144/薄紅の剣百合亭
大通りから少し離れた場所に、その宿は存在していた。
『薄紅の剣百合亭』――古くからある建物なのだろうか、最近建てられたらしい建築物と比べて横幅が広く、庭もそこそこ広い。
また、何度かリフォームをし、建物や庭の手入れを欠かしていないのだろう。建物自体に時を経た威厳のようなモノを感じつつも、しかし小汚さは見受けられない。
老舗旅館――と呼ぶにはこじんまりとしているけれど。一般住宅以上であはありつつも、しかし屋敷と呼ぶには小さいのだ。
むしろ、だからこそ訪ねやすい雰囲気があった。宿に泊まりに行くというよりは、久々に実家を訪ねた――そんな想いすら抱く。
(――実家、か)
思考の中にふと浮かんだ単語に、カルナは思わず顔を歪めた。
両親が嫌いだったワケではない、村を厭っていたワケでもない。
だが――突然逃げるように出ていった自分を、両親が、皆が、どう思っているのかと思うと怖いのだ。そしてそんな自分を情けないと思うからこそ、表情が歪んでしまう。
そんな時、少しだけ思うのだ。
自分では色々と成長しているつもりだが――そう思っているのは自分だけで、結局は怒りと怯えから村を飛び出したあの頃から何一つ変わっていないのではないか、と、
「カルナさん、行きましょう」
己の掌がそっと柔らかく包まれる。
視線を下ろすと、カルナの手を両手で握ったノーラが、母のように優しい笑みを浮かべてこちらの顔を見上げていた。
こちらを安堵させるようなふわっとした笑みに、心配させたかなと申し訳なく思う。ノーラは何も言わないし、カルナの内面を見通したワケでもないが、しかし胸の苦しみに気付き、追求せずに包んでくれている。
助かるな、と思う。何かあったのと聞かれても答えられそうにないから。
自分の過去など、喜々として語るモノでもない。それが恥ずべきことなら、尚更だ。
「二人とも、どうしたのよ。早く荷物置きましょ荷物!」
入り口の前で連翹が手を振っている。
彼女もこちらのことに気づいているのだろうか? そう考え、やはり気づいているのだろうなと思う。
彼女はなんだかんだで他人を見ている。ならば自分の小さな変化くらいすぐに気づくはずだ。
「――うん、ごめん! 今行くよ! ……それじゃ、急ごうかノーラさん。これ以上レンさんを放っておくと、一人で宿に入って問題起こしそうだし」
「そうですね、急ぎましょうか」
「あれぇ!? なんか物凄い勢いでディスられてないあたし!? 最近のあたしはけっこう真面目にやれてると思うんだけど! 超物申したいんだけど!」
「冗談だよ、レンさんが成長しているのはちゃんと知ってるよ。すぐ近くで見ているからね」
最初に顔を合わせた時に比べ、ずっとずっと好感が持てるようになったとカルナは思っている。
出会った時に垣間見えた傲慢さは無くなり、表情も随分と柔らかくなった。様々な人との交流と、その際に積み重ねた経験が彼女に自信を与え、素が出るようになったのだろう。転移者の力という外付けの自信ではなく、己の内から溢れ出る活力が、かつての連翹から今の連翹へと変化させたのだと思う。
無論、駄目なところや残念な部分は存在する。けれど、それを含めて片桐連翹という人物であり、頼りになる友人なのだ。
そんなカルナの言葉を聞いた連翹は、一瞬きょとんとした顔でこちらを見つめ――視線を逸しながら後ずさりを始めた。
「お……おう……なっ、なんか成長をすぐ近くで見てるとか言われると、なんかストーカーっぽくて地味に気持ち悪いわね! 胸のサイズの成長ノートとかこっそり書いてそう!」
「ははは――そろそろ一回ぐらいブン殴ってもバチは当たらないと思うんだけど、そこら辺どう思うかな君は」
照れ隠しにしても、もっと言葉を選んで欲しいと思う。本当に、切実に。
大きくため息を吐きながら歩を進め、宿の入り口に入る。
「すみません、宿の予約をしたカンパニュラです。今大丈夫ですか?」
最初に視界に入ってきたのは食堂である。
