153/あれが噂の西部の勇者(インフィニット・カイザー)
「勇者――アレが勇者だぁ!?」
思わず叫んだニールを誰が責められるだろう。
ニールも、他の連合軍の者たちも、勇者がどんな姿をしているのか想像くらいはしていた。
それは勇者リディアのような女性であったり、連翹の語る『強い勇者』のイメージから騎士のような戦士であったり。
だが、その予測はどれも転移者――人間であったのだ。
鋼の巨人が勇者だなんて、予測も推測も妄想だって出来やしない。そもそも、現地人はあんなモノを想像したことがないのだ。
<――失敬。貴殿がこの場の指揮官であろうか>
敵、味方、多くの人間の視線を集めながら異型の巨大な人形は――無限の勇者を名乗るインフィニット・カイザーはブライアンに視線を向けた。
その瞳は銀に輝き、闇夜に映える獣の瞳を連想させる。
「ああ、ブライアン・カランコエだ――女王都リディアで兵士長をやっている」
緊張した声音で答えるブライアンに、インフィニット・カイザーと名乗った巨人は<そうか>と頷く。
その特異な姿に警戒をするブライアンに対し、インフィニットは周囲を警戒しながらも頭を下げた。
<ありがとう――人々を守ってくれて。そして、すまない。勇者ともあろう者が、この窮地に遅れてしまった>
その声音からは、感謝と悔しさ、そして多大な安堵が感じ取れる。
よく見れば、インフィニットの体には木の枝や土で美麗な装飾が汚れていた。道なき道を無理矢理に突っ切ってきたのだろう――この街の窮地に、いち早く馳せ参じるために。
<疲労しているところすまないが、頼みたいことがある――ブバルディアの街門まで、民間人を連れて行ってはくれないか>
そう言ってインフィニットは剣を構え――返答を待たず敵陣に突っ込んだ!
<現在、街門付近に敵はほとんど居ない――ここの敵はワタシが引きつける!>
ガシャン、ガシャン、という硬質で巨大な足音を鳴らしながら大地を駆け抜ける彼は、それを発声した。
<無限剣、一の太刀! 疾風怒濤の刃『ファスト・エッジ』よ、唸れ! 必っ殺っ! 一刀! 両断斬りぃぃぃぃいいいい!>
大音声を上げて振るった刃は、転移者を、盗賊を、そして地面を大きく抉る。
その声を聞き、放たれた技を見て、ニールはようやく理解した。
(無理矢理に誤魔化しちゃいるが――あれはスキルか!)
つまりは、インフィニットという巨人もまた転移者なのだ。
叫びの中には転移者のスキルが存在し、動きもまた『ファスト・エッジ』の動作そのもの。
だが――それなら、スキル発動後の硬直時間もまた同様に存在するはず。
「今だ! 動けない内に叩き潰せ!」
それを理解しているらしい転移者がインフィニットに襲いかかり、それに釣られた他の転移者も彼に向けてスキルを放つ。
『ファスト・エッジ』が鉄の肌を切り裂き、『ファイアー・ボール』が細かな装飾を焼き、『クリムゾン・フレア』が蒼く染められた鎧を熱で赤く染める。<ぐぅ!>と、鉄巨人は苦悶の声を上げた。
当然だ。あんなに目立つ奴が敵陣のど真ん中で硬直すれば、集中攻撃されないワケがない。そんなこと、子供だって理解できるだろう。
なのに、なぜあのようなミスを――そう、疑問に抱くニールに答えるように、彼は叫んだ。
<ぐゥッ――今だ、行け!>
はっ、とした。
あれはミスではない、ミスだと転移者に思わせて、己に攻撃を集中させたのだ。
インフィニットのスキルに硬直時間があるように、無法の転移者たちにもスキル発動後の硬直時間が存在する。そんな彼らが、あの巨人を倒すべく集中攻撃を行った――大勢が、一度にスキルを使用した。
それはつまり、数秒だけは安全に移動できるということ。
それを察したらしいブライアンは刹那逡巡するように顔を歪めたが、大きく頷いて号令をかけた。
「――全員、非戦闘員を担いで街門まで移動するぞ! すまねえ勇者、すぐ戻る!」
<頼む! ワタシもこの数が相手では勝算が薄い!>
その言葉は本音でありながらも、同時に敵の意識を自分に向けるためのモノだ。
今なら倒せる――そう相手に思わせ、攻撃を集中させる。己に攻撃が集中すればするほど、民間人を逃がす時間を稼げるから。
(――なら!)
