165/相応しい自分に――
――未だ物語を体験しているような気分だったのかもしれない。
この世界に来た時にはそれが顕著だったけれど、最近はこの世界が現実であり、近くに居る誰かも人間だという当たり前のことを理解していた。その、つもりだった。
けれど、どこかで舐めていたのかもしれない。
戦いを、争いを、現実を。
――そこは、どれだけオブラートに包んでも地獄絵図としか言えないし、思えなかった。
風に乗って漂ってくる血の臭いに、連翹は口元を手で抑えながら辺りを見渡す。
辺りに散らばる血痕に、砕かれた柵や家屋。巨人に踏み荒らされたような有様の村の外周付近には、逃げ出そうとしたらしい人間の焼け焦げた死体が乱雑に折り重なっている。
けれど、地獄の中にも人間が存在するように、この小さな農村にはまだ生きている人間が居た。
村の中心部。平時は村人同士の談笑の場であり、祭りの日にはささやかな催し物が行われるであろうそこに怪我人が集められ、外傷の無い村人たちが必死に治療している。
「神官だ! 早く!」
忘我する連翹をそのままに、アレックスの叫びが村に、連合軍の皆へと響く。既にマリアンと他の神官たちも動き始めており、それを確認した騎士たちは篭手を外しながら魔法使いに水の生成を要請している。
連合軍の皆が治癒のために駆け回るが――素人の連翹から見ても分かる。遅かったのだと。大多数は既に手遅れであろうと。
村人たちが治療を始めたのが早かったのか、死んでいるのは外周で焼け焦げた者と、体を両断された戦士らしき者くらいだ。非戦闘員は、不幸中の幸いにもまだ死んでいない。
そう、まだ。
だが、いずれ死ぬ。
「うっ……」
その事実に、頭が、脳が、思考が、ぐらりと揺さぶられる感覚があった。
「レンちゃん……!」
「ノーラ、今は放っとけ! 治癒を最優先にしねえと死人が出る! ……連翹! 落ち着いたらでいい、そん時に出来ることをやれ!」
「それが良いだろうね――ファルコン君、すまないが周囲の警戒を頼む」
「分かった、敵が出なかったとしても、後でサボってたとか言わねえでくれよ!」
皆の言葉に、とりあえず頷く。全てを理解できずとも、やれることをやれという単純な言葉くらいは理解できた。
荒くなる呼吸と、暴れまわる心臓。それらを抱えたまま、ゆっくりと辺りを見渡す。
そこにあるのはやはり地獄絵図。傷ついた男に泣く子供、暴行されたのかされる前だったのか大きく破れ肌を晒した女性たちの姿があった。
――こういう場面を想像していなかったワケではない。
剣と魔法の世界とは、どれだけ幻想で包んでも刃や魔法で争い死をもたらすモノだ。そこから目を背けていたワケでも、自分の周りでだけはそんなことが起こらないなどと都合の良い空想に浸っていたワケでもない。
自分だって相手を殺したし、温泉街オルシリュームではおびただしい量の血溜まりも見た。森林国家オルシジームでも、傷つき、倒れた人を見なかったワケではない。
けれど、こんな風に理不尽に殺され、奪われ、嬲られた姿を己の目で見たのは初めてのことだった。
(あたしが見てなかっただけで、今までの道中にも、こんな光景はあったのかもしれないけど――)
けど、直視はしていなかった――目を逸し、それで安堵していたのだ。
オルシリュームのおびただしい量の血溜まりを見れば、きっと死体もどこかにあるのだろうと想像くらいはしていたし、オルシジームだって今の彼らのように奪われた人は居るだろうとも思っていた。
だが、前者は死体を直視していなかったし、後者は都市全体の機能はほとんど生きていたため、案外大丈夫だと安堵した。
極論、自分たちが頑張れば大体のことはなんとかなる――無意識にそんな風に考えていたのだ。交易都市ブバルディアを守りきった事実も、そんな空想を連翹に信じ込ませていたのかもしれない。
そう、空想。ただの空想だ。
どれだけ頑張ったつもりでも、なんともならないことがある。そんな、当たり前のことをようやく思い出した。
「う――な、何か……」
何か出来ないか。
何か、特別なことが出来ないのか。
だって自分は転移者だ、こういう時に一発、なにか逆転出来るような手段がないのか。
そう考えても、導き出される答えは否だ。転移者は強く、頑丈で、一人であろうと戦い続けられる強力な存在ではある。
だが、転移者の理不尽は己の身で完結した能力だ。