そこには五つほどのテーブルが存在しているが、しかし今は食事時では無いためか誰もいない。その奥にはカウンターが存在し、更に奥には二つの扉があった。一つは厨房で、もう一つは宿を営む家族の居住スペースだろうか。
全体的に小じんまりとしていて、設備も少し古臭い。だが、手入れも掃除も行き届いているため、外観同様に小汚いイメージは微塵も存在しない。その様は鍛え抜いた老兵の背中を連想させる。
「はいはーい、ごめんよ、ちょっと待ってねー」
カルナの声から少しして、二階からとたとたという足音と共に応える声がした。快活そうな印象を抱く女性の声だ。
ベッドメイクの途中だったのだろうか、しばしの間の後、階段を降りる軽快な音が響いてきた。
「いらっしゃい、商業ギルドの方から話は通ってるよ。ようこそ、薄紅の剣百合亭へ!」
そう言いながら階段から降りてきたのは、パッと見では三十から四十に見える女性である。
長く伸びた淡い茶色の髪を後ろで編んで纏めた彼女は、少年のように快活な、そしてどこか幼い笑みを浮かべていた。その表情を見ると、年齢が五から十程度若く見えてくる。
身に纏うのは厚手の紺色のワンピースであり、その上に清潔感のあるエプロンを付けて――――
「――ッ!?」
ぎゅん、と。
カルナの目線が高速で下にスライドし、ある一点で固定された。顔から僅かに下。ワンピースとエプロンで覆われた部分。しかし二つの――否、下着を含めれば三つの――障壁を物ともせず最大限に自己主張するそこに、視線が吸い寄せられたのである。
それは乳であり、おっぱいである。男ならいずれは登って見せると心に誓う山である!
大きく、そして張りのある山脈。それを見て、カルナの思考は一瞬停止した。
だって――あれは大きすぎる。
おっぱいの大きさを果実に喩えることは多いし、巨乳に対しメロンのようなという形容詞をつけるのは使い古されている。だが、真実にメロンと同等のおっぱいは、残念ながら中々存在しないのである。
だというのに――あれはなんだ。
巨乳という単語すら相応しくない、もはやメロンという形容すら生ぬるい。
あれはもう『おっぱい』という単語の概念そのものだと思う。真に大きいモノは他の単語で形容することさえ無粋であり、冒涜だ。ゆえに、ただただおっぱいと呼称する他ない。
ああ、あの胸を支える下着になりたいだけの人生であった――――
「ギガトンパンチ!」
「ていっ」
無限の宇宙が如く広がり始めた思考は、頬を打つ痛みとつま先にめり込む踵の重みによって中断させられた。
見れば、瞳を半眼にしてこちらを睨む連翹と、じとりとした眼でこちらをじっと見つめてくるノーラの姿があった。
「他人のこと一人にしておくと問題起こしそうとか言ったくせに、誰より先に問題行動起こすのはいかがなものかと思うんだけど?」
「ええ、本当ですよ。せめてもうちょっと自分を取り繕ってください」
「ご、ごめんなさい……」
いやだってあれは絶対見る。男なら巨乳に興味が無くたって思わず見てしまう、大地の重力めいたおっぱいなんだよ! そんな言葉を、カルナは辛うじて飲み込んだ。
言ったところで女性に理解して貰えるとは思えないし、何より応対に出てきてくれた女性に失礼過ぎる。もっとも、先程まで延々と胸を直視し続けたのは、もう取り返しようのない無作法なのだが。
だというのに、目の前の女性は怒ったり侮蔑の視線を向けてくるどころか、かんらかんらと大笑し始めた。
「はははははっ……いやぁ、チラチラ見られることはあっても、今みたいに真っ直ぐに見つめられたのは久々だねぇ! 仕方ない仕方ない、男の子だからね! けど、女の子と一緒にいる時にそれやっちゃ駄目だよ君ぃ!」
「ははっ……返す言葉もないです」
大笑する勢いでふるふると揺れる胸に思わず視線が吸い込まれそうになるが、ここはぐっと堪える。さすがにこれ以上失態を晒せばノーラがこちらを見限るかもしれない。『胸が大きければ誰でも良いんですね……』とかそんな風に!
だから、ぐっ、っと堪える。もう血の涙を流す程に。これほどの大きなおっぱいには二度と巡り会えないかもしれないというのに――!
