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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
無限の勇者
148/288

145/母の香り


「さぁて、どうしたものかしら……」


 とんとんと足音を立てて階段を降りながら、連翹は思い悩むようにそう呟いた。

 なにせ、久々の一人歩きだ。色々買い物をしたいような気もするし、遊び歩きたい気もある。

 沢山の荷物を持って楽しげに歩く自分の姿を想像し――首を左右に振った。

 

(旅の途中に色々買い込むワケにもいかないし、たくさん買うのは駄目ね)


 服一着、そして本一冊だって荷物になるし、重しになる。

 転移者の体は多少の重量に負けたりなんかしないけれど、しかしやはり荷物は重いより軽い方が動きやすい。何より荷物が多いとかさばって困る。

 気楽な冒険者稼業も考えものねー、とぼやきながら一階に降り立つ。

 そのまま食堂を抜けて外に出ようとし――ぴたり、と足を止めた。

 

「そういえば、さっきは食堂くらいしか見てなかったわね」


 この宿、他になんか施設とかないかしら? そんなことを考えながらくるりとUターン。誰かと待ち合わせをしているワケではないのだ、多少寄り道したって誰も文句は言わないだろう。

 食堂を横切り廊下へ戻ると、辺りをぐるりと見渡した。

 目についたのは二階へと続く階段と、住居スペースに続くらしい扉、そして隅に見える倉庫と外に出る扉だ。

 二階は宿泊スペースしか無かったし、住居と倉庫は宿泊客が入っていい場所ではないだろう。


「せっかくだから、あたしはこの赤――くはない扉を選ぶわ!」


 勢いよく扉を開けると、冬の弱々しくも温かい日光が体に降り注ぐ。

 扉の外は、どうやら庭のようであった。といっても、宿泊客を楽しませる設備というよりは、従業員家族が利用するスペースのように見えた。

 一応、ちゃんと道などは造られているし、花壇に花などは植えられている。それでもそれ以上に菜園と鶏小屋が使うスペースが多い。


「ニワトリかぁ……そういや生ニワトリとか小学校以来な気がする」


 生以外なら何度もお目にかかっているのだが。焼き鳥とか唐揚げとか卵料理とか、もう完全に調理されてしまったモノ。強引に関連付けるなら生卵がニワトリの一部ということくらいか。だって卵から孵ってニワトリになるわけだし。

 鶏小屋まで歩み寄り、スカートに土が付かないように注意しながら屈む。

 すると、「なんだお前」とでも言うように数匹のニワトリがこちらに視線を向けてくる。


(……地味にニワトリって怖いのよねぇ。もっと怖いモンスターと戦った癖になに言ってんだ、とか言われそうだけど)


 だってニワトリってなんか目つき悪いじゃない、と一人脳内で言い訳を述べる。雄鶏のトサカとか、ばさばさと羽をバタつかせて威嚇してくる姿も、ちょっと怖い。

 昔はちょっとではなく凄く怖くて泣きそうになり、その様を見た同級生の男子に大いに笑われたものだ。本当に小学生男子ってデリカシーとかそういうのが欠片もないわよね、と思う。

 

「……そういえば、ニワトリがいるんなら晩御飯とか朝ごはんとかに卵出るのかしら?」

「もちろん、そのために飼ってるんだからね。卵、好きなの?」


 だとしたら、ニールが悔しがりそうね――そんな思考が言葉になる前に、背後から声をかけられた。

 屈んだ状態で振り向いて見上げると――日差しを覆う巨大な胸だけが見えた。なんだこれ、顔が見えない。見えないけど、誰なのかは理解できる。出来てしまう。


「……ああうん、いや、別に嫌いじゃないけど、あたしはまあ普通に好きって感じかしら。ただ、今回街の外に居る仲間が卵超大好きで」

 

