149/天墜する破砕の光壁
語り終えたノーラは、カルナの言葉を待つ。
なにせ、自分は素人だ。だからこそ、ノーラ自身が良いアイディアだと思っても、戦い慣れた者が聞けば噴飯物な空想に過ぎないかもしれない。
しばし沈黙していたカルナは、「うん」と大きく頷いた。
「――不可能じゃない、はずだね。実際、その篭手――理不尽を捕食する者を介せば激痛も無いようだから」
それに、少しだけホッとする。
まだ成功したワケではないものの、少なくとも一笑に付されるような考えではなかったのだと。
カルナは優しいけれど、こういったことに関してはシビアだ。ノーラが全く理に合わないことをやったり、出来ないのに無理をし始めたら淡々と後ろに下がらせるだろうと思う。
「けど、そのためには周辺を守る人間が必須だ。それをやった後は横から増援が来るはずだけど、生憎と僕じゃその役目を果たせない」
だから、と。
カルナは自警団たちへと体を向け、頭を下げる。
「申し訳ないけど、頼めないかな」
僅かな沈黙の後、自警団たちは頷いた。
「分かった、助けられた恩もあるからな。だが、あんまり期待しないでくれよ」
「あんたらが来てなきゃ全滅してたからな。踏ん張って耐えるくらいならするさ」
承諾してくれた彼らだが、しかしその表情には不安の色が濃い。先程、転移者に見せつけられた実力差。それが、恐ろしいのだろう。
だが、それでも――故郷を放って逃げるワケにはいかないから、助けられた恩があるから、彼らはここに居る。
それは、天から俯瞰する者からすれば無謀と呼ぶ行動なのかもしれない。力のない者が奮い立った所で、何の意味もないと、無駄であると。
だが、ノーラは否と思うのだ。
確かに力の弱い個人が起こせる波は微小だけれど――それを束ねれば大波となると。
なにせ、世の中の大多数は天才でも実力者でもない、凡庸な者なのだから。才ある者は世界を変えることが出来るかもしれないが、しかしその世界を維持し回すのは大多数のただの人なのだ。
ならば、問題ない。
相手は少数の最強風情の人だ。力を束ねた人間に敵う道理はない。
(……ああ、けど)
そこまで考えた癖に、僅かに震える自分の体を情けなく思う。
けれど、不安なのだ。しょせん、自分は見習いで、特別優れた神官ではないのだから。
連翹とカルナが名付けてくれた女神の御手だって、別にノーラだけが扱える特別なモノではない。理不尽を捕食する者を、神官の霊樹を用いれば誰だって同じことが出来るのだ。
だから、時々不安になる。
自分が今、酷く場違いな舞台に上がっているのではないかと。
とっとと理不尽を捕食する者を他の神官に渡して、自分は後ろで隠れながら怪我人を治癒する方がいいのではないかと。
「ありがとうございます――お願いします、キールくん、皆さん!」
己の不安を消し飛ばすように拳を強く握りしめながら、皆へと叫ぶ。
色々な人に助けられ、導かれ、そして求められてここまで来たのだ。不安に思う気持ちは捨てきれないけれど――それでも途中で降りるのは自分を信じてくれた人たちに対する冒涜であろう。
そんなノーラの決意に応えるように、キールはどん、と己の胸を叩いてみせた。
「お、おう! 分かったぜ姐さん!」
元気の良い返事だけれど、あれ? と首を傾げてしまう。
なんだろう、少し、声が上ずっている。
それに、なんか呼ばれ方が随分と変わったような。
「……えっと、姐さん?」
なんだろう、確かに自分の方が年上なのだけれど。
途中までくん付けすると「子供扱いするんじゃねえ」と怒っていたのに、この対応の変化はなんなのだろうか。
そんなノーラの疑問に気づいているのかいないのか、カルナは自警団のリーダー格らしき男に「助かるよ」と笑いかける。
「けどさ、こっちから頼んだことではあるけど――いいのかい? 僕らみたいなよそ者の指示で動くなんて」
「そうだな。そのよそ者が来なけりゃ全滅してたって事実がなけりゃ、そう言う奴は何人か居たかもな」
つまりはそういうこった、と自警団の一人が歯を見せて笑う。
助けに来てくれた者を邪険に扱うほど恥知らずでなければ、それが出来るほど強くもないと。
それを聞いたカルナは「そっか」と照れくさそうに微笑んだ。
全員が全員、そういう考えではないだろう。けれど、面と向かって否定の言葉を投げかけるほどの拒否感はないのだ。
事実、不満そうな顔をした男が一人、ぽつりと不平を呟いている。
「まあ、正直いい気分はしないのは確かだけどな。けど、助けられたのも事実だし――何より、転移者の前歯叩き折るようなゴリラ女に逆らえないって、怖ぇもん」
――あれ? と。
ノーラは辺りを見渡しながら疑問を抱いた、ゴリラ女って誰だろう。
(ええっと、近くにマリアンさんは居ませんし――)
若干失礼なことを考えながら辺りを見渡すも、筋骨隆々とした女性は見受けられない。
というか、女すら居ない――ノーラ以外は。
それに、彼は言っていたではないか。転移者の前歯を叩き折るような、と。
「えっ」
ふと、気づく。
そういえばここに居る人たち――女神の御手の効果について、知らないのではなかろうか?
