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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
無限の勇者
165/288

162/出立の時


 見上げる。

 街壁を、ブバルディアという街を、己の故郷を。

 鍛錬を続けるには時間が足りず、しかし街に入らぬと決めた以上は遊びこともできない。残る選択肢は、荷物から暇つぶし用の本でも読むことくらいか。

 だが、なぜだかそういう気分にはなれず――集合場所近くでぼうと呆けるように街を見ているのだ。

 

(郷愁、か)


 そういうモノには無縁だと思っていたのだが、いざ近くに来て見知った人と会話をしたら、懐かしさが胸から溢れ出てくる。


「はっ――爺くせえったらねえな」


 過去を想い、懐かしむのは年寄りの仕事だ。

 ふう、と小さくため息を吐いて視線を下ろす。すると、誰かがこちらに近づいてきていることに気付いた。

 その男は白髪の美丈夫である。細身ながらも全体にしっかりと筋肉がついた体は、彼が一流の戦士であることの証明だ。身に纏うのは革を基調とし木材――恐らく霊樹だろう――で補強した鎧であり、腰に挿すのは霊樹の剣。

 ノエル・アカヅメ――エルフの剣士である。

 

「早いな。ニール・グラジオラス」


 ――年寄り云々と考えていたら年寄りが近寄ってきたでござるの巻。

 そんな、連翹が言いそうな言葉が頭を過ぎった。

 別に、彼が老人というワケではない。見た目はおおよそ三十代の後半から四十代の前半くらい――エルフなら三百歳後半から少し上、程度だろう。壮年ではあろうが、老人と言う程に年老いてはいない。

 だが、なぜだろう――雰囲気が爺臭いというか。

 エルフは人間などよりも寿命が長いため、見た目よりもずっと経験豊富であるためそう見えるのかもしれない。

 

「……なんだ、返事くらいしたらどうだ」

「ああ、いや悪いぼうっとしてた。……けど、ノエルこそどうしたんだよ。俺はワケあって街で時間潰せねえからここに居るだけだが、あんたはそうでもねえだろ」

「人の街はあまり馴染めないようでな。興味深くはあるのだが」


 窮屈で騒々しすぎる、と。

 確かに、オルシジームもアースリュームも活気に満ちてはいたが、街全体の人口密度という意味ではブバルディアを下回っていた。

 アースリュームであれば装飾通り、オルシジームであれば商業塔と、人やドワーフ、エルフでごった返す場所は存在する。けれど、それはあくまで人が集まる場所だからだ。


「地底にはどのエルフよりも早く慣れたという自負があるのだが――私ももう老人のようだ、若いエルフたちのように適応できん」

「何言ってんだ、見た目人間換算ならまだ三十代だろ……うん。若人とか言ったら歳考えろよって言ってやるが、まだ老人って程じゃねえよ……うん」


 若干自信なさ気なのは、先程考えていたことは全力で棚上げしてるからだ。

 そう、言葉にしていないのだからセーフだ、セーフ――そう思っているのに悪いことをしているように感じてしまうのはなぜだろう……?

 そんなニールを怪訝そうな顔で見つめていたノエルは、懐かしむように頬を緩めた。


「私は若い頃、一向にドワーフと馴染まん大人たちを『時代に適応出来ぬ老人め』と罵っていたからな。自分が同じモノになった時に、その言葉を翻すワケにもいくまい」


 そう言って苦笑する彼の顔は、普段よりも若干若々しく見えた。

 過去を振り返り、若かりし頃の己を思い返しているのだろうか。


「つーか、ノエル。あんたそんなにドワーフと仲が良いのか?」


 ふと、疑問を抱き問いかける。

 彼の言動からドワーフと親しそうに思えるが、そのワリにドワーフと一緒に居る姿を見ないのだ。

 自分が知らない場所で交流を深めているのだろうか?


