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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
襲撃後に抱く想い
122/288

119/かつてと今

 生活や復興作業の喧騒を抜けて、カルナは一人、宿へと戻ってきた。

 工房でやることがなくなったからと言うべきか……より正確に言えば、追い出されたからと言うべきか。

 ふう、と。僅かに乱れた呼吸を整える。


「全く、デレクの奴。確かに僕が悪かったとは思うけど、鉄咆てつほう持ち出すことはないだろうに――いやうん、僕が悪かったけどさ、あれは」


 まあ、時間を置いてちゃんと謝らなくてはな、とは思う。デレクにも、もちろんアトラにもだ。さすがに調子に乗りすぎた、というか本能のままに動きすぎた感があったから。

 ローブで体のラインが隠れてなければ即死だった――と、いくつか穴を穿たれたローブを靡かせ、右手でサンドイッチの入った袋を持って、宿の階段を昇る。

 竜咆きょりゅうほうの話を聞き、鉄咆てつほう片手に追いかけてくるデレクから逃げ回っていたらこんな時間だ。昼飯時はとっくに過ぎていた。

 まだギリギリランチをやっている店はあるものの、あまり沢山食べたら夕飯が入らなくなる。なら、部屋で読書でもしつつ軽食を食べようと思ったのだ。

 

(――夜とかに一人で作業するのは好きな方なんだけど、ね)


 階段を上りながら遠く響く喧騒を耳にして、僅かばかりの寂しさを抱く。今朝もこんなことがあったな、と僅かに自嘲めいた笑みを浮かべた。

 自分が思っている以上に、周囲に人がいるのを好ましく感じていて、それと同時にそれが当たり前だと思っている自分に気付く。

 ある種、人間として当然の感性なのかもしれないが――それを得たのが成長なのか、それとも劣化なのか、カルナ自身にはどうにも判断が出来なかった。

 皆と共に協力し合うという意味では成長であり、他を押しのけてでも自分が選ぶ道を邁進する場合は劣化と言えるだろう。

 

(ナルキから女王都を目指す前日も思ったけど――面倒だな、脆くなってる自覚がある)


 知り合いが少なければ、こんな気持ちを抱かずに魔法の研究に打ち込めただろうに。

 そう思いため息を吐いたカルナは、ふと視線を連翹とノーラの部屋に向けた。

 それはきっと内心の寂しさを紛らわすため、「誰か帰ってきてないかな」という気持ちが生んだ動作だ。本来なら苦笑し、すぐに自分たちの部屋に向かうところだが――


(……扉が、開いてる?)


 半開きになったままの入り口を見て首を傾げる。

 最初、最後に出た連翹が閉め忘れたとかそんなことだと思ったが、すぐに否定する。

 ニールと連翹はカルナやノーラよりも先に宿を出たはずだ。なら、あそこを最後に出たのはノーラのはずだし、そうでなくてもベッドメイクに来た従業員のはずだ。そして、後者の場合にドアノブにかけてあるカードも見当たらない。


(賊か?)


 ローブの中の魔導書を掴みながら、ゆっくりと近づく。

 昨日の襲撃で街中の警備は増強されているとはいえ、それは森から来るモンスターや都市に未だ潜んでいる可能性がある転移者に対してのモノだ。

 普通の現地人が観光客や冒険者に紛れて盗みを働く可能性も低くはない。

 

(鍵は――壊されてない?)


 ドアを確認し、もし賊なら鍵開けなどが出来るスカウトなどか、と辺りをつける。

 もっとも、ただ単に連翹かノーラが帰ってきていて、何らかの理由で扉を占め損ねただけかもしれないが。


(その時は僕が無駄に警戒してた間抜けってだけで済む)


 女性の部屋を覗いた云々言われたら、まあ理由を話して誠心誠意謝るしかあるまい。

 そう思いながら聞き耳を立てつつそっと部屋の中を覗き込み――

 

