155/別れと再会
遠ざかっていく。
インフィニット・カイザーが遠ざかっていく。
その背中を見つめる連翹は、胸の中に不安と共感を抱いた。
……雑音語り――レゾン・デイトルの幹部の名前が出たことに対する不安。
見る限りあの勇者は善人だ……少なくとも、連翹はそう思いたい。
子供に好かれる聖職者が実は極悪人というのもテンプレではあるが、それは物語だからこそだ。善人に見えるけど悪人だったり、またはその逆だったり――現実に例がないワケではないが、だからといって数が多いワケでもない。こういったモノは数が多いからこそ取り沙汰されるのだ。
……そして、最後に見せて弱い姿――それに対する共感。
ゲイリーに「まだ見ぬその人物は信用出来ずとも、君は信用できる」と言われた時の、狼狽えた姿。今までの威風堂々とした態度とは真逆の、気弱な態度。
(……あたしと、同じ)
どれだけ強気になろうと、どれだけ自信を持とうと、それは上っ面だけ。一皮むけば、地球に居た頃の自分が――脆く弱い、傷つきやすい己が露出する。
先程インフィニットが見せた姿は、そんな自分と同じだ――理屈ではないけれど、連翹は確信した。
だからこそ、少し腹が立った。
それを理解していたはずなのに、わざわざ上っ面を引き剥がしたゲイリーが。
口を一の字に閉じながら、かつかつとゲイリーの元へ歩み寄る。怪訝そうなニールやノーラ、カルナの声が聞こえるが知ったことではない。
「ふむ……おっと、何か用かな連翹くん」
インフィニットの背中を見送り、何か考え込んでいたゲイリーは、近づいてくる連翹に向けて笑いかける。
「……ねえ、ゲイリー。貴方、アレわざとよね? あの人が真っ当な善人だと理解しながら、ああやって攻撃したんでしょ」
両手で腰に手を置きながら、睨みつけて言う。
「まあね。人間、追い詰められると素の感情と言葉が出るモノだから。それがその人間の全てとは言わないけど、相手を見定めるには丁度いい」
「そうまでして情報を引き出す必要あったの? 勇者として皆を助けて、それでさようなら……それで良かったじゃない」
必要なことであれば、相手の心にダメージを与えてでも情報を引き出す必要はあると思う。
けど、彼に対してそれが必要だったのか――連翹はそう思えないし、だからこそ納得もできない。
だって――インフィニット・カイザーを名乗るあの転移者の体は、ボロボロだったから。
昔のロボットアニメを元にデザインしたように見えるあの巨大な甲冑には、ヒロイックな装飾が施されていた。
どうやって動かしているのかは想像しか出来ないけれど、しかし中の人はあの勇者の姿が好きであの巨大鎧を創り上げたに違いない。少しだけだけど話したから分かる。彼は、勇者や他のロボットが好きで好きでたまらない、そんな人だ。
(この世界に来て、理想の姿を作り上げたのよね、きっと)
己が異世界に召喚されて魔法騎士になる作品に憧れて、セーラー服を戦闘用に改造したように。
そんな理想の結晶をボロボロにしながらも、彼は他人を守った。懸命に、ひたむきに。だって言うのに、ゲイリーはわざわざ傷つけるようなことを言った。だから腹が立つのだ。
「悪人が成すこと全てが悪なワケではない。気まぐれに善行を積むことだってある」
ゲイリーは一度頷き、語り始めた。
「それと同じように、善人が成す全てが善なワケでもはないんだ。魔が差すこともあれば、悪い友人に唆されることもある」
「あの人がそうだっていうの?」
「確証はないけど、前例があるからね。君たちが女王都で倒した転移者――レオンハルトを覚えているかな?」
ぴくり、と。
近くで話を聞いていたブライアンが体を震わせる。
「あれは悪党だった。女を攫って、殺して、違法奴隷にするような――ね」
けれど、と。
一拍、間を置いて。
「最初から悪だったワケではない。ブライアンは言っていたよ、彼は普通の人だったと。自ら善行を成すほど善人ではなかったが、己から他者を傷つける悪党でもなかったと。もっとも、その天秤は崩れ、罰せられるべき悪党になってしまったのだけれどね」
それは悲しいことだけれど、しかし誰にでも起こり得ることなのだとゲイリーは語る。
根っからの悪党が居ないのと同じように、根っからの善人もまた存在しない。
「けどね、だからこそ真っ当な道を歩む人々は尊いんだ――そんな人々を守ろうとする彼は、出来る限り助けてやりたい。それもまた、ボクの本音なんだ」
「……だから無理矢理聞き出したの?」
「知らなければ救えないからね――落ちる前か、後か、まだ分からないけれど」
申し訳なさそうな顔で言う。
だが、もしも――と。
もしも既に堕ちに堕ちていたら。
上っ面の正義を振るいながら、邪悪を成していたら。
「その時は裁く必要がある――どれだけ善を成そうと、罰が与えられない限り罪は帳消しにはならないのだからね」
