167/転移者とチート
――体って、鎧って、こんなに重かったけ?
ノーラと共に野営地に向かう最中、連翹は心からそう思った。
ずしり、と全身を苛む重量感。冬の夕方だというのに、額にはじんわりと汗が滲む。そんな姿を、ノーラは心配そうに見つめていた。
「大丈夫ですかレンちゃん? 重いようなら服の金属部品持ちますよ」
「ふっ、この程度の重さで音を上げると思う浅はかさは愚かしぃ――ごめん、ちょっとホント無理、胸の方持って……」
強がりを半ばで断念し、ブレストアーマーを外しノーラに手渡す。まだ肩当てなどはあるけれど、これくらいならまだ大丈夫――うん、きっと。
はふう、と重い吐息を連翹は漏らした。
なんというか、装備が重くて重くて仕方ないのだ。レトロRPGなんかで磁力が強くて金属装備が使えないみたいなダンジョンがあったけれど、その主人公たちもこんな苦労をしたのだろうか。
(……いや、ただただ単純にあたしの筋力がないだけ?)
連翹の鎧の一部を受け取ったノーラは大して動きが鈍ったようには見えない。もちろん、重い物を抱えるために体勢を整えていたりはするが、重さで動けなくなる様子はなかった。
これがインドア派と異世界現地人の差だろうか? そのようなことを考えながら、安堵の表情と共に小さく吐息を吐いた。
多少は装備が軽くなったおかげで、途中でぶっ倒れるという事態は避けられそうだ。
そんな様子を見てくすりと微笑んだノーラは、しかしすぐにその表情を不安げなモノにした。
「ところで――レンちゃんの力って、いつ頃戻るんでしょうね」
他の転移者は時間経過で元に戻ってるらしいですけど――と問いかける。
それを聞いて、うーん、と唸った。
「んー……もうしばらく経ったら、じゃないかしら。なんとなーくだけど、じんわりと浸透し始めてる感覚があるのよね」
イメージするのは体中に張り巡らされた血管。そこを伝って、神様パワーがゆっくりと体に伝わっている――実際はどういうプロセスなのかは分からないが、たぶんこんな感じ。
恐らく、ノーラの女神の御手で空っぽになった神様の力が、神様と連翹を繋ぐラインから体に補充されている最中なのだろうと思う。
たぶんとか、恐らくだとか、思うだとか、全くもって具体性がないが、そこら辺は仕方ない。だって、連翹も他の人間も経験のないことなのだから。
サンプルを上げるなら温泉街オルシリュームでノーラを襲った転移者がいるが――それだけで全てを知れるワケではないだろう。サンプルが少なすぎる。
だから、もしかしたら――――このまま、二度と戻らない可能性だって。
「……ッ!」
背筋が凍るのを自覚する。ぴしり、ぴしり、と音を立てて体全体を氷が覆っていく錯覚に囚われる。
自分で決断したことだし、大丈夫だという確信もある。けれど、それでも怖い。
この力が無くなって何も出来なくなることが、そんな自分を皆が見限る可能性が、怖くて怖くて仕方がない。
微かに震える背中に、そっと掌が添えられる。暖かな感触に振り向くと、ノーラは柔らかな笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ――ニールさんやカルナさんだって、きっと大丈夫」
何が、とは言わない。
けれど微笑みながら、なにも不安がる必要などないと微笑んでくれる。
彼女の言葉自体に根拠は存在しない、何の保証にもならない言葉だ。
だけど、なぜだろう――暖かな感触が、微笑みが、凍える不安をかき消していく。
「……うん、そうよね。大丈夫、大丈夫」
大丈夫、大丈夫、と心の中でも呟く。
力が無くなったって、それで全てが終わってしまう関係ではない。少なくとも、連翹が思いつく限りでは、役立たずになった瞬間に掌を返されるような真似はしていない……と、思う。
そう考えると、安心八割、不安二割程度に落ち着いてくれる。
そう、それでも不安が二割くらい、心の底に沈殿する感覚があった。
(……だって、自分が相手にやったことって、忘れちゃうものだから)
人間、どうしたって自分のことは棚に上げてしまうものだ。
あの人はなんて酷いことをするんだろうと言ったり考えたりした癖に、思い返すと自分も似たようなことをやっていたりする。
だから、知らない間に誰かを傷つけ、怒らせているかもしれない。それが現在か、過去かは想像も出来ないけれど。
(時々カルナが『一人のほうが楽だった』みたいなことを言ってるけど――うん、ちょっと分かる)
一人なら、相手がどんなことを考えているのか不安に思ったりはしないで済む。
けれど、一人では寂しすぎる。皆と一緒に居る楽しさを知った今だからこそ、強く強くそう思うのだ。
頬を両手でパンッ、と軽く叩く。
「よ、おぉおし! ちゃっちゃと野営の準備しましょうか! ニールが来る前に終わらせておかないと、『あれだけ時間あったのになにしてたんだこの馬鹿女』とか言われちゃうもの!」
元気一杯に――とはいかず、空元気半分くらいの勢いで叫ぶ。
考えても答えが出ないことは考えない――なんてことは上手く出来ないけれど、それでもうだうだと悩んでばかりでは友人に心配をかけるだけだ。
(ま、ちょっとは見習わないとね)
剣が大好きで、言葉も性格も乱雑な彼を。
しかし、自分の好きなこと、やりたいことに真っ直ぐ向かっている友を。
片桐連翹という少女は彼にはなれないが、その在り方を見習い前に進むことくらいは出来るはずだ――!
