124/色恋と告白と
――少し、外を歩かないかい?
カルナの言葉に頷いて、ノーラは今、夜のオルシジームの大通りを歩いている。カルナの背中を追い、いつもより少しだけ早足で。
太陽の落ちた冬の街並みは、厚着していても肌寒い。けれど、今のノーラはなぜだかそれを感じなかった。
お酒が体を温めているのだろうか。
それとも、ゆっくり歩いているというのに鼓動が煩い心臓が全身を温めているからか。
いつもと違う感覚。
しかしそれは、きっとカルナも同じなのだろうな、とノーラは思っていた。
だって、普段よりも歩く速度がずっと早い。
コンパスの長さの違いから彼の方が歩くのが早くなるのは道理ではあるが、普段はノーラや連翹を気遣い速度を緩めているのに。
カルナは、先程から無言のまま、こちらに背を向けて歩き続けている。
自分で誘っておいてだんまり? そういう気持ちが、ないワケではない。
けれど、普段と違う立ち居振る舞いが彼の緊張をノーラに伝えて来る。
恐らくだけれど、言うべき言葉が吹っ飛んだのだろう。バラバラのパズルのようになったそれをかき集め、はめ込み、しかしいくつかのピースが紛失して絵が完成しない。
「――僕は」
なんと言ったものか、と。
そんな風にくしゃり、と髪の毛を掻いた。
「僕は、自分勝手な人間だ」
それは、きっと最初に用意していた言葉ではなかったのだろう。
こういった場で告げる言葉としては出だしが悪く、ロマンティックさの欠片もない。
けど、だからこそ思う。きっとカルナは、完成しない脳内のピースを放り投げ捨てながら口を開いたのだと。思うまま、心のまま、己の心の向くままに。
「結局のところ、話したい人としか話したくないし、やりたいことしかやりたくないんだ。他人なんて、基本どうでもいい。初対面で愛想を良くするのも、どうでもいい奴に嫌われて口論になる時間が惜しいからさ」
上辺を取り繕っても自分が一番大事なのは昔から変わってない――そう、小さく呟く。
「ニールなんかはよく僕をぼっちとか言って茶化すけどさ――時々、そのぼっちのままだった方が、ずっとずっと楽だったんじゃないか、って思うことがあるよ。色んな人と会うと楽しいこともあるけど、面倒事も増えていく。体に贅肉がついて動きが鈍っていくみたいだ」
人付き合いなんて体に重りを載せていく作業に他ならない。
交流が増えれば増えるほど見知らぬ誰かとの関わりが増えて、嫌なこと、やりたくないことが増えていく。
正直、全部捨てたら体が軽くなるのではないか、と何度となく思ったよ――カルナは自嘲するように笑う。
(……全く分からない、ワケではないですね)
カルナの言葉は独りよがりに聞こえるが、しかし一つの真理でもある。
別の人格を有する誰かと関わる以上、常に自分の楽しいことだけが起こるなんてことはありえない。悪意の有無ですらなく、思考の違い、好みの差が個人個人の間で摩擦を起こして僅かな痛みを与えるのだ。
それは親しい友人ですらも。
ノーラにとって一番顕著なのはニールであろう。前衛の剣士として勇敢で、自身のために、友人のためにためらわず命を賭けられる彼。それは多かれ少なかれ前衛の戦士に必要な資質なのだろうし、女王都でアレックスと戦った時のような無駄な無茶をしなければノーラもとやかく言おうとは思わない。
だが、どうしても『なんでそんなに無茶が出来るんだろう』と、『簡単に命を賭けて、失敗した時に周りの人がどれだけ悲しむのか分かっているのだろうか』と考えてしまうのだ。
「けど、その重みは悪いものじゃないと思うんだ。前衛の戦士が鎧の重さを邪魔だと思っても、決して不必要だと思わないのと同じようにね」
実際、それが無ければ出会えなかった人も多いから、とカルナは少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「一人は身軽で楽なのは確かだけど、それじゃあ見えない景色が、辿り着けない場所が、知り得ない誰かが居る。それはきっと、楽なだけで、喜びが薄い生き方だと思うんだ」
