156/キール・グラジオラス
戦いを終えて宿に戻った連翹たちは、女部屋にカルナを呼び、一箇所に集まっていた。
とさり、と連翹はベッドに腰掛ける。
向かいのベッドにノーラが座り、備え付けの机にカルナが少しばかり居心地が悪そうに座している。宿の一室とはいえ、女の部屋に居るのが落ち着かないのかもしれない。
「……まあ、ニールも間の悪い奴だよね」
こほん、と前置きを置いて。
居心地の悪さを払拭するように、カルナが口を開いた。話題は、今連翹たちが集まった理由そのものである。
「約束を守るためにわざわざ野営したっていうのに、そのせいで僕らがニールの実家に泊まることになり、レンさんが顔見知りになったから街門まで出迎えに来てしまったワケだ。結果論だけど、適当な冒険者の宿に泊まって引き篭もってた方がまだ良かったろうに」
冗談めかして言うカルナの言葉に、たしかになぁと小さく笑みを浮かべる。慣れないことをした結果なのだろうが、こうも裏目に出たらもう笑うしかない。
「言ってくれればあたしたちだって手くらい貸したのにねー。まあ、話すのが恥ずかしかったんだと思うけど」
「親に会いたくないから手を貸してくれ――確かに言いそうにないなぁあいつ」
はは、と連翹とカルナの笑い声が重なる。
別に馬鹿にしているつもりはない。なんというか、微笑ましくて笑みが溢れるというべきか。
それは、ニールはなんだかんだ言って自分たちの中で一番自立していると思っていたから。言葉遣いも荒いし子供っぽいところもあるけれど、冒険者という括りでは常識はある方だし経験も豊富だ。
だからだろうか、こういう普通の十代みたいな部分が見えると可愛らしく思ってしまう。ああ、ニールも自分と同じ十代の子供なんだな、と。
「そうじゃなくてですね!」
ぽすん! とベッドが叩かれた。
思いの外強い口調で二人の笑い声を遮ったノーラは、ムッとした顔で連翹とカルナを見つめる。
(……あれ、話すべきは別のことだった的な?)
襲撃を退け、街に戻った時にノーラは「レンちゃん、カルナさん、話があるので宿の部屋に集まりませんか」と言ったのだ。
だからニールのことを話すつもりだと思ったのだが、間違ったのだろうか。
本気で意味が分からないと顔を見合わせる連翹とカルナを見て、ノーラはたむ、たむっ! とベッドを叩きながら言う。
「そんなことより、二人をちゃんと仲直りさせないと……!」
「え? 別に、僕らが何かをする必要なんてないんじゃないかな」
え? と硬直するノーラに、カルナは「仲直りも何も、そもそも喧嘩じゃないよこれは」と教え諭すように言う。
「互いに納得の上でああなってるんだ、僕らがあれこれ口を出せる問題じゃないよ」
その言葉はドライなようでいて、しかし紛れもない正論でもあった。
何かしらの誤解ですれ違っているというのなら、いくらでも手を貸そうと思う。
だが、現実はそうではない。
冒険者なんかになるのなら二度と家に戻るなと父が言い、息子はそれに頷いた。ただ、それだけの話なのだ。
誤解も無ければ他人が入り込む隙間もない。ならば自分たちがやるべきことはないとカルナは告げる。
「もちろん、僕みたいに何も言わずに飛び出したっていうのなら、無理矢理にでも会話させるのもアリだと思うよ。でも、この件はそうじゃないよね?」
「うう……でも」
ノーラはその言葉に納得しつつも、けれど何か否定の言葉を探して口をもごもごと動かす。
その様子をカルナは怒るでもなく遮るでもなく、気の済むまでそうさせている。
せっかく両親が生きてるのに距離を置くのはおかしいし悲しい、と。
ノーラの両親は居ないらしい。
彼女の口から直接聞いたワケではないが、しかし会話の端々から推測は出来る。
ノーラの口から出る故郷の大人は教会の司祭など、村で暮らす血の繋がらない誰かだけだ。かと言って両親を嫌ってるとか疎ましく思っている雰囲気もなく、その上この世界における教会は児童養護施設のような側面もあるらしい。それらを組み合わせると、大体の想像はつく。