ニールは地を蹴り、皆を先導するブライアンと並走し声をかける。
「ブライアン、俺はここに残っても構わねえか!?」
「――そっちの方がいいか。ああ、構わねえ! だが、無茶はすんなよ!」
ニールの考えを読み取ったのか、ブライアンは大きく頷いた。
実際、ニールがブライアンたちについて行っても大した活躍はできない。無意味ではないし、足手まといにはならないだろう。けれど女子供を担いで走るにしろ、皆と並走しながら追いかけてきた敵を倒すにしろ、ニールの速度と剣術を活かし辛いのだ。
ならば、単身で敵を食い止めるインフィニットの援護を行った方がいい。
それは連合軍の中では対転移者戦の経験が多く、スキルの間合いを理解しているニールだから。敵の攻撃を上手く回避でき、またインフィニットの攻撃に巻き込まれない自信があったからだ。
「ああ――分かってる!」
反転し、無数の敵と戦うインフィニットの元へとひた走る。
遠目でも分かる――無数の転移者に群がられている彼の姿が。
<どうした悪漢ども! まだワタシの胸の輝きは途絶えてはいないぞ!>
インフィニットは疾走しながら剣を薙いだ。彼にとっては長剣程度の長さの刃だが、人間にとっては恐ろしい程に巨大な大剣だ。それを振り回すだけで、近づいた者はたやすく千切れ飛ぶ。
複数人を切り裂きながら、彼はスキルを使わない。いや、使わないのではない、使えないのだ。あの巨体だ、足を止めれば魔法スキルの集中攻撃を受けてしまう。
ゆえに、彼は立ち止まらず刃を振るい続けた。刃を振るい、『ファイアー・ボール』を盾で打払い、『クリムゾン・フレア』を転げるように回避し、なるべく速度を殺さぬように移動し続けている。
上手く戦っている。恐らく、転移者集団との戦闘に慣れているのだろう。回避や防御のタイミングに、隙間を縫って振う斬撃。人間の剣士だったと仮定しても高水準な技量を持っていると言えるだろう。
だが――それでも、敵が多すぎる。
「はっ――捕まえたぞ、勇者ぁ!」
<く――ッ!?>
『クリムゾン・フレア』を回避するために地面を転がった時に張り付かれたのだろう。頭部の兜飾りを掴みながら、転移者が勝利を確信した笑みを浮かべた。
振り落とそうとするものの、相手はがっしりと組み付いていて不可能。手で引き剥がそうにも、絶えず飛んでくる『ファイアー・ボール』などの遠距離攻撃を防ぐため、盾も剣も使い続けなくてはならない。
「頭を斬り砕かれて死にやがれ! 『スウィフト・スラ――」
「させねえよ! 人心獣化流――跳兎斬!」
地を蹴り跳躍――インフィニットとすれ違うように宙を駆けたニールは、翼を広げるように霊樹の剣を薙いだ。
刀身はスキルを発声しかけていた転移者の喉を撫でるように切り裂き、切断。頭部は跳ね跳び、体は力を失ってインフィニットの肩から滑り落ちちる。
地面に着地したニールはそのままもう一度跳躍し、インフィニットの背後に降り立った。
<君は――>
「一人じゃ雑魚散らすのも手間だろ、手ぇ貸してやる」
突如として現れた闖入者に困惑する転移者たちとインフィニット。それに対し、獣めいた剣呑な笑みで応える。
それは敵に対する威嚇であり、味方に対し「俺は戦意に満ち溢れている」という意思を言葉よりも明確に伝える手段であった。
正直に言えば、勇者を名乗るこの鉄巨人が真っ当な存在なのかはまだ分からない。それを理解するには、情報も、会話も、交流も少なすぎる。
けれど、鎧に施された装飾が汚れることを厭わずこの場に馳せ参じた事実と、ダメージを受けながらも一般人を逃したこと、そして今も大勢の敵と戦っている現況――それらを見て、少なくともニールは信じるに値すると思った。
「インフィニットだったな――好きにスキルを使え。安心しろ、味方のスキルに巻き込まれるような間抜けは晒さねえよ」
<しかし――>
そこまで言って、インフィニットは言葉を止める。
既に転移者たちはニールにも敵意と殺意を向けていた。今更、逃げることなど不可能だろう。
それに事実、一人で戦うには敵が多すぎる。援軍は彼にとってありがたいモノのはずだ。
「ぐだぐだうるせぇぞ雑魚が! 現地人が一人増えた程度で、俺に勝てると思ってんじゃねえぞ――! 『クリムゾン・フレア』ァァァアアアア!」
乱入によって僅かに停止した戦いが、灼熱の炎によって再び燃え上がる。
それを視認したインフィニット、刹那の間悩むような声を漏らし――力強く頷いた。