「昔は、な。エルフの戦士として最前線で戦った以上、同盟していたドワーフの戦士と出会う機会も多かった。今はエルフの戦士の教導ばかりで、彼らと交流を深めることは少ない」


 そんな想像を、ノエルは首を左右に振って否定する。

 

「かつては多くの友人が居たのだがな――今となっては、私などよりドワーフと親しい者は多い。そういう意味でも、歳を食ったなと思う」

「古い戦友ってワケか。……つーか、エルフとドワーフの連合ってどんな感じに魔族と戦ってたんだ? 人間こっち側じゃほとんど分からねえんだよ」


 人間から見たエルフやドワーフは未知な部分が多い。

 互いに交流を禁じているワケではないものの、エルフとドワーフはその二種族で外交を完結させているため、人間が入り込む隙間がないのだ。

 ゆえに、交流も個人が主となり、中々情報が伝わってこない。アースリュームやオルシジームで生活した経験を本にする者も居なくはないのだが、それ以上にデタラメを書いた本で荒稼ぎしようという者が出てきて正しい情報を得るのを難しくしている。

 

(わざわざ記録に残す冒険者は少ねえしな。古い話なら、なおさらだ)


 現代すらもあやふやだというのに、大昔――魔王大戦時代の戦闘についてなど、分かるはずもない。

 そんなことを伝えると、ノエルはあからさまに顔を顰めた。


「人間は欲深いな。それが発展に繋がっているのかもしれないが……しかし、どのように戦っていたか、か」


 ふむ、と。

 当時を思い返すように遠くを見つめながら、ノエルは語りだした。


「戦場によって差はあるが――多くの場合はドワーフが先行し敵を叩き、守られたエルフが魔法で薙ぎ払うというものだった。私たちエルフの戦士は、遊撃か魔法使いの防衛が主だ」

「んで、ノエルは遊撃担当だったってワケか」


 ドワーフに魔法使いはほとんど存在しない以上、防衛のエルフの戦士が守るのは同族となる。それでは戦場でドワーフと交流することも少ないだろう。

 彼らと交流が多いという言葉が真実であれば、必然的に遊撃になるだろう。


「ああ。ドワーフが受け止めた敵に回り込み、急所を穿つのが我々の仕事であり――だからこそ、諍いも絶えなかった」


 諍い? そう思うがすぐに納得する。

 ドワーフの戦士からすれば、『自分たちが危険を冒して敵に立ち向かう中、安全な場所で手柄を掠め取っていく奴』ということになるのだろう。

 無論、全てのドワーフがそう思っているワケではないはずだ。そういう作戦が取られている以上、エルフもドワーフも相談して決めているだろう。

 だが、全ての戦士がそれに納得しているワケではないだろうし、納得していても長い戦いで精神が疲弊すれば文句の一つや二つ、口からこぼれ落ちる。


「私も戦士として誇りを持って戦っていたからな――囃し立てたドワーフを二、三人と叩き伏せてやったよ」

「……真っ向からドワーフに勝てるもんなんだな。ああ、いや、別に下に見てるとかそんなんじゃねえんだが」

「分かっている。私はドワーフよりも背丈が高く四肢が長いからな。互いに武器を使わぬ条件下であれば、一方的に殴るのは難しくはなかったさ」


 ほんの少し得意気なように見えるのは、かつての自分と今の自分を重ね合わせているからだろうか。未だ少年や青年と呼ばれていた時代のノエルが「どうやら貴様らは先程罵倒したエルフ以下らしいな」と言っている姿を幻視さえする。

 それは荒々しく、粗雑で――けれども、かつての戦士たちにとって大事な交流でもあったのだろうなと思う。

 仲間同士でも決闘や喧嘩。それらには良いイメージはなく、実際あまり良いことではない。

 けれど、そのような荒っぽいぶつかり合いも、戦士同士のコミュニケーションの一つなのだ。

 互いの腕を知ることで実力を認め合える神聖な儀式――とまで言ったら過言ではあるが、しかし実際に自分で戦わないと理解できないことも確かに存在するのだ。

 