そして、そんな人が先程の光景――転移者を蔦で引き寄せた後、顔面パンチで前歯叩き折って悶絶させているのを見たら、どうなるだろう。
腕力だけで転移者を上回ってる、馬鹿みたいに強い女に見えるのではなかろうか……?
ちらり、と他の自警団の皆さんに視線を向ける。
すると、目を逸らす人、居住まいを正す人、そして単純に「すげぇ、なんだあれすげぇ」とノーラを見て呟いている人たちが居た。そしてそのどれもが、腕力だけで転移者を屠った女に対するモノだ。
――え、待って。
さすがに、ちょっと待って欲しいのだけれど。
「え、ちょ、待っ……!?」
違うんです、と言おうとするノーラを遮るように、さっとカルナが前に出る。
彼は一度だけ振り向き、ノーラに向けて微笑んだ。
にやり、と。
企み顔というか、すごく意地悪そうな笑みであった。
「怒ると怖いけど、普通にしてれば見た目通りの子だよ。自警団の人たちも怒らせないようにね、転移者だからあれで済んだんだから」
「カルナさあぁぁぁん!?」
なにをしてくれているのだろうか、この人は!
自警団が皆が「ああ、やっぱり……」とか「今時の女パネェ……」とか言い始めてる、誤解が修復不可能な勢いで加速しているのを実感する!
(そうだ! キールくんなら!)
転移者と戦う前に出会っている彼なら、こんなのが勘違いだと証明してくれるはず!
期待を込めてキールを見つめると、彼は「分かった」と大きく頷いた。
「そうだよな姐さん、まだ信じてねえ奴もいるみたいだからな」
ここに至って、ノーラはようやく気づく。
あ、これ、一番勘違いしてるのはキールくんだ――と。
「おれも最初気づかなかったが、考えてみりゃ当然の話だったぜ……腕の力だけで屋根から屋根へと軽やかに跳べる女なんだぜ姐さんは! そりゃ腕力高いよな!」
待って、違う、それは『太陽の光を浴びるために自在に体を動かす』という霊樹が持つ固有奇跡に頼ったのであって、ノーラの力はあまり使ってない。
腕も痛かったし、平時には絶対やりたくない移動方法だ。そんな、超余裕だったみたいな言い方は止めて欲しい。
「はははっ、よおし! それじゃあ装備壊れてる奴は急いで倉庫から予備の装備取ってこい! あんまり遅いと、嬢ちゃんにぶん殴られるぞぉ!」
「そいつは怖い、急ぐぜみんな」
「おう!」
冗談めかした物言いで階段を降り、階段の隣にある小屋へと向かっていく自警団の皆を見送る。
ああ、けど。冗談めかしているけれど――その冗談は殴られる云々であって、誰もが『ノーラの腕力が凄まじい』ということに一切疑問を抱いていないのが伝わってくる。
「カルナさぁああんっ! なんでですかぁ! ちょっと意地悪過ぎやしませんかぁ!?」
確かに自分が可愛らしいなんて幻想は抱いていないけれど。抱いていないけれども!
それでもゴリラ女とか拳で転移者の前歯を叩き折った女とか、そういうイメージで固定化されるのはどうかと思う。
「すまないね。でもこれでスムーズに言うことを聞いてもらえるだろう?」
そうだけれど。
確かにそうなのだけれど!
