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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
無限の勇者
160/288

157/月夜語り


 薄暗くなっていく世界の中、ニールは焚き火の前に腰を下ろした。

 周囲に敵影無し。街壁周辺に残されていたのは死体と装備くらいであり、そのどちらも自警団と共に回収、埋葬を行った。

 あんな連中をなぜ埋葬してやらねばならない、という想いもあったが、しかし放置しておけば死肉を求めたモンスターが集い、腐れば病気の原因になる。死者を弔うのは生きる者の心を慰めるためとも聞くが、実利の面でも埋葬は必要なことだ。

 

「それに……いい装備してる連中が多かったからな。これで街壁の修繕費にはなるだろ」


 ニールが子供の頃から色々議論が尽きなかった街壁だが、今回の襲撃後に行われる話し合いでは維持の方向に纏まることだろう。

 撤去派もまだ存在するだろうが、街壁に多くの命を救われた現実がある以上、それを口に出しても支持はされまい。

 その事実に、少し安心した。

 もう足を踏み入れることはないとはいえ、故郷は故郷なのだ。自分の知らない間に滅んでいるという事態にはなっていて欲しくない。


「……故郷、ね。あいつらにはバレたんだろうな」

 

 元々自分が上手く嘘を吐けていた自信はなかったし、何かしら疑られている感覚はあった。けど、やはりガイル――父が現れたのが致命的だ。あれさえなければ、怪しくとも証拠がないということで逃げられたかもしれないのに。

 小さくため息を一つ。

 考えても仕方ないかと焚き火に枯れ枝を追加するが、しかし話し相手も居ないせいかぼんやりと考えてしまう。


(どの面下げて会うんだ、って話だ)


 家のことを全て放り投げて弟に任せてしまったという負い目。それが、ニールがブバルディアに足を踏み入れることを拒んでいた。

 家を捨てて剣に生きようとしたニール・グラジオラスという男が、自分を育ててくれた両親を、その家を支えるために街に残る弟に、どのような顔をして会えと言うのか。

 無論、冒険者になったことに後悔は無い。

 無いが――だからといってそれで全て丸く収まるモノでもないだろう。選んだ道に間違いは無いと信じているが、しかしその道を歩く上で手放したモノを恋しく思ってしまうのも真実であった。

 なんて女々しいのかと嘆息を一つ。自分で切り捨てたというのに、切り捨てたモノを想うなんて。

 こういう時は無心で剣でも振りたいところだが――さすがに、今日はもう疲れた。これ以上体を動かしても悪影響にしかなるまい。

 そんな重い気分とは裏腹に、腹から調子っ外れの音色が響く。そういえば、昼に適当な食事をしてから、何も食べていないことを思い出した。

 正直、あまり食欲は無かったが――だからといって食える時に食事を抜くことは出来ない。剣士も冒険者も体が資本であり、体を動かし飯を食うことは剣の手入れと同じくらい必要なことだ。

 それでも、若干の面倒臭さを感じながら設営した天幕に足を向ける。こんな時、カルナや連翹、ノーラたちが居てくれたら気分も上向きになるのだが。

 仲間たちの姿を思い浮かべながら何度目かのため息を吐いた、その時であった。

 

 

「――失敬。貴方が連合軍所属の冒険者で相違ないか」



 聞き慣れた、けれど久々に聞いた声だ。

 無愛想で、声音が低く、不機嫌そうにも聞こえる男の声であった。

 思わず跳ねた心臓を気取られぬよう、出来るだけ淡々としながらニールは振り向き、声の主に視線を向けた。

 声の主は、当然のようにニールの想像通りの人物であった。

 僅かに逆立った短めの黒髪。鋭い瞳はまるでこちらを睨んでいるようだが、その実あまり怒るタイプではないことをニールは知っている。

 ガイル・グラジオラス――ニールの父である。背中に大荷物を背負い込んで、ニールを見下ろしていた。

 

「ああ――それがどうしたんだ、おっさん」


 だが、ニールは初対面の人間のように接する。

 相手からそのように接して来たから。 

 であれば、ここに存在するのは親子ではなく、冒険者の剣士と街の宿の主人。それ以上でも、それ以下でもない。

 