「そんな時、顔に水を叩きつけてきた女が居てな。身内同士で怪我人増やしてる場合か、頭冷やせと」

「まあ、実際問題正論だわな。で、どんな奴だったんだ? 戦士同士の諍いに堂々と割り込めるんだ、か弱い給仕とかそんな女じゃなかったろ」

「ああ。燃えるような紅い髪に、勝ち気な顔をした女性だった。背丈なぞ私の半分以下だというのに、私の背丈を上回る戦斧を振り回す女傑だった」


 言葉を連ねるノエルの顔が、ゆっくりと綻んで。

 何か大切な思い出を孫子にでも語るような、そんな雰囲気だ。


(随分と仲が良かったんだな)


 恐らく、ニールにとってのカルナのような存在だったのだろう。 

 同じ道を歩む、気の置けない友。ならば、そのような顔で笑うのも道理だ。


「それで我に返って交流を深めたとか、そんな感じか?」

「いや。彼女の言葉に、私はむしろ怒りが増してな――身内がやられて臆病風に吹かれたか、しょせん女か、戦いなど止めて戦士の慰安にでも務めると良いのではないか?――先程のドワーフの意趣返しとばかりに嘲笑ったよ」


 マジかよお前、血気盛んとかそういうレベルの罵倒じゃねえだろ――そんなニールの視線に気付いているのかいないのか、ノエルは微笑みながら昔語りを続ける。


「今でも覚えている。囃し立てていたドワーフの戦士たちが黙り、距離を取り始めたことを。真顔になったその女が、無言で戦斧を構えたことを」


 シン、と肌を突き刺すような沈黙の中、その女は武器を突きつけ、告げた。


 ――――選びなさい。剣を抜いて尋常に勝負して死ぬか、剣を抜かず蹂躙されて死ぬか。


 それは太陽の届かぬ地底のように冷たい声音で、しかし鉄を鍛える炎のような熱を感じさせる言葉だった。

 

「……それで、どうなったんだ? さすがに冷静になったとは思うが」

「いや、女風情がよくもデカイ口を叩いた、叩きのめしてひん剥いてやる、と剣を抜いた」

「馬鹿じゃねえの!? お前、俺の想像の倍近く馬鹿野郎だろ!?」

「そうは言うがなニール・グラジオラス。当時の魔法使いや神官でもない女の扱いは、大体こんなモノだったぞ」


 そういえば、人間だって男女平等になったのは勇者リディアの登場以後だった――そんな話を聞いたような気がする。

 それに加え、その当時は現在進行系で侵略の危機に瀕していた。武力が尊ばれ、腕力で劣る女が下に見られるのも当時としては当然だったのかもしれない。

 ……かもしれない、とは思うのだけれども。

 そういう時代だったことを加味しても、ノエルの罵倒は一線を越えているような気がするのは、ニールの気のせいだろうか……?

 

「しかし――ああ、あれは激しい戦いだったな。最前線で剣を振るうのと同等の濃密な死を感じた」


 ノエルは語る。戦斧を振りかぶり、魔族の尖兵もかくやという勢いで突貫してくる彼女のことを。

 考えなしの力任せに見えたその動作。だが、彼女の腕力でならば、それは最適解に近かったのだ。

 暴風の如く荒れ狂う戦斧を受け流すことは不可能だったし、回避して距離を詰めても彼女は竜巻か何かのように回転し攻撃を行った。懐に入ったとしても、圧倒的な力で振るわれる戦斧は半ばの柄の部分ですら脅威であったし、ならばと更に間合いを詰めたら今度は拳が飛んでくる。

 だが、ノエルとて攻められるだけではなかった。剣で受け流すことが不可能であると分かれば、回避に専念しつつも独特な足さばきで動きを誤認させて空振りを誘ったのだ。


「彼女が大きく空振った瞬間、私の剣が彼女の右腕を両断した。だが、私も若かった。たかだか腕を落とした程度で勝った気になり、片腕で振り下ろされた戦斧の対処に遅れ、左手を落とされた」

