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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
無限の勇者
161/288

158/治癒院にて


 若干重い瞼を、ゆっくりと持ち上げていく。

 未だ昇りきっていない太陽のか弱い光を感じながら、ノーラはゆっくりとベッドから出た。

 隣のベッドでは連翹がまだ気持ちよさそうに寝ている。だが、最近の習慣からすれば、あと数十分かそこらで彼女も目覚めるだろう。


(だから――ゆっくりと、静かに)


 時間そのものは大した違いはないけれど、就寝中の十分は昼間の一時間と同じくらいの価値があると思う。

 だから、自分で起きるまでそのまま。もちろん、寝過ごしているようなら起こすのだけれども。

 友人の心地よさそうな寝息を聞きながら、髪の毛にクシを通す。少し傷んだかな、と思いながら桃色の髪を整えていく。

 正直、ノーラはこの髪色が好きではない。嫌い、という程ではないのだけれど、子供っぽいなと思うことがある。

 子供の頃は友達の女の子に羨ましがられたものだが、今となっては金や茶といった色合いの方が良いなと思ってしまう。男の人の場合馬鹿にされるから染める人が多いと聞くし、ノーラもそれに習って染めてしまうのも手かもしれない。


(……こんなこと言うと、レンちゃんは怒りそうですけどね)


 くすり、と小さく笑みを浮かべる。

 曰く、勿体無いと。

 こんなに綺麗なピンク髪なのにと。

 なんでも、連翹の世界における創作では、桃色髪の乙女はヒロインの役割を担うことが多いらしい。もっとも、さすがに飽きられたのか飽和し過ぎたのか、その数は全盛期に比べて少なくなっているらしいけど。

 でも、そう言われるとこの髪色も悪くない気がしてくる。

 この髪が皆を引き寄せてくれたのかもしれないと、そう思えるから。根拠は何もないけれど、験担ぎとしては悪くない。

 

(ですよね、うん)


 小さく頷いた後、部屋着を脱ぐ。柔らかそうな肢体を早朝の冷たい大気に晒すと、小さく体が震えた。思わず脱いだ部屋着を体にぎゅっと押し付けてしまう。

 野営中に比べればマシではあるのだけど、それでもやはり寒い。はふう、と白い吐息が出る。

 だが、ずっとこのままでは寒いだけだ。覚悟を決めて部屋着を置き、着替えを始めた。ブラウスにスカートを身に纏い、ケープを羽織る。肌から伝わる温度は冷たいけれど、少し動けば体に馴染むはずだ。

 

「んん……ん……んんー……」


 そんなことをしている間に、室内に響く眠そうな、けれど眠気と必死に抵抗している声。

 くすりと笑って声のした方へ視線を向けてみれば、ベッドの上にぺたんと座った連翹の姿があった。ほとんど閉じた瞳を擦りながら、あーだとか、んんだとか、言葉にならない声を漏らしている。


「おはようレンちゃん」

「ん……おはよふわぁああ……おはよ、ノーラ」


 あくびで中断された挨拶を言って、彼女は小さく手をひらひらと振った。

 瞳は今も細いままで、放っておけばそのまま二度寝してしまいそうだな、と思いながら彼女の元に歩み寄る。


「レンちゃーん、クシ入れますよー」

「うんー、ありがと……」


 小さく頷く彼女の黒い髪をクシで解いていく。

 こうやって触ってみると、やはり綺麗な黒髪だなと思うのだ。ツヤのある髪は光を反射して、まるで星の瞬く夜空のよう。

 こんなに綺麗なのだからちゃんと手入れした方がいいと思うのに、連翹はその辺りは基本的に適当だ。髪の毛だって、何度も切るのが面倒だから長く伸ばしているだけらしい。もちろん、見苦しくならない程度には手入れはしているらしいが。


(服だってそう。可愛い衣服より、騎士の鎧とかに心惹かれてるんですから)


 まあ、そちらの方は――オルシジームで多少改善されているようだけれど。

 プレゼントされたらしい衣服を荷物から出したり、綺麗な畳み方を聞いてきたりと、気に入っているようで何よりだと思う。

 

