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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
無限の勇者
144/288

141/過去の想い


 ――時折、連翹は夢を見る。 


 無論、夢なら時々などと限定せずとも色々と見ている。

 けれど、その夢は水底から湧き出した泡のように、唐突に眠りの水面に浮かび、爆ぜるように想起されていく。

 泡の名は過去。異世界(ここ)ではなく地球(あそこ)に居た頃の、片桐連翹がただのか弱い一般人であった頃の回想だ。

 あの頃はもっと引っ込み思案で、他人に自分の意見を述べるのが苦手であった。

 相手にどう思われるのか不安で、結局黙り込んでしまうことは多々とあったし――何より、自信がなかったのだ。


 こんなことを言ってもいいのだろうか? 

 自分などがそんな言葉を発していいのか?

 そもそもこの意見は正しいのか? 

 間違っていないか? 

 口に出して馬鹿にされるくらいなら、開きかけた口を閉じた方がずっと利口なのではないだろうか? 


 だって、口を開かなければ言葉を否定されることはないのだから。

 だから学校なんかで馬鹿な意見を述べて笑われてる人を内心で馬鹿にし――けれど、同時に少し羨ましいとも思っていたのだ。恐れず口を挟める度胸と、間違ってもへこまない豪胆さを。

 だって黙っていても、飲み込んでも、意見や文句は無くなってはくれず、むしろ体の中に溜まって、鉛のように重くなっていくのだから。

 そして連翹は、そんな自分が嫌だった。

 黙っている自分を利口だと自画自賛しながら、しかし上手く他者と絡めない自分が嫌で、嫌で、嫌で――どこか別の世界に行って全てをやり直したかった。誰も自分を知らない場所に行って、理想の自分を演じたかったのだ。

 だから、地球(あそこ)は嫌い。嫌い、だけれど――それでも、楽しい思い出もあったし、好きな人たちもいた。


 たとえばお母さん。

 優しくてふわふわとしていて、話しやすかった。

 小学生以降友達が一気に減った自分を心配しつつも、あまりそれを感じさせずに柔らかく接してくれたのを覚えている。

 だからこそ、家が居心地が良かったのかな、とも思うのだ。


 たとえばお父さん。

 気難しくて、正直怖かった。

 けど、新しいモノ好きで色々買い漁る姿は子供っぽくて、どこかに行きたいと頼めば嫌な顔をせずに車を出してくれた頼りになる人。

 休日なんかにずっと顔を合わせていると少し怖かったけど、でも嫌いではなかった。


 ――――もう、二度と会えないけれど。


(ああ――だから、嫌なのに)


 お父さん、お母さん、あの二人がどうしているのか。

 出来の悪い娘が居なくなってせいせいしているのだろうか? ――それはそれで、悲しいな。

 それとも、悲しんでいるのか? ――それも、悲しいな。

 けれど、答えはない。だって、もう連翹は異世界に居るのだから。

 答えはない。答えてくれる人を置いて、ここまで来たのだから。

 ない、のに。疑問だけはぽこぽこと浮かび上がって。

 

 酷く、悲しくて、寂しい。

 

     ◇

 

「……なんかあったのか?」


 早朝。ここ最近日課になっている鍛錬でニールと合流したら、熱心にやっていた素振りを止め、心配そうな声音で問いかけられた。


「ううん、なんでもない。ただ、ちょっと夢見が悪かっただけ」


 そう、それだけ。

 ただ、今までの夢と比べて鮮明だったから、少しだけ――そう、少しだけ悲しくなってしまっただけだ。

 眠気と早朝の寒さのせいで浮かび上がった涙を拭いながら、なんでだろうなと疑問に思う。

 この世界に転移してから何度もかつての夢を見たことはある。けれど、このように引きずることはなかったはずだ。

 むしろ、嫌なことばかり思い出して、だからこそこの世界で好き勝手に生きてやるという想いを新たにしていたのに。


(今が、楽しいから、なのかな)


 ノーラやニール、カルナと共に居る今は楽しい。面と向かって言うには恥ずかしい言葉だけれど、心からそう思う。

 だからこそ、嫌なことなんて気にならない。昔の嫌なことより、今の楽しいことの方が光り輝いているから。

 けど、かつての嫌なことが気にならなくなって来たからこそ、かつての楽しい思い出が目立ったのかもしれない。覆う闇が晴れたからこそ、もう届かない光を直視することになってしまった。

