143/交易都市ブバルディア
馬車を先導するように、石畳の上を歩く。
交易都市ブバルディアの中に入ったカルナは、この街に対して雑多という短い感想を抱いた。
何度も建て増しされたらしい背の高い家屋が太陽を遮り、夕暮れ前だというのにだいぶ薄暗い。
けれども暗い雰囲気を感じないのは、街全体の活気のおかげだろうか。
大通りではいくつもの馬車がゆっくりと行き来し、その合間を縫うように様々な人が移動している。そこかしこから客引きの声や楽器の演奏、そして観光客の楽しげな声や酔漢同士の怒号などが響く。
それらは視覚と聴覚に対する暴力めいていて、しかし調和した一つの舞台のようにも思えた。
決して整っているワケでも綺麗なワケでもない、けれど多くの魚が住み着いている川、といったところだろうか。雑多ではあるが、しかしだからこそ他の街に無いモノがそこかしこに存在している。
「……こんな有様で馬車とか停めるスペースとかあるのかしら?」
通りをぐるりと見渡しながら連翹が呟く。
確かに、大通りは人や馬車、そして商店の看板や露天商が置いた商品などで非常に狭苦しい。人の波が、絶えず商店や露天の海岸に打ち寄せているような状況だ。馬車どころか、人一人だってその場に留まれそうになさそうだ。
もっとも、それは大通りや広場といった人通りの多い場所限定だろう。
「問題ないよ。なにせ、商人や観光客は馬車に乗ってくることが多いからね。そういう場所は多めに確保されているらしいよ」
馬車を停車させるスペースは必須だし、それに公園などといったある程度は開けた場所があるはずだ。
そうでもなければ、火災などが発生した場合に逃げ場所がない。建て増しされ続けごちゃごちゃとしている建造物を見ていると、ちゃんと考えているのかと疑問を抱くが――さすがに避難場所を全く考えてない、ということはないだろう。
「でも、本当に人が多いですね。女王都と比べれば人は少ないはずなのに、ここの方が沢山居るように感じます」
「人数自体は下回っていても、人の密度では勝っているみたいだからね」
「ええ、本当に。少し気を抜くと迷子になってしまいそうですよ」
そう言って少し困った顔で笑うノーラの手を、そっと右手で握る。
小さな驚きの声を漏らす彼女を安堵させるように、小さく微笑む。
「これならすぐ分かるよ、安心して」
「あ――ありがとう、ございます」
赤らんだ頬を隠すように視線を逸した彼女の声は小さく、周りの音にかき消されてしまいそうだ。
けれど握り返される手の感触は、言葉よりも明瞭に答えを返している。
「――――え、なに? まさかあたし、これからこんな空気の二人と一緒に行動することになるの……?」
ニールはやくきてー、はやくきてー、と呟く連翹に思わず首を傾げてしまう。何を言っているのだろうか、というか何が不安なのだろうか彼女は。
「……迷子が心配なら、レンさんの手も繋ごうか?」
レンさんの場合、迷子になったら変なことしそうだし――と左手を差し出す。
瞬間、連翹はギョッとした顔でこちらを見てきた。いや、正確に言えばカルナの体を挟んで向かい側。ノーラが居る方向だ。
「やめてぇ! ノーラが不機嫌になるからそういうことやるのやめて! なんで突然鈍感系主人公みたいなことするの! ほらぁ、ノーラがこっち睨んでるぅ!」
「にっ、睨んでませんよ! ただ――想像したら、少し苛立ったというか」
「絶対ちょっとじゃなかった! 苛立ちが視線に出ていた感じよ今のぉ! 目は口ほどに物を言うって名ゼリフを知らないワケ!? ほらカルナ謝って! 彼女の手を繋いだ次の瞬間に他の女と手を繋ごうとしたこと謝ってッ!」
――おかしい、何か非常に大きなミスをやらかした感がある。
だが、しかしここで謝るのは違うと思うのだ。
なぜなら謝るということは自分の否を認めるということなのだから。
「いいや、僕は謝らない。だって――今更他の女性と手を繋いだ程度で、僕のノーラさんに対する気持ちが揺らぐことなんてありえないんだから」
特別な相手と手を繋ぐからこそ特別な行為なのであって、他の人間と掌と掌を合わせようと、それはただの接触に過ぎない。