「炊き出しに来た」

「それなら街壁の上にいる自警団やら他の連語軍の奴らのとこに行ったらいいだろ。ここには、今んとこ俺しかいねえぞ」

「既に行われている。だから、ここに来た」


 それだけ言って、ニールの隣にどさりと腰を下ろした。

 荷物から調理器具を取り出すと、焚き火に鉄板などを取り付けて行く。

 

「出来上がるまでしばし時間が必要だ。これでも食べながら待っていろ」


 その様子を呆然と見ていたニールの手に、何かが押し付けられる。

 怪訝に思い見てみると、それは弁当箱であった。蓋を開くと、白い三角形――握り飯が姿を表す。

 その事実に、少し驚く。日向ひむかいと近い港町ナルキや女王都で米があっても驚かないが、遠く離れた西部で見かけるとは思わなかったからだ。


「ここ最近、近くの村で育てていてな。知り合いのツテで分けてもらった」


 淡々と――しかしどこか得意気な声を聞きながら一つ、口に運ぶ。

 薄い塩味と米特有のほのかな甘味が口の中に広がる。素朴で派手に主張する味わいではなかったが、だからこそ素材の味が伝わってくる。

 

「軽く塩で握るだけでも美味いが、中に別の食材を入れても美味い。安定した量を手に入れられるなら、もっと様々な料理を試したいものだ」


 熱した鉄板の上にフライパンと鍋を載せる。水筒から鍋に出汁を注ぎつつ、フライパンに熱が通ったのを確認するとバターを投入。溶かしながら卵を溶き、バターがフライパン全体に馴染むと溶いた卵に牛乳を混ぜ、それを注ぐ。じゅう、と心地よい音が鳴った。

 その音に食欲が刺激され、握り飯を一つ食べたというのに先程よりも腹が減りだした。

 誘われるように握り飯にかぶりつく。

 そして感じる、米とは別の抵抗感。固いというほどではないが、しかし米よりは確実に歯ごたえのあるそれを噛みちぎる。

 舌に伝わるのは二種の味わいだ。米に合う濃い味、次いで現れる柔らかくまろやかな味――ニールにとって馴染みのあるようで、しかしあまり食したことのない美味であった。

 

(なんだ――?)


 口の中のモノを噛み締めながら、握り飯の断面を見つめる。

 そして、ようやく気づく。具材の中央の黄色い円形――卵だ、ゆで卵なのだ。

 だが、黄身を包む白身は日焼けでもしたかのようにその身を茶に染めている。味わいも食べ慣れたゆで卵の白身では断じてなく、醤油やニールでは気づけぬ他の調味料をその身に閉じ込めていた。

 その味がまた米に合う。ナルキで白米を何度か食べたが、あれの上にこの玉子をどさりと載せて食してみたくなった。

 

「煮玉子と言う。調味料の大多数は日向で使われるモノだからだろうな、米と合わせやすい」

「……俺、握り飯って魚とか梅干しとか言う酸っぱいやつを入れるもんだと思ってたんだが」


 港街ナルキで数度食べたくらいなので、断言は出来ないのだが――それでもこれが主流から外れていることくらいは察せる。


「その通りだ。だが、お前はこちらの方が好みだろう――……体を動かす者はたんぱく質と濃い味付けを好むものだからな」


 当たり前のように言ってしまった言葉を、真顔で言い繕う姿に思わず吹き出しそうになった。

 内心、慌ててそれらしい理屈をひねり出しているのだろう。表情がほとんど変わらないから他人には分かり辛いが、額に浮かんだ汗は決して料理の熱で出たモノではないとニールは確信していた。

 己の内心をあっさりと見抜かれていることを知ってか知らずか、ガイルの手さばきは全く乱れてはいない。手慣れた手つきでフライパン全体に広がった卵を整えていき、綺麗なオムレツを作り出していく。


「ほら、冷めん内に食え」

「おう、ありがとなお――っさん」


 顔色一つ変えてないくせに、妙に嬉しそうで、楽しそうな雰囲気で。

 だから思わず親父と言いかけて、慌てて誤魔化し、掻き込むようにオムレツを口の中に運ぶ。

 とろり、とした食感。具材の無いプレーンオムレツだが、しかしだからこそふわふわでとろとろの卵の味、食感を余すこと無く感じ取れた。熱々のそれを噛みしめると溶け落ちるように口の中に広がっていき、こんなやわらかいモノがなんで固形物として皿に載っているんだろうなどといい馬鹿げたことを考えてしまう。


