14/ノーラ・ホワイトスター
(……やっぱり、わたしの知らないことばっかりですね)
荷物を降ろして一息つくと、ノーラ・ホワイトスターはふとそう思った。
ニールたちに案内され、借りた宿の一室。そこは酒場の二階だった。
床下から旅の疲れを酒で洗い流す者たちの笑い声が響いて来て、少し落ち着かない。彼女が住んでいたのは教会であり、夜は静かなものだった。もちろん村には酒場はあったが、教会からはだいぶ離れていて、彼女が酒場特有の喧騒を聞くことはなかったのだ。
そう、ノーラ・ホワイトスターは修行中の身ではあるが、神官である。
創造神ディミルゴに祈りを捧げ、力を借りる神聖術――その適正が高かった彼女は幼い頃から教会で祈りを捧げ、生まれ育った村で神聖術による治療を行ってきた。
故に、このような場所まで遠出することは初めてであり、心臓が高揚と不安によって早鐘を打つ。
自分よりも長く神に祈りを捧げている神官たちは教会の無い村などに遠征することはあるようだが、彼女はまだそういった仕事を任されたことはない。そんな自分がこんな大それたことを、と思ってしまう。
(でも、後悔はしていませんから)
ノーラは別に愚かなワケではない。
教会で修行するようになってからの日々、父の如く献身的に自分を世話してくれた司祭の言うことも、事実なのだろうな、とは頭では理解はしている。
神官は神の力を借りることができるとはいえ、神ではない。どうしても取りこぼす命は存在するのだ。
けれど、その取りこぼされる側にそのような理屈を言って、理解してもらえるだろうか? 司祭は否と言い、ノーラもまた否だと思う。
それらの不満が積もれば、教会への悪評、ひいては創造神に対する悪評へと繋がる。それは避けるべきことだ。
ならば、最初から荒事になど首を突っ込むべきではない。全てが終わった後、救いの手を差し伸べるべきである。
それに何より、
(あの連中相手に勝算などない――ですか)
そんな無謀に付き合うのは冒険者だけで十分だ、と。
ああ、分かってる。
ノーラとて、実際見たことはないが転移者がどれほど化け物なのかを知らないワケではないのだ。
それでも、こんな暴挙とも言える行動に出るのは、青い正義感のためである。
可能性が低い――まさに、そうだろう。
だが、可能性が低いからこそ、騎士団は自分たちに助けを求めたのだ。
それを無碍に断るのは、ノーラ・ホワイトスターの中に存在する神官としての誇りが許せなかった。
故に、今回の独断専行は彼女なりに覚悟して行ったことなのだが――
(……助けられてばかり、ですよね)
荷物を置いて、ふと客観的に自分を見ると、酷く空回りしている小娘に見えるのだ。
それが腹立たしくて、それ以上に悲しい。
覚悟を持って行った行動が、結局、現実の見えていない夢見がちな小娘の暴走でしか思えてならない。
溜息を吐きながら、バッグの中をまさぐった。
着替えやお金などといった今夜使いそうなモノをベッドの上に置いた後、枕元に二冊の本を置いた。
一つは医学書。独学で勉強しようとして、半ば挫折している代物だ。
そしてもう一つは大きく、分厚く、そして古めかしい本だ。時間の流れによって表紙は削れ、タイトルが何かは分からない。教会の書庫の奥底にあったそれを、パラパラとめくる。
古めかしい書体で書かれたそれは、勇者リディアの時代前後に書かれたモノだと思う。勇者が魔王に勝利した後、多くの人間が死に知識などが失伝した。文字も、その一つである。
現在使われている文字は、大陸復興の最中に造られたモノなのだそうだ。古語を下敷きにし、簡略化したその文章は分かりやすく、大陸の人間の識字率を大きく上げたそうだが――
