161/想う心とささやかな強がりと
走る、走る、走る。
人が、刃が、昨日の戦闘で破壊され未だ整地されていない地面を。
(足場は悪いが、だからこそいい鍛錬になるな)
にい、と荒々しい獣めいた笑みを浮かべながら、ニールは思う。
動きやすいように整えられた地面で鍛錬をするのも重要だ。己の技量を磨くには打ってつけと言ってもいい。
だが、このようにコンディションが悪い場所で動く鍛錬もまた必要なのだ。
戦う前に体調を整えるのは当然としても、いざ戦闘を始めればコンディションは常に劣化していく。人も、武器も、そして環境も。
疲労は体の動きを鈍らせ、何度も打ち合った武器はダメージを負い、戦場は戦いの余波で砕かれていく。
だからこそバッドコンディションとの付き合い方を学ぶのだ。疲労し、普段通りに動けない場面で戦えるように。それが出来ないのなら、動きが鈍ったところで首を断たれて終わる。
「ふっ――らぁ!」
踏み込み、剣を振るう。
転移者の攻撃で、連合軍の反撃で、インフィニット・カイザーの援護で砕かれ凹凸の目立つ地面で。
足を取られるような穴や土塊を回避し、小さなモノはそのまま踏みしめる。僅かに乱れる体勢を整えながら駆け抜け、そして斬る。
鈍る動きを自覚し、鈍る要因を削り、洗練させていく。無論、一朝一夕で形になるモノではないが、積み重ねなくては成長はない。
「ふむ――よくそのような場で動けるものだ」
天幕近くの焚き火にて父――否、ガイルと言うらしい見ず知らずの男が呟く。
鍛錬を始める前にパン生地らしきモノを捏ねていたのを見ていたが、どうやらそれは終わったらしい。鍋で何かを調理しつつ、コーヒーを啜っている。
額の汗を拭い、ガイルの方に視線を向けた。
「最高のコンディションで最高の動きが出来るだけじゃ二流だからな。料理人だって、全ての食材が潤沢にある状態でしかまともに料理できねぇなんて奴は、まだまだ半人前だろ」
「なるほど、道理だ。実際、俺の後を継ぐ息子もお前の言うような半人前でな」
そうか――そう呟きながら弟のことを思い出す。
自分と同じく人心獣化流を学んだ剣士であり、師から『この流派を真っ当に習得出来る』という意味ではニールよりも才能のあった男だった。
正直、父とは別の意味で顔を合わせにくい人物でもある。
(あいつも、きっと外の世界を旅してみたかったろうからな)
ブバルディアという街を、グラジオラスの家を嫌っていたワケではないと思う。
キールは店の手伝いをニールよりも好んでやっていたし、剣の鍛錬の後も料理の勉強を必死にやっていたのを覚えている。
だが、街を愛することと、まだ見ぬ世界に憧れを抱くこと。それは、何一つ矛盾することではない。ニールだって、街が、家業が、家族が嫌いだから出ていったワケではないのだから。
そして、ニールはキールが歩める道の一つ――冒険者の道を断った。その後にキールがどれだけ冒険者になりたいと切望しても父は頷くことは出来ないだろうし、黙って出ていくという手もキールは取ることは出来ない。それをしたら、家が、家族がどうなるのか分かっているから。
「……そんな半人前に店を任せてきたのか?」
僅かに沈んだ表情のまま問いかける。
そんなニールの表情に気づいているのかいないのか、ガイルは普段通りの仏頂面のままだ。
「幸い、料理そのものは合格点だったからな」
言って、ふん、と息を吐く。
低い声音のそれは威圧感があるそれを見て、子供の頃に家に招いた友人に「ぼく、お前の父ちゃん怒らせるようなことした?」と言われたのを思い出した。
なんでもあの時は母も出かけていたため、仕方なく前に出て、息子のために精一杯愛想良く応対し、本人曰く『笑った』らしいのだが――全く効果がなく凄くショックを受けたらしい。その後、帰ってきた母が話を聞き、ショックを受けてる父を見て大笑い――その後怒った父に泣かされていた。
自然に浮かぶ笑みを見て怪訝そうな顔をするガイルだが、なんでもないと首を左右に振る。
「……ふむ、そうだ。半人前と言えば、旅に出た方の息子は応用こそ上手かったが料理の味付けに関しては半人前だったな。未熟なことだ」
「うっせえどうせ適当だよ――って、その息子さんも言うんじゃねえか?」
「そうか」
「そうだよ!」
強めに言って会話を打ち切る。
これ以上話していたら、他人の――そう、他人の――自分がいらぬことを聞いてしまいそうで。
弟はどうしてる――とか。
元気だろうと思うがあの母親は元気でやってるか、やってんだろうなぁ――とか。
