148/理不尽を捕食する者
――――転移者の恐ろしさとは、何か?
剣に触れたことの無い者が練達の剣士の技を扱えること? ああ確かにそれもあるだろう。
魔法を学んでいない者が単語一つで熟練の魔法使いレベルの魔法を扱えること? それもまた、恐ろしい。
だが、それらは言ってしまえば『初見殺し』だ。
なぜなら、『転移者の扱う技は皆同じ』なのだから。
であるがゆえに、転移者との戦闘を経験した実力者であれば対処は可能だ。
ゆえに、難しくはあるが、不可能ではない。難敵ではあるが、無敵の怪物ではない。
ああ、けれど――もっとも恐ろしい要因もまた、『転移者が扱う技は皆同じ』ということなのだ。
一見矛盾した答え。事実、一対一、少数対少数であれば弱点にしかならない。
けれど、多対多の戦闘であれば?
確かに、転移者のスキルは実力者なら対処出来るだろう――実力者、ならば。
だが、実力者とは才能ある者が、または凡庸な者が努力した果てに得られる客観的な評価だ。多くの者が求める評価ではあるものの、しかし多くの人間が得られないモノだ。
――そうだ、確かに現地人でも転移者と戦える者は居る。
けれど、存在するということと、必要な数を用意できるということ。
それは決して、イコールではないのだ。
◇
灼熱が爆ぜ、古めかしい街壁を焼いていく。交易都市ブバルディアを包囲した転移者集団が、スキル『ファイアー・ボール』を街壁へと叩きつけているのだ。
それを見て、カルナは即座に攻撃している転移者集団のトップがオルシジームを襲った集団に比べ数段劣っていることを確信した。
(今、ここを襲っている連中がどうしたいのかは分からない。分からないけど、最低限、街壁を突破しなくちゃいけないはずだ)
略奪するにしろ、支配するにしろ、殺戮するにしろ――街に侵入せねば話にならない。
だからこそ、転移者たちは魔法スキルで城塞を攻撃しているのだろうが――
(やるなら一箇所を集中攻撃して穴を穿ち、こちらの対処が整う前に街になだれ込むべきだ。僕らは街中で大規模な魔法を使えない以上、それだけで対処が難しくなる)
恐らく、一人のリーダーが部下を統括しているという集団ではないのだろう。
複数の小規模グループが纏まって大規模なグループと化したものの、本当の意味で一つになれてはいない。『皆であそこを攻めよう』という共通の目的こそ持っているものの、役割分担や連携は小規模グループ同士で行っている――そんなイメージ。
なるほど、確かにオルシジームで転移者を率いていた男――王冠に謳う鎮魂歌よりも格下だ。相対すれば、さしたる苦労もなく打倒出来るという確信がカルナにはあった。
けれど、無意味な想定だとその思考を切って捨てる。
「ノーラさん! ――とりあえず、上手く防衛出来てない場所に行くよ! 一つ抜かれたら、そこから一気になだれ込んでくる!」
先程考えた通りなら、一人のリーダー格を倒した程度では止まらない。一つのグループは瓦解するだろうが、しかし他のグループはよっぽど敗戦濃厚にならない限り攻撃を続けるだろう。
それを理解はしていないのだろうが、カルナの必死な表情を見たノーラは真剣な表情で頷く。
「分かりました……カルナさん、わたしは気にせず全力で走ってください! 頑張って追いかけますけど、ついて行けないようならそのまま置いてって欲しいです!」
「分かった、取り残されたら無理せずに自分の出来ることをやってくれ!」
薄情な返答にも聞こえるそれだが、今はそんなことを気にしている余裕はない。
街壁を破られ、中に侵入されたらまずい。なにせ、この街は人も物も密集している。そんな中に暴れ、襲い、奪うつもりの転移者を放り込むなど、油の池に炎を叩き込むようなものだ。
無論、弱者狩りばかりをしている転移者なら、時間をかければ殲滅することは可能である。
しかし、それを成すまでの間に、どれだけ燃え広がる? どれだけの傷を刻む? 人口が密集しておらず、かつ騎士やエルフの精鋭たちがいたオルシジームですら、大きな傷を負ったというのに。
(……ああ、糞。本当に、面倒だな!)
