127/朝の乱痴気騒ぎ
「あたし、カルナってがっつき過ぎだと思うの」
眠いのを我慢してニールと一緒に鍛錬をし、その後に皆で朝食を食べている最中。
連翹はそんな事を口走った。
「……ええっと、そ、そうかな?」
カルナは僅かに視線を逸し、気まずそうな表情を浮かべていた。
発端は昨夜のこと。カルナがノーラを外に連れ出し、告白したあの時について。
カルナとノーラが二人で一緒にオルシジームギルドに戻ってきたものの、未だ少し照れと緊張が混じっているようなので、仕方なく二人がどうなったのかを聞くのを後回しにしていたのだ。
無論、上手く行ったことくらい見れば分かった。連翹は鈍感ガールではない、少なくとも自分ではそう思っているのだから。
それでも過程を聞いたのは、好奇心というか、今後の参考というか、野次馬根性というか――まあ要するに気になったからなのだけれど。
「ええ、告白からノータイムでキス要求しといてがっついてないとか言えないと思うの。そりゃ、物語なんかじゃ告白して結ばれてノータイムでベッドシーンに移行したりするけど」
さすがに前のめり過ぎる。
いや、この場合前かがみ過ぎるというべきだろうか、男性の欲求的に考えて。
「いや、僕だって色々学んでいるよんだよ? 反面教師が居たから」
「おい、サラッと俺に矢尻向けるんじゃねえよ」
スクランブルエッグにかけるのを胡椒にすべきかマヨネーズにすべきかと悩んでいたニールが文句を言うが、知ったことではない。
「反面教師は確かに役立つかもしれないけど、汚い忍者と交わってれば汚くなるの確定的に明らか、って名台詞もあるのよ」
「待って! ねえ待って! 後者の方はなんか変なモノが混ざってると僕は思うなぁ!」
「そんなことはどうでもいいの、重要なことじゃないわ。……まあともかく、あんま下手なことしてノーラに嫌われないようにね」
「レンちゃん、別にわたしはあまり気にしてないから……」
隣で朝食を食べていたノーラが困ったような、しかしどことなく楽しそうな笑みを浮かべる。
(……まあ、大丈夫だとは思うんだけどねー。ノーラはカルナの駄目な部分もあってこそ好きなんだろうし)
仮にカルナがもっと完璧超人だったら、ノーラは今のような関係を維持出来ていただろうか? 連翹は否、と思う。
ノーラは前向きで上昇志向の強い女の子だ。誰かに守られるのが嫌だというワケではないのだろうけど、それだけではダメだという意識がある。
だからこそ、転移者と神官が接触した状態で使う起こる現象で倒れた時も、恐れを抱きつつも利用することを考えたのだろうと思う。これを上手く使えば、何も出来ないままの自分ではなくなる、と。
そのため、カルナがあんまりにも完璧過ぎたら、恋心よりも申し訳なさで縮こまっていたことだろう。頼りになるけど、適度に隙のあるカルナだからこそ距離が縮まったのだ。
「まあ――そういう知識が足りていないのは自覚しているよ。もちろん、自覚してるだけじゃ駄目なんだけどね」
だから、と。
カルナがノーラに視線を向け、気恥ずかしそうに微笑んだ。
「だから、駄目なことがあったら教えて欲しいな。もちろん僕なりに考えて行動はするけど、自分の目だけじゃ近くのモノは中々見えないから」
だって、人間はどうあっても同じモノを見ることは出来ないから。
同じモノを見ても、経験が、感情が、積み重ねた色々なモノが受け取り方を変えてしまう。どれだけ当人が素晴らしいと思っても、他人とその想いを共有できるかは別問題だ。
だからこそ、ちゃんと言葉を交わして知らなくてはならない。
彼はどんなモノが好きで、どんなモノが嫌いなのか。
彼女はどんなモノを見て喜び、どんなモノを見て悲しむのか。
そうやって互いのことを知り、理解できることがあることを、理解できないことがあることを知ること。
それがきっと恋人同士にとって――いいや、きっと人間同士の関係において重要なのだろう。