というか、その程度の接触なら冒険者になりたてのもっと体力の無かった頃――港町ナルキで何度もしている。まだ戦いに慣れていなかった頃はニールやヌイーオ、ヤルなどに腕を引っ張られて敵の攻撃を回避したり、大型モンスターから逃げたりしたものだ。
そしてそれが恋愛感情に繋がるかと問われたら全力で否と答えるし、そしてそれは対象が女性に代わっても変わりはしない。必要なら手や腕を掴むが、その行為に特別な感情は何も無い――そう、堂々と宣言する。
「気持ちは分かりました――けど、カルナさんだって、わたしがニールさんやファルコンさん、アレックスさんと一緒に手を繋いで遊んでる姿を見て、良い気はしないでしょう?」
「む……」
その事態を想定し、その時に抱く自身の感情を想像する。
ニールなら、まあ、ノーラが逸れそうだから適当に腕を掴んでいるんだろうなと思う。
ファルコンなら――どうだろう、本人に言ったら怒られそうだけれど、彼が女性と手を繋いで歩いている姿など全く想像できない。
そして、アレックスなら――顔立ちが整って、実力もあり、騎士という立場も持っている彼と、楽しそうに手を繋ぐ姿を想像すると――
「なるほど、確かに良い気はしないか」
――確かに、苛立ちと喪失感めいたモノが胸に去来する。
簡単に別の相手に靡く怒り、そしてその結果失われることに対する寂しさ。ああ、なるほど――これは、いけない。
この手の問題は、結局のところ相手がどう感じるかということに尽きるのだと理解した。何気なく連翹と手を繋ごうとしたカルナにノーラが苛立ったように、カルナもまた他の誰かと触れ合うノーラを見て胸に小さな痛みを抱くのだと。
「……中々難しいね、こういうのは。けっこう考えてるつもりでも、中々上手く行かない」
相手の立場に立って考える――言葉にすれば簡単だが、これが中々に難解だ。
誰だって多かれ少なかれ自分を基準に物事を考えてしまいがちだし、相手の立場を想像しても、それは自分の中にある相手の印象から導き出した想像に過ぎない。自分と相手は別の存在である以上、どうしたって誤差が生まれ、間違い犯すリスクが出て来る。
正直、面倒ではある。ほとんど自室に引きこもって魔法の研究をしていた頃の、なんと楽だったことか。
(もっとも――今更、あの頃に戻りたいとは思わないけどさ)
言ってしまえば鍛錬と同じなのだ。
面倒で、辛いことも多いが、正しい過程をこなして行けば結果は残る。
無論、その結果もまた成功だけではなく、失敗も多々と存在するのだろう。だが、その繰り返しの果てに、隣で笑う少女と出逢い、想いを通じ合った。
ゆえに、この面倒だと思う気持ちも、きっと必要なモノなのだ。
「もし、また僕が嫌なことをしたら、今みたいにちゃんと告げてくれると嬉しいな。自分で気づけたら一番なんだろうけど、その辺り僕は鈍いらしい」
「ふふ……ええ、知ってます――あなたが敏いようで鈍いことくらい」
生クリームが常温で溶けていくようにノーラは表情を緩め、甘い笑みを浮かべた。
女の子は砂糖菓子で出来ている、などという世迷い言を聞いて鼻で笑った覚えはあるが――今なら、少し言いたいことが分かる。
だって、柔らかい笑みは砂糖菓子のようで。
柔らかそうな頬を、薄紅の唇をそっと舐めたら甘いのではないだろうかという空想すら抱いてしまう。
「でも、わたしだって特別敏いわけじゃありませんから――もしわたしが駄目なことをしたら、ちゃんと言ってくださいね」
「……うん、そうだね」
頷きながら、握った手を少しだけ強く握りしめる。
すると、そっと握り返される柔らかい手の感触に、照れくささを感じながらカルナは微笑んだ。
「……あー、二人とも、そろそろ停車するわよー。聞いてますかー? 二人の世界ですかー? ……ねえ、マジでこの空気にあたしだけ放り込まれるの? もしかしてニール、これが嫌でなんかワケありな雰囲気出して逃げ出したんじゃないの……?」
――――あっ、と。
カルナとノーラの声が、重なった。
……正直に言えば。
途中から、連翹の存在は完全に頭のなかから消え失せていたのである。
◇
そこは、馬宿と呼ばれる場所であった。