そんな彼女にとって、家族が生きているのにわざわざ距離を置く理由が分からないのだろう。
いいや、カルナの説明で言葉の上では理解できているはずだ。ただ、上手く実感できないだけで。
(……まあ、そういう感情は分からなくもないんだけどね)
カルナの理屈も、ノーラの感情も、連翹には理解が出来た。
オルシジームで子供時代を語るニールは楽しそうで、叶うなら実家に戻って両親と楽しそうに笑いあって欲しい――そんな風に思うのも連翹が居て。
けれど、ニールの話を聞いたからこそ、彼自身がそれを望んでいないことが分かる。なら、そのままにしておくべきだ――そう考える連翹も居る。
そんな二つの思考が頭の中でぐるぐると周る。コーヒーとミルクみたいに混ざり合って一つになってくれたら気が楽なのに、それらは水と油のように決して混ざってはくれない。
なんてめんどくさい。
様子を見る限り街を、そして親を嫌っているようには見えないのだから、ちゃっちゃと顔合わせて酒でも飲み交わしたらいいじゃないと思う。
そして、そんな風に出来るのならとっくにやっているだろう、ということも分かる。だからこそ、連翹ではどうしようもないことだって分かるのだ。カルナが言った通り、これは当人たちの問題であり、横から口出し出来ないし、出来たとしても余計なおせっかいにしかなりそうにない。
だから、ちゃっちゃと話題を切り替えようと思い口を開きかけ――
「うっそすげぇマジでぇ!? 家に姐さんが泊まってぇええええ――!?」
「大声出さないの! お客さんに迷惑でしょ!」
――なんだろう、下階から凄い音が響いてきた。
驚愕の声がシームレスに悲鳴に変化し、それを遮るようにカリムの怒鳴り声が響く。三人は、思わず互いの顔を見合わせた。ちょっぴりと、困惑顔で。
(か、カリムさん……あんな声出せるんだなぁ)
優しく語りかけて貰った記憶しかないから、少し――うん、少しびっくりする。
それにカリムで母親を連想してしまったせいだろうか――昔母親に怒られたことを思い出して、自分が怒られてるワケでもないのにビクビクとしてしまうのだ。
数秒ほどそのまま黙り込んでいたのだが、すぐにその沈黙を掻き消すドタドタと階段を駆け上がる音が響いてきた。
荒々しい足音は自分たちの部屋の前で止まり、扉は乱雑に開け――られることはなく、こんこんと行儀の良いノック音が響く。
「ええっと……どうぞ?」
今更そんな風に取り繕っても……と思いながら入室を促すと、足音の主が現れた。少年である。
僅かに逆立った黒に近い茶の短髪を持ち、大きめの瞳は睨むような形に吊り上がっている。男性としてはやや小柄な体躯を包むのは自警団の鎧であり、腰に吊るしているのは長剣だ。
誰だろう、と首を傾げる。片耳が真っ赤になっているのを見る限り、下で叫んでいたのは彼であり、カリムに耳を力いっぱい引っ張られたんだろうなとは思うけれど。
連翹が疑問を抱く中、少年は部屋の中をぐるりと見渡し、ノーラを見つけると「うおおっ!」と歓喜の声を上げた。
「マジだすげぇ! マジで家に泊まってやがる! ……あ! 姐さんなんか飲み物とかいらないッスか? ちょっぱやで容易しますよ!」
「……ねえノーラ、いつのまに舎弟なんて作ったの?」
脳内に浮かぶのはスケバンとかレディースとか、女不良みたいな格好をしたノーラだ。そんなイメージとは真逆の存在だとは理解しているけれど、姐さんっていう響きがそっち方面の連想を捗らせる。
「い、いえ、これには色々とワケとカルナさんの意地悪とか、わたしじゃあどうにもならないことがありまして……あ、キールくん。コーヒーを三人分お願い出来ますか?」
「その程度お安い御用だぜ! ちょっと待っててくださいね、姐さんと彼氏さんとなんかよく知らねえ女の人!」
「あれえ!? なんかあたしだけ扱いが雑な気がするっ!?」
