126/王冠と雑音
豪奢な馬車が街道を走る。
夜だというのに、休むこと無く、ただひたすら西へ西へ。
それを囲うように、多くの影があった。中央の馬車を守るように配置された馬車と、それらの馬車と並走する黒髪の人間が存在していた。
それは護衛。
それは肉壁。
それは親衛隊。
王冠に謳う鎮魂歌を名乗る転移者に従う者たちであった。
現地人、転移者、男女――それらの区別なく、しかし誰もが実力者である。
「この世界は我が暮らすに値しないレベルだ」
数多くの人間に守られた豪奢な馬車の中、純白の軍服を纏った男は傍らにエルフの少女を傅かせ、静かにワインを傾けた。
人間、エルフ、ドワーフ、そして転移者の知識を使い作り出した馬車。そしてそれを操る、腕の良い現地人の御者による快適な運転。その二つが車内の揺れを最低限まで軽減し、快適な乗り心地を乗客に与えていた。
馬車など、骨董品か土人の足程度でしかないと思っていたが、金と人材さえ注ぎ込めば多少はマシになる。
だが、しょせんは多少だ。
舗装された道路を進む高級車の乗り心地に比べれば劣悪極まりなく、王冠にとっては「他に乗り物が無いのであれば、我慢してやってもいい」程度のモノである。
「住居も街並みも、科学の力で築き上げられた現代日本の住み心地に比べれば劣悪極まりない。だが、食事だけは中々楽しませてくれる」
香辛料も潤沢であり、氷の魔法によって冷蔵技術が発達しているから、という面も大きいのだろう。
また、簡単な料理のレシピなどは、先達の転移者がこの世界にばら撒いたのだろうか、大陸に広く伝わっている。そのためか、料理の水準は中々に高い。
この世界に転移することを選択する直前に懸念した生活レベルの低下、それも我慢出来る範囲に収まっていると言えよう。
(――少なくとも)
あのままあそこに留まるよりは、現状の生活の方がマシだろう。
満たされてはいた、自信もあった、あのまま日本に留まっていても十分に成功を収められたはずだ。
けれど、あそこに留まっていては決して逃れられぬ過去があった。成功すればするほどに暴かれ、晒され、いずれは塵芥に等しい愚民に笑い者にされる。
(作家になろう――多数の書籍化作品の発祥の場。試しに覗いた時は落ちこぼれ共の妄想だと嗤ったモノだが――)
別の世界へ行くということに、誰も自分を知らない世界に行くことに憧れを抱いてしまった。
それは弱さだ。現実から逃避する弱者の空想だ。
だが、弱さとはそう簡単に克服することが出来ぬゆえに弱さという。
(だが、この世界に来たことにより、我の弱さは消え失せた)
後は、ただ一つ。
王冠に謳う鎮魂歌の許可なく王を名乗る不届き者。
人間の、エルフの、ドワーフの――そして、レゾン・デイトルの王。
それらを蹂躙し、引きずり下ろし、玉座で鎮魂歌を歌ってやろう。支配者は自分一人で良いのだから。
「王冠様、どうかなされましたか?」
「……いや、なんでもないさ」
傍らで控えるエルフの少女に視線を向け、柔らかく微笑む。
慈しむように、愛するように、けれど内心では質のよい工芸品を観察するように淡々と。
その眼差しに、エルフの少女は頬を僅かに赤らめた。
彼女は先日のオルシジーム襲撃時に連れ去ったエルフだ。本来ならば、このような想い人を前にした生娘めいた対応をするはずもない。
だが、感情のコントロールなどたやすいモノだ。商売人や政治家などの相手の裏を読むことに長けた者ならまだしも、男と付き合ったこともない年若い娘の心を掴むことなど造作もない。
「ええっと……王冠様、そろそろ到着するようです」
少女がおずおずと告げる。
馬車の外に視線を向けると寂れた農村が見えた。
特徴もなく、特産もない田舎。旅人を歓迎するものの、出すモノと言えば良くも悪くも家庭的な料理だけ。
王冠にとっては素人臭く、土臭い、何一つ価値もない村だが――利点はある。
街道に繋がった村でありつつ適度に寂れ、かつ村人も閉鎖的ではないため争うことなく滞在し、密談出来る。
「そうか――教えてくれてありがとう、助かるよ」