もっと別のやり方があったのではないかと思う。
そんなノーラの視線に気付いたのか、カルナは「それが半分」と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「もう半分は、ノーラさんがあたふたする顔を見たかったから、っとぉ!」
無言で振り抜いた右の拳を、予測していたのかひらりと避ける。
最近、ニールの悪い癖が移っているんじゃないだろうか。なんでそういう悪いところを真似しちゃうのこの人、と思ってしまう。
そんな風にじゃれ合う二人を見て、キールは「おぉぉ」と感嘆の声を漏らしていた。
「すげぇ、姐さん挑発して殴らせてるぞあいつ――そのくらい出来ねえとと恋人になれねえってことか」
「ほらぁ! ほらあ! キールくんとかもう完全に誤解しちゃってるじゃないですかぁ! これからどうやって誤解を解けって言うんですかぁ!?」
「おっと、ノーラさん、じゃれるのはお終いにしよう。皆が戻ってくるよ、準備を始めよう」
「誰のせいだと! 誰のせいだと!」
「ごめんごめん。けど、震えはとまっただろう?」
えっ、と呟いて動きを止める。
確かに、ついさっきまであった体の震えはすでに無くなっていた。
過剰な硬直もなければ、過度な緩みもない――普段の自分に近いコンディションだ。
「さあ、気負わず、いつも通りのノーラさんで行こう。実力以上でも以下でもない、いつも通りの君なら成功を掴み取れるはずだと、僕は信じてるよ」
「カルナさん……」
肩に手を置いて微笑みかける彼を見上げ、笑い返す。
にこりと、けれど微かに頬を引きつらせながら。
「――そういう意図があったにしても、別のやり方ってありましたよね?」
「あ、やっぱり分かった?」
この人は! この人はっ!
むう、と膨れながら城塞の下を眺める。先程倒した転移者の穴を埋めるように、別のグループが現れ街壁の攻撃を再開していた。
正直、これから矢面に立つのか、と思うと少し怖い。
けれど、不安はない。気負っていないカルナが、緊張している様子のない彼の言動が安心感を与えてくれるから。
まったく、と小さく息を吐く。
「ちゃんとサポートお願いしますよ。からかうばかりじゃなく、ちゃんと仕事をこなして下さい。じゃないと、見限っちゃいますからね」
「それは怖いな――気合を入れて頑張らないと」
自分はやるべきことをやればいい、足りない部分は彼が埋めてくれる――そんな風に、信じられるから。
「おう、準備は整ったぞ。それで、どうするんだ?」
「よし、それじゃあ――ノーラさん、魔法でサポートするから、下に居る転移者や盗賊に演説してやって。自警団の皆は防御を頼むよ」
「演説、ですか?」
「そう、女王都でレオンハルト相手にやったみたいな感じでさ。そうすれば絶対、連中は寄ってくる」
猛禽めいた鋭い笑みを浮かべ、カルナは言い放つ。
「さあ、自分が狩人だと思い込んでいる獣を招こうじゃないか!」
◇
「やめて――もう、やめてください!」
声高々にノーラが叫ぶ。戦場の音に負けぬように、可能な限り多くの人に声が届くように。
それはか弱い町娘の命乞いであり、相手の善性に訴えかける願いであり――とても美味しそうな餌だ。
――お願い、やめて、助けて……そんな風に涙を流す女を組み伏せる下劣な快感。それは、男なら大なり小なり抱えているモノだ――
「なんでこんなことをするんですか!? そんなに凄い力があるのなら、もっと真っ当な道も……普通に日常の中で生きることも出来たのに……!」
理不尽を捕食する者からは蔦が伸び、街壁から見えぬ位置で先程倒した転移者を拘束している。
それは戦うために、それは倒すために。
――もっとも、大抵の場合は快感以上に良心が痛むか、騎士や兵士や自警団といった治安維持の戦士が怖くて実行できないのだけれど――
けれど、目の前の彼らは別だ、そうカルナは語った。
現地人を自分たちと同じ人間だと認めていない以上、良心が痛むはずもない。野生動物を狩って喰らうことに、なんの罪悪感も抱かないように。
そして、その強大な力は秩序を守る者たちの畏敬の念を完膚なきまでに破壊する。どれだけ彼らが自分を罪人だと、罰せられるべき悪人だと告げようと、捕まえることも殺すことも出来ないと確信しているから。
ゆえに、残るのは剥き出しの獣欲だ。
「……ッ!」
ねとり、とした視線が体を這い回る感触に肌が粟立つ。
顔、胸、下腹部、尻、ロングスカートから覗く白い脚――それらを無遠慮に撫で回されているようだ。