色々と物申そうとしたけど、それよりも早く階段を駆け下りていく少年――ノーラの言葉を聞く限り、名前はキールらしい――の背中を見送った後、連翹はノーラに視線を向けた。
「……っていうか、ノーラわりと素直に命令しちゃうのね」
ホントに舎弟か何かなの? と問いかけると、ノーラは慌てて首を左右に振った。
「い、いえ、だって――静かにしろって言われた矢先にあの階段の音ですよ? なんの用事も無しに戻ったらきっと怒られるんじゃないかなーと思って」
あー、と納得と呆れの混じった声が漏れた。
というか、駆け下りる音もけっこう大きかったし、カリムさんもおこから激おこにクラスチェンジしているかもしれない。
「……しかし、こうやって見ると似てるね。子供っぽい、と思ったのも道理だ」
去っていった彼のことを言っているのだろうか、カルナが何か納得したように頷いている。
なんのことだろう、と思いかけたがすぐにピンと来た。
ニールだ。
あの子、ニールによく似ているのだ!
無論、瓜二つというレベルではない。ニールの方が背が高いし、瞳ももっと鋭い。髪の毛も、彼よりも茶色に近い明るめの色合いだ。
だが、脳内で彼とニールを並べてみると、確かによく似ていた。差異はいくつもあるが、しかし血の繋がりを感じさる程度には同じ部分が多い。
だからこそカルナも彼に対し「子供っぽい」という印象を抱いたのだろう。無意識にニールと比較してしまったがゆえに、彼の姿に幼いと思ったのだ。
「お待たせしましたー! みなさんどうぞー!」
そう言って現れたキールの脳天は、ほんのちょびっと膨らんでいた。どう見てもたんこぶです、どうもありがとうございました。
結局、カリムに怒られるのは避けられなかったようだ。ノーラがあちゃあと言いたげな顔でため息を吐いた。
「ええっと、ありがとうねキールくん」
「ねえ、けっこう痛そうだけど大丈夫? ノーラに治癒してもらった方がいいんじゃないの?」
マグカップを受け取りながら問いかける。
怒られた理由は想像がつくし、まあ仕方ないなとは思うけど、さすがにちょっと頭部の膨らみが気になってしまう。
「え? ああいや、いえ大丈夫ッスよ、よく知らねえ女の人! その、こっそり治癒したのがバレたら母ちゃんに余計に怒られるんで……」
「ああ、レンさんその辺り疎いから……こういう時は自然治癒に任せるのが普通なんだ。もっとも、さすがに命や成長に問題がある場合なんかはその限りじゃないけどね」
痛みが罰なんだからこっそり治しちゃ駄目だ、ということなのだろうか。
正直ピンと来ないが、即座に回復する手段がある世界だからこその常識、というヤツなのかもしれない。
「それに、姐さんの手を――今話題の『拳の聖女』様の手を煩わせるワケにもいかないんで、この痛みは甘んじて受け入れるッス」
「……えっ」
コーヒーを啜るためにマグカップに口を近づけたノーラが硬直した。
「拳の聖女ってなに? 二つ名っぽくて心躍る……! あたしそれ初耳なんだけど……というかホント、ノーラ一体なにしたの?」
「わたしに聞かないでくださいよぉ! わたしだって初耳ですよお!」
「ああ、自警団の噂から広まって、それを聞いた吟遊詩人が詩曲を作ったみたいなんスよ。ええっと、又聞きなんでうろ覚えなんスけど、確か……」
そう言って、彼は語りだした。
ノーラについて……いいや、なんか良く分からない拳の聖女と呼ばれる女について――
星の海から現れた超越種――転移者。それを退けるために創造神ディミルゴは、強力な加護を生み出した。
光り輝く鉄拳の奇跡――その力を、正義感に満ち溢れ、そして決して悪用しない者へと授けたのだ。
その少女とは、ノーラ・ホワイトスターという名のか弱い少女であった。
彼女は右腕に霊樹で出来た拘束具を嵌め、普段はその全力を出さぬようにしながらも、騎士たちと共に転移者を討つために西へと進軍を開始したのである。
だが、この街の窮地に、彼女はついにその封印を解除した!