<――分かった! すまない。力を借りるぞ、異界の剣士よ!>
「任せとけ、鉄巨人の勇者!」
一人と一体が同時に跳躍し、暴虐の炎を回避する。
その最中、勇者が叫んだ。
<硬直後のサポートは任せたぞ! ……無限剣、二の太刀! 猛火の刃『クリムゾン・エッジ』よ、猛り狂え! 炎っ熱っ! 一掃! ざぁぁぁああああん――ッ!」
『クリムゾン・フレア』の爆風を利用し加速したインフィニットは、着地と同時にスキル『クリムゾン・エッジ』を発動。燃え盛る剣で周囲を薙ぎ払う。
巨大な刃が、燃え盛る灼熱が、転移者たちを葬り去っていく。
一撃で数十人を葬り去ったインフィニットの攻撃だが、しかしその後は大きな隙が生まれる。『ファスト・エッジ』ですら集中攻撃を喰らったのだ。それよりも長い硬直を敵の前に晒せば、更に苛烈な集中攻撃で殺される可能性もあった。
そんなリスクを負ってくれたのだ、その期待を裏切るワケにはいかないだろう。
「人心獣化流――破砕土竜……!」
インフィニットの足元へ突貫し、地面に刃を突き立てた。
体内の闘気を剣先から放出し――その力によって地面を砕き、めくり上げる! 砕けた石と砂塵が周囲を覆う。
もっとも、これはそれだけの技。転移者どころか、そこそこ鍛えた現地人が相手だったとしても威力が不足している。
けれど、この技の目的は相手を倒すことではない。
「が――てめえ……!」
インフィニットに接近していた転移者たちは、スキル発動直前に足元を掬われ、無様に転倒している。
目論見通りだ、と笑みを浮かべた。
破砕土竜は相手の足元を崩す技であり、砂塵で視界を奪う技である。砕けた土は即席の煙幕と化し、ニールを、そしてインフィニットの姿を覆い隠している。これで近距離、遠距離共にインフィニットを守ることが出来るのだ。
なぜなら、スキルに必要な工程は二つあるから。
その一つが技名を叫ぶ『発声』であり、もう一つは目標を視界に収める『目視』である。後者を潰した以上、遠距離からニールたちを狙い撃つこは出来ない。せいぜい、砂塵の切れ目に魔法スキルを叩き込んで威嚇するのがせいぜいだろう。
「ハッ! 本来なら次の攻撃の布石に使う技なんだが――テメェらには十分過ぎるだろうよ」
――普通の戦士であれば、こうも上手くは行かなかっただろう。
一から修練を積んだ戦士であれば、ニールの技程度で転倒するなどありえない。どんな剣術にしろ武術にしろ、基本は下半身だ。基本の構えの練習で、厳しく教えられる部分である以上、疎かにするなど考えられない。
――普通の魔法使いであれば、土煙で視界を奪われた程度で魔法を止めることなどありえない。
なぜなら、相手が土煙の中に隠れ潜んでいることは分かっているから。そこに複数人が魔法を撃ち込めば、それでニールなど焼き殺されてしまう。
<なるほどな――ところで、君の技にワタシを巻き込んだことに関して何か一言ないかな?>
土で汚れたインフィニットが問いかける。
責めてるような言葉でありつつも、どこか冗談めかした響きの声を聞き、ニールは「何言ってんだ」と呆れた風に笑う。
「俺の破砕土竜程度じゃ、お前を転ばすことも傷つけることも出来ねえよ――もちろん、ぶっ壊す気で使う技なら、その限りじゃねえけどな」
<それは恐ろしいな、その時は壊される前に君を倒すとしよう――さて、まだ動けるか?>
「当たり前だ。好きにやれよ、しっかり喰らいついてやっから」
<分かった――ふんっ!>
掛け声と共にインフィニットは地面を抉るように剣を振るった。それは起き上がろうとしていた足元の転移者たちを斬り潰し、大気をかき乱し、土煙に穴を穿つ。
そこから見えるのは、土煙に突入しようとしている者と、煙が晴れるのを今か今かと待ち構えている者の姿だ。
<近づいてくる者は任せたぞ! インフィニット・『ファイアー・ボール』ゥケイノォオオオオオ!>
即座に敵転移者を目視したインフィニットは剣と共に右手を突き出し、スキルを発声。右手から生成された火球は、遠距離からスキルを使おうとしていた転移者たちに直撃する。
生まれる怒号と悲鳴に転移者たちが浮足立つが、しかし接近している者たちはそのようなモノ関係ないとばかりにインフィニットへと肉薄する。