「昔の本が読めないのは、ちょっと残念……」
言いながらページをめくって行く。全ては理解できないものの、しかし現代の文字の元となったモノだ。いくつかの単語は拾えるし、要所にある絵で推測はできる。
ゆえに、彼女はそれを勇者リディア・アルストロメリアとその仲間たちの戦いの軌跡であり、その後を綴ったモノであると理解できる。筆者が彼女たちをとても賛美していることも、拾える単語だけでも理解が可能だ。
だが、全てを理解はできないし、細部を誤解している可能性もある。それが、酷く悲しいのだ。
ノーラは教会の知り合いと一緒に写本をしたことがある。あれは根気のいる作業だ。延々と文字を紙に書き込むというのが、あんなにも面倒なことだとは思わなかった。
(写しただけのわたしが、あんなに疲れたのだから)
脳みそを全力で動かしながらペンで文字を書く作業をした筆者は、どれだけ疲れたのだろうか。どれだけの熱意があって、めげずに書ききったのか。そう思うと、文字を書く仕事をしている人は凄いと思うのだ。
だからこそ。
そんな凄い人の作品をどう頑張っても斜め読み以下の読み方でしか読めないことが申し訳ない。いつかきっと、一人前になったら色々な場所を巡り、古語を勉強してこの本を理解したいと思うのだ。
「……まあ、もっとも。こんなに早く外に出ちゃうなんて、自分でも思わなかったわけですけど」
自分の行動を苦笑し、気分が沈んでいく。
本当にこれでよかったのか? もっと良いやりかたがあったのでは? いや――そもそも、外に出たことが完全に間違いで、今日もいつも通り教会で過ごしているべきだったのではないのか?
出口のない思考の迷路に囚われかけた時、コンコン、とドアがノックされた。
「は、はい! 今開けます!」
慌てて返事をすると、両頬を軽く叩く。
どんな事だって弱気で行って成功するはずがない。だったら、前に『空』の一文字が付こうとも元気を出すべきだ。嘘でも笑えば、延々と沈んでいるよりずっと良い明日が掴めるのだと、ノーラは信じているのだから。
沈んだ表情を打ち払って扉を開くと、黒いローブに長い銀髪が印象的な少年、カルナが立っていた。
「や。これから食事に行こうと思うんだけど、どうする? 初旅で疲れてるだろうし、眠いなら寝ちゃった方がいいよ」
「……いえ、ご一緒させて頂きます」
眠気があるのは確かだし、カルナが自分を気遣って言ってくれているのは分かる。
けれど、その扱われ方が子供のようで、ほんの僅かにムッとしてしまう。ノーラ自身、子供っぽい意地みたいだな、と思う。
(けど、意地の一つも張れないなら、こんな無茶はすべきではないですよね)
意地も貼り続ければ真実になる。理想の自分になりたいなら、子供の一歩だろうと真っ直ぐ前に進むしかない。
そんなノーラの内心を知ってか知らずか、「そっか」とカルナは微笑んだ。
心のなかを見透かされたようで、恥ずかしさに頬が赤くなった。
◇
カルナに連れられて酒場に行くと、彼はぐるりと辺りを見渡した。それに習い、ノーラも辺りに視線を向ける。
混沌。
それがノーラが抱いた感想だった。
冒険者たちがビールのジョッキを高らかにぶつけあい、その隣で馬車の御者が顔見知りの同業者と仕事が無事終わったことを祝っている。その近くでは荒事に向いてなさそうな旅行者が旅のテンションでビールのお代わりを高らかに叫び、同じような集団が無茶しすぎたのか盛大に吐き店主に怒鳴られている。