拳から放たれる衝撃波は数多の転移者をなぎ倒し、砕き、滅した。
そのような圧倒的な力を振るったというのに、彼女の表情は優れなかった。数多の命を奪ったこと、分かり合える可能性を摘んでしまったこと、それらが彼女の心を苛んだのだ。
けれど、その優しさこそが、彼女がその力を振るうに相応しいという証明でもあった。きっと誰かを傷つける、殺めることの意味を知っている彼女だからこそ、ディミルゴもその奇跡を授けたのだろう。
激しい戦いを終え、彼女は騎士たちと共に西部へ行く。圧倒的な力を振るいながら、しかしその瞳に悲しみを湛えて……
――一通り語ったキールは満足そうに頷くと、三人に笑いかけた。
聞き終えたノーラの顔は赤色に染まり、全身をぷるぷると震わせている。
「とまあ、大体こんな話があってッスね――」
「カルナさんどうするんですかぁあああ! ここまで広まっちゃったら誤解の解きようがないじゃないですかぁ!」
「あはは、はは。は……いや、その、ごめん。まさかこんな速度で広まった挙句、色々尾ひれが付くなんて想像の埒外過ぎて……!」
ノーラがカルナの肩を掴んでゆっさゆっさと揺らしている。なんだか知らないけど、涙目で。
カルナは必死に謝罪している。ごめん、ここまで大事になるとは予測してなかったと。
というか、この斜め上の人物像の発端はカルナか。一体何をどうして結果こうなったのだろう。
「現代のチートモノっていうより、神話の英雄みたいなノリの話ね。その後ノーラは創造神の栄光とか呼ばれたりするのかしら……バーサーカーになりそうな名前だから駄目な気もするわね」
もっとも連翹は「それとも異世界救世主伝説ディミルゴの拳かしら」とどうでもいいことを呟き、まったりとコーヒーを啜っているワケだが。
というか、ノーラには申し訳ないのだが話の尾ひれの付きっぷりが面白くて仕方ない。さすがに悪評なら楽しめないが、今回のように持ち上げられた結果のゴシップなら大歓迎だ。なんというか、勘違い系主人公を傍から見ている気分になれる。
もしかして、地球に存在する神話の英雄も、こんな風にあれこれ盛られた結果、人外じみた活躍の大英雄と化したのかもしれない。
「楽しんで貰えたようで何よりッスよ見知らぬ女の人! まあ、今は色々噂が出回ってる最中なんで、数日もすればおれが語ったのとは別物になってるかもしれないッスけどね」
「……いや、その見知らぬ女の人ってのなんとかならないの? ほら、せめて名前聞くとかそんな感じでね……」
というかカルナも彼氏さん呼ばわりだし、まさかとは思うけれど、ノーラしか名前知らないんじゃないだろうかこの男の子。
そんな疑問に答えるように、キールは「あ」と口を開いた。やっちまった、とでも言うように。
「……気づいてなかったとは、さすがにあたしの目を以てしても見抜けなかったんだけど」
「いや、その……姐さんが泊まってるってだけでテンション上がりに上がっちまって……考えもしなかったぜ」
申し訳なさそうに頭を下げる。
というか、どうしてそこまでノーラを敬っちゃってるのだろうか。拳の聖女云々の与太話といい、後でどんな活躍したのか聞かねばなるまい。
「まあいいわ、あたしは片桐連翹って言うの。ノーラがどのくらい活躍したのかは聞いてないけど、あたしだって負けてないと思うの!」
「連翹――ということは、アンタが星の海に存在するっていう転移者の国から亡命して来た姫様なのか? とてもじゃねえが姫には見えねえんだけど」
――コーヒーを吹き出しそうになった。
「待って待って待って待って! なんで突然SF要素ぶっこむの! 誰よそんな話し始めたの!」
そういえば、ノーラの話の時も転移者を『星の海から現れた超越種』とか言っていたような。