インフィニットはスキルを使用した。下位魔法スキルの『ファイアー・ボール』が与える硬直はそこまで長くはないが、彼が復帰して転移者たちに剣を振るうよりも、自分たちが接近してスキルを放つ方が早い――恐らく、そう思っているのだろう。
傍にいる、ニールの存在など忘却して。
「あんま下に見てんじゃねえぞ! 人心獣化流――鰐尾円斬!」
砂塵を蹴散らしながら転移者たちに突っ込む。飛び込んできたのは四人程――問題ない。
己の体をぐるりと回転させながら飛び込み、剣を振るう。疾走と遠心力を乗せた回転斬撃は、インフィニットに意識を集中させている彼らの胴を薙ぎ払う。ばしゃり、と切り捨てた胴体が、刃に付着した血液が飛び散った。
<力強くも靭やかな動きだな。まるで肉食獣だ>
「おう、ありがとうよ。……つーかさっきから気になってたんだがよ」
む? と硬直したまま疑問の声を上げるインフィニットに対し、仏頂面で柄頭を向ける。
「さっきからやってるアレ、スキル前後の叫びだよ。なんか意味あんのか? 俺が見た感じ、全く必要のない行動に見えるんだが」
<必要はない、だが意味はある!>
硬直時間が終了したインフィニットは、地面を踏み砕きながら加速し、跳躍。『ファイアー・ボール』を喰らい浮足立つ転移者たちへと剣を振るいながら急速落下。轟音を響かせながら転移者たちを薙ぎ払っていく。
<環境のせいだろうか……西部は悪漢と化した転移者が他の地域よりも多い。そのため、転移者の技を扱う者は悪漢だと思う者も少なからず存在するのだ>
「……だから、前後を弄ってスキルに聞こえないようにしてんのか?」
子供騙しだがね、と自嘲するように笑う。
<だが、子供騙しも真剣に取り組み、貫き通せば真となる! 悪漢どもよ! 異界の剣士よ! 道化と笑いたければ笑うが良い! 嘲弄の雨にどれほど濡れようとも、ワタシは――勇者として皆を救ってみせる!」
剣を横一文字に振るい、インフィニットは吠えた。
それ自体が敵を足止めするスキルか何かのように、大気を震わせ、転移者たちの足を地面に縫い付ける。インフィニットの気迫に飲み込まれ、戦意を喪失し始めているのだ。
<ワタシは勇者! 無限の勇者インフィニット・カイザー! この剣は悪漢を滅ぼすために、この体は誰かを守るために、この背中は誰かに勇気を分け与えるためにあるのだから!>
「なるほど、すげぇ馬鹿なんだな、お前」
それを見て、ニールは笑う。
楽しくて、仕方がなかった。
「気が合うな――」
剣を右肩に担ぐように構える。
ぞくぞくと体を刺激する喜びと戦意に導かれるまま――ニールはうろたえる転移者たちへと突貫した。
「――俺も馬鹿だ!」
呆然とこちらを見つめてくる転移者の頭部を餓狼喰らいで叩き斬る。間抜け面を晒しながら崩れていくそいつを踏みつけながら剣を引き抜き、死体になりかけた体を踏み潰して跳躍。
眼下の転移者たちが、慌ててこちらに視線を向けてくる。遅い、遅い、遅い。なんて遅さだ。
「人心獣化流――獅子咆刃!」
剣に闘気を纏わせ、それを射出。獅子の咆哮めいた轟音と共に放たれたそれは、棒立ちの転移者の頭部に直撃し、押しつぶす。
その様を見ながら、ニールは笑う、笑う、笑う。獲物を喰らう肉食獣のように、けれど新たな友人と出会った子供のように。
「やっぱりよ――やりたいこと、やるべきことに全力な馬鹿はいいよなぁ! 身も心も滾って来やがるぜ!」
体内のエネルギーを放出したために、ずしりとした重い疲労が四肢に纏わり付いてくる。
だが、そんなモノ気にならないくらいに心は晴れ晴れとしていた。それに引き寄せられるように、体も軽くなっていく。
地面に落下するニールは、空中で姿勢を制御し頭部と剣先を地面に向ける。勢い良く地面に落ちたニールは、接地した瞬間に破砕土竜を発動。地面を砕いて着地を狙っていた転移者を吹き飛ばし、遠距離から狙い撃とうとしていた者の視線を砂塵で遮る。
「俺の名はニール・グラジオラス! 騎士ほど強くはねえ、転移者どものように凄い力があるワケでもねえ! それでも自分の剣で転移者と戦って勝とうと思ってる大馬鹿だ! おら、笑いたきゃ笑え! その緩んだ顔を俺の剣で敗北の表情に塗り替えてやるからよ!」
立ち上がりながら、高らかに宣言してやる。それはここに居る皆に向けた言葉でありながら、しかし真に伝えたい者は一人だけの言葉だった。あんな馬鹿には、ニールの馬鹿が伝わって欲しかったから。
――進むべき道を選択し、一心不乱に邁進する姿は美しい。ニールは心からそう思っている。
