136/野営準備と西部の情報
太陽が遠くに見える山に隠れるように沈んで行き、青い空はゆっくりと茜に染まっていく。
それはロウソクが最後に見せる輝きが如く。昼間とは違う独特の色合いも、その後に訪れるであろう夜闇も、最後の輝きという印象を強める。
襲撃もなく穏やかな道のりを越えた連合軍は、村の近くで野営の準備を始めていた。そこかしこから天幕を組み立てる音が響く。
「おーし、連翹。しっかり抑えとけよ」
「はーい……転移者になって力はついたけど、こういうの組み立てるのは慣れないわね」
その音に、ニールと連翹は加わっていた。
少しばかり不安そうな声で応える連翹と一緒に、天幕の骨組みを組み立てて行く。実際、野営などに慣れていないために彼女の手際は良くない。だが、転移者の筋力はこの手の力作業に有用だ。
この手の役割分担の場合、前衛の戦士が天幕の設営や荷物を運び、後衛の者が細々とした準備を行うことが多い。もちろん、技術や体格によっては役割が変わることもあるのだが。
「……適材適所ってことは分かってるけど、料理の準備とかをカルナに任せるのは女としてどうかと思うわ」
ノーラはともかくね、と骨組みを組み立てながらぼやく。
「つうかよ、お前料理出来んのか?」
「が、ガスコンロあればワンチャン……? というか、そういうニールはどうなのよ? 男児厨房に入らずとかそんな感じ?」
「なんだよガスで焜炉って、熱した空気で調理すんのか? それはともかく、実家が宿って言ったろ、家の手伝いで多少は出来る。……まあ手伝ったのは下ごしらえくらいで、後は我流の適当料理なんだがな」
鳥を捌いたり野菜の皮むきする程度なら余裕だが、味付けはよく分からないので大体その場の勢いとノリと勘だ。
完成した料理は大抵の場合味が濃いか薄いかのどちらかで、まずくはないが美味くもない、という範疇に収まっている。
「逆にカルナは家で料理したことねぇ癖に味付けとかにうるさいんだよな、ちゃんと考えて調味料入れろってよ」
出会ったばかりの頃はニールが全部やってたのだが、途中でカルナがキレて「女将さんから教わってきた! いいから僕に任せろ!」と言ったのだ。
その結果、味は向上したのだが――
「あいつ下ごしらえ方面が適当なんだよな、単純作業を延々とこなすのが嫌になるとかで」
なんでも、味付けは薬の調合みたいで面白いが皮むきとか完全にただの作業じゃないか、ということらしい。
その結果、作業を分担することになった。下ごしらえはニールで料理そのものはカルナ、というわけだ。
「ど、どうしよう――あたし、どっちも出来る気がしないんだけど」
「別に女だから料理完璧にしろとは言わねえけどよ、お前どうやって飯食ってたんだよ」
「ええっと……お母さんが作ってくれたり、あとカップラーメンとか」
あと給食? と首を傾げる連翹を見ながら、お前何一つ自分で作ってねぇのな、と思う。
そんなことを話しながら作業していると割り振られた数を組み立て終えた。
ふうと息を吐く。特別重労働だったわけではないが、長時間の移動後の作業は内容以上に疲労を感じる。連翹も「うー」と唸り声めいた声を漏らしながら肩をほぐすように腕を回していた。
「んじゃ、カルナたちに合流すっか」
「そうねぇ、寒いし早く焚き火の方に行きたい……」
料理が楽って言うわけじゃないけど、火の近くで作業できるのって羨ましい――そうぼやく連翹と共に調理場に移動する。
その途中、新たに連合軍に入ったエルフの若者たちを見つけた。天幕を立てるのに四苦八苦している姿に、思わず声をかける。
「お前ら大丈夫か? 手伝った方がいいか?」
「いや! ここで慣れておかないと、後々、困る、っとと、からな! 大丈――おい、もっとしっかり支えてくれ!」
「本で読むのとやるのじゃ違うな……悪い、もうちっと踏ん張る!」
オルシジームからあまり出ないエルフたちにとって、この手の作業は始めてで苦労しているようだ。
それでも浮かぶ表情は疲労や苦痛ではなく笑みであった。外で活躍したいと考えていたエルフの若者にとって、こういう作業は辛くはあるが新鮮で楽しいのだろう。
「ふふふっ、どうしようもなくなったらあたしに頼ってもいいのよ。なんたってベテランだからね、天幕の設営なら任せて!」
「おう、そん時は頼む。ありがとうなお嬢ちゃん」
「いや連翹、お前だってそこまで上手いワケじゃ――いや、いいか」
自分が出来るようになったことを他人に教えたり、頼られたりしたいのだろう。
それが背伸びをした子供のようで、思わず笑みを漏らす。