オルシジームで若いエルフがそんな話をしていた覚えがあるが、だがこんな遠く離れた西部の街で同じ話が出て来るなんておかしいだろう。
「連合軍と一緒に来たエルフが話してくれたぜ。オルシジームで今一番人気の吟遊らしいな詩曲なんだってな」
「輸出されちゃってる――!?」
なんだろう、ノーラのことを全然笑えないのだけど。
というか、さすがに姫とか呼ばれるのは恥ずかしい。
自分はそこまで高貴な生まれではないし、今後姫になれるとしてもオタサーの姫辺りがせいぜいだろうと思う。だっていうのに、どうしてこうなった。
「後は、無法者になった自分の国の民を諌めるため、自ら剣を取って立ち向かった姫騎士だとかなんとか……」
「なんであたしに姫騎士とかいうヌチョヌチョに犯されそうな称号付けたがるの! あたしが目指してるのはなんかかっこいい感じのクールキャラで、薄い本案件はノーサンキューなのよぉ!」
どうせなら頼りになるナイトのレンとか呼ばれて、圧倒的にさすがって感じに浸りたかった。
「しかし……まずいね、これは」
ようやくノーラから開放されたらしいカルナが、神妙な顔で呟いた。
なんだろう、この益体もない噂話から自分たちに迫る危機に感づいたとか、そんな感じなのだろうか。
カルナは「これから別の転移者集団が街を襲いに来る」とでも言いだしかねない真面目な顔で――
「君たち二人に比べて影薄くないかな僕。異名で呼ばれたことなんて一度もない」
――そんな、くっそどうでもいいことを言いやがったのである。
マグカップを顔面に叩きつけてやろうかと思った。
「今そういう話してないでしょおお! なに? そんなに羨ましいのカルナ!?」
「もちろんだよ! というか、二人だけずるいじゃないか! 僕だって鉄咆を撃ちながら『竜の咆哮を操りし者』とかそんな具合に噂されたい!」
「ああ――黒衣纏いし銀の魔法使い。あらゆる魔を操る彼の者が杖を振るえばどこからともなく竜が吠え、敵を打ち倒していく……とかそんな感じ?」
「そうそう、そんな感じそんな感じ……やっぱりこの話題だとレンさんが一番話しやすいなぁ」
「まあ確かに、ニールはこの手の話題に乗れないというか、乗ろうとして斜め下に落下するからね」
「……え、ニール?」
いえーい、とその場のノリでハイタッチする二人。なんか無性にテンションが上がってきた。
確かに、こうやって盛り上がれる相手というのは貴重だ。オルシジームでノーラの必殺技の名前を考えた時だって、凄く楽しかったもの。
「今そういう話をしてないって言った当人が、なんですぐに話題に馴染んじゃうんですか……というか本当に、本っ当に二人とも、そういうの好きですよね」
こちらを見つめ、深い、深い溜め息を吐いたノーラは、疲れた表情でコーヒーを啜る。
そんな彼女に対し、カルナはきょとんとした顔をノーラに向けた。
「何言ってるのさ、ノーラさんも今日からこっち側だろう?」
「え?」
「理不尽を捕食する者――君が名付けた篭手の名前、僕はとても良いと思ってるよ」
「……え、なになになに? ノーラが付けたの? ノーラが付けたのその名前! ふわぁああああ! あたしが伝えたデバックの意味と食虫植物を混ぜたのね! 中々オサレっぽくていいじゃない! ノーラ才能あるわよ!」
「え、え、え……ちょ、ちょっと待ってください……」
困惑した表情で頭を抱えだすノーラ。どうやら、完全に無意識で名付けたらしい。
それはそれで、厨二病という病魔的な意味では連翹よりも重症なのではなかろうか。だって、連翹はそういうものだと分かってて名付けたりしているのだから。
連翹は硬直するノーラに近づき、そっと耳元で囁いた。
「Welcome to Underground。いい具合に染まったみたいであたしも嬉しいわ」