「……冬はなんで寒いのかしら。誰のせい?」

「さあ……? 強いて言えば、ディミルゴ様じゃないでしょうか」

「あたしの世界だって冬は寒いから、それは風評被害だと思うの」

「なんで急に真顔になるんですかぁ!」


 そんな風に他愛もない会話をしている間に髪の毛は整い、連翹の意識も覚醒した。まだ眠いようではあるけれど、瞳はぱっちりと開いている。

 連翹は「ありがとうね」とノーラに笑いかけた後、部屋着を脱ぎ捨て、普段のセーラー服を手に取った。細身ながら女性らしい丸みを帯びた体を僅かに晒し、けれど寒さから逃れるように素早くセーラー服を着込んでいく。

 衣服の上から胸部や肩に鎧をはめ込むと、よし、と頷いた。


「それじゃああたしそこら辺走ってくるわね! ニール曰く走り込みは基本、らしいから!」

「待って」


 じゃあね、と駆け出そうとする連翹の襟首を掴む。

 数瞬だけずりずりと引きずられるが、すぐに連翹は足を止めた。


「どうしたのよノーラ、なんか着こなしミスってる? 前みたいにスカート履き忘れて外に出ようとしたってワケでもないし、問題ないと思うんだけど」

「そういう致命的過ぎるミス以外でも止めますよ。そうじゃなくてですね」


 あの時は本当に焦ったけれど、それとは違う話だ。

 

「顔、洗いに行きましょう。ホントは真っ先にすべきなんでしょうけど、部屋着のまま歩き回るワケにもいきませんし」

「ええ……別にやらなくても良くない? だってほら、冷たいし、冷たいし、それに冷たいのよ!?」

「そうですね、目も覚めますからちゃんと行きましょう」


 なんでも、連翹の故郷ではこういった場合お湯を使うらしい。もちろん、目を覚ますためにあえて冷水を使う人もいるらしいが。

 だからこそ、嫌だめんどいと駄々を捏ねている。寒い中わざわざ水で顔を洗う必要なんてないと無駄に力強く熱弁するのだ。

 

「はいはい、分かりました分かりました、行きますよーレンちゃーん」

「ノーラ分かってない! 分かってない! あ、ちょ、押さないで転ぶ転ぶ!」

  

 ぐいぐいと背中を押しながら一階へ。

 文句を言いつつもされるがままなのは、理はノーラの方にあると理解しているからだろう。そうでなければ、転移者の連翹を押し歩くなんて不可能だ。

 

「あら、おはよう二人とも。早いのね、どこか行くの?」


 階段を降りる足音に気づいたのだろうか、一階へ降りると厨房からカリムが顔を出した。


「おはようございます。ええ、顔を洗いに井戸まで」

「おはようカリムさーん。そっちは朝ごはんの準備?」

「料理は息子に任せてるわ――ガイルも、わたしに任せるよりは半人前のキールに任せるって」


 どうせわたしは半人前ですよーだ、と子供のように唇を尖らせる。

 そんなやり取りを聞いたのだろう、中で調理していたらしいキールが飛び出してきた。

 

「あっ、おはようございます、あねさんと連翹さん! 降りてきたってことは飯ッスか? ならもうちょい待ってて欲しいッス、出来る限り全力で仕上げちまうんで!」

「ああいや、まだ大丈夫ですから。……というか、もしかしてお腹すいたから降りてきたって思ってるんですか?」


 それは女性に対して失礼なのではないだろうか。

 そういう視線を向けたのだが、キールはきょとんとした表情を浮かべた。


「そりゃそうっすよ。だって姐さん、晩飯けっこうガッツリ食ってたじゃないっすか。あの腕力維持するためなのか見た目よりずっと健啖家ッスし、腹減るのも早いんじゃないかと」


 ぐうの音も出ない正論であった。確かに、昨日けっこうガッツリとご飯も食べたしお酒も飲んだ。

 だってあの煮玉子とかいうゆで卵がお酒に合って仕方がなかったから。日向風の味付けでありながら味は濃いめであり、しかも暖かくても冷めても美味しい。もう、酒を飲みながらちょいちょいと摘むために産まれた食べ物と言っても過言ではあるまい。