「ん? なに、どうかした?」
「なんでもねえさ、それよりとっとと行こうぜ」
エルフたちと別れ、焚き火に向かう。
すると、見えてくるのは大鍋で料理する兵士たちや、小さめの鍋で自分たちの分を作る冒険者たちの姿だ。
騎士や兵士は行軍の際に使用する大鍋を持っているが、それでも全員分は作れない。騎士と兵士に加え冒険者、それにドワーフとエルフが加わったからというのも理由の一つではあるが、一番の理由は時代だろう。
魔王大戦終結後は大規模な争いもなく、多数の兵士を連れて行軍することが無くなった。ここ最近の出兵は冒険者の手に余るモンスターを討伐するくらいで、それだって多くても数十人といったところだ。自然、騎士や兵士が扱う備品もそれに合わせたサイズとなる。
そのため、野営慣れした冒険者などは自分たちで調理することを推奨されていた。無論、冒険者だからといって野営料理が得意な者ばかりではないので、あくまで推奨ではあるのだが。
「確かこっちだな――お、いたいた」
灯りも兼ねて複数存在する焚き火、その一つに二人は居た。
楽しそうに談笑しながらノーラは鍋をかき混ぜ、カルナは火力の調整を行っている。
「お疲れ様ですレンちゃん、ニールさん」
「お疲れ、こっちももうそろそろだよ」
二人もこちらに気付いたのか、会話を打ち切ってこちらに視線を向けた。
「ただいまノーラ、カルナ! そっちはー……あれ、まだまだ途中?」
準備しているのはシチューだろうか。
いそいそと鍋を覗き込む連翹の横から鍋を覗く。肉と野菜はしっかりと煮込まれているものの、汁は半透明でまだ水っぽく見える。
肉や野菜のダシで微かに色づいてはいるが、まだ中に何かを入れるのだろう。
だが、そんな予想をノーラは首を左右に振って否定した。
「いえ、後は塩コショウだけで完成ですよ。牛乳やデミグラスソースが無かったので」
小さい村でしたしお肉売って貰えただけありがたいです、と。
そう言ってお玉で具材を掬う。骨付きの肉とじゃがいも、そして玉ねぎが程よく煮込まれ、たしかにこれだけでも十分美味しそうだ。寒い日なら、尚更だ。
「見た目はシンプル過ぎるくらいだけど、けっこう美味しいらしいよ。前にファルコンに教えて貰ったんだ。狩人たちのシチューって言うらしいんだ」
カルナの言葉になるほど、と頷く。
狩人なら鳥くらい仕留めて骨付き肉くらい手に入れられるだろうし、水辺で野営するなら水は調達できる。後は持ち込んだ調味料と野菜でなんとかなるという寸法だ。
それだけでも美味いと思うが、牛乳や小麦粉などを使えばよりシチューらしい美味しいモノになりそうだ。
「そろそろ大丈夫ですよ、よそっちゃいますね」
「ありがとノーラ、寒い日は汁物よねー!」
「そこんとこは俺も同意見だな――っと、悪いな」
「体が求めてる感があるよね。ありがとうノーラさん、いただきます」
皆にシチューが行き渡ったのを確認し、スプーンで具材と共に汁を掬い、口の中に運ぶ。
その味わいは、やはりシチューというよりもスープを連想させる。シチュー特有のとろみが無いからだろうか。
たが、その分熱々の汁がするりと口の中に染み渡って心地よい。熱いが、だからこそ寒い今はそれが気持ちが良いのだ。
そして、味もまた悪くない。塩コショウによるシンプルな味付けもそうだが、骨ごと煮込まれた肉が全体に旨味を染み渡らせている。少し味が薄めではあるが、これはこれで悪くない。
連翹もまた同意見なのか、はふうと満足そうな吐息を漏らす。
「寒いし、料理も家とかのちゃんとしたキッチンで作るほうがきっと美味しいんだと思うけど――なんでかしらね、なんか凄い美味しい気がする」
「メシってのはやっぱ環境だしな。屋台なんかで売ってるメシだって、ちゃんとした店で食う方が絶対うめぇのに、なんか無性に美味しく感じるしよ」
「あー、お祭りで食べる料理とかが凄く美味しく感じるアレね。やっぱり食べる場所って大事なのねぇ」
どうりでねー、とシチューを口に運びながら頷く連翹。
それを見たノーラが少しばかり悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふふ――でもレンちゃん、その言い方だと料理は美味しくないけど環境のおかげで美味しく思える、って言ってるようにも聞こえますよ。そうですね、美味しくないんですね……」
「熱、はふ……ん? え、え!? ああいや、違うの、違うのよノーラ! そういう意味じゃなくてね、むしろ美味しくっておかわりお願いしたいって感じでね!」