かと思えば酒などを頼まず料理だけを頼みガツガツと獣の如く食らいついている者たちも居るし、全身をすっぽり覆うフードを着た誰かが一人で軽食を食べている姿もある。辺りを見渡す限り料理も豊富そうで、酒場というよりも酒も出せる大衆食堂といったように感じた。
そんな様々な具が入ったシチューのような様相の酒場で、必死に自己主張すべく手を挙げる男がいた。
カルナもそれに気づいたのか、「行こう」とノーラに告げてゆっくりと歩き出す。
挙げられた手の元にたどり着くと、見知った顔があった。逆立った茶の髪に鋭い瞳を持った少年、ニールである。
「よっ」
鋭い瞳が少しだけ怖いものの、今のように手を挙げ、にい、と笑った彼の顔は非常に愛嬌があるとノーラは思う。
(本人に言ったら怒られそうですけどね)
ちょっとした仕草が子供っぽくて、村のガキ大将がそのまま大きくなったみたいだな、と感じるのだ。
「やっ。席取りどーも」
「問題ねぇさ。とりあえず飲み物だけは頼んどいたから、後はそっちで適当に選んでくれや」
カルナが席に座るのを確認し、自分を腰を落とす。
……少しばかり、自分が場違いではないか、などと考えて辺りを見渡してしまう。
辺りを見渡しても男ばかり、少ない女も男顔負けの筋肉を備えていたり、細い体つきでも旅慣れた雰囲気を出していたりする。
「どっしり構えてろって。きょろきょろしてると自分が思ってるより目立っちまうぞ」
「大丈夫だよ。皆、ノーラさんが思っているより他人を見てなんかいないからさ、普通にしてれば案外問題ないから」
椅子に体重を預け、けらけらとニールは言い、
こちらに視線を向け、微笑みながらカルナは言う。
態度も言葉もこんなに違うのに、自分を気遣って言ってくれているのは同じ。
それを嬉しく思うのと、迷惑をかけていると落ち込む気持ちが半々くらい。それらがミルクと紅茶が混ざり合うようにぐるぐると心の中で回っている。
「ありがとうございます。こういうお店に入るの、初めてで」
けれど、彼らは自身の言葉で落ち込む姿を見たいと思ってはいないはず。
だから、嬉しさだけを表面に出して微笑む。これ以上負担にならないように。
(だって、これじゃあ足手まといになるために外に出たようなものですから――)
誰かの助けになりたくて外に出たのに、誰かの助けを受けるなんて本末転倒だ――そう、思うけれど自身が一人で旅を出来るなど思えない。
旅立った直後はその気でいたけれど、もうそんな風に思い上がれない。彼らと接する度に自分の無知さを突きつけられて嫌になる。
「気にしないで……と言ってもムリだろうけど、気は楽にね」
不意にカルナが柔らかく微笑み、言った。
「自分のことを無知だとか無力だって思うことは、前進するために必要なモノだから。気にはしつつ、それでも気を楽にね」
ま、こいつの受け売りだけど、とニールに指を指す。
「俺の時は根暗な男だったのに、お前の時は女の子かよ。そこはかとなく理不尽に思えるのは俺の気のせいかね?」
「そういうとこで理不尽とか感じちゃうから、女の子の影がないんだよ?」
「一撃で相手を去勢する必殺格闘術とか即興で考えたから、練習台になんねぇかカルナ?」
「猛らない猛らない、座って座って。第一、君には剣っていう理想の恋人がいるじゃないか。なのに拳に頼るなんて駄目なんじゃないかな」
「……それもそうだな。悪い、カルナ」
「いいよいいよ」
なにこの会話あたまわるい……という言葉が喉元を通り越して舌先の辺りまで辿り着いていたけれど、なんとか飲み込んでおく。
感性は人それぞれ、それを否定するような物言いはよくない。
(……で、ですよ――ね?)