だから、というか。
小さく言いよどむように呟いた後、言葉を繋いだ。
「ノーラさん。僕は、君のことが好きだよ。叶うなら、僕に心地よい重さを与え続けて欲しい」
そう言ってカルナはすっ、と手を差し出した。
もし良いのならこの手を取って欲しいという願いが込められているのだろう。
それを理解し、ノーラは――
「嫌ですよ。何言ってるんですかカルナさん」
――淡々とそう言った。
ズシャア! と。目の前のカルナは、手を伸ばしたまま膝から地面に崩れ落ちる。
「――い、いや――まあ、そう、だね。少し、自意識過剰、だったかもね、僕、うん」
視線を逸らして震える彼の姿に小さくため息を吐きながら、ノーラは伸びたまま硬直している手をそっと握った。
「早とちりしないでくださいカルナさん。わたしが嫌なのは、カルナさんに与え続けるだけということですよ」
もっとも、早とちりさせるような言い方をしたのは確かだけれど。
だって、カルナは自分の本心と絡めて拙くも情熱的に告白したつもりだろうけれど――結局、彼は自分のことしか話していない。
自分がこういう人間で、好きな貴女にこうして欲しいというだけ。どういうところが好きなのかとか、相手をどう幸せにしたいのかとか、そういうのが丸っと抜け落ちている。
そういうところ、少しどうかと思ったし、むっとした。だから少し意地悪な言い方をしてしまったのだ。
ああ、でも。
真正面から気持ちを伝えられて、嬉しいのもまた事実なのだ。
「わたしも好きですよ、カルナさん。強くて熱心で優しくて、けど想像した以上に色々な隙がある貴方が」
蓄えた知識を語るカルナも、ニールたちとの会話で間の抜けた姿を晒すカルナも。
優秀な魔法使いとして活躍するカルナも、装備くらいしかまともに整頓できない片付けられないカルナも。
凛々しい顔立ちのカルナも、女性の胸元を見て表情をだらしなく緩めるカルナも。
良い部分、駄目な部分、それらを含めてカルナ・カンパニュラという男性が好きなのだ。
「好きな人に何かしたいと思うのは当然です、言われるまでもありません。だから――カルナさん、貴方もわたしに心地よい重みを与えてください」
だって、捧げるだけの、貢ぐだけの女なんて嫌。
そして、守られるだけの、脚を引っ張る女になるのだって嫌。
支えたいし支えられたい、守りたいし守られたい。どっちかなんてごめんだ。
「そっか――うん。ちょっと自分勝手だったかな」
「自分で言ったことじゃないですか。それに、今更そんなことで嫌ったりしませんよ」
ノーラが持ち込んだ古書を読み解く時、気になる部分があればノーラを放って読みふけったり。
ノーラが医術書の写本を持っていると聞くと目の色を変え、食後だっていうのに体を思い切り揺さぶったり。
自分の好きなこと、興味があること、それが目の前にあると他人なんて全く目に入らなくなってしまう。
特に体を揺さぶられた件は今でもどうかと思っている。あのものすごい勢いで食べたモノがせり上がってくる感覚とか、忘れたくてもあまり忘れられない。美味しいケーキを食べた後だったのだから、怒りだってひとしおだ。
「まあ、もちろん。だから何やっても良いんだ、なんて開き直られても困りますけどね」
「はは――そうだね。そう簡単に治ったりはしないと思うけど、気をつけようと思うよ」
苦笑しながら立ち上がったカルナは、握ったままの手を引きノーラを自身の胸元に寄せた。
見下ろすカルナと、見上げるノーラ。触れ合う胸から、微かに彼の鼓動が伝わってくる。恐らく、自分の鼓動も、彼に伝わっているのだろう。
「……ひ、人に、見られちゃうかもしれませんよ?」
経験こそないが、ノーラも無知ではない。恋愛モノの物語くらい読むし、友人同士の噂話を聞いたりもする。
だから、カルナが何をしようとしているのか、何を求めているのか――それが分からないほど初ではなかった。