無論、全てを肯定できるワケではない。文化の違いのせいか、彼の語る勇者像というのはどうもニールにはピンと来ないのだ。だが、それでも――それでも感情の熱くらい伝わる。
インフィニットが己の勇者を持っていること、そしてそれを実現するために努力しているということ。
それを笑うことなど、出来るはずもない。
<……なるほど、君も中々に馬鹿らしい>
そう言って、彼は笑った。鋼で出来た頭部は表情を変えなかったけれど――ニールに認められたことを喜び、そしてまた彼もニールを認めたのだということくらい理解出来る。
「だろ? ――さあ、とっとと来いよ賢し顔の怠け者共! 俺らに勝てると思ってんならとっとと来い!」
そう言って感情のまま、獣めいた咆哮を上げた。
――戦いは気迫が強い方が勝つ。
極論ではあるが、しかし大きく間違いでもない。
相手の気迫に飲み込まれた方は、どうしても上手く動けなくなる。恐怖が体を縛り、普段通りの実力を出せなくなるからだ。
ゆえに、よっぽど実力差がない限りは気迫で勝ったほうが戦いに勝利する。
無論、未だ相手は多数であり、こちらはたった二人だ。先程の理屈も、一対一や多対多――戦力差が釣り合っている場合にのみ有効となる。相手の方が多いのなら、多少及び腰でも数で蹂躙できるためだ。
依然としてニールたちの危機には変わりない。
(ま、もっとも――訓練された戦士の集団だったら、の話だがな)
ニールは辺りをぐるりと見渡した。
こちらを囲む転移者たちの表情には数で圧倒している余裕は微塵もない。存在するのは恐怖と困惑が混ざりあった色のみ。
『強いスキルを使えば勝てる』
その言葉が、彼らが抱いた願望が否定されてしまったから。
『クリムゾン・フレア』や『バーニング・ロータス』といった大技を使っても、インフィニットは――それどころか、現地人のニールですら生きている。その事実が、彼らの心に恐怖を生み出した。
自分たちは全力を出した。強スキルを発動し、相手に向けて放ったのだ。だというのに、なぜ勝てない? おかしいだろう、こんなの理不尽だ――と。
彼らは戦士ではない、魔法使いでもない。
ニールからすれば、ナイフを手に入れたゴロツキと大した差はないように思えた。ギラギラと安っぽく輝くそれを振り回し、丸腰の相手を脅すだけの畜生だ。そんな使い方しかしていないから、ナイフの扱い方すらよく分かっていない。
だからこそ今、怯え、恐れている。
自慢のナイフを防がれ、回避された今――どうやって相手に立ち向かえば良いのか分からないのだ。
<さあ、どうする悪漢ども! この胸の輝きを恐れぬのなら挑むが良い!>
彼らの恐怖を煽るように自信に満ち満ちた声音で叫ぶインフィニットに、ニールは獣めいた笑みを浮かべる。
(やっぱ、こいつ戦い慣れてんな)
この手の転移者とやり合う手段を、どうやれば相手の動きが鈍るのかを。
インフィニットとて先程から駆け回り、剣を振るい、スキルを使っている。疲労していないはずがない。
だが、彼は少しもそんな表情を見せない――いいや、鉄巨人の体から表情は読み取れないのだ。
だからこそ、自信に満ち満ちた声は転移者たちに恐怖を抱かせる。
こいつはまだ余裕があるのか、あれだけスキルを放ったのにまだ戦えるのか、と。相手の方が有利だというのに、こちらが有利だと誤認させているのだ。
「は――ハッタリだ! 俺らの方が数が多いんだぞ! 全員で魔法スキルを叩き込めば、それで勝てるはずだ!」
<ならば、そうすれば良いだろう!>
正鵠を射た一人の転移者の言葉に対しても、インフィニットは揺るがない。
その程度、どうとでもなると。
勇者は無敵なのだと演じているのだ。
「ゆ、勇者はともかく、あっちの現地人ならどうとでもなる! 皆、スキルを――」
「使ってみろよ」
剣を肩に担ぎながら、剣呑に笑ってやる。
「そりゃ、俺は生身だからな。ファイアー・ボール程度でも直撃すりゃ死ぬ、簡単だ。だがな、ただじゃ死なねえぞ。最初にスキルを使った奴を叩き斬ってやる。鎖骨から胴へ、胴から腰へ、ざっくりと切り捨ててやるよ。どうせ死ぬなら、一人や二人、道連れにしねぇとなぁ?」
それは半分脅しで、半分本気の言葉だった。
ニールは特別防御に秀でてはいない以上、転移者のスキルの直撃を喰らえば絶命する。それは真実だ。