もっとも、自問自答する程度には疑わしいというか、今すぐにでも「アンタおかしい」的な言葉を可能な限りマイルドにして言いたかったけど、ノーラはなんとか我慢した。自分自身で「えらい!」と褒めてあげたい気分だ。
「お待たせしましたー!」
飲み込み難い言葉を喉の奥へ奥へと押し込んでいると、ウェイトレスが慌ただしくも愛想のよい笑顔でノーラたちの座るテーブルにジョッキを三つ、ドンと置いた。
泡立つ黄金色の液体は、酒場を遠目で見た時に村の男や冒険者が飲んでいたモノだ。名前は確かビールといったか。十歳になった頃、お祝いとして酒を飲んだことはあるものの、こういった嗜好品としての酒を目の前に出されるのは初めてだ。
ニールはテーブルに置かれたジョッキを満面の笑みで掴み取ると、にい、と笑い――
「ノーラの分は俺のおごりだ。さてそんじゃ、新しい出会いに乾ぱ――」
「ていっ!」
その笑顔に、カルナはためらいも容赦もない拳が叩きつけた。
ぶぼお! とかなんとか珍妙な悲鳴を上げながらのけぞるニールだが、握ったジョッキはひっくり返してはいない。ええい、せっかくのおビール様をこぼしてなるものか、という強い意思が感じられた。
「ごふ、げふっ……テメッ、コラ、カルナお前ぇ! いきなり何しやがんだ表でろぉ! てか魔法使いが拳に頼ってるんじゃねぇ!」
「ねえ、ニール。旅慣れてないどころか酒場慣れもしてない子に、男二人で酒飲ませようとしてるのってさ、他人からどう見えると思う?」
カルナがビシッ、とノーラを指さす。
「えっと……わたしが、なにか?」
状況が飲み込めず小首を傾げると、ニールは得心が言ったとばかりに顔を顰めた。何を想像したのか、頬が僅かに赤らんだ。
「あ……あぁー……ワリと洒落にならんよなぁ……狼さん夜のハッスルに向けて下準備の真っ最中って感じで」
「ね。まあ、ビールは僕とニールで消費するとして、ノーラさんにはジュースとかミルクとかそういうのを頼まないと」
(――むっ)
二人が何を言っているかは分からない。が、何かノーラが知らないことを気遣ってくれていること理解できる。
けれど、けれどけれど。
それが『か弱い子供を守る』ための気遣いのように思えて仕方がないのだ。
(わたしは同い年くらいなのに)
だから、カチンと来てしまったのだ。それ自体がとても子供っぽい怒りだと理解しつつも、それを止められない。
それに――子供っぽい意地でも、貼らなければいつまでたっても子供のまま進めないだろう。
「――いいえ、問題ないですよ。ええ、乾杯して料理を頼みましょう」
「いや、でもね、ノーラさん」
「ま、いいんでね? ノーラ自身が大っきな胸張って言ってんだ。後は俺たちが狼にならなきゃいいだけだ」
「……まあ、今回はいいかな。けど、今後そういうことに巻き込まれないように色々教えないと……」
「今後のことは今度でいいだろ。どうせ行き先は一緒だ。馬車の中で駄弁る時間もあるだろうよ」
ってなわけで、と。
ニールはジョッキを掲げた。
その動きにカルナも応じ、ノーラもこぼさないように両手でしっかりと持ちながら宙に掲げる。
「新たな出会いに――乾杯!」
「乾杯」
「え、あっ、か、乾杯!」
ジョッキ同士がぶつかり合う澄んだ音が響くと、ニールとカルナはジョッキの中身を一気に呷る。
凄い勢いだなぁ、と思いながらノーラもジョッキに口を寄せ、子猫がミルクを飲むようにゆっくりと舐め飲む。
(――う)
苦くて、舌がパチパチする。
なんだろう、多くの人が焦るように一気に喉に流し込んでいるのを見て、ゆっくり飲む時間すらも惜しくなる美味しいモノだと思ったのだけれど。
「そんな風に舐め回して美味いモンじゃねぇぞ、それ」
その様を見ていたのか、ニールが苦笑しながら己の空になったジョッキを傾けた。
「これは喉で味わう酒だからな。こう、真夏に外を駆け回って汗だくになった後に飲む水みたいな感じで飲む方がうめぇぞ」
「えっと、こう――」
ぐいっ、とジョッキを傾ける。
苦味の強い金色の液体は喉を撫でるように体の中に吸い込まれていく。
(あっ、本当だ)
舌で転がしていた時には嫌ってくらいに自己主張していた苦味は、こうやって飲めば程よいアクセントとなってくれる。
苦味と液体が泡立つ感触が心地よい感触と共に、乾いた喉を丹念に潤していく。ああ、体を使う仕事をしている人が好む理由がよく分かる。
「可愛い顔してけっこういける口だな、ノーラ。よっしゃ、ガンガン飲もうぜ! 次の酒は自分で頼んでもらうが、ツマミは分けてやるから……すんませーん! ビール一つとフライドポテト、あと焼き鳥の盛り合わせでー!」
「あ、僕もビール一つ。あとは――あ、ペペロンチーノなんかあるんだ、ここ。それじゃそれお願いしまーす」
ノーラが一杯のビールと格闘している間に、二人はすでに飲み終えてお代わりまで注文していた。
(なんという早さ。きっとこの二人は酒場のプロフェッショナルに違いありません……!)