ノーラの声が届いた範囲の攻撃が緩む。しかし、それは彼女の声に良心を揺さぶられたワケでは断じて無い。
――彼らは集まる。美味そう餌、それを最初に喰らうために。なにせ、こういう劣情を満たすには、可能な限り最初でなくてはならないから――
獣、獣、獣。獣獣獣。獣の瞳、その視線が無数に突き刺さる。
ノーラはそこから野生動物が獲物を見つけた時のような純粋な喜びを、そして非常に人間らしい不順な悦楽を感じた。
――そして、その間は魔法が止まる。連中は現地人を下に見ている。見ているからこそ、こちらに魔法は撃てない。手篭めにしたい相手を殺してしまうワケにはいかないから――
それでも馬鹿は居る可能性はある、とカルナは風の魔法で攻撃を逸らす準備を、自警団は大型の盾を準備して待機していた。
だが、幸いにも懸念した状況にはなっていない。それに、少しだけ安堵する。
だって、その間にノーラが出来ることはないから。
「――ハ、ハハハハハッ! やめてって言われてやめる馬鹿がどこに居るってんだ! そんな奴なら、最初からこんなこたぁしてねえよ!」
下から響く哄笑に、でしょうね、と内心で頷く。
間抜けな女、現実を見えていない馬鹿、足りてない娘――そのような罵倒と侮蔑と共に、徐々に、徐々に転移者が集まってくる。
「……ッ!」
ちらり、と視線だけを動かし、隣に立つカルナを見る。
だが、彼は何も言わない。すぐに風の魔法を発動出来るように魔力を練ったまま待機している。
(まだ――なんですね)
それを行うタイミングは彼に一任していた。
視線と言葉を一身に受けるノーラでは、焦りや恐れ、怒りなどで冷静になれないから。
「じゃあ、どうしてなんですか!? なんで、罪の無い人が住む街を突然攻撃したり出来るんですか!?」
「この世に罪の無い人間など居ない、なんつってな」
「上手いこと言ったつもりかよお前!」
己の叫びが上滑りしているのを感じた。
確かに今、ノーラは時間を稼ぐため、そして声で転移者を集めるために声を張り上げている。けれど、語る言葉に偽りはなかった。
そんな凄い力があるなら、誰かにちゃんと認められるはずなのだ。
それで全て上手く行くとは思わないけれど、それでも、今みたいに欲望のままに誰かを傷つけるより満ち足りたモノが手に入るはずなのに。
そんなノーラの想いを、転移者の一人は鼻で嗤った。
「んなもん力を振るうのが楽しいからに決まってんだろ、嬉しいからに決まってんだろ! それに、いつの時代も、どの世界だろうと似たような言葉はあるだろ?」
小馬鹿にするような笑みを浮かべ、こちらを指差す。
「勝てば官軍、死人に口なし、歴史は勝者が作る、正義が勝つんじゃなくて勝ったやつが正義だ、ってな! そうだ、俺たちは『正義』だ! 法も秩序も、その結果産まれた副産物に過ぎねえんだよぉ!」
ゆえに、自分たちは正しい。
ゆえに、法と秩序に縋るお前たちは弱者なのだと。
「そう、ですか……」
――正直に言うと、悲しかった。
自分の声で大勢の人が心変わりしてくれる、などという空想を抱いていたワケではない。
けれど、少しくらい耳を傾けてくれる人がいるのでは、と思っていたのだ。
それは、オルシジームで騎士団長ゲイリーが成したことを知ったからだろうか。他人に嗤われても己の意思と信念を表明し、一人の転移者の心を揺るがせたこと。自分も、近いことが出来るのではないか――そんな風に、思い上がってしまったのだろう。
「ノーラさん。君は十分、奴らに慈悲を与えたよ」
ふわり、と肩に手が添えられる。
安堵させるように、悲しみを和らげるように。
「なら、次に与えるべきは罰だ」
「……はい」
「奴らの言葉を代わりに証明してやろうじゃないか――勝ったほうが正義だ、ってね」
「はい!」
同じ言葉、同じ意味。
だというのに、胸の中に生まれた感情は全く別のモノだった。
力が漲るのを感じる。負けてなるものか、と決意を新たにする。
「――創造神ディミルゴに請い願う!」
祈りと共に、縛り上げていた転移者から規格外を吸引する。
篭手を奇跡の光で輝かせながら、ノーラは街壁の端に足をかけ――下へと飛び降りた。
「……ッ!」
轟、と体を撫でる空気に、すごい勢いで近づいてくる地面。
背骨そのものが凍ったような、凍えるような寒気が体を蝕んでいく。恐怖という名の寒気は、ノーラの体、意識を凍結させようと体を這い回る。
(だめ、だめ、だめ! わたしはここまで来たんだから、色々な人に助けられて、ようやくこの場に立っているんだから!)