けれど、相手が一斉に魔法スキルを放つ戦法を取ってきたら、全力で逃げ回るつもりだった。敵の隙間を縫い、同士討ちを狙いながら必死に駆け回るつもりなのだ。
無論――どうしようもなくなれば、一人二人、全力で道連れにするというのも事実である。
だからこそ、言葉に真実味が出て来るのだ。
ニールは上手く嘘を吐けるタイプではない。だからこそ『その時になれば自分はそうする』という嘘を吐いてやるのだ。
インフィニットとニールの言葉を聞いて、転移者たちから動きが消えた。
彼らは理解しているはずだ。皆で一斉に魔法スキルを使い狙い撃てば勝てると。
だが、その時、道連れにされて死ぬのが自分ではないという保証がまるでない。
だからこそ、スキルを使えない。
自分が最初に使えば、自分が殺されるかもしれないから。
自分が傷つけられるのが、怖くて怖くて仕方がないから。
嗚呼、そんな連中だから。
戦場に出ている癖に、そんな臆病な精神のままだから――
「リディアの剣――――雷華!」
――攻撃するタイミング、逃走するタイミング、それらを逃してしまうのだ。
雷光めいた刺突で飛び込んで来たのは金髪碧眼の騎士であった。真横から強襲をかけた彼は、剣を引き抜きながらその場に留まることなく疾走する。
「お前――現地人の騎士団……!」
「無駄に呆けているから的になる――グラジオラス、無事だな!」
騎士は――アレックス・イキシアは転移者たちの合間を縫うように移動しながら、声を張り上げた。
高速で駆け、すれ違い様に相手を叩き切る彼に追従するように、他の騎士たちが追いすがる。アレックスが穿った穴を大勢で広げるように、突然の襲来に慌てふためく転移者たちが倒されていく。
<――好機! ワタシたちも行くぞ異界の剣士よ!>
「おう! 任せとけ!」
インフィニットが先行し剣を勢い良くなぎ払う。そこから時間差で突貫したニールは、体勢を崩した連中に鰐尾円斬を使用する。
ニールとインフィニットの気迫に飲まれていた転移者たちは、騎士たちの襲撃によって士気が完全に崩壊していた。
彼らは愚かだが、決して考える頭が無いワケではない。
街を守っているはずの彼らが、今、ここに来たという現実。それが一体、どういう意味を持つのかが分かる。分かってしまう。これは完全に負け戦だと。
だが、逃げるにはもう遅すぎる。
「く、そがぁ! まだだ、まだ俺は負けて――」
<否、もうワタシの――ワタシたちの勝利は決定づけられた!>
それでも戦おうとする者も居たが、もうそれに意味など無かった。インフィニットの剣が、ニールの刃が、騎士の猛攻が――彼らを尽く絶命させていく。
騎士を筆頭にした連合軍は、既に転移者との戦いに慣れている。練度の高い転移者ならまだしも、雑魚相手にスキルを放つことしかしていない転移者などに負けはしない。
「現地人風情が、現地人風情に、糞、糞……ただで死ぬかぁ! 『バーニング……!」
「あら、転移者だって居るわよ、ここにね! 『スウィフト・スラッシュ』!」
騎士たちに襲いかかろうとした転移者の体にスキルの三連斬撃が叩きつけられる。
一瞬同士討ちかとも思ったが、違う。その声を、ニールは良く知っていたから。
ひらり、とロングスカートを靡かせた彼女は、高らかに叫んだ。
「騎士と一緒に行動している以上、あたしも騎士という顔になる! くふー! いいわね! やっぱナイトってのは不意騙でバラバラに引き裂かないとねぇ!」
見ていて腹が立つほどのドヤ顔を決めるセーラー服の少女、連翹は満足気に言い放つ。
――それは暗殺者の所業ではなかろうか。
きっと誰もがそう思ったのだろうが、しかしこの場でツッコミを入れる者は居ない。
だがしかし、救援に来てくれたのは素直に助かった。そう声をかけようとして、
「ったく連翹、おま――げっ」
表情が引きつった。
彼女の近くに居る剣士――日向の黒いシャツとズボンの上から着流しを羽織った壮年の男と目が合ってしまったから。
彼は呆れたように一度、大きく息を吐いた。
「師に挨拶もしないとはどこの馬鹿弟子かと思えば――なるほど、お前さんか。確かに挨拶に来れんのも納得だ」
もっとも、馬鹿弟子であることには変わりはないがね、と男は笑う。
それに対し、ニールは苦い笑みを返した。理由があって街に入らなかったのは確かだが、剣の師に挨拶しなかったことはやはり気まずい。その理由だって、結局のところニールの都合であり、師には関係ないのだから。