 立ち上がり、連翹の視線を遮った胸を避けて顔を見る。

 相手はやはりこの宿の女将、カリムであった。彼女は「そいつは残念」と少年のような明るい笑みを浮かべた。


「その子が居れば家の旦那も腕の振るい甲斐もあったろうに」

「ああ、厨房から顔出してたあの顔怖い人ね……というか、旦那さんの方が料理するの?」

「家庭料理くらいならわたしもするけどね。でもまあ、正直料理は苦手でねぇ」

「なに? 不器用だったり味覚がおかしかったりとか、そういうヒロイン属性持ってるの?」

「その二つがどうしてヒロインと関連付けられるのかは分からないけど――わたしの場合、どっちも問題ないよ。そりゃあ、旦那みたいな料理人と比べたら素人舌だけどね」


 せっかく作っても『お前の味付けは適当過ぎる』って文句言うのよ、と唇を尖らせる。

 まあ確かに、専門の人に比べたら素人の家庭料理なんて勝負にもならないのは道理だ。でも、それにしたってその言い方はないだろうと連翹は思う。自分だったら一週間くらい口を聞いてやらない。


「あ、つまりそういう旦那さんの言葉がトラウマになって料理が嫌いになった的な……?」

「違う違う、そんな繊細じゃないよわたしは。単純な話でね、厨房で包丁使おうとしたり、焜炉こんろに載せた鍋を取ろうとするとさ、手元が隠れちゃって危ないんだ」

「え、隠れるって何――あっ、ああ……あああああ、そっかぁ……」


 視線が少し下げる。そこにあるのは巨大な球体めいた二つの胸だ。

 あまりの大きさに『これ絶対何か詰めてるでしょ』と思うけど、呼吸とか体の動きで僅かに形を変える姿は紛うことなき本物だと連翹に告げている。ゆえに、先程カリムが言った苦手な理由もまた、事実なのだろう。

 だが、なんだその現象は。胸で手元が見えにくいってなんだ、次元が違い過ぎてもう想像すら出来ない。


「そうなのよ。こんなだから色々と不便でねぇ。肩はすぐに凝るし、よく地面に落ちてる小さいモノを踏んづけたり蹴っ飛ばしたりしちゃうから」

「……なんかノーラが胸が重いだとか言うと若干イラッとするけど、ここまで来るともう大変だなぁっていう小学生並みの感想(小並感)しか出てこないわ」


 巨乳を超越した爆乳ゆえに、下着とかも絶対に特注品だろう。不便な上に金もかかるとか、どんな罰ゲームか。

 

「ま、わたしの胸の話は置いといて――一人でどうしたんだい? 友達の二人は?」

「二人っきりにしてあげたわ。あの二人、せっかく付き合い始めたっていうのに、色々用事ばっかりで二人っきりで遊び歩くってことがなかったのよ」

「あらあら、それは駄目ね。恋人気分なんてすーぐに過ぎ去っちゃうんだから、恋人気分の時に色々と楽しんでおかないと」

「そうなの?」


 まあ確かに、いつまでも恋人のように甘い関係のまま、なんて幻想は抱いていないけれど。

 そんなにすぐに過ぎ去るモノなのだろうか、と思うのだ。

 首を傾げる連翹を見て、カリムは大きく頷いた。


「ええ、だって一緒に居ると良い所だけじゃなくて悪い所も色々見えてくるものよ。家の旦那も味にうるさいのは知ってたけど、一緒に食事に行った時に延々と店の料理の文句を言ってた時は、わたしも『うわぁ……』って気分になったからね」


 あれか、料理漫画の登場人物みたいな感じだろうか。

 確かに、ああいうのは物語だからこそ楽しめるのであって、楽しく食事している横であんな文句やウンチクを語られたら嫌になりそうだ。


「そんな人と結婚したの?」

「ええ、結婚したの。思った以上に駄目な人で、なんか思ってた恋愛と違う、みたいなことは何度もあったけどね。でもまあ、やっぱりわたしは、あの人しか考えられなくてね」


 そう言ってカリムは微笑んだ。

 何度か見た少年めいた笑みとは違う、恋する乙女だったころを懐かしむ母の柔らかな笑みであった。

 

「だから、二人を気遣って一人になった君は偉いの。はい、いいこいいこ」

「ちょ――あたし、そんな子供じゃないんだけど!」


 髪型が崩れない程度の強さで、そっと撫でられる感触が心地よい。心地よいけれど、子供にするような柔らかな動作が酷く恥ずかしい。

 