◇
――と、意気込んだのはいいのだけれど。
「……て、天幕の部品ってけっこう重いのね」
考えてみれば小中学校の運動会のテント設営だって、基本は男子がやっていた。そりゃそうだ、男女じゃ力が違い過ぎる。連翹のように完全インドア人間であれば尚更だ。
まあ、要するに――天幕の布を固定する柱、これが予想外に重くて既に挫けそう。
「ええっと……代わった方がいいですか?」
焚き火の前で料理しているノーラが、おずおずと提案する。
恐らく、危なっかしくて見てられないんだろう、その気持ちは分かる。連翹自身、ふらふらとして危なっかしいなと思っているのだから。
だが、それでも答えは決まっている。ノーだ。
「いや、あたし料理とかそういう高等な錬金術とか出来ないから。というか焚き火で料理とか現代っ子にはハードル高すぎると思うの……」
包丁なんて家庭科の授業くらいでしか使ったことのない身分でいきなりアウトドア料理とか、もうハードル高すぎて潜るしか選択肢がないではないか。
だから額にびっしりと汗をかきながら天幕を設営するのだ。幸い、ニールと一緒に何度か設営したためにコツは理解している。足りないのはガッツ――もとい、筋力なのだ。
だが、やってやれないことはない。ふんぬっ、と気合を入れながら柱を地面に固定していく。
「なんて言うか……ふう……遊び慣れたゲームを、ニューゲームで、遊んでる、感じが、するわね……」
コツとか効率とかその辺りを理解してからレベル一で再スタート、そんな感覚なのだ。
正直、体力も筋力も全然足りてないから苦労はするのだが、しかしどうすれば良いのか頭と体で理解しているから思ったより簡単に出来る。これがもし異世界転移直後であれば、苦労するどころではなかっただろう。
男女二つ分の天幕の設置を終え、ふうと額の汗を拭う。重労働を終えた二の腕がぷるぷると痙攣して気持ち悪いが、それと同じくらいやりきったという達成感を抱いた。
「さぁて……ノーラ、終わったわよ――ってあれ?」
焚き火の方に視線を向けるが、そこにノーラの姿は存在しなかった。焚火台を設置しているので、料理の準備途中だと思うのだが。
一瞬、女王都で誘拐された時のことを思い出しヒヤリとするが、すぐにとたとたという足音が響く。
「あ、ちょっと待ってくださいねー」
村の井戸を借りていたのだろう。水がたっぷりと入った鍋を持って歩く彼女は、それを焚火台の上に載せると、すぐにカップを取り出し未だ冷たいままの水を注いだ。
「はいどうぞ。お疲れ様です」
「あ、ありがと――」
口に含んだ水は冬の井戸水らしくキンキンに冷えているが、それが今はありがたい。水の冷たさが喉から全身に浸透していくような感覚に、はふう、と緩んだ吐息を漏らす。
「体を動かして暑いからって火から離れすぎないでくださいね。汗が冷えたら一気に寒くなりますよ」
「ん、そうする」
焚き火の前に腰を下ろしながら頷く。神官の奇跡は怪我などには有効だけれど、病気に対してはほとんど効果がないらしい。
(こんなタイミングで風邪引いて倒れましたとか、さすがに足引っ張り過ぎだものね)
そんなことを考えながらノーラの手元を覗く。鍋に干し肉を投入し、沸騰する前にじゃがいも、にんじんといった野菜の皮を向いていく。
普通に食べると塩気が強すぎる干し肉であるが、こうやって煮込めば塩の味が鍋全体に広がっていく――らしい。あれだろうか、スープの元とお肉の合体技とかそんな感じ?