瞳を見開き、地面をしっかりと見据える。恐怖に凍えそうな心を、燃える熱意で溶かしながら、こちらを見上げる転移者たちを睨みつける。
「獣の爪牙から命を守る盾を、防壁の奇跡を! 女神の! 御手!」
叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
祈りを、カルナや連翹が考えてくれた技名を、力の限り、喉が焼け付くほどに。
――そもそも音とか声とか、そういうモンはどうしたって気になるだろ? だから、それに感情を乗せて相手をビビらせるんだよ――
それは、かつてニールが語った言葉だ。
アースリュームの夜、鉄咆の設計図を睨みながら悩んでいたカルナに向けられたそれは、しかし確かにノーラの中に息づいていた。
(そして、レンちゃんが好んだ技名――転移者のセンスの技名を叫びながら、肉薄する! これで、ほんの一瞬でも驚かせれば!)
一箇所に集めて、地面に降り立つまでの刹那の間に足止めさえできれば、それでいい。
ノーラの祈りが女神の御手で吸引した規格外と結合し、形を為す。
それは盾。それは壁。相手の攻撃を受け止め、弾く頑強な光の障壁だ。
右手を中心に広がっていくそれを見て、眼下の転移者は笑う。
「何をするかと思えば――現地人の奇跡程度で、俺の魔法を受け止められるワケねえだろうが! 『ライトニング・ファランクス』! 串刺しになれ、身の程知らずが!」
スキルの発声と共に出現した無数の雷槍が、ノーラ目掛けて宙を駆ける。
その一本一本がノーラの命をたやすく奪うことの出来る威力を秘めているのだろう。
だけど、問題ない。
高速で飛来してきた雷の槍は、防壁の奇跡にぶつかり、しかし貫くことが叶わずに砕け散る。
転移者の驚いた顔が見えるが、何一つ不思議なことではない。
なぜなら、この奇跡は吸い上げた転移者の力を全て注いでいるからだ。
己の体を強化とスキルの発動に使う力であり、大部分を体内にプールしているであろう規格外な力。その全てを、余すこと無く、ただただ防壁の奇跡のためだけに。
光の壁が広がっていく――空を覆うように幅広く、けれど転移者の一撃すら砕けぬほど分厚く、そして頑丈に。
「ど、どうしたらいいんすか!? お頭たちでもぶっ壊せない盾だなんて……!?」
「うるさい、落ち着け!」
魔法が無数に直撃しても揺るがない巨大な防壁に、現地人の盗賊は狼狽の声を上げる。
けれど、転移者の一人は面倒くさそうに舌打ちしつつも、余裕を崩してはいなかった。
「しょせんあれは守りの技だ! どこかのタイミングで解除するはずだ、そこを攻めろ!」
防壁を肥大化させながら落下するノーラを見上げ、転移者は勝ち誇った顔で言い放つ。
どうしてあのような頑強な防壁を構築できるのかは知らないが、しかし防御だけでは勝てないのだと。
「いいえ」
そう、その通りだ。
守ってばかりでは勝てないのは子供でも理解できる理屈である。
ゆえに、防壁を出しているだけでは勝てないのは当然だ――
「これで終わりです」
――ノーラが街壁から飛び降りていなければの話だが。
拳を強く強く握りしめる。
それは相手を殴る準備動作。だが、その動作は子供の喧嘩めいた拙さだ。喧嘩に慣れたゴロツキの方が、まだ上手く拳を扱えるだろう。
だが、今だけは。
転移者の力を吸い、巨大な防壁を拳を中心に展開し、地面に向けて勢い良く落下している今ならば――問答無用の必殺と化す。
「だって、防壁の奇跡には、重量があるんですから――!」
――そう。だから下手に自分の真上に発動しようものなら、自分の奇跡で押しつぶされて怪我をするなんて大間抜けを晒すことになるからね――
マリアンの言葉を想起しつつ、地面に居る転移者を、それに付き従う盗賊を睨みつける。
瞬間、下に居る者たちはようやく気づいた。
防壁を解除する必要などない。あの光の壁が――未だに肥大している巨大な防壁が、自分の頭に降ってきたら――!