「そうやって大人ぶってる間は子供なのよー。わたしくらいの歳になると、昔みたいに男の子と一緒に遊びたいなー、とか思ったりするものよ」


 茶化すように、けれど不快にさせない程度に柔らかく、優しく。

 その仕草が、なおさら母のように感じられて、思わず俯いてしまう。

 元の世界で嫌だった記憶、辛かった記憶――それと一緒に封じ込めていた、柔らかくて温かい記憶が蘇ってくるから。


 ――――ねえ、レン。貴女の名前はね、お花から取ったのよ。期待と希望って花言葉を持っていてね、春に黄色い花を沢山咲かせるの――――


 優しい声。気遣う声音。当時は『花言葉とか何を気取ってるんだか』と斜に構えて聞いていて、相手の心を何一つ察せなかった。

 少し、思う。もし、ちゃんとそうやって気遣ってくれる誰かの声をちゃんと聞いていれば、自分はあんなに拗らせることなく――――ー


「……ごめん、ちょっと調子に乗りすぎたかな」


 先程の声より、だいぶ深刻そうな声音。それが、連翹の意識を現実に引き戻した。

 なんだろう、とカリムを見ると、滲んだ顔でこちらを気遣うように見つめているのが分かる。


(……あれ? 滲んだ……顔?)

 

 そう。連翹の視界に映るカリムの姿は、どんどん、どんどん滲んで、水を入れすぎた絵の具のように薄く、ぼやけていく。

 おかしいな、と思う。まるで、描きかけの絵に水をぶちまけたように、どんどん輪郭がぼやけ、色が薄れていくのだ。

 目に何か変なモノが入ったかな? そう思って拭ってみると、まるで濡れた何かを触ったみたいに手の平が濡れた。

 それが何なのか、連翹はすぐには気づけなかった。

 拭っても拭っても瞳から溢れ出してくるそれがなんなのか。

 ぼろぼろと溢れるそれが口元に入り、ぴりりとした塩の味を感じて、ようやく気づく。

 これは涙だ。瞳から流れる、悲しみの雫だ。

 

(なんで――こんな――)


 理解が追いつかない。なんで自分がこんなに涙を流しているのかが分からない。

 分からない、のに。

 脳内で響く声は、かつて連翹に向けられた声は、淡々と、しかし優しく再生される。

 

 ――――どんなに辛い時があっても、寒い寒い冬が来ても、春に期待と希望が咲き誇るようにってね――――


 なんで忘れていたんだろうな、と思う。

 なんで斜に構えて聞き流していたんだろう、と思う。

 それは、母の言葉。

 中学生の始めの頃、他人の悪意も、自分の悪意も、全部全部嫌になっていた時期にかけられた、優しい声。

 

「おが―――さ、ん」


 優しく語りかけてくれた人。自分の、母。それを思い出して。

 自覚したら、もう涙は止まらなかった。

 止めどなく溢れるそれは勢いを増して、ぽたり、ぽたり、と地面に吸い込まれて行く。

 ああ、みっともないな、と連翹の冷静な部分が今の連翹を嗤う。出会ったばかりの相手にこんな醜態を晒して、お前は恥ずかしくないのかと冷静な自分が連翹を指差して大笑する。

 

(そんなの、恥ずかしいに決まってる――)


 恥ずかしくて、みっともなくて、でも止まらなくて。

 なんで、自分の体なのに言うことを聞いてくれないのか。止まれ、止まれ、止まれ、止まって――そうやって願っても、連翹の願いと反比例するように涙は溢れるばかり。

 