わざとらしく目頭を抑える姿を見て、連翹は慌ててわたわたと釈明を始めた。
それを見たノーラは小さくくすくすと笑う。やはりいい性格してやがるよな、と思う。基本的に真面目で努力家だが、今のように友人をからかってこっそり笑う程度には遊び心がある。
しばしその状態を眺めていたカルナもまた、小さく微笑みを浮かべた。
「ノーラさん、あんまりからかわないであげようよ。レンさんこの手のことけっこう本気にしちゃうとこあるから」
「はぁい。レンちゃん、おかわりでしたよね? よそっちゃうんでお皿ください」
「え? からかわれてたのあたし!? ふ、ふーん……まあ知ってたけど、なんかこう勢いとか、様式美的なアレでアレをしただけなんだけどね!」
慌てつつも「あ、お肉多めに入れてお肉!」と言いながら皿を差し出す。
「お前はなんでそういう時に無意味に強がるんだよ」
「つ、強がってないし? というかあたし元々強いから強がる必要はないから! 完全に論破したからもうこの話題は終了ね!」
「論破出来てねえよ、超穴だらけだぞ」
スプーンを突き付けて呵々と笑ってやる。
連翹は、むう、と不機嫌そうな顔をしつつ新たによそわれたシチューを口に運ぶ。
その姿に不貞腐れるか飯食うかどっちかにしろよ、と言ってやろうとして――気付く。
ごとごと、と馬車の車輪が回る音。そして足音は複数、おそらく三人程度か。それが、連合軍の野営地に近づいてくる。音がするのは、村の方からだ。
村人か? と思ったが、近場に家があるのに馬車を使う理由はないだろう。
一応、剣の柄に手をかけながら足音の方に視線を向ける。
「失礼。自分たちもこちらで野営をしたいのですが、どなたに許可を取ればよろしいですかな? 村の者はこちらで野営をして欲しいと言っていたのですが」
現れたのは壮年の男性であった。
旅慣れた格好をした彼の後ろには二人の冒険者。旅商人と護衛の冒険者なのだろう。
「ああ、あっちにデカイ天幕が見えるだろ? そこに騎士がいるから、そっちに話を通してくれ」
「ありがとう。そうさせてもらいます。いやあ、西の行商を終えて後は東部に帰るだけなのですが、西部最後の野営で騎士様たちと出会えたのは運がいい。今日はぐっすりと眠れそうだ」
「お疲れ様です。ああ、そうだ」
頭を下げた後こちらに背を向ける彼らに、カルナが問いかける。
「僕らはこれから西部に行くのだけれど、あちらで何か変わったことはあったかな」
そう言って歩み寄り、懐からいくつかの金銭を手渡す。
それを受け取りながら、旅商人は「ふむ」と考え込む。
「そうですね――西部全体という見方であればあまり変わっていない、といったところでしょうかね」
「そうなの? なんかもっと暴れてる転移者が居るのを想像してたけど」
「もちろん、そういう者たちも居ます。その結果、その辺りの治安は悪くなっていますが……逆の場所もあるということです」
旅商人は言う。確かにレゾン・デイトル付近は確かに治安は悪いが、しかしそれ以外の場所はそこまで大きな変化はないと。
「まあそれも、西部の勇者様のおかげでしょうかね」
「西部の勇者、ですか? 西部に勇者の血統の人なんて居るんですか?」
ノーラの問いにニールとカルナは首を横に振る。
勇者リディアの血縁者が居る可能性も全くゼロではないだろうが、しかしそんな者が居るなどという話は聞いたこともない。
ニールたちの反応に旅商人は「リディアと関係ある者ではありませんよ」と小さく笑う。
「ここ数年、勇者を自称する者が盗賊などを退治してくれているんです。レゾン・デイトルが建国されてからは無法の転移者も倒してくれていて、自分たちのような商人は非常に助かってるんです」
「へえ、勇者を名乗って悪党退治に勤しむ転移者ってわけだね。どんな人物なんだろう」
「え? なんで転移者だと思うの? 現地人の目立ちたがり屋が勇者自称してるだけかもしれないじゃない」
連翹が首を傾げた。
確かに転移者は強く、それと戦えるのもまた転移者という理屈は分かる。
だが、それをカルナが言うのは不自然だ。だって、彼はニールと同じく現地人でありながら転移者と戦うことを決めた者なのだから。『転移者か強い現地人か、どちらだろう』と考え込むことはあっても、こんな風に転移者に違いない、と話すはずがない。
「連翹、勇者リディアの話を思い出せよ。お前の世界じゃ勇者は強いって常識があるらしいが、こっちじゃ勇者は強者って意味じゃねえんだ」