「に、逃げ――」
「もう、遅いんですよ!」
防壁は既に、小さな村なら覆い隠せる程に肥大化している。
逃げるタイミングを、許しを乞うタイミングも。
全て全て――何もかも、遅すぎる!
「てぇぇえええい!」
叫びながら拳を突き出す。
地面に向けて、逃げ惑う転移者たちに向けて、呆然と上を見上げる盗賊に向けて。
肥大化した街壁から遥か遠くに存在する木々をへし折り、そして――
――――――ッ!
――鼓膜が破けるような轟音と共に、辺りに衝撃波が吹き荒れた。防壁は役目を終えたというように光の粒子となり消えていく。
後に残ったのは、巨大な何かで真っ平らに均された地面と、そこに埋め込まれた何かだけ。
木も、石も、転移者も、現地人の盗賊も、甲冑を纏っていた者も、動きやすい衣服を着ていた者も、誰一人、何一つ区別なく。巻き込まれた者も物も、全て等しく砕かれ、削られ、畑に撒く肥料かなにかのように地面と混ざりあった。
当然だ。何者にも砕けない物質で造られた巨大な街壁を、投げ飛ばし、叩きつけたようなものではないか。
その直撃を受け、生きている道理はない。
「……」
ゆらり、と。ノーラは立ち上がった。
平らに陥没した地面の中心で生きていること。それこそが勝者の証明であろう。
そう、ノーラ・ホワイトスターは勝ったのだ。
完全に、完璧に。
「……何が、勝った者が正義、ですか」
だというのに、心は曇天の空のように淀んでいた。
ノーラは勝利した。先程の転移者が語った理屈に準ずるなら、正義の体現者ということになるだろう。
「こんな風に、力任せに蹂躙されたかったんですか……? こんな風に、殺されて、満足だったんですか、あなたたちは……?」
自分で決めて、自分でやった、こうなることを予測した上で。
今更何をとも思うし、仮に十分ほど時間が巻き戻ったとしても、ノーラは今のように暴虐の徒を消し飛ばしただろう。
だが、それでも。
それでも、悲しいのだ。
彼らは悪党だった。欲望のままに街を襲い、略奪や強姦をしようとした者たちだ。
だけど、最初から悪党だったとは思わないし、これからもずっと悪党だったと断言することも出来ない。
何かワケがあったのかもしれないし、何かの拍子で罪を悔いていたかもしれなかった。
その可能性を全て全て全て――何もかも蹂躙した上で「わたしは正義だ」などとノーラは言えなかった。
ただただ、悲しくて悔しい。
自分がもっと上手くやっていれば、何か別の結果があったのではないか? そんな意味のない思考だけが頭で空回りする。
「今だ――!」
無意味に佇んだノーラを狙い撃つように、矢が放たれた。
えっ、とそちらに視線を向けると、破壊の後に回り込んできたらしい盗賊が矢を放った姿が映る。
(え、あれ――わたし、どれだけ立ったままで――)
思考が回らないまま、矢はノーラを貫く――
「おおぉらあぁ!」
――その直前、飛来した銀の光が矢を切り払った。
ざざっ、と平に均された地面に靴跡を刻みながら着地したのは、剣を振り切った姿勢のキール少年だ。
キールくん? と驚きの声を漏らすよりも早く、ノーラの足元に風が逆巻いた。すり潰された破片が巻き込まれ、視界を風と様々な破片が遮る。
「視界は塞いだ! これで遠距離スキルじゃあ狙えない!」
「分かった、今登る! 姐さん、ちっと失礼するな……!」
ひょい、とノーラを小脇に抱えてキールは跳躍した。
街壁の半ばあたりまで跳ぶと、上からロープが降ろされる。それを掴むと、自警団の皆がノーラとキールを力任せに引き上げてくれた。
「良かった、無事だね!」