「…………ねえ、大丈夫? ノーラ、本当に相手がこれでいいの? とっとと別れちゃった方が傷とか色々浅いんじゃない?」
「だ、大丈夫です。カルナさんには色々といい所がありますから。でも、ああ……カルナさんはもう……なんというか、もう……」
先程の思考を含めて見透かされた予感がするし、背後で大きなため息を吐かれたりしているがカルナは挫けない。挫けないったら挫けない。
挫けないけど、無性にニール、そしてヤルやヌイーオ、そしてファルコンが恋しかった。両手の花状態で文句を言うなと言われそうだが、隣で共感してくれたりフォローしてくれる同性が凄く欲しい……! なんだこれ、絶対ハーレムとか辛いだけだよと心から思う。
「まあまあお嬢さん方、男なんて大なり小なり胸が好きで、そうでなかったら別の場所が好きな変態ばっかりなんだから言い争っても損しかないよぉ? だって家の旦那なんて、綺麗な肌と長い髪が滾るとか言いやがってるからね! だから飲食兼客商売だってのに髪伸ばして、わざわざ編んで短く纏めたりしてるワケ――」
「……カリム。さっさと部屋に案内しろ」
からからと笑いながら語り始める女性――恐らく、カリムというのだろう――を諌める声が、厨房から響いてきた。重く、野太い声だ
いかにも寡黙で、客商売に向いて無さそうな声に対して、カリムは「はぁい」といたずらっ子が親に叱られたような声音で応じている。
「それじゃあ案内するけど、男一人、女二人でいいんだね?」
「へ? うん、それでいいんだけど……というか、男女比的にそうするしかないんじゃないの?」
カリムの言葉に連翹が素朴な疑問を返す。
対し、カリムはくすくすと悪戯っぽい笑みを浮かべながらカルナを、そしてノーラを指差した。
「……恋人同士、一緒にしてあげなくて、いいの?」
「……ぐうの音も出ない正論ね。ねえノーラ、カルナと一緒の部屋取ってみる?」
「ふぅぁあ……!? いや、待っ……ちょ、レンちゃん……!?」
「色々と責任が取れないから男女別でお願い出来ないかなぁ……!?」
さすがに、好きな人と同じ部屋になって、健全な関係のまま終わる自信がカルナには無かった。
そして――健全な関係で無くなってしまった場合、その責任を取れる自信が全くないのである。
いくら一発やったからって的中するとは限らないとはいえ、無責任にそれを行うワケにはいかない。なぜなら、好いた人の未来を奪うワケにもいかないし、己の求道を諦めるワケにもいかないからだ。
「ふふふふふっ……いいわね、若いって良いわねぇ! ああ、ごめんね。からかった分、ちょっと割り引いてあげるから!」
「ふぅぁあ! ふぅぁあですってぇ! ぷーくすくす、ノーラ焦りすぎなんだけど、超笑え――――ぇぇあああああああっ! 痛い痛いごめんごめんごめんってばぁ! 」
顔を真紅に染めたノーラが連翹のつま先を執拗に攻撃している姿を見て、少し冷静になる。
「……ほら、二人とも落ち着いて。その、すみません」
体を厨房の方に向け、頭を下げる。騒ぎすぎたためか、先程の声の主が顔を出していたのだ。
逆立った黒髪に刃物めいた鋭い瞳を持つ男性だ。茶色を基調とした衣装に、腰から膝あたりまであるエプロンを身につけていた。この宿の調理担当なのだろうが、正直食材を切るよりモンスターや人を斬る方が似合ってるよね、なんて失礼なことを考えてしまう。
男はカルナの言葉に小さく頷き、短く返答する。
「構わん。寝ている客も居ない」
それはつまり、寝ている客がいる時ならば構うということ。
彼はそれだけ言うと、厨房に踵を返した。仕込みの途中だったのだろうか。
まあ、ともかく――
(……夜にはあまり騒がないようにしよう)
そう心に誓うカルナであった。
常識云々の話でもあるが、それと同じくらいにあの手の人は怒らせると怖そうだなと思ってしまったから。
◇
「せぇーのっ!」
部屋に荷物を置いた連翹は、勢い良くベッドに飛び込んだ。ふかぁ、と自分の体を包み込んでくれる布団の感触に、思わず頬が緩む。
最初に比べて野営も慣れてきたとは思うし、効率良く作業を行えるようになったからか前よりゆっくりと休めるようになったと思う。