「――ええ、分かりました。もちろん、カルナさんもですよ?」
「言われるまでもないさ」
そう言って互いに微笑み合う二人。
それを視界に収めていた連翹は、ぐいっとコーヒーを飲み干した。
「ぷはぁっ! 甘酸っぱいわねニール。コーヒーブラックで飲みましょうブラックで、口の中が砂糖でジャリジャリして困るの! あたしは通りすがりの古代からいる転移者なんだけど、このままじゃ砂糖になっちゃうわー!」
「無駄に楽しそうだなお前。つーか仲が良いのは悪いことじゃねえだろ……っと、おらよ」
「ありがと。うーんブラックの苦味と恋愛空間での砂糖味が程よく溶け――ないわね!? やっぱりリアルのブラックと精神の砂糖は混ざり合わないのね!? 初いカップル砂糖空間だけが残るんだけど!」
「レンさん、君、助言したいのかからかいたいのかどっちなんかなぁ!?」
「両方に決まってるじゃない、馬鹿なの? ……待って待ってごめんごめんごめん! 悪かったからあたしのコーヒーカップにゆで卵とかに使う塩を入れるのやめ、あ、あああああああああ! やめてって言ったのにぃぃいいい!」
笑顔でばっさばっさとコーヒーの中に塩を注ぐカルナと、半泣きで悲鳴を上げる連翹。そんな姿を見つめていたノーラは、コーヒーのポットを手元に引き寄せ、にこりと笑みを浮かべた。
「あ、レンちゃん。ちゃんと飲んでからでないと次のコーヒー注ぎませんからね?」
「うううう、ノーラが冷たいぃ……んくっ……コーヒはしょっぱひぃぃぃ!」
「スクランブルエッグと一緒に飲み食いすれば直飲みよりは消費出来るんじゃねえの? ……つうかノーラ、お前も容赦ねえな」
「……さすがに大きな声で茶化されたら、わたしも恥ずかしいですからね」
拗ねた顔で視線を逸らすノーラを見つめつつ、確かに調子に乗りすぎたなぁと黙々とコーヒーを処理する。しょっぱくて涙が出てきた。
「さて、この馬鹿女はいいとして、お前らは今日どうするんだ?」
「わたしはいいとしてって何よ、あたしにも素敵に華麗な予定があるかもしれないじゃない」
「塩コーヒー涙目で啜ってる身でどこが素敵で何が華麗だ。つーか、襲撃後に転移者が一人でぶらつくのは駄目だ、とか言ってたのはお前じゃねえか」
華麗に引きこもる予定でもあったのか? と小馬鹿にしてくるニールに二の句を告げられない。
「わたしはミリアムちゃんと一緒に装備を仕立てに行く予定です。あの――転移者から力を吸い取って奇跡を増幅させる、あの力。それを制御するための装備を」
そうして、ノーラはミリアムから聞いたこと、そして霊樹の前で祈りを捧げ認められたことを告げた。
それを聞いて、連翹は驚くとか感心する以前に、すごくホッとした。
だって、偶発的にその力を使ってしまったノーラえお見ているから。浴場で意識を失っている、真っ青な顔のノーラを。
それを思い出すともう二度と使わないで欲しいと願う反面、絶対に無理だろうなと思う。
それはノーラだから。大人しそうな見た目な癖に、必要だと思ったらフルアクセルどころかニトロすら使い出してしまう。
だから、何よりも先に抱いた感情は安堵。どうせ必要になれば止めても使うのだろうから、せめて安全に使えるようになって欲しいと思うのだ。
「――……確かにあれは強力だからね、安全に使えるのなら良いかな」
しばし何か言いたげな顔で黙っていたカルナだが、諦めたらしく小さく頷いた。
危険なことは止めて欲しい、と思ったのだろうか。先程ノーラが語った神官の霊樹の木を挟むという話も、危険を丸ごと取り除く類の話ではない。
言わば、リミッターとかその類のモノだ。自身で制御できない過剰な力を外付けの道具で誤魔化すということなのだ。
なるほど、確かに強力なのだろう。だが、それは本当に安全なのか? 転移者という理解の埒外に存在する者から吸収した力を操るのは、本当に安全なのか?