カルナは正義の味方ではない。この世全ての人間を救うのは不可能だと思っているし、そんなことをするつもりもまた無い。
大切なのは自分であり、その知り合いだけだ。けれど、人付き合いが増えれば増えるほど、その知り合いも多くなっていく。
そう、この街で言えば宿のカリムや、クレープ屋の屋台でいくらかの会話をした店主。大切な知り合いと言うには繋がりが薄いが、しかし何かに巻き込まれて酷い目に遭っていたら悲しいし嫌な気分にもなる。
なんて皮肉だ、と思う。
昔に比べ傲慢ではなくなったと思ったのに、自分の手で多くの知り合いを守りたいなどと傲慢な願いを抱いてしまう。
だが、今はそんな自己嫌悪よりもやるべきことがある。必死に足を動かし、大通りに向かい――足を止めた。
「これは……」
大通りは今、人の波でごった返していた。
商人、観光客――非戦闘員たちは避難しようと街壁から逃げ出し、連合軍の者や他の冒険者たちは逆に街壁に向かうために向かっている。それらが衝突し、動きが止まっているのだ。
どちらも、土地勘の無い者同士、分かりやすい大通りを慌てて移動したからだ。その結果身動きが取れなくなり、余計に混乱している。
大通りは無理だ、ならどうする?
視線を彷徨わせ、いくつかの小路を見るが――駄目だ。道が分かりやすそうな場所は既に人が多いし、複雑に入り組んだ道に土地勘の無いカルナが入っても迷うだけだ。
いっそのこと、アースリュームでやったように氷の足場で人波を飛び越えていくか? 駄目だ、平時ならまだしも、今街中で魔法なんて使おうものなら混乱が加速してしまう。
小さく舌打ちしている最中、カルナの横をすり抜けて行く影があった。
それは、先程模擬戦をしていた小柄な少年だ。僅かに逆立った黒に近い茶の頭髪に、大きな瞳を威圧するように細めた彼の名は――確かキールだったか。
つい先程見た時と違い、腰に本物の剣を差して疾走する彼に、カルナは駆け寄り、並走する。
「悪い! 君、さっきのを見る限り君は自警団だろう!?」
「ああ!? だったらどうしたんだよ観光冒険者!」
「案内してくれ、僕らはこの街の地利に疎い!」
本当なら魔導書と鉄咆を取りに宿に戻りたかったが、そんな時間は無いだろう。
幸い、魔導書を用いなくても使える魔法はいくつかある。ならば、今は何よりも先に戦場に行き、魔法を叩き込むのが最善だ。
「なら勝手についてこい! 取り残されても文句言うんじゃないぞ!」
「それでいいよ、頼む!」
構わないね、と追ってくるノーラに視線を向けると、彼女は荒い息を吐きながら大きく頷いた。
キールは加速し、狭苦しい小路に駆け込む。その背中を追ってカルナたちも侵入するが、増築された建物によって道が異様に狭かったり、飲食店の裏側なのだろうかゴミ箱が道を塞いでいたりと、正直言ってまともな道としては機能していないのは明白であった。
だが、キールは滑るように隙間を抜け、ゴミ箱を踏み台にして跳ね跳びながら細く入り組んだ道を止まることなく駆け抜けていく。
カルナもそれに習い、遅れながらも背中を追う。
「全く――無茶苦茶なルートだね!」
ゴミ箱を蹴り飛ばしながら悪態を一つ。
「この辺りはおれの庭だからな! ところで、後ろの女はいいのか!?」
「大丈夫です!」
しぱんっ! という乾いた音が上空で鳴る。
見上げると、霊樹の篭手から蔦を伸ばし、屋根に引っ掛けながら移動するノーラの姿があった。
「別の意味で大丈夫なのそれ!? 腕とか、負担凄いと思うんだけど!」
驚きのあまり思わず大声で問いかける。