でも、やはり室内とベッドの快適さには勝てないと思うのだ。野営は野営で最近は楽しいし、皆で焚き火を囲んで食べる晩御飯は美味しいけれど、やっぱり外は寒いし地面は固い。
「レンちゃん行儀悪いですよ。ほら、掛け布団の上に載らないで」
「うぇへへ……もう少し……もう少しだけ」
もう、と怒るノーラの声に少しだけ申し訳なく思うが、それでも体を包む誘惑には抗いがたいのだ。
体の疲れが布団の中に染み込んでいくようで、このまま眠ってしまえと瞼が重くなってくる。
「いかんいかんそれはさすがに駄目よあたし――よいしょ……それで、今日はどうするの?」
勢いをつけて体を起こし、ベッドに腰掛けながら問いかける。勢いをつける時に、ばさっ、とスカートやらセーラー服の裾やらがめくれ上がったりはしたが、女しか居ないのだし問題ないだろう。
大きな街とはいえ、地下国家や森林国家のように数日滞在するということはない、というのは聞いた。他種族の街ならともかく、人間の街であれば騎士団の出したクエストが行き渡っているから、ということらしい。
だから一泊したらまた朝から西進だ。またもや柔らかいお布団とのお別れである、悲しい。
「ああ、それなら――」
ノーラの声と合わせるように、コンコンという扉をノックする音が響く。
「僕だよ。今入っても大丈夫かな?」
「ちょっと待ってくださいね……ほらレンちゃんスカートの裾直して、かなり捲れちゃってますよ」
「えー、パンツ見えてないならセーフじゃない?」
せいぜいふとももの大部分が露出している程度だ。女子高生のミニスカートと比べればまだ隠していると言ってもいい。
だっていうのに、ノーラは大きくため息を吐いて連翹の言葉を否定する。
「スカートでそこまでふとももが見えちゃってたら十分アウトですよ。レンちゃんはもうちょっと慎みを持ちましょうよ」
「そこそこ謹んでると思うんだけどなぁ……異世界だっていうのにビキニアーマーとか装備してないし」
「……一応聞いておきますけど、それってどんな装備なんですか?」
「文字通りビキニ――は無いんだっけ、というか水着自体が無かったはず……ええっと、下着みたいな面積の女性専用金属鎧よ。下着っていってもドロワーズとかじゃなくパンツの布地くらいのサイズ」
「ただの自殺志願の痴女じゃないですかぁ! というか、レンちゃんの世界の人は鎧をなんだと思ってるんですか!」
「大丈夫大丈夫、創作だけの話だから。さすがにそんな頭の悪い装備で戦ったなんて話はあたしたちの世界にもないわ」
「創作だけって言っても……それどうやって読む人を納得させてるんですか?」
「そこら辺はほら、魔法とか、魔力とか、異能とか、うんたら粒子とか、絶対防御とかで適当に理屈つけるのよ。肌が露出してた方が凄い力が使える的な」
ビキニアーマーはともかく、そういうのでレオタードみたいな装備に両手両足だけゴツい鎧みたいなのが一時期凄い流行ったのだ。
「なんでそこまでして肌を晒す設定を付けたがるのか理解し難いんですけど……!」
「おっぱいとかふとももとか見たいからじゃないの?」
なんというか、水に濡れたイケメンが前髪を掻き上げる仕草に女がドキリとするように、男は女の露出でドキリとするんじゃないのかなと思うのだ。
もちろん、ミニスカートよりロングスカートだとか、露出しすぎると逆にエロくないみたいな意見をネットで見た覚えがあるので、一概にそうは言えないのかもしれないけれど――
「――ねえ、まだかな? なんか聞こえてくる聞こえてくる会話が色々本筋から転がり落ちてる気がするんだけど」
――少女たちの口から「あ」という一文字が漏れた。その意味は『完全に忘れてました』である。
「ああっ、ごめんなさい、どうぞ!」
「あれ? ねえノーラ、結局直してないけどいいの?」
「なにを――ああっ、そうだスカート! カルナさんごめんなさいストップ、ストーップ!」
カチャリという音と共に開きかけたドアが、ゆっくりと戻っていく。
「……ねえ、さすがにもう『早くしろ』って怒ってもいいかな?」
「ごめんごめん、ほいっと……もういいわよー」
スカートの裾を整えながら言うと、カルナが小さくため息を吐きながら入室して来た。