――そんな想いを、カルナは飲み込んだのだと思う。
転移者の力を吸収する危険性など、どう考えたって答えが出ない。
そして何より――止めてもノーラはそれを使うだろうということ、そしてカルナ自身、転移者の襲撃時にその力に助けられたこと。
止まらないし、その力で生き残った身で使うななどということは言えない。
「いいんじゃねえの? ノーラ自身が決めたことだ、俺らがどうのこうの言えることじゃねえだろ。つーか、この程度で止めてたら、俺は何度他人に止められなきゃならねえんだって話だ」
ニールは良くも悪くも自分の意思で決めたならそれで良し、というスタンスだ。
傍から聞けばドライとすら受け取られかねない言葉ではあるものの、それはきっと信頼しているがゆえだろう。
考えの足りない子供が危ないことをやるのなら止めるが、ちゃんと考えた結果危ない橋を渡るのであれば止める理由もない――というかニール自身が後者だから、むしろ歓迎している節がある。
「――っていうか、毎度毎度『転移者から力を云々』って面倒じゃない? 何か名前つけましょうよ名前!」
しょっぱいコーヒーをゆっくりと消費しつつ提案する。
今まで誰も使ったことのない技術だから固有名詞が存在せず、説明の度に吸収云々と言わなくてはならないのは非常に面倒だ。
それに――こういう一発逆転の必殺技には名前が必須だろうと連翹は思う。
「あたしは吸魂閃光破――とかいいんじゃないかと思うんだけど。吸魂閃光破って書いてデータ・ドレインって読むの!」
「……ごめんなさいレンちゃん、それを固有名詞として使うことにすっごく抵抗があるの」
とても微妙な顔で断られた、解せぬ。
そんなやり取りを見て、ニールが呆れたようにため息を吐いた。
「……つーかお前含め転移者どもってそういう感じに 文字と読み仮名が別物って奴が好きだよな」
「当然よ、能力モノでも異世界モノでも、必殺とか奥義とかはこういうモノでしょ?」
一方通行と書いてアクセラレータとか、約束された勝利の剣と書いてエクスカリバーとか、そういうのは鉄板だと思うのだ。
だが、その手のネーミングなどをノーラは共感してくれなくて少し寂しい。こういうのは皆で盛り上がるから楽しいと思うのに。
「レンさんさあ……」
全く、と言いたげなカルナが口を開き――
「吸魂閃光破じゃあ地味だし、悪いイメージが強いんじゃないかな?」
「……え?」
ツッコミどころはそこじゃないと思うんですけど……? というノーラの思考とは裏腹に、心なしか楽しげなカルナが言葉を連ねていく。
「女神の御手と書いて女神の御手なんてどうかな?」
「なるほど――吸魂とかだとノーラが魂奪っちゃうみたいだしね、味方の技は痛恨撃とかじゃなくて会心撃に改名するべきなのと同じよね」
「最後のはよく分からないけど、その通りだよ」
カルナの言葉に連翹は深く反省した。
字面ばかり追って使い手のことを考えないなど、手落ちもいいところだ。
確かに能力名の格好良さは重要だ。しかし、使い手あってこその能力名ではないか――!