――凍えた刃のような、鋭く冷たい声音であった。
先程までの厳しくも優しい彼とは違う、一刀で首を落とす処刑人めいた冷酷さを感じる。
そんな風に感じてしまうのは、その凍えた言葉の刃が、連翹の首すらも落とすかもしれないと思ったからだろうか。
お前も外道に堕ちたら殺すと、言外にそう告げられたような気がして、体が僅かに震えてしまう。
「……いきなり突っかかったと思ったら。大丈夫かよ、連翹」
その震える肩に、ぽんと手が載せられた。大きくて硬い、男の手。剣を握り慣れた剣士の手の平。ニールの手だ。
「ううん、ごめん、大丈夫よ。ゲイリーもごめんね、何も知らずに口出ししちゃって――うん、大丈夫だから」
納得もしたし――貴方が危惧するようなことにもならないよ、と。
そう告げる連翹に、ゲイリーは嬉しそうに笑みを返した。先程までの冷たさが勘違いだったのではないかと思う程、柔らかく温かい春の日差しのような笑みだ。
だが勘違いではないし、彼が多重人格めいた二面性を持っているワケでもない。
きっと、今の世界が大好きだから。
だから、その世界で暮らす人々のことが好きで――だからこそ、それを崩す者が心から許せないのだ。
「レンちゃん! もう……びっくりさせないでくださいよ」
「ごめんねノーラ、どうしても言いたいことがあって」
怒ってるようでいて、しかしどこか安堵した表情のノーラに頭を下げる。突然一番偉い人に突っかかりに行ったのだ、心配するのも当然だろう。
「本気で問いただしたいのなら止める気はないけど、でも出来れば一言欲しかったな。なにをするか分からなかったから、若干肝が冷えたよ」
まったく、と呆れたように言うカルナであったが、やはりその表情にも安堵があった。
その事実が、少し嬉しい。もちろん、申し訳なくはあるのだけれど。
自分のことを想って心配してくれる友人。その存在が心を暖かくさせるのだ。だからこそ、それ以上にそんな人達を心配させてしまったことを反省するのだけれど。
「ごめんね二人とも、それとありがとう。……自分で言うのもなんだけど、やっぱりあたしって馬鹿な女ね」
こんなことを言えば「今頃気付いたのかよ馬鹿女」とかニールに言われそうだけど、それでも思わず口に出てしまった。
結局のところ、片桐連翹という少女はただの人間であって、最強にも無敵にも程遠い未完成な存在だ。
そんな当たり前のことを、随分と長い間受け入れられなくて――だからこそチートに縋っていた。自分は最強だと謳いながら、しかしそうでないことは自分が一番よく知っていて、だからこそチートという力に溺れ、酔いしれた。
きっと一人では気づけなかった――ニールにノーラ、カルナが居なければ。
いいや、もっともっと前、顔も覚えていないあの剣士に出会わなければ――片桐連翹という人間は、レゾン・デイトルの住民か、先程蹴散らした転移者の一人になっていただろう。
だからこそ、連翹は他の転移者たちに強い敵愾心を抱けない。もちろん、知り合いを傷つけられたら怒るし敵対もするが――どうしてああなったのか、なんであんなことをしているのか、理解出来てしまうから。
「……あれ?」
だから、今日くらい馬鹿女呼ばわりされても受け入れようかな。
そう思っていたのだけれど、なぜだか予測したニールの言葉はいつまで経っても耳に届かない。
怪訝に思い、ニールの方に視線を向ける。
「……」
彼は一人、じい、と街門を見上げていた。
感慨深そうに、そして懐かしむように。
(――あ)
それで、ようやく気づいた。
なんでニールが街に入りたがらないのか、なんでわざわざ野営などをしたのか。
思い浮かべるのは森林国家オルシジームで彼自身が語った過去である。
『どうしても冒険者になりたいというなら、否定はしない。だが、その瞬間から俺とお前は他人だ。二度とこの家に足を踏み入れるなバカ息子』
昔を懐かしみながら、冗談めかして言っていたのを思い出す。
ニールは、それを忠実に守っているのだ。家に入るなって言われただけなのだから、街に入るのはいいんじゃないかと思うのだけれど。
(家を捨てた以上、近場をうろうろしてるワケにはいかないってのが半分。家族に会ったら気まずいのが半分、かしら)
意外なくらい律儀というか、生真面目というか。知らないフリして宿に引きこもってたら、きっと家族にもバレなかっただろうに。
それでも、ニールは故郷に足を踏み入れることが許せなかったのだろう。
父親との約束、それを違えぬために。
「……お、っとぉ。そんじゃ、俺は、あー……辺りを見回って来る。街を出る時にでもまた会おうぜ」
そんなことを考えてじっと見つめていたからだろうか。
視線に気付いたニールは、誤魔化すように視線をあちこちに彷徨わせた後、こちらに背を向けて歩き出した。
――下手。
こいつ嘘吐くの超下手だ!