「ところで彼氏さんはどうしたんスか?」

「カルナならまだ寝てるわよ。昨日ちゃんと朝ごはんの時間は調べてたから、時間内で少し遅めに来ると思うわ」

「レンちゃんが早起きするようになってから、一番朝遅いんですよねカルナさん……」


 幸い、時間に遅刻するような真似はしていないけど。

 夜遅くに魔導書の編纂などをしているため、睡眠時間という意味では四人の中で一番短いのだけれど、朝が遅いというだけでちょっとズボラな印象を受ける。

 

(カルナさんの場合、ちょっと当たってるんですけどね)


 外面はけっこうしっかりと取り繕っているのだ。

 衣服は頓着はしないが汚れも無ければ異臭もしないように心がけているし、髪の毛だって整えている。カバンの中身だってきちんと整理整頓されていた。

 問題は、そういう不特定多数の人に見られるであろう部分しかしっかりとしていないこと。

 自分が寝るベッドの辺りはけっこう適当に荷物を置いてるし、カバンから取り出した本なんてけっこうそこらへんに放置している。

 今は移動しているからだいぶマシだけれど、ずっと同じ拠点に居たら、きっとカルナの部屋は魔窟になるだろう。

 

「というワケで、朝ごはんは少し遅めに貰いますね。幸い、出発もそこまで朝早くではないようなので」

「はいはい、承ったよ。それで、二人はどこ行くんだい?」

「わたしは治癒院に行ってこようと思います。必要ないかもしれませんけど、人手は必要でしょうし」

「あたしは軽く走ってから井戸に戻って軽く汗拭って、って感じかしらね」

「はいよ。問題はないと思うけど、昨日の今日だから気をつけてね」


 そう言って微笑む姿が少年のようで、ニールとよく似ていた。

 

「こーら」

「あうっ」


 そんな風に二人を重ね合わせていると、カリムに額をつんっ、と突かれた。


「ま、バレバレなのは分かってるんだけどね。でも、家の旦那は知らないって言い張ってるからね、わたしも一応二人の仲間が誰かって気付いてないフリしてるの」


 だからあんまり探っちゃ駄目よ、そう言って笑みを浮かべる。

 その仕草が幼い子供を優しくしつけているように感じられて、少し恥ずかしい。


「ええっと、でも大丈夫なんですか? その――」


 確かに、ガイルはニールに会いに行ったようだけれど。

 でも、その後どうなったのか分からないから、少し不安に思うのだ。


「大丈夫大丈夫、あんなナリでもガイル家族のこと大好きだから――きっと、互いに他人のフリしながら、再会の約束を取り付けてるわ」

 

 あの人のことはなんでも分かってる――そう言いたげな言葉と疑念の欠片もない自信に満ち満ちた表情だった。 

  

     ◇


 転移者の襲撃は失敗に終わった。

 街を守りきり、死者も居なければ誘拐された者も存在しない。街壁は要所要所崩れているが、他の建物が壊されたということも無かった。

 完全勝利――そう言っても良いだろう。

 けれど、それでも戦いがあった以上は怪我人が存在する。剣で斬られた者、魔法の余波で焼かれた者、街壁から叩き落された者などが。

 ゆえに、神官の仕事は終わらない。

 いや、正確に言えば、本来はここからが神官の仕事なのである。

 この平和な時代、従軍神官や冒険者の神官などは少数派だ。大多数は村の教会か、町などに存在する治癒院で怪我人が運ばれるのを待っている。


(そんな時代だからこそ、わたしが騎士の皆さんと一緒に仕事が出来るワケですけどね)


 ノーラは神官としてはまだまだ半人前だ。

 最近防壁の奇跡を扱えるようになったものの、治癒の奇跡の精度は未だに高くはない。そして、この時代の神官で最も重要視されるのは扱える種類の数ではなく治癒の奇跡の精度、その高さだ。

 だからこそノーラはまだまだ見習いという身分から抜け出せてはいない。そんな自分が治癒院に行っても邪魔になるのではないかとも思ったが、それでもやれることはあるだろう。大怪我を治癒するのは難しいが、ちょっとした怪我なら問題なく治せるのだ。そういった部分を受け持てば、実力のある神官が力を温存できるはず。

 

(もちろん、半端なわたしが横をうろちょろしても邪魔、ってことになるかもしれませんが)