そんな資格はないだろうに、つらつらと問うてしまいそうになる。
「鍛錬に集中するのも良いが、そろそろ食事が出来上がる。戻ってくると良い」
「……おう」
せっかく打ち切った会話がすぐさま再接続された、解せぬ。
そう思いながら焚き火の前に腰掛けると、ガイルは蓋の上に炭を載せた鍋をそっと開いた。
「おっ……」
中から現れたのは、ふんわりとした焼きたてのパンであった。
早朝の冷たい大気のなか、暖かな湯気を放つそれを見て、思わず感嘆の声を漏らす。
「すげぇな、鍋でパンとか焼けんのか……」
自分が野営する場合、腹に溜まる汁物か適当に焼いた肉などばかりだ。
パンや米などは近場に村や町などがあった場合に買いに行く程度で、それ意外の場合は主食無しで食事を取っていた。
だからこそ、こういうのはけっこう嬉しい。ただのパンではあるが、されどパンだ。
「これは少し特殊でな、ダッチオーブンと呼ばれている」
ガイルが言うには、分厚い鉄蓋に熱した炭が置けるように造られており、野外でもオーブンのように上下から熱することが出来るのだという。
なるほど、ちゃんとした料理を野外で作る場合に重宝しそうだ。ニールたちが持っている鍋など安物で、煮込むか鍋底で肉を焼くかくらいしか出来ない。
「……けど、どうしてだ?」
「なにがだ」
ふっくらとしたパンを切り分けているガイルに問いかける。
「あんた宿の主人で、あんまり家を開けるワケにもいかねえだろ。なのになんで外で使う調理器具なんて持ってんだ?」
焚き火に設置する鉄板などは、まあいい。自警団の野外演習の時に、料理でも振る舞っているのだろうと思う。
だが、しょせんその程度だ。そしてその場合は、大人数を食わせるために大きな鍋などを使うことだろう。対し、このダッチオーブンとかいう鍋は標準的なサイズで、多人数の食事を作るのに向いているとは思えない。
だというのに、なぜこんなアウトドア用の鍋なんぞを持っているのか。自宅の調理場にはちゃんとオーブンがあるし、旅が趣味というワケでもないはずなのに。
そんなニールの問いかけと視線を、ガイルは真っ直ぐに受け止めた。
「……家でも使っている。時々、だが。ゆえに問題はない」
受け止めた、のだけれど。
顔を逸らすことはなかったが、しかし目線だけを気まずそうに逸した。
(あっ、衝動買いしてお袋に怒られてるな、これ)
大方、『面白そうだ』とかそんなノリでこっそり購入し、しかしあえなくカリムに見つかったという流れだろう。
小さく吹き出すと、ガイルは気持ち普段よりも顔を顰め、無言でコーヒーカップを手渡した。
「おう、ありがとうな」
受け取り、焚き火に設置された器具を見る。バーベキューなどに使うのであろう大きめの金網の上に、先程語られたダッチオーブンとフライパン、ケトルなどが置かれていた。火から少し離れた位置にはドリッパーがある。あれでコーヒーを淹れてくれたのだろう。
フライパンからはたんぱく質が焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。恐らく、卵とベーコンなどの燻製肉だろう。
ガイルはしばし黙っていたが、小さく頷くと手早い手つきでフライパンを掴み、中身を皿に移し替える。皿に載ったのはニールの想像通り目玉焼きとベーコンだ。程よく火の通った半熟の黄身が眩しい。
その傍らに先程焼いたパンを載せ、ガイルは皿を手渡した。
これは中々美味そうだ、と思わず礼の言葉も忘れ口を開き――
「どうだ、美味いか」
「……まだ食ってねえよ」
見りゃ分かるだろという苛立ちと、がっついたことに対する恥ずかしさ、それらが胸の中で混ざり合う。
「……そうか」
「そうだよ……いただきます」
言い忘れた言葉を告げ、パンを一口。
その形は専用の調理器具で焼いたモノよりも歪ではあるが、しかし焼き立てというのは良いものだ。齧ると柔らかな食感と熱々の熱、そして素朴な味が口の中に広がっていく。
更に一口、二口、噛み締め、胃の中に収めていくと、少し物足りなくなって来る。美味いのは美味いが、しかしそれは十代男にとっては引き立て役の旨味だ。心が、そして体がタンパク質を喰らえと合唱を始め、腹の虫はパンを飲み込んだのを忘却したかのように鳴き始める。
皿と一緒に手渡されていたナイフとフォークで卵とベーコンを切り分け、口の中に放り込む。
これがまた美味い。やはり米やパンに肉や卵を合わせるのは鉄板中の鉄板だ。これはもう剣士に剣と比肩するレベルで切っても切り離せないタッグなのではなかろうか――!?