 

 戦いは引き分けで終わった――いいや、どちらかと言うと無効試合と言うべきか。

 互いの腕が落ちた辺りで観戦していた戦士たちが慌て、二人を羽交い締めにして戦闘を強制的に終わらせたのだという。

 正直、あったり前だ馬鹿と思う。こいつら魔族が攻めて来てる状況下で何やってんだ。

 もっとも、それは今ここで他人事として話を聞いているから抱いた感想だ。実際にニールがその場に居れば、同じようなことをしたのは想像に難くない。なにせ、アレックス相手に同じような馬鹿をやらかしたのだから。


「その結果、エルフからは距離を置かれたが、逆にドワーフたちに気に入られてな。色白の痩男の癖に根性はある、姉御と互角とかマジか、とな。彼女とも、それからよく話すようになった」


 彼らは粗野で粗暴ではあったが、けれど今この時を必死に、そして楽しく生きていた。

 だからこそ、戦いが終わって彼らと話すのはとても楽しかったのだと。特に、赤髪の女傑との語らいは日を追うごとに楽しみを増していった。

 疲労や悲嘆で夜闇の如く沈んでいた時も、闇を払う太陽のように照らし明日への活力を貰ったのだと。

 

「仲が良かったんだな。戦友ってやつか」

「――ああ、そういうものだ」


 一瞬だけ言葉に詰まったものの、ノエルは頷いた。

 

「もっとも、そのおかげでエルフからは変わり者扱いになったがな。土エルフや、細長ドワーフなどと良く言われたとも」

「さっきの話を聞く限り残念でもなんでもなく当然だと思うぞ」


 なにせ、ドワーフと深く関わる前のエルフたちだ。

 森の中で静かに暮らしていた時期のエルフたちなのだ。

 そんな中、戦士として覚悟が決まりすぎたノエルの存在は異質であったのだろう。


「しっかし、こういっちゃあ不謹慎かもしれねえが――楽しそうだな。魔王大戦時代って、もっと厳しいもんだと思ってたが」

「ああ――確かに、過酷な日々ではあった。友人も、嫌ってた者も一切区別なく命を落としたよ。だが、それでも楽しかったのだ。叶うなら永遠に続いて欲しいと思うくらいには」


 苦難はあった、そこに偽りはない。

 けれど、苦難が全てだったワケでもないのだ。苦しい戦いの最中にも楽しい語らいはあったし、新たな出会いがあったのだと。

 

「時折思う――私はあの戦が終わって数年で死んでいるのかもしれない、と。いいや、違うな。私は生きている。生きているからこそ――」


 それは、ニールに語る言葉というよりも、不意に口から漏れてしまった独白のようなモノであった。楽しげに語られた過去とは違う、どろりと淀んだ感情だ。

 

「――、すまんな。歳を食うと昔語りが長くなっていかん」

「いや、構わねえさ。なにせ先輩剣士の経験談だ、楽しく聞かせて貰ったよ」


 言葉を強引に断ち切ったノエルに、気にするなと頭を振る。

 何か、思い出したくないことを思い出させてしまったのかもしれない。言葉の先は気になったが、それを先程の雑談のように軽々しく追求すべきではないだろう。


「あ、居た居た! ノーラ、カルナ、ほらあっちよあっち! おーい、ニールー!」


 どう言葉をかけるべきか悩んでいると、遠くから聞き慣れた女の声が聞こえた。連翹の声だ。

 どうやら思っていたよりも長く話していたらしく、他にも続々と連合軍の面々が集合場所に向かっていた。

 その様子を見て、ノエルは小さく笑みをこぼし、ニールに背を向ける。


「さて、年寄りは去ろう。すまないな、くだらん話をしてしまった」

「いや、中々聞ける話でもなかったし、何より話を振ったのは俺だしな。謝る必要はねえよ」


 歩み去っていくノエルの行き先は、騎士たちの集合場所だろうか。互いに優れた剣士であるため、話が合うようなのだ。

 そんな彼と入れ替わるように、連翹が軽い足取りで駆け寄ってくる。それから少し遅れて、ノーラとカルナが近づいてきた。

 