 少し、不安になる。

 戦場に出たのなら疲れているだろう、休んでおいで――そう言ってくれたマリアンも、実は忙しいから遠ざけたとか、そういう理由もあるのかもしれない。

 だが、その不安が正しいのか間違っているのかは、実際に現場を見て確かめよう。

 不安を掻き消すように大きく頷くと、街門近くに建設された治癒院を見上げた。


「やあ、ノーラ。君もここに用があるのかい?」


 聞き慣れた声に振り向くと、エルフの少女がやあと軽く手を挙げているのが見えた。ミリアム・ニコチアナだ。

 ショートブロンドの髪を淡い朝日で輝かせた彼女は、軽い足取りでノーラへ歩み寄る。


「ミリアムちゃん――ええ、少しでも役に立てばと思って」

「殊勝なことだ。ぼくは不謹慎ながらも観光ついででね。人間の街では教会の他に治癒専門の施設があるんだね、少し新鮮だよ」

「エルフは違うんですか?」

「神官の霊樹の木、木材で造られた建造物があるからね。小さな傷ならそういった家の近くに行けば治癒してもらえるし、重症だったら教会で治癒というのが一般的かな」


 自宅に使われてる木材が霊樹の神官だったらベッドで寝るだけで回復するよ――そう言って物珍しげに辺りを見渡すミリアムを見つめながら、へえと感嘆の声を上げる。

 ということは、自分が身につけているこの篭手――理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアも同じことが出来るのだろうか。

 

「出来なくはないだろうけどね、でも霊樹の量も少ないからあまり期待しない方がいいよ」


 己の篭手をまじまじと見つめているとミリアムが補足説明をしてくれる。


「……そういえば、木から木材に、木材から加工するワケですよね。霊樹の意識ってどうなるんですか?」

「うん? ……んー、一番大きいのが元の意識で、小さいのは別個体として生まれ変わる、って感じかな。さすがに、木くずくらい小さくなると意識を保てないけど」

 

 そんなことを話しながら、治癒院の中へ。受付の人に会釈をし、治癒の現場へと向かう。


「おや、どうしたんだい二人とも」


 そこに、マリアン・シンビジュームは居た。

 神官らしからぬ大柄な彼女は、しかし治癒の合間にシーツなどの運搬を行っているようだ。


「おはようございます、マリアンさん。ええ、何か手助けが出来ればと思い足を運んだのですけど――」


 ぐるり、と辺りを見渡す。

 清潔そうな白いベッドの上に横たわる患者たちは、しかし小さくうめき声を漏らす者たちが多い。

 それに、ノーラは疑問を抱く。

 大人数の怪我人を治癒する際、命に関わる怪我だけを集中して治療するというのは一般的な手法だ。一人一人完治させていては、神官の奇跡が途中で打ち止めになってしまう。

 だが、そういった場合には痛みを和らげる処置が施されるモノだ。小さな村で突然多数の怪我人が出たというのなら分かるが、ブバルディアのように大きな街で痛みに呻く患者が多数存在するのは、少々奇妙な話だ。

 そんなノーラの怪訝そうな顔に気づいたのか、マリアンは小さく吐息を吐き説明をしてくれる。


「ま、見ての通りだ。もっとハピメアの粉がもっとあればマシなんだけどねぇ」

「足りていないんですか?」

「ああ、襲撃の前にけっこうな量を売っぱらっちまってた話だ。此処最近、あんまり必要な場面がついってね。正直どうかと思うが――」


 マリアンが言葉を途中で止め、視線をミリアムへ向けた。

 どうしたんだろう、と彼女の方に視線を向けると――


「……なんだい? まさかとは思うが、手遅れの怪我人を優しく殺すとか、そういう話かい……?」


 ――じりじりと僅かに距離を取りながら、困惑気味の表情で問うミリアムの姿があった。

 

 ――ハピメアとはキノコの一種だ。

 

 ストック大森林の中で自生するそれの胞子はどこか甘ったるい香りがし、胞子を吸った者を眠りの世界に誘う。

 それだけならただの睡眠薬だが、ハピメア特有の効果は――眠りに落ちた者が望む幸福な夢を見させるというモノ。昔は、その夢を見たいがために胞子を集める者も居たのだという。