「まったく――今日の行動についてなんだけど、今話して大丈夫かな」
「ええ。というか、さっきまでその話をしようとしていたところなんです」
色々と話が迷走しちゃいましたけど、と申し訳なさそうに言う。
「なら丁度いいね。と言っても、予定なんてせいぜい明日の朝に出立するからハメを外しすぎないように、くらいだけどさ」
これが自警団の練度が低い、またはそもそも存在していない村などであれば、多少警備の手伝いに駆り出されることもあった。
だが、そこはさすがに西部有数の街と言うべきか、自警団も、そしてこの街を拠点とする冒険者も高い実力を持っている。ここで変に手を出しても、街に住む者たちから仕事を奪うことにしかなりそうにない、とのことだ。
「というワケで、今日は自由行動だ。夜遅くまで遊んで翌朝に遅刻したり、テンションを変に上げて暴れない限りは問題ないらしいよ」
「それなら、観光に行きましょう。西部の大都市にはどんなモノがあるのか見てみたいですし」
カルナの言葉に楽しそうに頬を緩めるノーラ。
その姿を見ると、大人しそうな見た目だけれど好奇心は活発な男の子のようだなと思ってしまう。
それに加え、アースリュームからオルシジームまで、中々観光に専念できなかったというのもあるのだろう。アースリュームではカルナの手伝いをしていたし、途中の温泉街オルシリュームでは女神の御手の暴走で倒れ、オルシジームでは暴走させた力をコントロールするため新たな装備である霊樹の篭手を手に入れるために奔走していた。
無論、ちょくちょくと出歩くことはあったけれど、色々な建物やお店を巡ったのは女王都以来あまり無かったのだ。
「レンちゃん、どうします? なにか行きたいところとかってありますか?」
「あ、それなんだけど――あたしは別行動でいいかしら」
瞳を輝かせていた彼女は、輝きを不思議そうな色合いに曇らせた。
「え? どうしたんですかレンちゃん」
「そうだよ。というかレンさん、君が問題起こさないように――」
「カリムさんの胸ガン見問題の当事者がなに常識的な保護者ぶってんの? 馬鹿なの?」
「――ふぐぅ!?」
見ろ、見事なカウンターで返した!
『お前真っ当に見えてけっこう問題児だからな、解せよ』という視線もこうかがばっつぐん! だったのかもしれない。
黙って後ずさりを始めるカルナを横目に、ノーラがおずおずと手を上げる。
「で、でもレンちゃん……一体どうしたんですか? 一人だと寂しいとか言ってたのに」
「あたしのこと忘れて二人の世界を構築してたのは誰と誰? 正直、すっごい蚊帳の外で下手に一人で居るより寂しかったんですけど」
「――あうぁ!?」
完、全、論、破! 調子に乗ってるからこうやって痛い目に遭う。
でも論破したところで、それって根本的な解決にはなりませんよね? 否、だから今から根本的な解決を行うのだ。
(……まあ、煽りとか抜きで二人で楽しんできたほうが良いと思うしね)
カルナもノーラも新しい装備の入手のために、二人で一緒に居る時間が少なかった。なら、ここらでそういう時間を作って上げた方がいい。
一回ちゃんとそういうイベントを消化して欲求不満を解消すれば、今日のようにふとした拍子に二人の世界を作り出さず、TPOを弁えてくれる――んじゃないかなぁ、と思うワケだ。
ただし、あんまり他所様に迷惑かけないでねと思う。空気を読まない恋人たちって傍から見てすっごい痛いから、節度を持って仲良くして欲しい。独り身の連翹との約束だ。
(……まあもっとも、居心地が悪いとか蚊帳の外で寂しいから一人にさせて! ってのも事実なんだけどねー……)
すぐ近くに居るのに二人の世界と自分の世界が隔離されるような疎外感。なんだあれ、あの時の二人は絶対に固○結界だとか覇○型の創造とかを使っている。知らないけどきっとそう。
「ええっと、でも――」
「いいから行って! とっとと行っちゃって! あたしをこれ以上ラブラブアベック空間に巻き込まないで!」
ベッドから立ち上がり、二人の体を部屋の外まで押してやる。
それでも何か言いたげな顔でこちらを見つめてくる二人――仕方ない、と連翹は決断した。どうやら、一生使うまいと思っていた伝家の宝刀を抜く時が来たようだ。