「……ちょっと、こっちに来て」


 ぐいっ、と。

 腕を引かれて宿の中に戻る。

 拒否して踏ん張ろうと思えば出来たはずだけど、体に全く力が入らなくて、なすがまま宿の中に入ると、そのまま住居スペースまで導かれる。

 住居スペースは宿と比べて少し乱雑としていた。机の上にはちょっとしたお菓子などが置きっぱなしで、椅子の上にはレシピ本や娯楽小説などが乱雑に積まれている。


「全く、あいつらすぐに散らかすんだから。ええっと――連翹ちゃん、だったかしら? とりあえずここに座っちゃって」


 カリムはその有様に小さくため息を吐くと本を退け、椅子を指差す。


「あ? え、ええっと……」

「ほら、遠慮しないの、そこに座るっ。そう、いい子。ちょっとそこで待っててね、すぐ準備しちゃうから!」


 おずおずと連翹が椅子に腰掛けるのを確認すると、彼女は大きく頷いた後、とたとたと足音を鳴らし駆け出した。

 自然と一人になる連翹。正直、ちょっと落ち着かない。

 宿泊客が利用するスペースとは違い、少し乱雑な印象を受ける部屋だ。埃などは見受けられないから掃除はしているのだろうけど、その上から色んな荷物がどさりと置かれていたりする。カリムの先程の発言から想像するに、掃除した後に誰かがまた散らかしたのだろう。

 綺麗とは口が裂けても言えないけれど、生活感のある場所であった。栞を挟んで放置された本とか、柱に刻まれた複数の傷だとか。


(……ああ、あれね。たぶん、子供の身長を刻んでるのね)


 傷は沢山あるけれど、子沢山ってワケではなくて、今代、先代、先々代の子供といった具合に傷を増やしていっているのだろうと思う。ぱっと見ではあるけれど、いくつかの傷はとても古く見えたから。

 自分よりもだいぶ小さな位置にある傷たちを見て、小さな笑みを漏らす。あの傷を付ける時、その子供は必死に背を伸ばしたり、場合によってはこっそり背伸びをしたりしたのかなぁ、と。

 

「おまたせ」


 足音と共にカリムが現れた。両手に一つずつカップを持っている。

 微かに湯気を放つそれは、どうやら暖められたミルクらしい。カリムはそれを連翹の前に置き、もう一つのホットミルクを唇を湿らせるように軽く啜る。

 

「気持ちが落ち込んでいる時は温かいモノがいいの、落ち着くからね。さすがに夏はどうかと思うけど、今の季節なら効果はテキメンよ!」

「ええっと……ありがとうございます」


 そこまで色々としてもらうのも――と遠慮しようかとも思ったが、準備してきたモノに手を付けない方が失礼だろう。

 ミルクなんて飲むの久しぶりだな、と思いながら一口。

 すると、牛乳の素朴な旨味と混ざり、苺の甘みと微かな酸味を感じる。なんだろう、とカップの中を覗き込むと、牛乳はほんの僅かにピンク色に染まっているのが分かる。

 なんだろうと内心で首を傾げていると、不意にくすりという小さな笑い声が聞こえてきた。

 顔を上げると、カリムが微笑ましそうに表情を緩めている。そんなに熱心にカップを覗いているように見えたのだろうか、少し恥ずかしい。


「苺のジャムを少しね。あんまり入れすぎると甘すぎるけど、少し混ぜ合わせるとほんのりとした甘さになるの」


 使ったのが甘いやつだからってのもあるけど、と彼女は楽しそうに語り、話題を広げていく。

 これは大昔旦那に作って貰ったのだとか、初めて真似て作ったらジャムを入れすぎてイチゴジャムに牛乳ぶちまけたような代物になったとか、それを「何事も適量というモノがある。学べ」としかめっ面で言いながら旦那は飲み干してくれたとか。

 その間、カリムが先程の件を追求することはなかった。

 どうしたの、とか。

 大丈夫、だとか。

 それが少しありがたい。そんな風に聞かれたら大丈夫じゃなかったとしても大丈夫って答えるしかないし、気疲れしてしまうもの。

 ……けれど、それはそれとして。

 

「そしてある日、出会い頭に小箱を放って来てね、中を開けたらなんと指輪だったワケなの。それで『受け入れるなら指にはめろ、嫌ならそのまま質にでも売り飛ばせ』って――」

「あ、あのー……ありがとう、元気になったから」


 さすがにのろけ話はお腹いっぱいになってきたというか、無性にブラックコーヒーが飲みたくなったというか、さすがに旦那さんの恋愛事情を丸裸にし過ぎてはなかろうかと不安になったというか。

 もし付き合い始めからプロポーズまで聞いたと知られたら、包丁片手に「なんで行儀良く全部聞いてんだ馬鹿女! ちっと頭出せ、物理的に記憶を抹消させてやっからよ……!」みたいなことを言われそう――


(……ん、あれ?)