「あ――き、ちゃう。きえ、る、ぅ……」


 ――なんか、聞き覚えのある少女の、艶っぽい声が。

 知っている人の声なのに、しかし知らない響き。声音を抑えつつも、しかし快感に身を任せたような声音だ。


「やっと、で――あ、ふ、ぁぁぁぁ……」


 声が聞こえるのは、恐らくトイレの中だろうか。そこから、何か溜め込んだ欲望を一気に開放している少女の声が聞こえてくる。

 それと同時に、響く水音。トイレであれば何も不思議ではない日常のそれだが、先程の声と合わせてしまうとバッチリ非日常だ。あれか、達した時に緩んで出るとか、そういうアレなのか。

 そこまで想像し、想定し、中で何をやっていたのかを想像し――赤くなるとか興奮するとかを通り越して冷や汗が吹き出した。


(や、やばい、どうしようこれ、さすがに気まず過ぎて困るんだけど――!?)


 というか、これに聞き耳を立てるのはとんでもない変態行為なのではあるまいか――!?

 しばし硬直したままだったカルナだが、『このままの状況は色々まずい』と思い直す。完全にアウトだ、これは。

 だから、そっと何も気づかなかったことにして部屋から離れ――


「ふう――なんとかなったけど、あとでマリアンさんに使い方を聞かないと……あれ、カルナさん?」


 トイレから出たノーラと、バッチリ目が合ってしまった。

 

「……やあ、ノーラさん。ごめんね、扉が開きっぱなしだったから、不審に思ってさ」

 

 マリアンに聞くってなんだよ、とか。

 あれか、自分の慰め方についてか、とか。

 使い方って、何か特殊な道具でも使ってたのか、とか。

 色々思うこととか聞きたいこととかはあったが、全部飲みこんでおく。


「ああ、そっか。鍵無いと開きませんからね――すみません、ちょっと焦ってて閉め忘れたみたいです」

「そ、そっか――うん、まあそれなら仕方ないね」


 赤い顔を僅かに逸らすノーラに、ああうん、と頷く。

 まあ、確かに。友人の隣でおっぱじめるワケにもいかない以上、帰ってくる前に済ましたくて焦るのは分からなくもない。

 ……だからって扉くらいは閉めておいた方が良いだろうに、とは思うけれど。

 

「ところで、カルナさんはもう用事は済んだんですか?」

「うん、まあ――済んだといえば済んだのかな。ノーラさんは」

「わたしは半分、でしょうか。もう少し時間を置いてから霊樹の保管庫かオルシジームギルドに行ってミリアムちゃんと合流したいな、と思ってます」

 

 第一目標が思ったより早く済んだみたいで、とノーラは微笑む。

 彼女が言うには、神官の奇跡を一つである『防壁』の習得に成功したのだという。

 人間が扱える奇跡はまだ『結界』と『身体能力強化』があるため、ノーラが取得した奇跡はまだ半分。けれど、十代半ばの若さで二つの奇跡を扱えるのなら十分に優秀と言えるだろう。少なくとも、現代であれば。

 かつて魔王大戦で魔族と戦っていた頃は、一足飛びで全ての奇跡を扱えるようになる者も多かったと聞く。

 もっとも、それは命の危機とそれを打ち払わんとする想いと祈りが、現代の平和な人間よりも強かったからだ。

 かつてほど命の危険がないから、神に認められる試練が必然的に少なくなり、結果十代の若者なら治癒しか扱えない者が多くなるのだという。


(転移者との出会いが変化を与えているんだろうね)


 自身を脅かす敵とは確かに厄介だろう。

 けれど、天敵から身を守るために様々な生き物が進化してきたように、人間もまた敵と戦うことで進化するのだ。

 実際、カルナとて転移者と出会わなければ魔法の研究だけをしていただろう。間違っても鉄咆てつほうの開発に従事することは無かった。

 連中のおかげ、とは言いたくないが、転移者という刺激によって変化しているのだ。

 

(おっと、いけない)