巨大な石造りの屋敷めいたその二階建ての建造物である。一階部分は土が剥き出しになっていて、多くの馬車を停め、それを引く馬を休ませるための設備があった。建物の外にもスペースが設けられており、ブバルディアに訪れた馬車は大体ここに停まるのだという。
その理由は、単純だ――盗人対策である。
馬も馬車も財産であり、売れば金に変えられる。だからこそ大都市ではその手の盗人が多く現れるのだ。
それらの脅威から守るため、この馬宿は存在している。馬車と馬を泊める宿であり、馬車と馬を窃盗から守る金庫なのだ。
(馬車は重要だからね。この都市を訪れる人にとっても、ここで暮らす人にとっても)
視線を上に持ち上げる。
建物の二階にはこの土地を治める貴族が作った役所、冒険者ギルド、商人ギルド、自警団の詰め所、馬宿の警備員の宿舎などが存在している。
馬車で訪れた商人とすぐさま取引が出来るように、税などの取引を円滑に行うことができるように、そして――この街の血液である商人や旅人、それを運ぶ馬車を全力で守るために。
自分の馬車を守ってくれないと思われれば訪れる人が減る、訪れる人が減れば都市で売られる商品が減る、商品が減れば都市に魅力を感じなくなった旅行客が離れる、旅行客が離れれば客の居ない都市から商人が離れる――そんな、負のループが始まるのが目に見えているからだ。
交易都市ブバルディアは循環する人と商品を血液として生きる生物だ。領地を治める貴族も、商売をする商人も、他人が出した依頼の報酬金で生きている冒険者も、ブバルディアに住まう自警団や馬宿の警備員も、他所の人間が来るからこそ生きていけるのだ。必死にもなるだろう。
(――なんて、普段なら声に出して皆に語り聞かせてるところだけど)
今回はそういうことが出来そうにない。
先程の思考だって、必要だから知識を思い出しているワケではなく、現実逃避に近いモノだ。
ちらり――と、現実逃避の原因に視線を向ける。
「――ふんだ、いいわ、もういいんだから。こっちが礼儀正しい大人の対応したら付け上がってイチャイチャパワー全開にして。暗黒じゃないけど頭おかしくなって死んでやるわよーだ」
「ごっ、ごめんなさいレンちゃん。別に、レンちゃんをないがしろにしてたワケじゃなくて――ええっと、ちょっと頭の中から抜け落ちてたというか……!」
馬車を停めてから数十分そこら。すっかり拗ねてしまい機嫌を治してくれない連翹を見て申し訳無さと多少の面倒臭さを抱く。
その辺り、なんだかんだでニールは上手かったなと思う。乱雑な言葉使いで余計に怒らせているようにも見えるが、現状より手早く機嫌が治っていた。意識的にか無意識的にかは知らないが、適度にガス抜きをしていたのだろう。
もっとも、それを理解してもカルナには上手く出来る気がしないのだが。下手に真似したらガス抜くどころか大爆発させてしまいそうだ。
「おう、お前ら、ちょっといいか?」
さて、どうしたものか――そんな風に思い悩んでいると、不意に野太い声がした。
振り向くと、全身鎧を纏った大柄な男とそれに従うように歩く少年の姿。
大男の名はブライアン・カランコエ。アルストロメリア女王国の兵士だ。
そしてもう一人の小柄で細身な少年は――騎士団長ゲイリーの言葉で連合軍に投降した転移者だ。確か名前は――青葉薫だったか。
カルナの怪訝そうな視線に気付いたのか、ブライアンは口を大きく開けた笑みを浮かべる。
「騎士団や兵士の中じゃ転移者との付き合いはオレが一番長いからな。んなもんで監視兼社会勉強ってところだ」
「よ、よろしくお願いします……」
ブライアンの言葉に、青葉少年は深々と頭を下げた。
その姿は少々覇気はないものの礼儀正しい少年といった風で、とてもではないが黄金色の鎧を纏って絶大な力を扱う者には見えない。
「っと、それよりもだ――お前らの宿についてなんだが」
「ああ、それについてなんだけど――」
「グラジオラスが他の奴と交代したんだろ? 知ってる知ってる、ヘルコニアの奴がすげぇ勢いで報告に来てやがったからな。気が変わるよりも前に手続き終わらせてやる、って騒いでたからよく覚えてる。っつーかだからこそ話を持ちかけに来たんだ――つーか、お前たちも遊んでないで話を聞け」