「いえ、そんな、わたしは――」
「叶うなら、普通の街角で君と出会いたかった。いや、或いはこれこそが運命だったのかもしれないな。繋がるはずのなかった縁が、あの野蛮な襲撃で繋がることとなった――不謹慎ではあるし、連れ去られた君は怒りを覚えるだろう。だが、それでも我は嬉しく思う。君と出会えて」
少女の手の甲に口づけをし、馬車を降りる。
馬車の外には数人の老人たちが王冠を出迎えてくれた。柔らかい笑みを浮かべた彼らは、小さく頭を下げた。
「いらっしゃい。二、三週間ぶりですかな、王冠殿」
「ああ……夜分にすまないな、迷惑をかける」
「いえいえ、お気になさらないでください。何度もこの村に来てくださり、私たちも感謝しているのです」
「感謝するのは我の方だ。傲慢に聞こえるかもしれないが、人と人の繋がりが明確な温かみのある生活に憧れがあってな――つい訪ねたくなってしまうのだ」
心にもないことを言って村長に微笑みかける。それを信じ、長老もまた優しい笑みを返した。
多くの村人は王冠が本当にこの村を気に入って訪れていると思っていることだろう。多少賢しく、裏を想像する者が居たとしても、宿泊し金を落とす上客を悪く言うことはできない。
(仮にこの村に騎士や連合軍が来たとしても――村人は我の味方をするだろう)
他人との触れ合いを求める寂しがり屋な、しかし善良な貴族――そう思われるよう行動しているがゆえに。
多くの村人と会話し、心を通わせたがゆえに。
彼らはいざという時に、自分の味方をするだろう。貴方達に迷惑をかけることはできない、どうか彼らに自分を引き渡してくれ――そんな言葉を涙を滲ませて言う、それだけで。
ここの村人は善性の者が多い。騙し騙されるということに全く慣れていない。
だからこそコントロールは容易だ。村はある程度のプライバシーを尊重してくれるために密談するのに最適だし、村人たちは騎士団などの秩序の者たちの接近を知らせる鳴子となる。
(ああ、本当に扱いやすい――騙されやすい土人どもだ)
「ご友人はもう着いていますよ。いつもの屋敷ですでに寛いでいます」
「そうか、ありがとう」
「何かお持ちしましょうか? 時間が時間なので大したモノは用意できませんが」
「残念だが今回は遠慮しておこう。こんな時間に訪ねたのでさえ無作法だというのに、この上料理まで用意させられんよ」
ただ、明日の朝食を用意してもらえればそれで満足だ、と気遣う物言いをしながらも内心で舌打ちを一つ。
(料理人が作ったワケでもない田舎の老婆が作った食事など、口にする気にもならん)
新鮮な野菜、素朴な味付け、おふくろの味――食べた者はそういう印象と共に舌鼓を打つであろう料理であるが、王冠にとっては食べるに値しない代物だ。
それでもこの村に訪れた時に食しているのは、表向きの来訪の理由を補強するため。
貴族としての生活に疲れた一人の男が、田舎の農村の暮らしで心を癒やしている――その印象を違えないためだ。
レゾン・デイトルに戻ったら口直しをしなくてはなるまい。
そんなことを考えながら、王冠は目的の家屋へとたどり着いた。
木造の家屋が多いこの村の中で、そこは珍しく石造りの建造物であった。作りは古めかしいがこまめに清掃がなされているのか、汚らしい印象はない。
そこは長老が言った屋敷である。と言っても、せいぜい他の家屋に比べれば豪華な程度だ。来客が居ない場合は、祭りの時に村の成人男性が集まって酒を飲む場所らしい。
(つくづく、我に相応しくない)
転移前に住んでいたタワーマンションの情景を思い浮かべると、このみすぼらしい住居など耐えられるはずもない。
だが、我慢しなくてはなるまい。レゾン・デイトルの王、無二の剣王が持つ無二の規格外の秘密を暴くまで――味方は多い方が良いのだから。
そのためなら多少のリスクは背負わねばなるまい――そう思考しながら、屋敷の扉を開いた。
「やあ、いらっしゃい。……いや、お邪魔しているよ、とでも言えばいいのかな。ぼくは君ほどこの村を訪れていないから」