リディアとはあくまで勇気を以って踏み出し、才気ある者を巻き込んだ女性だ。天才でも無ければ無双の英雄でもない。彼女自身の才能はあくまでそこそこであったと言われている。
それでも彼女が世界を救えたのは、偏屈だった当時の天才たちと友情を結び、その力を束ねたからだ。
彼女自身の評価から勇気と功績を除いてしまえば、『少しばかり口の上手い田舎娘』で終わってしまう。
「何代か前の騎士団長が勇者を自称したらしいけど、それだって武勇の話じゃなく、才能ある騎士を纏める自分のカリスマを誇るための言葉だったみたいだしね。僕たちは基本、武勇を誇るために勇者って言葉を使わないんだ」
「そっか。こっちは何作も続いてる有名なRPG――ああいや、物語の初代主人公は一人で魔王に立ち向かって打倒してるからね。勇者は強くて正しいってイメージがあるし、だからこそ逆にする話も流行ったワケだから」
「そういやお前、前に勇者と魔王も踏み台だとか云々言ってたな」
「そうそう。あたしたちにとって勇者と魔王って分かりやすい強者なのよ。だからこそ、それよりも強い、イコール主人公は強くて格好良いって物語が流行ったりするわけ」
強いドラゴンを倒す戦士は強くて格好良い! って思うのと一緒よ――そう言う連翹になるほどと思う。確かに子供の頃、いいや今でも、そういった話を読むと心が踊る。
「でも、だからこそ転移者で勇者って自称するのは違和感あるのよね。異世界チートを知ってる人ばかりを集めてる以上、勇者を踏み台にして俺ツエー! みたいなのにも慣れ親しんでるはずだし。何か別の意味で勇者って言葉を使ってるのかしら?」
「さあ……さすがに自分もそこまで詳しくなくて」
「いや、十分だよ。引き止めて悪かったね」
いえいえ、と頭を下げて去っていく彼らを見送った後、ノーラは手元のシチューを軽く啜った後に口を開いた。
「もし、その人がちゃんと他人のことを考えて戦ってくれているのなら、仲良くなってみたいですね」
「そうだな」
他人に与えられた力だろうが、何の努力もせず偶然手に入れた得た力だろうが、それを正しく使っているのならとやかく言う必要はない。
無論、そんな人物が隣に居て、自分よりもずっと剣が上手かったら嫉妬の一つや二つはするかもしれないが――しかし、その感情を相手にぶつけるのは剣士として恥ずべきことだとニールは思う。
だが、それは相手が正しかったらの話だ。
「問題は、そいつが自己顕示欲を満たすためだけに勇者をやっていた場合。そして、分かりやすい悪党が居なくなった後、どこに刃を向けるかってことだね」
強いと思われたい、凄いと思われたい――転移者は多かれ少なかれ、そういった欲望を持っている。
悪党退治は、それらを満たすための行動としては分かりやすい。敵を倒せば力を示せるし、危機から救った現地人からは感謝と凄い人だという感情を向けられる。
無論、それだけなら構わない。むしろ、Win-Winの関係であり、健全な交流と言えるだろう。
だが、もし自己顕示欲の塊めいた人物だった場合。
新たに現れた騎士という正義の集団を認められるのか?
邪魔者として排斥しようとするのではないか?
そして、レゾン・デイトルを打倒するという目的を嫌がるのではないか?
分かりやすい悪党をそのままにしておいた方が、自分の欲望を満たしやすいと思うのではないか?
そんな風に思ってしまうのだ。
転移者にも真っ当な人間が居ることは理解している。友人になれる者も多く居ると思う。
だが、それでも――会話もしていない転移者を無邪気に信頼出来るほど、心を許してもいない。許せないのだ。
「カルナさんもニールさんも、そこまで構えなくてもいいんじゃないですか? 二人が言った西部の話と同じです。会ってからどうすべきかちゃんと見極めればいいんですよ」
「警戒はするべきだが、下手に気負いすぎんなよ――キリッ、ってね! ぷーくすくす! 自分で言っといて自分でやらかしてやんのー! お二人さんっ、頭に刺さったブーメラン一つくーださいなぁぁぁあああああ痛い痛い痛い!」
テメェの耳をエルフ耳にしてやろうか、という勢いで耳を引っ張ってやる。慈悲はない。
「何すんのよぉ! 今回そんな間違ってこと言ってないでしょあたしぃ!」
「まあな。けど、それはそれとしてムカついた」
そう、間違ったことは言われていない。
警戒しつつもちゃんと相手を見極めて、戦うべきか否かを決める。
相手が転移者だからと言って無闇に剣を向けても構わないというのは、相手が現地人だから好きに扱っても構わないと思っている転移者と大差はない。どちらも、相手を見ていないのだから。




