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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
無限の勇者
150/288

147/クレープの甘さと剣と暴虐の炎と


 それを口に運ぶと、とろけるような甘みが広がった。

 柔らかな生地の中にあるのは、生クリームとリンゴ、そしてチョコレートソースだ。生クリームとチョコレートは少し甘すぎるかなとも思ったが、果実特有の酸味と甘み、そしてそれらを包み込む生地が上手い具合に調和している。

 

「……甘いクレープなんて初めて食べたなぁ」

 

 手元のそれを見下ろしながら、カルナは感嘆の声を漏らした。

 薄紙で包んだそれは、クレープという食べ物である。服屋を出てしばらく歩いている時に屋台を見かけ、そこで購入したのだ。

 今はノーラと二人、屋台の近くにあるベンチに腰掛けながらクレープを食していた。

  

「はむ……んっ、わたしはあまり屋台で食べたことがないので初めて見るんですけど……本来は甘くないんですか?」


 カルナの呟きに、噛み付いたクレープを飲み込んだ後、ノーラが問う。クレープの断面には生クリームと苺が顔を覗かせていた。


「知っている限りではね。拠点にしてたのが港町だったからか、焼いた魚と野菜とか、塩漬けにした魚をレモンの汁で味付けしたのを巻いてるのも見たね」

 

 ニールから聞いた話では、鶏肉とチーズも相性がいいらしい。

 そんなカルナたちの会話が聞こえたのか、屋台の店主が「ああ、それなら」と口を挟んだ。 


「転移者が『クレープが甘くないなんておかしい』とか言ったのが始まりらしいよ。中々美味しいし、私も大好きなんだけど、あまり他所の街じゃ浸透してないみたいだね」

「なるほどなぁ……ありがとうございます」


 屋台の店主に礼を言って、手元のクレープに視線を戻す。

 実際、中々美味しいので新鮮な果実が沢山手に入る場所でなら流行りそうだ。いや、それよりも前に『甘いクレープって何だよ』という意識を宣伝なり試食なりで改革せねばならないか。

 いや、それよりも何故ここでは受け入れられているのかを考えるのが先だろうか。


(……待てよ、そうか)


 視線を別の屋台に向ける。

 それは鶏肉の串焼きであったり、リンゴの周りを雨で包んだ菓子など、様々だ。そしてそれを購入した人の多くはそれを持ったまま露天などを見回っている。

 この街全体が、このような食べ歩きに寛容なのだ。飲食店で腰を落ち着けるより、味を楽しみながらちょっとした小物を見たり買ったりするのを観光客が好んでいるのだろう。

 それによって露天は観光客の目に触れる機会が増えるし、飲食の屋台も潤う。なにせ、持ち運びやすい屋台の食事は少食でもなければ一つではお腹いっぱいにはならない。一つ食べながら露天を見て、食べ終わったら別の屋台で食べ物を買って露天見物に戻る――そういうサイクルが出来ているのだろう。

 その結果他の街よりもゴミが多かったりするが、それ以上の利益も得ているはずだ。それに、定期的に掃除しているのか不潔な街という印象は無かった。もしかしたら冒険者用のクエストで『大通りのゴミ掃除』などがあるのかもしれない。

 考え込むカルナの耳に、少し呆れたような笑い声が隣から響く。誰が笑っているかなど、考えるまでもない。


「カルナさん、そうやって考え込むの好きですよね」

「ご、ごめんごめん、つい」


 謝るカルナに、ノーラは少しおどけたような態度でむくれて見せる。


「いいえ、許しません。ええ、許しませんとも。許して欲しかったら、ちゃんと誠意を見せてください」

「ええっと、誠意って?」


 ちょっと間の抜けた返答だな、という自覚はあった。けれど、カルナにはどういう対処が最善なのかが分からなかった。

 無論、本気で怒っていないことくらい態度で一目瞭然だが、下手なことをして本当に怒らせてしまうワケにもいくまい。

 問われた彼女は、顔をほころばせてカルナの手元――クレープを指差した。


「一口、味見させてください」

「ははっ――はい、どうぞ」


 悪戯っぽく悪う彼女に釣られるように、カルナも破顔した。

 手渡したクレープを美味しそうに食べる姿は微笑ましい。懐いた小動物を餌付けしているような気持ちだ。

 