 なんて皮肉だろう、と思う。

 楽しい思い出が楽しい思い出を引き寄せて、けれどその結果、今こうして気分が沈んでいる。

 

「……こうやってぐだぐだとしてても時間の無駄だし、始めましょ」


 そう言って剣を構えるが、どうも集中出来ない。

 夢のことなどとっとと切り替えてしまえ――そんな風に心の中の冷静な連翹は言うのだけれど、そんな風に簡単にスイッチ出来るような人間なら、地球に居た頃だってもうちょっと上手く立ち回れていたと思う。

 剣を振り上げ、下ろす。ファスト・エッジの見よう見まねで放たれたそれは、連翹から見ても酷い有様だった。普段だって上手く出来ているワケではないけれど、今日のは一段と酷い。その事実が、余計に心を萎えさせる。

 

「……止めとけ。そんな状態でやっても変な癖がつくだけだ」


 もう一回、と剣を振り上げた辺りで、ニールがため息混じりにそう言った。

 

「でも、継続は力なりって言うじゃない。ちょっとメンタル悪いくらいで止めるのは――」

「ちゃんと継続出来てるならな。出来てねえならやるだけ無駄だ――つっても、言われて切り替えて休める奴じゃねえよな、お前」


 ニールはしばし悩んだ後、どしん、と勢い良くその場に腰を降ろした。

 その様子を怪訝な顔で見つめていると、彼は隣の地面をとんとん、と叩く。


「ま、なんかしら喋ってたら気も晴れるだろ。連翹、お前も座れ」

「え、あ、うん……」


 促されるまま、地面に座る。

 二人の間に沈黙の帳が降りる。ひゅう、と風が吹いた。冬の早朝の風が冷たくて、しかし隣に座るニールがなんだか温かい。連翹が来るまで素振りなどをしていたからだろうか。

 しばしそうやっていると、ニールがぽつり、と呟く。

 

「……やべえな、こういう時、どういう話すりゃ良いんだ? 連翹、お前はどう思う?」


 ……さすがにそれはどうだろう。


「ねえ、自分から誘っておいてそれはないと思うんだけど」

「いやな、普段は適当にその場のノリでぐだぐだ喋ることが多いじゃねえか。けどこんな風に、喋ろうぜ、って前置きして話題を探すことって滅多になくてな」

 

 確かに、ニールたちと一緒に会話する時は、大したことを考えずその場のノリと勢いで話すことが多い。

 自然と言葉が出て、自然と笑みがこぼれて、ああ、だからこそ強く思うのだ、楽しいと。

 しばし黙っていたニールだったが、唸り声と共に頭を掻いて連翹に視線を向けた。

 

「なんかそっちに話題ねえか? 話してえこととか、聞きてえこととか」

「馬鹿なの? 死ぬの? なんでテンション低い方に話題の提供願ってるの?」

「悪かったよ、その代わり聞かれたことにはなるべく答えっからよ」


 鋭い眼を若干申し訳なさそうに垂れさせている姿は珍しくて、ちょっと見ていると楽しい。

 もっとも、じっと観察しているワケにもいかないのは分かっている。でも、連翹だって話題を振るのはあまり得意な方ではないのだ。

 剣に憧れた理由とか子供時代の話とかは聞いたから、聞くとすれば――


「あ、そうだ! じゃあ聞くけど――ニールってどうして転移者と戦おうと思い始めたの? 考えてみれば聞く機会なかったのよね。やっぱりあれ? 俺より強いやつに会いに行く、みたいな……感、じ?」

「――――」


 一瞬、ニールの表情が形容し難い形に歪んだ。

 怒っているようでいて、寂しがっているようでいて、悲しんでいるようでいて――実際はそれらが全部混ぜ合わされたような感じ、なのだろうか。

 よく分からないけれど、それでも自分が超弩級の地雷を踏み抜いたことだけは強く理解した。

 

「……ご、ごめん。まずかったのなら答えなくてもいいけど。なら、ええっと――」

「いや、構わねえよ。ただ、話しても大して面白いもんじゃねえからな」


 そう前置きして、ニールは語り始めた。


「前に、家を飛び出して冒険者になったって話はしたよな? あの後、俺は女王都へ向かって、しばらくそこを拠点にしてたんだ。冒険者登録なんざギルドさえありゃどこでも良かったんだが、どうせなら一番栄えている場所で派手に剣を振るいたかったワケだ」