街壁を登り終えたら、こちらの顔を覗き込み、安堵の息を吐くカルナの顔が見えた。
それを見て安堵を抱くのと同じくらいに、ノーラの胸には申し訳無さが湧き上がる。
「ごめんなさい――結局、足を引っ張って」
あんな風に、ぼんやりと思考しているべきじゃなかった。攻撃を終えたら街壁の方へと走るなり、上で援護の準備をしてくれてるカルナに意見を求めれば良かったのだ。
……そんなの、戦いに慣れていないノーラ自身でもすぐに思いつくべきこと。
思い悩むなんて、戦いが終わった後にゆっくりやれば良かったはずなのに。
これが別の人だったら。
他の神官が霊樹の篭手を手に入れて、同じことをしていたら、きっともっと上手くやったのだろうと思う。
「ノーラさん、君はよくやったよ」
自己嫌悪を抱くノーラに、カルナは語る。
優しい慰めのようで――けれど、純然たる事実を。
「誰にだって、自分よりも上手く出来る他人っていうのは存在するよ。僕の魔法だって、悔しい話だけれど頂点を極めているワケじゃない。上には上が居る。事実、今だってノーラさんじゃなくてマリアンさんが同じ条件でここに居たら、ノーラさんよりも上手くやっていただろうね」
淡々と事実を語るカルナの言葉が胸に刺さる。
自分でそんなことは分かっていたつもりだが、やはり他人に言われると心が軋む。
「テメ、何を――」
「けど! 自分よりも上の人が、いつだって自分の隣に居るとは限らないんだ」
食ってかかろうとするキールの声を遮りながら、カルナは微笑んだ。
「マリアンさんはマリアンさんで別の場所で戦っていて、常に誰かを助けられるワケじゃない。そんなことが出来たら、化物みたいに強いっていう騎士団長がこの街を一人で救ってる。誰だって足りない自分を自覚しながら、目の前の問題に立ち向かっている――少なくとも、僕はそう思うよ」
カルナは言う。
他の者と比べて技量が足りていないのは事実、もっと上手くやれる誰かが居たのも、また事実。
だが、その事実が今ノーラが出した成果を否定するモノでは断じて無い、と。
「君はこの現状でやれることをやって、救える人を救った――それは、きっと誇るべきことだと僕は思うよ。でなきゃ、世界で一番の力を持つ人間以外は己の成果を誇れないだろう?」
「それは――そうかもしれませんけど」
「それに、だ。僕が君なんかよりマリアンさんがやった方が凄いし楽だった、みたいなことを言った時にキールは、救われた自警団の皆は怒っただろう? そりゃそうさ、危険を承知で助けに来た恩人を馬鹿にされて怒らない奴なんていないよ」
君はちゃんと仕事をした。
だから胸を張れ、と。
「分かり……ました」
正直、簡単に気分を切り替えられはしないけれど。
だが、それでも、沈んだ顔ばかり見せてはいられない。
そんなの、自分を評価してくれた人たちに失礼ではないか。
カルナは満足そうに大きく頷くと、自警団の皆をぐるりと見渡し、指示を出した。
「さて――僕らはこのまま、寄って来る連中を各個撃破しよう! 他の場所は――この街の人たちや、連合軍の皆に任せる」
ここを攻撃していた転移者が消えたことに気づいたのか、様子を見るように近づいてくる集団が見える。
他の襲撃を受けている場所も気になるが、ここを空けるワケにはいかない。
(……さっき敵とはいえあんな風に多くの人を殺したわたしが。祈って良い願いではないかもしれませんけど)
連翹、ニール、マリアンやミリアム。
それ以外にも顔を合わせた、沢山の連合軍の人々。
彼が、彼女が無事でありますように。
そう願いながら、ノーラは右手の理不尽を捕食する者を掲げるように構えた。