「はむ――んっ……カルナさんもどうですか?」


 そんな風にじっと見ていると、勘違いされたのかノーラが自分のクレープを差し出してくれる。


「うん、それじゃあ貰おうかな」


 苺の方は甘そうであまり興味はなかったが、試しにと思い一口。

 すると予想通りの甘みと、しかし予想よりも自己主張する酸味が口の中に広がった。

 甘さ一辺倒ではなく、程よい苺の酸っぱさのなんと心地よいことか。正直、食わず嫌いをしていたかもしれない。


「苺なんて子供のころ以来だけど、なかなか悪くないね」

「男の人だとあまり食べる機会もないでしょうしね――けど、子供の頃は食べてたんですね」

「まあね。人並みの子供程度には甘いものは好きだったし……まあ十歳を越えた辺りであまり食べなくなったな。子供っぽいし、田舎臭いって思って」


 格好つけたがりだったんだよ、と懐かしむように、けれど僅かに苦味を感じる笑みを浮かべた。

 

「子供のころってそういうものですよ。早く大きくなりたいとか、一人前になりたいとか、わたしも考えてましたから――でも、珍しいですね」

「うん? 何がだい?」

「苺が好きだと『子供っぽい』とか『女っぽい』って言う人は居ますけど、田舎臭いって言う人は居ないなって思って」

「ああ……まあ、僕が住んでた村に果樹園があってさ。そこで育ててたモノの一つだったんだ。時々、形が悪くて売り物になりそうにないのをおすそ分けして貰ってたよ」


 当時は子供らしくはしゃいでいたっけ――そうぼやきながら回想する。

 故郷を、家族を、自分を。


「……カルナさん?」

「ああ、ごめん。また考え込んじゃって」

「いえ、それはいいんですけど――大丈夫ですか? 苦しそうな顔してますけど」


 治癒の奇跡、使いましょうか? 篭手に包まれた右手を向けるノーラに、カルナは首を左右に振った。


「大丈夫だよ。苦しいのは苦しいけど、それは別に体が悪いワケじゃないから……ただ、当時の僕を思い出すと、ちょっとね」


 冗談めかして笑いながら、カルナは当時の自分について語り始めた。

 子供の頃から本が好きで、何かを学ぶのが好きで、そしてそれと同じくらいに大人ぶりたくて――だから、魔法使いだったという祖父の遺品に夢中になったのは必然だったのかもしれない。

 だからこそ、十歳になる前に魔法が使えるようになった時は凄く嬉しかったし、村の大人も出来ないことが出来るようになって誇らしかった。

 けれど、魔法が扱えるのが自分だけという優越感からか、もしくはただ単にカルナ・カンパニュラという男がそういう人間だったのかは分からないが――酷く調子に乗ってしまったのだ。自分以外の村人が全員、学の無い阿呆に思えたのだ。

 さすがに面と向かって相手を馬鹿にするような真似はしていなかったが、それでも畑の手伝いをやらなくなり、手伝うにしても魔法が必要な時だけになった。それだって、当時のカルナにとっては『隣人の手伝い』というより『魔法の実践練習』程度の考えだった。根本的に、自分のことしか考えてなかったのだ。


「後悔しているのなら、謝りに行ったらどうです? この戦いが終わった後にでも、ゆっくりと」

「うぅん……けど、今更謝ったところで、長い間ほっつき歩いていた癖に今更何をって感じになりそうだしな……」

「それを決めるのはカルナさんじゃないです。言葉を聞いた相手が考えて判断を下すことですよ」

 

 手厳しい意見に、思わず「うっ」と呻く。

 実際、その通りなのだろうなとは思う。悪いことをした本人が、相手はこんな風に考えているだろうから今更謝っても意味はない、などと考えるのは酷く独り善がりなのだろうと。

 分かっているからこそ、心に刺さる。図星ほど身を抉るモノはないな、と痛感する。罪悪感が燻っているなら、尚更だ。

 

「けど、やっぱり謝りに行くのは怖いですよね。時間が開いたらなおさら。わたしも、お皿を割った時に怒られるのが怖くてタンスの後ろに隠したことがあるんですけど、いずれバレるのに言い出せなくて凄く怖かった思い出がありますから」