霊樹の篭手、その手の平の付け根辺りから蔦が放たれるというギミックに驚いたのは確かだが、それ以上にノーラの腕が心配だった。
どういう用途で蔦を伸ばすのかは知らないけれど、少なくとも今のように宙を駆けるためではないだろう。そのような用途なら、かかる負荷を分散させる造りになるはずだ。間違っても右腕で全体重を支えるような作りになどしない。
そんな心配と不安に対し、ノーラは安心させるように、けれど僅かに表情を歪ませながら微笑んだ。
「正直に言うと、けっこう痛いですけど――問題ありません、我慢します!」
言いながら蔦を巻き戻し、別の屋根に蔦を放つ。
体重がかかる瞬間、ぎちりという音が聞こえたような気がした。同時に、歪むノーラの表情。
それを見て、無茶なことはやめろと言いかけ――その言葉を飲み込む。
無茶なのはノーラ自身とて承知の上だろう。だが、それでも今は無茶のし時だと思ったからこそ無茶を行っているのだ。それを否定することなど出来はしない。
「ちょ、おいホント大丈夫なのか!? アンタの女だろアレ!」
「問題ない! だから早く先導してくれ!」
キールに対する返答は、気休めでも希望でもない、確信から来た言葉である。
確かに、ノーラは体を鍛えてるワケでも、神官として実力があるワケでもない。か弱い少女と呼ぶべきスペックの人間だ。
けれど、彼女は自分が出来ることには全力を出し、逆に自分には絶対無理だと思った時は足を止めて周りのサポートに徹することが出来る人間でもある。
だからこそ、彼女はここまでついて来れたのだ。
全てに全力を出すだけの人なら、スペックに見合わないことをして潰れていただろう。
ただ周りのサポートをするだけの人なら、特別でもなんでもない今時の神官だ。もしそうであれば、そもそも騎士団の募集を見て故郷を飛び出すこともしなかったろう。
「キールくん、前、見えてきました! このまま直進ですか!?」
「いや、左に曲がって裏路地から行く! 正面にある道は広いからきっと人がわんさ――くん!? あ!? 今おれをくん付けで呼びやがったのか!?」
「大丈夫です! 上から見る限りでは人は居ますけど、移動できない程の混雑じゃないです!」
街壁を叩くファイアー・ボールの音と『くん』付けに文句をつけるキールの声にかき消されぬよう、ノーラが叫ぶ。
「アンタおれのことナメ……っと、爆発音がでけぇな、攻撃される場所の真正面ってワケだ」
「戦えない人たちは慌てて逃げ出して、その結果大通りの方が大混雑してるってことか」
だろーな、と。
そう言ってキールは前屈し、勢い良く加速した。その動きはどことなくニールを連想させ、同じ流派を学んだ者なのだということを強く実感させる。
「なら、後は真っ直ぐ行きやぁいい! そうすりゃ階段もある!」
「分かりました! ここまでありがとうございます、キールくん!」
「テメェ、おれをナメてんのかぁ! タッパ足りてねぇからガキみてぇだって言いたいのかぁ!」
「え? ……そういえば、なんででしょうね。なんというか、見た目以上に幼く感じるというか」
「転移者前におれと喧嘩したいのかよアンタ!」
いや、そんなつもりは――と弁明するノーラに全力疾走しながらがなり立てるキール。それを視界に収めながら、カルナは小さく笑みをこぼした。
実際、不思議とノーラの気持ちが分かるのだ。正直、背丈以外はそこまで子供っぽいとは思わないのだが、なぜか妙に年下だ、というイメージが強い。無意識に誰かと比べているのだろうか?