 そうして女王都のギルドで冒険者になったニールは、そこでモンスターを狩り続けた。

 あの当時は何もかも楽しかった、と彼は微笑む。剣でモンスターと戦うのも、絡んできたゴロツキを張り倒すのも、自分で稼いだ金で卵料理を食いまくったりしたのも、全て全て楽しくて仕方がなかったと語る。

 

「本当に好きなのねぇ、剣とか、剣で戦うのとか」

 

 ニールは特別喋るのが下手なワケではないが、しかし得意なワケでもない。こうやって長々と語らせると、上手く説明できてないなー、と思うところが多々と出て来る。

 けど、当時を振り返り語る彼の顔は楽しそうで、その時のニールは本当に楽しんでいたのだろうなと感じるのだ。

 

「ま、そんな感じでそこそこ活躍はしたワケだが、今も昔もまだまだ若造でな。俺より強い剣士は冒険者にも兵士にも騎士にも居た。何度か手合わせしてボコボコにされて、ってのもザラだったな」


 だがそれでも、鍛錬、実戦、模擬戦、それらを繰り返してニールは実力をめきめきと上げ――期待のルーキーと呼ばれるようになった。熟練の戦士たちにはまだまだ劣るけれど、同年代であれば上位に食い込むという評価を貰ったのだ。

 それが、心から嬉しかったとニールは語る。どんどん強くなっている実感はあったが、それを他者に正式に認められたのだ。嬉しくないはずがない。


「そんな時だったな、ギルド対抗トーナメント、そのルーキー部門に出ないかって誘われたのは」


 それは住民向けのショーであり、同時にギルドの実力を披露する場でもあった。

 剣や魔法で戦う彼らの姿に盛り上がり、そしてそんな彼らが自分たちの依頼を受けてくれるのかと驚かせる。

 だからこそ、ルーキー部門に選出される人材は若手の中でも実力者ばかりが選ばれていた。なぜなら、街の人々が普段出している依頼のほとんどはルーキーたちがやっているからだ。

 そのため、ギルドは若手のアピールに力を入れていた。普段、あなた達の依頼を請け負っているのは、こんなに頼りになる人達なんですよ――と。

 上位の冒険者は派手な戦いで観客を沸き立たせ、ルーキーたちは身近な頼りになる隣人というアピールをするのだ。

 

「そこに――――転移者が居たワケだ。当たり前のように戦って、当たり前のように負けた」


 ……言葉を濁された、と連翹は思った。

 何か語りたくないこと、語れないことがあったのだろうか。そう思いながら、連翹はニールが言葉を濁したことを気づかないフリをした。

 誰だって語りたくないことくらいある。連翹だってそうだし、きっとノーラやカルナだってそうだ。それを無理やりほじくり返すのは駄目だろう。


「そんでもって――嗤われた。なんでこんな無駄な努力してんだお前、転移者に勝てるわけねえだろ、ってな」

「……それは」


 災難だったわね、とか。

 酷い奴ね、あたしは絶対そんなことしないわ、とか。

 そんな風に言えたら楽だったのだろう。自分は関係ない、って思い込めるのだから。

 けれど、連翹は思わず口を噤んだ。なぜなら、そういうことをやった覚えがあるからだ。

 冒険者ギルドのトーナメントは毎年行われている。そして、それが開催される度に転移者が優勝を掻っ攫う、という話も聞いた。そして、連翹もまた掻っ攫った転移者の一人であった。

 あの時は転移した直後ではあったものの、半ば強引に出場を決めたのだ。出場するという冒険者を叩き伏せ、強引に出場権を奪ったのだ。あたしは強くて、貴方は弱い、ならば強い方が出るべきでしょ? と。

 それが受理されてしまったのは、下手に拒否して街中で暴れられても困るから、ということだったのだろうが――当時の連翹はそんなことを考えることなく、大会に飛び込んだ。


(今考えると、色々な人に迷惑かけたんだなぁ……)


 でも、当時はそんなこと考えなかった――考えられなかった。

 自分はこんなにも凄くて強いんだ、だから認めて、褒めて、あたしを認めてと。ただただ自分の感情のままに剣を振り、スキルを封印するという縛りプレイをして余計に『俺TUEEEEE!!』の衝動に浸っていたのだ。

 

(もしも、あれに出会わなければ――あたしもレゾン・デイトルで暴れていたのかしら?)