「大丈夫だよ、夜の闇が隠してくれる」
掴む手はやさしく、ノーラが一歩後ろに下がれば自然とほどけてしまいそう。無理にする気はない、ということなのだろう。
正直に言えば、まだそこまで心の準備は出来ていない。嫌なワケではないが、心臓の鼓動が激しくて、少し離れて落ち着きたいというのが本音だ。
(でも――カルナさんは勇気を出して言葉にしてくれたのですから)
なら、今度はきっと自分の番。与えられたのだから、自分もまた勇気を持って与えよう。
そっと瞳を閉じ、体を委ねる。
夜闇の中、唇と唇が柔らかく触れ合った。
◇
ドワーフの神官にもたらされる奇跡は『暗視』である。
地中で暮らす彼らにとって闇とは常に隣にある障害物であり、それを取り除くことは生存範囲を広げることと同義である。
だが、しかし。
ドワーフの奇跡が暗視だからといって、神官でないドワーフが闇を見通せないワケではない。当然だ。灯りを点けているとはいえ地中は薄暗い。そんな中で長年暮らしている種族なのだ、目だって暗闇の中で十全に扱えるように進化する。
無論、それは僅かな光でも地中の街を散策出来る程度のモノであり、暗視を使った者のように完全な闇の中を何不自由なく見通せるモノではない。
だが、それでも。
星や月、そして微かな燐光を放つ花々、その程度の光さえあれば十分に瞳は機能する。
夜の闇の中で唇を重ね合う男女など、目を凝らさずともハッキリと。
工房サイカスのリーダー、デレク・サイカスは小さく息を吐いた。
「おれたちが会う前から仲良かったみたいだからな、なるべくしてなったってところか」
出歯亀をするつもりは無かったが、見えてしまうのは仕方ない。
カルナも普段ならドワーフの目を気にしたのだろうが、今現在は気にする余裕もないのだろう。
だが、オルシジームはエルフの国ではあるが、ドワーフだって多いのだ。それがスッポリと抜け落ちているのは如何なモノだろうか。
「ま、ああなっちまったモンは仕方ねえ。あー……元気だせよ、アトラ」
隣で俯く妹にどういう言葉をかけて良いのか分からない。
デレクがまだ若いドワーフだからというのもあるが、鍛冶の修行にかかりきりで女との繋がりが薄いのだ。こういう場合の上手い慰め方など想像もつかない。
「……嬉しそう、だね。カンパニュラ、さん」
「ん……まあ、な。好いた女と結ばれたのなら、嬉しいのは当然じゃねえか?」
なら、と。
目元を拭い、アトラは微笑んだ。
「なら……うん、幸せそうなら、それで、いい……かな」
悲しいし、悔しい。
あそこに居る女性は自分であればいいのにと思う。
けれど、カルナが考え、選んだ結果がああなら、致し方ない。
だって、そうだろう?
好いた男に選ばれて幸せになりたいと思うのと同じくらい、好いた男が幸せになって欲しいと願っているのだから。
だから、これでいい――小さな声で、所々つっかえながら、アトラはそう言って微笑んだ。
「……よしっ、ちょっと早いがお前も酒飲むか!」
その笑顔を見て、デレクは大きく手を叩いた。
「アトラ、まだ、九。成人、してない」
「だが、春にはもう十だ。あとちょっとじゃねえか。どんどん敵の本拠地に近づいてやがるし、安全に誕生日祝ってやれるかもわからねえしな」
それに、と。
「こういう時は食って飲んで騒ぐ――大昔からドワーフはそうやって来たんだ。無理に大人ぶって我慢すんな」
そう言ってアトラの頭を乱雑に撫でた。
ガリガリと音がしそうな程に力強いそれに、アトラは小さく悲鳴を上げる。
「お兄ちゃん、痛い。痛い、ってば」
「力加減が苦手なもんでな。けどおれは無性にお前を撫でたくて仕方ないからな、痛いのは我慢しろ。泣いたって止めてやらん」
「痛い、いたい、いたいって――ば……」
小さくすすり泣くように声と涙を零すアトラ。その頭を、デレクは撫で続けた。
最初と打って変わってやさしく、いたわるように。