 おかしいな、と思う。こんなセリフ、あの仏頂面の旦那さんは言いそうにないのに。

 だっていうのに、あの顔を想像するとスラスラとセリフが浮かんで来たのだ。絶対に言う、こんな風に言う、と。

 もしかしたら実はそういうタイプなのかもしれないが、けど連翹にそれを知る機会はなかった。顔を合わせたのは宿に入った時だけだし、それ以外はカリムの話に出てくる仏頂面で寡黙なイメージしかないのに。


「……うん、顔色も良いし、嘘じゃないみたいね」


 誰かに似てるのかな、似てるなら誰だっけ――そんな風に考え込みかけて、慌てて思考を散らす。

 今はそれより、カリムに意識を向けるべきだ。


「えっと、その、ごめんなさい。色々迷惑かけちゃって」


 深く頭を下げた。

 だって、自分の店で、しかも自分の目の前で突然泣き出したのだ。客商売である以上、内心がどうあれ放っておくワケにはいかないだろう。

 

「いいのいいの、誰だって寂しくなる時はあるんだから、そういう時くらい誰かに甘えたって構わないの。それに、わたしとしても損は無かったわけだし」

「え? なんかカリムさんが得になることあったっけ?」

「女の子に甘えてもらうのって、けっこう楽しいものよ。家なんて両方男の子だしそういう機会もあまり無かったし。それでも昔は甘えてくれたのに、一人は冒険者になっちゃうし、もう一人だって最近べたべた引っ付くなって怒るしー」


 反抗期ってヤツかしらねー、と唇を尖らせてぼやくカリムに、思わず笑ってしまう。

 その動作は素のようにも見えるし、連翹を笑わせるためにおどけているようにも見える。どちらにしろ、連翹には全く見抜けそうにない。

 

「よく知らないけど、男の子ってそういうものなんじゃないの? お母さんと仲良くしてたらマザコン扱いされそうで、つい邪険に扱っちゃう、みたいな」

「ま、男の子ってそういう生き物だからねー。旦那も、冒険者になった方の息子も、そんな感じだったわ。喧嘩して飛び出しちゃった後は、旦那は旦那で心配な癖に「あいつはもう家の息子ではない」なんて言い張るし、息子は息子でそれを真に受けて帰省どころか手紙の一つだって寄越さないんだもの」


 少しくらい無事を知らせてくれてもいいのにねー、と。そう言ってカリムはテーブルにぺたん、と体を預けた。胸がふにゃりと形を変え、その上にカリム自身の頭が載る。天然の枕っぽいけど、全力で体重をかけたら痛いんじゃないだろうか。

 そんな彼女に何かしらの言葉をかけたいと思うのだが――

 

(んー……なんか、何言っても『お前が言うな』になりそう)


 親を捨てて別世界に旅立ったという意味では、その息子と自分に大きな差はない。無論、息子の方は両親と相談した結果、決裂して飛び出したようだから、親に何一つ言わず異世界転移を決定した連翹より義理を通しているのだが。

 そんな自分が何を言えるのだろうか、と思うと言葉が出てこない。何を言っても自分を棚に上げた妄言にしかならない気がするから。

 さて、どうしたものかと悩んでいると、足音がした。こちらに近づいてくる、ゆったりとした、けれど重い足取りだ。

 

「……」


 無言で居間に顔を出したのは、カリムの旦那さん――この宿の主人であった。

 黒く逆立った髪に鋭い刃めいた瞳の彼は、カリム、連翹、と順繰りに視線を向け「ふん」と短く呟いた。


「知らん若い女の声がするから、キールが女でも連れ込んだのかと思ったが――宿泊客か」

「そうなのよ。あの子もそろそろ彼女の一人でも作らないのかしらねー……仕込みお疲れ様、ガイル」

「ええっと……お邪魔してます」


 おずおずと挨拶すると、彼は「構わん」と短く答える。

 なんだろう、なんというか、ちょっと怖い。

 別に強そうってワケではない。仮に戦えばスキルを使わなくても簡単に制圧できそうだ。細身ながら引き締まった体をしているが、それはあくまで趣味の範囲でスポーツをしているといった感じで、戦士の体つきには見えない。