「最終的に脳がキノコの苗床になるという、おぞましいモノだ。それがどうしてこの場で出てくるんだい?」


 ゆえに幸福ハッピーであり、悪夢ナイトメア

 どれだけ幸福であっても、それで己の体が滅ぶのなら悪夢以外の何物でもあるまい。

 だが、悪夢であっても一時幸福であれば良いという者がいるのもまた事実だ。今も昔もハピメアの胞子を集めて幸せな夢に酔いしれようとする者は存在している。


「ミリアムちゃんが言ってることも間違いじゃないんですけどね――でも、人間の間では真っ当な利用方法があるんですよ」


 確かに、そのままでは麻薬と変わらない。

 だが、少量の胞子を他の粉と混ぜれば、意識を少しぼんやりとさせて痛みを感じにくくする薬の完成だ。

 

「簡単な止血だけして、しばらくはハピメアの粉を吸っていて貰うんだ。神官の人数にも限りはあるし、死なない程度に治癒してからこの薬を吸わせて、他の重傷者の治癒を行うって場合も多いんだ。騎士団ウチでも扱ってるよ。オルシジームに入国する際は事情を話してエルフの戦士に預かって貰ったけどね」


 物は使いよう。どんなモノであろうと使い方次第で良い物にも悪い物にもなる。

 だが、ミリアムはその話に頷きつつも表情を顰めたままだ。

  

「まあ、オルシジームじゃ禁制品らしいから。エルフのアンタにはちょっと受け入れがたいんだろうね」

「そうだね。エルフはこの薬にハマりやすいから。特に他種族と関わったエルフはね」

「他の種族と関わったエルフが、ですか?」


 ああ、そうさ――と。

 ミリアムは理解しがたいけどね、と言いたげな声音で語りだす。

 

「戻らない幸福な思い出が多いから、それを思い出したくて、思い出に浸りたくて、つい手を伸ばしてしまうらしい。ぼくが産まれるずっと前からオルシジームでは問題になっていて、五十年くらい前にめでたく違法となったんだ」

 

 エルフは寿命が長い。

 他種族が憧れるそれも、しかし当人たちにとっては日常であり――だからこそ、その日常から弾き出されてしまう他種族の友人たちの姿に苦しむのだという。

 だからこそ、幸福な夢を――もう存在しない友人たちと触れ合える幸福な悪夢(ハピメア)に溺れ、そして苗床となって死ぬ者が社会問題になったらしい。


「……ま、他種族にとって必要な道具に文句を付けたりはしないさ。けど、それって大丈夫なのかい? 麻薬としての効能を目的として粉を買う者も居そうだけど」

「完全に大丈夫――とまでは言い切れませんけど、対策はされてますよ。十字聖印無しでの売買は禁止されてますから」


 無論、その十字聖印を持った神官が手を染める可能性が無いワケではない。

 だが、創造神ディミルゴは前を向いて歩く者をこそ好む。幸せな夢に溺れ停滞する者に、ディミルゴは奇跡の力を授けたりはしない。すぐに銀に輝く十字聖印は、力を失い黒く染まってしまうだろう。

 

「売った奴の話では、貴族付きの礼儀正しい少年神官が買いに来たってさ。領地を守る兵の治療や、最近のレゾン・デイトルの騒ぎで不眠症になったお嬢様の睡眠薬代わりに使うって言われたもんで、沢山売っちまったらしい」


 長い間、襲撃らしい襲撃もなかったブバルディアだからこその失態なのだろう。

 備蓄はあれど使うタイミングも無く、そんな中で本当に必要な人が現れたから――だから、つい。今まで使うタイミングが無かったから大丈夫だろう、と。

 平和ボケも甚だしい、とマリアンが呆れた顔で吐息を吐いた。

 

「というワケだ――悪いが二人共、ちょっと手を貸してくれるかい? 出立前にある程度、怪我人を減らしておいてやりたい」

「ええ、微力を尽くします」

「ぼくも神官としてはそこまで実力がある方じゃないけど――やれるだけやらせてもらうよ」

「助かるよ。ただ、無理はしないようにね。あたしらはまだやることがあるんだからさ」

 

 マリアンの言葉に頷きながら、怪我人の元へと歩み寄る。

 自分の出来ることを精一杯、けれど余力を残す。単純なようで難しいことだが、やらねばなるまい。

 


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