「……なんか意外だな、そういうのはちゃんと言うタイプだと思ってたよ」

「魔が差しちゃったんですよ、こうしたらバレないかも、って。よくよく考えればそんなワケないのに。最終的にはしっかりバレて、お皿を割ったことよりも隠蔽した件についてガッツリと怒られちゃいました」


 そう言って少し頬を赤らめる。

 

「だからカルナさんの気持ちが分かる――とまでは言いませんけど、一人で謝りに行くのが怖いというのは理解できます。結局、わたしも言い出すことが出来なかったので」


 だから、と。

 ノーラはカルナの顔を覗き込んで、安堵させるよう表情を緩めた。


「今回の戦いが終わって落ち着いたその時は、一緒に行きますよ、カルナさんの故郷に。だって一人より、二人の方が安心ですものね」

「……そっか。うん、その時はお願いしようかな」


 ベンチから立ち上がり、一歩足を進める。

 なんというか――少しばかり気恥ずかしくて、ノーラの顔を見つめていられなくなったのだ。

 

「けどっ、と、とりあえず今は遊ぼうか! ねえ、ノーラさん、どこに行く?」


 少しばかり早口な言葉に、僅かに上ずった声音。思った以上に取り繕えていない自分に思わず頬が熱くなる。

 ノーラは少し唖然とした風に黙り込んでいたが、カルナの内心を察したのか、くすくすと笑みをこぼした。


「どこでも良いですよ――って言ったら、逆に選び辛いかもしれませんね。強いて言うなら、静かな場所よりも賑やかな場所に行きたいですね」

「そ、そっか……じゃあ、こっちに行こうか! なんか、声が聞こえてきてるし、なにか路上パフォーマンスでもやってるんじゃないかなって思うんだ!」

「ええ、案内お願いしますね」


 まだ食べきってないクレープを片手に道を歩き始める。火照った頬がバレぬように並走出来ない程度に早く、けれど置き去りにしてしまわない程度にゆっくりと。

 たぶん、ノーラはすでに察しているのだろうと思うけれど、察せられるのと実際に見られるのとでは差は大きいと思う。

 そうしてしばし歩いていると、徐々に人通りが少なくなっていくのを感じた。

 別に、裏路地に入ったとか、危険な雰囲気がする場所に足を踏み入れたとか、そういうワケではない。人の数こそ減ったものの、この街の住人らしい人たちが存在している。

 つまり、これは――


「カルナさん、こっち住宅街じゃないですか?」

「うん……そうみたいだね」


 そりゃ大通りに比べて人通りも少ないはずだ、と納得する。

 それと同時に、「何をやってるんだ僕は」と頭を抱えたくなった。賑やかな場所って言われただろ、馬鹿か君は、と。

 

「けど、おかしいな。絶対こっちから複数人の声とか足音とかが聞こえてきたんだけど――」


 僕の勘違いだったかな、そう言いかけた瞬間のことだった。


「二本目――始め!」

「行くぞ! このまま完封してやる!」

「せいぜい慢心してろ、この程度の差、すぐに取り返してやらぁ!」


 大音声と共に土を蹴る音が響き、次いで乾いた打撃音が鳴った。

 一度始まると先程までの静寂が嘘のような音の波がカルナたちを叩く。硬質な何かが衝突する音、気迫の声、それらは初めて楽器を触った子供の演奏のようにデタラメな音楽を奏でる。

 二人は顔を見合わせた後、音のする方向へと足を向けた。

 

「てぇりゃああああ!」

「このっ……まだだ!」


 目的の場所に辿り着くまで、そう時間はかからなかった。

 そこは、いくつかの倉庫と家屋が併設された広場だ。公園というには殺風景で、花壇も無ければ木すら植えていない。ただただ、平らに均された土だけがむき出しの状態でそこにある。

 そこの中心で、二人の少年が木剣を振るっていた。それを十人前後の少年たちが熱心に、もしくは退屈そうに、その戦いを観戦している。

 その少年たちを率いるように、壮年の男が一人。

 無精髭の生えた強面の大男であった。動きやすそうな黒のシャツとズボンに、日向ひむかいの着物を羽織った彼の腰には一振り、剣が下げられている。

 彼は腕を組みながら少年同士の戦いを観察していた。一挙一動すら見逃さぬという鋭い瞳を更に鋭く細めながら、ただただ、じい、と。

 恐らく、あの壮年の男は剣の師であり、少年たちはその門下生なのだろう。

 それを理解すると、カルナは小さくため息を吐いた。どう考えてもこれは見世物の類ではない。

 

