12/過去を想う
冒険者が寝静まり、漁師が起きるまでの僅かな隙間。その瞬間だけナルキの町並みは寝静まる。
普段の騒がしい町並みからは想像もできない静寂に、自分はこの時間だけ別の世界に転移しているのではないかとすら思う。
静けさの中、ペンが紙を撫でる音が響く。その音源は銀髪の少年、カルナ・カンパニュラである。
魔導書の調整が一段落し、カルナは大きく伸びをした。ぎしっ、と木製の椅子が軋む。
思いの外大きく響いたその音に、慌ててベッドで眠る相棒に視線を向けた。
「んがっ、ふぐ……んぐう……」
起こしたかな? というカルナの心配をよそに、ニールは変わらず寝息を立てている。
「……いつも通りだなぁ、ニールは」
寝息と寝言の中間らしいもごもごとした声も、蹴り飛ばしたらしく床に落ちた布団も、枕元に置いた愛用の長剣の位置も。
転移者と戦うことになる依頼を受ける決心をしたというのに、全く変わらない。
脳天気というワケではない。修練も戦闘経験も詰んで来たのだ。人事を尽くしたのなら天命を待つだけだ、ということなのだろう。
カルナとて同じ気持ちではあるものの、やはり直前になると「やり残したことがあるかもしれない」と不安になるのだ。
かつての敗北の記憶も、その一因となっている。
彼は神童と呼ばれる程度には優秀であり、その言葉に増長せず努力し続けるくらいには勤勉だった。
自分よりも長い間魔法の修練を重ねてきた者たちに今は勝てずとも、すぐに追い抜いてやる。そして、自分と同年代の者に負けるはずがないと確信していたのだ。
――黒い衣服を纏った男に出会うまでは。
奇妙な衣服だった。
漆黒の布地に五つのボタンを直線に並べた詰襟の上着。手首付近にもボタンがついているのは、装飾目的なのだろうか。
ズボンも上着と同じく漆黒だ。僅かに覗く肌は不健康なまでに白かったことをよく覚えている。
その男にカルナは魔法を使った勝負を持ちかけられ、完膚なきまでに敗北した。
男の魔力の量も尋常ではなかったが、敗北を決定的にしたのは『スキル』と呼ばれる特殊な力だ。
男――というよりも転移者には、詠唱は必要ない。単語を発音するだけで転移者専用の力が発動するのだ。魔法だけではなく、剣や槍といった武術も含めた万能の必殺技――『スキル』。それに、カルナは手も足もでなかった。
当然だ。イメージしながら精霊に語りかけるカルナは、単語を発音するだけで魔法を発動させる転移者にとって亀の如く愚鈍に見えたはずだ。
『今まで努力してくれてありがとう』
彼の微笑みを覚えている。
『ぼくの踏み台になるために、努力し続けてくれてありがとう』
その醜悪な笑みを覚えている。
『君は何があってもぼくには勝てない、努力なんて無駄な真似をしてるのが証明だ。現に、ぼくは今までそんなことをしたことないのに、神様に選ばれた』
「ッ!」
脳内で響く哄笑に顔を顰め、魔導書を閉じた。こんな精神状態で続けても無駄だ。
「ダメだな。緊張すると嫌なことばかり、自分のダメなところばかり考えちゃう」
溜息をつくと、椅子から立ち上がり部屋から出る。
階段を下り、少し前の喧騒が幻影だったかのように静まり返る食堂を横切り、外に出た。
そのままどこに行くでもなく、宿の壁に背中を預ける。静まり返った街並みを、ぼうと眺めた。塩の香りを含んだ風がカルナの髪を軽く撫で、過ぎ去っていく。
「ふう……」
人の動く気配がなく、静かな街並み。しかし、だからといって無音というワケではない。
遠く響く波の音に、微かに吹く風が街路樹の葉を揺らす音が重なる。それは夜だけ街に訪れる音楽家であり、演奏だ。観客はカルナ一人。彼は瞳を閉じ、その調べに耳を澄ました。
それは音楽というよりも音だ。メロディはなく、規則的な波の音がリズムを取っているようで音楽的かもしれない、といった程度だろう。
しかし、それで構わない。なぜなら、音を楽しむから音楽と呼ぶのだ。
だから、これでいい。
(みんなと過ごす時間もいいけど、こうしている時が一番落ち着くな)