学ランにボロ布めいた黒い外套を羽織った少年、雑音語りが彼の言葉に応える。
椅子に腰掛けた彼の手には手帳が存在し、どうやら先程までそれを読み返していたらしい。
「久しいな雑音――今度はどの情報を仕入れた?」
「連合軍に居る転移者――彼女と親しい人間の情報をね。中々有意義だったよ、これでぼくの雑音は効果的に彼女の心を抉れる」
彼の手帳には多くの人間の弱点が書き記されており、それを用いて相手の心を惑わし、抉り、誘導する。
それが彼の――雑音語りの戦い方だ。
直接戦闘能力は幹部最下位であり、せいぜい一般転移者より強い程度。場合によっては、戦い慣れた転移者に敗北する可能性もあるだろう。
(だが、情報は強力な武器だ。それは地球でも、この世界でも変わらん)
その点で、王冠は雑音を評価していた。
規格外しか使えない者と違い戦い以外でも役立ち、雑魚を散らす程度の戦闘能力を持ち、仮に自分に反旗を翻しても物理的に叩き潰せる程度には弱い。
だが、彼が持つ情報と人脈が下手な攻撃を許さない。
敵ならば厄介極まりないが、幸いにして今のところ雑音は味方だ。腹の中で何を考えているかは知れないものの、少なくとも表面上は。
ならば、せいぜい使える手駒として利用してやろうではないか。利用価値が無くなるか、この王冠に反旗を翻すその時まで。
「配下から聞いたよ。血塗れの死神、死んだんだって?」
「ああ。惜しいことをした」
仲間が死んだこと――などでは断じてない。
そこそこ見た目が良く、虐められていた経験からそこらの生娘よりもなお容易く心に入り込めた、あの装飾品。
あの程度なら代わりはいくらでもあるが、だがどうせ壊れるなら自分の手で壊したかったと思うのだ。
「我の装飾品の分際で我の欲望を満たせぬとは、役立たずは転移して力を得ても役立たずということか」
「けど、死神には手を出しても狂声――崩落狂声には手を出さないんだね。顔立ちは死神よりも整っているのに」
「馬鹿を言うな、どれだけ容姿が整っていようが男嫌いを拗らせた死にたがりなど、口説く気にもならん」
ならば孤独を拗らせた死神の方が幾分マシだ。
「……むしろ、お前がなぜあのメンヘラ女と会話が出来ているのかと疑問に思うぞ」
「ははっ、彼女は別に男が嫌いなワケじゃないから。男が誰しも持っているモノを嫌ってはいるけれど。けど、それを抑え込んでいるアピールをすれば、多少は態度も軟化するよ」
人の良さそうな顔で笑う雑音だが、それが何であるのかを語ることはない。
彼は語りたいことしか語らないし、答えたいことしか答えない。深く追求しようとしても、雑音めいた言葉の羅列で煙に巻かれてしまうのだ。
だが、構うまい。王冠が是が非でも欲しい情報というワケでもないし、何よりここで力に訴えて情報を引き出したら、最悪他の幹部全てが敵に回る。
雑音は他の幹部と仲が良い――いや、王冠の内心と同様に使える駒と思われているのだ。
多くの者が些事と切り捨てる情報収集を率先して行い、幹部が必要な情報を知ったら必ず届けに来る。
そんな者が他者に攻撃されたら、王冠は貴重な情報源を死守するため、雑音を守ることだろう。そして、ついでとばかりに雑音を攻撃した幹部を他の幹部と手を組んで潰す。幹部が一人減れば、その分だけレゾン・デイトルで得られる利益が多くなるからだ。
だからこそ、この男を考えなしに仇なす事はできない。
「……安心して欲しいな。ぼくは転移者同士の争いを望んでいないんだ」
「ハッ――どの口で言っている」
「本心からの言葉なんだけどね。僕が他の幹部よりも弱いのは事実で、バトルロイヤルみたいな状況になれば真っ先に潰されるのはぼくだから。……まあ、だからこそ小賢しく立ち回っているワケなんだけれど」
その言葉自体に嘘は見受けられない。
少なくとも、雑音は本心で転移者同士の争いを望んでいないのだろう。
だからこそ、彼は全ての幹部と有効的な関係を結ぼうと腐心しているのだ。
「……まあいい、本題に移ろう。オルシジームで奪った物と者だ、目を通しておけ」