……あれ。けど、酒場のプロフェッショナルって、それただの酒飲みでは? などと考えながら、壁に貼られたメニューに視線を向ける。
こういう店に慣れていない自分には分からない名前も多いが、知っている名前の食べ物は軒並み油っこそうだったり味が濃そうだったりするものばかりだ。
冒険者や馬車の御者などが主な客層のため、味が濃いモノが好まれるのだろう。それに、たぶん今喉を通過しているお酒はそういったモノと相性がいいのだろうと思う。
「冷奴――日向の豆腐ってのがあんまり味濃くなくてお酒にも合うよ」
でもさすがにそればっかりは、と思った所でカルナが教えてくれた。
「えっと、それじゃあそれをお願いします」
カルナ、ウェイトレスの順に頭を下げてから言うと、ウェイトレスは微笑みながらも慌ただしく厨房にオーダーを伝えていく。
この人数を捌くのは大変だろうな、と思いながら半ばまでに減ったビールを傾ける。苦味の強い旨みを感じていると、思考が少しずつふわふわとしてくる。
(これが酔うってことなんでしょうか)
眠くは無いのに寝起き直後のように思考が鈍化している。普段と全く違う場所に居るということもあって、夢の中でまどろんでいる気分だ。
(ううん、違う)
ノーラが一人で女王都に向かったのも現実だし、旅に不慣れな自身の手助けをしてくれた二人も夢の登場人物などでは断じてない。
それを夢なんて言葉で汚すのは失礼だ。救ってくれた二人にはもちろん、一世一代の覚悟を決めた過去の自分にも。
だから、もっともっと知らなくてはならない。先のことを、自身がやれること、やるべきことを。
過去の己を今の怠惰で汚させやしない。
「ところで、女王都ってどんなところなんですか? わたし、住んでた村とその近くにしか足を運んだことがなくて」
「広くて頑丈そう。最初に抱く印象はコレだな」
空になったジョッキを名残惜しそうに傾けながら、二ールは言った。
「頑丈な砦を改築したのが始まりだかんな。新しく建つ建物も元々あった建造物の雰囲気に合わせてっから、女王の都って名前のワリに町並みはだいぶ無骨だな……おっ、来た来た」
「最近は街路樹や花壇なんかも増えて、建国当事よりはマシになったらしいけどね。でも、魔王誕生以前にあったっていう国のお城――その絵画なんかを見ると、華やかさは足りてないかなぁ……うん、ビールは最初が一番おいしいけど、それ以降だって十分おいしいよねぇ」
「だよなー。どうせ明日も倉庫の荷物みたくぎゅう詰めだ、今夜はしっかり英気を養っとこうぜ!」
「だね! ああ……乾いた体にアルコールが染み渡っていく感覚、幸せだよね……本当に」
語りながら新たに出されたビールを握り、喜色満面の二人。
村の酒場に入り浸っている中年男性のようなノリだなぁ、と内心で二人の心を抉りそうなことを考え頷いている間に、ウェイトレスがおかわりのビールと共に出来上がった料理を流れるような動作で並べられていく。
一つは串に刺さった鶏肉、焼き鳥だ。塩コショウで味付けされたそれは、シンプルでありながら肉の旨みを引き出す料理なのだと分かる。
その隣に置かれたのは小さなサイズに切った芋を油で揚げ塩で味付けしたモノ、確かフライドポテトだったか。焼き鳥以上にシンプルな料理ではあるが、カリカリに焼けた表面に軽く塩をまぶしたそれは熱々――そう、熱々!――で、とても美味しそうだ。
「んじゃ、お先に!」
その言葉を言い終える前にニールは手を伸ばす。狙いは焼き鳥だ。