「それで。どうだ、美味いか」
「あ? ……おう、超美味しく食ってる」
「そうか」
淡々と、しかしどこか前のめりに問いかけてくるガイルに少しばかり気負されつつも返答する。
なんというか、慣れないのだ。ぐいぐいと絡んでくる父を見て、こんなに色々と手をかけてくれる人だったかな、と少し疑問に思ってしまう。
ニールの思い出の中では仏頂面の癖に根っこは優しく、けれどどこか放任主義なところがあったような気がする。勉学や家業の手伝いも、最低限やれば口出しして来なかった。色々と言ってきたり、絡んできたりするのは母の仕事だったような気がする。
「――久方ぶりだからな、許せ」
固い硬い、巌か何かで出来ているのではないかと思う表情を、僅かに緩め――ぽつり、と呟く。ニールに聞かせるものではなく、思わず口に出た、そんな声であった。
「あ? なんか言ったか?」
わざとならしく聞き返すものの、ガイルは眼を閉じて首を左右に振る。
「いや、何も」
「そうか」
「そうだ」
そうして、辺りを静寂が支配した。
無論、無音ではない。咀嚼の音と焚き火が燃える音、対面でコーヒーを啜る音、目覚め始めた街の生活音が響く。
けれど、会話だけがない。
だが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。食べる姿を観察されるのは気恥ずかしいし食べづらいとも思ったが、まあ、これもこれで、悪くはない。
二年も家を離れていたせいだろうか、だからこそ感じ取れるもの、分かるものもある。
家を出る前は、こんな風に見られるのが嫌だった。無言で見つめてきて、とっとと食べ終われ片付かないだろう、そう言われているような気がしたのだ。
けれど、かつてと視点が変わったからだろうか、それとも成長したからだろうか。今は、少し分かる。その瞳に慈しみの色があることを。
カリムは、母はよく「あんなのでも子煩悩だから。下手したらわたしよりずっと」と言っていたが――当時は「買いかぶり過ぎなんじゃねえの?」などと呆れていたものだが、なるほど、確かにそうなのかもしれない。親の心子知らずとはよく言ったものだ。
会話は途絶え、食事の音だけが響く。それでもガイルはニールの物足りない雰囲気を察したのか、残ったパンを手渡しつつ卵を焼き始め、片手間にコーヒーをドリップする。
なんというか、鳥の雛になったような錯覚すら抱く。もうそんな歳ではない気もするが、ガイルから見たニールは未だぴいぴいと鳴きながら口を開く雛鳥に見えているのかもしれない。
それが気恥ずかしくもあり、けれど確かな安心感を抱く。
「――さて」
ガイルの分もあったであろう朝食を一人で八割程腹に収めた頃、彼は焚き火から調理器具を離し始めた。
「昼食は外で食う客も多いが、晩は食堂に来る客が多数だからな。そろそろ戻らねばならん」
熱せられたそれらを冷ましながら、己の荷物を回収し始める。
それを見て、少し――そう、少しだけ寂しく思う。
(……親の前では、いつまでもガキってことなのかね)
まだまだ未熟ではあるが、もう己の足で立つ一人の人間だと思っていた。
無論、それは色々な人たちと協力し、助け助けられた結果なのだと理解しているが――それでも、もう親の世話を受けるような子ではないと、そう思っていたのだ。
けれど再び感じた温かみは、じんわりと心に染み渡る。それは己が子供だと、少なくとも目の前の男の前では子供なのだとニールに伝えるのだ。
「そうか。じゃあな、もう二度と合わねえだろうな、宿の主人。ありがとうな、メシ、美味かったぜ」
けれど、だからと言っていつまでも子供のままではいられない。
だからこそ、少しばかり強がってやるのだ。この程度のことが出来ず、冒険者など出来るはずもない。
「だろうな。……ではな、見知らぬ冒険者よ」
そんな内心を見抜いているのかいないのか――ガイルは背を向けて歩きだした。
ニールもまた、彼に背を向け天幕を片付け始める。去っていく姿を、極力見ないように。
――これよりただの冒険者と宿の主人が出会うことはないだろう。
当然だ。この二人は他人なのだから、再会の約束を取り付ける意味も理由も存在しない。
野盗やモンスターなどを倒し、近場の村の住民に感謝され歓待を受けた――それと同じだ。以上でも、以下でもない。
ただ――ガイルという宿の主人とは全くの他人であるニールには預かり知れぬことではあるのだが。
今やっている大きな仕事が終わってしばらく経った頃に、ガイルの家に息子の手紙が届くかもしれない――『予定を教えてくれ。そちらの手が空いてる時に顔を出す』と。