その小賢しさでこちらを害するのであれば、排除するのみ。役立つからこその評価しているのであって、役立たずになればただの鬱陶しいコウモリでしかないのだから。
内心の思考を打ち切って、雑音に資料を手渡す。オルシジームで強奪した物品、人員が記されたモノだ。
「ありがたく――やっぱ若いエルフが多いねぇ。商品として扱うのもいいし、現地人の助平貴族を籠絡する材料にも使える」
「やはりエルフは人気だな、長命でいつまでも若いというのが強みか」
「ドワーフも人気はあるんだけどね、見た目ロリっぽくて胸も大きいし」
「粗雑に扱っても壊れないのは強みだが、やはり寿命の短さがネックだな。長期的に使うことを考えるとコストパフォーマンスが悪いと思われてしまう」
「リョナ趣味の転移者も、頑丈すぎてつまらないとか言い出すからね。壊れるか壊れないかのラインを責めるのが良いらしいよ――そんな加減、出来もしない癖にね」
それでも人間より売れるんだけどね、と雑音は資料に目を通しつつ言う。
それは商売の話であり、商売道具の話である。
転移者はとある共通点から、奴隷に対して憧れを抱く者が多い。特にエルフやドワーフといった人間と容姿が近く、けれども人間ではない種族の奴隷に対して。
本来なら獣人が最良なのだが、あれはこの大陸ではとうの昔に絶滅している。この大陸を制圧した暁には海洋冒険者などを支援し新大陸で獣人奴隷を探し仕入れるのも悪くないと思うが、それもまだ先の話だ。
「――さて、それでだが」
奴隷の値段について話し合って、しばらく。
王冠は話の筋を切り替えた。
「奴らはどうする? あのままレゾン・デイトルに迎え入れるか?」
連合軍――人間とドワーフ、そしてエルフを加えた集団。
警戒するほどの相手ではないと思うのも確かだ。けれど、木っ端の転移者が想定以上の削られたこと、幹部を討ち取られたこと――想定外のことがあったのも、また事実。
負ける気も道理もないが、ある程度は相手の戦力を削っておくに越したことはないはずだ。
王冠の言葉に、雑音は「ああ、それか」と頷いた。
「通り道には狂乱の剛力殺撃が居るはずだろう? あれとぶつかって貰おうと思ってる」
「――正気か?」
「もちろん。あの無限で狂乱な勇者馬鹿は、確かに彼はぼくらと相容れない部分はあるけど――根本は他の転移者と同じさ」
それに、と。
雑音が笑みを浮かべた。
嗜虐的な、嘲笑するような笑みを。
「彼の刻限は近い――ここで断ると破滅なのは、狂乱自身分かっていることだから」
「なるほどな、それならばどちらに転んでもこちらに害は無い、か」
レゾン・デイトル建国前に幹部同士で顔合わせしたからこそ分かる、あの男はどちらかと言えば秩序側だ。
女を玩具にする王冠や、返り血に酔いしれる死神に対し、真っ当な怒りを向けていた。
下手を打てば連合軍に寝返りかねな――が、雑音の言うことが事実であれば、寝返ったところで何も問題はない。
「だが、他人事ではないな。雑音、王から何か情報を引き出せたか?」
「残念ながら、何も。自分の力に秘密なんてない、って嘯いてる」
「あの男、ぬけぬけと」
無二の規格外――刻限を越えても振るうことが出来る力。
それを使って幹部たちを倒した癖に、厚顔にも程がある。
「――まあ、いい。もしも奴の好みの女が分かったら教えろ、手持ちの装飾品から見繕ってハニートラップを仕掛ける」
「うん、ぼくは女を口説くのは苦手だから――頼りにしているよ、偉大なる王冠に謳う鎮魂歌」
「貴様が我に助力する限り、我もまた貴様を助力しよう――小賢しい雑音語り」
名前を呼び合いながら、互いに微笑む。
その情景は親友同士が語り合っているようにも見え、特殊な性癖の者が見れば恋人同士にも見える程に仲が良さそうに見える。
けれど、王冠の思考は全く別のモノだ。そして恐らく、雑音も。
――せいぜい我の役に立て、引き立て役。
互いに相手を自分を引き立てる道具と認識しながら、二人は笑うのだ。
相手の有用性が消える、その日まで。