「地下世界によろしくされたくないんですけど――!? というか違っ、違いますよう、これはなんというか……! なんんというか……あっ、あれ……? 確かに誰にも強制されず、自分の意思で決めたような……」
言い訳を述べようとして逃れられぬ己の業に囚われていくノーラ。
そうだ、一度目覚めた病魔はそう簡単には治癒出来ず、徐々に増殖し体を蝕んでいく――厨二病という精神の病も同じだ。
いずれノーラも腕にシルバーとか巻くかもしれない――しれないけど、その時はさすがに止めてあげよう。さすがに彼女には似合いそうにない。
「あー……その、盛り上がってるところ申し訳ないんスけど」
おずおずと手を上げるキールに、連翹は慌てて頭を下げる。
「ああ、ごめんね。すっかり存在忘れて話し込んじゃって」
「いや、それはいいんスけど――あの、さっき話題に出てたニールって人……どんな容姿してるか教えて貰えないッスか?」
あっ、と思った。恐らく、カルナとノーラも。
そういえば――キールが来るまでその話をしていたのだ。
そのことに気付いた瞬間、がくり――とノーラがその場に膝をついた。
「……あ、あれぇ……? ニールさんの家族について話そうとして皆を集めてたのに、今の今まで完全に忘れていたわたしって、ひょっとしなくても最低な人間なんじゃあ……?」
「の、ノーラさん落ち着いて! そこまで責任感じなくていいから! というか、話の腰を折りまくったのは僕とレンさんだから!」
「そ、そうよノーラ! むしろ一番気遣ってたのは貴女だから! あたしたちなんて『裏目ってやんのー! プークスクス!』とか言ってたくらいだから! そんな気にしなくてもいいのよ!」
「ええっと、その……姐さんたちとにい――っとと、ニールって人、なんか関係あるんスか?」
「ごめんね! 説明したいのは山々なんだけど、もうちょっと待ってね! ……大丈夫よ、大丈夫よノーラ! あいつ絶対そんなこと気にしないタイプだからぁ――!」
そんな感じでしばしノーラを宥め――大体三十分。
ようやく落ち着いた三人は、キールにニールの身体的特徴、性格――そして彼が語っていた思い出とグラジオラスという家名を伝えた。
今、街の外に居ることも。
父であるガイルと出会い、足早に去っていったことも。
「そっか……兄ちゃん、元気でやってんだな。良かった……ああ、うん、良かった」
ホッとした息を吐くが、しかしその表情に喜びは薄い。
もしかしたら、苦手意識でもあるのだろうか――そんな考えが顔に出ていたのだろうか、連翹を見たキールは慌てて首を横に振る。
「ああ、いや、苦手ってワケじゃねえんスよ。……ただ、ちょっと、なんっつーか」
何か考え込むように、言葉を思い浮かべるように黙り込んだキールは、ゆっくりと語りだした。
「こういうと調子乗ってるって思われそうッスけど……おれって剣の才能があったみたいなんスよ」
元々、兄の影響で剣を始めたこと。
どうやら才能があったらしく、師に褒められたこと。これから真面目に鍛錬するのなら、師範にだって成れるだろうと。
それが嬉しくて鍛錬を続け――いずれ、兄を追い抜くと考えていたこと。
「けど――そんな時に、兄ちゃんが父ちゃんに話してるのを聞いて――その、冒険者になりたい、って」
その話は知っている。
その結果、ニールはガイルに『どうしても冒険者になりたいというなら、否定はしない。だが、その瞬間から俺とお前は他人だ。二度とこの家に足を踏み入れるなバカ息子』と告げられたのだ。
「でも、兄ちゃんは即答して。ならとっとと出てけって父ちゃんは怒鳴って」
その時に思ったんだと、キールは言う。