 そんな思考に耽っているよりも、他にやることがあるではないか。


「おめでとう、ノーラさん。ニールたち前衛も戦いやすくなるよ」


 前衛をサポートするために使うにしろ、後衛である自分たちが身を守るために使うにしろ、前で剣を振るう者はぐっと戦いやすくなるだろう。

 強敵の攻撃をある程度防ぎながら戦えるし、脆い後衛に向かう攻撃を受け止める頻度が少なくなる。結果的に攻撃に集中出来るようになり、強敵を倒しやすくなる。

 もっとも、転移者に対してどれほど有効なのかは分からない。だが、それでも戦闘の余波くらいは防げるはずだ。大規模な戦闘でもある程度近くで援護が出来る可能性が出て来る。

 カルナの言葉に、ノーラは少し照れたような微笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。これでもっと役に――」


 立ってみせます、という言葉と重なるように――くきゅるる、という音が響き渡った。

 微笑んだままの表情で固まるノーラに、カルナは無言で手に持ったサンドイッチの入った袋を差し出した。

 

「……食べる?」

「……た、食べます……」


 ノーラはか細い声で、それを受け取った。


     ◇


「ねえノーラさん、せっかく手が汚れない食べ物なのだから、食べながらあの古書の解読の続きでもしようか」


 カルナがそう言ったのは、気まずそうにサンドイッチを食べているノーラの気を紛らわせるためというのもあるが、彼自身その存在が気になっていたからでもある。

 それは、ノーラが故郷の教会から持ち出した古書だ。

 女王都の時はノーラと良くしていたのだが、行軍中は中々時間が取れず、またアースリュームでは鉄咆てつほうの開発でそれどころでは無かったため放置していた。

 

「え? ……そうですね、わたしも暇を見つけて読んでみたりはするんですけど、やっぱり単語を拾うだけで精一杯で」


 そう言って、ノーラは鞄から古めかしい本を取り出した。

 分厚く、そして古ぼけた本であった。あまり丁重に保管されていなかったのか表紙は削れ、タイトルを読み取ることは出来ない。中のページが破損していないのが不幸中の幸いだ。

 ノーラがそれをテーブルに置くと、カルナが軽くページをめくる。


『我の予想を越え、人間の勇者となった少女に親愛を。この想いが色褪せぬよう、我は彼女を記録することに決めた』

 

 そんな書き出しで始まるこの書物の内容は、勇者リディアの冒険を追ったモノ。

 冒険の始まりから終わりまでを書き記したそれを見て、カルナは当初リディアに近しい人が書いたのだと思った。

 だが、読めば読むほど、その考えが誤りに思えてくる。

 執筆者が最初から最後まで上空から俯瞰していて、その結果を書き記した――そんな空想すら抱く。


「読む度に思いますけど、この作者さん本当に勇者たちが好きですよね」

「本当にね。まあ、古字書いてるってことはアルストロメリア女王国が作った文字を学ぶ前の人――魔王大戦を経験した世代だろうから。自分たちを救った勇者を褒め称えるのは当然と言えば当然なのかもしれないけどね」


 そう言いつつも、カルナはその言葉に違和感を抱いていた。

 この作者は勇者たちを賞賛はしている、讃えてもいる、愛してもいるのだろう。

 だが、それはどうも無自覚に上から目線というか。子供の成功に喜び頭を撫でる親を連想させる。


(――親、か)


 かつて冒険者だったという祖父の遺品から魔導書を見つけ、魔法を勉強し、初めて魔法が使えるようになったことを思い出す。

 その時に、自分も両親にそんな風に喜び頭を撫でられたような覚えがある。

 十代も半ばを過ぎた辺りで自分から話しかけることも少なくなり、あの転移者――雑音語りノイズ・メイカーに敗北した時に別れも告げずに村を出てから、それっきり。

 今、どうしているのだろうか、と思う。

 会いたいような気もするし、今更どんな顔をして会いに行けば良いのかとも思う。

 小さくため息を吐き、思考を打ち切る。

 考えた結果『会いたい』と思ったとして、今は騎士団と共に転移者と戦う連合軍の一員だ。それをほっぽり出して会いに行くワケにもいかない。

 思考を振り払うように古書の文章を読み進め―― 

 