そんなどこかのんびりとした思考は、しかしすぐさま塗り替えられることとなる。
「……二人とも、上! 何かこっちに落ちてくる!」
最初、カルナはそれを瓦礫か何かかと思った。転移者の魔法スキルが街壁の一部を破壊し、その破片が落ちてきたのだと。
されど否。弧を描いて落ちてくるそれには四肢があり、頭部があった――人だ。左手に盾を括り付けた男だ。
カルナがそれを伝えるより先に事実に気付いたらしいキールは、顔色を変えて更に加速。滑り込むような動作で地面に激突しそうだった者を受け止めた。勢いに逆らわず、地面を転がって衝撃を殺すと、すぐさま落ちてきた者に声をかけた。
「おい、大丈夫か!?」
「キールか、悪い……助かった」
落下してきた男の左腕は小枝の如くへし折れ、腕に括り付けられた盾もぐにゃりと変形している。武器はないのは、途中で落としたからか。
ひとまず命に別状がないことにホッとしているキールと、慌てて男に駆け寄り治癒の奇跡を使い始めるノーラを見つめながら、カルナは全く別のことを考えていた。
(この人――転移者の攻撃を盾で真っ向から受け止めたのか!?)
馬鹿が、そんなの自殺行為だと憤る。
転移者の身体能力は化物だ。大陸最強のアルストロメリアの騎士だって、真っ向から受け止めず回避し、流している。そうしなければ叩き潰されるから。
だというのにこの馬鹿は――と、そこまで考えて、気づく。別に彼が特別愚かだったワケではないのだ、と。
彼は――いいや、恐らくこの街に住む戦闘要員たちの多くは転移者との戦い方を知らないのだ。
転移者は強力だが、現地人に比べて数が少なく我が強すぎる。だからこそ長い間『転移者の集団』というのは存在しなかったのだ。
だから、転移者が街を襲うにしても一人、多くても四、五人だったのだろう。そのくらいの規模であれば、街に住んでいる、もしくは逗留している実力者に任せれば良かった。
だが、今は違う。
レゾン・デイトルという大規模集団が現れ、そしてそこから弾かれた転移者が対抗するために徒党を組んでいる。襲撃の規模が今までとは段違いなのだ。
だから、本来なら盗人や冒険者崩れのゴロツキなどと戦っていた西部で活動する冒険者や自警団が、突然に転移者と戦うことになってしまった。なにせ、レゾン・デイトルが出来たのはほんの数ヶ月前だ。それだけの期間で、全ての戦闘要員に対転移者の戦い方を習得させるなど不可能だ。
無論、連合軍の皆はそれを数週間で学び、実践してきた。だが、それは転移者と戦うという熱意があったからこそである。
だが、現地人全てがそれを持っているワケではないのだ。
戦える者の中にだって、わざわざ転移者と敵対したくないものや、他人が勝手に倒してくれるだろうと考える者もいる。それらを含めて、戦闘要員全員に転移者との戦い方、心構えを教えることが出来るだろうか?
(そんなの、不可能に決まってる)
だからこそ、まずい。
街全体を包囲され、街壁を攻撃されている現状――それが、致命的な程にまずいのだ。
なぜなら、転移者と戦える者を集中できないから。
相手は時間さえかければ、街壁を破壊するなり、登ることが出来るのだから――
(――いや、待て、待ってくれ)
そこまで考えて、ぶわっ、と冷汗が噴出した。
今、落ちてきたその男。
その男は、なぜ、いまのような状態で落ちて来た?
まるで、殴り飛ばされたような形で、城塞の上から。
「転移者が一人、街壁を登ったんだ。それで相手の攻撃を受け止めようとし――」
「このっ、馬鹿が――ッ! 早く言え、ああ糞、それよりも早く気づけよ馬鹿なんじゃないか僕は……!?」
彼が落ちてきた時点で気づくべきだった、治癒を待たずにとっとと街壁へ向かうべきだった。命に別状が無さそうだと気付いた時点で、さっさと走っていれば良かったのだ。
「ノーラさん、急ぐよ! キールも、命に別状ないなら放置してとっとと向かった方がいい! 裏から門を空けられたら、その時点で積む!」
だが、己の愚かさを悔やむのは全て終わってからだ。
返答を待たず駆け出すカルナは、その背中を追うノーラの気配を感じる。そして、しばし後、「ああくそ、偉そうに命令すんな!」という声と共にキールが追いかけてくる足音を聞いた。
(けど――間に合うか!?)