「後でこっちから顔出してやる、ヘマして死ぬんじゃないぞ」
「まさか、この程度の連中相手に死なねえよ」
「お前さんは弟子の中で一番死にそうな奴だったから、ちょいと信用できんな――ちゃんと最後まで気を抜かず、その言葉を証明してくれ」
そう言って壮年の男は笑い、敵陣へと飛び込んだ。
もう若くもないだろうに、あんなに派手に動き回って大丈夫なのだろうか――当人に言ったら拳骨の一つや二つが飛んでくるようなことを考えながら、近づいてきた転移者の顔面に飛び蹴りをし、そのまま跳兎斬を使う。転移者たちの体を足場にしながら、一人、二人、と切り捨てていく。
インフィニットと二人で戦っていた時なら自殺行為だったのだろうが、今は問題ない。跳兎斬で跳ね回るように動いているため近くの転移者では上手く目視出来ないし、遠くの転移者たちはアレックスたちや連翹たちに視線が向いている。何人かがこちらに魔法を使ってきても、問題ない。そのくらいは回避してみせよう。
「あれだね――我が求むは、鋭利なる無数の氷槍。疾く駆け、敵を穿て!」
兎のように跳ね回りながら転移者たちの首を落としていると、ふと聞き覚えのある声を聞いた。男の声だ。
声が聞こえた方向と詠唱の内容から、その魔法の大体の攻撃範囲を予測。射程範囲外だとは思うが、敵を切り捨てながら数歩分、余裕を持って距離を取る。
瞬間、ニールが予測した位置に赤く変色した氷の槍が突き刺さった。どろり、とした赤い液体がなんであるのかは、考えるまでもないだろう。
「やあニール。五体満足のようで何よりだ」
銀の髪と黒衣を靡かせながら魔法使いは――カルナは軽い足取りでニールの方へと歩み寄り、その後ろにはノーラがその背中を追っていた。
二人の姿を見て、ニールは歯を見せて笑う。そう簡単に死ぬとは思ってなかったが、しかし目視で無事を確認すると喜びが湧き上がってくる。
「おう。だが、下手したらお前の魔法で五体が不満足になってたと思うんだが、その辺どう思うカルナ?」
「大丈夫さ、ギリギリ届かない位置だったから。それに、僕が射程をミスしたとしても、君なら簡単に避けるだろう?」
「ま、そりゃそうだがな」
一年以上一緒に戦っているのだ、最低限の間合いくらい理解している。
それでも想定した範囲よりも大きく回避するのは、知らない間に実力が上がっている可能性があるからだ。
「ニールさん、大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ、生傷がないわけじゃねえが、ほとんど返り血だ。それよか、あっちに治癒を――って、あの体に治癒の奇跡って効くのか?」
顔に付着した地を拭いながら、視線を上に向ける。
<エネルギー臨界! インフィニット・『クリムゾン・フレア』・ブレイザー! 喰らえぇぇぇえええええ!>
高らかに技名を叫び、転移者たちを吹き飛ばすインフィニットを見て、ノーラは硬直した。え? と言いたげな表情のまま、インフィニットとニールを交互に見つめる。
「ええっと……あれってなんなんですか……?」
「西部に来てから何度か聞いてたろ――あれが西部で有名な勇者なんだと」
自称であったり、他にも勇者が居るのかとも考えた。
無論、自称勇者を名乗る転移者は彼以外にも居るかもしれない。けれど、西部に住まう者が敬愛し、守ろうとした勇者はインフィニット・カイザーで間違いないとニールは確信している。
もっとも、根拠らしい根拠は無いのでニールの主観でしかないから、他人に上手く説明は出来ないのだが。
「……そういえば、冒険者ギルドの職員が言ってたね。『あれを人間と言っていいものか』って」
確かに言いたい気持ちも分かるよ、と表情を困惑に染める。
カルナは魔法使いだ。そのため、ゴーレムなどといった魔法王国時代の遺産についてはニールたちなどよりずっと理解している。
だが、それでもカルナは理解が出来ないとばかりに頭を振った。
「……ゴーレムなんかは魔法で動いているから、動いている姿を見ればなんとなく力を感じられるんだけどね――あれは駄目だ、どうやって動いているのか理解できない」
鉄巨人そのものが本体にしろ、中に人が入っているにしろ、魔法無しであれを動かすなど不可能だ――カルナは勇者の背中を見つめながら言った。
ありえないはずの巨体の騎士。それが、まるで当然のように動き回っている違和感にカルナは顔をしかめる。