己の敵を打ち倒し、己の体を蝕むモノを退けることは出来るが、他人の命を救う手段は無い。神官が奇跡を扱うための力を、理不尽という形に変換し己の体を強化しているのが転移者なのだ。そのため、傷ついた誰かを癒やすことなど、どうしたって転移者には出来ない。
(――そりゃそうよ。だってこの力は、他者の交流を否定し、己だけが最強でありたいという願い。誰しもが多かれ少なかれ抱く量産品めいた願望なんだから)
ふと、心の中から声が聞こえてきた。
それは連翹自身の声。無様におろおろと辺りを見渡す自分自身を小馬鹿にするような囁きであった。
(良いじゃない、死にかけてるのは別に知り合いでもなんでもないんだから。確かに気分は悪いし、今日はごはんをあまり食べられないかもしれない。けど、数日もすればいつも通りよ)
だから、そんなに慌てる必要などないと。
どうせ見ず知らずの他人だ、見捨てたって精神的ダメージは軽微だろう。
それに、どうせこの場で片桐連翹という少女は何も出来ない。
だから――自分は、悪くない。
そんな、どろりとした甘い言葉が心の中に染み入っていく。当然だ、その言葉は連翹から産まれ出たモノ。しっくりと来るのも当然だ。
「……けど、嫌だな」
ぽつり、と独り言。
言葉にしないと、胸の中から湧き出る心地よい言葉に飲み込まれ、無くなってしまいそうだったから。だから、言葉にして、形にする。
連翹は別に聖人君子などではない。地球に居たころだって、見ず知らずの人が災害に巻き込まれたニュースを見ながらも平気でご飯を食べていたし、サイレンを鳴らし救急車が走る姿を見ても怪我人や病人を心配する気持ちなど皆無だった。
今だってそう。
確かに驚いたし、この情景に思う所はあるけれど、その気になれば見て見ぬふりは簡単に出来るはずだ。
知らない人だしと言い訳してもいいし、しょせんは田舎のモブと切り捨てても構わない。そうやって記憶の片隅に押し込んでしまえば、いずれはこんな光景を忘れるだろう。
でも――それでも。
辺りを見渡す。
連合軍の皆は、既に村人たちの治療やその手助けを行っていた。
マリアンたちが必死に治癒の奇跡を使い、アレックスたちが止血などの応急処置を手早く行っている。応急処置の心得がない者たちも馬車から綺麗な布を運び、水を沸騰させ消毒している。
友人も、知り合いも、顔見知りの人たちも、皆、皆頑張っている。
だから、自分も何かをしたいと思うのだ。
だってニールたちはもちろん、騎士のアレックスたちや神官のマリアンたち、兵士のブライアンたちや冒険者のファルコンたち――仲の良い皆に相応しい片桐連翹でありたいから。
だから、何かをしたい。
何が出来るかは分からないけれど、それでも。
(そっか――なラヴァ、好きニすゥるト良いィ。なンじの想イに喝采を)
瞬間、心から響く声が変質した。
ボイスチェンジャーをデタラメに操作したように、連翹の声から男、女、獣の唸り声めいた声と変化していくそれは、最終的に男の声で固定された。どこか尊大で、けれど慈愛に満ちているような、そんな声音だ。
(前を向き、己の想うまま正しいと信じることを成せばいい――覆す力は既に汝の手の中にある)
そうして、胸から響く声は聞こえなくなった。
あれがなんだったのか、幻聴なのか、それとも魔法か何かによる精神攻撃なのか。
分からない、分からない、分からないけれど、少しだけ分かったことがある。
(皆と並び立ちたい、皆に相応しい自分になりたい――そんなあたしの言葉を、あの声は喜んだ。そして、こうも。覆す力は、あたしの手にあるって)
力、力――片桐連翹という少女が持つ力。
それは、結局のところ二つがせいぜいだろう。一つは転移者の力、そして最近頑張って練習している剣術という力。
だが、後者は現状で活かすことは不可能。なら、恐らく転移者の力こそがこの場を覆す切り札になるのだろうと思うが、どのスキルにも傷を癒やす力など――
「――あっ」
そこに至って、ようやく気づけた。
大勢の怪我人を一気に治療する、その手段を。
「ああ、そっか――そもそも、一人でどうにかしようなんて考えが間違ってた!」
駆け出しながら己の間抜けさを毒づく。本来、もっと早く気がつくべきことだったのに。
だが、そんな風に自身を罵倒するのは後回しだ。今は何よりも先に――ノーラを探さなくてはならない。