「まあ、賑やかなのは確かだったなぁ……」

「仕方ないですよ、カルナさん焦ってましたし」

「……ああ、やっぱり気付いていたんだね」

「あっ……と、ここで違うって言っても信じてもらえませんよねぇ――ええ、照れて早歩きになるカルナさんは凄く微笑ましくて可愛かったですよ」

「分かってたことだけど言葉にされると恥ずかしいかなぁ!」


 全く、とため息を吐くとノーラが楽しそうに、可笑しそうに笑う。やっぱりこの子いい性格してよ、と内心で小さく愚痴った。

 

「……ま、これ以上ここに居ても仕方ないし、大通りに戻ろうか。あっちも、僕らみたいなよそ者に見られながらじゃ鍛錬に身が――」


 入らないだろうしね、と。

 そう言いかけた時だった。


「これで――終わりだ!」


 木剣を打ち合わせていた少年の一人が、相手を弾き飛ばした後、見覚えのある動作を始めたのだ。

 剣を右肩に担ぐように持ち上げ――やや前のめりな姿勢で疾走。バランスを崩す相手に肉薄した彼は、勢い良く踏み込みながら剣を振り下ろし――命中。相手を弾き飛ばした。


「一本! 勝者キール!」

「よしっ! 完全勝利!」

「だあああ、糞っ! せめて一本くらい返してやりたかったんだがなぁ!」

 

 戦いが終わり、壮年の男が二人の少年に改善点を示している。

 それを眺めながら、カルナは小さな驚き抱いていた。


(――あれは)


 少年が放った、最後の技。

 その動きに、なぜか視線を吸い寄せられたのだ。

 別にカルナは剣術に興味があるワケではない。昔のように『魔法に比べ劣っている』と考えているワケではないし、自分には無い強みや技術があるとは思ってはいる。けれど、それと興味を持ってじっくり観察したいと思うかはまた別問題だ。

 だというのに、鍛錬に励む者たちの一挙一動が気になって仕方ない。なんだろうか、と悩み――数秒の間を置いて気づいた。


「……そっか、ニールの技と同じなんだ」

「ニールさんの技、ですか? ……言われてみれば、そう見えなくも、ない……んでしょうか?」


 疾走し、踏み込み、袈裟懸けに切り下ろすあの動作――ニールが最も使用し、信頼する技――餓狼喰がろうぐらいの動作に他ならない。

 一年も一緒に行動し、共に戦っているのだ、興味はなくとも連携する者の動きくらいは把握している。

 だというのに咄嗟に思い出せなかったのは、ニールの動きと比べて腰が引けているように思えたから。恐らく、ノーラが分からないのもそれが理由だ。ニールはもっと前のめりで、一気に間合いを詰めて剣を振るっている。それこそ、飢えた狼の如くがむしゃらに。


(……いや、さっきの子が腰が引けてるんじゃないのかも? この場合、ニールが前のめりすぎ――なの、かなぁ)


 悩むが、答えは出なかった。

 カルナは魔法使いであり、剣士ではない。想像は出来ても、完全に理解することは不可能だ。


「――――さて、ところでお二方は何用かな? クレープ片手に鑑賞するようなモノではないと思っているのだがね」


 カルナが悩む間に少年たちへの指南を終えたらしい壮年の男は、こちらに視線を向けずに問うてきた。遅れて、少年たちの視線がこちらに向けられる。

 壮年の男はともかく、何人かの少年の視線には敵意があった。なぜだろう、と自分の姿を確認して見ると、物見遊山している観光客のように、食べかけのクレープを手に持っているのを思い出した。

 

「ごめん、ちょっとノーラさん持ってて」

「あわ、っと……」

「あんまり長引かないと思うけど、もしそうなったら食べながら待ってて」

 

 自分の食べかけのそれをノーラに手渡すと、カルナは一歩前に出て頭を下げた。


「申し訳ない、声と音が聞こえたから、なにか催し物をやっているかと思って見に来ただけなんだ。別に、君たちの鍛錬を馬鹿にしていたつもりはないよ」


 自分たちは必死に鍛錬しているというのに、女連れの男がへらへらとそれを観察している――いい気分ではないだろう。少年たちも、そしてそれを教える師も。

 世の中、他人の努力を嗤って優越感に浸る者は多い。それは、非常に怠惰であり、しかし自分が何一つ頑張らなくても優越感を抱ける安い娯楽だ。そして誰しもが簡単に出来る以上、そうやって誤解されてしまうこともまた多い。だからこそ、カルナは真摯に頭を下げるのだ。