その辺り、連翹はよく分からない。転移前も後も食べる方専門で、最近はそうでもないけれど昔は料理を作って貰えるのが当たり前で。
「今回、村で買い付けできなかったので、これと硬いパンだけになっちゃいますね……」
鍋の中に野菜を投入しながら、ノーラは物足りなさ気な顔で呟く。
やっぱりノーラって食べるの好きだなぁ、と思いながら「仕方ないわよ」と言う。
なにせ、あんな襲撃の後だ。死者こそ略奪を行った現地人しか居なかったものの、壊れ家屋や無理矢理肉にさせられた家畜もいるだろう。
それに何より、今は冬だ。壁や扉を叩き壊されたような家で寝るには辛い季節である以上、家屋を修繕する男手が、そして働いた彼らを労うための食事が必要不可欠だ。
だから、響く足音は野営の準備に来た連合軍の誰かだと思った。
「おぉ、居た居た。あんたらぁが助けてくれた娘っ子でいいんか?」
だが、現れたのは数人の村人であった。その手に複数の食材を抱えながら、朗らかに笑っている。
「え? あ、うん、そう……だけど?」
なんだろうと思いながら立ち上がる。
西部は無法の転移者が多いから、転移者に助けられたことが面白くなくて文句をつけに来たのか――一瞬、そんなことを考えてしまったけど、それでは彼らの表情に説明が付かない。
彼らはノーラの準備する鍋を見て、小さく首を横に振る。
「なんだなんだその貧相な材料は。言ってくれりゃあ、肉なり野菜なり、色々渡したってのに」
「つぅか、今だってそれを持ってきたワケだしな」
そう言って荷物を地面に下ろす。
荷物の中身は、野菜や肉であった。大きな袋の中から肉がごろり、と転がるのを見てほんのちょっとビビってしまう。
「ま、助けられた礼ってやつだぁな。俺らん村じゃあこんなものしか渡せねえけども」
「え――っと、それはありがたいんだけど……大丈夫なの? ほら、村の食事とか……」
おずおずと問いかけた言葉を、村人たちはからりと笑い飛ばした。なんだ、そんなことかとでも言うように。
「若い娘がそんなこと気にするな。というか、そっちの黒髪の娘はさすがに細っこ過ぎる。そんなんじゃ良い子産めねえぞ」
「せっ、セクハラだぁ――!?」
慌てて距離を取る連翹に、言葉の主は「おっと」とバツの悪そうな表情を浮かべた。
「おっと、都会っ子はこういうの嫌うんだっけか? まあ、子云々はともかく、もっと飯食って肉付けないと病気になっぞ。これでも食うか? 連中が雑に解体しちまった肉を腸詰めにしたんよ、これなら今作ってるスープにだって入られれっぞ」
「あはは……どうもありがとうございます」
仲間たちに背中やら脇腹を小突かれつつ腸詰めを手渡す彼に、ノーラは小さく笑いながらそれを受け取った。
「おう。……と、じゃあ俺らはそろそろ戻るとすっか」
「とりあえず村長の家の穴塞いで、今日はそこで雑魚寝だな」
「置いてった野菜やら肉やらは他の人らに分けちまってくれや」
「気を付けてな、嬢さん方」
それを見て満足そうに頷いた村人たちは、別れの言葉と共に駆け足で村へと戻っていく。
その背中を見つめながら、連翹は小さく手を振った。
「うん、分かった――ありがとうね」
正直に言うと、恥ずかしさや困惑が強い。
こんな風に、名前も知らない誰かに感謝されることなんてなくて、お礼の品なんて受け取って良かったのだろうかと今更ながら悩んでしまう。
「大丈夫ですよ、レンちゃんは悪いことしたわけじゃないんですから。どーんと構えていればいいんです」
そんな内心を見透かしたのか、少し冗談めかした口調でノーラは言う。
「転移者だから同じように思われるっていうのは、完全に避けられないかもしれません。けど、レンちゃんはやれることをやって、認めてくれる人が居たんですよ。それが悪いことのはずがないじゃないですか」
「そうなのかな……」
「ええ、そうですっ。……あ、ところで体の具合はどうですか?」
若干、強引に話を変えられたなと思った。
だが、それが一番良いのだろう。このまま先程の話を続けても、建設的な話題になるとは思えない。
「うーん……うん! 戻ったわ!」