一口サイズに切り分けられたお肉を突き刺した串。それをむんずと掴み、「ええい、一個ずつとかまどろっこしいことなんてできるか!」とばかりに半ばまで口に突っ込んだ。咀嚼しながら勢いよく引き抜いた串にはもはや肉は無い。
神官の同期と食べる食事風景には全く見られない荒々しい動作に、思わず凝視してしまう。
「ん……? むぐ……んっ」
その視線を怪訝そうに見たニールだったが、すぐさま「ああ!」と言うように頷き、焼き鳥を一本ノーラに手渡した。どうやら、食べたいのだと勘違いされたらしい。
「ええっと……いただきます」
そ、そんなに物欲しそうな顔をしていたでしょうか……? と問いただしたいのをぐっとこらえ、焼き鳥を受け取った。
程よく焼けた鳥肉の香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、見知らぬ場所にいるという緊張で忘れかけていた空腹が「くうう……」という自己主張と共に復活した。受け取った姿勢のまま、固まる。
「そんないい音が鳴ったんだ、腹減ってるんだろ? 遠慮すんな、ちゃっちゃと食っちまえ食っちまえ」
喧騒にかき消されて欲しいという願いは、ニールの言葉で粉砕された。かあっ、頬が燃えるのを実感する。
ああ、色々気遣ってくれてるのはありがたいけれど、どうせ気遣うならこういう所を気遣って欲しかったなぁ! と強く思う。
先程からニールとノーラの様子を伺っていたカルナは、ニールに「君って奴は……」と呆れた視線を向けている。それもまた、彼にもしっかりと腹の虫の自己主張を聞かれていた証明であり、ノーラの頬は更に赤らんでしまう。
「……じゃあ、お言葉に甘えてっ!」
半ばやけくそ気味に叫んで串を頬張る。
お腹が鳴ってすぐ食べるのは、「わたしはさっきからお腹が空いて空いて仕方がありませんでした」と宣言しているようで、少し……いいや、かなり恥ずかしい。
けれど、けれどけれどお腹が空いているのは事実なのだ。ここで我慢したところで、第二第三の腹の虫が現れ、自分を羞恥のどん底に突き落とすに決っているのだから……!
(……あ)
口の中にじんわりと肉の味が広がっていく。
これは股の肉だろうか。決して良い肉ではないだろうとは思うけれど、しっかり下ごしらえをしてあるのか固くて噛みちぎれないなんてことはない。強く噛みしめれば、塩コショウで味付けされた肉の香ばしい味と香りが口内を満たしていく。
――美味しい。
別に、教会に住んでいたから質素な食生活をしていた――というワケではない。時々同じ神官見習いの子たちと村の料理屋に足を運んだり、教会の厨房を使って材料を持ち寄ってお菓子を焼いたりはしていた。
けれど、ノーラの知り合いに男性は少なく、また知り合いの女性たちと一緒に酒場に行く機会など無かった。
当然だ。
女性同士で集まって――しかも全員見習いとはいえ神官である――酒場に行って酒かっくらって焼き鳥を食むなどあり得るはずもない。
(……ああ)
酒場のカウンター席に座り酒を飲む大工のおじさんや村の自警団の青年たちの気持ちがよく分かる。油っぽいモノを特別好きだと思ったことはなかったけれど、相性が抜群に良いのだ。
それはきっと野菜がたっぷり入ったあっつあつのシチューと、カリカリに焼けたパンの相性の良さと同じ。単品でも美味しいけれど、共に食すと別次元の味わいを与えてくれる。
「……おいカルナ、こいつ酒飲みの素質ありまくりだぞ。見ろよ、この幸せそうにトロけた顔」
