168/月の下で幹部は笑う
「そろそろ全滅させてもいいと思うんだ、ぼくは」
声の主は隠者めいた黒いローブを羽織った少年――転移者、雑音語りである。
ぱちり、ぱちり、と焚き火が爆ぜた。
薪を燃料に燃える炎は夜の闇を僅かに切り取り、小さな村の輪郭を露わにする。
村――と言っても、焚き火を囲う者以外に人気はない。崩れた家屋や放置された畑が、ここから人の営みが消え失せているのだと訪れる者に囁いている。
略奪があったのだろう。
行ったのが転移者か現地人かは分からないし、生き残りが居たのかどうかも興味はない。どちらにしろ村を維持することが不可能になり、捨てたのだろう。
『――――』
視線を上げると、不機嫌そうに黙り込む黒い巨人――狂乱の剛力殺撃がこちらを見下ろしている。
もう随分と長い付き合いになるというのに、一向に絆されてくれないなぁと雑音は頬を掻いた。
「小さな被害で撤退なんてされたら、部隊を再編成してまた来るだろうからね。そしたらまた撃退しなくちゃならない……うん、正直面倒なんだ。けど、ここまで入り込んだのなら問題無いさ。包囲し、蹂躙し、殲滅しよう」
『――――』
狂乱は何も言葉を発さない。
発声器官がないワケではないが、彼はそう己を律しているのだ。
なんとも無駄な拘りだ。雑音は思ったが、それを口にすることはない。拘りも、大切なモノも、人によって違う。自分にとって価値が無いからとそれを嘲笑すれば、相手の怒りを買うだけだ。
だから雑音は微笑む。
理解者のように、友人のように、けれどそのような心を一欠片も持たずに。
「ああ、君と僕だけじゃあ戦力不足かもしれないって? その点に関しては問題ないさ。王冠にも既に声をかけてある。物理最強と魔法最強が集うんだ、これで勝てないはずがないさ」
当然の如く自分は数に入れず、しかし狂乱もまたそれに対して不平を述べることはない。
互いに理解しているのだ。雑音語りという少年がそこまで強くないということを。
転移者と戦い慣れていない者や、詠唱で隙きが出来る魔法使いならばともかく、騎士などといった練達の戦士と真っ向から戦えば容易く絶命することだろう。
「ここらで大きな成果を出さないとね。ぼくはともかく、君はそろそろ終わってしまうんだろう?」
『ァ……ッ!』
その呻き声は苦痛と苦渋に満ち満ちていた。
末期の癌に臓腑を犯されているかのように、口から漏らすのは、苦悶、苦悶、苦悶。
だから、その苦しみから逃れるために手を伸ばす。
巨大な掌が雑音を包み、後は力の限り握りしめれば――
「そうしたければ、そうするといい。全力で抵抗はさせて貰うけれど、きっと虚しく散ることになるよ。ぼくは弱いからね」
黒鉄の掌の中で。
雑音は涼しい顔と声で言い放つ。
だが、掌は徐々に徐々に彼を締め付け――
「けど、それで君は救われることはない。終わりの時が訪れたら、君は一人虚しく朽ち果てることだろう」
――握力が転移者の防御を貫く前に、その力が緩む。
「どうも信頼されてないようだから言っておくよ、何度だってね。ぼくは君の味方さ。レゾン・デイトルの幹部として、最弱の雑音は自身よりも強い転移者の幹部たちを傷つけることはない。皆、ぼくより格上で、皆、ぼくの頼れる仲間たちなんだ」
その言葉に嘘偽りはない。
雑音語りは幹部最弱だ。それどころか、そこそこ戦い慣れた転移者にすら負けかねない。
最強ではなく、無敵でもない、何か一つ逆転の必殺技を懐に隠し持っている最強を打ち倒す最弱ですらない。
ただただ、力量が足りていないのが雑音語りという転移者だ。
口さがない者たちは、幹部に気に入られているからその座に座っている数合わせと彼を嘲笑している。
その言葉は、決して間違いではない。無論、完全な正解でもないのだけれど。
「だから安心して欲しいんだ狂乱。信頼できる仲間を、裏切るはずがないじゃないか!」
その言葉に、狂乱はゆっくりと右手を戻す。
信用はせずとも、信頼はされている。だからこそ、疑られることはあっても切り捨てられることはない。
それは彼が弱いから。下手に幹部を陥れれば反撃で死に、仮に陥れることに成功したとしても他の幹部に警戒されてしまう。
ある種『弱い』からこそ信頼されていると言ってもいい。口が回り、幹部たちをサポートし、しかし戦えばどの幹部よりも弱い。
何を考えているか分からぬと信用する者こそ少ないものの、しかしこちらを害することは不可能だと歪な形ではあれど信頼はされている。それが、彼なのだ。
雑音はにこりと微笑むと、狂乱に背を向け歩き出した。
「さて、幸いなことに仲間割れもせずに済んだことだし、ぼくは寝るとするよ。料理と火はそのままにしておくから、好きに処理して欲しいな」
こつ、こつ、とわざとらしく足音を立てて彼から距離を取る。
狂乱の姿が見えなくなったのを確認し、手近な廃墟に侵入する。そうしてようやっと、狂乱は動き始めた。
ガシャン、ガシャン、と大きな金属音を鳴らした後、ぴたりと音が消え失せる。それを耳にしながら、雑音は小さくため息を吐いた。