 それでも怖く感じるのは、その目つきと淡々とした言葉遣いのせいだろうか。本当に客商売やってる人なのだろうか、と思う。


「表は息子とカリムに任せている」


 ぼそり、と呟く。

 なんだろう、と一瞬疑問に思うが――もしかして、連翹の疑るような視線に対して答えた、のだろうか?

 それで全て語り終えたという顔のカリムの旦那――どうやらガイルと言うらしい――と、困惑顔の連翹を見て、カリムはふふっと笑みを漏らした。

 

「貴方は言葉が足りてないのよ、もうちょっと色々と語れば多少は怖がられなくなると思うわよー」

「今更、そうそう変えられん」


 それより、とでも言うように連翹の方に視線を向け、カリムに問いかける


「それで、何かあったか」

「ちょっとね。でももう大丈夫よ」

「そうか」


 その短い会話で何が分かったのか、ガイルは小さく頷いた。

  

「もう用がないなら戻れ。それとも、何か聞きたいことでもあるのか」


 不機嫌そうに、いつまでここに居るつもりだと睨みつけるようにガイルは言う。

 でも、にこにこと微笑んでいるカリムを見る限り、言葉通りの意味ではないのだろう、たぶん。正直、連翹には言葉通りの意味にしか読み取れない。ぶっちゃけ、超怖い。

 

「あ……じゃあ一つだけ」


 なんというか、その視線から逃げるために、つい口から出たというべきか。

 カリムから話を聞いた時から、地味にずっと気になっていたというべきか。


「カリムさんへ指輪の渡し時のやり方……あれって格好良いと思ってやったの? それとも照れてたからああなったの?」


 言ってから「あっ」と思った。これって、本人に聞いちゃいけないやつじゃないかな、と。

 ちらり、とカリムに視線を向けると、笑顔で硬直していた。頬に一筋、汗を垂らしながら。

 ガイルは本人は沈黙している。

 仏頂面のまま、呼吸すら止めていた。

 しばしの間、そのまま硬直していた彼だが、すぐさまカリムの方に向き直り――彼女の頬を思いっきり掴み、引っ張った。


痛い痛い痛いいひゃいいひゃいいひゃい! ごめ、ごめん(ごへ、ごへん)! ごめんってば(ごへんっては)! つい出来心でぇ(つひでひほほろへぇ)!」

「何を言ってるのか分からんな。だが、恐らく謝罪の言葉ではないだろう。このまま続行する」

謝ってる(あひゃまっへる)! 謝って(あやまっへ)――痛い痛い痛いいひゃいいひゃいいひゃい!」


 あ、思ったより子供っぽいかもしれないこの人。

 力いっぱいぐいぐいと頬を引っ張る彼の後ろ姿を見ながら、もうここまで来たら進んでも退いても一緒よね、と結論付ける。

 

「それで、さっきの質問なんだけど、結局どっちなの?」


 頬から手が離れた。

 カリムが「うえええ、ひりひりするよう……」と頬を擦るのをしばし見つめていた彼は、視線を逸しぽつりと一言。


「――答える義務はない」

「あ、これ後者ね。後者ねきっと」


 先程の反応といい、今の間といい、実は凄い照れ屋なだけなんじゃないだろうか、このおっさん。

 連翹の言葉にガイルは「む」と短く呻く。

 その近くでカリムがくすくすと抑えきれない笑みを溢れさせた。


「そうなのそうなの! 連翹ちゃん鋭いわね、大当たりよ大当たり! この人ってこれでけっこう照れやぁあああああ! いひゃいいひゃいごへんごへん……!」


 ……とりあえず、後でカリムにもう一度謝っておこうと連翹は心に誓うのであった。

 ごめんね、余計なこと言っちゃってごめんね――と。


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― 新着の感想 ―
この二人を足したら確かにあんな感じになるわな
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