 それに納得したのか、着物を羽織った男は「そうか」と大きく頷いた。 


「ああ、そうか。大通りはそっちの道をまっすぐ行けば良い。こっち側に来ても住宅街ばかりで面白いもんはないぞ」

「ありがとう――ああ、そうだ。一つ、聞いてもいいかな?」


 本来はそのまま踵を返して大通りに戻るところなのだろうが、どうしても気になったのだ。


「僕はあまり剣術に明るくないから、的外れなことを言っているかもしれないけれど――人心獣化流じんしんじゅうかりゅう餓狼喰がろうぐらいだよね、そっちの子が使った技は」

「……驚いたな。教えてる儂が言うのも難だが、流派としてはマイナーだぞ、これは。街の住人じゃああるまいに、お前さんは一体どこでこの流派を知ったんだ?」

「仲間の剣士がそれを使っていて。だからこそ、つい気になって眺めてたってのもあるんだ」

 

 なるほどね、と壮年の男は口元を笑みの形に緩めた。

 

「修行を終えて冒険者になった奴も何人か居るからな、不思議なことでもないか。それで、そいつの名前を教えてもらってもいいか? 儂の教え子なら、師匠んとこに顔くらい出せって言っといて欲しいんだわ、これが」

「構わないよ、名前は――」


 カルナの言葉を遮るように、鐘が鳴った。

 この街特有の時間を知らせる仕掛けだろうか? 一瞬そう思ったが違う。

 鳴り響く鐘の音は耳障りで、そして危機感を煽るように何度も何度も鳴り響き、それを聞いた少年たちが不安そうな顔で顔を見合わせている。どう考えても日常的なモノに対する反応ではない。

 

「――自警団に所属してる奴はとっとと走れ! それ以外はこの場で待機!」

「あの、ごめんなさい、これは……?」


 鳴り響く鐘の耳障りさに顔を顰めながら、ノーラが問いかける。

 それに対し、壮年の男は視線を城壁へと向け、淡々と言った。

 

「盗賊どもだよ――転移者のな」


 轟音が鳴り響く。

 視線を向けると、防壁にぶつかり破裂する炎が見えた。


(――あれは)


 魔法使いとしての知識が、そして対転移者の経験が、その炎が転移者の魔法スキル『ファイアー・ボール』なのだと教えてくれる。

 まるで量産品のように画一的な魔力の編み方だ、見間違うはずもない。


     ◇



 ――――時は僅かに巻き戻る。



 人里離れた森の中に、それはあった。

 朽ちた家屋に草花に侵食された道、獣避けの柵には数多の草や蔦が巻き付いている。人の名残を覆い尽くすように、この場の主人は我らであると宣言するように。

 西部では珍しくもない、開拓時代の名残――廃村だ。人が自然を切り取り己の領域とし、しかしその人が去ったがゆえに再び自然が支配を始めた、ただそれだけの場所だ。


「――南部にあるエルフの住処を襲撃して、けれど逃げ帰ったようだな、連中」


 だが、新たに生えた草花を踏み散らし、我らこそ貴様らの主人であると主張する者共が居た。

 様々な人間だ。中肉中背、肥満、痩せ型、男、女、共通点はほとんど存在しない。

 しかし、皆一様に髪が、そして瞳が黒かった。島国の日向ひむかい人と似た容姿でありつつも、しかし背丈は彼らよりも高い。

 そんな彼らの背後には、一見して荒くれ者と分かる者たちが控えていた。ボサボサの髪、伸びた髭、欲望に満ち満ちた瞳の輝きを持っている――盗賊だ。

 けれど彼らの装備は、充実し、血色も良かった。人里から離れ、奪う者が持つ特有の装備の悪さや飢えなどが皆無なのだ。


「無能だな。現地のエルフすらまともに蹂躙できんとは――まあ、仕方ない。無能が真に有能な者を虐げ、排除するのは当然か」


 それは、彼らに従っているから。

 一見すればひ弱な彼らは、しかし見た目とは裏腹に化物だ。

 大型のモンスターを一刀で屠り、自分たちを討伐しに来た冒険者を全滅させた。その絶大な力は、魔王大戦時代に存在した魔族を連想させる。

 そんな彼らと共に略奪を行っているのだ、懐が満たされぬワケがない、欲望が満たされぬワケがない。

 だが、欲望とは無限に広がっていくモノだ。一度満たされればもっと多くのモノを、別のモノを手に入れたいと思うのが人間の欲なのだ。

 