「おはよう、ニール」

「おう、おはよう。俺が居ねぇからって鍛錬サボってねえだろうな」

「貴方の師匠に無茶やらされたわよ。……ねえ、あの人なんなの? 突然本気の殺気叩きつけられたんだけど」

「うえっ……そりゃあご愁傷様だな」


 苦い、苦い虫を噛み潰してしまったような声が出た。

 別に、師匠を嫌ってるわけでも、疎んでいるワケでもない。

 師匠は尊敬しているし、体に叩き込んでくれた教えは今でもニールの血肉となっている。好きか嫌いかと問われれば迷うこと無く好きだと返答できる人物だ。

 だがそれでも厳しい鍛錬に、まだまだ剣を握ったばかりの頃に半泣きにさせられたことを思い出すと、顔も声も強張ってしまう。率直に言うなら、怖いのだ。

 

「でも、悪い人じゃないなーとは思うわよ。貴方が野営してるところを街壁から見下ろして、満足そうにお酒飲んでたし」

「……やっべえ、全然気づいてなかったぞそれ」

 

 これは街に帰った時に絶対に追求される。

 この程度の気配すら感じ取れないのか、冒険者として研鑽を積んでいるようだがまだまだだな。ようし喜べ、殺す気で鍛え直してやる――とかそんな風に。

 ぶるり、と体が震えた。

 街には絶対帰ると誓ったし、それを反故する気はさらさら無いのだが、少しばかり二の足を踏みそうになる。

 そんな様子を見て、ノーラがくすりと笑った。

 

「ニールさんもそんな顔するんですねえ。……あ、ごめんなさい、遅れました。おはようございます、ニールさん」

「そりゃ俺にだって怖え人やモノはあるっての! それと、おう、ノーラもカルナもおはよう」


 気恥ずかしさを誤魔化すように強く言い放ち、ふうとため息を吐く。

 そこまで自分を飾っている自覚はないのだが、こういった面を知られると恥ずかしくて仕方がない。街で過ごしていたころのニール・グラジオラスと今のニール・グラジオラスは、同じなようでいて別物になっているのかもしれない。


「つーかカルナ、左手のそれなんだ?」


 強引に話題を変えるように、しかし先程から確かに気になっていたモノを指摘する。

 それは珍妙な篭手であった。

 肘付近までを覆う金属製の篭手だ。それ自体は特殊なモノではなく、それどころか中古品か何かに見える。見た目も『古めかしい』のではなく、単純に『ボロい』と言い切れるくらいだ。一応、最低限の手入れはされているようだが、それでも一線で使えるような代物ではない。

 そして、その篭手に――なぜだか盾らしきモノが溶接されていた。

 こちらも中古品らしき小さめの円形盾ラウンドシールドだが、何か珍妙な細工が施されている。

 ハンマーなどで叩かれ平らに均されたその表面には、奇妙な溝があった。それが五つ。中央に一つ、その周りを囲うように四つ。見方次第では、何かの文様にも見えなくはないかもしれない。

 

