ。俺らの手でぶっ倒したいのは山々だが、皆の足並み見出してまで戦いたいワケじゃねえしよ」
自分の欲望を優先して味方を危機に晒すなど、本末転倒にも程がある。
そんなことをやらかして他の知り合いが死にかけでもしたら、連合軍の皆はニールを許さないだろう。ニールとて同じ気持ちだ。
アレックスやブライアン、ファルコンやノエルなどと言った親しい者たちの顔を思い浮かべ、胸から溢れ出そうとする衝動を落ち着ける。
感情のままに喰らいつくだけでは、獣と変わりはしない。
されど、獣の如く荒々しい感情が力を与えてくれるのもまた事実である。
ゆえに、人の心のまま獣になるのだ。荒々しい感情を制御し、必要なタイミングで解き放つ。それこそが、人心獣化流の剣士としての在り方だ。
「あっ! ちょっと、なに男二人でくっちゃべてるの! 後片付け全部あたしたちに押し付けるつもり!?」
そんな思考など知らぬとばかりに、いつも通りな連翹の声が響く。
その声に、思わず小さな笑みを漏らした。
自分を痛めつけた相手が居るかもしれないということに気付いていないのか。いや、案外気付いていても今と変わりはないのかもしれない。
彼女は皆を信頼してくれている。だから、もう一度王冠と出会っても、ニールたちと一緒ならなんとかなるのだ、と。そう信じてくれているのかもしれない。
無論、それはニールの想像に過ぎない。
過ぎないのだけれど、そうであったら嬉しいと思うのだ。
「悪いな連翹、今行く――カルナはノーラの手伝い頼む」
「了解。……ごめんねノーラさん、出立前に話しておきたいことがあってさ」
張り詰めていた緊張の糸、それが僅かに弛緩するのを感じる。
(そうだ、これくらいが良い)
気負いすぎず、けれど腑抜けすぎず。
普段通りの会話を楽しみながら、すぐそこに迫っている戦いの準備をしよう。
やれることはやってきた。鍛錬も、装備の準備も。
ならば後は自分のコンディションを整え、仲間を信じるのみだ。