「おれは――あんな風になれねえなって。剣は好きだし、剣士として大成したいとも思うけど、でもあんな風に夢を追えなくて」
剣は好きだった。
いずれ冒険者なり兵士なり騎士なりを目指すのも悪くないな、と思う程度には。
けれど、それと同じくらいに家族や故郷に思い入れがあって、それを捨て去ることも出来なかったのだ。
自分の好きな物を、諦めてしまった。
「……正直、少しホッとしたんスよ。兄ちゃんが居なくなるのは寂しかったけど、それと同じくらい自分と違って真っ直ぐに夢を終える兄ちゃんの姿を見なくて済んだことが」
だって、キールという少年はニールのように夢を追えなかったから。
だからこそ、父の言葉に即答し荷物を纏めだした兄の姿が眩しかった。見るのが辛い程度に、瞳を焼いて辛かった。
「今でも嫌いじゃない。嫌いになんてなれるはずない。大事な家族で、今でも頼りになる兄ちゃんなんスよ。でも――それと同じくらい、兄ちゃんを見ると劣等感があって、街の中で燻ってるおれが嫌になって」
だから、会うのが少し怖いとキールは言う。
それは酷く弱気な意見ではあったが――けれど、だからこそ連翹が共感できるモノであった。
連翹に兄弟は居なかったけれど、誰かに劣等感を抱くという経験はあったから。
自分よりも勉強が出来る人、運動が出来る人、絵が上手い人、自分が出来ない何かを出来る人――そういう人に対して劣等感を抱き、しかし『どうせプロになれるワケないくせに』と蔑み、嗤い、自己満足に浸っていた。
そんなかつての片桐連翹よりは目の前のキールという少年は真っ当だ。己の弱さを直視し、けれど、だからこそ逃げ道を失っている。
「夢を追ってる人が偉いなんてことはないわよ。夢を追う人も、地に足つけて頑張ってる人も――真剣に頑張ってる人は、どっちも偉いのよ」
――だから本音に若干の詭弁を混ぜて。
もうちょっと自分を肯定してもいいのだと、彼に笑いかけた。
「ニールはニールで全力で剣のために生きて、今連合軍に居る。キールはキールで稼業を手伝いながら街を守ってる。人によってどっちかの方が偉くて凄いって言うかもしれないけど――でも、真剣に考えた結果選んだ未来を真剣に生きてるのなら、そこに優劣はないのよ」
家と街を捨ててでも夢を追いたいと思ったニール、
家と街が大事でそれを守ろうと思ったキール、
きっと、そのどちらの意見も正しいのだ。
片方を悪く言う人は、きっと他人を嗤うことしか出来ない人なのだと思う。
家業を捨てて夢追い人になるなんて身の程知らずだと嗤い、
好きな物なのに全力になれないのかと嗤う。
そんなお前は劣等だと、自分よりも下だと嗤い狂う。
そんな者の言葉に、なぜ踊らされなければならないのか。
(――きっと、あたしが言っていいセリフじゃないんだけどね)
だって――連翹もまた、そんな風に嗤った誰かの中の一人だから。
地球に居た頃にも、そしてこの世界に来てすぐにトーナメントで出会った剣士と戦った時も――連翹は嗤っていた。
なんてマヌケな奴だと、
こんなことをして何になると。
ああ――なんて、嫌な奴なんだろう。己の言葉がブーメランのように戻ってきて体を抉る感覚に陥る。
ニールやノーラ、カルナ――そして沢山の人たちと出会って成長したかな? とは思うけれど、しかしだからといってそれまでの行為が帳消しになるワケではない。
過去は過去で、罪は罪。きっと、いずれ連翹の元に罰が返って来る。
けど、それでも。
それでも今は言葉を紡ごう。
惨めで愚かな女が、ほんの少しはマシになったかもしれない程度の経験を言葉にしよう。
今が過去を塗り替えないように、過去が今を完全に否定するモノではないのだから。