「新装備――の、試作品さ。昨日の戦いで壊れた装備の一部を買い取って、それをデレクたちに改良して貰ったんだ」

「新装備ねえ……とてもじゃねえが、実戦で使えそうにはねえぞ、それ」


 農村から出てきた新米冒険者が頑張って買った装備――その中古品を更に劣化させたもののようにすら感じた。

 盾の表面の丸みは、敵の攻撃を受け流すために必要なものなのだ。それを平らに均してしまっては、相手の攻撃による衝撃が流されることなく腕に叩きつけられてしまう。


「大丈夫、さすがに僕もこれを防具として扱うつもりはないよ。まあ、いざという時は咄嗟にこれで受け止めるかもしれないけどさ」

「それなら良いんだけどよ……つっても、俺はそれで何をするのかサッパリなんだが」


 盾の表面に刻まれた溝がこの珍妙な篭手に必要な部分なのだと思うが、しかしどう使うのか全く想像が出来ない。 

 魔法使いなら気づくのかとも思ったが、集合場所へ向かう連合軍の魔法使いが、カルナの左腕を怪訝そうに見つめる姿を見る限り違うようだ。

 何か、新しい何かを生み出したのだろう――黒鉄が咆哮する鉄咆てつほうのように。

 

「後は、もう一つ試作すべきモノがあるんだけど――そっちは集合までに間に合いそうになくてさ。今のところは、ただの出来損ないの篭手だよ」


 とりあえず重さに慣れるために付けてるだけなんだ。そう言って左手を掲げる。 

 

「後は僕が手を加えるだけだから、必要なのは時間だけなんだけれどね」

「なら移動の途中に作っちまえよ。必要な物なんだろ?」

「そうしたいけど、馬車の護衛の仕事があるからね。残念だけど、次の野営の時にで地道に作るさ」

「そっちも問題ねえよ。幸い、俺はファルコンの奴に貸しがあるからな。それで仕事代わって貰え。馬車の護衛なら、魔法使いじゃなくても問題ねえし、騎士も文句は言わねえだろ」

「いいのかい? 君の貸しだろ、それ」

「あんま間を置くと貸しを忘れちまいそうだってのもあるんだが――お前が強くなりゃ俺も安心して戦えるからな。巡り巡って俺のためだ、気にすんな」


 どういう装備なのかは皆目見当も付かないが、しかしカルナがわざわざ用意するということは必要なモノなのだろう。

 なにせ、カルナという男は新たな何かを生み出すことに長けている。

 筋力強化の魔法や、鉄咆てつほう――それらはこの世界に今まで存在しなかったモノだ。

 無論、カルナ以外にそれを考えた者は居るだろう。筋力強化の魔法だって、アイディア自体はニールのものなのだから。

 だが、アイディアだけ、理論を考えただけでは意味がないのだ。頭の中に存在するだけで形にしていないのなら、それは思いついていないことと大差はないのだから。

 

「ま、全く役に立たなかったら貸し一つだ。そん時はメシと酒をたらふく奢ってくれ」

「オーケー、分かったよ。もっとも、君が他人の金で豪遊する未来は存在しないと思うけどね」

「だろうな、俺もそう思う」


 言って、ニールは視線を西へと向けた。

 そこには田畑と道が続いているだけで、目を引く物は存在していない。


「なに遠い目しちゃってんの? 奢って貰えないなら貸しを使うの止めときゃ良かったとか、そんなこと考えてるの?」 

「そこまでがめつくねえよ――もうそろそろレゾン・デイトルの勢力下になるだろうからな。さっさと準備を終わらせるに越したことはねえだろ」


 大陸西端の港町ナルシス――そこを中心としてレゾン・デイトルは勢力を強めているのだという。

 恐らく、近い内に連合軍もその勢力圏内に侵入することになるはずだ。

 そうなれば必然的に転移者の力量も上がってくる。西部で弱者を虐げるだけの者や、レゾン・デイトル内で無能と呼ばれた転移者ではなく、戦い慣れた相手が増えることだろう。今までよりも苦戦するのは自明だ。


「ま、俺はあいつみてぇに器用じゃねえからな。イカロス一振りでなんとかしてみせるぜ」

 

 柄に手の平を載せながら呟く。

 それに合わせイカロスはニールの言葉に応えるように小さく震えた――そんな、気がした。

 錯覚だろうとは思う。自分には勿体無いくらいに良い剣だとは思うが、しかし勝手に動くようには出来ていないのだから。

 だが、それでも通じ合えたような気がして、自然と笑みがこぼれた。


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