いや、嘘が下手、というよりも後ろめたさを隠すのが下手糞、というべきか。女王都ではカルナと一緒に演技だってしたし、ブラフを使わない剣術なんて存在しないはずだし。
カルナが呆れたようにため息を吐き、ノーラも「あはは……」と苦笑している。連翹もまた、二人に倣うようにくすりと笑った。本当に、悪戯を隠そうとしている子供みたいで、おかしくておかしくてたまらない。
「……その様子では無事のようだな、片桐」
ニールの背中を見送っている最中、厳しい声が連翹の耳に届く。
振り向くと、とても客商売の人間だとは思えない強面の男が連翹を出迎えた。一部の冒険者が、彼を見て思わず武器に手を置いている。まあ、気持ちは分からなくもない。
「あ、ガイルさん。ええもう無事も無事、黄金の鉄の塊で出来た絆を装備したあたしが烏合の衆に遅れを取るはずがない、ってねぇ!」
「……黄金なのか鉄なのかハッキリとしろ。阿呆に見えるぞ、その物言いは」
皆の誤解を解くべく殊更明るく振る舞うが、熱い真顔の正論に思わず口ごもる。反応がセメント過ぎて話題の勢いに身を任せて同化出来ない……!
「ええっと――宿の店主さん、だよね。レンさん、いつの間に知り合いになったんだい?」
「襲撃が起こる少し前に、ね。襲撃が起こった時も道を先導してくれたの。あの時は本当にありがとうね、あたし一人じゃ辿り着けなかったと思うし」
「礼は不要だ。自分が住む街を守るためだからな。言ってしまえば、俺自身の都合で先導したに過ぎない」
「ふわああ、カリムさんから聞いた通りのツンデレっぷり! 今時珍しいくらいの照れ隠しね、カリムさんが可愛いって言ったのも理解できるわ!」
「…………」
眉を寄せ、無言でこちらを見つめるガイル。その様子に、ノーラは小声で連翹の袖を引く。
「れ、レンちゃんレンちゃん。物凄く睨んでるけど、店主さん凄い怒ってるみたいだけど……!」
「大丈夫、あれは恥ずかしがってるだけよ」
「カリムめ、一体どれだけ喋ったんだ……」
そうぼやいて彼は視線を逸した。瞳が鋭くて始終仏頂面のために分かり辛いが、『そういう人だ』と理解してしまえば下手に演技が得意な人よりもずっと感情を読み取りやすい。
「……!」
だからこそ。
視線を逸した先にあるモノ、それを見て瞳を見開いた姿は、逆に分かりやすすぎて驚いた。
まさかさっきの転移者の生き残りでも居たのか――そう思って慌ててガイルの視線の方向に体を向ける。
だが、そこには驚くようなモノは何もない。あるのは、こちらに背を向けるニールの姿のみ。
「――ニール」
ぼそり、と。
彼は小さく呟いた。名乗ってもいないニールの名を、ハッキリと口に出したのだ。
その呟きが聞こえていないのか、それとも聞いた上で聞こえていないフリをしているのか、ニールはそのまま走り去っていく。その背中を、ガイルはじっと見つめていた。
「……ガイルさん。貴方、もしかして――」
ニールは言っていた、自分の実家は宿屋だと。
冒険者の宿ではなく、普通の旅人を泊める場所だったと。
「知らんな」
連翹の声を遮るように、ガイルは言い放った。
「知らん顔だ、あれは。世界には同じ顔をした者が三人居るという眉唾の話があるが――それが本当だとすれば、顔立ちが近い者など複数存在するだろう。なんとも珍しい話だが、ありえない話ではない」
……嘘が苦手なのは遺伝なのかな、と思う。
ニールの背中しか見ていない癖に、なんで自分と顔が似ていると分かるのか。こんなの、前から顔を知っていると自白しているようなモノではないか。
そんな分かりやすい嘘を言ったガイルは、その鋭い瞳で去りゆくニールをただただじっと見つめていた。
感慨深そうに、懐かしむように。
その眼差しも、街門を見つめていたニールと同じで――ああ、やはり親子なのだな、と連翹は思うのだった。