「そこまで徹底しなくてもいいのにと思うんだけどね、現地人が居るならともかくさ」
廃墟内で比較的綺麗な場所を寝床に定め、ごろりと寝転がった。
外套で体を包み、ゆっくりとまどろみながら、彼は呟く。
「さぁて、どう転がるかな。狂乱と王冠が勝利するか、はたまた現地人たちが勝つのか」
レゾン・デイトル建国当初なら、十中八九前者の勝利だったろう。
だが、今は現地人たちも経験を積んでいる。転移者を人間の延長線上として捉えるのではなく、人形の化物と認識して戦っているのだ。スキルの力も大体見切られている頃だろうし、現地人にも十分勝利の目はある。
「ま――正直、どちらでも構わないんだけれどね」
レゾン・デイトルが勝とうが、現地人が勝とうが、関係ないし興味もなかった。
強いて言えばまだ利用価値のあるレゾン・デイトルに勝利して欲しくはあるが――それとてどうしてもと願う程ではない。
「全て全て、遅いか早いかの違いなんだから」
表情を喜悦に染めて、彼は呟くのだ。
想像するのレゾン・デイトルという集団の勝利の果て、そして敗北までの道程。
決して混ざり合わぬ二つの未来を想い、
「せいぜいぼくの役に立ってくれよ、お強いお強い最強様に、恐ろしい化物に立ち向かう英雄様」
嘲り――嗤う、嗤う、嗤う。
己の掌で舞い踊る猿を見下ろし、楽しげに。
けれどその笑みは畜生へと向けるモノ。芸を仕込まれた猿や犬猫を見て、上手い上手いと拍手をする観客めいた表情であった。
◇
深夜の街道を馬車がゆるりとした速度で移動する。
豪奢な造りのそれを取り囲むように、武装した転移者が、現地人が居た。
それは守るために。
馬車の中でくつろぐ大切な人を守るために、彼は、彼女は馬車を護衛しているのだ。
「その忠言が君の心からのモノだとは理解している。だが――何かを企んでいることなど百も承知だ。あれはあれで分かりやすい男だからな」
その馬車の主が、口を開いた。
汚れなき白の衣服を纏った青年である。
地球の知識を持つ者であれば、それが軍服を模したモノであることに気づけただろう。
しかし、金の装飾が施され、衣服と同様の意匠の外套を羽織った姿は軍人というよりも歌劇の主演男優といったイメージを抱く。
王冠に謳う鎮魂歌――それが彼の名であり、称号である。
王冠は対面に座る少女に目を向けた。
そこそこに顔が整った村娘である。手慰みに着飾らせ、甘い囁きで心を奪った女。複数存在する王冠の菓子であり、退屈しのぎ娯楽である。
「で、ですけど――あんな口だけの男が、王冠様に対して……」
「だが、役には立つ。従順なだけの愚者よりは、腹に一物ある有能の方が便利だからな」
「そ……そうですね、王冠様ですから。あの程度の男に出し抜かれるはずがありませんよね!」
無論だ、と頷く。
頭の軽い娘はそれはそれで有用だ。愚者らしく愚かさを披露してくれるものだから。
そう、本当に愚か。
従順なだけの愚者――それと自分が、なぜ関係ないなど思い上がったのか。
自分自身が従順なだけの愚者だと、なぜ気づかぬのか。
だが、その愚かさも悪くない。半端に敏い女よりは、この程度の頭の軽さの方が愛らしいし、何より替えが利く。レゾン・デイトルで飼っている女ではこうは行かない。
(しかし――狂乱、あの正義狂いと同じ戦場か)
いずれ打ち捨てられる未来を欠片も想像せず、はにかむんで頬を赤らめる少女に笑いかけながら、黒き鉄巨人の姿を想起する。
巨体で相手を轢き潰し、巨剣で敵を薙ぎ払うあの男は接近戦において幹部最高峰の実力を持っている。接近戦であれを止められる転移者は、レゾン・デイトルの王くらいであろう。
だが、魔法を用いて遠距離攻撃を行うのであれば話は別だ。空を自由に飛翔しながら魔法スキルを放つ王冠にとって、地上で暴れまわるだけの狂乱はただの的でしかない。
だからこそ、雑音は王冠を呼んだのだろう。
いざという時のために、未だに未練を抱くあの男を見張るために。
まるで罪人を見張る看守だ、このような役割、己には似合わない。本来であれば、このような役割など持ちかけられた段階でその人間を罰し、殺害していることだろう。
されど今、王冠はここに居る。
馬車に揺られ、雑音と狂乱の元へと向かっている。
理由は単純――
(脆弱な偽善者め――醜いにも程がある)
――あの醜い鉄巨人が気に食わないから。
醜いモノは全て全て罪だ。容姿も、精神性も、何もかも、整っていなければ存在する意味がない。
ああ、だから腹が立つのだ。
醜い姿を晒したまま生き続けるあの巨人が。狂乱などと自虐し、その醜さを放置しているあの男が。
(もっとも、あの戦闘能力は有用だ。役に立つのなら、今まで通り生かしておいてやるさ)
そう、役に立つのなら。
醜くも有用なら利用してやろう。
だが、利用価値すら無くなったのなら――生かしておく理由もないだろう。
どちらに転んでも問題ない――そう確信して、王冠は満足気に微笑むのだった。