 まだ転移者になって日が浅く、そしてスキルを縛っていたとはいえ、一撃を当ててきた彼。

 連翹が胴を両断し、血溜まりに沈んでいたあの人。細部はおぼろげだけれど、こちらを睨む目だけは鮮明で、鮮烈だったあの剣士。

 怖かった。自分よりも格下だと分かっていたのに、あの殺意は恐ろしくて、非常に人間だったのだ。

 そう、人間。

 自分が成り上がるために配置されていたNPCではなく、人間。 

 感情があって、馬鹿にされたら怒って、反撃してくる誰か。これまで必死に忘れようとした記憶であり、今思えば決して忘れてはいけない記憶。


(その剣士はきっと、あたしが憎くて憎くて仕方がないでしょうけど)


 それでも、一言謝って、そして感謝の言葉を述べたいと思うのだ。

 貴方が居たから、片桐連翹は自分勝手な転移者にならずに済んだのだと、貴方が居たからニールやノーラ、カルナや騎士団や兵士、冒険者の人々と出会い、笑い合えるようになったのだと。

 いや、それもまた自分勝手な言葉、なのだろうか。相手からすれば、自分を痛めつけて嗤った憎い奴が「お前のおかげで幸せになれた」と言っているようなものだ。イジメっ子が虐めた相手に「今、自分は幸せです」と宣言しているみたいではないか。そんなの、煽り以外の何物でもない。

 そこまで考えて、連翹はまた自分のことが嫌になって来た。他人を尊重しようとはしているが、自分が酷く身勝手な奴に思えて。


「ま、その後に俺はけっこう無茶するようになってな。女王都の冒険仲間に煙たがられてるのが分かったから、東に向かった。このままじゃ居られねえけど、西に行くのは家に戻るみたいで嫌だったし、南は当時行ったこと無かったから人間の冒険者が活動できんのか? って疑問があってな。それに東は海洋冒険者出発の地だ。海の上で干からびる覚悟で新大陸探す無謀な奴らが山ほどいる場所なら、俺の無謀を受け入れてくれるんじゃねえかって思って流れに流れ――そこで俺を煙たがらずに優しく窘めてくれる友人に出会い、しばらく後でカルナと出会ったってわけだ」


 ニールはサラッと言ったが、きっとその当時は言葉以上に荒れていたはずだ。あまり長い付き合いではないけれど、ニールが好きな物を否定されて、その上、否定した奴に手も足も出なかったなんて事実を笑って受け入れられるはずがないことくらい分かる。

 だからきっと、今のニールになったのはその時に出会った友人たちの影響なのだろうと思う。


「ねえ、ニール」


 その友人はどんな人たちなんだろう。

 知りたいな、会ってみたいな、そんなことを考えながら問いかける。 


「貴方は今、その人のことをどう思ってるの? 仮に、その人がニールにごめんなさいって言ったとして、それを受け入れることが出来る?」

「なに当たり前のこと聞いてやがる馬鹿女――」


 轟々と。

 燃え盛る炎めいた瞳をこちらに向けて。


「――出来るワケねえだろ。今でも許せてねえんだ、当然だろうが」

「ん……そうね、そうよね。ごめん、頭の悪いこと言った」


 そう、頭の悪い質問だ。

 だって、そうでしょう?


(あたしだって、自分が嗤われて、その自分も嗤ってることが嫌で、皆と話すのが怖くなったんだもの――)


 悪意をそんな簡単に忘れられるモノなら、連翹は異世界になど行かず、地球で学校生活を過ごしていたはずだ。

 他人の悪意っていうのは、それに晒された当人はよく覚えているモノだ。悪意で傷つけた人間は、すぐに忘れてしまうのに。なんて不公平なんだろうと思う。

 だから、仮にあの時傷つけた誰かが現れた時は、言い訳せずに罰を受けようと思う。

 名も知らぬ彼。叩き潰し、両断したあの冒険者。彼の怒りを、真っ向から受け入れて、謝ろう。

 さすがに殺されてはあげられないけど、出来る限りその憎しみを避けずに受け入れる。いいや、受け入れなくてはならないのだと思う。それはきっと、傷つけた癖にすっかり顔を忘れている馬鹿女が出来る唯一の贖罪だ。