これじゃあニールたちが冗談で言っていた――と信じたい――「ぼっち」云々を否定できないな、と小さく笑う。
時化た海のように荒れ狂おうとする心も、今は凪いでいる。ふわあ、と小さなあくびが漏れた。感情が落ち着いて気にならなかった眠気がまぶたに襲い掛かる。
「明日――っていうかもう今日だけど――出かけるって言ってなかった?」
そろそろ戻ろうか。そう思った矢先に、声をかけられた。
振り向くと、窓から半身を出した女将の姿があった。吹いた風が緑のポニーテイルを微かに揺らす。
「女将さん――うん、色々考えてると眠れなくなってさ」
「やっぱり緊張してるの?」
「もちろんだよ、ニールとかと違って僕は繊細だから」
冗談めかして言った言葉に女将はからからと笑った。
「緊張するくらいでちょうどいいのよ。ちょっと臆病なくらいが生きやすいんだから」
「冒険者の宿の主人が言う言葉とは思えないね」
「何言ってるの、臆病と勇気を天秤にかけて前に進むのが冒険者なの。緊張も恐怖も何一つ感じないなんて、それは冒険者じゃなくてもっと別の何かよ」
だから、と。
女将は言葉を一旦区切った後に、言った。
「無茶はしても無謀はするんじゃないわよ。ちゃんと帰ってくること」
いい? と自分の宿の看板に指を指した。
そこには当然のように書かれている『黄色の水仙亭』という文字だ。
一つの花に複数の花言葉があるように、黄色の水仙にも色々な花言葉がある。
だが、冒険者の宿に使うのならば――意味は一択だろう。
「うん、分かったよ」
「ニール君の手綱もしっかり握ってね。目標があるのはいいことだけど、全力過ぎて無謀に片足突っ込んでるのよ、あの子」
分かったよ、と答えると軽く手を振り宿に入る。背中に突き刺さる「本当に分かってるのかしらね、あの子は」という視線を無視しながら階段を登り、自室に戻る。
「ぐう――んぐ、うぐう」
「ホント、色々考えてるのが馬鹿みたいになるよなぁ……」
夢のなかでどのような活躍をしているのか、仰向けで両腕を天につきだしているニールを見て溜息をついた。
「おやすみ、ニール」
言ってベッドに潜り込んだカルナは、睡魔によって滲んでいく意識の中、黄色の水仙の花言葉を思い浮かべた。
『私のもとへ帰って』
いい歳して少女みたいな願いだよねー、と少し思う。口には出さない。ニールのように最愛の息子を殴打されたくはないのだから。
まあ、彼女がこの宿を作った頃はまだ少女と呼んで差し支えのない年齢だったらしいので、少女らしいのは当然なのかもしれない。
「まあ、こんな仕事だしね」
いくら昔に比べて安全になったとはいえ、冒険者は危険な職業だ。毎年夢見る新人が、半端に慣れた中級者が、些細なミスを犯したベテランが命を落とす。
それでも、女将は願っているのだろう。クエストに出た顔見知りの冒険者が帰ってきれくれることを、報酬を受け取って笑いながら酒を飲む姿が永遠に続くことを。
もし自分が無茶して死んだら、あの人は悲しむのだろうか、などと益体もないことを思考してしまう。
「……一人で魔法の研究してた頃は、楽だったなぁ」
人付き合いは最小限で、家族と師匠とローブのほつれを直してくれた裁縫屋のお婆さんくらいとしか会話らしい会話はなかった。
けど、それはそれで楽だったのだ。あの時は自分と自分の研究だけを考えていれば良かったのだから。
だというのに、今はニールやヤルとヌイーオ、女将や他の顔見知りの冒険者などと付き合いが増えてしまった。自分のことだけを考えようとしても、自分の行動が相手にどういう影響を与えるのか無意識に考えてしまう。
それはとても面倒くさくて、とても邪魔だ。体についた贅肉のようで、そぎ落とせたらどんなに楽だろうと思う。
だけど、自分のように夢に向かって走るニールと、一緒に語らって楽しいヤルとヌイーオ、サバサバしてるようで母のように優しい女将たちと一緒に過ごす時間は――
「面倒はあるけど、悪くない――ね」
絶対に他人には言えないなぁ、と苦笑しながらカルナは夢へとまどろんでいった。