もし、相手が門を開けるために街壁を登っていたら――自警団や現地の冒険者の奮戦次第だろうが、良くてギリギリ、最悪もう門は開かれている可能性がある。
階段を駆け上がり、上へ上へ。少なくとも、転移者が街に降り立ったのは見ていないし、それを見た自警団が騒ぐ様子もない。だから、まだ街壁の上に居る可能性がある。
「く――は、ぁ……! どこだ、どこに……!?」
荒くなった息を隠そうともせず、カルナは辺りをぐるりと見渡し――
「ふぅー、快感だぁ……おや、また獲物がやって来たようだねぇ」
そして、その男と目が合った。
腹の出た黒ずくめの男であった。黒いシャツに黒いズボン、そして黒いコートを羽織り、二振りの剣を佩いている。
その姿は、酷く歪で不格好であった。街で暮らしているただのおっさんに、歌劇の主人公の衣装を纏わせた――そんなアンバランスさ。単刀直入に言って、欠片も似合ってない。
だというのに、その男は恥じるどころか、むしろ誇るようにそれを着こなしていた。見よ、これが俺だ、これが主人公なんだと宣言するように。
そんな彼の足元には、数十人の人間が倒れていた。皆、武装し、剣や鎧を砕かれている――自警団や現地の冒険者たちだ。
「どうやらぁ、俺と戦いに来たようだなぁ。だが、無駄だぁ。俺は、最強の剣士なんだからなぁ!」
(ああ――馬鹿だ、こいつ)
力をひけらかし、にやにやと笑う転移者を見て、安堵と侮蔑を同時に抱く。
この男がもし、もう少し敏い人物であればこの街は終わっていた。閉じた門を内側から開けば、それだけで街壁を破る労力は必要なくなり、街に転移者が、盗賊がなだれ込んでいたはずだ。
そして、足元で倒れる者たちに感謝と尊敬の念を抱いた。先程のカルナの思考が正しければ、彼らはきっと転移者と戦った経験も無ければ、戦う気も無かったのだろう。
だが、彼らは戦った。勝てそうにない相手と、街を守るために。
そのおかげで、間に合った。彼らが踏み止まろうとしたから、転移者は力に酔いしれここに押し留められた。そうでなければ、門を開けに行くか街で暴虐の限りを尽くしていただろう。
(……落ちてきた彼にも、謝らないとな)
無知が罪ではないとは言わないけれど、無知なりにやれることをやろうとした、その想いは本物だ。
なら、その想いを繋げなくてはならない。無知ゆえに、実力不足ゆえに届かなかった場所へ、手を伸ばす。
「さあ、その綺麗な顔をズタズタに引き裂いてやるよぉ。この俺、最強の転移者の――」
「黙れ愚者、僕の頭脳にお前の汚らしい名を刻むんじゃない」
で、あるならば今を切り抜けなければならない。
魔力を放出し、練り上げる。すぐにでも詠唱を始められるように、相手を倒せるように。
「魔導書も、鉄咆もない。相棒も居ない。だが、それがどうした――丁度いいハンデだ」
名乗りを遮られ、ぽかんとマヌケ面を晒している転移者を見つめながら、しかしカルナの意識は周囲に拡散していた。