「居た! ノーラ!」
彼女は幸い、すぐに見つかった。神官たちと共に居る彼女は、比較的軽症な者に治癒の奇跡を施していた。
転がるように駆け寄った連翹は、困惑した表情を向けるノーラに叫んだ。
「女神の御手! あれを使って! あれなら、ここに居る皆を一気に治癒できるでしょ!?」
「え――で、でも、ここに来たっていう転移者は、もうこの村には……」
ノーラもこの状況に焦っているのか、それとも女神の御手を敵対者に対し使うモノと思い込んでいるのか、間の抜けた返答をする。
どちらにしろ、仕方がない。前者は連翹だって他人のことをとやかく言えないし、後者はそもそも現地人どころか転移者だって慣れていない力なのだ。時間をかけて机上の空論を並べ立てるのならまだしも、今この場で役立つ形で実践するのは難しい。
困惑気味に、しかし早く怪我人の治癒に戻りたいと言いたげな彼女の右手を、右手の篭手を強く握り締める。
「あたしがいるじゃない! あたしも転移者なんだから! ちゃんとその力は使えるはずよ!」
あ、とノーラの唇から驚きと納得の声が漏れる。
転移者のチートを吸って奇跡を強化する力、それが女神の御手だ。
ならば当然、連翹に対してそれを使っても奇跡は強化される。
そんな当たり前の事実に気づいていなかったのは、味方に対し使う機会が無かったことと、敵対者には何度も使っていたため。そのため、無意識に敵の力を吸って奇跡を強化するモノだと思いこんでしまったのだろう。
「けどレンちゃん、これを使うと――」
転移者の力の源、チートを吸引するということは、吸われた転移者は一時的にただの人間に戻るということ。
(――ああ、たしかに、怖いな)
力が完全になくなるワケではないし、時間が経てば元に戻るのは分かっている。
だが、それでも頼ってきた力が一時的にでも消失するのは怖い。
怖い、けれど。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、早くやっちゃって!」
今、この場で連翹が行える最善は、きっとこれしかない。少なくとも、連翹自身はこれしか思い浮かばない。
ならば、それをやるべきだ。
他人とはいえ、目の前で死にかけている人を見殺しにするのは気分が悪いし、少しくらい皆に相応しい自分でありたいと思うから。
ノーラは連翹の顔をしばし見つめた後、力強く頷いた。
「分かりました。行きますよ、レンちゃん。創造神ディミルゴに請い願う――――」
ノーラが祈りを捧げると、右腕から何かが吸い出されていく感覚に苛まれた。それを知覚した瞬間、全身がずしりと重くなる。
胸や肩を守る金属鎧や、腰に吊るした長剣が耐え難い重量になっていく。まるで重力が倍加し、地面が磁石か何かになったかのようだ。
――いや、違う。
――重さはそのまま、環境もそのまま。
体も、セーラー服と掛け合わせた鎧も、剣も、何一つ変化はしていない。
変わったのは連翹自身だ。チートを吸われ、転移者から普通の少女に戻ったがゆえに、金属装備の重みに耐えられないのだ。
なんて貧相な体――その事実を理解すると、全身に凍えた恐怖が走った。
今まで自分を守ってくれていた頑丈で暖かな外殻が砕け、消えていくような感覚。それに、思わず繋いだノーラの手を振り払ってしまいそうになる。
これは自分のモノだ、持っていくんじゃない――自分から力を持って行けと言ったのに、そんな思考が真っ先に頭の中に浮かぶ。浮かんでしまう。
きっと、それが片桐連翹という少女の身の程。
この期に及んで己の身だけを案じる、小心で自己中心的な存在なのだろう。
「……ッ」
けれど、歯を食いしばって耐える。
怖くて逃げ出したいとは思うけれど、それでもここで逃げ出したら、今後皆に顔向けできない。
確かに小心で、自己中心的なのが片桐連翹なのかもしれない。しれないが、そうだと頷きたくはかった。そんな身の程、認めたくはない。
(身の程を知って、それが気に入らないなら乗り越えろ――よね)
ああそうだ、気に入らない。こんな自分、連翹は気に入ってはいないのだ。
だからこそ、踏み出してみせよう。他人から見れば『本来は無かった力を一時的に手放すだけだろう、なにをそんなに葛藤しているのか』と思われるだろうけれど。
それでも、これは大きな一歩になるはずだから――!