(ううん、贖罪、なんて単語を思い浮かべる時点で、自分が許されたいだけ、なのかな)


 分からない。考えれば考えるほどドツボにハマっていく感覚があって、上手く思考が纏まらない。

 

「……よしっ! いい具合にやる気も出たことだし、鍛錬再開するわ!」

  

 分からないから――今を頑張るしかない。他人の心なんて読めない以上、完璧な正解など選べるはずもないのだから。ほとんど会ったことのない人ならば、なおさらだ。

 正直、思考停止とか、決断を後回しにしているのではないかとも思う。

 けど、今考えてもどうしようもない以上、考えても仕方がない。なら、決断に迫られた時に様々な選択肢を選べるように頑張るしかない。


(ニールは、きっとそうするものね)


 馬鹿女、馬鹿女、と。そんな風に口汚い彼だけれど。

 それでも真っ直ぐで自分の感情に正直な人間なのだ。駄目なところも多々とあるけど、連翹に無いモノを沢山持っていて――だから、見習いたい、と思っているのだ。

 もちろん、こんなこと本人には言えない。もしも口にしたら、どんな風に馬鹿にされるのか、分かったものではない。

 

「……おう、頑張れ。俺はけっこう休んじまったからな、今日は休みってことにして体調を整える」

「そう? まあ、休むのも仕事とか鍛錬とかって言うからね」


 少し、らしくないかな? とは思ったけれど。

 それでも、今は経験を積んで心身を鍛えなくてはならない。 


     ◇


 スキルを発動し、それを真似て素振りをする連翹を見ながら、ニールはぐらぐらと煮え立つ感情を持て余していた。

 最近は見なかった、いいや、見ようとしていなかった感情を直視し、疑問が沸騰した湯の泡のように湧き出してくる。


(ああ、くっそ――――分からねえな、俺は、俺が)


 許していない。ニールは許していないのだ。許せるはずもない。

 じゃあ、なんで今、こうやって一緒に行動している? あの時、嗤った相手がニール・グラジオラスだと気づいて欲しいから? 


 ――それは確かにそうだ。


 あの時の相手は俺だ、俺なのだ――それを、自分の剣を見て思い出して欲しい。それは、事実なのだ。

 けれど、だからといってこんな風に仲良くする意味があるのか? だいぶまともになっているから、嗤ったことを許しているのか?

 いいや、違う。胸の炎は、確かに燃え盛っている。二年前に出会った時から、連翹を忘れたことはない。その姿、顔、髪、体、全て全て、忘れてはいない。今、瞳を閉じれば、当時の連翹の姿を完全に再現できることだろう。


 ――分からない。

 ――ニールには分からない。


 今、ここで連翹に斬りかかり、「俺を嗤ったのはテメェだ!」と宣言してやってもいいと思っている。

 しかし、それを嫌だと駄々っ子のように拒否する自分もいる。だって――そんなことをすれば、今の関係が壊れてしまうから。


 ――決着をつけたい、倒したい。その想いに偽りはない。

 ――けれど仲良くしたい、もっと笑いあっていたいとも思う。その心もまた、偽りではないのだ。


 矛盾した想いが胸のなかでぐるぐると蠢いて、気分が悪い。だからこそとっとと決断して楽になりたいのに、どちらも大事で、切り捨てられない。

 正直、こんなことは初めてだった。自分の感情だというのに理解が出来ない、制御できない、決断できない。

 そして何より――そんな現状を好ましく思っている自分がいることにも、決断できずにいることにホッとしているニール・グラジオラスがいる事実が、余計に気持ちが悪い。

 

「……イカレてる、なんて言葉は転移者ぶっ殺すって言い始めてからよく聞く言葉だけどな」


 もしかしたら、本当にイカレているのかもしれない。

 何にイカレているのかは、今のニールには分からないのだが。確実に、どこかが変調しているのは確かだった。


「考えても仕方ねえ……とは思ってんだがな」


 どうも上手く切り替えられない。

 少なくとも、今から鍛錬を再開しても集中できないのは確実であった。

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