大見得を切っているが、自分は魔法使いだ。接近戦では倒れている者たちにも劣る。
ゆえに、背後から追いかけて来る二人と上手く連携して、魔法を叩き込めば――
「いいえ、カルナさん。その役目、わたしにください」
追いついて来た二つの気配、その一つが、すっと前に出た。
それを見て、転移者の男は「ほぉ」と笑みを浮かべる。下卑た、欲望に塗れた笑みだ。全身を舐めるように
「なんだぁ? そんなに俺にヤられたいのかぁ? ならいいタイミングだぁ! この自警団連中、女戦士も用意してないとか使えないにも程があったからなぁ!」
「――なんでこんなこと、するんですか?」
静かな、平坦な声だった。
普段の柔らかい声音とは違う、どこか硬質な響き。ぐらぐらと煮えたぎる激情に蓋をした、そんな表面上だけの冷静さをカルナは感じ取った。
「わたし、これでも怒ってるんですよ。ねえ、貴方――レンちゃんから、友達の転移者から時々、転移者について聞いてるんですよ。辛いことがあって、嫌なことがって、やり直したいからここに来たんでしょう? なのに――なんで、他人を傷つけてるんですか?」
「無論、誰にも縛られないためだぁ! 俺の人生は灰色だった! 誰からも見下されていたぁ! だが、今は違う! 俺は力を得て変わったんだ! 今度は俺がお前らを見下してやる番なんだよぉ」
その言葉は酷く歪であった。
虐げられたから仕返しがしたい、ああなるほど、それは理解できる。カルナとて、『復讐は何も産まない』などと言う聖人でも愚か者でもない。
そう、復讐とは心地よいモノなのだ――その矛先が、正しい相手に向いている限りは。
けれどその刃を誰彼構わず振り回すのは、復讐ではなくただの子供の駄々だ。無駄に力がある分。子供よりもずっと質が悪い。
「――そう、ですか」
淡々とノーラは答え、差し伸べるように腕を伸ばすした。
「お願い! 行って!」
瞬間、ノーラの右腕から、嵌めた霊樹の篭手から蔦が放たれた。
ノーラの動作を怪訝そうに見ていた転移者に向かって飛んでいくそれだが、しかし男は鼻で笑ってそれを素手で掴み取る。ぱしぃん、と叩きつけられる乾いた音が響くが、男の掌にダメージはない。打撲どころか擦り傷のようなモノも。
「なんだぁ、これはぁ? 蔦……ムチ的な装備? だったら茨くらいつけておかないと意味がないんじゃないかぁ? これじゃあ、俺どころか現地人すら――――」
「――創造神ディミルゴに請い願う」
言葉と共に、蔦が発光した。
男が素手で掴んだ場所から、ストローで飲料を吸い上げるように――力を吸い取り、剥奪していく。
蔦を伝う輝きがノーラに届いた瞬間――霊樹の篭手は変形を始めた。
スケイルメイルのように編み込まれた木片が発光しながらめくれ上がり、隙間から吐き出すように光を放ったのだ。轟、という音と共に放出された光の粒子でノーラの右腕が眩く輝いた。
(あれは――力を散らしているのか!)