「これ以上あたしを蚊帳の外で二人の世界を作るつもりだっていうなら、あたしにだって考えがあるわよ!? カルナとノーラに二人がかりで胸とかお尻とかをまさぐられたってアレックスとかキャロルとかマリアンとかに泣きつくわよ! それでもいいの!?」
超必殺痴漢冤罪、相手は死ぬ(社会的に)。
さあ、とカルナの顔が青くなった。ノーラも、また。
「ちょ、待ってレンさん、それはさすがに洒落になってない!」
「やめてくださいよ、わたしにどんな噂流れてるのか知らないわけじゃないでしょう!?」
「嫌だったら早く行って! あたしにこの剣を抜かせないで! これは男的にも困るけど、本当に困ってる女にも大ダメージの呪われた魔剣的なアレなの!」
踏みとどまる力が一気に弱くなった二人を、力任せに部屋の外に出し、鍵を閉める。
ふう、と息を吐いて一安心。
「……ありがとう、レンちゃん」
「別に、あたしは自分のメンタルにダメージが来ると思ったから一人になりたかっただけだし、感謝される理由なんてないわよ」
そうですね、そう言ってノーラはくすくすと笑った。
それを聞いて、むう、と唸ってしまう。一人になりたいからとっとと出てけ! みたいなノリを全力で出してたつもりなのに、完全に見透かされてる感がある。
「それじゃあ、僕らは行ってくるよ――僕が言えたことじゃないのはさっきの言葉で良く分かったけど、色々と気をつけてね」
それはカルナも同じだったようで、無理矢理部屋から押し出したというのに、優しげな声音で心配なんてしてくれる。
むう、ともう一度唸る。
なんだが、完全に見透かされている気がするのだけれど。ノーラはともかく、カルナは自分のことをけっこう適当な女だと思ってる節があったので、騙しきれると思ったのに。
「そっちもね。せっかく二人きりになれたのに、他の女の尻――いや、胸ばっか視線で追ってちゃ駄目よ」
「……うん、まあ、分かってるつもりだよ」
「そこは即答しなさいよ、いつか本当に見限られるわよ」
カルナの苦虫を噛んだような苦しげな呻きと、ノーラの苦笑が同時に響く。
それを聞いて、連翹は「まあ、問題はありそうだけど大丈夫かな」と思うのだ。
カルナは色々と駄目な部分は多いけれど、それを自覚して今後直していくことだろう。というか、それをしなかったら絶対何年後かに別れるハメになるはずだ。
ノーラはノーラで、カルナのそういう駄目な部分を『仕方ない人ですね』と受け入れつつも、完全に甘やかしていない。理解を示しつつも駄目な部分はちゃんと口に出しているから、ダメンズウォーカー的な女になったり、「あたしが居るじゃない」みたいな駄目人間製造機のような女になったりはしないだろう。
離れていく足音を聞きながら、連翹は一人うんうんと頷いた。
「これで一件落着ね。さぁて、あたしはどうしようかな……ん?」
とりあえず外に出てみようかしら、と思い始めた矢先、足音が一つこちらに戻ってきた。
怪訝に思う間もなく、こんこんとドアをノックされる。
「……あの、レンちゃん、ちょっといいですか?」
「……なに? まだ納得出来てないの?」
これ以上うだうだ言うなら伝家の宝刀抜いちゃうわよ、とシャドーボクシングをしながら言ってやる。扉越しなので仕草なんて相手から見えないのだけれど、こういうのは気分だ。電話越しにぺこぺこ頭を下げてるサラリーマン的な魂のアレなのだ。
「いえ、そういうワケじゃないんです。レンちゃんの心遣いはありがたく受け取ろうと思ってます。でも――」
でも? と首を傾げる。何か問題でもあっただろうか。
そう思い悩む連翹に対し、ノーラは恥ずかしそうに、『今こんなこと言うのはどうかなぁ?』というような申し訳なさそうな声音で言った。
「――財布、カバンに入れたままなので、取りに戻ってもいいですか……?」
「あ、うん、ごめんね、そうよね観光するのに無一文とか困るもんね……いま開けるから」
「はい、ごめんねレンちゃん」
「いや、悪いのは準備もさせずに押し出したあたしだから……」
なにこれしまらないんだけど……!
そう思いながら連翹は部屋の鍵を開けるのであった。