「――――失われ行く命を守る力を、癒しの奇跡を!」
祈りの言葉と共に、辺りに光が満ちた。
視界を埋め尽くす程だというのに、なぜだか眩しさの感じない白い光。それが、ゆっくりと体を撫でていく。
「あれ……?」
「なんだ、もう、痛くない……?」
暖かな光の中から響くのは怪我人の困惑の声だ。
突然の完治に驚き戸惑っているのだろうか、歓喜の声はない。けれど、痛みに苦しみ、呻く音も無くなっていた。
その事実に連翹は体の力を抜き――どさり、と地面に倒れ伏した。
「れ、レンちゃん!? 大丈夫ですか、どこか体の具合が悪くなったとか……!?」
「あ、ああ、大丈夫よ大丈夫――うん、ちょっと装備が重くて座ってるのが辛いだけ」
特に剣だ。転移者の腕力でも簡単にへし折れないように作られた長剣は、見た目通りの筋力になった連翹には重すぎる。
ニールの防具の大部分が革なのも理解できるというもの。当たり前ではあるのだが、金属って凄く重い。
「んあ?」
騎士たちってどうして全身鎧であんなに華麗に動けているんだろう――そんなことを考える連翹の眼前に、誰かのつま先が現れた。
誰だろうと思う間もなく両脇を捕まれ、そのまま一気に持ち上げられる。
驚きながらその人物の顔を見ると、見知った男、ニールの呆れ顔があった。
「見えてたぞ。体が重いのかもしれねえが、地面に横たわんな。死体と判別が出来ねえだろ」
「そうは言っても――あ、ちょ!?」
片手で体重を支えながら連翹のベルトを弄り始めるニールに、思わず焦り声が出る。この男、こっちが上手く動けないことをいいことに、スカートとか脱がしに掛かってるんじゃないのか――と。
そんな失礼半分、普段の行いからの予想半分の思考を裏切り、ニールがベルトから外したのは連翹の剣であった。
「重てえだろ、預かっといてやる。胸当てくらいは後で自分で外せよ」
「え、あ、う、うん。ありがと」
想像した行動とは真逆の親切っぷりに狼狽してしまう。
なんだこいつは、あたしの知ってる脳剣剣士野郎をどこにやった――!?
そんな考えが顔に出ていたのか、ニールがむっ、と顔を顰めた。
「なんだよその面は。俺だってちゃんと頑張った奴は茶化さず労うっての」
はあ、と。
大きなため息を吐いたニールは、連翹の頭に乱雑に手を置いた。
「――ま、ともかく、よくやったな連翹。後は俺らに任せとけ」
わしゃり、と頭を撫でられる。
力加減はなっていないし、髪は乱れるし、力を失っているためけっこう痛い。
正直、普段なら脇腹あたりに拳でも叩き込んでやりたくなる行動だったが――
「……うん」
――今は、少しだけ心地くて、嬉しくて。
子供のように明るく、ニールに向けて微笑むのだった。