そして、ようやく気付く。
あの蔦は転移者の力を吸い取るための機構――接近して接触しなくてはならないという女神の御手の弱点を埋めるためのモノなのだ。
――放出された光は巨大な帯のように揺らめき、ノーラの右腕付近をたゆたう。
あれは神の力――規格外として転移者の体を強化し、スキルを使う際の燃料にしていたモノだ。
輝けるそれで己の右腕を輝かせながら、ノーラは天に座す神に祈りを捧ぐ。
「失われ行く命を守る力を、癒しの奇跡を! 女神の! 御手!」
感情を爆発させたような叫びと共に、柔らかい光が辺りに広がった。
それは街壁の上で倒れ伏した自警団たちの傷を、時計を逆に回したかのように跡形もなく癒やしていく。傷を負ったという事実は、もはや切り裂かれた鎧や衣服だけが語るのみ。
「な、お、おんなぁ、何しやがった――うおぉ!?」
ノーラが蔦を引っ張った力に抗えず、男はノーラの方によたよたとバランスを崩しながら近づいてくる。己の体、武装の重量に耐えられていないのだろう。
女神の御手は転移者の力を吸収し、それを奇跡に転用する技。ゆえに、吸収された転移者は一時的に規格外が無効化されのだ。
ゆえにこの瞬間、身体能力は逆転している。
確かにノーラは特別身体能力に秀でているワケではない。普通の少女よりは、やや腕力はあるのだろうが、それだけだ。後衛の平均値より多少上、と言ったところか。
だが、それでも今なら。
規格外を剥がし、元の身体能力を晒している転移者が相手なら。
「自由でありたいという願いは否定しません、けれど」
未だ己の身に何が起こったのか把握できていない転移者を見つめながら、輝く篭手に包まれた手を握りしめた。
「おかしっ、体、動かね……!?」
振り上げる。
光の粒子を残像の如く靡かせながら、腕を、拳を。
「自由の責任くらい、そろそろ取るべきでしょう。子供じゃないんですから」
「は……? はっ、馬鹿がぁ! どんな装備なのか知らないけどよぉ、女の細腕で転移者の体を傷つけられるかぁ!」
転移者はにやりと笑う。
なにか語りながら拳を振り上げているが、どうってことないと。なにせ、自警団の剣でも己の体にダメージを与えられないのだから。
ノーラの篭手は確かに頑丈そうだが、それだけだ。女の細腕で振るわれるそれが、戦士の振るう鉄剣よりも威力があるなどとは思えない。
確かに、ただしい理屈だ――
「て、ぇえい!」
――己の体が、それに耐えきれない程に弱体化――いいや、過剰な強化が消えているという事実がなければ、確かに正しい理屈だったのだろう。
少女の拳が振り下ろされ、転移者の顔面に叩きつけられる。瞬間、鼻骨と前歯が折れ砕けた。
「お、ご、ぉぉおああ!?」
激痛による悲鳴と困惑の声、それと砕けた前歯を吐き出しながら転移者は困惑した。
痛い、痛い、痛い、これはなんだ、なんだこれは――久方ぶりに感じた激痛に、転移者はのたうち回りながら思考する。おかしい、ありえない、なんでこんな痛いんだ、理不尽じゃないか、と。
それを視界に収めながら、ノーラは輝きを薄めていく篭手を左手で撫でる。
「ありがとう――わたしの霊樹の篭手、聞こえていますか? 遅くなってごめんなさい。名前、ようやく思いついたんです」
倒れていた自警団たちが起き上がる。
その顔には、安堵と同時に困惑があった。
気絶から目覚めると己の傷は全て塞がっていて、転移者は「痛ぇ痛ぇ」とのたうち回っている。そして、それを見下ろすように小柄な少女が佇んでいるのだ。右腕を、僅かな返り血で染めながら。
「レンちゃんが時々言う、不正を正す行為、虫を潰す――デバッグするって言うらしいんですよ。独特な言い回しですよね?」
蔦が動く。のたうつ転移者の手――素肌に巻き付き、固定する。
簡単に外れないように、彼が規格外を取り戻した時にすぐさま女神の御手を発動出来るように。
「貴方は理不尽を捕食する食虫植物――理不尽を捕食する者です。……もし気に入らなかったら、ミリアムちゃん経由で教えてくださいね?」
微笑みかけた後、街壁の下を覗き込む。
戦いは、まだ終わっていない。
「カルナさん、ちょっといいですか?」
「なにかな? ……あと、今のはちょっとどうかと思うな。蔦が相手の素肌に当たらない可能性だってあったのに」
「ごめんなさい、ちょっと、カッとなってしまって……ですから、カルナさんの意見が聞きたいんです」
街の外には、未だに転移者と盗賊が多数見受けられる。
先程の転移者が倒されて混乱している者も居るが、しかし大多数は未だ攻撃の真っ最中だ。
「――複数人を纏めて倒す方法があるんです」
「分かった、聞こう」