「……うめえけど、握り飯とオムレツって食合せ的にどうなんだ?」


 更にベーコンと卵を焼いてパンに載せたり、卵スープを作り始めているのを見てさすがに一言物申す。食合せもそうだが、作りすぎだ。

 確かに卵は好きだし、ニールとしては大歓迎なのだが、さすがに料理のプロとしてこの献立はいかがなものか。なんかもう卵料理と卵と主食しか無い、料理の素人であるニールから見ても栄養が偏りすぎているような気がする。


「冒険者なら気にせんだろうし、この程度の量は食えるだろう」

「どんな理屈だよ――いや、まあ、食えるけどな。腹減ってきたし」

「そうか、うむ、そうだろう……ほら、遠慮するな、食え」


 頷きながら食事を再会すると、流れるように新たな料理が手渡されていく。

 そこに不満はない。

 いや、さすがに量は多いと思うが――食材も、味付けも、ニールが好む物だからだろうか。フォークもスプーンも。止まらない。


「風の噂で聞いたのだが」


 それは何気ない雑談でもするかのように。

 手元から目を離さず、ガイルは淡々と語り始めた。


「どうやら、連合軍には俺の息子が居るらしい。数年前に家を飛び出した、馬鹿息子がだ」

「……そうなのか」

「そうだ――正直、非常にホッとした」

「馬鹿息子とか言ってるのにか?」

「子を思わぬ親はそう多くない。そして俺も、少数派ではないようだ」


 仲間と共に楽しそうに楽しているようで何よりだ――そう言って、僅かに口元を緩めた。

 

「だが、だからといって簡単に許すのは筋が通らん。何より――やりたいことを我慢し、真面目に家を継ぐために努力しているもう一人の息子に対し不義理だろう。そのようなこと、妻が、息子本人が許そうとも、俺が絶対に許せん」

「だろうな、その馬鹿息子とやらもその程度は承知で出てったはずだ」


 ああ、とガイルは頷いた。

 だからこその、この茶番なのだ。

 理屈を捏ねて、誤魔化して、演じて、他人のフリをしながら二人はここに居る。

 親としてその息子を許すワケにはいかず、

 息子もまた許されるべきではないと思っているから。


「だから。名も知らぬ冒険者よ、俺の息子に会ったら伝えて欲しい――何か一つ、大きなことを成したら、その時は会ってやっても良いとな」

「それ自体は構わねえよ。それで、その大きなことってのはなんなんだ?」

「ふむ――そうだな」


 顎に手を当てて思い悩む素振りをするガイル。

 それを見て、少し思い出した。

 英雄リックの演劇を見て、師匠に弟子入り志願をしたものの「せめて親の許可を貰ってこい」と呆れ顔で言われた後のことだ。

 慌てて家に戻り、弟をほっぽり出したことを怒られた後に剣を学びたいを頼み込んだ時――こんな仕草をしていた。答えなどもう出ているくせに、まるで熟考しているように見せて楽しんでいるのだ。家族や仲の良い人間にしかやらないとはいえ、性格が悪いにも程がある。