「あー……女将さんだってタコに日向のワサビって調味料で味付けした料理で延々と酒飲んでたりするから、女の人でもそういうのは珍しくないんじゃないかなぁ」
「油断してると金砕しに来やがる女将さんと、小動物っぽかったノーラを一緒にすんのはいかがなもんよ。性別が同じなだけで別の生きモンだろアレ」
「女将さんの前でそういうこと言うんじゃないよ。いいか、絶対だからね!」
見知らぬ誰かと自分が比較されているような気がするが、まあいいですよねー、とジョッキに残った黄金色の液体を喉に潜らせた。
カルナはその様子を見て、「まあ、いいけどさ――僕に飛び火はしないだろうし」と小声で呟き、ペペロンチーノをフォークに絡め口に運ぶ。
パスタとビールという組み合わせに、一瞬だけ首を傾げる。けれど、油が多めに使われニンニクを用いられるペペロンチーノとは非常によく合いそうだ。だって油とビールは友達なのだから。
あまり量を食べられないので今回は無理だが、次回お酒を飲む機会があれば試してみよう。
そう思いながらノーラは自分が頼んだ冷奴にスプーンを突き立てた。
刺した振動でぷるりと揺れるそれはプリンにも似ているな、と思ったが実体は全くの別物だろう。醤油というソースがカラメルに似ているような気がしないでもないけれど、匂いからして全くの別モノだと理解できる。
上に載ったネギとショウガを少量、一緒にスプーンの中に収め口に運ぶ。
柔らかな食感。舌に軽く力を入れるだけでゆるゆると崩れていく。
それを噛みしめると、一緒に口に含んだネギのシャキシャキとした感触が伝わる。
ああ――美味しい。
豆腐単品にはそこまで味はない。もっと高いモノだったり出来たてのモノだったりすれば違うのかもしれないが、ノーラが食したそれはそのどちらでもないのだ。
しかし、その白い姿とは対照的な黒い醤油、そして頂点に僅かに載せられたネギとショウガ。それらが互いに良さを引き出し、美味へと昇華させている。
そして何より、先程食べた焼き鳥で油っぽくなった口内を柔らかくほぐしてくれるのだ。
「けどま――依頼の関係上、女王都に行っても冒険者と関わる機会は多いだろうし、飲めるに越したことはねえよな」
「お酒は口を頭も緩くするからねー、互いに飲んでると話も弾むから。……一人素面だと応対にすごく疲れるんだよなぁ、うん」
「なんか、すごく実感のこもった言葉ですね、カルナさん」
「コイツ冒険者に成り立ての頃は飲まなかったからな。俺やヌイーオたち……おっと、冒険者仲間たちだな、そいつらがガバガバ飲んでる横で一人仏頂面で水飲んでやがったんだ」
「酔っ払いとか馬鹿にしてたからね。……や、酔っ払いが馬鹿なのは間違っちゃいないと思うけど、馬鹿と接するなら自分も馬鹿になったほうが楽だし、何より楽しいから」
昔の僕が今の僕を見たらどう思うんだろうな、と。
かつての自分を思い出し僅かに苦笑したカルナは、ゆっくりとジョッキを傾けた。
「大丈夫ですよ。昔のカルナさんのことは知りませんけど……踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損――でしたっけ? そんな歌を歌いながら踊る文化が日向の国にあるらしいですし、間違ったことはしてないと思いますよ」
他人を遠目に見て馬鹿だ阿呆だ愚かだと笑うことは、それこそ愚者でも出来る。
だから、ノーラは悪行でもない限り見る愚者ではなく、行う方の愚者でありたいと思うのだ。結果、失敗はあるだろうが、やる前から嫌うのは勿体ないではないか。