「……あれ?」


 ――なんだこれ、と思わず声を漏らした。


「どうしたんですか、カルナさん」

「いや、ここの文章、言い回しが変わってるような――いや、気のせいだね」

 

 言いかけて、そんなことはありえない、とカルナは首を振った。

 女王都で読んだ時と比べ、細々とした言い回しや言葉遣いが変化しているような――そんな気がしたのだ。

 無論、そんなことはありえない。久々に読んだから所々忘れていたのと、先程の思考が頭を鈍らせただけだろう。

 全く、何やってるんだ僕は――そう何度目かのため息を吐こうとした時、不意に扉がノックされた。


「あ、ちょっと待って下さいね――はーい、今行きますねー!」


 小走りで扉へ向かい、開ける。

 入り口の前で立っていたのは、この宿の従業員らしい一人のエルフだった。右手には、いくつかの清掃用道具。左手には――女性用の着替え。

 彼は申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。もっと早く来るべきかとも思ったのですが、昨日の襲撃で何人かスタッフが休んでいるため、中々手が空かず」

「えっと、それはどうい――あっ」


 ノーラがエルフの従業員の顔を見て、何か全てを悟った顔をした。

 凄い勢いで顔を赤くし、掃除道具と着替えに視線を向け、更に顔を赤くする。


「同室の方はまだ戻っておられないようなので、今のうちにと思いまして――一階時点であの様子なら、きっと、その……」

「まっ、間に合ってます! 二重の意味で間に合ってます! わたしも! その掃除道具も! ……というかごめんなさい、親切だっていうのは分かってるんですけど、今はちょっとごめんなさいやめてください!」


 ノーラの慌てように疑問を抱いたのだろう。視線を部屋の中に向けたエルフの視線とカルナの視線が、がっちりと交差した。


「しっ、失礼しました」

「いえ、こちらこそ、あの時は本当に色々失礼しました……!」


 互いに頭を下げながら、ばたん、とエルフは扉を閉めて退出する。

 残されたノーラは、扉の前で微動だにしない。

 その様子を見ながら、カルナはゆっくりと理解し始めていた。

 一階時点であの様子、持ってきた掃除道具と女性用の着替え、そしてあのノーラの恥ずかしがり具合。

 それは、つまり一階時点で尿意が切羽詰まっていて、その様子を見ていた、または浮遊床を起動したエルフが「きっと間に合ってない」と思ったということなのだろう。

 きっと、よっぽど漏らす寸前だったんだろうな、と内心で頷き――

 

「――え? つまりトイレのあの艶っぽい声って、ただトイレしてただけなの?」


 ――超失態をやらかしたのである。

 ぐりん、とノーラの顔がこちらに向いた。

 顔を真紅に染め、涙目でぷるぷると振るえている。


「きっ、聞いてたんですか、カルナさん……? 声とか、お、音とか――それも、その、あれですけど、なんだと思って聞いてたんですか……?」

「えっ!? ……さて、次の文面だけど……この戦いでリディアは奇跡を扱えるようになったんだねー、すごいねーノーラさん」

「誤魔化さないでくださいよぉ! ねえ、わたしどんな声出してたんですか!? どんなことしてたと思われてたんですかぁ!?」


 全てを無かったことにして古書を読むという逃げ道は、肩を思いっきり掴んできたノーラによって破綻した。

 さすがに上手く行くとは思っていなかったけれど、後数秒くらいは現実逃避させて欲しかったと思う。


「……ごめん、さすがにそれ男の僕が言ったらセクハラなんてレベルじゃないから……!」

「え……それって――え、ぁ、ぁぁぁぁああああ! どんな声出してたんですかあの時のわたしぃ……!」

「しまった、察してしまった!? いや、まあ、落ち着いてノーラさん! 生理現象は仕方のないことだから……!」


 僕はこれを宥められるのだろうか?

 ベッドの布団の中に入り込んで丸くなり始めたノーラを見つめながら、カルナは心からそう思ったのである。

 

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