「胸を張っていいのよ、キール・グラジオラス。他人に意見を聞かないのは駄目だけど、だからってそれに引きずられちゃ駄目よ。貴方の人生は貴方が主役で、正解は貴方の中にしかないの。だから、他人の意見なんて笑って受け流しちゃいなさい。本当に必要だと思ったらアドバイスとして受け止めて、自分の足で歩けばいいのよ」
片桐連翹という少女はこんなことを語れる人間ではないけれど。
自分で言った言葉を半分も実践出来てない駄目な娘だけれど。
でも、それを他人に伝えることは出来る。
「ねえ――貴方はどうしたいの、キール。ニールに会いたいのか、会いたくないのか、このままでいいのか、嫌なのか」
正解は連翹には分からない。恐らく、目の前のキールも。
「おれは――このままじゃ、嫌だな」
ぽつり、と。
キールは呟いた。
「父ちゃんと兄ちゃんは仲良くやってて欲しいし、ガキっぽいけど――もう一度、家族全員で会いたいって思うよ」
「なら、やることは一つね!」
立ち上がり、ぐっと拳を握りしめる。
「あの頑固そうなお父さんを説得するわよ! お節介でもこの際いいわ! あたしの出来ること、全力でやってやるわよ」
やらないでする後悔よりはやってする後悔、とまでは言わないけど。
けれど、何もしないことが何かをしたことよりも勝っているなんてことはないはずだから。
「……なら、僕も行くよ。家族の一人がそう言ってるなら多少は手助けしてあげたいし、それにいざって時に引き止める人間も必要だろうしね」
嫌々といった風に立ち上がるカルナだが、その表情には僅かに安堵の色があった。
なんだかんだで、彼も心配だったのだろう。そんなカルナを、ノーラは小さく微笑んで見つめている。
「そんじゃあ、おれが話してみるんで、ちょくちょくと援護を頼む」
「どこに居るか分かってるの?」
「さっきまで厨房でメシの仕込みしてたんで、たぶんまだそこに居るはずッス」
キールの言葉に頷き、階段を降りる。
そして厨房にキールが入ろうとし――
「――――カリム、今日は帰らん。仕込みはしておいた、温め方、盛り付け方、全て紙に記した。問題はないな?」
ガイルの声に、皆が足を止めた。
「ええ、もちろん。ところで、ガイルはどこに行くのかしら?」
にこにこ、と。
満面の笑みで、貴方のことは全て分かっていますよと言いたげな顔で、カリムは言う。
「自警団や連合軍に対する差し入れだ」
「それにしては量が少ないけど?」
「大多数には既に別の店が差し入れを行っている――なら、俺は他の者が行かない場所に行くまでだ」
「へー、そうなのー、それで、そこはどこなのかしら?」
茶化すような口調でカリムは問いかける。
それに、ガイルはしばし沈黙して。
視線を僅かに逸しながら口を開いた。
「街の外の野営地だ。転移者の追撃がないかと見回ってる冒険者が居るらしい」
「あらそう、それならちゃんと労ってあげないとね」
「そうだ。別に、他意などない」
「そうなの?」
「無論だ――では、行ってくる」
そう言ってガイルは宿から出ていった。
「ああ、くそ、行っちまったか。さっさと追いかけねえと」
「……いえ、追いかける意味はないですよ、キールくん」
ノーラが笑う。呆れたような顔で、けれどそれ以上に嬉しそうに。
――現在、野営地にはほとんど人が居ない。
襲撃後ということもあり、旅人や冒険者なども街壁の中に招き入れ、公園や広場などに泊まるスペースを確保しているのだという。
そんな中、街の外に居る者は数少ない。
仕事熱心な自警団の他には、街に入ることを拒んだとある冒険者くらいではないだろうか。
そして、その冒険者をガイルは目撃しているのだ。
「息子と会う理由はなくても、街を救った冒険者の一人に会う理由はある――そういう理屈なんでしょうね、きっと」
「……うわぁ、親子共々めんどくさい……」