「では、騎士と肩を並べ戦うような仕事を完遂したら、としておこうか」


 生きて、またここに戻ってこいと。

 そんな簡単な言葉を回りくどく語るガイルに、ニールは思わず破顔する。

 変わっていないな、と。

 仏頂面で、寡黙で、真面目で、けれど子煩悩で――非常にめんどくさい。


「ああ、分かった――息子さんには伝えておいてやる」


 父に似た鋭い眼を緩めながら、ニールは頷いた。

 その言葉に「そうか」とだけ答えると、ガイルは荷物から天幕の部品を取り出し始めた。


「もう街門は閉ざされた頃だ。俺もここで野営を行う」


 怪訝な顔で見つめるニールにそう言うと、彼は軽く肩を回しながら準備を始める――


「待てよ」


 ――その背中に、制止の一言。

 なんだ、とばかりにこちらを振り向くガイルに、ちょいちょいと手招きをする。


「……今から天幕の設営すんのも疲れるだろ、俺の天幕使え。寝袋に関しちゃ問題ねえ、事後承諾になっちまうが、友人のを使わせてもらう」

「……そこまでされる義理もないだろう。しょせん、俺たちは他人だ」

「他人ではあるが、飯を作ってくれた礼もあんだろ。俺の活躍はそんなでもなかったし、こうでもしねえと帳尻が合わねえんだ。だから遠慮すんなよ、おっさん」

「そうか……そうか。ならば、お言葉に甘えさせて頂こう。名も知らぬ冒険者殿」


 夜は更けていく。

 焚き火の熱を以ってしても肌寒い冬の夜風に体を撫でられながら、しかしどこか温かいモノを感じながら食事を再開するのであった。


     ◇


 夜半。

 彼は一人、街道を歩いていた。

 いいや、一体、もしくは一機と呼ぶべきか。

 その姿は蒼と白を基調にした甲冑を纏った巨人だ。要所に金の装飾を施した姿は、物語に登場するヒロイックな戦士を連想させる。

 だが、今現在の彼の姿に、勇ましい戦士めいた快活さはなかった。

 俯き、悩みながら歩く姿は、迷子の子供に近い。


「やあ、インフィニット・カイザー。勇者ごっこはもういいのかい?」


 そんな彼の背中に、声が投げかけられる。

 聞き慣れた声。

 しかし聞きたくはなかった声だ。

 振り向くと、予想通りの人物が居た。漆黒の詰め襟の衣服――いいや、インフィニットは知っている。それは学ランと呼ばれる衣服だ。その上から隠者めいた黒くボロボロなローブを纏っている。

 にこり、と彼は微笑んだ。

 雑音語り《ノイズ・メイカー》――レゾン・デイトル最弱の幹部である。


<……貴様か>


 苛立ちと不快感を隠そうともしない声は、敵意という刃と化して相手を襲う。

 だというのに、その男は幽体か何かのようにその刃を受け付けない。

 当然と言えば当然だ。

 この男を言葉の刃で傷つけることなど出来るものか。

 その証拠に、彼はインフィニットの怒りなど欠片も頓着していない顔で、くつくつと笑み漏らしている。

 

「嫌われたものだね。あの雑魚どもの言葉に惑わされて街から離れていった君に、真実を教えてあげたのは誰だと思っているんだい?」

<――その点は感謝する。おかげで、多くの人を守れた>


 ……ああ、本当に苛立つ。

 この男は害を与える存在ではない。

 むしろ、逆だ。

 彼はインフィニット・カイザーに様々な援助を行ってきた。

 情報網を利用し西部の悪漢たちの所在地を割り出し、インフィニット・カイザーの体を修復するために口の固い鍛冶師を紹介し、己の正体がバレぬように便宜を図ってくれている。

 これだけを羅列すれば、嫌う必要のない人間に思えるだろう。なんて素晴らしい協力者なのだと思うはずだ。

 だが、インフィニットは知っている。


 この男は――――雑音語り(ノイズ・メイカー)は悪党だ。


 強者には取り入り利益を得て、弱者を利用し破滅させる、忌々しい詐欺師である。

 

「どういたしまして。君の役に立てて嬉しいよ」

<どの口でそんな言葉を吐く>

「こんな顔さ――おっと、そんなに怒らないで欲しいな。君も知っての通り、ぼくの言葉なんてただの雑音ノイズさ」


 ああ、本当に苛立つ。

 敗北を恐れた少女に刃を与え、

 自己愛に満ちた白き竜に取り入り、

 壊れかけた歌姫を安らかな死へと誘い、

 孤高の剣士を利用し国を立ち上げた――耳障りな雑音を吐くこの男が。

 

(――いいや、いいや、いいや。真に苛立つのは――俺だ)


 この男を遠ざけることは出来ない。

 この男から離れることが出来ない。

 

「安心していいんだ、勇者様。だって、勇者は正しいばかりじゃない。誰だって二面性を持っている以上、正しさだけじゃ生きてはいけないんだ」


 詭弁だ。

 そんなことは理解している。

 理解しているが――縋りたくなってしまうのだ。



「だって、このまま正しく在ったとしても――どうせ君はみんなに見捨てられるんだからね」



 ああ――そうだ。

 その言葉が、耳から離れない。

 だって、自分は知っているから。

 自分には、なにも無い。

 かつての友人のように器用な手先も無ければ、この世界の人々に受け入れられる物語を紡ぐ頭もない。

 だから、このような悪漢を排除することも出来ないのだ。


<――はは>


 自嘲的な笑みが溢れた。

 ああ、そうだ。

 インフィニット・カイザーは勇者などではない。

 勇者という理想を鎧っただけの、ただの無能(ひと)なのだ。

 

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