「ごめんなさい二人とも、わたしは最初から最後までよく分からないんですけど……」
おずおず、と手を挙げて主張するノーラを無意識にスルーして、カルナは口を開く。
「それにね、僕はあの力を吸収とか強奪とか、そういう類のモノじゃないと思ってるんだ」
「は、はい?」
「あれは『最適化』なんだよ。本来持つべきではない力を持った者を、神官という存在が『最適化』するんだ」
「規格外を最適化する――つまり神官のあれは、『神の力を以て最適化する権能』ということね。だったら――」
「あのー、二人とも……?」
――三十分後。
満足そうな顔をしたカルナが、だんっ、とテーブルを叩いた。
「それは大いなる力を最適化し、仮初の土台を打ち砕く女神の御業! これこそが神に許された権能――最適化せよ、女神の御手! ……決まった! これだねレンさん!」
「けれど、その仮初の土台を救いの力と歓迎する者も居た――それこそが転移者、世界の理から外れた理不尽にして規格外な存在――くふぅー! 乗ってきたわ! ねえねえノーラ、ちょっとさっきのカルナの口上やってみて! 凄く格好良くて脳汁出まくると思うの!」
「いっ、いやですよ恥ずかしい! レンちゃんもカルナさんも、自分が言わないと思って好き勝手にネーミングつけてぇ!」
「え、僕の場合は普段と詠唱と大して変わらないんだけど」
「自分が出来ないことを他人にやれ、なんて言わないわよ。……ねえカルナ、さすがに頻繁に使うならその口上は長すぎるから、簡略化バージョンも考えましょ。わたしは『その理不尽を最適化する! 女神の御手!』とかいいと思うの」
「考えなくていいです! 考えなくていいですからぁ! に、ニールさん! 黙ってないで助けてくださいよぉ!」
「あっ、馬鹿っ、せっかく空気に徹してたってのに巻き込むなよ! 俺だってついて行けねえよあのノリ!」
――朝の喧騒の中でも一際大きな騒ぎを起こす四人。
それを見つめるエルフが一人。ショートカットのブロンド髪の少女、ミリアムだ。
「……ノーラを迎えに来たのは良いのだけど」
ちらり、と。
食堂の一角。目立ちまくっている四人の方に視線を向ける。
「つーかなんで口上ゴテゴテと増やしていくんだよカルナと馬鹿女! 戦闘に使うもんだろうが、もっと短く纏めろ!」
「ああああっ! 言ったわね、言ったわねぇ! だったらなんか案出してみなさいよニール! 否定ばっかりは無能のやることよ! やーい、ばーかばーか!」
「なんだとテメェ――!? 待ってろ、今考えっからよ……!」
「考えなくていいんです! 考えなくていいんですってばぁ!」
「というか何が不満なんだいノーラさん? 凄く格好良い響きだと思うんだけど」
「そもそも女神の御手って時点でアウトですよぉ! わたし田舎の村娘で見習い神官なんですよ!? どんな顔で女神ってついた名前の技を使えって言うんですかぁ!」
「いや、ノーラさんが女神みたいに綺麗なのは周知の事実だと思うけど」
さらり、と。
何を当たり前のことを聞き返してるんだと言いたげなカルナに、ノーラの体はぎちりと固まった。
「え――ちょ、待っ、カルナさ――――」
「じゃりじゃりしてきた! 口の中に広がる甘い空気! もうこれは塩コーヒーで中和するしかないわね……やっぱりしょっぱいんだけどこれぇ!」
「つーかカルナ、お前ずいぶんと開き直りやがったな」
「こういうのは恥ずかしがるから恥ずかしいんじゃないかな、って思ってね。堂々と宣言したら、なんかやりきった感があって気持ちいいよ」
「わたしが恥ずかしいから止めてくださいよぉ! そういうのはもっと人が居ない場所でしてください!」
「まぁ、聞きましたかニール奥様? ノーラってば、逆説的に人が居ない場所なら言って欲しいって言ってましてのことよ! 甘々カップルってやつね!」
「お前も懲りねえな、さっきコーヒーに塩ぶちこまれたばかりじゃねえか」
「だって楽しいんだもの! 人の色恋を弄るのがこんなに楽しいいい痛い痛い痛いっ! ごめんノーラごめん、調子乗りすぎたってばあああああああ!」
収まるどころかヒートアップして行く四人を見つめながら、ミリアムは遠い目で呟いた。
「――どうしよう。あの騒ぎに乱入したくないなぁ……」
若者用の酒場を経営し、馬鹿の相手は慣れたと思ったのだけれど。
エルフと人間、やはり感情の爆発力が違う気がする――真っ赤な顔で連翹に掴みかかるノーラを見つめながら、ミリアムは遠い目をするのであった。