ぐっ、と拳を握りしめる。特別筋肉が盛り上がったりするワケではないが、それでも先程までは存在しなかった力強さを感じ取れた。
話に夢中だった時には気づかなかったけれど、体も随分と軽くなっている。
――だからこそ、理解する。
この力に、どれだけ寄りかかり、どれだけ助けられて来たのかを。今、どれだけ楽をしているのかを。
(本当に、現地人から見れば文字通りの意味でのチートよね、これ)
力を失ったのはほんの一時だったというのに、それでも理解出来る。この力が無ければ、きっと転移してすぐに死んでいただろうと。
当然だ。身体能力で劣り、常識も無い、そんな片桐連翹という少女がどうしてモンスターが存在するような世界で生きていけるのか。
だからこそ、この力は必要なモノだったのだろう。
何らかの目的でこの世界に連翹を転移させた創造神にとっても、転移者にとっても。
(あれね。銃が人を殺すんじゃなくて、人が銃を使って人を殺すんだ、みたいな感じ)
転移者のチートは現地人にとって迷惑なモノなのかもしれない。
だが、チートそのものはただの便利な力だ。それだけで誰かを害するのではない。
それに酔って、誰かを害するからこそ迷惑がられる、嫌な奴だと思われる――結局のところ、使い方の問題なのだ。
あらゆる道具、あらゆる技術、全てに善悪などない。あるとすればそれを扱う存在なのだろうと思う。
「おっ、もう天幕貼っちまったのか」
「こっちは助かるけどね。どっちがやったのかな、ノーラさん?」
「いや、ノーラに設営あんまりやらせてねえしなぁ……連翹なんじゃねえか?」
村の方から、こちらに向かって歩いてくる音と話し声が聞こえてくる。聞き慣れた声だ、誰かなど考えるまでもない。
そちらの方向に体を向けて、大きく手を振る。
「あたしよ、あーたーしー、褒めてもいいのよー?」
そんな連翹の仕草を見て、男二人は互いに笑いながらお疲れ様だとかよくやったなと言ってくれる。
ただそれだけが嬉しくて、連翹は表情を溶け出した砂糖菓子のように表情を緩めた。別に褒められるためにやったわけではないのだけど、こういう風に言葉にして貰えると嬉しいものだ。
そんな様子を見て、ニールとカルナが笑う。こんな風に喜ばれるなら、褒めた甲斐もあると。
「ところで体の調子戻ったんなら、とっとと剣引き取ってくれ。これは良い剣だし邪険に扱うつもりはねえが、二振りも腰に吊るすとさすがに重てえんだよ」
ゆっくりと歩きながら、ニールは腰に指した剣を指差す。
片方はニールの剣、霊樹の剣イカロス。
そしてもう一振りは連翹の剣、貪り食らう黄金の鉄塊である。
「ちょっと待って、今行く――」
愛剣を受け取るために立ち上がり、駆け寄ろうとして――ぐらり、と体が傾いた。
左足が鉛のように重くて――いいや、まるで力を失った時程度の力しか発揮できず、転移者の力で走ろうとした連翹についていけないのだ。
あれ? と声を出す間もない。転移者の力で駆け出そうとした連翹の体は、そのまま勢い良く前に投げ出され――
「へぶぅう!?」
――ずじゃあ、と。
顔面から地面に突っ込んだ。
沈黙。
なんというか、反応に困ったらしい沈黙が辺りに満たした。
「……お、おい。どうしたお前、躓くモノなんざ何もなかったろ」
「というか、歩くのに片足出し損ねたみたいなすっ転びだったよ今の……」
「鼻が……鼻が……」
鼻を擦りながら立ち上がり、脚をさする。
だが、既に先程までのような感覚は一切ない。試しに軽く足踏みしてみるものの、なんの問題もなかった。
「なんだろ、片足だけ力が戻りきってなかったのかな」
「理由があるのか単純にお前が間抜けだったのかは知らねえが気をつけろよ。ほれ、剣持ってけ」
「ありがと。……うーん、やっぱり腰に剣吊るすとザ・ファンタジーって感じでテンション上がるわ!」
「ファンタジー云々は分からねえが、剣を持ってテンション上がる気持ちはよく分かるぜ。やっぱ剣はロマンだよな」
ニールの言葉に頷いて親指を立てると、彼はにいと笑い親指を立てる。
そんな様子をカルナとノーラは苦笑しながら、しかしどこか微笑ましそうに見つめるのであった。