「当然だけど、そのまま放置しておくのも気分が悪いわ。だから、ねえ――そろそろいいでしょう?」

「ああ、そうだ――まず、俺たちの国を造る。そして、レゾン・デイトルなどという無能の集まりを打倒し、俺たちの力を示すんだ」


 辺りから驚きと歓喜の声が聞こえてくる。


「あいつらは西の僻地――そこを奪うに留まっているが、我らは違う。もっと大きな街を奪い、そこを最初の拠点としよう」

「ならば、奪うべきはブバルディアか。西部最大の都市が僕らの物になるのか――楽しみだな」


 その時、彼らの思考に敗北や失敗という思考は皆無であった。

 自分たちが手に入れたいと思ったモノは、この転移者たちに従ってから全て手に入れてきた。

 食事、酒、金、女――全て全て。転移者のモノに手を付けた者は惨たらしく殺されていたが、それは致し方ないことだろう。ケチな盗賊だって、かしらのモノを奪えば私刑に処されるはずなのだから。

 この人達に従っていれば、この人達を怒らさねば良い暮らしが出来る。まともに働くのがバカバカしくなるほどのモノを手に入れられるのだ。


「さあ、行こうぜ。無能のモブ転移者を滅ぼすために、秩序なんてくだらないモノを謳う偽善者の騎士どもを絶滅させるために」

「俺たちは自由だ。何にも縛られず、やりたいことをやれる転移者(そんざい)なんだ」

「幸い、あの勇者野郎は居ない。適当な転移者と盗賊のアジトを教えてやったからな――今頃、俺たちのアジトがそこだと思って襲撃している頃だろうよ」


 悔しい話ではあるが――ここに居る者たちでは勇者には勝てない。

 いや、勝てなくはないのだ。全員で囲み、全力で攻撃すればそれで倒せるはずだ。

 だが、その時に何人かが死ぬ。転移者の後ろで控えている盗賊だけではなく、転移者が。

 それは駄目だ。

 なぜなら――ここに居る転移者の全てが、命を賭ける気がないから。別に隣に居る誰かが死のうと興味はないが、しかし自分が死ぬ可能性のある戦術は選択出来ない。

 当然だ。自分たちは楽をして勝利したいのだから。命を賭けて強敵を倒すなんて真似は古臭い少年漫画の主人公にでも任せておけばいい。

 

「さあ! 蹂躙を始めよう。自警団や冒険者を滅ぼし、街を滅ぼした後はそこを拠点にあの忌々しい勇者を破壊し、その次はレゾン・デイトルの無能どもを攻略する! ケチな略奪ではなくこの西部を! そしていずれはこの大陸全てを略奪しようじゃないか!」


 歓声が鳴り響いた。

 これから先の未来に障害など欠片もないと信じ切った、喜びの声だ。

 無論、これからの戦いで誰かが死ぬかもしれないとは考えていた。

 だが、それはきっと自分ではない。

 仮に全滅するような大失態があったとしても、自分だけは生き残り再起出来る。そこからまた成り上がれる――そこに居る転移者は、皆そう信じ切っていた。

 

 ――それは、現実の見えていない愚者の妄想に他ならない。


 転移者としての実力はレゾン・デイトルに所属する者たちの平均値を大きく下回り、彼らを信奉する配下も装備こそ整えているもののしょせんただのゴロツキだ。

 彼らの語る妄想が成就する可能性など、一欠片も存在しない。

 存在しない、けれど――彼らは暴虐の炎として燃え盛る。

 

「金も、女も、メシも、娯楽も、全て全て、俺のモノだ――!」


 それは、たとえるなら都市部で起きた火災。

 炎は家は焼き、人は焼き尽くし、思い出は消し炭と化す。いずれ消火するとしても、焼かれたモノが返って来るワケでは断じてないのだ。

 


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