ブライアンがため息を吐き、未だにふてくされている連翹とそれを宥めるノーラの方に視線を向けた。
「い、いえ、別に遊んでいるわけでは……」
「そうよ、あたしのどこが遊んでるって証拠よ!」
「僕はその口調が関係してると思うなぁ」
「まあ、話聞いてるんなら遊んでようと問題ねえさ。話ってのは、泊まる宿についてでな……薫」
「は、はい……どうぞ」
ブライアンが視線を向けると、青葉少年は一枚の紙を取り出した。
手渡されたそれを受け取りながら「ありがとよ」と笑うと、ブライアンはカルナたちに見えるようにそれを広げた。
それは地図だ。ブライアンは要所に印のついたそれの一点を指し示す。
「ここだ、ここ。冒険者の宿じゃないが、見た目があまりガラの悪い奴じゃなければ泊まっても良いって宿があってな。グラジオラスはまあ――悪い奴じゃねえんだがな」
「ああ、分かる。見た目はね」
目つきが鋭く口調も荒い彼は、『冒険者お断り』の宿で真っ先に断られる存在だ。
「なにそれ、ニールそんな差別されるような人じゃないじゃない」
仕方ないと笑うカルナの背後で、不機嫌さを隠そうとしないムスッとした表情の連翹が呟く。
それを見て、不謹慎ながら少し微笑ましい気持ちになった。自分の友人をちゃんと想ってくれているんだな、と。
「差別云々じゃなくて、住み分けの問題さ。戦闘能力がない人から見れば、武器持って戦う一見ガラの悪そうな人は大なり小なり怖いから。そんな人が近くで酒とか飲んでたら、絡まれるんじゃないかってくつろげなくなるんだ」
だからこそ、冒険者の宿が――元冒険者の腕っ節の強い店主が存在するのだ。
ガラの悪い連中を集め、暴れた場合は取り押さえることが出来る力を持っている。ゆえに戦闘能力の無い者は『ガラが悪いのはあっちに行ってくれる』と安堵し、ニールのような戦士も怖がられることなく似たような連中同士で楽しめるのだ。
「……ガラの悪い不良が突然教室に入ってきたら、絡まれる絡まれないに関わらずくつろげない、みたいな感じかしら? 確かに『あの不良は実はいい人』みたいに言われても、遠目に見るだけじゃ内面なんて分からないし」
「細かい単語の意味は分からねえけど大体そんな感じだ。お前ら三人は女二人とそこそこ引き締まってるとはいえ細身の男だからな、他の客に怖がられることもないだろうよ」
カンパニュラももうちょい筋肉質だったらアウトだったろうがな、とブライアンは笑う。
確かにカルナは背丈も高めなので、これで前衛の戦士並の筋肉を有していたらニールと同様にお断りされるはずだ。
だが、魔法使い特有の黒いローブも理由の一つだろうな、と思う。なにせ、このゆったりとしたローブは体つきを隠してくれるから内側の肉体を隠せるし、何より魔法使いはひ弱というイメージもあるからだ。
「分かったよ。……ところで、その宿の名前を聞いてもいいかな?」
ブライアンが地図を指し示してくれてはいるものの、初めて来た街であるし、宿も多いと聞く。迷う要素は極力減らすべきだ。
カルナの問いにブライアンは「ああ」と忘れてたと言いたげに頭を掻いた。
「薄紅の剣百合亭だ。オレもブバルディアの宿事情には詳しくないが、騎士団と一緒に居るのに妙な宿を紹介されることはないと思うぜ――って、どうした片桐」
怪訝そうな彼の声音を聞いて連翹の方に視線を向けると、なぜだか彼女はじりじりと後ろに下がり始めていた。
「……ねえ、あたし、ノーラと同衾するつもりも、キマシタワー建設事業に着手するつもりもないんだけど」
「待って、落ち着いて、ステイステイハウス! さっきの会話でどうしてそんな結論に至ったのか聞いてもいいかなぁ!?」
「だって――百合ってつまり女同士の恋愛ってことでしょ!? それが店名に入ってるってことは――女同士でにゃんにゃん推奨してるに決まってるわ! 知らないけどきっとそう!」
「それは宿は宿だが別の宿じゃねえか? 一泊じゃなくて何時間かの休憩で金を取られる類の」
「というかレンちゃんはわたしと店の店主さんに謝るべきだと思うんです! わたしだってそんな趣味ありませんからね!」
「……レンさん、前から思ってたけど、時々無駄にうろ覚えな適当な知識を自信満々に語りだすよね」