「悩むのは後でいいだろ、悪いがあいつの援護を手伝ってくれ」
<いや、構わない――もう終わる!>
そう言って彼は雄叫びと共に残った転移者集団へと突撃した。
その様を見て、転移者は怯える。自分の敗北が、死が、決して避けられないと察して。
「なんでだよ――どうしてこうなった。勇者を適当な転移者と戦わせて、その間にこの街を奪い、レゾン・デイトルを、大陸を、全て支配する計画が……現地人や、勇者ごっこのクズに――!?」
<無限剣、終の太刀! 創造神ディミルゴも御照覧あれ! 魔の力よ、胸の十字聖印の輝きよ! 集いて悪を蹴散らせ! 『万魔の剣舞! レクイエスカット』! 万象拘束波!>
その言葉と共に右腕が突き出される。
逃げ回る転移者たちを手中に収めるように、掌を握りしめた。
その動作と共に、逃げ出そうとしていた転移者たちの動きが、ぎちり、という音が聞こえてきそうなほど唐突に停止した。いや、停止させられたのだ。
<本来は対人のスキルだが――ワタシの体は見ての通り大きくてな、剣の間合いと同様にスキルの範囲もまた増大している>
困惑する転移者たちに、インフィニットが静かに言い放つ。
これが冥土の土産だ、持っていけ――彼がどう考えているかは定かではないが、ニールにはそう聞こえた。
<トドメだ――究極無限! 無敵斬りぃぃいいいい!>
刃が走る。
幾重にも、幾重にも、目に映るモノ全ての痕跡を消し去るとでもいうような入念さで。
炎が、氷が、風が、大地が、雷が、光が、闇が――代わる代わるインフィニットの剣に付与され、動きを封じられた転移者たちの体を切り刻み、崩壊させていく。
どれだけ防御を固めようと意味はない。その間合いに入ったら最期、鮮烈な剣舞によって、あらゆる属性の魔法によって、防御や装備ごと破壊される。
ゆえに、その射程に収まったモノは全て消滅し、残るのは荒れ果てた地面のみ。人も、鎧も、草木も、全て全て掻き消えてしまう。
「終わった……か?」
誰かが、そんな声を漏らした。
激しい破壊の嵐。それを成したインフィニットを、騎士や連合軍の皆は遠巻きに眺めていた。
唯一連翹が「え? あれ――もしかして勇者ってロボの方の意味での勇者なの!?」と叫んでいたが、この緊張した空気を弛緩させるには至らない。
敵か、味方か、皆が測りかねているのである。
それは当然のことだろう。彼が使う技はどう誤魔化しても転移者のスキルに相違なく、またその奇異な姿は現地人にとっては全くの未知なのだから。
一応、ブライアンが話を通してくれていたためか、問答無用で攻撃する者はいないが――それとすぐに信用するかどうかは別問題だ。
敵の敵は味方であり、だからこそ共闘できただけで――共通の敵が消えた今、彼もまた敵になるのではないか。そのような疑念が皆にはあるように思えた。
<これで全てか――さて、風の噂で聞いたのだが、貴方たちは連合軍という組織で相違ないだろうか>
戦闘中とは打って変わって静まり返った世界で、インフィニットが騎士たちに問いかける。
返答に困る騎士たちの中から一人の騎士が前に出た。アレックスだ。
「ああ――そうだ。私はアレックス・イキシア――騎士団、連合軍共に副長を勤めている」
<そうか>
一歩、二歩、インフィニットがアレックスへと歩み寄る。
辺りの空気がピリピリとし始め、一部の戦士は武器を構え始める。
その空気の中、鋼の勇者はアレックスの近くに立つと――ゆっくりと、恭しい動作でその場に跪いた。
<ありがとう――ワタシが不在の間、皆を守ってくれて。君たちが居なければ、この街はたやすく落とされていただろう>
そう言って頭を下げた彼は、右手と一体化した剣を深々と地面に突き立てた。
恐らく、敵意がないという宣言なのだろう。剣が腕と一体化しているため武装を解除することが出来ないため、地面を無理やりに鞘としたのだ。
<さて、恩人に対して名乗りもしないのは礼儀に反するな! 先程名乗った者もここに居るが、改めて名乗らせていただこう!>
そう言って跪いていた彼は上体だけを逸し、銀色に輝く胸の十字聖印を連合軍の皆に示す。
<銀の十字に祈りを抱き、示す誓約は無限の正義! 無限の勇者――インフィニット・カイザー! この大地の皆からは、西部の勇者と呼ばれている!>
高らかに名乗りを上げ、インフィニット・カイザーは――西部の勇者は疑念を吹き散らすような朗らかな笑い声を上げたのだった。




